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お父さん(おとうさん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 12:52:24  点击:  切换到繁體中文


     くろだい

 くろだいはだれもいなくなっただいどころで、じっと大きい眼をあけていました。大きいざるがかぶせてあるので、だいどころのようすをはっきりみることが出来ません。もうお正月がちかいので、にしめでもにるような匂いがしています。
 くろだいは、だいぶくたびれたので、眼をとじようとしましたが、ここは海の中ではないので、ねむることが出来ません。ねむるのにつごうのよい岩かげもないし、砂地も塩水もないので、くろだいは心ぼそくなりました。夜がふけるにしたがってだんだん寒くなってきました。くろだいは、ふとんがほしいとおもいました。尾っぽの方からこおってきそうです。
 あたたかい海の中へかえりたいとおもいました。歩きたいのですけれど、人間のような足がありません。くろだいは、じっと耳をすませていました。ことっことっと何だか自分のそばを走っているものがあります。くろだいはこわくなってきて、うろこをガラスのようにかたくしていました。ここが海の中だったらいいとおもいました。どうして、あの時につかまってしまったのかと、くろだいはしずかな気持になって泣きました。あんまり泣いたので、大きい目玉に血がのぼってきました。水のないところなので、何でもかわいてしまいます。第一、しつぽもひれも固くなってうごきません。夜があけて来た時には、くろだいはかんがえることまでかたくこおりついていました。朝になって、うろこをほうちょうでそがれたのも知りませんでしたし、切身になってお塩をふられたこともわかりませんでした。夜になってじいじいとやかれた時には、くろだいのはだからおいしそうなあぶらが出ていました。もうからだは小さく切身になっていたので、くろだいはほんとうに何もかんがえる事も出来なくて、たましいだけが海の天国へふわふわおよいでかえりました。

 僕は、やっと作文が出来たので、ほっとしました。静子はおかっぱのかみを時々かきあげながら熱心にかいています。静子がまるでくろだいのようで、おかしくて仕方がありません。
「もう出来たの?」
「うん出来たよ」
「いいわねえ、私、まだ半分も書けないのよ。くろだいって、おかねで買うといくらぐらいなの? 百円もするかしら」
「知らないよ、だけどもっとするんだろう、あんなすごいのは」
「そうね、わたしたち、それぢゃあ、何十円ってたべたのね」
 静子は、どんなことを書いているのかな。静子は、すぐお金のことを気にするから、くろだいのねだんを書いているのかも知れないと思いました。
「さあ、やっと出来ました」
 静子は何だかとくいそうです。
「読んでいいかい」
 ときくと、静子はくすくす笑いながら、
「おかしいのよ、でもいいわ」
 といって、書いた紙を僕の机に持って来ました。

     くろだい

 ゆうべ吉田さんのおじさんが来ました。私はねていてしらなかったのですけれど、朝おきてお玄関の泥だらけのくつをみて、吉田さんのおじさんがかわいそうでした。宇都宮でおうちがやけてしまったのです。
 おじさんは大きいくろだいをおみやげにもっていらっしゃいました。千葉の船橋というところで買っておいでになったそうで、私のうちでは、こんな大きいお魚なんてみたことがありませんのでびっくりしました。
 たべてしまうのが気のどくみたいにりつぱなおさかなです。くろだいって、えいがでみるようなおさかなです。目玉がぐりッと大きいので、私の友だちのカツチャンのようです。かたみはお正月にたべるのだっておかあさまがおっしゃいました。
 おかあさまは、何年ぶりでこんなおさかなを料理するだろうとおっしゃいました。私のおうちはこんなおさかなをたべられるほどぜいたくなうちではないので、みんなでこのおさかなをたのしみにながめました。わたしたちもうれしくおもいましたけれど、おとうさまはまるでこどもみたいに、ものさしをもって来てはかっています。何百円ってするのでしょうけれど、そばにおじさんがいましたのでききませんでした。
 おじさんは、これから東京で、食料品のみせをだすのだそうです。三晩ほど御やっかいになりますといいました。おじさんのもっていらっしたお米が白いので、おかあさまは、白米ってきれいね、とおっしゃいました。
 私はお客さまがいらっしやるのはすきです。くろだいをもらったからではありません。

 静子はいつもこんなのを書きます。おとうさんにいわせると、静子は女のくせにつめたい人間だから、何でもはっきりしているのだとおっしゃいました。

     9

 すっかり春らしくなりました。
 僕は、このごろ、毎日畑つくりです。おとうさんと二人で灰をつくっては土にまぜてやります。僕の植えたからし菜がもう青青してきました。
 畑をするのはとてもたのしみです。
 せまい庭ですけれど、僕はいろいろなものを植えました。ほうれん草、ちしや、じゃがいも、小かぶ、春菊、そんなものを植えました。
 じゃがいもは、長野の本田さんのおじさんがすこし下さったのを、芽のところを中心にして二つ三つに切って、切り口へ灰をつけて植えました。だんしゃくという種類だそうです。とても大きいおいもです。
 僕はじゃがいもが好きです。
 早く花が咲いて、大きいおいもがごろごろ出来てくれるといいな。今日は、僕たちは、学校がお昼までだったので、金井君と畑をすることにしました。
 今日は金井君が、僕のうちの畑を手つだってくれる番です。二人はかわりばんこに手つだいあうことを約束しました。
 今日は、金井君は、畑にくいを打って、さくをつくってくれるのです。僕の家の近所はとても犬が多くて、せっかく、きれいにならしておいた畑の上を歩きまわって荒しているので、とてもしゃくにさわって仕方がありません。
 終戦前までは、犬なんかあまりいなかったのに、このごろとても野犬が多くなりました。首輪のない犬が、いままでどうしてくらしていたのだろうと思うくらい、大きいのや小さいのと、五六匹も走りまわっておもしろそうにふざけあっています。その中で、ポインタア種の、栗色をしたとてもすごいのがいて、子供たちはみんなこれをチョコといってこわがっていました。
 とても人なつっこいのですけれど、何となくこわいのです。もうおじいさんで、前は、本庄さんという家にいたのですけれど、そこの人が田舎へいってしまって、ほかの人が来たので、そのチョコは、一人ぼっちになったのです。
 僕の組はたいていみんな長野へ疎開して行ったのに、僕だけは、この本庄さんのチョコと東京へのこっていて、あのこわかった空襲をよく知っています。
 チョコは、僕になついているのですけれど、畑を歩きまはるのでにくらしくて仕方がありません。チョコは誰もかっている人はありません。それなのに、よくふとって生きています。このごろは、どこから来たのか、小さいのや大きい犬を三四匹もひきつれて、ふざけちらして走っています。
「犬って東京だけにいるのかねえ?」
 金井君がいいました。
「どうして」
「だって、長野の山の中には、犬なんてめったにいなかったよ、猫の方がたくさんいたなあ」
 金井君は、去年の三月、長野へ疎開して行きました。僕にもいっしょに行こうとさそってくれたのですけれど、僕はおとうさんが出征していなかったし、おかあさんが、どんなに苦しくてもいっしょにいて下さいとおっしゃったから山へ行かなかったのです。
 金井君は山のあらもの屋でとうがらしを買ってなめたお話をよくします。
 ごはんがたりなくておなかがすくので、みんなあらもの屋へいって、たべられるようなものを何かさがすのだそうです。はじめはオレンジのもとというあかい粉を買ってなめていたけれど、みんなが、それを買うので、それもなくなり、こんどはわさびの粉を買ったり、とうがらしを買ったりしてなめた話をしました。
 金井君はとても正直ですから、よく田舎の話をするたび、田舎の生活をあまりよくいいません。よっぽど苦しかったとみえて、田舎では東京へかえりたくて、友だちが、みんな、いろんなぼうけんをした話をしてくれました。
「僕ねえ、田舎って、絵のようにきれいなところだと思っていたのさ、そりゃあ、景色はきれいだったけれど、つまらないよ。あんなところ。山本先生は、これが戦争なんだからがまんしろがまんしろ、逃げて一人でかえるなぞはひきょうだぞっておっしゃったけれど、毎日、誰かが駅へ逃げて行くのさ。村の人って僕きらいだ。いばっているんだもの。――いやだったなああの時は……五キロもあるところへ山本先生とみんなでね、配給所へ米をもらいに行って、何度もからっぽの車をひいてかえる時、山本先生泣きながら歩いていらっしたよ。だから、僕たち、何もかもわすれて、歌でもうたおうって、山道を歌をうたって歩いたのさ。そしたら、兵隊に行っているおとうさんの事をおもい出して僕も涙が出て仕方がなかった。あの時のこと、忘れろっていったって忘れないよ。ああ。だから、富田だっていっているよ。いくら空襲があっても、君がいちばんよかったって‥‥」

     10

「こんなこと、うまくいえないけど、僕、田舎はこりごりだ。畑をしたくったって、土地がないし、お百姓の道具なんて何もないだろう。だから、みんな手で掘ったよ。石ころの川床になった荒地を手でたがやしたんだぜ。小さいかぼちゃがすこし出来たかな。山本先生だの、大木先生ね、時時リンゴを買い出しに行って僕たちにたべさしてくれたよ。リンゴってうまいもんだねえ。だけど、僕、おうちへかえれればリンゴなんて一生食わなくてもいいと思ったねえ。おかあさんのことを考えると、むしゃくしゃして来るのさ、あいたくて仕方がなかったなあ。――時時山の上へ行って、みんなで、山彦ごっこをするのさ。おとうさあんと呼ぶんだよ。するとねえ、向こうの山の方から、おとうさんっていうのさ、はじめはきみがわるかったけれど、面白くなっちゃったよ。君、山彦って知ってるかい? とても変なんだよ。東京、東京って呼ぶとね、東京、東京って返事をするんだぜ。――田舎も、山のなかや、田圃や畑はいいね」
「山のなかには、いろんな鳥が鳴いてるんだろう?」
「ああ山鳩っていう、ぼつぼオってなくのがいるよ。ねむくなるようなひるひなか、山のなかでこのぼつぼオをきくと、僕、東京へかえりたくて涙が出て困っちやった」
「山のなかには買い出しは行かないだろう」
「そんなことないよ、たくさんきてたよ。米だって何だって買って行ったよ。だから、僕たちも、千田君たちと、先生にだまってキウリを買いに行ったんだよ。なまのキウリ、うまかったぜ」
「ほう、子供にも売ってくれたの?」
「そうさ、金さえ出せば誰にだって売るよ」
「そうなのかえ、驚いたねえ」
 僕は田舎で苦しんだ金井君がかわいそうでした。金井君はとても正直な人です。こんどの敗戦のことも、軍人っていけなかったんだね、とがっかりしています。僕だって、おとうさんはいい人なのに、どうして大人の人ってうそつきなのか変です。
 うそつきでないといえば、山本先生もいい方です。先生はこのごろ、つぎはぎだらけの洋服で来られますけれど、先生はどんなにびんぼうしていても、いつもにこにこして僕たちの友だちのようです。
 去年の暮、僕の畑で出来た小さい大根を山本先生に持って行ったら、山本先生は、
「そんな心配するなよ」
 とおっしゃいました。
 僕がつくったのを持って来たんだというと先生は、
「そうか、そりゃあうれしいなあ」って顔をあかくされました。
 先生は、このごろ頭に小さいはげが出来ました。みんな栄養失調だとうわさしています。だって、そのころ、誰かが黒板に、山本先生の栄養失調って落書していたからです。先生は落書をごらんになって、頭をかきながら、
「ひどいなあ」
 と笑っていらっしゃいました。
 ところが、おかしいことに、僕のおとうさんにも左の耳の上に小さいはげが出来ました。床屋でうつったのかなって心配していらっしゃいます。山本先生のも、僕のおとうさんのも、その、はげは、大きくも小さくもならないのでふしぎです。人にもうつりません。
 おとうさんは先月からお仕事がみつかって会社へつとめておられます。おとうさんは、まじめに働きさえすれば、いまにきっといいことがあるとおっしゃいます。

     11

 金井君は疎開さきから、みんなで東京へかえった時、東京があんまり焼けているので、涙がこぼれて眼がまんまるくはれあがってしまったそうです。上野駅でお迎えのおかあさまとねえさんに抱きついて、しばらくおいおい泣いていたそうです。なつかしいおかあさまのきものの匂いがとてもうれしかったといいました。
「みんなやせてかえったんで山本先生が申しわけないとおっしゃったよ。でも、山本先生も、とてもやせていたんだからね」
 古竹でさくをつくりながら、金井君はいろいろの話をします。
「でも、畑をつくるべしさ。僕は大人になったら農林技師になるつもりさ。君どう思う」
「そりゃあいいねえ」
 金井君のおとうさんはまだジャワからかえりません。だから、僕のおとうさんが早くかえったのをいいなあとうらやましがります。
「ねえ、君、僕のおとうさんて、山本先生と同じように、ぬっとしててすこしもしからないよ。一度だってしかったことがないよ。――大きな大人のくせに、僕に何だってそうだんするんだぜ」
「僕のおとうさんだってしからないよ。そうだなあ、うそをいうとしかるね」
「へえ、君、うそをつくのかい」
「ああ二三度あるよ」
「いやなやつだなあ」
「仕方がなくてうそをついたのさ」
「どんな事でだい」
「おなかがすいている時に、すかないなんていうと、おとうさん、ちょっとしかるよ。ごまかすのはきらいだぞオっていうんだ」
「そりあそうさ」
「だって、みんながかわいそうだもの、僕のところは、君のとこみたいに金持ぢゃないからね」
「金持ぢゃないよ」
「だって、君のところへ行くと、いつだっておやつがあるだろう。金持だよ」
 金井君は気をわるくしたのかだまってしまいました。さくが一本ずつ立って行きます。こんならチョコだってはいれないでしょう。さくのぐるりに、僕は花を植えるつもりです。二時すこしすぎたころ、おかあさんが僕たちを呼びました。今日は僕のところもおやつがありました。むしパンをおかあさんが一つずつ下さいました。
「君のうちだって金持だよ」
 金井君にやられてしまいました。むしパンはとてもふんわりしていておいしいので、僕はうまくてしかたがありませんでした。えんがわに腰をかけていると、昨日の雨でしめっていた庭にかげろうがまっています。ちんちょうげの花の匂いがとてもにおってきます。庭のすみにあるこぶしの新芽がきれいです。
 今年は桜も早くちりかけていると、新聞に出ていました。
「春っていいね」金井君がいいました。
「あたたかでいいね、でも、僕は夏の方がもっと好きだよ」
 僕は夏が好きです。おとうさんも夏が好きです。夏になると僕とおとうさんの天下で、釣に行くのがたのしみになります。
「山本先生ね、すこし毛が生えて来たよ」
 金井君がにこにこしていいました。そういえば、おとうさんも、はげがめだたなくなりました。春になったから、頭の毛もはえるのかもしれません。それに、いわしをたべるせいかもしれません。おやつがすんで、僕たちはまた畑をしました。チョコはぬくぬくと畑のそばで日向ぼっこをしています。
「お前だな、畑あらしは……」
 金井君がにらみますと、チョコは、ねたなりでしっぽをゆらゆらふっています。僕はおかしくなって、チョコの前あしを一寸ふむまねをしました。チョコはざらざらした舌を出して、僕の靴さきをなめます。
「君、あのねえ、凍った山って、月夜にみるときれいだぜ。みたことはないだろう。僕たち山で、月夜に、B29が、村の上をとおったんで、そっとそとに出てみたんだよ。白い山山に、B29のサクン サクン サクンっていう、エンジンの音がはんしゃしてとてもきれいだったよ。星がいっぱい光ってて夜の凍っている山ってすごいよ」金井君が思い出したようにいいました。
 凍った山ってどんなだろうと思います。僕はみみずをほじくり出したので、しばらくみつめていました。のの字になったり、Sの字になったりしてさかんに運動します。泥まみれのみみずは汗ばんでいるようです。
 金井君は口笛を吹きはじめました。何ともいえないぬるい風が吹いて、今日はねむくなるようなお天気です。

     12

 おとうさんはこのごろおつとめです。
 おとうさんはいつも口笛を吹いておかえりです。このあいだ、おとうさんは古道具屋でのこぎりを買ってきました。四十円もするのだそうです。
 この、のこぎりで鶏小舎をつくって下さるのだそうです。日曜日はたのしみです。僕の畑のそばにおとうさんの鶏小舎がすこしずつ出来ています。いつになったら鶏が来るのでしょう。
 いつかの、おとうさんの童話のような、ふとった鶏が、この小舎に来るのかとおもうと僕はたのしみです。金井君も時時みに来ます。おかあさんは鶏を飼ってもたべさせるものがないので、生物は困るといっています。僕は生物は何でも好きです。
 鶏は、吉田さんのおじさんが、宇都宮から持ってきて下さるのだそうです。吉田さんのおじさんは、お仕事のことで、たびたび東京へいらっしゃいます。
 早く鶏のおうちが出来て、宇都宮の鶏が来るといいと思います。今日は日曜日なので、僕は金井君と二人で雑司ヶ谷の坂井君のおうちへ約束しておいた竹をもらいに行きました。金網のかわりに、竹の細いので格子をつくってやるのです。目白へ出て、学習院の通りを歩いていると、僕たちぐらいの男の子が、
「八王子へ行くのはこの道を行ったらいいの」とききます。
 破れたシャツと、あしの出たつぎはぎだらけのズボンで、小さい風呂敷包を持っています。髪の毛が随分のびていて大人のようにつかれた顔をしています。
 僕たちは八王子を知りません。
「君はどこから来たの」
 金井君がたずねました。
「遠いところから来たの‥‥」
「遠いところってどこなの」
「深谷というところから歩いて来たの」
「へえ、深谷ってどこだい、健ちゃん知ってる‥‥」
 深谷というのは、どこだか知らないけれども、おかあさんは、ねぎの話が出ると、すぐ、深谷のねぎはおいしかったというから、ねぎの出来るところから来たのかも知れないと思いました。
「ねぎのたくさん出来るところだろう‥‥」
 僕がたずねると、その子は、「うん」といいました。
 たぶん、おなかがすいているのでしょう、大変元気がありません。白目のところが青い、眼の大きい子です。
「八王子って遠いんだろう‥‥何しに行くの‥‥」
「おばあさんがいるんだよ」
「君一人で行くの‥‥」
「ああ、うちは東京なんだけど焼けてね、深谷の桶屋へ小僧に行ってたんだけど、つまらないから歩いてかえるんだよ。――もう歩くのつかれちゃった‥‥」
 口をきくのもいやいやみたいに男の子はふかいためいきをつきました。金井君も僕もすっかり同情してしまいました。
「君、おなかすいてるんだろう‥‥」
 金井君はそういって、ポケットから乾パンを出して男の子にやりました。男の子はびっくりしたような顔をしていましたが、急にあかい顔をして「ありがとう」といいました。陸橋みたいになっているところの、みはらしのいい小さい空地へ三人は歩きました。
「ここで少しやすんで行こう」
 こんなときの金井君は、とても同情ぶかくて、何だか一生懸命なのです。
「君、電車へ乗るお金ないの」
 金井君がたずねました。
「金なんかないよ」
 男の子はまだ乾パンをたべません。僕は何も持っていないけれど、お金なら二円ほど持っているのでやってもいいと思いました。
 せまい空地にはつつじが咲いていました。白と赤のつつじがほこりっぽく咲いています。男の子は石の台に腰をかけて、よごれた手拭で汗をふきました。
「君、どこでお家が焼けたの?」
「本所緑町、去年の三月九日だ」
「学校は‥‥」
「五年きりでやめたのさ。うちは貧乏だから‥‥おとうさんはサイパンで戦死したし、おかあさんと赤ん坊は本所の区役所の前で別れたきり、だから僕一人になったのさ‥‥」
「どうして桶屋なんかに行ったの」
「人が連れて行ったから」
「おばあさんのところへなぜ早く行かなかったの……」
「おばあさん[#「おばあさん」は底本では「あばあさん」]、いくども深谷に来てくれたんだけど、桶屋なんてつまらなくなって、おばあさんのところへ行くのさ」
「おばあさんは何をしてるの」
「あらいはりなんかしていたんだそうだけど、今はよその手伝いなんかに行ってるんだよ」
「家は知ってるの‥‥」
「焼ける前、二三度おかあさんと行ったことがある」

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