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お父さん(おとうさん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 12:52:24  点击:  切换到繁體中文


     19

 夜、要さんが遊びに来ました。要さんのおうちも暮しが大変だから、学校をやめてしまって、印刷所につとめに行くのだと相談に来たのだそうです。
 要さんの姉さんも、いまはタイピストになって丸の内の会社につとめています、いまは、どこのおうちも大変な時なのだと思います。
 僕も、中学なんか行くのはよそうと思ったりしますけれど、考えてみると、中学へ行くことをやめるのはいやだと思いました。僕たちが中学へ行くころは、何とかいい暮しになるといいと思います。
 要さんが学校をやめるといいますと、おとうさんはふきげんな顔をしてだまっていました。
「だって、このままぢゃ仕方がないでしょう。僕は、年をとってから学校へ行ってもいいと思ってるんです‥‥」
「だけど、何とか出来ないかねえ。昔は苦学した人さえたくさんあったんだよ。まあ、昔といまとはちがうかもしれないけれど、何とか出来ないかね」
 おとうさんは、岩にかじりついても学校だけは出た方がいいといってききません。
 要さんもかんがえが変つたのか、はればれした顔つきで、
「じゃあ、もういっぺん、よく考えて何とかやってみます」
 といいました。
 僕だってそう思います。食物をどんなにつめてもいいから勉強だけは一生懸命しようと思いました。
 学問を尊敬しない国はほろびてしまうと、おとうさんはよくいいます。
 要さんはその晩、僕のうちにとまりました。久しぶりに家らしい家に来て気持がいいといっています。僕は要さんと一しょにやすみました。
「おうちで、君に学校をやめた方がいいっていわないのに、要君だけの考えでやめたりしては、第一姉さんに対してもすまない。学校だけは出ておいた方がいいね」
 要さんは、はいはいと返事をしていました。
 僕も、学校は好きです。第一、たくさんの友達と別れてしまうことなんて出来ません。疎開からもどって来た友達に、東京の空襲の話をしながら、友達っていいなと思いました。それから、一等なつかしいのは先生です。
 翌る朝、早く要さんは元気でかえりました。

     20

 僕は、金井君や繁野君たちと、ラビットクラブというのをつくりました。
 ラビットというのは、兎さんのことだそうです。お月様のなかで、いつもお餅をついてるような、やさしい兎さんみたいな会がいいというので、おとうさんがつけて下さいました。
 金井君は、工作が上手だから、すぐ木に兎をほって、マークをつくりました。繁野君というのは、こんどおとなりの本田さんのところへきた子どもで、おとうさんと、おかあさんと、ねえさんと四人で満州の奉天からもどって来たのです。
 僕とおなじとしで、僕より小さいのですけれど、とても頭のいい子です。繁野君は、歌もつくるし、蝶蝶をとることがとても好きで、このあいだも、千葉へ行って、黒あげはだの、しじみ蝶なんかたくさんとって来ました。

  木の間ちょうちょうゆるく吹かれゆく
 繁野君のはいくです。木の間を飛んでいる蝶蝶は、人にとられるのもわからないで、のんびり風に吹かれていたという、気持なのだそうです。
 ラビットクラブは、月に一回、会員の家にあつまって、いろんな話をしたり、歌やどうようをつくったりすることにしました。はじめは金井君のおうちであつまることにしました。たった三人の会員で淋しいので、おいおい、人をふやして行こうとやくそくしました。
 ラビットクラブは、ただお話だけをするのではなく、いいこともしなければ、いみがないとおとうさんはいいます。
「でもね、いいことをするということにこだわって、つくりごとをしてはいけないよ。いいかい。しぜんなしかたで、いいことをたのしくするという、気持だと、長くつづくものだよ」
 と、おとうさんがおっしゃいました。
 金曜日の夜。
 僕たちは、金井君のうちにあつまりました。沢井君、野田君が、あたらしくおなかまにはいりました。
「僕ね、この間、宇都宮へ行くんで、おかあさんと上野駅へ行ったんだよ。そしたら、僕ぐらいの子どもが、新聞を買ってくれって来たんで、おかあさんが、気の毒だって新聞を買ったの。そうしたら、そこへ、とてもやせこけた男の人が来て、たばこのすいがらをひろったんだよ。するとね、その子どもは、とても怒った顔して、ここは俺の縄張りだよって、どなってるの。僕、何だかこわかったなあ‥‥」
 繁野君の話です。
「それでねえ、おかあさんが、パンを一つやったの、おとうさんやおかあさんは、どうしたのって聞くと、浅草で黒こげになって死んぢゃったっていうの‥‥ほんとうかなア」
 繁野君は、いかにも、その子どものことがふしぎそうなのです。僕はラジオだの、話にきくけれど、まだそんな子どもをみたことがありません。
 そのつぎは、金井君の話です。
「僕はねえ、このあいだ、新宿へ行ったら、よそのおばあさんが、お金入を落したって泣いているのを見たよ。人が三四人たかっていろいろきいているけれど、おばあさんは、何処で落したかわからないんだって、三百円も落したっていうんだろう。甲府へかえるのに、切符も落したんだって‥‥汽車ちんがなければ、甲府へかえれないっていうんでメガネをかけたおばさんが、そのおばあさんに十円めぐんでいたのさ。そしたら、赤い鞄をさげた男の人が二十円おばあさんにくれたんだ。僕何だかはずかしかったけれど、本を買うお金を持っていたから、五円だけ出しておばあさんにやっちゃった。おばあさんはみんなにぺこぺこおじぎをしてるのさ。――僕がお金を出したら、また、あとで、お金をわたしてる人があったから、おばあさん、きっと甲府へかえれたと思うね――」
 僕は何もいいことをしなかったし、めずらしい話もないので、今夜はきき役です。
 つぎは、沢井君の話です。[#「です。底本では「です」]
 沢井君のおうちはミシンの製造をしていて、工場をやっています。沢井君のおとうさんは、とてもかわりもので、このあいだ、北海道へ行かれる時、青森で、沢井君とおなじ年の、男の子をひろって来られたそうです。
「僕のところでは、その子のことを、おとうさんが、大砲って呼ぶんだよ。ほらばかり吹いてて、お掃除もきらい、学校もきらいなんだもの‥‥それでも、みんなしからないの、しかってはいけないっておとうさんがいうんだもの。
 その子は、小池義也って書いたきれを胸にぬいつけているけれど、おとうさんは、どうもそんな名前ぢゃないらしいって――。ちっともほんとうのことをいわないし、二度も、うちから逃げちゃったんだけど、いつもおとうさんがおむかえに行くんだよ。おかあさんがおこってしまって、もう、あんな子ども、ほっておきなさいっていうんだけど、おとうさんは、自分の子どもだったらどうする。――やっぱり、どんなことをしてもさがしに行くだろうって。だからさがしてつれてくれば、もう、うちが、いいってことになるからねって、二度もつれて来たんだ。はじめは、浦和の警察から知らして来たんだけど、二度目は十日ぐらいして、長野の警察から知らして来たんだよ。いつも、おとうさんもおかあさんもみんな浅草で死んぢゃって、誰もみよりがないっていってるんだって‥‥。だって、その子どもは、浅草なんて知りやしないんだもの‥‥僕が、ふるい浅草のエハガキをやったら、それをとてもよくおぼえていて、商店のカンバンの名前までくわしくいうんだって‥‥。生まれは、どうも宇都宮あたりらしいっておとうさんがいうんだけど、浦和でも長野でも、浅草の田原町で生まれたなんていっているんだよ。朝、掃除しなさいっていっても、知らんかおして、ぷいとどこかへ行ってしまうし、とてもなまけものなんだね。うたをうたうのが好きで、うたなら何だって知ってるよ。
 僕も、ときどきけんかするけど、おとうさんはとめてくれないんだ。どっちにもひいきしないんだって、だから、僕、おとうさんのことを中立っていうのさ。しらないで[#「しらないで」はママ]、気長にみてゆくよりしかたがないんだそうだよ。
 その子のおとうさんは、靴をなおしてたんだっていうんだけど‥‥でも、それだってわからないよっておとうさんがいうのさ。浅草でミシン屋をしてたって、長野でいってたのは、うちのことだろうっておとうさんが話してたけど、大砲って、ずいぶんおもしろい子どもだよ。
 歌ならどんなのでも知ってるし、鶏小舎で、鶏がたまごをうむと、いつも、どこにいても一番に走って行って、あったかいのをつかんで、大声で呼びながら飛んで来るし、とにかく変ってるんだ。学校大きらいなくせに、おじさん、大きくなったら大学へあげてねっていってるし、学校だって、一週間のうち、三度ぐらいしか行かないんだよ。先生もびっくりしてるけどね。ご飯の時だって、そりや早いんだよ。いま、お膳についたと思うと、もう皿のなかがからっぽ‥‥」
 僕はときどき、沢井君のうちの、その子どもをみたことがあります。年はおなじだけれど、学校は一年下だったので、遊んだことはありません。
 おでこのひろい、眼のひっこんだ小さい子どもです。
「君のうち、とてもえらいねえ」
 金井君がおどろいています。
「だって、その子だって、誰かがみてやらなくちゃならないんだから、そんなら、うちのような、きがねのないところが一番いいんだって‥‥」
「君のきょうだいになっているの?」
「ううん、同居人ってことになっているんだよ。でもね、なまけもので、すぐ、どっかへでかけてゆくくせに、人のものをぬすんだりしないのが一番いいところだって、おとうさん感心してるんだ。小づかいだって僕とおなじようにくれるの。でも、大砲は、うちのおとうさんが一番こわいらしいよ。しからないからいやなんだって、いうときがあるもの‥‥」
 沢井君のおとうさんには、僕は一度も会ったことはないけれど、いいおとうさんだなと思いました。
「でも、おもしろいのは、ものをいうのに、にごりが出来ないんだよ。たとえば、レコードのことをレコート、というし、家のげんかんというのをけんかん、あずけに行くっていうのをあつけにゆくっていうし、みょうなことだって話してるの‥‥。――おとうさんは、どこで生まれて、どこでそだったのかきかなくても、うちにいるかぎりは一生めんどうをみて、すきな仕事を[#「仕事を」は底本では「事仕を」]させるんだって‥‥」
「もう逃げない?」
 金井君が、心配そうにたずねています。
「ああ、もう逃げない。いつも、縁側で、さびしそうに歌をうたっているよ。トラジっていうのだの、アリランの歌がすきだね」
「僕も知ってるけど、いい声だね」
「うん、おとうさんは、大砲は、昔のことを、何も話さないから、しっかりしたいい子だっていってるよ‥‥」
「君は好きなの?」
「はじめはいやだったけど、いまは何ともないなア、どっかへ行っちまえばさみしいさ。僕のことを三ちゃァんっていうんだよ」
 お家へかえって、沢井君のうちの、小池君の話をおとうさんにしました。
「うん、なかなか沢井さんのおとうさんはできた人だな」
と、感心していました。
 うちのおかあさんは、病気もすっかりよくなりました。うちでは、みんな起きていて、元気です。おとうさんは、もう台所をしなくてもすむようになったし、僕も、静子も、もう台所はしなくてもいいのです。
 おかあさんが、このごろ、イーストというもので、パンをつくって下さるけれど、イーストのパンって、それはおいしくて、もう、これから、僕たちは、お米のごはんを食べなくてもいいなんて話しています。
 沢井君が、ラビットのししゅうをした青い旗を、ミシンでぬってもらって、それを見せてくれました。とてもきれいです。
 或日、おとうさんと銭湯のかえり、僕は、沢井君のところの小池君に道で会いました。小さい子どもたちが、石をぶつけっこしているのをとめているのです。
「けんかしてためッ! けんかするといけないから、みんなその石すてなさい、いいか、けんかしてためよ、けかするからね」おとうさんはにこにこ笑って、小池君の頭をなでました。
「君はいい子だねえ。健ちゃんところにも遊びにおいでよ。健ちゃんのところには鶏がいるし、大きい金魚もいるよ」
 小池君はきまりわるそうにしています。
「遊びにお出でね」僕もそういいました。すると、小池君は、いかにもうれしそうに、
「ぼく、健ちゃんのうち知ってるよ。あすことこに大きい犬いたろう? あの犬、ぽくかってたのよ」
 といいました。
 道理で、野良犬のくせに、ふとっていたものだと思います。
 僕とおとうさんの吹く口笛に、小池君もあわせて吹いています。
 おとうさんが、
「健坊、小池君っていい子だねえ」っていいました。
「沢井さんのおとうさんってりつぱな人だねえ、一度、どんな人なのか会ってみたいもんだ。ふつうの人にはできないことだ」と、すっかり感心しています。
 沢井君のおとうさんも好きだけれど、僕は僕のおとうさんも世界一大好きです。





底本:「林芙美子全集 第十五巻」文泉堂出版
   1974(昭和52)年4月20日発行
※仮名遣いに乱れがありますが、底本のままに入力しました。
入力:林 幸雄
校正:花田泰治郎
2005年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。

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