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壊滅の序曲(かいめつのじょきょく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 13:41:32  点击:  切换到繁體中文



 琉球りゅうきゅう列島の戦が終った頃、隣県の岡山市に大空襲があり、つづいて、六月三十日の深更から七月一日の未明まで、くれ市が延焼した。その夜、広島上空を横切る編隊爆音はつぎつぎに市民の耳を脅かしていたが、清二も防空頭巾ぼうくうずきんに眼ばかり光らせながら、森製作所へやって来た。工場にも事務室にも人影はなく、家の玄関のところに、康子と正三と甥の中学生の三人がうずくまっているのだった。たったこれだけで、こんな広い場所を防ぐというのだろうか、――清二はすぐにそんなことを考えるのであった。と、表の方で半鐘が鳴り「待避」と叫ぶ声がきこえた。四人はあたふたと庭のごうへ身を潜めた。密雲の空は容易に明けようともせず、爆音はつぎつぎにききとれた。もののかたちがはっきり見えはじめたころようやく空襲解除となった。
 ……その平静に返った街を、ひどく興奮しながら、順一は大急ぎで歩いていた。彼は五日市町で一睡もしなかったし、海を隔てて向うにあかあかと燃える火焔かえんを夜どおし眺めたのだった。うかうかしてはいられない。火はもうかかとに燃えついて来たのだ、――そうつぶやきながら、一刻も早く自宅にけつけようとした。電車はその朝も容易にやって来ず、乗客はみんなぼうとした顔つきであった。順一が事務室に現れたのは、朝のも大分高くなっていた頃であったが、ここにも茫とした顔つきのねむそうな人々ばかりと出逢であった。
「うかうかしている時ではない。早速、工場は疎開させる」
 順一は清二の顔を見ると、すぐにそう宣告した。ミシンの取りはずし、荷馬車の下附を県庁へ申請すること、家財の再整理。――順一にはまた急な用件が山積した。相談相手の清二は、しかし、末節に疑義をはさむばかりで、一向てきぱきしたところがなかった。順一はピシピシとむちを振いたいおもいに燃立つのだった。

 その翌々日、こんどは広島の大空襲だといううわさがパッと拡った。上田が夕刻、糧秣廠りょうまつしょうからの警告を順一に伝えると、順一は妹をかして夕食を早目にすまし、正三と康子を顧みて云った。
わしはこれから出掛けて行くが、あとはよろしく頼む」
「空襲警報が出たら逃げるつもりだが……」正三が念を押すと順一はうなずいた。
「駄目らしかったらミシンを井戸へ投込んでおいてくれ」
「蔵の扉を塗りつぶしたら……今のうちにやってしまおうかしら」
 ふと、正三は壮烈な気持がいて来た。それから土蔵の前に近づいた。かねて赤土はってあったが、その土蔵の扉を塗りぶすことは、父の代にはついに一度もなかったことである。梯子はしごを掛けると、正三はぺたぺたと白壁の扉の隙間すきまに赤土をねじ込んで行った。それが終った頃順一の姿はもうそこには見えなかった。正三は気になるので、清二の家に立寄ってみた。「今夜が危いそうだが……」正三が云うと、「ええ、それがその秘密なのだけど近所の児島さんもそんなことを夕方役所からきいて帰り……」と、何か一生懸命、袋にものを詰めながら光子はだらだらと弁じだした。
 一とおり用意も出来て、階下の六畳、――その頃正三は階下で寝るようになっていた、――の蚊帳かやにもぐり込んだ時であった。ラジオが土佐沖海面警戒警報を告げた。正三は蚊帳の中で耳を澄ました。高知県、愛媛県が警戒警報になり、つづいてそれは空襲警報に移っていた。正三は蚊帳かやの外にい出すと、ゲートルをいた。それから雑嚢ざつのうと水筒を肩に交錯させると、その上をバンドで締めた。玄関で靴をさがし、最後に手袋をめた時、サイレンが警戒警報を放った。彼はとっとと表へ飛び出すと、清二の家の方へ急いだ。暗闇くらやみのなかを固い靴底に抵抗するアスファルトがあった。正三はぴんと立ってうまく歩いている己の脚を意識した。清二の家の門は開け放たれていた。玄関の戸をいくらたたいても何の手ごたえもない。既に逃げ去った後らしかった。正三はあたふたと堤のみちを突きって栄橋の方へ進んだ。橋の近くまで来た時、サイレンは空襲をうなりだすのであった。
 夢中で橋を渡ると、饒津にぎつ公園裏の土手を廻り、いつの間にか彼は牛田うした方面へ向う堤まで来ていた。この頃、漸く正三は彼のすぐ周囲をぞろぞろとひしめいている人の群に気づいていた。それは老若男女、あらゆる市民の必死のいでたちであった。鍋釜なべかまを満載したリヤカーや、老母を載せた乳母車うばぐるまが、雑沓ざっとうのなかをきわけて行く。軍用犬に自転車をかせながら、颯爽さっそう鉄兜てつかぶとかぶっている男、つえにとりすがびっこをひいている老人。……トラックが来た。馬が通る。薄闇の狭い路上がいま祭日のように賑わっているのだった。……正三は樹蔭こかげ水槽すいそうの傍にある材木の上に腰を下ろした。
「この辺なら大丈夫でしょうか」と通りがかりの老婆がたずねた。
「大丈夫でしょう、川もすぐ前だし、近くに家もないし」そういって彼は水筒のせんひねった。いま広島の街の空は茫と白んで、それはもういつ火の手があがるかもしれないようにおもえた。街が全焼してしまったら、明日からおれはどうなるのだろう、そう思いながらも、正三は目の前の避難民の行方ゆくえに興味を感じるのであった。
『ヘルマンとドロテア』のはじめに出て来る避難民の光景が浮んだ。だが、それにくらべると何とこれはおそろしく空白な情景なのだろう。……暫くすると、空襲警報が解除になり、つづいて警戒警報も解かれた。人々はぞろぞろと堤の路を引上げて行く。正三もその路をひとりひきかえして行った。路は来た折よりも更に雑沓していた。何かわめきながら、担架が相次いでやって来る。病人を運ぶ看護人たちであった。
 空から撒布さんぷされたビラは空襲の切迫を警告していたし、脅えた市民は、その頃、日没と同時にぞろぞろと避難行動を開始した。まだ何の警報もないのに、川の上流や、郊外の広場や、山のふもとは、そうした人々で一杯になり、くさむらでは、蚊帳や、夜具や、炊事道具さえ持出された。朝昼なしに混雑する宮島線の電車は、夕刻になると更に殺気立つ。だが、こうした自然の本能をも、すぐにその筋はきびしく取締りだした。ここでは防空要員の疎開を認めないことは、既に前から規定されていたが、今度は防空要員の不在をも監視しようとし、各戸に姓名年齢を記載させた紙をり出させた。夜は、橋のたもと辻々つじつじに銃剣つきの兵隊や警官が頑張がんばった。彼等は弱い市民を脅迫して、あくまでこの街を死守させようとするのであったが、窮鼠きゅうその如く追いつめられた人々は、巧みにまたその裏をくぐった。夜間、正三が逃げて行く途上あたりを注意してみると、どうも不在らしい家の方が多いのであった。
 正三もまたあの七月三日の晩から八月五日の晩――それが最終の逃亡だった――まで、夜間形勢が怪しげになるとたちまち逃げ出すのであった。……土佐沖海面警戒警報が出るともう身支度みじたくに取掛る。高知県、愛媛県に空襲警報が発せられて、広島県、山口県が警戒警報になるのは十分とかからない。ゲートルは暗闇のなかでもすぐ捲けるが、手拭てぬぐいとか靴箆くつべらとかいう細かなもので正三は鳥渡ちょっと手間どることがある。が、警戒警報のサイレン迄にはきっと玄関さきで靴をはいている。康子は康子で身支度をととのえ、やはりその頃、玄関さきに来ている。二人はあとさきになり、門口を出てゆくのであった。……ある町角を曲り、十歩ばかり行くと正三はもう鳴りだすぞとおもう。はたして、空襲警報のものものしいサイレンが八方の闇から喚きあう。おお、何という、高低さまざまの、いやな唸り声だ。これは傷いた獣の慟哭どうこくとでもいうのであろうか。後の歴史家はこれを何と形容するだろうか。――そんな感想や、それから、……それにしても昔、この自分は街にやって来る獅子ししの笛を遠方からきいただけでも真青になって逃げて行ったが、あの頃の恐怖の純粋さと、この今の恐怖とでは、どうも今では恐怖までが何か鈍重なわくめこまれている。――そんな念想が正三の頭に浮ぶのも数秒で、彼は息せききらせて、堤に出る石段を昇っている。清二の家の門口に駈けつけると、一家そろって支度をえていることもあったが、まだ何の身支度もしていないこともあった。正三がここへ現れると前後して康子は康子でそこへ駈けつけて来る。……「ここのひも結んで頂戴ちょうだい」と小さな姪が正三に頭巾を差出す。彼はその紐をかたく結んでやると、くるりと姪を背に背負い、皆より一足さきに門口を出て行く。栄橋を渡ってしまうと、とにかくほっとして足どりも少しゆるくなる。鉄道の踏切を越え、饒津にぎつの堤に出ると、正三は背負っていた姪を叢に下ろす。川の水は仄白ほのじろく、杉の大木は黒い影を路に投げている。この小さな姪はこの景色を記憶するであろうか。幼い日々が夜毎よごと、夜毎の逃亡にはじまる「ある女の生涯」という小説が、ふと、汗まみれの正三の頭には浮ぶのであった。……暫くすると、清二の一家がやって来る。嫂は赤ん坊を背負い、女中は何か荷を抱えている。康子は小さな甥の手をひいて、とっとと先頭にいる。(彼女はひとりで逃げていると、警防団につかまりひどくしかられたことがあるので、それ以来この甥を借りるようになった)清二と中学生の甥は並んで後からやって来る。それから、その辺の人家のラジオに耳を傾けながら、情勢次第によっては更に川上にさかのぼってゆくのだ。長い堤をずんずん行くと、人家もまばらになり、田の面や山麓さんろくおぼろに見えて来る。すると、かえる啼声なきごえが今あたり一めんにきこえて来る。ひっそりとした夜陰のなかを逃げのびてゆく人影はやはり絶えない。いつのまにか夜が明けて、おびただしいガスが帰路一めんに立罩たちこめていることもあった。
 時には正三は単独で逃亡することもあった。彼は一カ月前から在郷軍人の訓練に時折、引ぱり出されていたが、はじめ頃二十人あまり集合していた同類も、次第に数を減じ、今では四五名にすぎなかった。「いずれ八月には大召集がかかる」と分会長はいった。はるか宇品の方の空では探照灯が揺れ動いている夕闇の校庭に立たされて、予備少尉の話をきかされている時、正三は気もそぞろであった。訓練が了えて、家へ戻ったかとおもうと、サイレンが鳴りだすのだった。だが、つづいて空襲警報が鳴りだす頃には、正三はぴちんと身支度を了えている。あわただしい訓練のつづきのように、彼は闇の往来へ飛出すのだ。それから、かっかと鳴る靴音をききながら、彼は帰宅を急いでいる者のような風をよそおう。橋の関所を無事に通越すと、やがて饒津裏の堤へ来る。ここではじめて、正三は立留り、叢に腰を下ろすのであった。すぐ川下の方には鉄橋があり、水の退いた川には白い砂洲さすが朧に浮上っている。それは少年の頃からよく散歩して見憶みおぼえている景色だが、正三には、頭上にかぶさる星空が、ふと野戦のありさまを想像さすのだった。『戦争と平和』に出て来る、ある人物の眼に映じる美しい大自然のながめ、静まりかえった心境、――そういったものが、この己の死際しにぎわにも、はたして訪れて来るだろうか。すると、ふと正三の蹲っている叢のすぐ上の杉のこずえの方で、何か微妙な啼声がした。おや、ほととぎすだな、そうおもいながら正三は何となく不思議な気持がした。この戦争が本土決戦に移り、もしも広島が最後の牙城がじょうとなるとしたら、その時、己は決然と命を捨てて戦うことができるであろうか。……だが、この街が最後のたてになるなぞ、なんという狂気以上の妄想もうそうだろう。仮りにこれを叙事詩にするとしたら、最も矮小わいしょうで陰惨かぎりないものになるに相違ない。……だが、正三はやはり頭上にかぶさる見えないものの羽挙はばたきを、すぐ身近にきくようなおもいがするのであった。
 警報が解除になり、清二の家までみんな引返しても、正三はこの玄関で暫くラジオをきいていることがあった。どうかすると、また逃げださなければならぬので、甥も姪もまだ靴のままでいる。だが、大人達がラジオに気をとられているうち、さきほどまで声のしていた甥が、いつのまにか玄関の石の上に手足を投出し、大鼾おおいびきねむっていることがあった。この起伏常なき生活に馴れてしまったらしい子供は、まるで兵士のような鼾をかいている。(この姿を正三は何気なく眺めたのであったが、それがやがて、兵士のような死に方をするとはおもえなかった。まだ一年生の甥は集団疎開へも参加出来ず、時たま国民学校へ通っていた。八月六日も恰度ちょうど、学校へ行く日で、その朝、西練兵場の近くで、この子供はあえなき最後をげたのだった)
 ……暫く待っていても別状ないことがわかると、康子がさきに帰って行き、つづいて正三も清二の門口を出て行く。だが、本家に戻って来ると、二枚重ねて着ている服は汗でビッショリしているし、シャツも靴下も一刻も早く脱捨ててしまいたい。風呂場で水を浴び、台所の椅子に腰を下ろすと、はじめて正三は人心地ひとごこちにかえるようであった。――今夜の巻も終った。だが、明晩あすは。――その明晩も、かならず土佐沖海面から始る。すると、ゲートルだ、雑嚢だ、靴だ、すべての用意が闇のなかから飛びついて来るし、逃亡の路は正確に横わっていた。……(このことを後になって回想すると、正三はその頃比較的健康でもあったが、よくもあんなに敏捷びんしょうに振舞えたものだと思えるのであった。人は生涯にいてかならず意外な時期を持つものであろうか)

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