五
二十四時間の出来事を洩れなく書いて、洩れなく読むには少なくも二十四時間かかるだろう、いくら写生文を鼓吹する吾輩でもこれは到底猫の企て及ぶべからざる芸当と自白せざるを得ない。従っていかに吾輩の主人が、二六時中精細なる描写に価する奇言奇行を弄するにも関らず逐一これを読者に報知するの能力と根気のないのははなはだ遺憾である。遺憾ではあるがやむを得ない。休養は猫といえども必要である。鈴木君と迷亭君の帰ったあとは木枯しのはたと吹き息んで、しんしんと降る雪の夜のごとく静かになった。主人は例のごとく書斎へ引き籠る。小供は六畳の間へ枕をならべて寝る。一間半の襖を隔てて南向の室には細君が数え年三つになる、めん子さんと添乳して横になる。花曇りに暮れを急いだ日は疾く落ちて、表を通る駒下駄の音さえ手に取るように茶の間へ響く。隣町の下宿で明笛を吹くのが絶えたり続いたりして眠い耳底に折々鈍い刺激を与える。外面は大方朧であろう。晩餐に半ぺんの煮汁で鮑貝をからにした腹ではどうしても休養が必要である。
ほのかに承われば世間には猫の恋とか称する俳諧趣味の現象があって、春さきは町内の同族共の夢安からぬまで浮かれ歩るく夜もあるとか云うが、吾輩はまだかかる心的変化に遭逢した事はない。そもそも恋は宇宙的の活力である。上は在天の神ジュピターより下は土中に鳴く蚯蚓、おけらに至るまでこの道にかけて浮身を窶すのが万物の習いであるから、吾輩どもが朧うれしと、物騒な風流気を出すのも無理のない話しである。回顧すればかく云う吾輩も三毛子に思い焦がれた事もある。三角主義の張本金田君の令嬢阿倍川の富子さえ寒月君に恋慕したと云う噂である。それだから千金の春宵を心も空に満天下の雌猫雄猫が狂い廻るのを煩悩の迷のと軽蔑する念は毛頭ないのであるが、いかんせん誘われてもそんな心が出ないから仕方がない。吾輩目下の状態はただ休養を欲するのみである。こう眠くては恋も出来ぬ。のそのそと小供の布団の裾へ廻って心地快く眠る。……
ふと眼を開いて見ると主人はいつの間にか書斎から寝室へ来て細君の隣に延べてある布団の中にいつの間にか潜り込んでいる。主人の癖として寝る時は必ず横文字の小本を書斎から携えて来る。しかし横になってこの本を二頁と続けて読んだ事はない。ある時は持って来て枕元へ置いたなり、まるで手を触れぬ事さえある。一行も読まぬくらいならわざわざ提げてくる必要もなさそうなものだが、そこが主人の主人たるところでいくら細君が笑っても、止せと云っても、決して承知しない。毎夜読まない本をご苦労千万にも寝室まで運んでくる。ある時は慾張って三四冊も抱えて来る。せんだってじゅうは毎晩ウェブスターの大字典さえ抱えて来たくらいである。思うにこれは主人の病気で贅沢な人が竜文堂に鳴る松風の音を聞かないと寝つかれないごとく、主人も書物を枕元に置かないと眠れないのであろう、して見ると主人に取っては書物は読む者ではない眠を誘う器械である。活版の睡眠剤である。
今夜も何か有るだろうと覗いて見ると、赤い薄い本が主人の口髯の先につかえるくらいな地位に半分開かれて転がっている。主人の左の手の拇指が本の間に挟まったままであるところから推すと奇特にも今夜は五六行読んだものらしい。赤い本と並んで例のごとくニッケルの袂時計が春に似合わぬ寒き色を放っている。
細君は乳呑児を一尺ばかり先へ放り出して口を開いていびきをかいて枕を外している。およそ人間において何が見苦しいと云って口を開けて寝るほどの不体裁はあるまいと思う。猫などは生涯こんな恥をかいた事がない。元来口は音を出すため鼻は空気を吐呑するための道具である。もっとも北の方へ行くと人間が無精になってなるべく口をあくまいと倹約をする結果鼻で言語を使うようなズーズーもあるが、鼻を閉塞して口ばかりで呼吸の用を弁じているのはズーズーよりも見ともないと思う。第一天井から鼠の糞でも落ちた時危険である。
小供の方はと見るとこれも親に劣らぬ体たらくで寝そべっている。姉のとん子は、姉の権利はこんなものだと云わぬばかりにうんと右の手を延ばして妹の耳の上へのせている。妹のすん子はその復讐に姉の腹の上に片足をあげて踏反り返っている。双方共寝た時の姿勢より九十度はたしかに廻転している。しかもこの不自然なる姿勢を維持しつつ両人とも不平も云わずおとなしく熟睡している。
さすがに春の灯火は格別である。天真爛漫ながら無風流極まるこの光景の裏に良夜を惜しめとばかり床しげに輝やいて見える。もう何時だろうと室の中を見廻すと四隣はしんとしてただ聞えるものは柱時計と細君のいびきと遠方で下女の歯軋りをする音のみである。この下女は人から歯軋りをすると云われるといつでもこれを否定する女である。私は生れてから今日に至るまで歯軋りをした覚はございませんと強情を張って決して直しましょうとも御気の毒でございますとも云わず、ただそんな覚はございませんと主張する。なるほど寝ていてする芸だから覚はないに違ない。しかし事実は覚がなくても存在する事があるから困る。世の中には悪い事をしておりながら、自分はどこまでも善人だと考えているものがある。これは自分が罪がないと自信しているのだから無邪気で結構ではあるが、人の困る事実はいかに無邪気でも滅却する訳には行かぬ。こう云う紳士淑女はこの下女の系統に属するのだと思う。――夜は大分更けたようだ。
台所の雨戸にトントンと二返ばかり軽く中った者がある。はてな今頃人の来るはずがない。大方例の鼠だろう、鼠なら捕らん事に極めているから勝手にあばれるが宜しい。――またトントンと中る。どうも鼠らしくない。鼠としても大変用心深い鼠である。主人の内の鼠は、主人の出る学校の生徒のごとく日中でも夜中でも乱暴狼藉の練修に余念なく、憫然なる主人の夢を驚破するのを天職のごとく心得ている連中だから、かくのごとく遠慮する訳がない。今のはたしかに鼠ではない。せんだってなどは主人の寝室にまで闖入して高からぬ主人の鼻の頭を囓んで凱歌を奏して引き上げたくらいの鼠にしてはあまり臆病すぎる。決して鼠ではない。今度はギーと雨戸を下から上へ持ち上げる音がする、同時に腰障子を出来るだけ緩やかに、溝に添うて滑らせる。いよいよ鼠ではない。人間だ。この深夜に人間が案内も乞わず戸締を外ずして御光来になるとすれば迷亭先生や鈴木君ではないに極っている。御高名だけはかねて承わっている泥棒陰士ではないか知らん。いよいよ陰士とすれば早く尊顔を拝したいものだ。陰士は今や勝手の上に大いなる泥足を上げて二足ばかり進んだ模様である。三足目と思う頃揚板に蹶いてか、ガタリと夜に響くような音を立てた。吾輩の背中の毛が靴刷毛で逆に擦すられたような心持がする。しばらくは足音もしない。細君を見ると未だ口をあいて太平の空気を夢中に吐呑している。主人は赤い本に拇指を挟まれた夢でも見ているのだろう。やがて台所でマチを擦る音が聞える。陰士でも吾輩ほど夜陰に眼は利かぬと見える。勝手がわるくて定めし不都合だろう。
この時吾輩は蹲踞まりながら考えた。陰士は勝手から茶の間の方面へ向けて出現するのであろうか、または左へ折れ玄関を通過して書斎へと抜けるであろうか。――足音は襖の音と共に椽側へ出た。陰士はいよいよ書斎へ這入った。それぎり音も沙汰もない。
吾輩はこの間に早く主人夫婦を起してやりたいものだとようやく気が付いたが、さてどうしたら起きるやら、一向要領を得ん考のみが頭の中に水車の勢で廻転するのみで、何等の分別も出ない。布団の裾を啣えて振って見たらと思って、二三度やって見たが少しも効用がない。冷たい鼻を頬に擦り付けたらと思って、主人の顔の先へ持って行ったら、主人は眠ったまま、手をうんと延ばして、吾輩の鼻づらを否やと云うほど突き飛ばした。鼻は猫にとっても急所である。痛む事おびただしい。此度は仕方がないからにゃーにゃーと二返ばかり鳴いて起こそうとしたが、どう云うものかこの時ばかりは咽喉に物が痞えて思うような声が出ない。やっとの思いで渋りながら低い奴を少々出すと驚いた。肝心の主人は覚める気色もないのに突然陰士の足音がし出した。ミチリミチリと椽側を伝って近づいて来る。いよいよ来たな、こうなってはもう駄目だと諦らめて、襖と柳行李の間にしばしの間身を忍ばせて動静を窺がう。
陰士の足音は寝室の障子の前へ来てぴたりと已む。吾輩は息を凝らして、この次は何をするだろうと一生懸命になる。あとで考えたが鼠を捕る時は、こんな気分になれば訳はないのだ、魂が両方の眼から飛び出しそうな勢である。陰士の御蔭で二度とない悟を開いたのは実にありがたい。たちまち障子の桟の三つ目が雨に濡れたように真中だけ色が変る。それを透して薄紅なものがだんだん濃く写ったと思うと、紙はいつか破れて、赤い舌がぺろりと見えた。舌はしばしの間に暗い中に消える。入れ代って何だか恐しく光るものが一つ、破れた孔の向側にあらわれる。疑いもなく陰士の眼である。妙な事にはその眼が、部屋の中にある何物をも見ないで、ただ柳行李の後に隠れていた吾輩のみを見つめているように感ぜられた。一分にも足らぬ間ではあったが、こう睨まれては寿命が縮まると思ったくらいである。もう我慢出来んから行李の影から飛出そうと決心した時、寝室の障子がスーと明いて待ち兼ねた陰士がついに眼前にあらわれた。
吾輩は叙述の順序として、不時の珍客なる泥棒陰士その人をこの際諸君に御紹介するの栄誉を有する訳であるが、その前ちょっと卑見を開陳してご高慮を煩わしたい事がある。古代の神は全智全能と崇められている。ことに耶蘇教の神は二十世紀の今日までもこの全智全能の面を被っている。しかし俗人の考うる全智全能は、時によると無智無能とも解釈が出来る。こう云うのは明かにパラドックスである。しかるにこのパラドックスを道破した者は天地開闢以来吾輩のみであろうと考えると、自分ながら満更な猫でもないと云う虚栄心も出るから、是非共ここにその理由を申し上げて、猫も馬鹿に出来ないと云う事を、高慢なる人間諸君の脳裏に叩き込みたいと考える。天地万有は神が作ったそうな、して見れば人間も神の御製作であろう。現に聖書とか云うものにはその通りと明記してあるそうだ。さてこの人間について、人間自身が数千年来の観察を積んで、大に玄妙不思議がると同時に、ますます神の全智全能を承認するように傾いた事実がある。それは外でもない、人間もかようにうじゃうじゃいるが同じ顔をしている者は世界中に一人もいない。顔の道具は無論極っている、大さも大概は似たり寄ったりである。換言すれば彼等は皆同じ材料から作り上げられている、同じ材料で出来ているにも関らず一人も同じ結果に出来上っておらん。よくまああれだけの簡単な材料でかくまで異様な顔を思いついた者だと思うと、製造家の伎倆に感服せざるを得ない。よほど独創的な想像力がないとこんな変化は出来んのである。一代の画工が精力を消耗して変化を求めた顔でも十二三種以外に出る事が出来んのをもって推せば、人間の製造を一手で受負った神の手際は格別な者だと驚嘆せざるを得ない。到底人間社会において目撃し得ざる底の伎倆であるから、これを全能的伎倆と云っても差し支えないだろう。人間はこの点において大に神に恐れ入っているようである、なるほど人間の観察点から云えばもっともな恐れ入り方である。しかし猫の立場から云うと同一の事実がかえって神の無能力を証明しているとも解釈が出来る。もし全然無能でなくとも人間以上の能力は決してない者であると断定が出来るだろうと思う。神が人間の数だけそれだけ多くの顔を製造したと云うが、当初から胸中に成算があってかほどの変化を示したものか、または猫も杓子も同じ顔に造ろうと思ってやりかけて見たが、とうてい旨く行かなくて出来るのも出来るのも作り損ねてこの乱雑な状態に陥ったものか、分らんではないか。彼等顔面の構造は神の成功の紀念と見らるると同時に失敗の痕迹とも判ぜらるるではないか。全能とも云えようが、無能と評したって差し支えはない。彼等人間の眼は平面の上に二つ並んでいるので左右を一時に見る事が出来んから事物の半面だけしか視線内に這入らんのは気の毒な次第である。立場を換えて見ればこのくらい単純な事実は彼等の社会に日夜間断なく起りつつあるのだが、本人逆せ上がって、神に呑まれているから悟りようがない。製作の上に変化をあらわすのが困難であるならば、その上に徹頭徹尾の模傚を示すのも同様に困難である。ラファエルに寸分違わぬ聖母の像を二枚かけと注文するのは、全然似寄らぬマドンナを双幅見せろと逼ると同じく、ラファエルにとっては迷惑であろう、否同じ物を二枚かく方がかえって困難かも知れぬ。弘法大師に向って昨日書いた通りの筆法で空海と願いますと云う方がまるで書体を換えてと注文されるよりも苦しいかも分らん。人間の用うる国語は全然模傚主義で伝習するものである。彼等人間が母から、乳母から、他人から実用上の言語を習う時には、ただ聞いた通りを繰り返すよりほかに毛頭の野心はないのである。出来るだけの能力で人真似をするのである。かように人真似から成立する国語が十年二十年と立つうち、発音に自然と変化を生じてくるのは、彼等に完全なる模傚の能力がないと云う事を証明している。純粋の模傚はかくのごとく至難なものである。従って神が彼等人間を区別の出来ぬよう、悉皆焼印の御かめのごとく作り得たならばますます神の全能を表明し得るもので、同時に今日のごとく勝手次第な顔を天日に曝らさして、目まぐるしきまでに変化を生ぜしめたのはかえってその無能力を推知し得るの具ともなり得るのである。
吾輩は何の必要があってこんな議論をしたか忘れてしまった。本を忘却するのは人間にさえありがちの事であるから猫には当然の事さと大目に見て貰いたい。とにかく吾輩は寝室の障子をあけて敷居の上にぬっと現われた泥棒陰士を瞥見した時、以上の感想が自然と胸中に湧き出でたのである。なぜ湧いた?――なぜと云う質問が出れば、今一応考え直して見なければならん。――ええと、その訳はこうである。
吾輩の眼前に悠然とあらわれた陰士の顔を見るとその顔が――平常神の製作についてその出来栄をあるいは無能の結果ではあるまいかと疑っていたのに、それを一時に打ち消すに足るほどな特徴を有していたからである。特徴とはほかではない。彼の眉目がわが親愛なる好男子水島寒月君に瓜二つであると云う事実である。吾輩は無論泥棒に多くの知己は持たぬが、その行為の乱暴なところから平常想像して私かに胸中に描いていた顔はないでもない。小鼻の左右に展開した、一銭銅貨くらいの眼をつけた、毬栗頭にきまっていると自分で勝手に極めたのであるが、見ると考えるとは天地の相違、想像は決して逞くするものではない。この陰士は背のすらりとした、色の浅黒い一の字眉の、意気で立派な泥棒である。年は二十六七歳でもあろう、それすら寒月君の写生である。神もこんな似た顔を二個製造し得る手際があるとすれば、決して無能をもって目する訳には行かぬ。いや実際の事を云うと寒月君自身が気が変になって深夜に飛び出して来たのではあるまいかと、はっと思ったくらいよく似ている。ただ鼻の下に薄黒く髯の芽生えが植え付けてないのでさては別人だと気が付いた。寒月君は苦味ばしった好男子で、活動小切手と迷亭から称せられたる、金田富子嬢を優に吸収するに足るほどな念入れの製作物である。しかしこの陰士も人相から観察するとその婦人に対する引力上の作用において決して寒月君に一歩も譲らない。もし金田の令嬢が寒月君の眼付や口先に迷ったのなら、同等の熱度をもってこの泥棒君にも惚れ込まなくては義理が悪い。義理はとにかく、論理に合わない。ああ云う才気のある、何でも早分りのする性質だからこのくらいの事は人から聞かんでもきっと分るであろう。して見ると寒月君の代りにこの泥棒を差し出しても必ず満身の愛を捧げて琴瑟調和の実を挙げらるるに相違ない。万一寒月君が迷亭などの説法に動かされて、この千古の良縁が破れるとしても、この陰士が健在であるうちは大丈夫である。吾輩は未来の事件の発展をここまで予想して、富子嬢のために、やっと安心した。この泥棒君が天地の間に存在するのは富子嬢の生活を幸福ならしむる一大要件である。
陰士は小脇になにか抱えている。見ると先刻主人が書斎へ放り込んだ古毛布である。唐桟の半纏に、御納戸の博多の帯を尻の上にむすんで、生白い脛は膝から下むき出しのまま今や片足を挙げて畳の上へ入れる。先刻から赤い本に指を噛まれた夢を見ていた、主人はこの時寝返りを堂と打ちながら「寒月だ」と大きな声を出す。陰士は毛布を落して、出した足を急に引き込ます。障子の影に細長い向脛が二本立ったまま微かに動くのが見える。主人はうーん、むにゃむにゃと云いながら例の赤本を突き飛ばして、黒い腕を皮癬病みのようにぼりぼり掻く。そのあとは静まり返って、枕をはずしたなり寝てしまう。寒月だと云ったのは全く我知らずの寝言と見える。陰士はしばらく椽側に立ったまま室内の動静をうかがっていたが、主人夫婦の熟睡しているのを見済してまた片足を畳の上に入れる。今度は寒月だと云う声も聞えぬ。やがて残る片足も踏み込む。一穂の春灯で豊かに照らされていた六畳の間は、陰士の影に鋭どく二分せられて柳行李の辺から吾輩の頭の上を越えて壁の半ばが真黒になる。振り向いて見ると陰士の顔の影がちょうど壁の高さの三分の二の所に漠然と動いている。好男子も影だけ見ると、八つ頭の化け物のごとくまことに妙な恰好である。陰士は細君の寝顔を上から覗き込んで見たが何のためかにやにやと笑った。笑い方までが寒月君の模写であるには吾輩も驚いた。
細君の枕元には四寸角の一尺五六寸ばかりの釘付けにした箱が大事そうに置いてある。これは肥前の国は唐津の住人多々良三平君が先日帰省した時御土産に持って来た山の芋である。山の芋を枕元へ飾って寝るのはあまり例のない話しではあるがこの細君は煮物に使う三盆を用箪笥へ入れるくらい場所の適不適と云う観念に乏しい女であるから、細君にとれば、山の芋は愚か、沢庵が寝室に在っても平気かも知れん。しかし神ならぬ陰士はそんな女と知ろうはずがない。かくまで鄭重に肌身に近く置いてある以上は大切な品物であろうと鑑定するのも無理はない。陰士はちょっと山の芋の箱を上げて見たがその重さが陰士の予期と合して大分目方が懸りそうなのですこぶる満足の体である。いよいよ山の芋を盗むなと思ったら、しかもこの好男子にして山の芋を盗むなと思ったら急におかしくなった。しかし滅多に声を立てると危険であるからじっと怺えている。
やがて陰士は山の芋の箱を恭しく古毛布にくるみ初めた。なにかからげるものはないかとあたりを見廻す。と、幸い主人が寝る時に解きすてた縮緬の兵古帯がある。陰士は山の芋の箱をこの帯でしっかり括って、苦もなく背中へしょう。あまり女が好く体裁ではない。それから小供のちゃんちゃんを二枚、主人のめり安の股引の中へ押し込むと、股のあたりが丸く膨れて青大将が蛙を飲んだような――あるいは青大将の臨月と云う方がよく形容し得るかも知れん。とにかく変な恰好になった。嘘だと思うなら試しにやって見るがよろしい。陰士はめり安をぐるぐる首っ環へ捲きつけた。その次はどうするかと思うと主人の紬の上着を大風呂敷のように拡げてこれに細君の帯と主人の羽織と繻絆とその他あらゆる雑物を奇麗に畳んでくるみ込む。その熟練と器用なやり口にもちょっと感心した。それから細君の帯上げとしごきとを続ぎ合わせてこの包みを括って片手にさげる。まだ頂戴するものは無いかなと、あたりを見廻していたが、主人の頭の先に「朝日」の袋があるのを見付けて、ちょっと袂へ投げ込む。またその袋の中から一本出してランプに翳して火を点ける。旨まそうに深く吸って吐き出した煙りが、乳色のホヤを繞ってまだ消えぬ間に、陰士の足音は椽側を次第に遠のいて聞えなくなった。主人夫婦は依然として熟睡している。人間も存外迂濶なものである。
吾輩はまた暫時の休養を要する。のべつに喋舌っていては身体が続かない。ぐっと寝込んで眼が覚めた時は弥生の空が朗らかに晴れ渡って勝手口に主人夫婦が巡査と対談をしている時であった。
「それでは、ここから這入って寝室の方へ廻ったんですな。あなた方は睡眠中で一向気がつかなかったのですな」
「ええ」と主人は少し極りがわるそうである。
「それで盗難に罹ったのは何時頃ですか」と巡査は無理な事を聞く。時間が分るくらいなら何にも盗まれる必要はないのである。それに気が付かぬ主人夫婦はしきりにこの質問に対して相談をしている。
「何時頃かな」
「そうですね」と細君は考える。考えれば分ると思っているらしい。
「あなたは夕べ何時に御休みになったんですか」
「俺の寝たのは御前よりあとだ」
「ええ私しの伏せったのは、あなたより前です」
「眼が覚めたのは何時だったかな」
「七時半でしたろう」
「すると盗賊の這入ったのは、何時頃になるかな」
「なんでも夜なかでしょう」
「夜中は分りきっているが、何時頃かと云うんだ」
「たしかなところはよく考えて見ないと分りませんわ」と細君はまだ考えるつもりでいる。巡査はただ形式的に聞いたのであるから、いつ這入ったところが一向痛痒を感じないのである。嘘でも何でも、いい加減な事を答えてくれれば宜いと思っているのに主人夫婦が要領を得ない問答をしているものだから少々焦れたくなったと見えて
「それじゃ盗難の時刻は不明なんですな」と云うと、主人は例のごとき調子で
「まあ、そうですな」と答える。巡査は笑いもせずに
「じゃあね、明治三十八年何月何日戸締りをして寝たところが盗賊が、どこそこの雨戸を外してどこそこに忍び込んで品物を何点盗んで行ったから右告訴及候也という書面をお出しなさい。届ではない告訴です。名宛はない方がいい」
「品物は一々かくんですか」
「ええ羽織何点代価いくらと云う風に表にして出すんです。――いや這入って見たって仕方がない。盗られたあとなんだから」と平気な事を云って帰って行く。
主人は筆硯を座敷の真中へ持ち出して、細君を前に呼びつけて「これから盗難告訴をかくから、盗られたものを一々云え。さあ云え」とあたかも喧嘩でもするような口調で云う。
「あら厭だ、さあ云えだなんて、そんな権柄ずくで誰が云うもんですか」と細帯を巻き付けたままどっかと腰を据える。
「その風はなんだ、宿場女郎の出来損い見たようだ。なぜ帯をしめて出て来ん」
「これで悪るければ買って下さい。宿場女郎でも何でも盗られりゃ仕方がないじゃありませんか」
「帯までとって行ったのか、苛い奴だ。それじゃ帯から書き付けてやろう。帯はどんな帯だ」
「どんな帯って、そんなに何本もあるもんですか、黒繻子と縮緬の腹合せの帯です」
「黒繻子と縮緬の腹合せの帯一筋――価はいくらくらいだ」
「六円くらいでしょう」
「生意気に高い帯をしめてるな。今度から一円五十銭くらいのにしておけ」
「そんな帯があるものですか。それだからあなたは不人情だと云うんです。女房なんどは、どんな汚ない風をしていても、自分さい宜けりゃ、構わないんでしょう」
「まあいいや、それから何だ」
「糸織の羽織です、あれは河野の叔母さんの形身にもらったんで、同じ糸織でも今の糸織とは、たちが違います」
「そんな講釈は聞かんでもいい。値段はいくらだ」
「十五円」
「十五円の羽織を着るなんて身分不相当だ」
「いいじゃありませんか、あなたに買っていただきゃあしまいし」
「その次は何だ」
「黒足袋が一足」
「御前のか」
「あなたんでさあね。代価が二十七銭」
「それから?」
「山の芋が一箱」
「山の芋まで持って行ったのか。煮て食うつもりか、とろろ汁にするつもりか」
「どうするつもりか知りません。泥棒のところへ行って聞いていらっしゃい」
「いくらするか」
「山の芋のねだんまでは知りません」
「そんなら十二円五十銭くらいにしておこう」
「馬鹿馬鹿しいじゃありませんか、いくら唐津から掘って来たって山の芋が十二円五十銭してたまるもんですか」
「しかし御前は知らんと云うじゃないか」
「知りませんわ、知りませんが十二円五十銭なんて法外ですもの」
「知らんけれども十二円五十銭は法外だとは何だ。まるで論理に合わん。それだから貴様はオタンチン・パレオロガスだと云うんだ」
「何ですって」
「オタンチン・パレオロガスだよ」
「何ですそのオタンチン・パレオロガスって云うのは」
「何でもいい。それからあとは――俺の着物は一向出て来んじゃないか」
「あとは何でも宜うござんす。オタンチン・パレオロガスの意味を聞かして頂戴」
「意味も何にもあるもんか」
「教えて下すってもいいじゃありませんか、あなたはよっぽど私を馬鹿にしていらっしゃるのね。きっと人が英語を知らないと思って悪口をおっしゃったんだよ」
「愚な事を言わんで、早くあとを云うが好い。早く告訴をせんと品物が返らんぞ」
「どうせ今から告訴をしたって間に合いやしません。それよりか、オタンチン・パレオロガスを教えて頂戴」
「うるさい女だな、意味も何にも無いと云うに」
「そんなら、品物の方もあとはありません」
「頑愚だな。それでは勝手にするがいい。俺はもう盗難告訴を書いてやらんから」
「私も品数を教えて上げません。告訴はあなたが御自分でなさるんですから、私は書いていただかないでも困りません」
「それじゃ廃そう」と主人は例のごとくふいと立って書斎へ這入る。細君は茶の間へ引き下がって針箱の前へ坐る。両人共十分間ばかりは何にもせずに黙って障子を睨め付けている。
ところへ威勢よく玄関をあけて、山の芋の寄贈者多々良三平君が上ってくる。多々良三平君はもとこの家の書生であったが今では法科大学を卒業してある会社の鉱山部に雇われている。これも実業家の芽生で、鈴木藤十郎君の後進生である。三平君は以前の関係から時々旧先生の草廬を訪問して日曜などには一日遊んで帰るくらい、この家族とは遠慮のない間柄である。
「奥さん。よか天気でござります」と唐津訛りか何かで細君の前にズボンのまま立て膝をつく。
「おや多々良さん」
「先生はどこぞ出なすったか」
「いいえ書斎にいます」
「奥さん、先生のごと勉強しなさると毒ですばい。たまの日曜だもの、あなた」
「わたしに言っても駄目だから、あなたが先生にそうおっしゃい」
「そればってんが……」と言い掛けた三平君は座敷中を見廻わして「今日は御嬢さんも見えんな」と半分妻君に聞いているや否や次の間からとん子とすん子が馳け出して来る。
「多々良さん、今日は御寿司を持って来て?」と姉のとん子は先日の約束を覚えていて、三平君の顔を見るや否や催促する。多々良君は頭を掻きながら
「よう覚えているのう、この次はきっと持って来ます。今日は忘れた」と白状する。
「いやーだ」と姉が云うと妹もすぐ真似をして「いやーだ」とつける。細君はようやく御機嫌が直って少々笑顔になる。
「寿司は持って来んが、山の芋は上げたろう。御嬢さん喰べなさったか」
「山の芋ってなあに?」と姉がきくと妹が今度もまた真似をして「山の芋ってなあに?」と三平君に尋ねる。
「まだ食いなさらんか、早く御母あさんに煮て御貰い。唐津の山の芋は東京のとは違ってうまかあ」と三平君が国自慢をすると、細君はようやく気が付いて
「多々良さんせんだっては御親切に沢山ありがとう」
「どうです、喰べて見なすったか、折れんように箱を誂らえて堅くつめて来たから、長いままでありましたろう」
「ところがせっかく下すった山の芋を夕べ泥棒に取られてしまって」
「ぬす盗が? 馬鹿な奴ですなあ。そげん山の芋の好きな男がおりますか?」と三平君大に感心している。
「御母あさま、夕べ泥棒が這入ったの?」と姉が尋ねる。
「ええ」と細君は軽く答える。
「泥棒が這入って――そうして――泥棒が這入って――どんな顔をして這入ったの?」と今度は妹が聞く。この奇問には細君も何と答えてよいか分らんので
「恐い顔をして這入りました」と返事をして多々良君の方を見る。
「恐い顔って多々良さん見たような顔なの」と姉が気の毒そうにもなく、押し返して聞く。
「何ですね。そんな失礼な事を」
「ハハハハ私の顔はそんなに恐いですか。困ったな」と頭を掻く。多々良君の頭の後部には直径一寸ばかりの禿がある。一カ月前から出来だして医者に見て貰ったが、まだ容易に癒りそうもない。この禿を第一番に見付けたのは姉のとん子である。
「あら多々良さんの頭は御母さまのように光かってよ」
「だまっていらっしゃいと云うのに」
「御母あさま夕べの泥棒の頭も光かってて」とこれは妹の質問である。細君と多々良君とは思わず吹き出したが、あまり煩わしくて話も何も出来ぬので「さあさあ御前さん達は少し御庭へ出て御遊びなさい。今に御母あさまが好い御菓子を上げるから」と細君はようやく子供を追いやって
「多々良さんの頭はどうしたの」と真面目に聞いて見る。
「虫が食いました。なかなか癒りません。奥さんも有んなさるか」
「やだわ、虫が食うなんて、そりゃ髷で釣るところは女だから少しは禿げますさ」
「禿はみんなバクテリヤですばい」
「わたしのはバクテリヤじゃありません」
「そりゃ奥さん意地張りたい」
「何でもバクテリヤじゃありません。しかし英語で禿の事を何とか云うでしょう」
「禿はボールドとか云います」
「いいえ、それじゃないの、もっと長い名があるでしょう」
「先生に聞いたら、すぐわかりましょう」
「先生はどうしても教えて下さらないから、あなたに聞くんです」
「私はボールドより知りませんが。長かって、どげんですか」
「オタンチン・パレオロガスと云うんです。オタンチンと云うのが禿と云う字で、パレオロガスが頭なんでしょう」
「そうかも知れませんたい。今に先生の書斎へ行ってウェブスターを引いて調べて上げましょう。しかし先生もよほど変っていなさいますな。この天気の好いのに、うちにじっとして――奥さん、あれじゃ胃病は癒りませんな。ちと上野へでも花見に出掛けなさるごと勧めなさい」
「あなたが連れ出して下さい。先生は女の云う事は決して聞かない人ですから」
「この頃でもジャムを舐めなさるか」
「ええ相変らずです」
「せんだって、先生こぼしていなさいました。どうも妻が俺のジャムの舐め方が烈しいと云って困るが、俺はそんなに舐めるつもりはない。何か勘定違いだろうと云いなさるから、そりゃ御嬢さんや奥さんがいっしょに舐めなさるに違ない――」
「いやな多々良さんだ、何だってそんな事を云うんです」
「しかし奥さんだって舐めそうな顔をしていなさるばい」
「顔でそんな事がどうして分ります」
「分らんばってんが――それじゃ奥さん少しも舐めなさらんか」
「そりゃ少しは舐めますさ。舐めたって好いじゃありませんか。うちのものだもの」
「ハハハハそうだろうと思った――しかし本の事、泥棒は飛んだ災難でしたな。山の芋ばかり持って行たのですか」
「山の芋ばかりなら困りゃしませんが、不断着をみんな取って行きました」
「早速困りますか。また借金をしなければならんですか。この猫が犬ならよかったに――惜しい事をしたなあ。奥さん犬の大か奴を是非一丁飼いなさい。――猫は駄目ですばい、飯を食うばかりで――ちっとは鼠でも捕りますか」
「一匹もとった事はありません。本当に横着な図々図々しい猫ですよ」
「いやそりゃ、どうもこうもならん。早々棄てなさい。私が貰って行って煮て食おうか知らん」
「あら、多々良さんは猫を食べるの」
「食いました。猫は旨うござります」
「随分豪傑ね」
下等な書生のうちには猫を食うような野蛮人がある由はかねて伝聞したが、吾輩が平生眷顧を辱うする多々良君その人もまたこの同類ならんとは今が今まで夢にも知らなかった。いわんや同君はすでに書生ではない、卒業の日は浅きにも係わらず堂々たる一個の法学士で、六つ井物産会社の役員であるのだから吾輩の驚愕もまた一と通りではない。人を見たら泥棒と思えと云う格言は寒月第二世の行為によってすでに証拠立てられたが、人を見たら猫食いと思えとは吾輩も多々良君の御蔭によって始めて感得した真理である。世に住めば事を知る、事を知るは嬉しいが日に日に危険が多くて、日に日に油断がならなくなる。狡猾になるのも卑劣になるのも表裏二枚合せの護身服を着けるのも皆事を知るの結果であって、事を知るのは年を取るの罪である。老人に碌なものがいないのはこの理だな、吾輩などもあるいは今のうちに多々良君の鍋の中で玉葱と共に成仏する方が得策かも知れんと考えて隅の方に小さくなっていると、最前細君と喧嘩をして一反書斎へ引き上げた主人は、多々良君の声を聞きつけて、のそのそ茶の間へ出てくる。
「先生泥棒に逢いなさったそうですな。なんちゅ愚な事です」と劈頭一番にやり込める。
「這入る奴が愚なんだ」と主人はどこまでも賢人をもって自任している。
「這入る方も愚だばってんが、取られた方もあまり賢こくはなかごたる」
「何にも取られるものの無い多々良さんのようなのが一番賢こいんでしょう」と細君が此度は良人の肩を持つ。
「しかし一番愚なのはこの猫ですばい。ほんにまあ、どう云う了見じゃろう。鼠は捕らず泥棒が来ても知らん顔をしている。――先生この猫を私にくんなさらんか。こうしておいたっちゃ何の役にも立ちませんばい」
「やっても好い。何にするんだ」
「煮て喰べます」
主人は猛烈なるこの一言を聞いて、うふと気味の悪い胃弱性の笑を洩らしたが、別段の返事もしないので、多々良君も是非食いたいとも云わなかったのは吾輩にとって望外の幸福である。主人はやがて話頭を転じて、
「猫はどうでも好いが、着物をとられたので寒くていかん」と大に銷沈の体である。なるほど寒いはずである。昨日までは綿入を二枚重ねていたのに今日は袷に半袖のシャツだけで、朝から運動もせず枯坐したぎりであるから、不充分な血液はことごとく胃のために働いて手足の方へは少しも巡回して来ない。
「先生教師などをしておったちゃとうていあかんですばい。ちょっと泥棒に逢っても、すぐ困る――一丁今から考を換えて実業家にでもなんなさらんか」
「先生は実業家は嫌だから、そんな事を言ったって駄目よ」
と細君が傍から多々良君に返事をする。細君は無論実業家になって貰いたいのである。
「先生学校を卒業して何年になんなさるか」
「今年で九年目でしょう」と細君は主人を顧みる。主人はそうだとも、そうで無いとも云わない。
「九年立っても月給は上がらず。いくら勉強しても人は褒めちゃくれず、郎君独寂寞ですたい」と中学時代で覚えた詩の句を細君のために朗吟すると、細君はちょっと分りかねたものだから返事をしない。
「教師は無論嫌だが、実業家はなお嫌いだ」と主人は何が好きだか心の裏で考えているらしい。
「先生は何でも嫌なんだから……」
「嫌でないのは奥さんだけですか」と多々良君柄に似合わぬ冗談を云う。
「一番嫌だ」主人の返事はもっとも簡明である。細君は横を向いてちょっと澄したが再び主人の方を見て、
「生きていらっしゃるのも御嫌なんでしょう」と充分主人を凹ましたつもりで云う。
「あまり好いてはおらん」と存外呑気な返事をする。これでは手のつけようがない。
「先生ちっと活溌に散歩でもしなさらんと、からだを壊してしまいますばい。――そうして実業家になんなさい。金なんか儲けるのは、ほんに造作もない事でござります」
「少しも儲けもせん癖に」
「まだあなた、去年やっと会社へ這入ったばかりですもの。それでも先生より貯蓄があります」
「どのくらい貯蓄したの?」と細君は熱心に聞く。
「もう五十円になります」
「一体あなたの月給はどのくらいなの」これも細君の質問である。
「三十円ですたい。その内を毎月五円宛会社の方で預って積んでおいて、いざと云う時にやります。――奥さん小遣銭で外濠線の株を少し買いなさらんか、今から三四個月すると倍になります。ほんに少し金さえあれば、すぐ二倍にでも三倍にでもなります」
「そんな御金があれば泥棒に逢ったって困りゃしないわ」
「それだから実業家に限ると云うんです。先生も法科でもやって会社か銀行へでも出なされば、今頃は月に三四百円の収入はありますのに、惜しい事でござんしたな。――先生あの鈴木藤十郎と云う工学士を知ってなさるか」
「うん昨日来た」
「そうでござんすか、せんだってある宴会で逢いました時先生の御話をしたら、そうか君は苦沙弥君のところの書生をしていたのか、僕も苦沙弥君とは昔し小石川の寺でいっしょに自炊をしておった事がある、今度行ったら宜しく云うてくれ、僕もその内尋ねるからと云っていました」
「近頃東京へ来たそうだな」
「ええ今まで九州の炭坑におりましたが、こないだ東京詰になりました。なかなか旨いです。私なぞにでも朋友のように話します。――先生あの男がいくら貰ってると思いなさる」
「知らん」
「月給が二百五十円で盆暮に配当がつきますから、何でも平均四五百円になりますばい。あげな男が、よかしこ取っておるのに、先生はリーダー専門で十年一狐裘じゃ馬鹿気ておりますなあ」
「実際馬鹿気ているな」と主人のような超然主義の人でも金銭の観念は普通の人間と異なるところはない。否困窮するだけに人一倍金が欲しいのかも知れない。多々良君は充分実業家の利益を吹聴してもう云う事が無くなったものだから
「奥さん、先生のところへ水島寒月と云う人が来ますか」
「ええ、善くいらっしゃいます」
「どげんな人物ですか」
「大変学問の出来る方だそうです」
「好男子ですか」
「ホホホホ多々良さんくらいなものでしょう」
「そうですか、私くらいなものですか」と多々良君真面目である。
「どうして寒月の名を知っているのかい」と主人が聞く。
「せんだって或る人から頼まれました。そんな事を聞くだけの価値のある人物でしょうか」多々良君は聞かぬ先からすでに寒月以上に構えている。
「君よりよほどえらい男だ」
「そうでございますか、私よりえらいですか」と笑いもせず怒りもせぬ。これが多々良君の特色である。
「近々博士になりますか」
「今論文を書いてるそうだ」
「やっぱり馬鹿ですな。博士論文をかくなんて、もう少し話せる人物かと思ったら」
「相変らず、えらい見識ですね」と細君が笑いながら云う。
「博士になったら、だれとかの娘をやるとかやらんとか云うていましたから、そんな馬鹿があろうか、娘を貰うために博士になるなんて、そんな人物にくれるより僕にくれる方がよほどましだと云ってやりました」
「だれに」
「私に水島の事を聞いてくれと頼んだ男です」
「鈴木じゃないか」
「いいえ、あの人にゃ、まだそんな事は云い切りません。向うは大頭ですから」
「多々良さんは蔭弁慶ね。うちへなんぞ来ちゃ大変威張っても鈴木さんなどの前へ出ると小さくなってるんでしょう」
「ええ。そうせんと、あぶないです」
「多々良、散歩をしようか」と突然主人が云う。先刻から袷一枚であまり寒いので少し運動でもしたら暖かになるだろうと云う考から主人はこの先例のない動議を呈出したのである。行き当りばったりの多々良君は無論逡巡する訳がない。
「行きましょう。上野にしますか。芋坂へ行って団子を食いましょうか。先生あすこの団子を食った事がありますか。奥さん一返行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」と例によって秩序のない駄弁を揮ってるうちに主人はもう帽子を被って沓脱へ下りる。
吾輩はまた少々休養を要する。主人と多々良君が上野公園でどんな真似をして、芋坂で団子を幾皿食ったかその辺の逸事は探偵の必要もなし、また尾行する勇気もないからずっと略してその間休養せんければならん。休養は万物の旻天から要求してしかるべき権利である。この世に生息すべき義務を有して蠢動する者は、生息の義務を果すために休養を得ねばならぬ。もし神ありて汝は働くために生れたり寝るために生れたるに非ずと云わば吾輩はこれに答えて云わん、吾輩は仰せのごとく働くために生れたり故に働くために休養を乞うと。主人のごとく器械に不平を吹き込んだまでの木強漢ですら、時々は日曜以外に自弁休養をやるではないか。多感多恨にして日夜心神を労する吾輩ごとき者は仮令猫といえども主人以上に休養を要するは勿論の事である。ただ先刻多々良君が吾輩を目して休養以外に何等の能もない贅物のごとくに罵ったのは少々気掛りである。とかく物象にのみ使役せらるる俗人は、五感の刺激以外に何等の活動もないので、他を評価するのでも形骸以外に渉らんのは厄介である。何でも尻でも端折って、汗でも出さないと働らいていないように考えている。達磨と云う坊さんは足の腐るまで座禅をして澄ましていたと云うが、仮令壁の隙から蔦が這い込んで大師の眼口を塞ぐまで動かないにしろ、寝ているんでも死んでいるんでもない。頭の中は常に活動して、廓然無聖などと乙な理窟を考え込んでいる。儒家にも静坐の工夫と云うのがあるそうだ。これだって一室の中に閉居して安閑と躄の修行をするのではない。脳中の活力は人一倍熾に燃えている。ただ外見上は至極沈静端粛の態であるから、天下の凡眼はこれらの知識巨匠をもって昏睡仮死の庸人と見做して無用の長物とか穀潰しとか入らざる誹謗の声を立てるのである。これらの凡眼は皆形を見て心を見ざる不具なる視覚を有して生れついた者で、――しかも彼の多々良三平君のごときは形を見て心を見ざる第一流の人物であるから、この三平君が吾輩を目して乾屎同等に心得るのももっともだが、恨むらくは少しく古今の書籍を読んで、やや事物の真相を解し得たる主人までが、浅薄なる三平君に一も二もなく同意して、猫鍋に故障を挟む景色のない事である。しかし一歩退いて考えて見ると、かくまでに彼等が吾輩を軽蔑するのも、あながち無理ではない。大声は俚耳に入らず、陽春白雪の詩には和するもの少なしの喩も古い昔からある事だ。形体以外の活動を見る能わざる者に向って己霊の光輝を見よと強ゆるは、坊主に髪を結えと逼るがごとく、鮪に演説をして見ろと云うがごとく、電鉄に脱線を要求するがごとく、主人に辞職を勧告するごとく、三平に金の事を考えるなと云うがごときものである。必竟無理な注文に過ぎん。しかしながら猫といえども社会的動物である。社会的動物である以上はいかに高く自ら標置するとも、或る程度までは社会と調和して行かねばならん。主人や細君や乃至御さん、三平連が吾輩を吾輩相当に評価してくれんのは残念ながら致し方がないとして、不明の結果皮を剥いで三味線屋に売り飛ばし、肉を刻んで多々良君の膳に上すような無分別をやられては由々しき大事である。吾輩は頭をもって活動すべき天命を受けてこの娑婆に出現したほどの古今来の猫であれば、非常に大事な身体である。千金の子は堂陲に坐せずとの諺もある事なれば、好んで超邁を宗として、徒らに吾身の危険を求むるのは単に自己の災なるのみならず、また大いに天意に背く訳である。猛虎も動物園に入れば糞豚の隣りに居を占め、鴻雁も鳥屋に生擒らるれば雛鶏と俎を同じゅうす。庸人と相互する以上は下って庸猫と化せざるべからず。庸猫たらんとすれば鼠を捕らざるべからず。――吾輩はとうとう鼠をとる事に極めた。
せんだってじゅうから日本は露西亜と大戦争をしているそうだ。吾輩は日本の猫だから無論日本贔負である。出来得べくんば混成猫旅団を組織して露西亜兵を引っ掻いてやりたいと思うくらいである。かくまでに元気旺盛な吾輩の事であるから鼠の一疋や二疋はとろうとする意志さえあれば、寝ていても訳なく捕れる。昔しある人当時有名な禅師に向って、どうしたら悟れましょうと聞いたら、猫が鼠を覘うようにさしゃれと答えたそうだ。猫が鼠をとるようにとは、かくさえすれば外ずれっこはござらぬと云う意味である。女賢しゅうしてと云う諺はあるが猫賢しゅうして鼠捕り損うと云う格言はまだ無いはずだ。して見ればいかに賢こい吾輩のごときものでも鼠の捕れんはずはあるまい。とれんはずはあるまいどころか捕り損うはずはあるまい。今まで捕らんのは、捕りたくないからの事さ。春の日はきのうのごとく暮れて、折々の風に誘わるる花吹雪が台所の腰障子の破れから飛び込んで手桶の中に浮ぶ影が、薄暗き勝手用のランプの光りに白く見える。今夜こそ大手柄をして、うちじゅう驚かしてやろうと決心した吾輩は、あらかじめ戦場を見廻って地形を飲み込んでおく必要がある。戦闘線は勿論あまり広かろうはずがない。畳数にしたら四畳敷もあろうか、その一畳を仕切って半分は流し、半分は酒屋八百屋の御用を聞く土間である。へっついは貧乏勝手に似合わぬ立派な者で赤の銅壺がぴかぴかして、後ろは羽目板の間を二尺遺して吾輩の鮑貝の所在地である。茶の間に近き六尺は膳椀皿小鉢を入れる戸棚となって狭き台所をいとど狭く仕切って、横に差し出すむき出しの棚とすれすれの高さになっている。その下に摺鉢が仰向けに置かれて、摺鉢の中には小桶の尻が吾輩の方を向いている。大根卸し、摺小木が並んで懸[#ルビの「か」は底本では「け」]けてある傍らに火消壺だけが悄然と控えている。真黒になった樽木の交叉した真中から一本の自在を下ろして、先へは平たい大きな籠をかける。その籠が時々風に揺れて鷹揚に動いている。この籠は何のために釣るすのか、この家へ来たてには一向要領を得なかったが、猫の手の届かぬためわざと食物をここへ入れると云う事を知ってから、人間の意地の悪い事をしみじみ感じた。
これから作戦計画だ。どこで鼠と戦争するかと云えば無論鼠の出る所でなければならぬ。いかにこっちに便宜な地形だからと云って一人で待ち構えていてはてんで戦争にならん。ここにおいてか鼠の出口を研究する必要が生ずる。どの方面から来るかなと台所の真中に立って四方を見廻わす。何だか東郷大将のような心持がする。下女はさっき湯に行って戻って来ん。小供はとくに寝ている。主人は芋坂の団子を喰って帰って来て相変らず書斎に引き籠っている。細君は――細君は何をしているか知らない。大方居眠りをして山芋の夢でも見ているのだろう。時々門前を人力が通るが、通り過ぎた後は一段と淋しい。わが決心と云い、わが意気と云い台所の光景と云い、四辺の寂寞と云い、全体の感じが悉く悲壮である。どうしても猫中の東郷大将としか思われない。こう云う境界に入ると物凄い内に一種の愉快を覚えるのは誰しも同じ事であるが、吾輩はこの愉快の底に一大心配が横わっているのを発見した。鼠と戦争をするのは覚悟の前だから何疋来ても恐くはないが、出てくる方面が明瞭でないのは不都合である。周密なる観察から得た材料を綜合して見ると鼠賊の逸出するのには三つの行路がある。彼れらがもしどぶ鼠であるならば土管を沿うて流しから、へっついの裏手へ廻るに相違ない。その時は火消壺の影に隠れて、帰り道を絶ってやる。あるいは溝へ湯を抜く漆喰の穴より風呂場を迂回して勝手へ不意に飛び出すかも知れない。そうしたら釜の蓋の上に陣取って眼の下に来た時上から飛び下りて一攫みにする。それからとまたあたりを見廻すと戸棚の戸の右の下隅が半月形に喰い破られて、彼等の出入に便なるかの疑がある。鼻を付けて臭いで見ると少々鼠臭い。もしここから吶喊して出たら、柱を楯にやり過ごしておいて、横合からあっと爪をかける。もし天井から来たらと上を仰ぐと真黒な煤がランプの光で輝やいて、地獄を裏返しに釣るしたごとくちょっと吾輩の手際では上る事も、下る事も出来ん。まさかあんな高い処から落ちてくる事もなかろうからとこの方面だけは警戒を解く事にする。それにしても三方から攻撃される懸念がある。一口なら片眼でも退治して見せる。二口ならどうにか、こうにかやってのける自信がある。しかし三口となるといかに本能的に鼠を捕るべく予期せらるる吾輩も手の付けようがない。さればと云って車屋の黒ごときものを助勢に頼んでくるのも吾輩の威厳に関する。どうしたら好かろう。どうしたら好かろうと考えて好い智慧が出ない時は、そんな事は起る気遣はないと決めるのが一番安心を得る近道である。また法のつかない者は起らないと考えたくなるものである。まず世間を見渡して見給え。きのう貰った花嫁も今日死なんとも限らんではないか、しかし聟殿は玉椿千代も八千代もなど、おめでたい事を並べて心配らしい顔もせんではないか。心配せんのは、心配する価値がないからではない。いくら心配したって法が付かんからである。吾輩の場合でも三面攻撃は必ず起らぬと断言すべき相当の論拠はないのであるが、起らぬとする方が安心を得るに便利である。安心は万物に必要である。吾輩も安心を欲する。よって三面攻撃は起らぬと極める。
それでもまだ心配が取れぬから、どう云うものかとだんだん考えて見るとようやく分った。三個の計略のうちいずれを選んだのがもっとも得策であるかの問題に対して、自ら明瞭なる答弁を得るに苦しむからの煩悶である。戸棚から出るときには吾輩これに応ずる策がある、風呂場から現われる時はこれに対する計がある、また流しから這い上るときはこれを迎うる成算もあるが、そのうちどれか一つに極めねばならぬとなると大に当惑する。東郷大将はバルチック艦隊が対馬海峡を通るか、津軽海峡へ出るか、あるいは遠く宗谷海峡を廻るかについて大に心配されたそうだが、今吾輩が吾輩自身の境遇から想像して見て、ご困却の段実に御察し申す。吾輩は全体の状況において東郷閣下に似ているのみならず、この格段なる地位においてもまた東郷閣下とよく苦心を同じゅうする者である。
吾輩がかく夢中になって智謀をめぐらしていると、突然破れた腰障子が開いて御三の顔がぬうと出る。顔だけ出ると云うのは、手足がないと云う訳ではない。ほかの部分は夜目でよく見えんのに、顔だけが著るしく強い色をして判然眸底に落つるからである。御三はその平常より赤き頬をますます赤くして洗湯から帰ったついでに、昨夜に懲りてか、早くから勝手の戸締をする。書斎で主人が俺のステッキを枕元へ出しておけと云う声が聞える。何のために枕頭にステッキを飾るのか吾輩には分らなかった。まさか易水の壮士を気取って、竜鳴を聞こうと云う酔狂でもあるまい。きのうは山の芋、今日はステッキ、明日は何になるだろう。
夜はまだ浅い鼠はなかなか出そうにない。吾輩は大戦の前に一と休養を要する。
主人の勝手には引窓がない。座敷なら欄間と云うような所が幅一尺ほど切り抜かれて夏冬吹き通しに引窓の代理を勤めている。惜し気もなく散る彼岸桜を誘うて、颯と吹き込む風に驚ろいて眼を覚ますと、朧月さえいつの間に差してか、竈の影は斜めに揚板の上にかかる。寝過ごしはせぬかと二三度耳を振って家内の容子を窺うと、しんとして昨夜のごとく柱時計の音のみ聞える。もう鼠の出る時分だ。どこから出るだろう。
戸棚の中でことことと音がしだす。小皿の縁を足で抑えて、中をあらしているらしい。ここから出るわいと穴の横へすくんで待っている。なかなか出て来る景色はない。皿の音はやがてやんだが今度はどんぶりか何かに掛ったらしい、重い音が時々ごとごととする。しかも戸を隔ててすぐ向う側でやっている、吾輩の鼻づらと距離にしたら三寸も離れておらん。時々はちょろちょろと穴の口まで足音が近寄るが、また遠のいて一匹も顔を出すものはない。戸一枚向うに現在敵が暴行を逞しくしているのに、吾輩はじっと穴の出口で待っておらねばならん随分気の長い話だ。鼠は旅順椀の中で盛に舞踏会を催うしている。せめて吾輩の這入れるだけ御三がこの戸を開けておけば善いのに、気の利かぬ山出しだ。
今度はへっついの影で吾輩の鮑貝がことりと鳴る。敵はこの方面へも来たなと、そーっと忍び足で近寄ると手桶の間から尻尾がちらと見えたぎり流しの下へ隠れてしまった。しばらくすると風呂場でうがい茶碗が金盥にかちりと当る。今度は後方だと振りむく途端に、五寸近くある大な奴がひらりと歯磨の袋を落して椽の下へ馳け込む。逃がすものかと続いて飛び下りたらもう影も姿も見えぬ。鼠を捕るのは思ったよりむずかしい者である。吾輩は先天的鼠を捕る能力がないのか知らん。
吾輩が風呂場へ廻ると、敵は戸棚から馳け出し、戸棚を警戒すると流しから飛び上り、台所の真中に頑張っていると三方面共少々ずつ騒ぎ立てる。小癪と云おうか、卑怯と云おうかとうてい彼等は君子の敵でない。吾輩は十五六回はあちら、こちらと気を疲らし心を労らして奔走努力して見たがついに一度も成功しない。残念ではあるがかかる小人を敵にしてはいかなる東郷大将も施こすべき策がない。始めは勇気もあり敵愾心もあり悲壮と云う崇高な美感さえあったがついには面倒と馬鹿気ているのと眠いのと疲れたので台所の真中へ坐ったなり動かない事になった。しかし動かんでも八方睨みを極め込んでいれば敵は小人だから大した事は出来んのである。目ざす敵と思った奴が、存外けちな野郎だと、戦争が名誉だと云う感じが消えて悪くいと云う念だけ残る。悪くいと云う念を通り過すと張り合が抜けてぼーとする。ぼーとしたあとは勝手にしろ、どうせ気の利いた事は出来ないのだからと軽蔑の極眠たくなる。吾輩は以上の径路をたどって、ついに眠くなった。吾輩は眠る。休養は敵中に在っても必要である。
横向に庇を向いて開いた引窓から、また花吹雪を一塊りなげ込んで、烈しき風の吾を遶ると思えば、戸棚の口から弾丸のごとく飛び出した者が、避くる間もあらばこそ、風を切って吾輩の左の耳へ喰いつく。これに続く黒い影は後ろに廻るかと思う間もなく吾輩の尻尾へぶら下がる。瞬く間の出来事である。吾輩は何の目的もなく器械的に跳上る。満身の力を毛穴に込めてこの怪物を振り落とそうとする。耳に喰い下がったのは中心を失ってだらりと吾が横顔に懸る。護謨管のごとき柔かき尻尾の先が思い掛なく吾輩の口に這入る。屈竟の手懸りに、砕けよとばかり尾を啣えながら左右にふると、尾のみは前歯の間に残って胴体は古新聞で張った壁に当って、揚板の上に跳ね返る。起き上がるところを隙間なく乗し掛れば、毬を蹴たるごとく、吾輩の鼻づらを掠めて釣り段の縁に足を縮めて立つ。彼は棚の上から吾輩を見おろす、吾輩は板の間から彼を見上ぐる。距離は五尺。その中に月の光りが、大幅の帯を空に張るごとく横に差し込む。吾輩は前足に力を込めて、やっとばかり棚の上に飛び上がろうとした。前足だけは首尾よく棚の縁にかかったが後足は宙にもがいている。尻尾には最前の黒いものが、死ぬとも離るまじき勢で喰い下っている。吾輩は危うい。前足を懸け易えて足懸りを深くしようとする。懸け易える度に尻尾の重みで浅くなる。二三分滑れば落ちねばならぬ。吾輩はいよいよ危うい。棚板を爪で掻きむしる音ががりがりと聞える。これではならぬと左の前足を抜き易える拍子に、爪を見事に懸け損じたので吾輩は右の爪一本で棚からぶら下った。自分と尻尾に喰いつくものの重みで吾輩のからだがぎりぎりと廻わる。この時まで身動きもせずに覘いをつけていた棚の上の怪物は、ここぞと吾輩の額を目懸けて棚の上から石を投ぐるがごとく飛び下りる。吾輩の爪は一縷のかかりを失う。三つの塊まりが一つとなって月の光を竪に切って下へ落ちる。次の段に乗せてあった摺鉢と、摺鉢の中の小桶とジャムの空缶が同じく一塊となって、下にある火消壺を誘って、半分は水甕の中、半分は板の間の上へ転がり出す。すべてが深夜にただならぬ物音を立てて死物狂いの吾輩の魂をさえ寒からしめた。
「泥棒!」と主人は胴間声を張り上げて寝室から飛び出して来る。見ると片手にはランプを提げ、片手にはステッキを持って、寝ぼけ眼よりは身分相応の炯々たる光を放っている。吾輩は鮑貝の傍におとなしくして蹲踞る。二疋の怪物は戸棚の中へ姿をかくす。主人は手持無沙汰に「何だ誰だ、大きな音をさせたのは」と怒気を帯びて相手もいないのに聞いている。月が西に傾いたので、白い光りの一帯は半切ほどに細くなった。
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