三男 いつのこと?
母 ずっとむかしのことさ。
三男 ふうん。おかしいなあ。かあさんは、はじめからおとなじゃなかったの?
母 そんなことありませんよ。どこのおかあさんでも、はじめは赤ん坊で、それから子どもになって、それから娘さんになって、それからお嫁にいって、それから子どもをうんで、そして、おかあさんになるのさ。
三男 (じぶんの腕を見て)ぼく、おとなになれるかしら。ぼく、おとなにならないよ。そんな気がするんだもの。
母 なれますよ。いまに、大きくじょうぶになりますよ。
(長女だまってはいってきて戸口で立っている)
母 おや、あやちゃん、いかなかったの?
(長女うなずく)
母 なにか忘れたの?
(長女、首を横にふる)
母 どうしたのさ。びっくりしたみたいに目を見はって。
長女 あたし、鐘撞堂の下んところから、帰ってきたの。
母 こっちへ、おいで。戸口のとこになんか立っていないで。まあ、どうしたのさ、息なんかきらして。どうして鐘撞堂のところから帰ってきたの?
長女 あたし、なんだか知らないわ。なんだか知らないけど走ってきたの。鐘撞堂のところまでいったら、一ぺんで帰りたくなったの。
母 へんな子だね。じゃあ、もうお祭にいかないの。
(女の子うなずく)
母 せっかくあそこまでいって、帰ってくることなんかないじゃないの。あそこからもうじき、お宮さんじゃありませんか。あとでいけばよかったって、知りませんよ。
長女 いいのよ、おかあさん。
母 それじゃあ、そんなとこに立ってないで、こっちへいらっしゃい。(病気の子どもに)よし坊はもうお薬を飲まなきゃいけませんね、まだあったかしら。おや、もうからですね。それじゃあ、かあさんがお薬をとってきますから、よし坊ちゃんはねえさんと遊んでるね。
(長女あがってきて、よし坊の枕もとにすわる。母、用意をする)
三男 かあさん、近道していくといいよ。
母 近道って? おまえお医者さんのお家へいく近道知ってるの?
三男 井戸車のある家と、めくらのじいさんのお家の間をとおっていくとね、杉の垣根にあながあいてるからね、そこをくぐると、お医者さんちの裏だよ。垣根をくぐったときにね、頭に気をつけないと、物置からさがってる樋にぶつかるよ。
母 あきれた子だね。そんなとこをくぐって遊んだのかい。おかあさんは、そんなところはとおれませんよ。
三男 あそこからいくと、とても早いや。
長女 あそこはもうとおれないのよ。井戸車のお家とめくらのじいさんちの間に、からたちの垣根を結んじまったから。よし坊ちゃんはもう長い間見ないから、知らないんだわ。
母 ではいってきますよ。
三男 かあさん、お医者さん家のかどんとこで、去年の綿砂糖のおじいさんが売ってたら、買ってきてね。
母 綿砂糖って?
三男 綿みたいになった砂糖だよ。
母 そんなものを、おまえはたべちゃいけないんですよ。かあさんが、卵を買ってきておいしく煮てあげるからね。
(病気の子、このあたりから力が衰える)
三男 卵なんて、しょっちゅうたべてるんだもの、いやだい。
母 じゃ、お医者さまにきいてみて、たべていいっておっしゃったら、買ってきましょうね。
(母親裏口から去る) (花火の音)
三男 いまの花火、きっと旗が出たよ。
長女 見てきましょうか。
(長女縁側に出て空をあおぐ)
長女 あら、ほんとうに旗が出たわ。雲の下を、北の方へ流れていくわ。……ああいま、学校のうしろの山の上ころよ。あら、山のてっぺんで、だれかが旗の方に手をふっててよ、……もう見えなくなっちゃった。
三男 山の上にだれがいるの?
長女 だれだかわからないわ。
三男 先生じゃないの。
長女 見えやしないわ、そんなことまで。
三男 だめだなあ、おねえさんの目なんか。
(女の子、枕もとにすわる)
三男 旗は、どこまでとんでくかなあ。
長女 やた村に、きっと落ちるわ。
三男 やた村で落ちないで、もっとどんどんとんでったらどこへいくんだろう。
長女 知らないわ、そんなこと。
三男 どっかの黒い海にいくよ。
長女 そうかしら。
三男 だめだなあ、おねえさんなんか。なんにも知らないや。
長女 知ってるわ、あたしだって。
三男 知らないや。
(沈黙。すぐ近くでひばりが鳴きはじめる)
三男 くにちゃんとこでもらった雛を持っておいでよ。
長女 どうするの? よし坊ちゃんがねてる間に、もう餌をやっといたわよ。
三男 もってこいよ。
長女 もってきてどうするのさ。にいさんたちに見つかると、とりあげられちまうわよ。
三男 にいちゃんたち、祭にいってら、ばか。
(女の子、裏口から出ていって、すぐボール箱を持ってはいってくる)
三男 箱から出して、ぼくの手にのせてくれよ。
長女 だめよ、そんなことしちゃ。まだ弱いんだから、手にとったら死んでしまうわよ。
三男 いいんだったら。
長女 いやよ。あたしがくにちゃんとこのおじさんにいただいてきたのよ。この雛は。
三男 だって、ぼくとふたりでだいじにしろっていったって、ねえさん、ぼくにいったじゃないか。
長女 …………
三男 ぼく、手にのせて見たいんだよ。
長女 あれ、うそよ。
三男 なんだい、うそなことあるもんか。くにちゃんとこのおじさん、ぼくとなかよしなんだもの。
長女 いいえ。うそよ。あたし、よし坊ちゃんを喜ばしてやろうと思って、うそいったのよ。ほんとうは、あたしだけにくれたんだわ。
三男 なんだい、ねえさんのうそつき。そんなら、そんなもの、殺しちゃうぞ。
長女 いやだわ、いやだわ。
三男 よこせ、よこせってば。
長女 よし坊ちゃん、いやよ、そんな顔しちゃ。
三男 よこせってば。ねえさんばか。あや子ばか。よこせってば。
(女の子、策つきて箱から雛をとり出して病気の子に渡す)
長女 ね、お願いだから、殺さないでね……あっ、いけないわ、そんなににぎっちゃあ……こわいもんだから、足がぶるぶるふるえてるわ……もうはなして……よし坊ちゃん……もうはなしてよ、よし坊ちゃん……。
三男 ぼくの手にふるえが伝わってくるよ。軽いなあ。
長女 かあいそうだわ。足をもがいてるわ。そんなに持ってると、びっくらして死んじまうことよ。
(病気の子そっと雛をもったまま、長く見ている) (女の子安心する)
長女 毛、やわらかいでしょ。
病気の子、だまって雛をかえす。 女の子箱にしまって、裏口から出ていく。 はやしの音が近づいてくる。 微風の中から桜の花びらが病気の子のわきに落ちる。病気の子は動かない。 女の子入ってくる。
長女 おはやしがこっちへやってくるかね。
三男 塩屋さんとこまでくるきりだい。あそこからまた帰ってしまうんだ。
長女 あの太鼓ね、おキンちゃんとこのにいさんがたたいてるのよ。今年はじめてだって。
(はやしの音止む)
長女 あら、もう塩屋さんとこのまえまできたわ。あそこのしいの木の下で休むのよ。
三男 …………
長女 (心細くなって)かあさんもう帰ってらっしゃらないかしら。よし坊ちゃん、ねむくない? すこし風が出てきたわね。障子しめましょうか?
三男 しめなくてもいいや。
(このあたりから病気の子の声、とみに衰える)
長女 でも、あたしなんだか寒いわ。裏のやぶがさわいでるわ。
(はやしの音、再びはじまる。そしてだんだん遠ざかっていく)
長女 あら、もう帰っていくのね。
(間)
長女 よし坊ちゃん。
(間)
長女 よし坊ちゃん。
三男 まだきこえるね、ねえちゃん。
長女 ええ、まだきこえるわ。もうじき、土塀の家の角をまがると、きこえなくなるわ。ほら、もうきこえなくなったでしょう。
三男 まだきこえるよ。
長女 でももう蚊が鳴くほどだけよ。
(間)
長女 もうなんにもきこえなくなってよ。こんどは、村のあっちのはしへいくのだわね。
三男 まだきこえるよ。
長女 あんたの耳の中に笛の音が残ってるんだわ。
三男 まだきこえるよ。
(間)
長女 なにをそんなにあたしの顔見てるの。いやよ、よし坊ちゃん。
三男 もうせん、ねえちゃんと花のかくしっこしたろう。
長女 いつのこと?
三男 ぼくが病気になるまえにしたよ。貝がらでふせて土の下にかくしたじゃないか。
長女 あ、そうね。あんときよし坊ちゃんがかくしてきたの、あたしいくらさがしても見つけなかったわね。そして、よし坊ちゃんが、あの日の夕方から病気になったから、あれきりになったんだわ。どこへかくしといたの?
三男 裏のきんかんの木の下だよ。
長女 あら、よし坊ちゃんずるいわ。かけひの向こうはやぶだから、いけないってきめてあったじゃないの。ずるいわ、よし坊ちゃんたら。
三男 まだあるかなあ。
長女 あんなとこだれもほらなくてよ。あたし見てこようか。
(女の子裏口から出ていく。やがて貝のからを持って帰ってくる)
長女 あったわ。かけひで洗ってきてよ。
三男 花はあった?
長女 しなびてたわ。
三男 しなびてた?
長女 しなびるわよ、冬を越したんですもの。
三男 ぼくのかばんのお弁当入れるところにね、もうひとつ貝があるから持ってきて。
(女の子さがして持ってくる)
三男 それ合わせてごらんよ。うまく合う?
長女 うまく合うわ。ほら、ちょうどてのひらを合わせたみたい。
(それを病気の子に渡す)
三男 まだ鳴るかなあ。
(口にふくんで弱々しくふく。鳴らない)
長女 土の中にあった間に、どこかきっと欠けたのよ。
三男 鳴るよ。……じっときいてると、いっぱいになるよ。……風の音や笛の音がするよ。……たくさんの音がするよ。どこか遠くの方へ消えていくよ。
長女 うそよ。なにもきこえやしないわ。
(病気の子、貝をくわえたまま耳をすましている。間)
三男 ねえちゃん、……ぼくなんだか軽くなった。あ、ぼくもとんでくよ。風の音や笛の音の中をいっしょに……おかあちゃん……ああ、ぼくもとんでくの……。
長女 なにいってるの、よし坊ちゃん。あんた、どこ見てんの。
三男 花びらや笛の音といっしょに流れてくの。
(女の子とつぜん恐怖にとらわれて立ちあがる)
三男 かあちゃん……。
長女 (さけぶ)よし坊ちゃん! かあさん! あたし、かあさんよんでくるわ。よし坊ちゃん、待ってんのよ!
(女の子裏口からかけ去る)
三男 (弱く)かあちゃん……よし坊とね、鳥もいっしょにとんでくの。
(間) (やぶのさわぐ音)
三男 (さらに弱く)かあちゃん……ぼく遠いの……。
いっそう、やぶのさわぐ音。 風の中から桜の花びらが落ちる。 病気の子の上に、かたわらに。
―幕―
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
上一页 [1] [2] 尾页
|