5 鷲にさらわれて
私は、いつかは自由の身になりたい、という気持を、いつも持っていました。しかし、どうしたら自由になれるのか、それはまるでわかりませんでした。私にできそうな工夫はてんで見つからないのです。この国の海岸に吹きつけられた船は、後にも前にも、私の乗って来た船のほかに、誰も見たことはありません。しかし国王は、もし万一またほかの船が現れたら、すぐ海岸へ引っ張って来て、船長や乗客を手押車に乗せてつれて来るようにと、言い渡されていました。
国王は、私に私と同じ大きさの女を妻にさせて、私たちの子供をふやしてみたい、と熱心に望まれていました。しかし私は、馴れたカナリヤのように籠の中で飼われたり、国中の貴族たちの慰みに売られるために、子供をつくるくらいなら、そんな恥かしい目に会うよりか、死んだ方がましだと思っていました。それに、国に残してきた家庭のことも忘れることができませんでした。もう一度、気らくに話のできる人間の中に帰り、街や野を歩くときも、蛙や犬の子みたいに踏みつぶされる心配なしに歩きたかったのです。しかし私は、たま/\思いがけないことから、全くうまく、こゝの国を離れることができたのです。それを次にお話しいたしましょう。
それは私がこの国へ来て二年が過ぎ、ちょうど三年目のはじめ頃のことでした。グラムダルクリッチと私は、国王と王妃のお供をして、南の海岸の方へ行きました。私はいつものように、旅行用の箱に入れられていました。ハンモックを天井の四隅から絹糸で吊し、旅行中はよくこれで眠ることにしました。
いよ/\海岸に着くと、国王はその海岸からあまり遠くないところにある離宮で数日間、お過しになることになりました。グラムダルクリッチも私も、へと/\に疲れていました。私も少し風邪をひいていましたが、グラムダルクリッチは非常に加減が悪いので、部屋で休んでいなければならなかったのです。私はなんとかして海へ行ってみたいと思いました。海へ行けば、この国から逃げ出す工夫が見つかるかもしれません。そこで、私は身体工合の悪いことを訴えて、ひとつ海岸へ行っていゝ空気が吸いたいのですが、行かせてください、と頼みました。そして、私と一しょに侍童がついて行ってくれることになりました。しかし、グラムダルクリッチは、私が海へ行くのを喜びませんでした。別れるとき、彼女は何か虫が知らせるのか、しきりに涙を流していました。
侍童は、私を箱に入れて、宮殿から半時間ほどの道を歩いて、海岸の岩のところへ来ました。私は頼んで下におろしてもらうと、窓を一枚開けて、海の方をじっと眺めていました。そのうち、少し気分が悪くなったので、ハンモックの中で昼寝してみたい、と侍童に言いました。すると、彼は寒気の入らないように、窓を閉めてくれました。私はハンモックの中で、すぐ眠りに陥ちました。
ところで、侍童は私が眠っている間に、まさか危険も起るまいと思って、岩の間へ鳥の卵でも探しに出かけたらしいのです。というのは私が眠る前から、彼は卵を探しまわっていたし、岩の割目から一つ二つ拾い上げている姿を、私は窓から見ていたからです。それはともかくとして、私がふと箱の中で目をさまして見ると、驚きました。箱の上についている鉄の環を誰かゞ、ぐい/\引っ張っているのです。と、つゞいて私の箱は空高く引き上げられ、猛烈な速さで前へ走って行くような気がしました。はじめ私は、ハンモックがひどく揺れて、落っこちそうになりましたが、その後はずっと静かになりました。二三度声を張り上げて呼んでみましたが、誰も答えてくれません。窓の方へ目をやって見ると、目にうつるものは雲と空ばかり、そして私のすぐ頭の上で、何か羽ばたきのような物音が聞えるのでした。
で、私は自分がどんなことになっているのか、わかりかけました。今、一羽の鷲が、私の箱をくわえているのですが、これはちょうどあの亀の子をつかまえたときするように、やがて箱を岩の上に落して割り、私の身体をほじくり出して食うつもりなのでしょう。というのは、鷲はよく臭を嗅ぎつける鳥ですから、たとえ獲物が上手に隠れていても、すぐ見つけ出すので、私が箱の中にいることも、ちゃんともう知っているにちがいありません。
しばらくして、羽音が烈しくなったかと思うと、箱はまるで風の中の看板のようにひどく揺れだしました。と今度は何かズシンと鷲にぶっつかる音がして、突然、私はまっ逆さまに落ちて行くのを感じました。恐ろしい速さで、ほとんど息もできないくらいでした。それから一分ぐらいたつと、私の耳にはゴー/\とナイヤガラの滝のような音がして、何か凄いものに箱がぶつかっているように思えました。ふと、落ちてゆくのがやんだかとおもうと、あたりは真暗になりました。
それから一分もすると、こんどは箱がどん/\上にあがってゆき、窓の方から光が見えだしました。それで海の中へ落ちたことがはじめてわかりました。箱は私の身体や家具などの重みで、水の中に浸りながら浮いています。
私はそのとき、こう思いました。これはたぶん、箱をさらって逃げた鷲が、仲間の二三羽に追っかけられたのでしょう。そして、お互に箱の獲物を争い合っているうちに、思わず鷲は箱を放したのでしょう。この箱の底には鉄が張ってあるため、海に落ちても壊れなかったのです。部屋はぴったり、しまっていたので、水にも濡れなかったのです。そこで、私はハンモックからおりると、まず天井の引窓を開けて空気を入れ替えました。
私の箱は今にもバラ/\になるかもしれないのでした。大きな波一つで、箱はすぐひっくりかえるかもしれませんし、窓ガラス一つ壊れただけで駄目になります。こんな、あやうい状態で、私の箱は四時間ばかりたゞよっていました。ところが、この箱の窓のない側に、そのときふと何か軋むような音が聞えました。それから間もなく、何か私の箱が、海の上を引っ張られているような気がしました。とき/″\、グイと引かれたかとおもうと、窓の上あたりまで波が見えて、部屋の中が暗くなります。これは助かるのかしらと、ふと私は希望が湧いてきました。そこで、私はできるだけ口を窓に近づけて、大声で助けを呼んでみました。それからステッキの先にハンカチを結んで、穴から出して振ってみました。もし船でもそばにいるのなら、この箱の中に私がいることを知ってもらいたかったからです。
しかし何の手応えもないのでした。たゞ、部屋がドン/\動いて行っていることだけが、はっきりわかります。それから一時間ばかりして、突然、私の箱に何か固いものが突きあたりました。と、箱の屋根の上に綱を通すような物音が聞えてきました。それから、そろ/\と箱は引き上げられるようでした。私はステッキの先のハンカチを振り、声をかぎりに呼んでみました。すると、それに答えて大きな叫び声が二三度繰り返されてきました。やがて頭の上で足音がしたかとおもうと、誰か穴の口から大声で、
「誰かいるなら返事をしろ。」
とどなりました。相手は英語で言ってくれてるのです。
「私はイギリス人です。今こゝでひどい目に会っているのです。何とかうまく助け出してください。」
と、私は一生懸命、頼みました。
「もう大丈夫だ。箱は本船にくゝりつけたし、今すぐ大工が屋根に穴をあけて出してやるから。」
と外では言っています。
「そんなことしなくてもいゝのですよ。それより早く誰かチョイとこの箱を指でつまみあげて、船長室へ持って行ってください。」
私がこう答えると、船員たちは私を気狂だと思ったらしく、大笑いしていました。大工がやって来て、箱に穴をあけ、そこから私は救い出され、本船に移されました。
船員たちはみな驚いて、いろんなことを尋ねますが、私はもう答える気もしないのでした。こんな大勢の小人を見て、私の方も驚いてしまったのです。なにしろ長い間、あの大きな人間ばかり見つけてきたので、船長たちが小人のように思えるのです。私が今にも気絶しそうな顔をしているので、船長は気つけ薬を飲ませてくれました。それから船長室に私をつれて行き、「まあ一寝入りしなさるんですね。」と言ってくれました。
私は数時間眠って、すっかり元気を取り戻しました。起きたのは夜の八時頃でした。船長は、私が長い間食事をしていないだろうと思って、すぐ晩食を言いつけてくれました。私がもう気狂じみた目つきをしたり、変なことをしゃべらなくなったのを見ると、彼は大へん親切にしてくれました。一たいどこへ行ったのか、またどうしてあんな大きな箱に入れられて流されたのか、ひとつ話してくれと言います。
船長の話では、正午頃、望遠鏡をのぞいていると、あの箱が眼にうつったので、最初は船だと思ったそうです。それからボートを出して近づいてみると、家が泳いでいるというので、みんなびっくりしました。本船の方へ引っ張り上げようとしていると、ちょうどそのときハンカチのついた棒を穴から突き出す者があるので、これはきっと誰か不幸な人間がとじこめられているにちがいない、と思ったのだそうです。
「それでは一番はじめ私を見つけた頃、何か大きな鳥でも空を飛んでいるのを見かけなかったでしょうか。」
と私は尋ねてみました。
「あ、あのとき、鷲が三羽北を指して飛んでいました。でも別に普通の鷲と変ったところはなかったようです。」
と一人の船長が答えました。
だが、それは非常に高く飛んでいたので、小さく見えたのでしょう。どうも私の尋ねたり言ったりすることは、みなに合点がゆかないようでした。私はイギリスを出発したときから、今までのことを、ありのまゝ話して聞かせました。それから、あの国で集めた珍しい品を見せてやりました。王の髯で作った櫛や、王妃の親指の爪を台にして作った櫛や、一フートもある縫針や、地蜂の針や、王妃の金の指輪や、そのほか、いろ/\のものを取り出して見せてやりました。
この船はトンキンに行って、いまイギリスへ帰る途中なのでした。航海は無事にすゝみ、一七〇六年六月三日に故国の港に戻りました。そこで、私は船長に別れを告げると、家の方へ向いました。
途々、小さな家や、木や、家畜や、人間などを見ると、なにかリリパットへでも来たような気がします。行き会う人ごとに、なんだか踏みつけそうな気がして、私は、
「退け! 退け。」
とどなりつけました。
私の家へ帰ってみると、召使の一人が戸を開けてくれましたが、私はなんだか頭をぶつけそうな気がして、身体をかゞめて入りました。妻が飛んでやって来ましたが、私は彼女の膝より低くかゞんでしまいました。娘もそばへやって来ましたが、なにしろ長い間、大きなものばかり見なれた眼には、ヒョイと片手で娘をつかんで持ち上げたいような気がしました。召使や友人たちも、みんな私には小人のように思えるのでした。こういう有様ですから、はじめ人々は、私を気が違ったものと思いました。しかし間もなく、私もこゝに馴れて、家族とも友人とも、お互にわかり合うことができました。
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第三、飛島(ラピュタ)
1 変てこな人たち
私が家に戻ると間もなく、ある日、『ホープウェル号』の船長が訪ねて来ました。それからたび/\彼はやって来るようになりましたが、いろ/\話し合っているうちに、私はまた、船に乗ってみたくなったのです。これまで私はずいぶん苦しい目にも会いましたが、それでも、まだ海へ出て外国を見たいという気持が強かったのです。
そこで、私は一七〇六年八月五日に出帆し、翌年の四月十一日にフォート・セン・ジョージ(インドの港)に着きました。それから、トンキンに行ったのですが、こゝで、私は船長と別れて、別の船に乗り、十四人の船員をつれて出帆しました。
出帆して三日もたゝないうちに、暴風雨に会い、船は北へ東へと、流されていました。その後、天気がよくなったかと思うと、私たちの船は二隻の海賊船に見つかり、たちまち追いつかれてしまいました。
海賊どもは、両方の船から、一せいに乗り込んで来ました。海賊どもは、恐ろしいけんまくで、手下の先頭に立って入って来ましたが、私たちがおとなしくひれ伏しているのを見ると、丈夫な縄で、一人残らずしばりあげ、番人を一人つけておいて、そのまゝ彼等は船中を探しに行きました。
海賊の中に、一人のオランダ人がいましたが、私たちを今に海の中にほうりこんでやるぞ、と言っていました。海賊船の一隻の方は、日本人が船長でした。その男は私のところへやって来て、いろんな質問をするので、私は一つ/\、ていねいに答えました。すると彼は、命だけは助けてやる、と言いました。やがて、私は小さな舟に一人乗せられ、八日分の食物を与えられ、そして、どこへでも一人で勝手に行くがいゝ、と海へ放されました。
海賊船を離れて、しばらく行くと、私は望遠鏡で島影を五つ六つ見つけました。そこでとにかく一番近い島へ漕ぎつけるつもりで、帆を張りました。すると三時間ばかりで、その島へ着きました。見ると、海岸は岩だらけなのです。だが、鳥の卵がたくさん見つかったので、火をおこして枯草を燃やし、卵を焼いて食べました。その晩は、岩の陰に木の葉を敷いて寝ましたが、よく眠れました。
翌日は次の島へ渡りました。それからまた次々へと渡って行きました。そして五日目に、私はまだ見残していた島の方へ向いました。
その島は、思ったより遠く、渡るのに、五時間もかゝりました。私はぐるりと島を一まわりしてみて、上陸するのに都合のいゝ所を見つけました。
上ってみると、あたりは岩だらけで、たゞ、ところ/″\に、雑草や、香のいゝ薬草などが生えています。私は食物を取り出して、腹ごしらえをすると、残りは洞穴の中にしまっておきました。それから岩の上で卵を拾ったり、乾いた枯草を集めました。私は明日はひとつ、これに火をつけて、卵を焼いておこうと思いました。その夜は、食物をしまいこんだ洞穴に入って、拾い集めた枯草の上で寝ました。けれども、私は心配でなか/\眠れなかったのです。
こんな無人島で、どうして生きてゆけるでしょう。いずれ私はみじめな死に方をしなければならないのです。こんなことを考えていると、私はぐったりしてしまって、立ち上る元気も出なかったのです。それでも、気を取りなおして、やっと洞穴から這い出ましたが、そのときには、もう日が高くのぼっていました。私はしばらく、岩の間を歩きまわりました。
空には雲一つなく、太陽がギラ/\照りつけるので、まぶしくて顔をそむけていました。
そのときでした。突然、あたりが暗くなったのです。しかも、これは太陽が雲にさえぎられたときの暗さとは違っていました。振り返って見ると、これはまたどうしたことでしょう。今、私と太陽との間に、何か途方もなく大きなものが、ずん/\島の方へ向って進んで来るのです。高さは二マイルばかりありそうでした。そして、六七分間というものは、すっかり、太陽を隠してしまいました。
やがて、その物は私の真上に来ましたが、見ると、どうもそれは固い塊りのようで、底の方が平たくなっているのです。ちょうどそのとき、私は二百ヤードばかりの高い丘の上に立っていたのですが、やがて、その大きな物はずん/\下にさがって来ました。そして、私から一マイルとは離れていない眼の前に見えて来たのです。私はさっそく、望遠鏡を取り出して眺めました。その物体の斜面には、たくさんの人間が上下に動きまわっているのです。その姿がはっきりと見えるのです。たゞ、何をしているのかは、わかりませんでした。
私は、今、空に浮んでいるその島が、どちら側へ動きだすかと、じっと眺めていました。が、間もなく、島はこちらの方へ近づいて来たのです。見ると、その側面には、通路が何段にも分れていて、ところ/″\に階段があって、のぼりおりできるようになっています。一番下の通路では、数人の男が長い釣竿で魚釣をしているし、それをそばから眺めている男もいます。
私はその島に向って、帽子とハンカチを振りましたが、いよ/\近づいて来たので、声をかぎりに叫んでみました。そのうちに、向うでは、私の一番よく見える側へ、人々がぞろ/\集って来ました。そして、彼等は今しきりに私の方を指さしながら、互に顔を見合せているのです。と、四五人の男が階段を駈け上って行ったかと思うと、そのまゝ見えなくなりました。これはきっと誰か偉い人のところへ私のことを告げに行ったのだろう、と私は考えました。そして、それはそのとおりでした。
人の数が次第にふえてきました。それから半時間ばかりすると、島は上の方へのぼって行き、一番下の道路が、私の立っている丘から、百ヤードぐらいのところに、真正面に見えてきました。私は一生懸命、救いを求めるように話しかけてみましたが、何とも答えてくれません。私のすぐ前に立っている人々は、その身なりで、偉い方らしく思われました。私の方を見ては、何かしきりに相談しているようでしたが、ついに、その一人が、上品な言葉で、何か呼びかけました。私もさっそく、返事しました。が、どちらも、言葉はまるで通じません。たゞ、私がひどく困っていることだけは、身振りで、わかってくれました。
相手は私に、岩からおりて海岸の方へ行け、と合図しました。で、私はそのとおりにしました。すると、その飛ぶ島は、ちょうど、私の頭の上に、その縁が近づいて、一番下の通路から、一本の鎖がする/\とおりてきました。鎖の先には、腰掛が一つついています。私がそれに乗ると、鎖はそのまゝ巻き上げられてゆきました。
私がその島へおりると、すぐ大勢の人々が私を取り囲みました。見ると、一番前に立っているのが、どうも上流の人々のようでした。彼等は私を眺めて、ひどく驚いている様子でしたが、私の方も、すっかり驚いてしまったのです。なにしろ、その恰好も、服装も、容貌も、こんな奇妙な人間を私はまだ見たことがなかったからです。
彼等の頭はみんな、左か、右か、どちらかへ傾いています。目は、片方は内側へ向き、もう一方は真上を向いているのです。上衣は、太陽、月、星などの模様に、
ところで、彼等は、この膀胱で、傍に立っている男の口や耳を叩きます。これは、この国の人間は、いつも何か深い考えごとに熱中しているので、何か外からつゝいてやらねば、ものも言えないし、他人の話を聞くこともできないからです。そこで、お金持は、叩き役を一人、召使としてやとっておき、外へ出るときには、必ずついて行きます。召使の仕事というのは、この膀胱で、主人やお客の耳や口を、静かに代る/″\、叩くことなのです。また、この叩き役は主人に附き添って歩き、とき/″\、その目を軽く叩いてやります。というのは、主人は考えごとに夢中になっていますから、うっかりして、崖から落っこちたり、溝にはまりこんだりすることがあるかもしれないからです。
ところで、私はこの国の人々に案内されて、階段を上り、島の上の宮殿へつれて行かれたのですが、そのとき、私は、みんなが何をしているのか、さっぱり、わかりませんでした。階段を上って行く途中でも、彼等は考えごとに熱中し、ぼんやりしてしまうのです。そのたびに、叩き役が、彼等をつゝいて、気をはっきりさせてやりました。
私たちは宮殿に入って、国王の間に通されました。見ると、国王陛下の左右には、高位の人たちが、ずらりと並んでいます。王の前にはテーブルが一つあって、その上には、地球儀や、そのほか、種々さま/″\の数学の器械が一ぱい並べてあります。なにしろ今、大勢の人がどか/\と入ったので、騒がしかったはずですが、陛下は一向、私たちが来たことに気がつかれません。陛下は今、ある問題を一心に考えておられる最中なのです。私たちは、陛下がその問題をお解きになるまで、一時間ぐらい待っていました。
陛下の両側には、叩き棒を待った侍童が、一人ずつついています。陛下の考えごとが終ると、一人は口許を、一人は右の耳を、それ/″\軽く叩きました。
すると陛下は、まるで急に目がさめた人のように、ハッとなって、私たちの方を振り向かれました。それでやっと、私たちの来たことを気づかれたようです。陛下が、何か一言二言言われたかとおもうと、叩き棒を持った若者が、私の傍へやって来て、静かに私の耳を叩きはじめました。私は手まねで、そんなものは要らないということを伝えてやりました。
陛下はしきりに何か私に質問されているらしいのでした。で、私の方もいろんな国の言葉で答えてみました。けれども、向うの言うこともわからなければ、こちらの言うこともまるで通じません。
それから、私は陛下の命令で宮殿の一室に案内され、召使が二人、私に附き添いました。やがて、食事が運ばれてきました。そして、四人の貴族たちが、私と一しょにテーブルに着きました。食事中、私はいろんな品物を指さして、何という名前なのか、聞いてみました。すると、貴族たちは、叩き役の助けをかりて、喜んで答えてくれました。私は間もなく、パンでも、飲物でも、欲しいものは何でも言えるようになりました。
食事がすむと、貴族たちは帰りました。そして今度は、陛下の命令で来たという男が、叩き役をつれて、入って来ました。彼はペン、インキ、紙、それに、三四冊の書物を持って来て、言葉を教えに来たのだと手まねで言います。私たちは、四時間一しょに勉強しました。私はたくさんの言葉を縦に書き、それに訳を書いてゆきました。短い文章も少しおぼえました。
それにはまず先生が、召使の一人に、「何々を持って来い。」「あっちを向け。」「おじぎ。」「坐れ。」「立て。」というふうに命令をします。すると私は、その文章を書きつけるのでした。それから今度は本を開いて、日や月や星や、そのほか、いろんな平面図、立体図の名を教えてくれました。先生は、また、楽器の名前と音楽の言葉を、いろ/\教えてくれました。こんなふうにして、二三日すると、私は大たい彼等の言葉がどんなものであるか、わかってきたのです。こゝの島は『ラピュタ』といゝます。私はそれを『飛島』『浮島』などと訳しておきました。
私の服がみすぼらしいというので、私の世話人が、翌朝、洋服屋を呼んで来ました。ところが、その洋服屋のやり方が、ヨーロッパの寸法の取り方とは、まるで違うのでした。彼は定規とかコンパスで、私の身体をはかり、いろんな数学上の計算を紙の上に書きとめました。そして、服は六日目に出来上りましたが、その恰好はてんでなっていないのでした。なんでも、計算の数字を間違えたのだそうです。しかし、そんな間違いはいつもあることで、誰も気にするものはないというので、私も少し安心しました。
私は病気で五六日引きこもっていましたが、その間に、だいぶこの国の言葉を勉強しました。それで、その次に宮廷へ行ったときには、国王の言うこともわかれば、いくらか返事をすることもできました。
陛下は、この島を、北東々に進ませて、ラガード(下の大地にある、この国の首都)の上に持ってゆくよう、お命じになりました。ラガードは約九十リーグほど離れていたので、この旅行には四日半かかりました。旅行中、この島が空中を進行しているような気配はちょっとも感じられないのでした。三日目の朝、十一時頃、国王は自ら貴族、廷臣、役人どもを従えられ、それ/″\楽器の調子をとゝのえると、それから三時間、休みなしに演奏されました。騒々しくて、私はもう耳がつんぼになりそうでした。
首都ラガードへ行く途中、陛下は、ところ/″\の町や村の上に、この島をとめるよう、お命じになりました。これは、それ/″\、人民の訴えごとを、お聞きになるためでした。小さい
この国の人たちは、家の作り方が非常に下手です。壁はゆがみ、どの室も直角になっていないのです。彼等は、定規や鉛筆でする紙の上の仕事は大へんもっともらしいのですが、実地にやらしてみると、この国の人間ぐらい、下手で不器用な人間はいません。彼等は数学と音楽には非常に熱心ですが、そのほかの問題になると、これくらい、ものわかりの悪い、でたらめな人間はありません。理窟を言わせれば、さっぱり筋が通らないし、むやみに反対ばかりします。彼等は頭も心も、数学と音楽しかわからないのです。
それに、この国の人たちは、いつも何か心配していて、そのために一分間も心は安らかでないのですが、他の人間から見たら、それは何でもないことを心配しているのでした。
その心配の種というのは、天に何か変ったことが起きはすまいか、ということです。たとえば、地球は絶えず太陽に向って近づいているのだから、今に吸い込まれるか、飲み込まれてしまうだろう、とか、あるいは、太陽の表面にはガスがだん/\固まってきて、今に日が射さなくなるときが来るだろう、とか、この前の彗星のときは、地球は星の尻尾になでられないで助かったが、今度、三十一年後に彗星が現れると、たぶん、われ/\はいよ/\滅ぼされるだろう、というのです。そうかとおもえば、太陽は毎日光線を出しているので、やがては、蝋燭のように溶けてなくなるだろう、そうすると、地球も月も、みんななくなってしまうだろう、などという心配でした。
彼等は朝から晩まで、こんなふうなことを考えて、ビク/\しています。夜も、よく眠れないし、この世の楽しみを味おうともしないのです。朝、人に会って、第一にする挨拶は、
「太陽の工合はどうでしょう。日の入り、日の出に、変りはございませんか。」
「今度、彗星がやって来たら、どうしたものでしょうか。なんとかして助かりたいものですなあ。」
と、こんなことを言い合うのです。それはちょうど、子供が幽霊やお化けの話が怖くて眠れないくせに聞きたがるような気持でした。
私は一月もたつと、この国の言葉がかなりうまくなりました。国王の前に出ても、質問は大がい答えることができました。陛下は、私の見た国々の法律、政治、風俗などのことは、少しも聞きたがりません。その質問といえば、数学のことばかりでした。私が申し上げる説明を、とき/″\、叩き役の助けをかりて聞かれながら、いかにも、つまんなそうな顔つきでいられます。
私は、この島のいろ/\珍しいものを見せてもらいたいと、陛下にお願いしました。さっそく、お許しが出て、私の先生が一しょに行ってくれることになりました。私はこの島のさま/″\の運動が何の原因によるものなのか、それが知りたかったのです。
この飛島は、直径約四マイル半の真円い島です。面積は、一万エーカー、島の厚さは、三百ヤードあります。島の一番底は、滑らかな石の板になっていて、その上に、鉱物の層があり、そのまた上に、土がかぶさっています。
島の中心には、直径五十ヤードばかりの裂け目が一つあります。こゝから、天文学者たちが、洞穴へおりて行きます。
その洞穴の中には、二十箇のランプが、いつもともっています。そこには、望遠鏡や、天体観測器や、そのほか、天文学の器械が備えてあります。
この島の運命をつかさどっているのは、一つの大きな磁石です。磁石の真中に、心棒があって、誰でも、ぐる/\廻すことができるようになっています。
この磁石の力によって、島は、上ったり下ったり、一つ場所から他の場所へ動いたりするのです。磁石の一方の端は、島の下の領土に対して、遠ざかる力を持ち、もう一方の端は、近寄ろうとする力を持っています。
もし近寄ろうとする力を下にすれば、島は下ってゆきます。その反対にすれば、島は上ってゆきます。斜めにすれば、島は斜めに動きます。そして、磁石を土面と水平にすれば、島は停まっています。
この磁石をあずかっているのは、天文学者たちで、彼等は王の命令で、とき/″\、磁石を動かすのです。
もし、下の都市が謀叛を起したり、税金を納めない場合には、国王は、その都市の真上に、この島を持って来ます。こうすると、下では日もあたらず雨も降らないので、住民たちは苦しんでしまいます。また場合によっては、上からどし/\大石を都市めがけて落します。こうされては、住民たちは、地下室に引っ込んでいるよりほかはありません。
だが、それでもまだ王の命令に従わないと、最後の手段を取ります。それは、この島を彼等の頭の上に落してしまうのです。こうすれば、家も人も何もかも、一ペんにつぶされてしまいます。
しかし、これはよく/\の場合で、めったにこんなことにはなりません。王もこのやり方は喜んでいません。それにもう一つ、これには困ることがあるのです。つまり、都市には高い塔や柱などが立ち並んでいるので、その上に島を落すと、島の底の石が割れるおそれがあります。もし底の石が割れたりすると、磁石の力がなくなって、たちまち島は地上に落っこちてしまうことになるのです。
2 発明屋敷
私はこの国で、別にいじめられたわけではないのです。だが、どうも、なんだか、みんなから馬鹿にされているような気がしました。この国では、王も人民も、数学と音楽のことのほかは、何一つ知ろうとしないのです。だから私なんか、どうも馬鹿にされるのでした。
ところが、私の方でも、この島の珍しいものを見物してしまうと、もう、こゝの人間たちには、あきあきしてしまいました。彼等はいつも、何か我を忘れて、ぼんやり考えごとに耽っているのです。附き合う相手として、これほど不愉快な人間はありません。で、私はいつも女や、商人や、叩き役、侍童などとばかり話をしました。ものを言って、筋の通った返答をしてくれるのは、こういう連中だけでした。
私は勉強したので、彼等の言葉はだいぶん話せるようになっていました。で、私はこうして、ほとんど相手にもしてもらえないような国に、じっとしているのが、たまらなくなったのです。一日も早く、この国を去ってしまいたいと思いました。
私は陛下にお願いして、この国から出られるようにしてもらい、二月十六日に、王と宮廷に別れを告げました。ちょうどそのとき、島は首府から二マイルばかり郊外の山の上を飛んでいましたので、私は一番下の通路から、鎖を吊り下げてもらって地上におりました。
その大陸は、飛島の国王に属していて、バルニバービといわれています。首府はラガードと呼ばれています。
私は地上におろされて、とにかく満足でした。服装は飛島のと同じだし、彼等の言葉も、私はよくわかっていたので、何の気がかりもなく、町の方へ歩いて行きました。私は飛島の人から紹介状をもらっていましたので、それを持って、ある偉い貴族の家を訪ねて行きました。すると、その貴族は、彼の
翌朝、彼は、私を馬車に乗せて、市内見物につれて行ってくれました。街はロンドンの半分くらいですが、家の建て方が、ひどく奇妙で、そして、ほとんど荒れ放題になっているのです。街を通る人は、みな急ぎ足で、妙にもの
それから私たちは、城門を出て、三マイルばかり、郊外を歩いてみました。こゝでは、たくさんの農夫が、いろ/\の道具で地面を掘り返していましたが、どうも、何をしているのやら、さっぱり、わからないのです。土はよく肥えているのに、穀物など一向に生えそうな様子はありません。
こんなふうに、田舎も街も、どうも実に奇妙なので、私は驚いてしまいました。
「これは一たいどうしたわけなのでしょう。町にも畑にも、あんなにたくさんの人々が、とても忙しそうに動きまわっているのに、ちょっとも、よくないようですね。私はまだ、こんなでたらめに耕された畑や、こんなむちゃくちゃに荒れ放題の家や、みじめな人間の姿を見たことがないのです。」
と私は案内役の貴族に尋ねてみました。
すると彼は次のような話をしてくれました。
今からおよそ四十年ばかり前に、数人の男がラピュタへ上って行ったのです。彼等は五ヵ月ほどして帰って来ましたが、飛島でおぼえて来たのは、数学のはしくれでした。しかし、彼等は、あの空の国のやり方に、とてもひどく、かぶれてしまったのです。帰ると、さっそく、この地上のやり方を厭がりはじめ、芸術も学問も機械も、何もかも、みんな、新しくやりなおそうということにしました。
それで、彼等は国王に願って、このラガードに学士院を作りました。ところが、これがついに全国の流行となって、今では、どこの町に行っても学士院があるのです。
この学士院では、先生たちが、農業や建築の新しいやり方とか、商工業に使う新式の道具を、考え出そうとしています。先生たちはよくこう言います。
「もし、この道具を使えば、今まで十人でした仕事が、たった一人で出来上るし、宮殿はたった一週間で建つ。それに一度建てたら、もう修繕することが要らない。果物は、いつでも好きなときに熟れさせることができ、今までの百倍ぐらいたくさん取れるようになる。」
と、そのほかいろ/\結構なことばかり言うのです。
たゞ残念なのは、これらの計画が、まだどれも、ほんとに出来上ってはいないことです。だから、それが出来上るまでは、国中が荒れ放題になり、家は破れ、人民は不自由をつゞけます。がそれでも彼等は元気は失わず、希望にもえ、半分やけくそになりながら、五十倍の勇気を振るって、この計画をなしとげようとするのです。
彼はこんなことを私に説明してくれたのです。そして、
「ぜひ、ひとつあなたにも、その学士院を御案内しましょう。」
と、つけ加えました。
それから数日して、私は彼の友人に案内されて、学士院を見物に行きました。
この学士院は、全体が一つの建物になっているのではなく、往来の両側に建物がずっと並んでいました。
私が訪ねて行くと、院長は大へん喜んでくれました。私は何日も/\、学士院へ出かけて行きました。どの部屋にも、発明家が一人二人いました。私はおよそ五百ぐらいの部屋を見て歩きました。
最初に会った男は、手も顔も煤だらけで、髪はぼう/\と伸び、それに、ところ/″\焼け焦げがありました。そして、服もシャツも、皮膚と同じ色なのです。
彼は、
「もうあと八年もすれば、これはきっと、うまくできるでしょう。」
と彼は私に言いました。
「しかし困るのは、胡瓜の値段が今非常に高いことです。どうか、ひとつこの発明を助けるために、いくらか寄附していたゞけないでしょうか。」
と彼は手を差し出しました。私はいくらかお金をやりました。
次の部屋に入ると、悪臭がむんと鼻をつきました。びっくりして私は跳び出したのですが、案内者が引きとめて、小声でこう言いました。
「どうか先方の気を損ねるようなことをしないでください。ひどく腹を立てますから。」
それで、私は鼻をつまむわけにもゆかず困ってしまいました。この室の発明家は、顔も鬚も黄色になり、手や着物は汚れた色がついています。彼の研究というのは、人間の排泄したものを、もう一度もとの食物になおすことでした。
それから、別の部屋に入ると、氷を焼いて火薬にすることを、工夫している男がいました。
それから、非常に器用な建築家もいました。彼が思いついた新しい考えによると、家を建てるには、一番はじめに、屋根を作り、そして、だん/\下の方を作ってゆくのがいゝというのです。その証拠には、蜂や蟻などこれと同じやり方でやっているではないか、と彼は言っていました。
ある部屋には、生れながらの盲人が、盲人の弟子を使っていました。彼等の仕事は、画家のために、絵具を混ぜることでした。この先生は、指と鼻で、絵具の色が見分けられるというのです。しかし、私が訪ねたときは、先生はほとんど間違ってばかりいました。
また別の部屋には、鋤や家畜の代りに、豚を使って、土地を耕すことを発見したという男がいました。
それはこうするのです。まず、一エーカーの土地に、六インチおきに、八インチの深さに、どんぐり、なつめ、やし、栗、そのほか、豚の好きそうなものをたくさん埋めておきます。それから、六百頭あまりの豚を、そこへ、追い込むのです。すると、三日もすれば、豚どもは食物を探して、隅から隅まで掘り返すし、それに、豚の糞が肥料になるので、あとはもう種を
さて、その次の部屋に行くと、壁から天井から、くもの巣だらけで、やっと人ひとりが出入りできる狭い路がついていました。私が入って行くと、
「くもの巣を破っては駄目だ。」
と、いきなり大声でどなられました。それから、相手は私に話してくれました。
「そも/\くもというものは、蚕などよりずっと立派な昆虫なのだ。くもは糸を紡ぐだけでなく、織り方までちゃんと心得ている。だから、蚕の代りにくもを使えば、絹を染める手数が省けることになる。」
そう言って、彼は、非常に美しい蠅をたくさん取り出して見せてくれました。つまり、くもにこの美しい蠅を食べさせると、くもの糸にその色がつくのだそうです。それに彼は、いろんな色の蠅を飼っていましたが、この蠅の餌として、何か糸を強くさすものを研究しているのでした。
それから私は、もう一人、有名な人を見ました。この人は、もう三十年間というものは、人類の生活を改良させることばかり、考えつゞけているのです。
彼の部屋は奇妙な品物で一ぱいでしたが、五十人の男たちが、彼の指図で働いていました。ある者は、空気をかわかして塊りにすることを研究していました。また、ある者は、石をゴムのように柔かくして、枕をこしらえようとしていました。生きた馬の
それから、これは私にはどうもよくわからないのですが、この有名な学者は、畑に
私は道を横切って、向う側の建物に入りました。こゝの学士院には、学問の発明家がいるのでした。
私が最初に会った教授は、広い教室にいました。そこには四十人ばかりの学生が集っていました。教授は一つの便利な機械を考えていました。
その機械を使えば、どんな無学な人でも、何でも書けるのです。哲学、詩、政治学、数学、神学、そんなものが誰にでも、らくに書ける機械でした。教授は、その機械についていろ/\私に説明してくれました。
私はつゞいて国語学校を訪ねました。
こゝでは、三人の教授が国語の改良をいろ/\と熱心に考えていました。
一つの案は、言葉を全部しゃべらないことにしたらいゝ、というのでした。その方が簡単だし、健康にもよい、ものをしゃべれば、それだけ肺を使うことになるから、生命を縮める、というのです。
それで、その代りに、こんなことが発明されました。言葉というものは、物の名前だから、話をしようとするときには、その物を持って行って、見せっこをすれば、しゃべらなくても意味は通じるというのです。
しかし、これにも一つ困ることがあります。それはちょっとした話なら、道具をポケットに入れて持って行けばいゝのですが、話がたくさんある場合だと大へんです。そのときは、力の強い召使が、大きな袋に、いろんな品物を入れて、背負って行かなければなりません。
私は、二人の男が、ちょうどあの行商人のような恰好で、大きな荷物を背負っているのを、たび/\見たことがあります。二人の男が往来で出会うと、荷物をおろして、袋をほどき、中からいろんな品物を取り出します。こうして、かれこれ一時間ぐらい話がつゞいたかと思うと、品物を袋におさめて、荷物を背負って立ち上ります。
私はその次に数学教室を見物しました。
こゝでは、ヨーロッパなどでは、思いつくこともできない、珍しい方法で、教えられていました。まず、数学の問題と答案を、薄い煎餅の上に、特別製のインキで、清書しておきます。学生たちに、お腹を空っぽにさせておいて、この煎餅を食べさせます。その後三日間は、パンと水しか与えません。そうすると、煎餅が消化されるにつれて、それと一しょに問題は頭の方へ上ってゆくというのです。
しかし、これは実際には一度も成功していません。というのは、この煎餅を食べると、ひどく胸が悪くなるので、みんなこっそり抜け出して、吐き出してしまうからです。
私はつゞいて、政治の発明家たちを訪ねましたが、この教室では、あまり愉快な気持にはされなかったのです。
この教室で、一人の医者がこんなことを言っていました。一たい、大臣などというものは、どうも物忘れがひどくて困るとは、誰もが言う苦情ですが、これを防ぐには、次のようにすればいゝというのです。つまり、大臣に面会したときには、できるだけ、わかりやすい言葉で用件を伝えておいて、別れぎわに、一つ、大臣の鼻をつまむとか、腹を蹴るとか、腕をつねるとか、なんとかして、約束したことは忘れないようにさせるのです。そしてその後も、面会するたびに同じことを繰り返し、約束したことは実行してもらうようにするのです。
また、この医者は、政党の争いをうまく停める方法を発明していました。
それは、まず両方の政党から百人ずつ議員を選んできて、これを二人ずつ、頭の大きさの似たもの同士の組にしておきます。それから、それ/″\両方の頭を
私は、二人の教授がしきりに議論しているのを聞きました。どうしたら、人民を苦しめないで、税金を集めることができるかという議論でした。
一人の教授の意見では、悪徳や愚行に税金をかけるがいゝ、というのでした。ところが、もう一人の教授の意見では、人がその自惚れている長所に税金をかけたらいゝ、というのです。