5
おとうさんが、戦争へ行く前にいつかいっていました。戦争がすんだら、たくさんおさとうが来るから、そしたらおしるこをどっさりたべようねっていっていました。だから、僕は、おとうさんに、
「もう、戦争がすんだのですから、おしるこをどっさりたべられるのでしょう」
とたずねました。
おとうさんはへんなかおをして、
「戦争に敗けておしるこなんかたべられないよ」
とおっしゃいました。
でも、このあいだ、中野のとおりをおかあさんと歩いていたら、一ぱい十円のあまいあまいおしるこというびらを露店でさげているのを僕はみたのだけれど、一ぱい十円もするおしるこはどんなにあまいのだろうと思いました。
おかあさんは「高いおしるこね」とおっしゃいました。
僕は早くおうちでおしるこがたべられるといいなと思いました。おさとうは台湾でたくさんできていたのだそうです。おさとうって、どうしてつくるのでしょう。おとうさんに、おさとうはどうしてあまいのですかとききましたら、そうだなア、おさとうのあまいのはどうしてあまいのかときかれるとちょっと困るねとおっしゃいました。おとうさんは何でもよくしらべてから僕にはなしてくれます。
僕は何でもふしぎです。空をみてもふしぎです。ひるまは、ふわりふわり雲がういていて、青い空は、どこまで行っても広いのです。夜になると、青い空はくらくなって、どこまで行ってもくらいのですものね、そして、時時、お星さまがぴかぴか光っています。その星にはみんな名前がついているのだそうです。僕は北斗七星を知っています。星で東西南北がわかるというのもふしぎです。
それから、僕は、お庭をみていてもふしぎです。
僕のお家の庭には、うめもどきが一本うわつています。このあいだまできれいな赤い実がついていました。あんなひんじゃくな木から、まるで兎の眼のような赤い実がなるなんてふしぎです。
それから、このあいだ、要さんからみかんをもらったけれど、あれだって、どうして、あんなにおいしい実がなるのかふしぎです。
おとうさんは、何でもふしぎだと思うことはいいことだとおっしゃいました。何をみても何も感じないでいることは人間に生れてさみしい事だとおっしゃいました。
僕たちが要さんのお家へ行って、二三日して、要さんがあそびに来ましたので、僕は何でもふしぎなことばかりだとはなしますと、要さんは、
「そうだよ、此世のなかはふしぎなことばかりだよ。でも、一つずつそのふしぎななぞをといてゆくのも面白いものだね」
と、いいました。
要さんは機械いじりが好きです。それにたいへん耳がいいので、僕の家のラジオが、があがあと変な音をたてると、すぐラジオの前へ行つてダイアルをまわして調子をなおしてくれます。
要さんは音楽も好きです。
僕も音楽は好きです。きれいな音をきいているのはきもちのいいものです。それから、僕は、おとうさんやおかあさんの声も好きです。学校からかえっておかあさんの声がしていると、僕は何だか安心した気持になってうれしくなります。
おとうさんは、このごろ、仕事をおさがしになっています。戦争の前におつとめになったところはおやめになったので、いまはおとうさんはお仕事は何もありません。
おとうさんは毎日おうちを出てゆかれます。おかあさんは、おとうさんに早くいい仕事がみつかるといいと僕におっしゃいます。
おかあさんが買物にいらっしやる時は、いつも僕がリュックを持ってついて行きます。すると、近所のおばさんが、
「健ちゃんぐらいになれば、もう、おかあさんのお手伝いが出来ていいですね」
と、いいます。
おかあさんはにこにこして、
「ええ、一人で行くよりはいいですね、一人では、高いわね、だの、安いのはないかしらなんてひとりごといえませんものね‥‥こんな小さい人でもいれば、何でも話が出来てなぐさめになります」といいます。
僕は昨日もおかあさんと新宿へ行って、ローソクの安いのをみつけてあげました。安いのがみつかると、おかあさんはうれしそうに「まア、ありがたいわ」といいます。どうして、こんなにものが高いのかふしぎです。おかあさんの小さいころは、何でもやすくていいものがどっさりあったのだそうです。
6
このごろ、おとうさんは夕方になると、「ああつかれたね」といってかえってきます。
静子と宏ちゃんはまだ小さいから、いつでも同じように、
「おとうさん、おみやげは‥‥」といいます。
僕は静子と宏ちゃんにわざとこわい顔をします。静子には、何度いってきかせてもおとうさんがお仕事をみつけにいらっしやる事がわからない様子です。
おとうさんのまるい顔がすこしやせてきました。僕はお夕飯のあと、おとうさんの肩をたたいてあげます。
おとうさんはこのごろとてもさみしそうです。僕はおとうさんが何かよろこんで下さるようなことはないかと思います。
今夜、僕は何だかさみしかったのでおとうさんといっしょにねました。
「おとうさん」
「何だ」
「おとうさんはいくつですか」
「いくつかって、おとうさんの年かね、そうだね、もうじきとしを一つとるね」
「いまいくつですか?」
「いまは三十四だ」
「まだ若いのですね」
「ははア、そりあ若いさ、でも、もうすぐ三十五だよ」
「僕もおとうさんのように早く三十五になりたいなア」
「うん、健坊が大きくなる頃は、いい時代になるだろうね、健坊はえらい人にならなくてもいいから正直なこころをもったいい人になるんだね」
おとうさんは、僕の肩に、寒くないようにお蒲団をかけてくれました。次の間で、おかあさんが、
「ねえ、三升ほどもちごめがたまりましたから、餅をつきましょうかしら」と、おっしゃいました。
僕はうれしくて、へえ、といいました。
「おとなりで、お餅の道具をかりて来るんですって、ごいっしょにつきましょうとおっしゃって下さるのよ。少しばかりだけれど、子どもたちがよろこぶでしょうから‥‥」
おとうさんは、「そりやアいいね、たとい少しでもいいさ、子どもたちがよろこぶよ」と、いいます。
「いつ餅をつくの?」僕が寝床からたずねると、
「三十一日ですって、健ちゃんも手伝ってね」
と、おかあさんがおっしゃいました。
僕はうれしくて胸がどきどきしました。
ぺったんこ、ぺったんこと餅をつく音がきこえてくるようです。
玄関で誰かが呼んでいます。おとうさんがおかあさんを呼びました。
「いまごろ、きみがわるいわね、誰でしょう」
時計が九時を打ちました。
おとうさんがすくっと起きて玄関へ行かれました。
「そりやア心細かったでしょう、まア、お上り下さい」
誰かをおとうさんがあげているようです。おかあさんも出て行かれました。僕は誰だろうと耳をすましていました。
「お互にひどいめにあいましたね。寒かったでしょう、さア、どうぞ――」お客さまの声はきこえない。
「まア、大きいお魚、黒鯛ですわね」
おかあさんの声。お魚を持ってきたのかしら。こんなにおそくお魚を持ってくるなんて変だな、どこの人なのだろう。僕は何だかこわいなと思いました。
7
朝起きたら、だいどころに、大きい黒鯛がかごのなかにありました。僕は、こんな黒いおさかなをみるのははじめてです。
「立派だなア」
と僕がいいますと、宏ちゃんも起きて来て、びつくりしています。お座敷では、もうお客さまが朝ごはんをたべていました。誰だろうと思っていたら、静子がおとなりの吉田さんのおじさまなのよ、とおしえてくれました。
吉田さんのお家には、子どもはいないのだけれど年をとったおばあさんがおられるので、早くから宇都宮へ疎開して、もうおとなりには安藤さんという人たちがひっこして来ています。吉田さんは、宇都宮でお家がやけたのだそうです。こんなことなら、東京にいた方がよかったのだ、と吉田さんは残念そうにしていました。
吉田さんのお家では、おばあさんもなくなられたのだそうです。とてもいいおばあさんで、目の悪いひとでしたけれど、僕たちが裏庭に入って行くと、ちゃんと僕を知っていて、夏なんか、よくおばあさんにあきかんだの木箱だのもらいました。かんからをもろうと、それでメダカをすくいに行ったものです。
木箱は、蝶蝶の標本箱にしました。
おばあさんは、田舎の人なので、花や草の名前はよく知っていて、僕が持って行く草の名前を何でもおしえてくれました。いつだったかおとうさんと信州の山へ行って、たくさん、草を持ってかえって吉田さんのおばあさんにききました。
まんさくだの、かしわの葉、あかしで、いぬしで、いぼた、白い花の咲くがまずみ、うつぎ、赤い花の咲くはこねうつぎ、模様のようなやまにしきぎ、そんな名前を一つ一つていねいにおしえて下さいました。僕は、吉田さんのおばあさんはほんとうに好きです。鶴の模様のついた、赤いちりめんのちゃんちゃんこをよく着ていました。
宇都宮で、くうしゅうのさいちゅうに亡くなられたのだそうです。僕は吉田さんのおじさんに、
「宇都宮って海がありますか」
とききました。おじさんは、あはあは笑って、山から魚を持って来たので、健ちゃんがふしぎなのですね、とおっしゃいました。吉田さんのおじさんは、黒鯛を昨日、船橋でおかいになって、それを僕の家に持って来て下さったのだそうです。
吉田さんのおばあさんは、とてもお魚の好きな人でした。僕は、お魚よりも野菜が好きです。きんぴらなんかとても好きです。でも野菜がたかいので、おかあさんは、このごろはめったにきんぴらをして下さいません。
吉田さんのおばあさんは、八十二で亡くなられたそうです。ずいぶん長生きだと思いました。人間は五十年しか生きられないというけれど、吉田さんのおばあさんは二人前も長生きをされて、僕はびっくりしました。
「長生きだなア」
といったら、おかあさんが、
「マア、しつれいねえ、長生きをなさることはとてもおめでたいことなのですよ」
とおっしゃいました。長生きをすることがどうしておめでたいのかわからないけれども、でも、僕だって、おとうさんや、おかあさんが長生きをして下さるといいと思う。
吉田さんのおじさんは、二三日僕の家におとまりになることになりました。東京で、あたらしく何かおしごとをおはじめになるということでした。
吉田さんのおじさんは、背がひくくって、とてもよこにふとった人だけれど、子供ずきなおじさんで、僕は大好きです。おじさんはいつもおこった顔をしたことがない。にこにこしていて、とまっていても、ひまがあると何だか用事をみつけてしておられる。薪も割ってもらいました。お餅をつくのにもてつだってついてもらいました。
おじさんは東京に早く家をみつけたいといっておられました。長く住んでいたところは、一番なつかしいといっておられました。
8
おとうさんは、吉田さんのおじさんのおすすめで、お二人で何かお仕事をはじめるといっておられました。
「としがはんぱだから、なかなかいい仕事がみつからなくて――」
とおとうさんがおじさんに話しておられます。
黒鯛は、おかあさんがおやきになりました。僕たちみんなで食べました。おいしくて仕方がない。さっぱりしていて。久しぶりのお魚なので宏ちゃんも、おさかなととね、と大よろこびでした。
おとうさんが、僕と静子に、「黒鯛」という題で作文を書いてごらんとおっしゃいました。静子はあかい顔して、困った、困った、と、むくれていました。
「いつまでですか」と、おとうさんにきくとごはんのあとすぐだとおっしゃいました。僕も困ってしまうけれど、えいッと気合をかけて、とてもいゝのを書こうと思いました。
黒鯛、黒鯛。
なんだか、急に僕の頭はまっくろいおさかなでいっぱいになりました。黒鯛は大きい眼をしています。それでは変かな。まっくろいおさかなが、帆船のように青い海へ走りだしていくような、そんなところが心にうかんで来たけれど、そんな夢みたいなことはなかなかうまく書けません。
吉田さんのおじさんは、
「私がおさかなを持って来たので、健ちゃんたちは大変なめにあいますね」
と笑っておられました。
「なアに、二人ともなかなかめいぶんかでうまいんですよ、いわゆるめいぶんですがね」
とおっしゃいました。何のことだかわからない。
ごはんのあと、僕と静子は机を二つあわせて、まんなかに電気をさげて、作文にかかりました。
「黒鯛っておさかな、にくらしくなったわ。こわい顔してるのね」
静子が、机にひじをついてためいきをつきながらいいました。
僕は、エンピツをけずりながら、しずかにかんがえていました。だって、どこから書いていいのかわからない。第一、黒鯛なんて、おさかなにおめにかかったのは、今朝がはじめてで、いままで絵でみたくらいなもので、たべたこともなかったのだもの‥‥」
「健ちゃん待っててね、出来ても待っててね」
「ああいいよ、そのかわり静子が出来たら待っているんだよ」
二人はかたく約束しました。
静子は勉強する時、いつもするように鼻ばかりかんでいます。
僕は、エンピツのしんを細くけずらなければ書けないくせがあるので、三本のエンピツをみんなていねいにけずっておきます。
静子は、なかなか書けないとみえて、もじもじばかりしています。
「黒鯛って寒いところのおさかなかしら」ときかれても僕はだまっていることにしました。かまっていては僕が書けなくなってしまうからです。
「ねえ、どんなところに住んでいるの。浅いところかしら、深いところかしら‥‥ずいぶん骨の太いおさかなね。うろこが大きいわねえ」
僕はじろりとにらみつけて、静子には返事をしない事にしました。
「あれはおさしみにならないっておかあさんいったわ、おさしみにするにはまずいって」
あいかわらずしらん顔をしていました。
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