わが愛する者よ
請う急ぎはしれ
香わしき山々の上にありて
![※(「けものへん+章」、第3水準1-87-80)](http://www.aozora.gr.jp/gaiji/1-87/1-87-80.png)
の
ごとく小鹿のごとくあれ
私は街に出て花を買うと、妻の墓を訪れようと思った。ポケットには仏壇からとり出した線香が一束あった。八月十五日は妻にとって初盆にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑わしかった。恰度、休電日ではあったが、朝から花をもって街を歩いている男は、私のほかに見あたらなかった。その花は何という名称なのか知らないが、黄色の小瓣の可憐な野趣を帯び、いかにも夏の花らしかった。
炎天に曝されている墓石に水を打ち、その花を二つに分けて左右の花たてに差すと、墓のおもてが何となく清々しくなったようで、私はしばらく花と石に視入った。この墓の下には妻ばかりか、父母の骨も納っているのだった。持って来た線香にマッチをつけ、黙礼を済ますと私はかたわらの井戸で水を呑んだ。それから、饒津公園の方を廻って家に戻ったのであるが、その日も、その翌日も、私のポケットは線香の匂いがしみこんでいた。原子爆弾に襲われたのは、その翌々日のことであった。
私は厠にいたため一命を拾った。八月六日の朝、私は八時頃床を離れた。前の晩二回も空襲警報が出、何事もなかったので、夜明前には服を全部脱いで、久し振りに寝間着に着替えて睡った。それで、起き出した時もパンツ一つであった。妹はこの姿をみると、朝寝したことをぶつぶつ難じていたが、私は黙って便所へ這入った。
それから何秒後のことかはっきりしないが、突然、私の頭上に一撃が加えられ、眼の前に暗闇がすべり墜ちた。私は思わずうわあと喚き、頭に手をやって立上った。嵐のようなものの墜落する音のほかは真暗でなにもわからない。手探りで扉を開けると、縁側があった。その時まで、私はうわあという自分の声を、ざあーというもの音の中にはっきり耳にきき、眼が見えないので悶えていた。しかし、縁側に出ると、間もなく薄らあかりの中に破壊された家屋が浮び出し、気持もはっきりして来た。
それはひどく厭な夢のなかの出来事に似ていた。最初、私の頭に一撃が加えられ眼が見えなくなった時、私は自分が斃れてはいないことを知った。それから、ひどく面倒なことになったと思い腹立たしかった。そして、うわあと叫んでいる自分の声が何だか別人の声のように耳にきこえた。しかし、あたりの様子が朧ながら目に見えだして来ると、今度は惨劇の舞台の中に立っているような気持であった。たしか、こういう光景は映画などで見たことがある。濛々と煙る砂塵のむこうに青い空間が見え、つづいてその空間の数が増えた。壁の脱落した処や、思いがけない方向から明りが射して来る。畳の飛散った坐板の上をそろそろ歩いて行くと、向うから凄さまじい勢で妹が駈けつけて来た。
「やられなかった、やられなかったの、大丈夫」と妹は叫び、「眼から血が出ている、早く洗いなさい」と台所の流しに水道が出ていることを教えてくれた。
私は自分が全裸体でいることを気付いたので、「とにかく着るものはないか」と妹を顧ると、妹は壊れ残った押入からうまくパンツを取出してくれた。そこへ誰か奇妙な身振りで闖入して来たものがあった。顔を血だらけにし、シャツ一枚の男は工場の人であったが、私の姿を見ると、「あなたは無事でよかったですな」と云い捨て、「電話、電話、電話をかけなきゃ」と呟きながら忙しそうに何処かへ立去った。
到るところに隙間が出来、建具も畳も散乱した家は、柱と閾ばかりがはっきりと現れ、しばし奇異な沈黙をつづけていた。これがこの家の最後の姿らしかった。後で知ったところに依ると、この地域では大概の家がぺしゃんこに倒壊したらしいのに、この家は二階も墜ちず床もしっかりしていた。余程しっかりした普請だったのだろう。四十年前、神経質な父が建てさせたものであった。
私は錯乱した畳や襖の上を踏越えて、身につけるものを探した。上着はすぐに見附かったがずぼんを求めてあちこちしていると、滅茶苦茶に散らかった品物の位置と姿が、ふと忙しい眼に留るのであった。昨夜まで読みかかりの本が頁をまくれて落ちている。長押から墜落した額が殺気を帯びて小床を塞いでいる。ふと、何処からともなく、水筒が見つかり、つづいて帽子が出て来た。ずぼんは見あたらないので、今度は足に穿くものを探していた。
その時、座敷の縁側に事務室のKが現れた。Kは私の姿を認めると、
「ああ、やられた、助けてえ」と悲痛な声で呼びかけ、そこへ、ぺったり坐り込んでしまった。額に少し血が噴出ており、眼は涙ぐんでいた。
「何処をやられたのです」と訊ねると、「膝じゃ」とそこを押えながら皺の多い蒼顔を歪める。
私は側にあった布切れを彼に与えておき、靴下を二枚重ねて足に穿いた。
「あ、煙が出だした、逃げよう、連れて逃げてくれ」とKは頻りに私を急かし出す。この私よりかなり年上の、しかし平素ははるかに元気なKも、どういうものか少し顛動気味であった。
縁側から見渡せば、一めんに崩れ落ちた家屋の塊があり、やや彼方の鉄筋コンクリートの建物が残っているほか、目標になるものも無い。庭の土塀のくつがえった脇に、大きな楓の幹が中途からポックリ折られて、梢を手洗鉢の上に投出している。ふと、Kは防空壕のところへ屈み、
「ここで、頑張ろうか、水槽もあるし」と変なことを云う。
「いや、川へ行きましょう」と私が云うと、Kは不審そうに、
「川? 川はどちらへ行ったら出られるのだったかしら」と嘯く。
とにかく、逃げるにしてもまだ準備が整わなかった。私は押入から寝間着をとり出し彼に手渡し、更に縁側の暗幕を引裂いた。座蒲団も拾った。縁側の畳をはねくり返してみると、持逃げ用の雑嚢が出て来た。私は吻としてそのカバンを肩にかけた。隣の製薬会社の倉庫から赤い小さな焔の姿が見えだした。いよいよ逃げだす時機であった。私は最後に、ポックリ折れ曲った楓の側を踏越えて出て行った。
その大きな楓は昔から庭の隅にあって、私の少年時代、夢想の対象となっていた樹木である。それが、この春久し振りに郷里の家に帰って暮すようになってからは、どうも、もう昔のような潤いのある姿が、この樹木からさえ汲みとれないのを、つくづく私は奇異に思っていた。不思議なのは、この郷里全体が、やわらかい自然の調子を喪って、何か残酷な無機物の集合のように感じられることであった。私は庭に面した座敷に這入って行くたびに、「アッシャ家の崩壊」という言葉がひとりでに浮んでいた。
Kと私とは崩壊した家屋の上を乗越え、障害物を除けながら、はじめはそろそろと進んで行く。そのうちに、足許が平坦な地面に達し、道路に出ていることがわかる。すると今度は急ぎ足でとっとと道の中ほどを歩く。ぺしゃんこになった建物の蔭からふと、「おじさん」と喚く声がする。振返ると、顔を血だらけにした女が泣きながらこちらへ歩いて来る。「助けてえ」と彼女は脅えきった相で一生懸命ついて来る。暫く行くと、路上に立はだかって、「家が焼ける、家が焼ける」と子供のように泣喚いている老女と出逢った。煙は崩れた家屋のあちこちから立昇っていたが、急に焔の息が烈しく吹きまくっているところへ来る。走って、そこを過ぎると、道はまた平坦となり、そして栄橋の袂に私達は来ていた。ここには避難者がぞくぞく蝟集していた。
「元気な人はバケツで火を消せ」と誰かが橋の上に頑張っている。私は泉邸の藪の方へ道をとり、そして、ここでKとははぐれてしまった。
その竹藪は薙ぎ倒され、逃げて行く人の勢で、径が自然と拓かれていた。見上げる樹木もおおかた中空で削ぎとられており、川に添った、この由緒ある名園も、今は傷だらけの姿であった。ふと、灌木の側にだらりと豊かな肢体を投出して蹲っている中年の婦人の顔があった。魂の抜けはてたその顔は、見ているうちに何か感染しそうになるのであった。こんな顔に出喰わしたのは、これがはじめてであった。が、それよりもっと奇怪な顔に、その後私はかぎりなく出喰わさねばならなかった。
川岸に出る藪のところで、私は学徒の一塊と出逢った。工場から逃げ出した彼女達は一ように軽い負傷をしていたが、いま眼の前に出現した出来事の新鮮さに戦きながら、却って元気そうに喋り合っていた。そこへ長兄の姿が現れた。シャツ一枚で、片手にビール瓶を持ち、まず異状なさそうであった。向岸も見渡すかぎり建物は崩れ、電柱の残っているほか、もう火の手が廻っていた。私は狭い川岸の径へ腰を下ろすと、しかし、もう大丈夫だという気持がした。長い間脅かされていたものが、遂に来たるべきものが、来たのだった。さばさばした気持で、私は自分が生きながらえていることを顧みた。かねて、二つに一つは助からないかもしれないと思っていたのだが、今、ふと己が生きていることと、その意味が、はっと私を弾いた。
このことを書きのこさねばならない、と、私は心に呟いた。けれども、その時はまだ、私はこの空襲の真相を殆ど知ってはいなかったのである。
対岸の火事が勢を増して来た。こちら側まで火照りが反射して来るので、満潮の川水に座蒲団を浸しては頭にかむる。そのうち、誰かが「空襲」と叫ぶ。「白いものを着たものは木蔭へ隠れよ」という声に、皆はぞろぞろ藪の奥へ匐って行く。陽は燦々と降り灑ぎ藪の向うも、どうやら火が燃えている様子だ。暫く息を殺していたが、何事もなさそうなので、また川の方へ出て来ると、向岸の火事は更に衰えていない。熱風が頭上を走り、黒煙が川の中ほどまで煽られて来る。その時、急に頭上の空が暗黒と化したかと思うと、沛然として大粒の雨が落ちて来た。雨はあたりの火照りを稍々鎮めてくれたが、暫くすると、またからりと晴れた天気にもどった。対岸の火事はまだつづいていた。今、こちらの岸には長兄と妹とそれから近所の見知った顔が二つ三つ見受けられたが、みんなは寄り集って、てんでに今朝の出来事を語り合うのであった。
あの時、兄は事務室のテーブルにいたが、庭さきに閃光が走ると間もなく、一間あまり跳ね飛ばされ、家屋の下敷になって暫く藻掻いた。やがて隙間があるのに気づき、そこから這い出すと、工場の方では、学徒が救いを求めて喚叫している――兄はそれを救い出すのに大奮闘した。妹は玄関のところで光線を見、大急ぎで階段の下に身を潜めたため、あまり負傷を受けなかった。みんな、はじめ自分の家だけ爆撃されたものと思い込んで、外に出てみると、何処も一様にやられているのに唖然とした。それに、地上の家屋は崩壊していながら、爆弾らしい穴があいていないのも不思議であった。あれは、警戒警報が解除になって間もなくのことであった。ピカッと光ったものがあり、マグネシュームを燃すようなシューッという軽い音とともに一瞬さっと足もとが回転し、……それはまるで魔術のようであった、と妹は戦きながら語るのであった。
向岸の火が鎮まりかけると、こちらの庭園の木立が燃えだしたという声がする。かすかな煙が後の藪の高い空に見えそめていた。川の水は満潮の儘まだ退こうとしない。私は石崖を伝って、水際のところへ降りて行ってみた。すると、すぐ足許のところを、白木の大きな函が流れており、函から喰み出た玉葱があたりに漾っていた。私は函を引寄せ、中から玉葱を掴み出しては、岸の方へ手渡した。これは上流の鉄橋で貨車が顛覆し、そこからこの函は放り出されて漾って来たものであった。私が玉葱を拾っていると、「助けてえ」という声がきこえた。木片に取縋りながら少女が一人、川の中ほどを浮き沈みして流されて来る。私は大きな材木を選ぶとそれを押すようにして泳いで行った。久しく泳いだこともない私ではあったが、思ったより簡単に相手を救い出すことが出来た。
暫く鎮まっていた向岸の火が、何時の間にかまた狂い出した。今度は赤い火の中にどす黒い煙が見え、その黒い塊が猛然と拡って行き、見る見るうちに焔の熱度が増すようであった。が、その無気味な火もやがて燃え尽すだけ燃えると、空虚な残骸の姿となっていた。その時である、私は川下の方の空に、恰度川の中ほどにあたって、物凄い透明な空気の層が揺れながら移動して来るのに気づいた。竜巻だ、と思ううちにも、烈しい風は既に頭上をよぎろうとしていた。まわりの草木がことごとく慄え、と見ると、その儘引抜かれて空に攫われて行く数多の樹木があった。空を舞い狂う樹木は矢のような勢で、混濁の中に墜ちて行く。私はこの時、あたりの空気がどんな色彩であったか、はっきり覚えてはいない。が、恐らく、ひどく陰惨な、地獄絵巻の緑の微光につつまれていたのではないかとおもえるのである。
この竜巻が過ぎると、もう夕方に近い空の気配が感じられていたが、今迄姿を見せなかった二番目の兄が、ふとこちらにやって来たのであった。顔にさっと薄墨色の跡があり、脊のシャツも引裂かれている。その海水浴で日焦した位の皮膚の跡が、後には化膿を伴う火傷となり、数カ月も治療を要したのだが、この時はまだこの兄もなかなか元気であった。彼は自宅へ用事で帰ったとたん、上空に小さな飛行機を認め、つづいて三つの妖しい光を見た。それから地上に一間あまり跳ね飛ばされた彼は、家の下敷になって藻掻いている家内と女中を救い出し、子供二人は女中に托して先に逃げのびさせ、隣家の老人を助けるのに手間どっていたという。
嫂がしきりに別れた子供のことを案じていると、向岸の河原から女中の呼ぶ声がした。手が痛くて、もう子供を抱えきれないから早く来てくれというのであった。
泉邸の杜も少しずつ燃えていた。夜になってこの辺まで燃え移って来るといけないし、明るいうちに向岸の方へ渡りたかった。が、そこいらには渡舟も見あたらなかった。長兄たちは橋を廻って向岸へ行くことにし、私と二番目の兄とはまた渡舟を求めて上流の方へ溯って行った。水に添う狭い石の通路を進んで行くに随って、私はここではじめて、言語に絶する人々の群を見たのである。既に傾いた陽ざしは、あたりの光景を青ざめさせていたが、岸の上にも岸の下にも、そのような人々がいて、水に影を落していた。どのような人々であるか……。男であるのか、女であるのか、殆ど区別もつかない程、顔がくちゃくちゃに腫れ上って、随って眼は糸のように細まり、唇は思いきり爛れ、それに、痛々しい肢体を露出させ、虫の息で彼等は横わっているのであった。私達がその前を通って行くに随ってその奇怪な人々は細い優しい声で呼びかけた。「水を少し飲ませて下さい」とか、「助けて下さい」とか、殆どみんながみんな訴えごとを持っているのだった。
「おじさん」と鋭い哀切な声で私は呼びとめられていた。見ればすぐそこの川の中には、裸体の少年がすっぽり頭まで水に漬って死んでいたが、その屍体と半間も隔たらない石段のところに、二人の女が蹲っていた。その顔は約一倍半も膨脹し、醜く歪み、焦げた乱髪が女であるしるしを残している。これは一目見て、憐愍よりもまず、身の毛のよだつ姿であった。が、その女達は、私の立留ったのを見ると、
「あの樹のところにある蒲団は私のですからここへ持って来て下さいませんか」と哀願するのであった。
見ると、樹のところには、なるほど蒲団らしいものはあった。だが、その上にはやはり瀕死の重傷者が臥していて、既にどうにもならないのであった。
私達は小さな筏を見つけたので、綱を解いて、向岸の方へ漕いで行った。筏が向うの砂原に着いた時、あたりはもう薄暗かったが、ここにも沢山の負傷者が控えているらしかった。水際に蹲っていた一人の兵士が、「お湯をのましてくれ」と頼むので、私は彼を自分の肩に依り掛からしてやりながら、歩いて行った。苦しげに、彼はよろよろと砂の上を進んでいたが、ふと、「死んだ方がましさ」と吐き棄てるように呟いた。私も暗然として肯き、言葉は出なかった。愚劣なものに対する、やりきれない憤りが、この時我々を無言で結びつけているようであった。私は彼を中途に待たしておき、土手の上にある給湯所を石崖の下から見上げた。すると、今湯気の立昇っている台の処で、茶碗を抱えて、黒焦の大頭がゆっくりと、お湯を呑んでいるのであった。その厖大な、奇妙な顔は全体が黒豆の粒々で出来上っているようであった。それに頭髪は耳のあたりで一直線に刈上げられていた。(その後、一直線に頭髪の刈上げられている火傷者を見るにつけ、これは帽子を境に髪が焼きとられているのだということを気付くようになった。)暫くして、茶碗を貰うと、私はさっきの兵隊のところへ持運んで行った。ふと見ると、川の中に、これは一人の重傷兵が膝を屈めて、そこで思いきり川の水を呑み耽っているのであった。
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