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エミイル・ゾラの文学方法論(エミイル・ゾラのぶんがくほうほうろん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-25 14:48:50  点击:  切换到繁體中文


         三

 クロオド・ベルナアルが、生命現象の研究に実験的方法を適用する必要を主張すると、これに反対の生気論者ヴイタリストは、クロオド・ベルナアルの一派を唯物論者であると批難した。これに対してクロオド・ベルナアルは次のやうに反駁してゐる。

『生気論者たちは、生命といふものを、何物にも決定されないで、自由自在にはたらいてゐる神秘的な、超自然的な一種の力であると考へ、生命現象を一定の有機的及び理化学的条件にむすびつけて説明しようとする人々を唯物論者だと批難してゐる。これは謬つた考へであるけれども、一旦それにとりつかれると容易にそれを根絶することはできぬ。たゞ科学の進歩のみがかゝる謬想を消滅させるであらう。』
 然らば科学の進歩は私たちに何を示したであらうか? ゾラは、これを、 椽大の筆をふるつて次の如く要約してゐる。
『前世紀(十八世紀をさす)に於て、実験的方法の正確なる応用によりて、化学及び物理学が生れ、この方面に於ては、不合理な超自然的な説は影をひそめた。分析のおかげによりて、物理化学的現象には一定の法則があることが発見され、様々な現象が明かにされた。ついで新しい一歩が踏み出された。今尚ほ生気論者たちが神秘的な力を認めてゐる生物体も亦、物質の一般的機構によりて説明され、それに還元せしめられた。科学は、生物体に於ても無生物体に於ても、一切の現象の存在条件は同じであることを証明し、それによりて、生理学は徐々に、化学や物理学のやうな確実性を帯びて来た。しかしそれで、進歩は停止したゞらうか? 決してさうではない。人間の肉体の機構がわかつて来ると、今度は、人間の情的及び知的のはたらきに移つてゆかねばならぬ。さうなつて来ると、私たちは、これまで哲学及び文学に属してゐた領域にはいつてゆくことになり、科学によりて、哲学者や文学者の臆測が決定的に征服されることになる。今日私たちは実験物理学及び実験化学を有してゐる。そのうちに私たちは実験生理学を有するやうになり、更に進んで実験小説を有するやうになるであらう。凡てが関連してゐるのである。私たちは、生物体の決定性を知るためには、無生物体の決定性から出発しなければならなかつた。而して、今や、クロオド・ベルナアルのやうな学者が、人体にも一定の法則がはたらいてゐるといふことを示したのであるから、私たちは、この次には思想及び感情の法則がつくられるやうになるだろうと断言しても、謬るおそれはないのである。道端の石にも人間の脳髄にも同様の決定性がはたらいてゐる筈なのである。』
 この時には、ゾラによれば、小説家は科学者となり、小説家のなすべき仕事は、人間の個人的及び社会的生活を分析することになつて来る。生理学者が物理学者や化学者の仕事を継承して来たやうに、小説家は生理学者の仕事を継承して、観察と実験とをしてゆくやうになる。小説家は一種の心理学をつくつて生理学を補つてゆくのである。而して、小説家が人間の性質を研究する道具は実験的方法なのである。科学的研究、実験的推理によりて、理想主義者の臆測は次々に征服され、純然たる想像によりてつくられた小説は、観察と実験との小説に代つてゆくのである。
 とは言へ、人間の科学、即ち実験小説は、まだ法則をうちたてるやうな域には達してゐない。たゞ私たちに言ひ得ることは、人間界の凡ゆる現象は絶対的決定性をもつてゐるといふことに過ぎないのである。凡そ科学完成の程度は、その科学がとりあつかふ対象の複雑さに逆比例してゐる。物理学及び化学の対象は最も単純な現象である。そこで、これ等の科学は最も厳密な法則科学となつてゐる。生理学になると、その複雑さが遥かに増して来る。従つてこの科学の発達はまだ比較的幼稚である。最後に人間の精神生活の科学即ち実験小説の取り扱ふ対象に至つては、その複雑さが更に一層甚だしい。それ故に、この科学(小説)はまだ法則を云々する域にすらも達して居らぬのである。人間科学が幼稚であるのは方法の罪でなく、対象が複雑なためである。
 エミイル・ゾラは、実験小説の神髄を次の如く要約してゐる。
 『先づ、生理学が教へるやうに、遺伝、環境等によりて、人間の精神生活の機構を説明し、ついで、この人間を生理学者の手から引離して、社会的環境の中において見る。この社会的環境なるものは、人間自らがつくつたものであり、人間が毎日変へてゐるものであり、その中にありて人間自ら亦絶えず変化してゐるものなのである。』
 ゾラの言はんとするところを一言で言ふならば、小説家は、生物学と社会学との両方面から人間を研究する科学者であるといふことになる。

         四

 以上は実験小説(自然主義小説)の純論理的根拠である。実験小説はもつと実際生活に密接な関係を有する役割、ゾラの言葉によれば道徳的役割 r※(サーカムフレックスアクセント付きO小文字)le moral をもつてゐないだらうか?
 若し、生物学及び医学が十分に発達したならば、医師は疾病の原因をすつかり知りつくして患者を完全に治癒し得るやうになるであらう。人間は完全に自然を征服して、その法則を利用し得るやうになるだらう。かゝる状態は、今日の科学者が夢想とするところであつて、これほど高貴な、これほど高尚な、これ程偉大な目的は又とあるまい。
 実験小説家の夢想するところもこれと同じである。小説家の目的も科学者の目的と同じであつて、一定の社会環境に於て、人間の知的、情的生活がどうなるかを、実験的に示すことにある。若し、他日これが、法則的に正確に知悉されるやうになつたならば、個人及び環境を変へることによりてよりよき社会状態に達することができるであらう。かくの如く高貴にして、かくの如く応用の広汎な仕事はまたとあるまい。
『善悪を知悉し、人生、社会を統制し、遂には社会主義の全問題を解決することによりて確乎たる正義の基礎をすゑつけること、人間の一切の事業のうちで、これほど有益で、これほど道徳的な事業が又とあるだらうか?』
 実験小説家の役割は、これを理想主義小説家と比較することによりて一層鮮明となる。こゝで理想主義小説家といふのは、観察と実験とを無視して、超自然的な、不合理なものにその作品の基礎をおき、現象の決定性を逸脱した、神秘的な力をゆるす作家のことである。
 実験小説家の真の任務は、既知の事柄から出発して未知の事柄を探り求め自然を科学的に知悉することである。理想主義小説家は、未知なものは既知のものより美しく尊いものであるといふ馬鹿げた口実のもとに未知なものに甘んじてゐる。自然主義小説家は、如何なるものにも観察と実験とを用ふるが、理想主義小説家は分析することのできない神秘力をみとめ、未知の中に、法則の外に安住しようとする。[#「。」は底本では「、」]もとより理想イデアルを念とするものを理想主義者と呼ぶなら、実験小説家も亦理想主義者である。たゞこゝでは未知の世界をよろこんで、そこへ逃避せんとする者のみを理想主義者と呼ぶのである。現象の決定性を認めないものを理想主義者と呼ぶのである。
 実験小説家を宿命論者であると批難するものもある。実験小説家は、人間を、運命の鞭の下に動いてゆく家畜の群にひきさげるものであると批難するものがある。然しながら、ゾラによれば実験小説家は決定論者ではあるが、宿命論者ではない。なる程、実験小説家は自然法則の外へは出ない。自然法則の中にありて現象の生起する条件をさぐる。けれども彼等はそれだけではない。彼等は現象の決定性を変更する。例へば環境に向つてはたらきかけ、この環境をかへることができる。自由と無知とが同義語でないやうに、自然法則を知り、これを認めることは、これに盲従することを意味するものではない。宿命論と決定論とは全く別のものである。
          ×       ×       ×       ×
 エミイル・ゾラはこゝで主として小説について論じてゐる。彼は文学の他の品種についてどう考へてゐたゞらうか? 彼はこの論文の最後で次のやうに言つてゐる。
『私は実験小説についてしか論じなかつたが、実験的方法は、史学及び批評を征服し、やがて、劇及び詩をさへも征服するであらうとかたく信じてゐる。これは避くべからざる進化である。』
 さて、私は、ゾラの方法論を詳細に批評するつもりで、この紹介にとりかゝつたのであるが、限られた紙数と時間とのために、批評どころか、彼の説を伝へることすらも、甚だ不十分にしかできなかつた。いづれ機を見て不備な点を補ふと同時に、ゾラの文学論に含まれたる偉大な功績と、それに対する私の批判とを述べて見たいと思つてゐる。
{大正十五年十月「新潮」}





底本:「平林初之輔文藝評論全集 上巻」文泉堂書店
   1975(昭和50)年5月1日発行
※底本に付された「〔 〕」は、「{ }」に置き換えました。
入力:田中亨吾
校正:松永正敏
2004年5月31日作成
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