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最後の胡弓弾き(さいごのこきゅうひき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-21 9:27:05  点击:  切换到繁體中文

     一 

 旧の正月が近くなると、竹藪たけやぶの多いこの小さな村で、毎晩つづみおと胡弓こきゅうのすすりなくような声が聞えた。百姓の中で鼓と胡弓のうまい者が稽古けいこをするのであった。
 そしていよいよ旧正月がやって来ると、その人たちは二人ずつ組になり、一人は鼓を、も一人は胡弓を持って旅に出ていった。上手じょうずな人たちは東京や大阪までいって一月ひとつきも帰らなかった。また信州しんしゅうの寒い山国へ出かけるものもあった。あまり上手でない人や、遠くへいけない人は村からあまり遠くない町へいった。それでも三里はあった。
 町のかどごとに立って胡弓きがひく胡弓にあわせ、鼓を持った太夫たゆうさんがぽんぽんと鼓をのひらで打ちながら、声はりあげて歌うのである。それは何をうたっているのやら、わけのわからないような歌で、おしまいに「や、お芽出めでとう」といって謡いおさめた。すると大抵たいていの家では一銭銅貨をさし出してくれた。それをうけとるのは胡弓弾きの役目だったので、胡弓弾きがおあしいただいているあいだだけ胡弓の声はとぎれるのであった。たまには二銭の大きい銅貨をくれる家もあった。そんなときにはいつもより長く歌を謡うのである。
 ことし十二になった木之助は小さい時から胡弓の音が好きであった。あのおどけたような、また悲しいような声をきくと木之助は何ともいえないうっとりした気持ちになるのであった。それで早くから胡弓を覚えたいと思っていたが、父が許してくれなかった。それが今年は十二になったというので許しが出たのであった。木之助はそこで、毎晩胡弓の上手な牛飼うしかいの家へ習いにかよった。まだ電燈がないころなので、牛飼の小さい家にはすすで黒い天井から洋燈ランプさがり、その下で木之助は好きな胡弓を牛飼について弾いた。
 旧正月がついにやって来た。木之助は従兄いとこの松次郎と組になって村をでかけた。松次郎は太夫さんなので、背中に旭日あさひつるの絵が大きくいてある黒い着物をき、小倉こくらはかまをはき、烏帽子えぼしをかむり、手に鼓を持っていた。木之助はよそ行きの晴衣はれぎにやはり袴をはき、腰に握り飯の包みをぶらさげ、胡弓を持っていた。松次郎はもう二度ばかり門附かどづけに行ったことがあるので、一向平気だったが、始めての木之助ははずかしいような、誇らしいような、心配なような、妙な気持だった。ことに村を出るまでは、顔を知った人たちにあうたびに、顔がぽっとあかくなって、いっそ大きい風呂敷ふろしきにでも胡弓を包んで来ればよかったと思った。それは父親が大奮発だいふんぱつで買ってくれた上等の胡弓だった。
 二人が村を出て峠道とうげみちにさしかかると、うしろから、がらがらと音がして町へ通ってゆく馬車がやって来た。それを見ると松次郎はしめしめ、といった。あいつに乗ってゆこう、といった。
 木之助はおあしを持っていなかったので、
「おれ、一銭もないもん」というと、
馬鹿ばかだな、ただ乗りするんだ」と言った。
 馬車は輪鉄わがねの音をやかましくあたりに響かせながら近附いて来た。いつもの、つんぼじいさんが馭者台ぎょしゃだいにのっていた。それは木之助の村から五里ばかり西の海ばたの町から、木之助の村を通って東の町へ、一日に二度ずつ通う馬車であった。木之助と松次郎は道のぐろにのいて馬車をやりすごした。
 馬車のうしろには、乗客が乗りりするとき足を掛ける小さい板がついていた。松次郎はそれにうまくびついて、うしろ向きに腰をかけた。木之助の場所はもうなかったので木之助は馬車について走らなければならなかった。胡弓を持っているし、坂道なので木之助はふうふう言いながら走ったが、沢山たくさん走る必要はなかった。
 馬車は半町はんちょうもいかないうちにぴたととまってしまった。松次郎はあわてて跳びおりた。ほっぽこ頭巾ずきんからだけ出した馭者の爺さんがむちを持って下りて来た。
「おれ、知らんげや、知らんげや」と松次郎は頭をかかえてわめいた。しかし爺さんは金聾かなつんぼだったので何も聞えなかった。ただ長年の経験で、子供一人でもうしろの板にのるとそれがすぐ体に重く感ぜられるのでわかったのであった。「この馬鹿めが」といって、鞭のの方でこつんと軽く松次郎の耳の上をたたいた。そしてまた馭者台に乗ると馬車を走らせていってしまった。
 松次郎は馬車のうしろにむかって、ペラリと舌を出すと、
糞爺くそじじいの金聾」とふしをつけていって、ぽんぽんと鼓をたたいた。そして木之助と一しょに笑い出した。
 二人が三里の道を歩いて町にはいったのは午前十時ころだった。

       二

 町の入口の餅屋もちやかどから始めて、一軒一軒のき伝いに、二人は胡弓をならし、歌をうたっていった。
 一番始めの餅屋では、木之助はへまをしてしまった。胡弓弾きはいきなり胡弓を鳴らしながらにぎやかにしきいをまたいではいってゆかねばならないのだが、木之助は知らずに、
「ごめんやす」と言ってはいっていった。餅屋のばあさんは、それで木之助を餅を買いに来たお客さんと間違えて、
「へえ、おいでやす、何を差しあげますかなも」と答えたのである。木之助は戸惑いして、もぞもぞしていると、場なれた松次郎が、びっくりするほど大きな声で、明けましてお芽出とうといいながら、鼓をぽぽんと二つ続け様にうってその場をとりつくろってくれた。その婆さんは銭箱ぜにばこから一銭銅貨を出してくれた。木之助は胡弓を鳴らすのをやめて、それを受け取りたもとへ入れた。
 表に出ると松次郎が木之助のことを笑って言った。
「馬鹿だなあ。黙ってはいってきゃええだ」
 それからは木之助はうまくやることが出来た。大抵の家では一銭くれた。五りんをくれる人もあった。中には、青くびた穴あき銭を惜しそうにくれる人もあった。二銭銅貨をうけとったときには木之助は、それが馬鹿に重いような気がした。しっかりとに握っていて外に出るとそーっと開いて松次郎に見せた。二人は顔を見合わせほほえんだ。
 もうおひるを少しすぎた。木之助の袂はずしんずしんと横腹にぶつかるほど重くなった。草鞋わらじばきの足にはうっすら白い砂埃すなぼこりもつもった。朝から大分の道のりを歩いたので腹がいていたが、弁当べんとうを使う場所がなかなか見つからなかった。もう少しゆくと空地あきちがあったから行こうと松次郎が言うので、ついて行って見るとそこには木のも新しい立派な家が立っていたりした。
 腹がへってはかちはとれぬから、もう仕方がない、横丁よこちょうにでもはいって家のかげで食べようと話をきめたとき、二人は大きい門構もんがまえの家の前を通りかかった。そこには立派な門松かどまつが立ててあり、門の片方の柱には、味噌みそたまりと大きく書かれた木のふだがかかっていた。黒い板塀いたべいで囲まれた屋敷は広くて、倉のようなものが三つもあった。
「あ、ここだ、ここは去年五銭くれたぞ」と松次郎がいった。で二人は、そこをもう一軒すましてから弁当をとることにした。
 木之助が先になってはいってゆくと、
「う、う、う……」と低くうなる声がした。木之助はぎくりとした。犬が大嫌だいきらいだったのだ。
「松つあん、さきいってくれや」と松次郎に嘆願すると、
「胡弓がさきにはいってかにゃ、出来んじゃねえか」と答えた。松次郎もこわかったのに違いない。
 木之助はとらの尾でもふむように、びくびくしながら玄関の方へ近づいてゆくと、足はまた自然にとまってしまった。大きな赤犬が、入口の用水桶ようすいおけの下にうずくまってこちらを見ているのだった。
「松つあん、さき行ってや」と木之助は泣きそうになっていった。
「馬鹿、胡弓がさき行くじゃねえか」と松次郎は吐き出すようにいったが、松次郎のも恐ろしそうに犬の方を見ていた。
 二人はもどって行こうかと思った。しかし五銭のことを思うと残念だった。そこで木之助が勇気を出して、一足ふみ出して見た。すると犬は、右にねていたしっぽを左へこてんとかえした。また木之助は動けなくなってしまった。
 五銭はしかったし、犬は恐ろしかったので、二人は進退に困っていると、うしろから誰かがやって来た。この家の下男げなんのような人で法被はっぴをきていた。木之助たちを見ると、
「小さい門附けが来たな、どうしただ、犬がおそげえのか」といって人がさそうに笑った。犬はその人を見るとむくりと体を起して、尾を三つばかり振った。その男の人は犬の頭をなでながら、
「よしよし、トラ、おうよしよし」と犬にいい、それから木之助たちの方に向いて、
「この犬はおとなしいから大丈夫だ。遠慮せんではいれ、はいれ」とすすめた。
「おっつあん、しっかりつかんどってな」と松次郎が頼んだ。
「おう、よし」と小父おじさんは答えた。
 トラ――恐ろしい名だな、おとなしい犬だと小父さんはいったがうそだろう、と木之助は思いながら立派な広い入口をはいった。
 正面に衝立ついたてが立っていて、その前に三宝さんぽうが置いてある、古めかしいきれいな広い玄関だった。胡弓や鼓の音がよく響き、奥へ吸いこまれてゆくようで自分ながら気持ちがよかった。
 この家の主人らしい、頭に白髪しらがのまじったやさしそうな男の人が衝立のかげから出て来て、木之助と松次郎を見ると、にこにこと笑いながら、
「ほっ、二人とも子供だな」といった。

       三

 木之助は、子供だから五銭もやる必要がないなどと思われてはいけないと、一層心をこめて胡弓をいた。
 一曲終ったとき主人は、
「ちょっと休めよ」といった。変にれなれしい感じのする人だ。松次郎は去年も来て知っていたが木之助は始めてなので妙な気がした。
 ちょっと休めよなどと友達にでもいうように心安くいってくれたのはこの人だけである。木之助はぼけんとつったっていた。五銭はくれないのか知らん。胡弓が下手まずいのかな。
「こっちの子供は去年も来たような気がするが、こっちの(と木之助を見て)小さい方は今年ことしはじめてだな」
 木之助は小さく見られるのがしゃくだったのでわからないようにちょっと背伸びした。
「お前たちは何処どこから来たんだ」
 松次郎が自分たちの村の名を言った。
「そうか、今朝けさたって来たのか」
「ああ」
「昼飯、たべたか」
「まだだ」と松次郎が一人で喋舌しゃべった。「弁当持っとるけんど、食べるとこがねえもん」
「じゃ、ここで食べていけよ、うまいものをやるから」
 松次郎はもぞもぞした。五銭はいつくれるのか知らんと木之助は思った。
 二人がまだどっちとも決めずにいるうちに、主人は一人できめてしまって、じゃちょっと待っておれよ、といって奥へ姿を消した。
 やがて奥から、色の白い、眼の細い、意地いじの悪そうな女中じょちゅうが、手に大きいさらを持って出て来たが、その時もまだ二人は、どうしたものかと思案しあんにくれて土間どまにつったっていた。
 女中はつんとしたように皿を式台しきだいの上に置くと、
「おたべよ」と突慳貪つっけんどんにいって、少し身を退き、立ったまま流しめに二人の方を見おろしていた。皿の中にはうまそうな昆布巻こんぶまきや、たつくりや、まだ何かが一ぱいあった。
「よばれていこうよ」と松次郎がいった。木之助もたべたくなったのでうんと答えて胡弓を弓と一しょにして式台のすみの方へそっと置くと、女中は胡弓をじろりと見た。
 松次郎と木之助は、はやく女中がひっこんでくれないかなと思いながら、式台に腰をおろして腰の風呂敷包ふろしきつつみをほどいた。中から竹皮に包まれた握り飯があらわれた。女中はそれも横目でじろりと見た。
 食べにかかると握り飯も御馳走ごちそうもすばらしく美味うまいので、女中のことなどそっちのけにしてむしゃむしゃ頬張ほおばった。女中はじっとそれを見ていたが、もうこらえられなくなったと見えて、
「まあきたない足」といった。松次郎と木之助は食べながら自分の足を見ると、ほんとに女中のいった通りだった。紺足袋こんたびの上に草鞋わらじ穿いていたが、砂埃すなぼこりで真白だった。二人は仕方ないので黙々と御馳走を手でつまんではたべた。
「まあ、乞食こじきみたい」。しばらくするとまた女中が刺すような声でいった。指の間にくっついた飯粒を舌の先でとりながら、木之助が松次郎を見ると、いかにも女中がいった通り松次郎は乞食の子のようにうすぎたなく見えた。松次郎もまた、木之助を見てそう思った。
「まあ、よく食べるわ、豚みたい」。木之助が五つ目の握飯をたべようとして口をあいたとき女中がまたいった。木之助は、ほんとにそうだと思って、ぱくりといついた。
「耳の中にあかなんかためて」。しばらくするとまた女中がいった。木之助は松次郎の耳の中を見ると、はたして汚く垢がたまっていた。松次郎の方でも木之助の耳の中にたまっている垢をみとめた。
 やがて衝立ついたての向うに、とんとんという足音が聞えて来ると、女中はついと身をひるがえして何処どこかへ行ってしまい、代りにさっきの優しい主人があらわれた。
「どうだうまいか」といって、主人はそこにかがんだ。松次郎が胸につかえたのでこぶしでたたいていると、おやあいつ、お茶を持って来なかったんだな、いいつけといたのに、とつぶやいた。そのとき今の女中がお茶を持って来て、すました顔でそこへ置くとまたひっこんで行った。
「大きな握飯だな、いくつ持って来たんだ」と主人は一つ残った木之助のおむすびを見ていった。六つと木之助は答えた。この半白の頭をした男の人は、さっきより一層したしくなったように木之助には感じられた。
 木之助たちがべ終って、「ご馳走ちそうさん」と頭をさげると、主人はなおも、いろんなことを二人に話しかけ、たずねた。これから行く先だとか、家の職業だとか、大きくなったら何になるのだとか。木之助の胡弓は大層うまいとほめてくれた。木之助はうれしかった。「こんど来るときはもっと仰山ぎょうさん弾けるようにして来て、いろんな曲をきかしてくれや」といったので木之助は「ああ」といった。すると主人はたもとの底をがさごそとさがしていて紙のひねったのを二つ取り出し、一つずつ二人にくれた。
 二人は門の外に出るとすぐ紙を開いて見た。十銭玉が一つずつあらわれた。

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