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瀑布(ばくふ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 13:11:09  点击:  切换到繁體中文


 考へてみると、初めから根底のない生活でもあつたが、直吉は久しぶりに復員して来て、以前の生活よりは単純な澄みとほつた気持ちで、日本の空気を吸つた。何も彼も一変してゐる。自分自身の支へを自分で強く措置する術を直吉は覚えた。敗戦後の日本には、自由の言葉が広告紙のやうに、撒き散らされてゐたが、考へてみる、その自由は、一種の監禁のなかの自由でもあらうか。たゞ、何となく、社会の流れは、昔の或る時代と少しも変りのない不安な状態に似たものが耳底にがうがうと風音のやうに吹き流れて来た。聊かも人間に与へられた神の試練は昔も今も少しも変らない。‥‥家へ戻つてみると、父は老いてゐたし、継母は脳を病んで昔のおもかげもない汚い女に変貌してゐた。少年飛行兵だつた弟の隆吉は、進駐軍の宿舎にボーイになつて勤めてゐる。おまけに里子は、とつくに千駄ヶ谷をたたんでゐた。直吉が戻つて来て、暫くは里子の消息も判らなかつたが、千葉へ問ひあはせてみて、里子が何となくあいまいな職業に就いてゐる事が判つた。直吉は失望はしなかつたが、里子の不実を許せるかどうかは、逢つてみなければ判らないと思つた。継母は戻つて来た直吉に対して、何の記憶もないやうな白々しさで、はにかんで笑つた。焼け跡に建てた家は、寄せあつめの古材で、建築した小舎同然の家で、風が吹くと、銹びたトタン屋根は凄い音をたてて鳴つた。部屋の隅の一画に、継母は綿のはみ出た蒲団にくるまつて、終日黙つて節穴を睨めてゐた。体を起して、その節穴に指をつゝこんでぶつくさ云つてゐる時もある。寒いも暑いもないのだ。心にも皮膚にも人間の感覚はなくなつてゐた。ロボツトのやうな人間になり、たゞ、下の始末の時だけは、定められた処へ、行儀のいゝ猫のやうなしぐさで這つて行つた。食事は父がつくつてゐた。代書の権利はとつくに人に譲り、父は猫の額ほどの店に、信州から箒を取り寄せて売つてゐた。箒の外にも、素焼の魔法コンロや、束子のやうなものを少しばかり並べてゐた。生活費はほとんど隆吉の収入でまかなはれてゐる様子だつた。直吉は流刑から戻つて来た爽かさで、この狭い家にゆつくり手足をのばしたが、その爽かさは長い忍耐の崩壊したあとのすがすがしさでもあつた。漂流は終つたとは云へなかつたが、一応は、この現実から立ちあがつて行かなければならない。――隆吉が、時々白いパンを貰つて来る事がある。その白いパンを眺めて、直吉は肌の柔かいパンに鼻をつけて、突然うゝつと瞼に熱いものが突きあげた。パンは柔くて美味かつたが、食べながら、その白いパンを頑固に拒否してゐる、意地の悪い気持ちもあつた。――時には、夢で、ノボオシビルクスに引き戻されて怯える夜もあつたが、夢が覚めると、白いパンに向ふ時の厭な気持ちになるのは、心に重たいしこりがあるせゐであらうか。
 直吉は、少しづつ自分を持てあまし気味になつてゐる家族の冷たさに気づいてきた。父も隆吉もいやによそよそしく直吉に向ふやうになつてゐたが、あんなに厭でたまらなかつた継母のたけよは、意識を失つてゐるせゐか、直吉に対しては淡々としてゐる。――直吉は戻つて一ヶ月ほどして、里子から千葉の里子の消息を聞くと[#「里子から千葉の里子の消息を聞くと」はママ]、返事を貰つた。直吉からは、簡単に復員して来た通知を、同時に出しておいたのだ。返事は仲々来なかつた。尋づねて行つては工合の悪いところの様子だつたので、直吉は我慢をして尋づねて行く事はしなかつたが、やつと一ヶ月振りに、妻の手紙とも思へぬ白々しさで、二三日うちに参りますと云ふ音信が来た。――
「お母さん、少しは体はいゝかい?」
「お隣りさんに少々手間をかけさせたので、あやまりに行かなくちやならないね」
「何がお隣りさんだ? お隣りさんなンかありやアしないよ」
「地下室に、水がいつぱい溜つたから、ポンプで吸ひ上げるンだよ‥‥」
「地下室?」
「早く逃げ込まない事にはあぶなくてねえ、壁には[#「壁には」はママ]屋根にも弾があたるンで、四囲が火の海だつたンだよ。歩くのに道が熱くてたまらないしね。お父さんは、私を捨てたンだから。私は何時までも逗留してゐるつもりですよ。私に何も食べさせないし、第一、油断がならないンでね。慇懃な人間には、気を許しちやいけないよ‥‥」
「親爺はそんな人間だ。死んだお母さんにも冷たいひとだつたなア‥‥」
「そりやアさうですよ。女好きなンですからね。鬚を剃つて出なほして来いつて云つて下さい。年中、私は嫌はれてるンで、遠いところから呼んで貰はなくちや‥‥一年前からふらふらして、雑巾がけをするのに辛くてね」
 継母はさう云つて、部屋の隅に坐つて、気持ちよささうに話した。ぼろぼろにほつれた毛糸の上張りの前がはだけて、玉葱のやうに光つた膝小僧が出てゐた。直吉は寝転んでゐたが、頭をその方へ寄せて、膝小僧の間から暗い洞窟を覗いた。長い間摸索してゐた一つの命題がそこにあるやうに、ぢいつと暗い一点を覗きこんでゐた。息苦しかつた。誰も出掛けたあとの部屋は、環境が広々として居心地のいゝ場所だが、ふつと、継母の体から淫蕩な倦きる事のない連想が湧いた。一種の背徳が、戦争の時のやうな響音で、直吉の耳底にすさまじく鳴り響いた。畳に寝転び、直吉は無心な狂女の膝小僧を静かにさすりながら、自分でも無気味であらうと思へる眼で、暗い洞窟をぢいつと覗き込んでゐた。継母ははにかみ笑ひをしながら、直吉のなすままに任せて、
「逃げるだけは逃げておくれよ。私はあの火の粉を見る事だけはまつぴらなンだから、とても大変な死人が、ポンプも何も間にあはないンだからね‥‥。何処へも行けやしないし馬穴持つて逃げたら、お父さんつてばね、あの時になつて、私を橋の上から突きおとしたンですからね」
 継母はばらばらと涙をこぼして、忍び泣きをしてゐる。醜い泣面だつたが、誠実なしみじみした美しさがたゞよつてゐた。人間の素面にめぐりあつたやうに、直吉は、収容所での長い悪習を、ふつと後から平手をぴしりつと食つたやうな気がしてやめた。
「あんたも、私も不幸な奴だよ」
 継母の膝小僧を裾でかくしてやりながら、直吉は心から、自分を投げ出してみじめな奴だと自分に吐きかける。里子は、いまでは他人になつてしまつてゐる。どうせ、よりの戻る間柄ではないだらうけれど、里子の顔が馬鹿にみたくなつた。里子から来た手紙を拡げて、何度も文字を一つ一つ丁寧に読み返へした。里子を考へる事は一種の快楽に近い気持ちであつた。直吉は、手紙の上に顔を伏せて泣いた。泣いてゐると、淋しい幸福感でいつぱいになつてくる。ノボオシビルスクにゐた頃も、時々、かうした虚しい思ひに耽つた。[#「耽つた。」は底本では「耽つた、」]同じ収容所仲間で、華族の息子がゐたが、「どうも、人間つて奴は、この幸福を考へる事だけで、生きる望みをつないでゐるやうなもンだ」と云つてゐた。直吉は継母の泣いてゐる顔をぢつと眺めてゐたが、さつきの卑しい思ひを誘はれたいやらしさが、継母の顔を見てゐるうちに腹立たしくなつて来た。
 二三日してから、里子は本当に尋づねて来た。すつかりおもかげが変り、昔ながらの藪睨みには変りなかつたけれども、化粧しない顔は蒼ざめて生気がなかつた。何年逢はなかつたのだらう‥‥。それでも、初めて里子を見た時、直吉は、里子はこんなに美人だつたのかと、正視出来ない程のまばゆいものを感じた。隆吉も父もゐた。所在ないので、ラジオの漫才を聞いてゐた。囚人が檻の外の女を見てゐるやうに、皆のゐる前では、どうにもならない焦々しさだつた。秋の冷々した風が、トタンの屋根に軋んでゐる。
 里子の手土産の羊かんで茶を飲みながら、父は眼やにのたまつた光のない眼で、里子になるべく早く直吉と一緒になつてくれるように云つた。隆吉に気を兼ねての云ひぐさだつたのだらうが、直吉は、いゝ気持ちではなかつた。里子は金茶色のお召の矢絣の袷に、紅色の帯を締めてゐたが、白い襟もとをきつく合はせてゐる癖は今も昔と変らない。隆吉は羊かんを頬ばりながら、すぐ夜遊びに出て行つたが、父はぢいつとして意地悪く動かなかつたので、直吉は里子を送りかたがた外へ出て行つた。暗い石垣添ひの寺の処へ来ると、直吉は里子を抱き締めたが、直吉を素気なく払ひのけるやうにして、
「駄目よツ、もう駄目なのツ」
 と、きびしく抵抗した。直吉は何が駄目なのか一寸判らなかつたが、籍の這入つてゐる女が、どうして、こんなひどい事を云ふのかと、暫く呆気にとられてゐたが、ぢいつと考へてみると、あゝさうなのかと、腑に落ちないでもない。それにしてもお互ひの心を話しあひながら歩いてゐる気にはどうしてもなれないのだ。まづ、お互ひはぢかに触れあふ必要に迫られてゐると直吉は思つてゐる。実行しようとした。だが、里子は抵抗して、直吉から飛び離れ、躑踞み込んで、喘ぐやうに云つた。
「もう少し待つて下さい。どうしても家をみつけてから、ね。貴方は長い事日本にはいらつしやらなかつたから何もお判りにならないけど、日本は、もうすつかり変つてしまつたのよ。いまこそ、こんなに賑やかになつてますけど、終戦の時は、地獄みたいに焼野原だつたンですよ。留守してるものが大変だつたンですよ‥‥。大変な戦争だつたンですのよ」
 たしかに焼野原だつたのには違ひない。以前の家は跡かたもなく、その跡にバラツクが建つてゐるのを知つてゐるし、現にこの寺の巨きい建物も、石垣を残してあとかたもない。だが、それが、自分と里子の間に何の関係があるのだらう。なるほどこの寺内の真中にも小舎が建つて、住職は毎日畑をつくつてゐる様子だ。かつてはでつぶりと肥えて、色の白い住職が、みるかげもなく痩せ衰へて、畑仕事をしてゐるのは、何と云つても大した変化には違ひない。人の生涯は判らぬながら、こゝでは宗教も灰になつてしまつたのだと、直吉はこの寺の前を通る度に、住職の畑仕事をしてゐる姿を暫く眺めてゐたものだ。
「家をみつけるよりも、まづ、お仕事はありましたの?」
 里子は、直吉の焦々してゐるところへ、油をそゝぐやうな事を云つた。職業に就かなければ、二人は寄り添ふわけにはゆかないとなれば、直吉は、家を求める資格はないのかと知らされる。一文もない。職業もまだみつけてはゐない。――里子は思ひ切つたやうに云つた。舞田の世話になつてゐる事から、千葉で空襲にあつた事、二十年の三月九日、下町の大空襲で浅草も焼けてしまつた事。終戦の前に、舞田の世話で、熊谷に疎開してゐたが、こゝでも焼け出されて、終戦と同時に、舞田と別れて、浅草の以前働いてゐた家のものに出逢ひ、暫くバラツク建ての待合で芸者に出てゐたが 親切なひとがあつて、巣鴨に部屋をみつけて貰つて、いまは通ひの芸者になつて浅草に出てゐると打ちあけて話してくれた。芸者になつたとは云つても 体を売るやうな芸者ではありませんよと云ふのである。舞田某の世話になつた以上、何人の肌に触れようと不貞を働いた事には変りはなかつたが、里子は別に、悪い事をしたとも思はないらしく、かへつて、直吉に触れたくない怯えたそぶりを見せた。
 里子は別に許して下さいとは云はなかつたが、直吉はすべてを許して、いま、すぐ、この暗闇のなかで、里子を強く抱き締めたかつた。精神なぞはどうでもよかつた。皮膚が焼けつくやうな飢渇から、お互ひの文句はあとまはしにしたかつた。純粋無垢なぞは、直吉の方でも今はどうでもよくなつてゐる。継母の膝小僧の隙間から覗いた、あの、穴洞が、直吉の心をそゝつた。快楽の本能は、花火のやうに頭の芯から足の踝にまでしびれわたつてくる。直吉の心を見抜いた里子は、きわめて巧みに直吉の慾望をそらしにかゝつてゐる。
「もう少し待つて‥‥。ね、きつと、私、いゝ場所をみつけます。一週間したら、きつと、また昔通りになれると思ふわ‥‥」
 一緒になれると云つて約束してくれた、一週間が、一ヶ月になり、一ヶ月が二ヶ月とのびのびになり、半年の月日が無為に過ぎた。逢ふたびに、里子は大胆になつて、直吉をあしらつた。半年の間に、たつた一度、無理な出逢ひをして里子を怒らせただけで、直吉は里子の心のなかに、直吉に対してはとつくの昔に冷めきつてゐるのを知らされたのだつた。職業も仲々みつけられなかつたが、それよりも、里子との同棲が、せつかちになつてゐる直吉には、何よりもの願ひだつた。里子は何時までたつても、別れませうとは云はなかつたけれども、身についた仮装で、その場しのぎに、獣と化した直吉をあしらつてゐる。直吉は素直にあしらはれた。素直にして里子に安心をさせてはゐたが、何時か恨みは達したいと胸に深くふくんでゐる。孤独だつた。その孤独さを踏み破るやうに直吉は、父や隆吉のおもはくなぞも考へようとはしない。我まゝをふるまつて、今ではゐなほつてしまつた。――直吉は偶然に、寺の住職と知りあひになり、この住職の世話で、銀座に事務所を持つてゐる前田純次の仕事を手伝ふ事になつた。表向きはネクタイや絹のハンカチの製造販売であつたが、ひそかに闇物資の売買もやつてゐた。ボストンバツクに、外国煙草や化粧品や、チヨコレートや、サツカリン、電気剃刀、砂糖、そんなものを詰め込んで、知りあひをたぐつては、売り込みに行く。自分だけの生活費は十分さや取り出来る仕事だつた。かうした束縛のない職業は直吉にとつては都合がよかつた。前田は小男で、はしつこい性質だつたが、気の小さい割に、ねばりの強い気つぷうが、直吉には気に入つた。住職も、この秘密な商売の仲間にはひつてゐた。時々、住職は砂糖やコオヒイを直吉から持つてゆく。直吉は里子を連れ出して、前田にも紹介して派手なところも見せた。自分の逞しい商才を前田の口から語らせて、里子の関心を呼びもどす策を講じてみたかつたのである。だが、里子は、男を見抜く術を心得てゐた。一向に家を一つにする気乗りを示してくれるやうなところはない。――直吉は二三度、街の女も買つてみたが、その度に里子へ向つて、熱情的になるだけである。街の女と一緒にゐても、里子が忘れられなかつたし、里子を恋ひこがれる悩みは深まるばかりだつた。――直吉は家へは一銭も入れなかつた。三度の食事だけは自分勝手に外出して食べてゐたが、父や隆吉に対しては、何一つほどこしてやる気はしなかつた。時々、父や隆吉の留守を見計つては、直吉は、継母にだけ売り物のチヨコレートを与える。継母はよろこんでむさぼり食つた。四十を出たばかりの継母は、まだどこかに女の肉体をそなへてゐたし、童女のやうな素直さに戻つてゐる人間の素面が、直吉には何とも云へない不憫さだつた。父にも隆吉にも、もてあまされてゐるとなると、直吉は継母を子供の如く蔭でいろいろと面倒を見てやつた。父と隆吉へ対しての衝突は、何時も継母の事から始まつた。直吉は、継母を母とも思つては、ゐなかつたし、女とも考へてはゐなかつた。性格のなくなつたこの狂人女に対して、直吉は杳かな流れ雲を見てゐるやうな、郷愁を感じてゐた。その気持ちを分明に解釈は出来なかつたが、究め尽せない自然人を、そこに眺めたやうな気がして、父や[#「父や」は底本では「父の」]隆吉には争つてでも継母を守つてやりたかつた。継母へ向ふ気持ちが、少しづつ気紛れではなくなつて来てもゐる。里子の冷たさを見せつけられる度に、直吉は、その反射作用で継母へ優しくしてやつた。犬か猫を可愛がつてやつてゐるやうな愛しかただつたが、継母は、直吉が商売から戻つて来ると、甘えた声を出して食物をせがんだ。父や隆吉がゐても、継母ははばかる事なく、直吉に、食物を要求した。隆吉はその継母の甘えた姿を見ると、眉をしかめて継母を叱りつけ、直吉に向きなほつて皮肉を云ふのだ。
「あンた、お母さんが好きなのなら、お母さんを連れて、何処かへ行つてくれるといゝンだ」
「ほう、俺がおふくろを連れて出るのかい?家さへみつかれば連れて行つてやつてもいゝさ。――俺はね、戦争へ長く行きすぎたし、年もとつたし、苦労もしたンだ。どう焦つたところで、奇妙な世の中なんだ。奇妙でないのは、この狂人だけぢやねえか‥‥。それだけの話だ。俺が狂人とどんなつながりがあるンだい。何もしらねえよ。知つてゐるのは親爺とお前だけだ‥‥。どうして、こんな狂人になつたンだい? 俺はこのおふくろが子供みてえに可哀想だと思つてるきりなンだぜ‥‥。面倒がみきれないとあれば、病院へでも入れてやりやアいゝンだ」
 直吉は、三人の男達が、身を粉にして働いて千万長者になつたところで、この狂つた継母はびくともしないのだと思ふと痛快な気がしてゐる。世の中がどのやうに引つくり返へつたところで、継母は自然のまゝなのだと思つた。まともな人間に抵抗出来なくなつてゐる継母の方が、直吉にははるかに水々しかつたし、まともな人間に見えてくる。
「僕は、早くこの狂人が死んでくれればいゝと思つてるンだ。家の中が暗くてたまらない。くたばつてしまへばいゝンだよ。食気ばかり強くて、留守の間に、食ひ物はみんなたひらげてしまつてやがる‥‥。怒るとふてねして知らん顔してる。僕はこんな狂人を養ふ為に働いているンぢやないツ」
「なるほどね、そりやアさうだ。いつそ、汽車へでも乗せて、何処か遠くへ捨てて来たらどうなンだい! それも出来ないとあれば、俺達三人で、この狂人を殺してしまふのもいゝね。何時でも俺は手伝つてやるよ‥‥」
 隆吉は黙つてしまふ。父は厭な顔をして、店の方へ出て行く。直吉は意地の悪い微笑を浮べて、小さい声で云つた。
「なあに、いまに、俺だつて、どうなるか知れたものぢやない。その時になつたら、俺が、一人で、おふくろの首ぐらゐはしめてやる。案じる事はないさ‥‥。革命でもあれば、俺は真先きに飛び出して行く勇気があるンだぜ‥‥。お前、そんな事は何でもありやしない。――お前だつて、心のなかぢやア、何だつて考へるだらう‥‥。誰にも嗾かされないでも考へてるンだ‥‥やるかやれないかだ。俺は内地へ戻つてから、少しづつ無頼漢になる修業もしてるンだからな。何でもねえぢやアねえか、こんな世の中、いつたい誰のものなンだい?」
「僕は、たゞ自分で働いて、自分で食つていければいゝンですよ‥‥」
「そりやアさうさ。それが一番いゝ事なンだ。俺だつて、おだやかに、のんびりと、もう何も考へないで静かに暮したい‥‥。二度と戦争にやア行きたくねえし、お前だつて、馬鹿々々しい目を見たンだもンな‥‥」

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