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ガリバー旅行記(ガリバーりょこうき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 13:42:57  点击:  切换到繁體中文


     4 宮殿見物

 鎖を解かれたので、私は、この国の首府ミレンドウを見物させていたゞけないでしょうか、と皇帝にお願いしました。皇帝はすぐ承知されました。たゞ、住民や家屋を傷つけないよう、注意せよ、と言われました。
 私が首都を訪問することは、前もって、市民に知らされていました。街を囲んでいる城壁は、高さ二フィート半、幅は少くとも十一インチありますから、その上を馬車で走っても安全です。城壁には十フィートおきに、丈夫な塔が築いてあります。
 西の大門を、一またぎで越えると、私はそろっと横向きになって、静かに歩きだしました。上衣のすそが、人家の屋根や軒にあたるといけないので、それは脱いで、手にかゝえ、チョッキ一つになって、歩いて行きます。市民は危険だから外に出ていてはいけない、という命令は前から出ていたのですが、それでも、まだ街中をうろ/\している人もいます。踏みつぶしでもすると大へんですから、私はとても気をくばって歩きました。
 屋根の上からも、家々の窓からも、見物人の顔が一ぱいのぞいています。私もずいぶん旅行はしましたが、こんなに大勢、人の集っているところは見たことがありません。市街は正方形の形になっていて、城壁の四辺はそれ/″\五百フィートです。全市を四つに分けている、十文字の大通りの幅は五フィート。私は小路や横町には、入れないので、たゞ上から見て歩きました。街の人口は五十万。人家は四階建から六階建まであり、商店や市場には、なか/\、いろんな品物があります。
 皇帝の宮殿は、街の中央の、二つの大通りが交叉するところにあります。高さ二フィートの壁で囲まれ、他の建物から、二十フィート離れています。私は皇帝のお許しを得て、この壁をまたいで越えました。壁と宮殿との間には、広い場所がありますから、私はそこで、あたりをよく見まわすことができました。外苑は方四十フィート、そのほかに二つの内苑があります。一番奥の庭に御座所があるのです。
 私はそこへ行ってみたくてたまらなかったのですが、どうもこれは無理でした。なにぶん、広場から広場へ通じる大門というのが、たった十八インチの高さ、幅はわずかに七インチです。それに、外苑の建物というのは、みな高さ五フィート以上で、壁は厚さ四インチもあり、丈夫な石で出来ていますが、それを私がまたいで行ったら、建物がこわれてしまいそうなのです。
 ところが、皇帝の方ではしきりに、御殿の美しさを見せてやろう、と仰せになります。その日は御殿を見るのは、あきらめて帰りましたが、ふと、私はいゝことを思いつきました。
 翌日、私は市街から百ヤードばかり離れたところの林に行って、一番高そうな木を、五六本、小刀で切り倒しました。それで、高さ三フィートの踏台を二つ、私が乗っても、グラつかないような、丈夫な踏台を作りました。
 これが出来上ると、私はまた市街見物を皇帝にお願いしました。市民には、また家の中に引っ込んでいるよう、お達しが出ます。
 そこで、私は二つの踏台をかゝえて、市街を通って行きました。外苑のほとりに来ると、私は一つの踏台の上に立ち上り、もう一つの踏台は手に持ちました。そして、手の方の踏台を屋根越しに高く持ち上げ、第一の内苑と第二の内苑の間にある、幅八フィートの空地へ、そっとおろしました。
 こんなふうにして、私は建物をまたいで、一方の踏台から、もう一方の踏台へ、乗り移って行くことができました。乗り捨てた方の踏台は、棒の先につけた鈎で、釣り寄せて、拾い上げるのです。こういうことを繰り返して、私は一番奥の内庭まで来ました。そこで、私は横向きに寝ころんで、二三階の窓に、顔をあてゝみました。窓はわざと開け放しにされていましたが、その室内の立派なこと、どの部屋も、目がさめるばかりの美しさです。
 皇后も皇子たちも、従者たちと一しょに、それ/″\、部屋に坐っておられます。皇后は、私を御覧になると、やさしく笑顔を向けられ、わざ/\窓から、手をお出しになります。私はその手をうや/\しくいたゞいてキスしました。
 私が自由な身になってから、二週間ぐらいたった頃のことでした。ある朝、宮内大臣のレルドレザルがひょっこり、一人の従者をつれて、私を訪ねて来ました。乗って来た馬車は、遠くへ待たしておき、彼は、
「一時間ばかりお話がしたいのです。」
 と私に面会を申し込みました。
 私がしきりに皇帝へ嘆願書を出していた頃、彼にはいろ/\世話になったのです。で、私はすぐ彼の申込みを承知しました。
「なんなら私は横になりましょうか。そうすれば、あなたの口は、この耳許にとゞいて、お互に話しいゝでしょう。」
「いや、それよりか、あなたの掌の上に乗せてください。その上で、私は話しますから。」
 私が彼を掌に乗せてやると、彼はまず、私が釈放されたことのお祝いを述べました。
「あなたを自由の身にするについては、私もだいぶ骨折ったのです。だが、それも現在、宮廷にいろ/\混みいった事情があったからこそ、うまくいったのです。」
 と、彼は宮廷の事情を次のように話してくれました。
「今、わが国の状態は、外国人の眼には隆盛に見えるかもしれませんが、内幕は大へんなのです。一つは、国内に激しい党派争いがあり、もう一つは、ある極めて強い外敵から、わが国はねらわれていて、この二つの大事件に悩まされているのです。
 まず、国内の争いの方から説明しますが、この国では、こゝ七十ヵ月以上というもの、トラメクサン党とスラメクサン党という、二つの政党があって、絶えず争っているのです。この党派の名前は、はいている靴のかかとの高さからつけられたもので、踵の高いか、低いかによって区別されています。一般にわが国の昔からのしきたりでは、高い踵の方をいゝとしていました。
 ところが、それなのに、皇帝陛下は、政府の方針として、低い踵の方ばかりを用いることに決められました。特に陛下の靴など、宮廷の誰の靴よりも一ドルル(ドルルは一インチの約十四分の一)だけ踵が低いのです。この二つの党派の争いは、大へん猛烈なもので、反対党の者とは、一しょに飲食もしなければ、話もしません。数ではトラメクサン、すなわち高党の方が多数なのですが、実際の勢力は、われ/\低党の方が握っています。
 たゞ心配なのは、皇太子が、どうも高党の方に傾いていられるらしいのです。その証拠には、皇太子の靴は、一方の踵が他の一方の踵より高く、歩くたびにびっこをひいていられるのです。
 ところが、こんな党派争いの最中に、われ/\はまた、ブレフスキュ島からの敵にねらわれ、脅かされているのです。ブレフスキュというのは、ちょうどこの国と同じぐらいの強国で、国の大きさからいっても、国力からいっても、ほとんど似たりよったりなのです。
 あなたのお話によると、なんでも、この世界には、まだいろ/\国があって、あなたと同じぐらいの大きな人間が住んでいるそうですが、わが国の学者は大いに疑っていて、やはり、あなたは月の世界か、星の世界から落ちて来られたものだろうと考えています。それというのも、あなたのような人間が百人もいれば、わが国の果実も家畜も、すぐ食いつくされてしまうではありませんか。それに、この国六千月の歴史を調べてみても、リリパットとブレフスキュの二大国のほかに、国があるなどとは、本に書いてありません。
 ところで、この二大国のことですが、この三十六ヵ月間というもの、実にしつこく、実にうるさく、戦争をつゞけているのです。事の起りというのは、こうなのです。もともと、われ/\が卵を食べるときには、その大きい方の端を割るのが、昔からのしきたりだったのです。
 ところが、今の皇帝の祖父君が子供の頃、卵を食べようとして、習慣どおりの割り方をしたところ、小指に怪我をされました。さあ、大へんだというので、ときの皇帝は、こんな勅令を出されました。『卵は小さい方の端を割って食べよ。これにそむくものは、きびしく罰す。』と、このことは、きびしく国民に命令されました。だが、国民はこの命令をひどく厭がりました。歴史の伝えるところによると、このために、六回も内乱が起り、ある皇帝は、命を落されるし、ある皇帝は、退位されました。
 ところが、この内乱というのは、いつでもブレフスキュ島の皇帝が、おだてゝやらせたのです。だから内乱が鎮まると、いつも謀反人むほんにんはブレフスキュに逃げて行きました。とにかく、卵の小さい端を割るぐらいなら、死んだ方がましだといって、死刑にされたものが一万一千人からいます。この争いについては、何百冊も書物が出ていますが、大きい端の方がいゝと書いた本は、国民に読むことを禁止されています。また、大きい端の方がいゝと考える人は、官職につくこともできません。
 ところで、ブレフスキュ島の皇帝は、こちらから逃げて行った謀反人たちを非常に大切にして、よく待遇するし、おまけに、こちらの反対派も、こっそりこれを応援するので、二大国の間に三十六ヵ月にわたる戦争がはじまったのです。その間にわが国は、四十隻の大船と多数の小舟と、それから、三万人の海陸兵を失いました。が、敵の損害は、それ以上だろうといわれています。
 しかし、今また敵は新しく、大艦隊をとゝのえ、こちらに向って攻め入ろうとしています。それで、皇帝陛下は、あなたの勇気と力を非常に信頼されているので、このことを、あなたと相談してみてくれ、と言われ、私を差し向けられたのです。」

 宮内大臣の話が終ると、私は彼にこう言いました。
「どうか陛下にそう伝えてください。私はどんな骨折でもいといません。しかし、私は外国人ですから、政党の争いのことには立ち入りたくありません。が、外敵に対してなら、陛下とこの国を守るために、命がけで戦いましょう。」

     5 大手柄

 ブレフスキュ帝国というのは、リリパットの北東にあたる島で、この国とはわずかに八百ヤードの海峡で隔っています。私はまだ一度もその島を見たことはなかったのですが、こんどの話を聞いてからは、敵の船に見つけられるといけないので、そちら側の海岸へは、出て行かないように努めました。戦争になって以来、両国の人々は行き来してはいけないことになっており、船が港に出入りすることも皇帝の命令でとめられていたので、私のことは、敵側にはまだ知られていないはずです。
 私は一つの計略を皇帝に申し上げました。
「なんでも斥候せっこうの報告では、敵の全艦隊は、順風を待って出動しようとして、今、港にいかりをおろしているそうですから、これを全部とっつかまえて御覧にいれましょう。」
 そこで、私は水夫たちに、海峡の深さを聞いてみました。彼等は何度もはかってみたことがあるので、よく知っていましたが、それによると、満潮のときが真中の深さが七十グラムグラム、(これはヨーロッパの尺度で約六フィートにあたります)そのほかの場所なら、まず五十グラムグラムだということです。
 私はちょうど正面にブレフスキュ島が見える北東海岸に行きました。小山の陰に腹這はらばいになりながら、望遠鏡を取り出して見ると、敵の艦隊は約五十隻の軍艦と、多数の運送船が碇泊しているのです。
 そこで、私は家に引っ返すと、リリパットの人民に、丈夫な綱と鉄の棒を、できるだけたくさん持って来るように言いつけました。綱はまず荷造り糸ぐらいの太さ、鉄棒はおよそ編物針ぐらいの長さでした。だから、これをもっと丈夫にするために、綱は三つをより合せて一つにしました。鉄棒も、やはり三本をより合せて一本にし、その端を鈎形に折りまげました。こうしてできた五十の鈎を、一つ/\、五十本の綱に結びつけました。
 それから、また海岸へ引っ返すと、満潮になる一時間ばかり前から、私は上衣と靴と靴下を脱いで、革チョッキのまゝ、ジャブ/\水の中に入って行きました。大急ぎで海の中を歩き、真中の深いところを三十ヤードばかり泳ぐと、あとは背が立ちました。三十分もたゝないうちに、もう私は敵の艦隊の前に現れたのです。
 私の姿にびっくりした敵は、すっかりあわてゝ、われがちに海に跳び込んでは、岸の方へ泳いで行きます。その人数は、三万人をくだらなかったでしょう。そこで、私は綱を取り出すと、軍艦のへさきの穴に、一つ/\鈎を引っかけ、全部の綱の端を一つに結び合せました。こうしているうちにも、敵は、何千本という矢を、一せいに射かけてきます。
 矢は、私の両手や顔に降りそゝぎ、痛いのも痛いのですが、これでは全く、仕事のじゃまになって仕方がありません。一番、心配したのは目をやられることです。今につぶされはすまいかと、いら/\しました。ところが、ふと、私はいゝことを思いついたので、やっと助かりました。私には、あの身体検査のとき見せないで、そっとポケットに隠しておいた、眼鏡があります。その眼鏡を取り出すと、しっかり鼻にかけました。これさえあれば、もう大丈夫、私は敵の矢など気にかけず、平気で仕事をつゞけました。眼鏡のガラスにあたる矢もだいぶありますが、これは、眼鏡をちょっとグラつかせるだけで、大したことはありません。
 どの船にもみんな鈎をかけてしまうと、私は綱の結び目をつかんで、ぐいと引っ張りました。ところが、どうしたことか、船は一隻も動きません。見ると、船はみんな錨で、しっかりとめてあるのです。そこで、また、やっかいな、骨の折れる仕事がはじまりました。鈎のかゝったまゝの綱を、一たん手から放し、それから、小刀を取り出して、錨の綱をズン/\切ってゆきました。このときも、顔や手に二百本以上の矢が飛んで来ました。さて、私は鈎をかけた綱を手に取り上げると、今度はすぐ簡単に動き出しました。こうして、私は敵の軍艦五十隻を引っ張って帰りました。
 ブレフスキュの人たちは、私が何をしようとしているのか、見当がつかなかったので、はじめのうちは、たゞ呆れているようでした。私が錨の綱を切るのを見て、船を流してしまうのか、それとも、互に衝突させるのかしら、と思っていましたが、いよ/\全艦隊が私の綱に引っ張られて、うまく動きだしたのに気づくと、にわかに泣き叫びだしました。彼等の嘆き悲しむ有様といったら、まあ、なんといっていゝのかわからないほどでした。
 さて、私は一休みするために、立ち停って、手や顔に一ぱい刺さっている矢を引き抜きました。前に小人からつけてもらった、矢の妙薬を、そのきずあとに塗り込みました。それから、眼鏡をはずして、潮が退くのをしばらく待ち、やがて荷物を引きながら、海峡の真中を渡り、無事に、リリパットの港へ帰り着いたのです。
 海岸では、皇帝も廷臣も、みんなが、私の戻って来るのを、今か/\と待っていました。敵の艦隊が大きな半月形を作って進んで来るのは、すぐ見えましたが、私の姿は、胸のところまで水につかっていたので、見分けがつかなかったのです。私が海峡の真中まで来ると、首だけしか水の上には出ていなかったので、彼等はしきりに気をもんでいました。皇帝などは、もう私はおぼれて死んだのだろう、そして、あれは敵の艦隊がいま押し寄せて来るところだ、と思い込んでいました。けれども、そんな心配はすぐ無用になりました。歩いて行くうちに、だん/\と海は浅くなり、やがて、人声の聞えるところまで近づいて来たので、私は、艦隊をくゝりつけている綱の端を高く持ち上げ、
「リリパット皇帝万歳!」
 と叫びました。
 皇帝は大喜びで私を迎えてくれました。すぐ、その場で、ナーダックの位を私にくれました。これはこの国で最高の位なのです。ところが、皇帝は、
「またそのうち、敵の艦隊の残りも全部持って帰ってほしい。」
 と言いだされました。
 王様の野心というものは、かぎりのないもので、陛下は、ブレフスキュ帝国を、リリパットの属国にしてしまい、反対派をみな滅し、人民どもには、すべて卵の小さい方の端を割らせる、そして、自分は全世界のたゞ一人の王様になろう、というお考えだったのです。しかし、私は、
「どうもそれは正しいことではありません。それにきっと失敗します。」
 と、いろ/\説いて、皇帝をいさめました。そして、私は、
「自由で勇敢な国民を奴隷にしてしまうようなやり方なら、私はお手伝いできません。」
 と、はっきりお断りしました。
 そして、この問題が議会に出されたときも、政府の中で最も賢い人たちは、私と同じ考えでした。ところが、私があまりあけすけに、陛下に申し上げたので、それが、皇帝のお気にさわったらしいのです。陛下は議会で、私の考えを、それとなく非難されました。賢い人たちは、たゞ黙っていました。けれども、ひそかに私をねたんでいる人たちは、このときから、私にケチをつけだしました。そして、私を快く思っていない連中が、何かたくらみをはじめたようです。そのため、二ヵ月とたゝないうちに、私はもう少しで殺されるところでした。
 さて、私が敵の艦隊を引っ張って戻ってから、二週間ばかりすると、ブレフスキュ国から、和睦を求めて、使がやって来ました。この講和は、わが皇帝側に非常に都合のよい条約で、結ばれました。使節は六人で、それに、約五百人の従者がしたがいました。彼等が都に入って来るときの有様は、いかにも、君主の大切なお使いらしく、実に壮観でした。
 私も彼等使節のためには、何かと宮中で面倒をみてやりました。条約の調印が終ると、彼等は私のところへも訪ねて来ました。私が彼等に好意を持っていたことは、それとなく彼等も聞いてわかったのでしょう。彼等はまず、私の勇気とやさしさをほめ、それから、
「われ/\の皇帝も、かねてから噂であなたのことを聞いています。あなたの力業を、ひとつ実地に見せてもらいたいと言っています。どうかぜひ一度お出かけください。」
 と言うのでした。
 私も、すぐ承知しました。しばらくの間、私は使節たちを、いろ/\ともてなしましたが、彼等もすっかり満足し、私に驚いたようです。そこで、私は彼等にこう言っておきました。
「あなた方がお国へ帰られたら、陛下によろしくお伝えください。陛下のほまれは、世界中に知れわたっていますから、私もイギリスに帰る前に、ぜひ一度お目にかゝりたいと存じます。」
 そんなわけで、私はリリパット皇帝にお目にかゝると、さっそくこんなお願いをしました。
「そのうち私はブレフスキュ皇帝に会いに行きたいと思っているのですが、どうか行かせてくださいませ。」
 皇帝は許してくれましたが、ひどく気の乗らない御様子でした。これはどうしたわけなのか、私にはその頃わからなかったのですが、間もなく、ある人から、こんなことを聞かされました。
 私が使節たちと仲よくするのを見て、
「あれはあゝして、いまにブレフスキュ国の味方になるつもりです。」
 と、皇帝に告げ口した者がいたのです。大蔵大臣のフリムナップと海軍提督のボルゴラムの二人がそれです。
 こゝでちょっとことわっておきますが、私と使節たちとの面会は通訳つきで行われたのです。なにしろ両国の言葉はひどく違っているのでしたが、リリパットの方でも、ブレフスキュの方でも、自分の国の言葉こそ、一番、古くからあって、美しく、立派な、力強い、言葉だ、と自慢しているのです。そして、お互に相手の国の言葉は、野蛮だ、と軽蔑しているのでした。
 しかし、リリパットの皇帝は、敵の艦隊を捕虜にしたのですから、鼻っぱしが強かったわけです。使節団には、書類も談判も、みんなリリパット語を使わせました。もっとも、この両国は、絶えずお互に行ったり来たりしているので、両方の国語で話ができる人もたくさんいます。世間を見たり、人情風俗を理解するために、貴族の青年や、お金持たちが、互に行き来していましたから、貴族でも、商人でも、人夫でも、海岸に住んでいる人々なら、大がい、両方の言葉を知っていました。
 前に私が釈放してもらうとき、あの誓約書には、いろ/\情ない役目が決められていたものです。ところが、私は今この国の一番高い位のナーダックになったのですから、あんな仕事は私に似合いません。皇帝ももう、そんなことは一度もお命じにならなかったのです。ところが、間もなく、陛下にたいして、大へんな働きをしなければならない事件が起ったのです。
 ある真夜中のこと、私はすぐ門口で、数百人の人が大声で何か叫んでいるのを聞きました。はっとして眼をさましたが、私も多少びっくりしました。外では、

バーラム
バーラム

 という言葉が絶えず聞えてきます。と思うと、群衆を押し分けながら、宮廷の人たちが私のところへやって来ました。
「火事です。宮殿が火事です。早く来てください。」
 聞けば、皇后の御殿で、一人の女官が本を読みながらうたゝねしていると、いつのまにか火がついて、大ごとになったというのです。
 私はすぐ、はね起きました。私の通り路をあけろ、という命令は前もって出ていました。月夜で路は明るかったし、私は一人も人を踏みつけないで、宮殿まで来ました。見ると、宮殿の壁には、もう、いくつも梯子がかけられ、バケツが運ばれています。
 でも、なにぶん、水は遠くから運ばれているらしいのです。人々はどん/\バケツを私のところへ持って来ますが、バケツといっても、大きさは指袋ぐらいですから、これでは、ちょっと、あの火は消せそうもありません。私は上衣さえあれば、すぐ消してしまうのですが、急いだので、つい着てくるのを忘れたのです。着ているのは革チョッキだけでした。これでは、もう駄目かなあ、あゝ、あの立派な御殿が、みす/\焼ける、と私は悲観しかけていました。
 ところが、ふとこのとき、私には、素晴しい考えが浮んできました。その晩、私はグリミグリムという、非常においしい、お酒をたんと飲んでいました。火事騒ぎで、動きまわっていると、身体はカッカとほてって、お酒のきゝめがあらわれてきました。私は今にも、おしっこが出そうになったのです。そこで、私は思いきって、火の上に、おしっこを振りかけてゆきました。三分間もしないうちに火事はすっかり消えてしまいました。これでまず、綺麗な宮殿は、丸焼けにならないで助かったのです。
 火事が消えたとき、もう夜は明けていました。私は皇帝に、よろこびの挨拶も申し上げないで、家に戻りました。私は消防夫として、非常な手柄をたてたのですが、しかし、皇帝が私のやり方をどう思われるか、心配でたまらなかったのです。この国の法律では、たとえどんな場合でも、宮城の中で、立小便をするような者は、死刑にされることになっていました。
 しかし私はその後、皇帝から、特別に罪を許すよう取りはからってやる、と、お手紙をいたゞいたので、これで少し安心していました。けれども、それもやはり駄目でした。皇后は私のしたことを、大へん御立腹になり、
「今にきっと思いしらせてやる。」
 と、おそばの者に言われたそうです。そして、もとの建物はもう厭だから、修繕させないことにされて、宮中の一番遠い端へ引っ越されました。

 さて、私はこゝで、リリパット国の風俗を少し説明しておきたいと思います。
 この国の住民の身長は、平均して、まず六インチ以下ですが、その他の動物の大きさも、これと、正比例して出来ています。まず一番大きい牛や馬でも、せい/″\四インチか五インチぐらい、羊なら一インチ半ぐらい、鵞鳥なんか、ほとんど雀ぐらいの大きさです。だん/\こんなふうに小さくなってゆきますが、一番小さな動物など、私の眼では、ほとんど見えません。
 ところが、リリパット人の眼には、非常に小さなものでも、ちゃんと見えるのです。彼等の眼は、こまかいものなら、よく見えますが、あまり遠いところは見えません。
 雲雀は普通の蠅ほどもない大きさですが、リリパットの料理人は、ちゃんと、その毛をむしることができます。それから私が感心したのは、若い娘が、見えない針に、見えない糸を通しているのです。この国で一番高い木は七フィートぐらいで、その木は国立公園の中にありますが、私が握りこぶしを固めても、すぐ、てっぺんにとゞきます。
 ところで、この国では、学問も古くから非常に発達していますが、たゞ、文字の書き方が、実に風変りなのです。ヨーロッパ人のように、左から右へ書くのでもなく、アラビア人のように、右から左へ書くのでもなく、中国人のように、上から下へ書くのでもなく、かといって、下から上へ書くのでもありません。リリパット人は、紙の隅から隅へ、斜めに字を書いてゆくのです。
 リリパットでは、人が死ぬと、頭の方を下にして、逆さまに土に埋めます。死人は、一万一千月たつと生き返る、そのとき、世界はひっくりかえっているから、逆さまにしておけば、ちゃんと立てる、と彼等は考えているのです。もっとも、そんな馬鹿なことはないと、学者たちは笑っています。
 この国では、盗みよりも詐欺さぎの方が悪いことになっています。詐欺をすれば死刑です。盗みは、こちらが馬鹿でなく用心さえしていれば、まず、物を盗まれるということはありません。ところが、こちらが正直のために、不正直なものに、だまされるのは、これはどうも防ぎようがない、だから、詐欺が一番いけないのだ、と、リリパットの人たちは考えています。それから、忘恩も死刑にされます。恩に仇をもってむくいるというようなことをする人は、生きる資格がないとされています。
 人を官職にえらぶ場合、この国では、才能より徳義の方を重く見ます。政治というものは、誰にも必要なのだから、普通の才能があればいゝとされています。けれども、徳義のない人は、いくら才能があっても、危険だから、そんな人に政治はまかせられないというのです。
 私はこのリリパット国に九ヵ月と十三日間滞在していたのですが、こゝで、ひとつ私がその間どんなふうにして暮したか、それをお話ししてみましょう。
 私は生れつき、手先は器用でしたが、どうしてもテーブルが一つ欲しかったので、帝室庭園の一番大きな木を何本か切って、手頃なテーブルと椅子をこしらえました。
 それから、二百人の女裁縫師が、私のために、シャツとシーツとテーブル掛を作ってくれました。それにはできるだけ丈夫な布を使ってくれたのですが、それでも、一番厚いのが紗よりまだ薄いのです。だから、何枚も重ねて縫い合わさねばなりませんでした。
 女裁縫師たちは、私を寝ころばしておいて、寸法をはかりました。一人が私の首のところに立ち、もう一人は、私の足のところに立ち、そして丈夫な綱を両方から、二人が持ってピンと張ります。すると、さらにもう一人の裁縫師が、一インチざしの物さしで、この綱の長さをはかってゆくのです。私は自分の古シャツを地面にひろげて見せてやったので、シャツはピッタリ私の身体に合うのが出来上りました。
 私の服をこしらえるには、また三百人の洋服屋が、つききりでやってくれました。今度もその寸法の取り方が、また振っていました。私がひざまずいていると、地面から首のところへ梯子をかけ、一人がこの梯子にのぼって、私の襟首えりくびから地面まで、おもりのついた綱をおろす、それがちょうど、上衣の丈になるのでした。腕と腰の寸法は、私が自分ではかりました。いよ/\、出来上ってみると、それは、寄切細工のように妙な服でした。
 食事は、私のために、三百人の料理人がついていました。彼等はそれ/″\、私の近所に小さな家を建てゝもらって、家族もろとも、そこで暮していました。そして、一人が二皿ずつ、こしらえてくれることになっていました。
 私はまず、二十人の給仕人をつまみ上げて、テーブルの上に乗せてやります。すると、下には百人の給仕が控えていて、肉の皿や葡萄酒や樽詰などを、それ/″\肩にかついで待っています。私が欲しいという品を、上にいる給仕人がテーブルから綱をおろして、うまく引き上げてくれるのです。肉の皿は一皿が一口になり、酒一樽が私にはまず一息に飲めます。こゝの羊の肉はあまり上等でないが、牛肉はなか/\おいしかったのです。三口ぐらいの大きさの肉はめったにありません。
 召使たちは、私が骨もろともポリ/\食べてしまうのを見て、ひどく驚いていました。それから、鵞鳥や七面鳥も、大がい一口で食べられますが、これはイギリスのよりずっといゝ味です。小鳥なんかは、一度に二十羽や三十羽は、ナイフの先ですくいあげて食べるのでした。
 ある日、皇帝は私の食事振りを聞かれて、では自分も皇后、皇子、皇女たちと一しょに、私と会食がしてみたいと望まれました。そこで彼等が来ると、私はみんなテーブルの上の椅子に乗せて、ちょうど私と向き合うように坐らせました。そのまわりには、見張りの兵もついていました。
 大蔵大臣のフリムナップもこの席に一しょに来ていましたが、どういうものか、彼はとき/″\、私の方を見ては、苦い顔をします。しかし私は、そんなことは気にしないで、ひとつみんなを驚かしてやれと思って、思いきりたくさん食べてやりました。これはあとで気づいたのですが、大蔵大臣は、かねてから私に反感を持っていたので、この会食のあとで陛下に言ったらしいのです。
「あんなものを陛下が養っておられては、お金がかゝって大へんです。できるだけ早く、いゝ折を見て、追放なさった方が、国家の利益でございましょう。」
 と、こんなことを言ったものとみえます。

     6 ハイ さようなら

 私はこの国を去るようになったのですが、それを述べる前に、まず、二ヵ月前から、私をねらっていた陰謀のことを語ります。
 私がちょうどブレフスキュ皇帝を訪ねようと、準備しているときのことでした。ある晩、宮廷の、ある大官がやって来ました。(この大官が、以前、皇帝の機嫌を損じたとき、私は彼のために大いに骨折ってやったことがあるのです)彼は車で、こっそり、私の家を訪ねて来たのです。
 ぜひ、内証でお話ししたいことがあると言うので、従者たちは遠ざけました。私は彼を乗せた車をポケットに入れ、召使に命じて戸口をしっかり閉めさせました。それから、テーブルの上に車を置いて、その側に坐りました。一通り挨拶をすませてから、相手の顔を見ると、非常に心配そうな顔色をしているのです。
「一たいどうしたのです。何か変ったことでもあるのですか。」
 と私は尋ねました。
「いや、なにしろ、あなたの名誉と生命にかゝわる問題ですから、これはどうか、ゆっくり聞いてください。」
 と言って、彼は次のように話しだしました。
「まずお知らせしたいのは、あなたのことで、近頃、秘密の会議が数回ひらかれましたが、陛下が、いよ/\決心されたのは、つい二日前のことです。
 御存知のとおり、ボルゴラム提督ていとくは、あなたがこの国に到着以来、あなたをひどく憎んでいます。どうしてそんなに怨むのかは、私にはよくわからないのですが、あなたが、ブレフスキュで大手柄をたてられて以来、彼の提督としての人気が減ったように考え、それからいよ/\憎みだしたのでしょう。この人と大蔵大臣のフリムナップ、それからまだあります、陸軍大将リムトック、侍従長ラルコン、高等法院長バルマッフ、これらの人々が一しょになって、あなたを罪人にしようとして、弾劾文だんがいぶんを書きました。」
 こゝまで彼の話を聞いていると、私はむしゃくしゃしてきたので、
「何だって、みんなは私を罪人にしようとするのか、私はそんなに……」
 と言いかけました。
「まあ、黙って聞いていてください。」
 と、彼は私を黙らせました。
「私はいつかあなたの御恩になったので、こんなことを打ち明けるのですが、もしかすると、そのために私まで罪になるかわかりません。が、それも覚悟でお知らせするのです。こゝに、その弾劾文の写しを手に入れていますから、今それを読みあげてみましょう。
 
人間山に対する弾劾文
 第一条
 カリン・デファー・プリューン陛下の御代に作られた法律によると、宮城の中で立小便をした者は、死刑にされることになっている。それなのに、人間山は皇后の御殿が火事のとき、火を消すことを口実にして、不埒ふらち千万にも、小水で宮殿の火を消しとめた。
 第二条
 人間山はブレフスキュ国の艦隊を引っ張って持って戻ったが、その後、陛下は残りの敵も全部捕えて来いと命令された。陛下はブレフスキュ国を征服して属国にしてしまう、お考えだった。すると人間山は不忠にも、陛下のお考えに反対し、その命令に従わなかった。罪のない人民の自由や生命は奪えません、と、こんなことを言うのであった。
 第三条
 ブレフスキュ国から講和の使節がやって来たとき、その使節は敵国の皇帝の使であることを知っていながら、人間山は、まるで叛逆者のように、これを助けたり慰めたりした。
 第四条
 人間山は近頃、ブレフスキュ国へ渡ろうとして航海の準備をしている。陛下はたゞ、口先で、ちょっと許可されただけなのだ。それをいゝことにして、彼は敵国の皇帝と会い、敵国を助けようと企んでいる。

 このほかにもまだあるのですが、主なところを今読みあげてみたのです。
 ところで、あなたの罪状について、この弾劾文をめぐって、何度も議論が行われたのですが、陛下は、あなたがこれまで立派な手柄をたてゝいられるので、まあ、大目にみて罪は軽くしてやれ、と言われるのです。しかし、大蔵大臣と提督の二人は、夜中にあなたの家に火をつけて、焼き殺してしまった方がいゝ、と、ひどいことを言うのです。それから、陸軍大将は、そのときには毒矢を持った二万の兵をひきいて、あなたの手や顔を攻撃する、と、こんなことを言うのです。
 それからまた、あなたの味方の宮内大臣レルドレザルは、こんなことを言います。殺すのは、どうもひどすぎるから、たゞ、あなたの両方の眼をつぶすことにしたらどうでしょうか、と、こんなことを陛下に申し上げたのです。すると、これには議員たちがみな反対しました。
 君は叛逆者の生命を助けようとするのか、と、ボルゴラムはどなりだしました。皇后の御座所の火事を立小便で消すことのできるような男なら、いつ大水を起して宮城を水浸しにしてしまうかもわからない、それに、敵艦隊を引っ張って来たあの力では、一たん何か腹を立てゝ暴れだしたら大へんなことになる、と、ボルゴラムは死刑を説くのです。
 大蔵大臣も、あんな男を養っていては、間もなく国が貧乏になってしまうと言って、死刑を主張しました。しかし、陛下はどこまでも、あなたを死刑にはしたくないお考えでした。
 両方の眼をつぶしただけでは、刑が軽すぎるというのなら、食物を減して、だん/\やせ衰えさせるといゝでしょう、身体が半分以上も小さくなって死ねば、死骸から出る臭だって、そう恐ろしくはないし、骸骨だけは記念物として残しておけます、と、宮内大臣は言いました。
 そんなわけで、とにかく、みんなの意見はまとまりましたが、この、あなたを餓死さす、計画は、ごく/\秘密にされているのです。
 あと三日すると、あなたの味方の大臣がこゝへ訪ねて来るでしょう。そして、弾劾文を読んで聞かせ、それから、陛下のおかげで、あなたの罪は両眼を失くするだけですむことになった、と告げることになっています。陛下は、あなたがよろこんで、この刑に服すだろうと思っていられます。そこで外科医二十名が立会のうえで、あなたを地面に寝かせ、あなたの眼球に、鋭く尖った矢を、何本も射込む手筈てはずになっています。
 私はたゞ、ありのまゝを、あなたにお知らせしたのですが、どうか、そのつもりでいてください。あまり長居をしていると、人から疑われますから、これで失礼いたします。」
 そう言って、大官は帰ってゆきました。あとに残された私は、どうしたらいゝのかしらと、いろ/\悩みました。
 とう/\私は逃げ出すことに決心しました。三日が来ないうちに、私は宮内大臣に手紙を送り、明日の朝ブレフスキュ島へ出発するつもりだ、と言ってやりました。もう返事など待ってはいられません。そのまゝ海岸の方へ歩いて行きました。
 そこで大きな軍艦を一隻つかまえ、綱を結びつけ、錨を上げると、裸になって、着物は軍艦に積み込みました。それから、その船を引っ張って、歩いたり泳いだりしながら、ブレフスキュの港に着きました。
 向うでは私の来るのを待ちかねていたところです。二人の案内者をつけて、首都まで案内してくれました。私は二人を両手に乗せて、城の近くまで行きましたが、こゝで、誰か大臣に知らせてきてくれ、と頼みました。
 しばらく待っていると、皇帝御自身が私を出迎えになるということでした。私は百ヤードばかり歩いて行きました。皇帝とその従者たちは、馬からおりられました。皇后は馬車からおりられました。みんな、少しも私を怖がっている様子はありません。私は地面に横になって、陛下の手にキスしました。それから、いつかの約束どおり、リリパット皇帝の許しを得て、今このとおりブレフスキュ大帝にお目にかゝりに来ました、私の力でできることなら何でもいたします、と、私はこう申し上げました。
 私がブレフスキュ島へ来てから三日目のことでした。
 島の北東の岸をぶら/\歩いて行ってみると、沖の方にボートのような物のひっくりかえっているのが見えます。さっそく、靴を脱いで、二三百ヤード海の中を歩いて行ってみると、その物は潮に乗って、だん/\近づいて来るように見えます。よく見ると、ほんとのボートです。たぶん、これは嵐にあって本船から流されたのでしょう。
 私はすぐ首府へ引っ返して、皇帝にお願いして、二十隻の軍艦と三千人の水兵を借りてきました。それから私は海に入って、ボートのところへ泳いで行きました。水兵たちが軍艦から綱の端を投げてくれたので、それをボートの穴に結びつけ、もう一方の端は、軍艦に結びつけました。さらに私は泳ぎながらいろ/\骨を折って、九隻の軍艦にボートの綱を結びつけました。ちょうど風向きもよかったので、私はボートを押し、水兵は引っ張り、こうして、とう/\海岸に来ました。
 それから十日ばかりかゝって、オールをこしらえ、それでやっと、ブレフスキュの港へ、ボートを漕いで入ったわけです。私が港へ着くと、大へんな人出で、なにしろ、あんまり大きな船なので、すっかり仰天していました。私は皇帝に向い、
「天のたすけで、ボートが手に入りました。これに乗って行けば、私の故国へ帰れるところまで行けるでしょう。つきましては、出発の許可をいたゞいて、いろ/\準備することをお許しください。」
 とお願いしました。
 皇帝は思いとゞまってはどうかと言われましたが、ついに喜んで許してくださいました。
 さて、リリパット国では、私がブレフスキュ国皇帝のところへ行ったのは、それはただ、前の約束をはたすために行ったので、二三日すれば帰って来るだろう、と思っていました。ところが、いつまでたっても、私が戻らないので、とう/\やきもきして、大臣一同が会議を開きました。その相談のあげく、一人の使者が、リリパット皇帝の手紙を持って、ブレフスキュ皇帝に会いにやって来ました。その手紙は、私の手足をしばって、リリパットへ送り返してくれというのでした。
 その返事はこうでした。私をしばって送り返すことなど、とてもできないことは、すでにリリパット皇帝も知られるとおりだし、それに間もなく、私はブレフスキュ国を去ることになっているので、御安心ください、というのでした。
 とにかく、私はなるべく早く出発しようと思いました。宮廷の方でも一日も早く行ってもらいたいのでいろ/\手助けをしてくれます。五百人の職人がかゝって、ボートにつける二枚の帆をこしらえました。私の指図にしたがい、一番丈夫な布を、十三枚重ねて縫い合わせました。私は一番丈夫な太い綱を、十本、二十本、三十本と、一生懸命に、ない合わせました。それから海岸を探しまわって、錨の代りになりそうな、大きな石を見つけました。ボートに塗ったり、そのほかいろんなことに使うため、三百頭の牛の脂をもらいました。何より骨の折れたのは、オールとマストにするため、大きな木を伐り倒すことでした。しかし、これは陛下の船大工が手伝ってくれて、私がたゞ粗けずりすれば、あとは大工が綺麗に仕上げてくれました。
 一月もすると、準備はすっかり出来上りました。私はいよ/\出発の許可の御命令がいたゞきたい、と陛下に願いました。陛下は皇族たちと一しょに宮殿から、わざ/\出て来られました。私は皇帝の手にキスしようとして、うつ伏せに寝ました。
 陛下は快く手を貸してくださいます。皇后も、皇子たちも、みな手にキスを許してくださいました。それから、皇帝は二百スプラグ入りの金袋を五十箇と、陛下の肖像画を私にくださいました。肖像画の方は、いたまないように、すぐ片一方の手袋の中にしまっておきました。
 私はボートの中に、牛百頭、羊三百頭の肉と、それに相当するパンと飲物を積み込みました。それから四百人のコックの手でとゝのえてくれた肉なども積み込みました。それから、生きた牝牛六頭と牡牛を二頭、それから牝羊六頭と牡羊二頭を、これらは国へ持って帰って、飼ってみようと思いました。船の中で食べさせるために、乾草を一袋と麦を一袋、用意しました。
 私はこの国の人間も、十人ばかり、つれて行きたかったのですが、これはどうしても、陛下がお許しになりません。それどころか、私のポケットをすっかり調べられ、たとえ志願する者があっても、人民は決してつれて行かないと誓わされました。
 そんなふうに、できるかぎりの準備をとゝのえ、いよ/\、一七○一年九月二十日の朝六時、私は出帆しました。風は南東だったので、北へ向けて四リーグばかり行くと、ちょうど午後六時頃、小さな島の影が見えてきました。ぐん/\進んで行って、その島のそばで、ボートの錨をおろしました。こゝは誰も住んでいない無人島らしいのです。私は軽い食事をすませ、ぐっすり眠りました。六時間も眠った頃、目がさめ、それから二時間ばかりすると、夜が明けました。日の出前に朝飯をすまし、錨を上げて、風向もよかったので、羅針盤をたよりに、昨日と同じ進路をつゞけて行きました。私の考えでは、ヴァン・ディーメンズ・ランドの北東にある群島の、どれか一つに、たどりつこうと思っていたのです。だが、その日はついに何も見えませんでした。
 翌日、午後三時頃、ブレフスキュから二十四リーグばかりも来たかと思える海上で、一隻の帆船を見つけました。船は南西に向って進んでいます。私は大声で呼んでみましたが、返事してくれません。しかしちょうど、風がいだので、私の船はだん/\向うへ近づいて行くのでした。私はありったけの帆を張りました。半時間もすると、向うの船でも気がついて、合図に旗を出し鉄砲を打ちました。
 私はもう一度、故国が見られ、あの懐しい人たちとも会えるのかと思うと、うれしさがこみあげてきました。船は帆をゆるめました。それで私はその船に追いつきました。その時刻は九月二十六日の夕方の五時か六時頃でした。私はイギリスの国旗を見ただけで、胸がワク/\しました。牛と羊を上衣のポケットに入れると、私は食料の小さな荷物を抱えて、向うの船に乗り移りました。
 この船はイギリスの商船で、北海、南海を通って、日本から帰る途中でした。船長のジョン・ビデルはデットフォッド生れで、大へん親切な男でした。乗組員は五十人ばかりいましたが、そのなかに私の以前の仲間のウィリアムがいたのです。このウィリアムが私のことを船長に大へんよく言ってくれました。
 船長は私をよくもてなしてくれました。一たい、どこから来て、どこへ行くつもりだったか、話してくれと言うので、私は今までのことをごく簡単に話しました。だが、船長は、私の頭がどうかしている、と思ったようです。いろんな危険に会ったので、気が変になったと思って、ほんとにしてくれません。そこで私はポケットから黒い牛や羊を出して見せてやりました。これには船長も非常に驚いて、私の言うことが嘘でないと納得したようです。それから私は、ブレフスキュ皇帝からもらった金貨や肖像画や、その他いろ/\珍しい品を取り出して見せました。私は二百スプラグ入りの金袋を船長にやりました。
 船は無事におだやかに進み、一七〇二年四月十日、私たちはダウンスに着きました。ただ、途中でちょっと不幸な事件が起きました。それは船にいる鼠どもが、私の羊を一頭、引いて行ってしまったことです。きれいに肉をむしりとられた羊の骨は、穴の中で見つかりました。
 残りの家畜はみんな無事にイギリスへ持って戻りました。私はそれをグリニッジの球場の芝生に放してやりました。こゝの草でも食べるかしら、と心配でしたが、放してみると、家畜たちは、こゝの草が綺麗なので、喜んで食べるのでした。
 私が長い航海の間、この家畜を無事に飼ったのは、全く船長のおかげでした。私は船長から特別製のビスケットを分けてもらい、それを粉にして水でこねて、家畜に食べさせていたのです。イギリスにしばらく滞在している間に、私はこの家畜を見世物にして、かなりお金をもうけました。が、また、私は航海に出ることになって、六百ポンドで売り払いました。
 私が妻子と一しょに暮したのは、たった二ヵ月でした。もっと/\外国を見たいという気持がうず/\して、どうしても、私は家にじっとしていられなくなりました。そこで、私は商船『アドベンチュア号』乗組員になりました。この航海の話は、次の『大人国』を読んでください。


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