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倫敦塔(ロンドンとう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 9:34:48  点击:  切换到繁體中文


 倫敦塔の歴史はボーシャン塔の歴史であって、ボーシャン塔の歴史は悲酸ひさんの歴史である。十四世紀の後半にエドワード三世の建立こんりゅうにかかるこの三層塔の一階室にるものはその入るの瞬間において、百代の遺恨いこんを結晶したる無数の紀念きねんを周囲の壁上に認むるであろう。すべてのうらみ、すべてのいきどおり、すべてのうれいかなしみとはこのえん、この憤、この憂と悲の極端より生ずる慰藉いしゃと共に九十一種の題辞となって今になおる者の心を寒からしめている。冷やかなる鉄筆に無情の壁を彫ってわが不運と定業じょうごうとを天地の間にきざみつけたる人は、過去という底なし穴に葬られて、空しき文字もんじのみいつまでも娑婆しゃばの光りを見る。彼らは強いてみずからを愚弄ぐろうするにあらずやと怪しまれる。世に反語はんごというがある。白というて黒を意味し、しょうとなえて大を思わしむ。すべての反語のうちみずから知らずして後世に残す反語ほど猛烈なるはまたとあるまい。墓碣ぼけつと云い、紀念碑といい、賞牌しょうはいと云い、綬賞じゅしょうと云いこれらが存在する限りは、むなしき物質に、ありし世をしのばしむるの具となるに過ぎない。われは去る、われを伝うるものは残ると思うは、去るわれをいたましむる媒介物ばいかいぶつの残る意にて、われその者の残る意にあらざるを忘れたる人の言葉と思う。未来の世まで反語を伝えて泡沫ほうまつの身をあざける人のなす事と思う。余は死ぬ時に辞世も作るまい。死んだあと墓碑ぼひも建ててもらうまい。肉は焼き骨はにして西風の強く吹く日大空に向ってき散らしてもらおうなどといらざる取越苦労をする。
 題辞の書体はもとより一様でない。あるものはひまに任せて叮嚀ていねい楷書かいしょを用い、あるものは心急ぎてか口惜くやまぎれかがりがりと壁をいてなぐきに彫りつけてある。またあるものは自家の紋章をきざみ込んでその中に古雅こがな文字をとどめ、あるいはたての形をえがいてその内部に読み難き句を残している。書体のことなるように言語もまた決して一様でない。英語はもちろんの事、以太利語イタリーご羅甸語ラテンごもある。左り側に「我が望は基督キリストにあり」と刻されたのはパスリユという坊様ぼうさまの句だ。このパスリユは千五百三十七年に首をられた。そのかたわらに JOHAN DECKER と云う署名がある。デッカーとは何者だか分らない。階段をのぼって行くと戸の入口に T. C. というのがある。これも頭文字かしらもじだけで誰やら見当けんとうがつかぬ。それから少し離れて大変綿密なのがある。まず右のはじに十字架を描いて心臓を飾りつけ、その脇に骸骨がいこつと紋章を彫り込んである。少し行くとたての中にしものような句をかき入れたのが目につく。「運命は空しく我をして心なき風に訴えしむ。時もくだけよ。わが星は悲かれ、われにつれなかれ」。次には「すべての人をとうとべ。衆生しゅじょうをいつくしめ。神を恐れよ。王をうやまえ」とある。
 こんなものを書く人の心のうちはどのようであったろうと想像して見る。およそ世の中に何が苦しいと云って所在のないほどの苦しみはない。意識の内容に変化のないほどの苦しみはない。使える身体からだは目に見えぬ縄でしばられて動きのとれぬほどの苦しみはない。生きるというは活動しているという事であるに、生きながらこの活動を抑えらるるのは生という意味を奪われたると同じ事で、その奪われたを自覚するだけが死よりも一層の苦痛である。この壁の周囲をかくまでに塗抹とまつした人々は皆この死よりもつらい苦痛をめたのである。忍ばるる限りえらるる限りはこの苦痛と戦った末、いてもってもたまらなくなった時、始めてくぎおれや鋭どき爪を利用して無事の内に仕事を求め、太平のうちに不平をらし、平地の上に波瀾を画いたものであろう。彼らが題せる一字一画は、号泣ごうきゅう涕涙ているい、その他すべて自然の許す限りの排悶的はいもんてき手段を尽したるのちなおく事を知らざる本能の要求に余儀なくせられたる結果であろう。
 また想像して見る。生れて来た以上は、生きねばならぬ。あえて死を怖るるとは云わず、ただ生きねばならぬ。生きねばならぬと云うは耶蘇孔子ヤソこうし以前の道で、また耶蘇孔子以後の道である。何の理窟りくつも入らぬ、ただ生きたいから生きねばならぬのである。すべての人は生きねばならぬ。この獄につながれたる人もまたこの大道に従って生きねばならなかった。同時に彼らは死ぬべき運命を眼前にひかえておった。いかにせば生き延びらるるだろうかとは時々刻々彼らの胸裏きょうりに起る疑問であった。ひとたびこのへやるものは必ず死ぬ。生きて天日を再び見たものは千人に一人ひとりしかない。彼らは遅かれ早かれ死なねばならぬ。されど古今にわたる大真理は彼らにおしえて生きよと云う、くまでも生きよと云う。彼らはやむをえず彼らの爪をいだ。がれる爪の先をもって堅き壁の上に一と書いた。一をかけるのちも真理はいにしえのごとく生きよとささやく、飽くまでも生きよと囁く。彼らはがれたる爪のゆるを待って再び二とかいた。おのに肉飛び骨くだける明日あすを予期した彼らは冷やかなる壁の上にただ一となり二となり線となり字となって生きんと願った。壁の上に残る横縦よこたてきずせいを欲する執着しゅうじゃく魂魄こんぱくである。余が想像の糸をここまでたぐって来た時、室内の冷気が一度にの毛穴から身の内に吹き込むような感じがして覚えずぞっとした。そう思って見ると何だか壁が湿しめっぽい。指先ででて見るとぬらりと露にすべる。指先を見ると真赤まっかだ。壁の隅からぽたりぽたりと露のたまが垂れる。ゆかの上を見るとそのしたたりのあとが鮮やかなくれないの紋を不規則につらねる。十六世紀の血がにじみ出したと思う。壁の奥の方からうなり声さえ聞える。唸り声がだんだんと近くなるとそれが夜をるるすごい歌と変化する。ここは地面の下に通ずる穴倉でその内には人が二人ふたりいる。鬼の国から吹き上げる風が石の壁のを通ってささやかなカンテラをあおるからたださえ暗いへやの天井も四隅よすみ煤色すすいろ油煙ゆえん渦巻うずまいて動いているように見える。かすかに聞えた歌の音は窖中こうちゅうにいる一人の声に相違ない。歌のぬしは腕を高くまくって、大きなおの轆轤ろくろ砥石といしにかけて一生懸命にいでいる。そのそばには一ちょうの斧がげ出してあるが、風の具合でその白いがぴかりぴかりと光る事がある。他の一人は腕組をしたまま立ってまわるのを見ている。ひげの中から顔が出ていてその半面をカンテラが照らす。照らされた部分が泥だらけの人参にんじんのような色に見える。「こう毎日のように舟から送って来ては、首斬くびきり役も繁昌はんじょうだのう」と髯がいう。「そうさ、斧をぐだけでも骨が折れるわ」と歌のぬしが答える。これは背の低い眼のくぼんだ煤色すすいろの男である。「昨日きのうは美しいのをやったなあ」と髯が惜しそうにいう。「いや顔は美しいがくびの骨は馬鹿に堅い女だった。御蔭でこの通り刃が一分ばかりかけた」とやけに轆轤をころばす、シュシュシュと鳴るあいだから火花がピチピチと出る。磨ぎ手は声を張りげて歌い出す。
  切れぬはずだよ女のくびは恋のうらみで刃が折れる。
シュシュシュと鳴る音のほかには聴えるものもない。カンテラの光りが風にあおられて磨ぎ手の右の頬をる。すすの上に朱を流したようだ。「あすは誰の番かな」とややありて髯が質問する。「あすは例の婆様ばあさまの番さ」と平気に答える。

生える白髪しらが浮気うわきが染める、骨を斬られりゃ血が染める。
高調子たかぢょうしに歌う。シュシュシュと轆轤ろくろわる、ピチピチと火花が出る。「アハハハもうかろう」と斧を振りかざして灯影ほかげを見る。「婆様ばあさまぎりか、ほかに誰もいないか」と髯がまた問をかける。「それから例のがやられる」「気の毒な、もうやるか、可愛相かわいそうにのう」といえば、「気の毒じゃが仕方がないわ」と真黒な天井を見てうそぶく。
 たちまちあなも首斬りもカンテラも一度に消えて余はボーシャン塔の真中まんなか茫然ぼうぜんたたずんでいる。ふと気がついて見るとそば先刻さっきからす麺麭パンをやりたいと云った男の子が立っている。例の怪しい女ももとのごとくついている。男の子が壁を見て「あそこに犬がかいてある」と驚いたように云う。女は例のごとく過去の権化ごんげと云うべきほどのきっとした口調くちょうで「犬ではありません。左りが熊、右が獅子ししでこれはダッドレーの紋章です」と答える。実のところ余も犬か豚だと思っていたのであるから、今この女の説明を聞いてますます不思議な女だと思う。そう云えば今ダッドレーと云ったときその言葉の内に何となく力がこもって、あたかもおのれの家名でも名乗なのったごとくに感ぜらるる。余は息をらして両人ふたりを注視する。女はなお説明をつづける。「この紋章をきざんだ人はジョン・ダッドレーです」あたかもジョンは自分の兄弟のごとき語調である。「ジョンには四人の兄弟があって、その兄弟が、熊と獅子の周囲まわりに刻みつけられてある草花でちゃんと分ります」見るとなるほど四通よとおりの花だか葉だかが油絵のわくのように熊と獅子を取り巻いてってある。「ここにあるのは Acorns でこれは Ambrose の事です。こちらにあるのが Rose で Robert を代表するのです。下の方に忍冬にんどういてありましょう。忍冬は Honeysuckle だから Henry に当るのです。左りの上にかたまっているのが Geranium でこれは G……」と云ったぎり黙っている。見ると珊瑚さんごのようなくちびるが電気でもけたかと思われるまでにぶるぶるとふるえている。まむしねずみに向ったときの舌の先のごとくだ。しばらくすると女はこの紋章の下に書きつけてある題辞をほがらかにじゅした。
Yow that the beasts do wel behold and se,
May deme with ease wherefore here made they be
Withe borders wherein ……………………………………
4 brothers' names who list to serche the grovnd.
女はこの句を生れてから今日きょうまで毎日日課として暗誦あんしょうしたように一種の口調をもってじゅおわった。実を云うと壁にある字ははなはだ見悪みにくい。余のごときものは首をひねっても一字も読めそうにない。余はますますこの女を怪しく思う。
 気味が悪くなったから通り過ぎて先へ抜ける。銃眼じゅうがんのある角を出ると滅茶苦茶めちゃくちゃに書きつづられた、模様だか文字だか分らない中に、正しきかくで、ちいさく「ジェーン」と書いてある。余は覚えずその前に立留まった。英国の歴史を読んだものでジェーン・グレーの名を知らぬ者はあるまい。またその薄命と無残の最後に同情の涙をそそがぬ者はあるまい。ジェーンは義父ぎふ所天おっとの野心のために十八年の春秋しゅんじゅうを罪なくして惜気おしげもなく刑場に売った。にじられたる薔薇ばらしべより消え難きの遠く立ちて、今に至るまで史をひもとく者をゆかしがらせる。希臘語ギリシャごを解しプレートーを読んで一代の碩学せきがくアスカムをして舌をかしめたる逸事は、この詩趣ある人物を想見そうけんするの好材料として何人なんびと脳裏のうりにも保存せらるるであろう。余はジェーンの名の前に立留ったぎり動かない。動かないと云うよりむしろ動けない。空想の幕はすでにあいている。
 始は両方の眼がかすんで物が見えなくなる。やがて暗い中の一点にパッと火が点ぜられる。その火が次第次第に大きくなって内に人が動いているような心持ちがする。次にそれがだんだん明るくなってちょうど双眼鏡そうがんきょうの度を合せるように判然と眼に映じて来る。次にその景色けしきがだんだん大きくなって遠方から近づいて来る。気がついて見ると真中に若い女が坐っている、右のはじには男が立っているようだ。両方共どこかで見たようだなと考えるうち、またたくまにズッと近づいて余から五六間先ではたととまる。男は前に穴倉のうちで歌をうたっていた、眼のくぼんだ煤色すすいろをした、の低い奴だ。ぎすましたおの左手ゆんでに突いて腰に八寸ほどの短刀をぶら下げて身構えて立っている。余は覚えずギョッとする。女は白き手巾ハンケチで目隠しをして両の手で首をせる台を探すような風情ふぜいに見える。首を載せる台は日本の薪割台まきわりだいぐらいの大きさで前に鉄のかんが着いている。台の前部ぜんぶわらが散らしてあるのは流れる血を防ぐ要慎ようじんと見えた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣きくずれている、侍女ででもあろうか。白い毛裏を折り返した法衣ほうえを裾長く引く坊さんが、うつ向いて女の手を台の方角へ導いてやる。女は雪のごとく白い服を着けて、肩にあまる金色こんじきの髪を時々雲のようにらす。ふとその顔を見ると驚いた。眼こそ見えね、まゆの形、細きおもて、なよやかなるくびあたりにいたるまで、先刻さっき見た女そのままである。思わずけ寄ろうとしたが足がちぢんで一歩も前へ出る事が出来ぬ。女はようやく首斬り台をさぐり当てて両の手をかける。唇がむずむずと動く。最前さいぜん男の子にダッドレーの紋章を説明した時と寸分すんぶんたがわぬ。やがて首を少し傾けて「わがおっとギルドフォード・ダッドレーはすでに神の国に行ってか」と聞く。肩をり越した一握ひとにぎりの髪がかろくうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答えて「まだまことの道に入りたもう心はなきか」と問う。女きっとして「まこととは吾と吾おっとの信ずる道をこそ言え。御身達の道は迷いの道、誤りの道よ」と返す。坊さんは何にも言わずにいる。女はやや落ちついた調子で「吾夫が先なら追いつこう、あとならばさそうて行こう。正しき神の国に、正しき道を踏んで行こう」と云い終って落つるがごとく首を台の上に投げかける。眼のくぼんだ、煤色すすいろの、背の低い首斬り役が重たに斧をエイと取り直す。余の洋袴ズボンの膝に二三点の血がほとばしると思ったら、すべての光景が忽然こつぜんと消えせた。
 あたりを見廻わすと男の子を連れた女はどこへ行ったか影さえ見えない。狐にかされたような顔をして茫然ぼうぜんと塔を出る。帰り道にまた鐘塔しゅとうの下を通ったら高い窓からガイフォークスが稲妻いなずまのような顔をちょっと出した。「今一時間早かったら……。この三本のマッチが役に立たなかったのは実に残念である」と云う声さえ聞えた。自分ながら少々気が変だと思ってそこそこに塔を出る。塔橋を渡ってうしろをかえりみたら、北の国の例かこの日もいつのまにやら雨となっていた。糠粒ぬかつぶを針の目からこぼすような細かいのが満都の紅塵こうじん煤煙ばいえんかして濛々もうもうと天地をとざうちに地獄の影のようにぬっと見上げられたのは倫敦塔であった。
 無我夢中に宿に着いて、主人に今日は塔を見物して来たと話したら、主人がからすが五羽いたでしょうと云う。おやこの主人もあの女の親類かなと内心おおいに驚ろくと主人は笑いながら「あれは奉納の鴉です。昔しからあすこに飼っているので、一羽でも数が不足すると、すぐあとをこしらえます、それだからあの鴉はいつでも五羽に限っています」と手もなく説明するので、余の空想の一半は倫敦塔を見たその日のうちにわされてしまった。余はまた主人に壁の題辞の事を話すと、主人は無造作むぞうさに「ええあの落書らくがきですか、つまらない事をしたもんで、せっかく奇麗な所を台なしにしてしまいましたねえ、なに罪人ざいにんの落書だなんてあてになったもんじゃありません、にせもだいぶありまさあね」とましたものである。余は最後に美しい婦人にった事とその婦人が我々の知らない事やとうてい読めない字句をすらすら読んだ事などを不思議そうに話し出すと、主人は大に軽蔑けいべつした口調くちょうで「そりゃ当り前でさあ、皆んなあすこへ行く時にゃ案内記を読んで出掛けるんでさあ、そのくらいの事を知ってたって何も驚くにゃあたらないでしょう、何すこぶる別嬪べっぴんだって?――倫敦にゃだいぶ別嬪がいますよ、少し気をつけないと険呑けんのんですぜ」ととんだ所へ火の手があがる。これで余の空想の後半がまた打ち壊わされた。主人は二十世紀の倫敦人である。
 それからは人と倫敦塔の話しをしない事にきめた。また再び見物に行かない事にきめた。
 この篇は事実らしく書き流してあるが、実のところ過半かはん想像的の文字もんじであるから、見る人はその心で読まれん事を希望する、塔の歴史に関して時々戯曲的に面白そうな事柄をえらんでつづり込んで見たが、うまく行かんので所々不自然の痕迹こんせきが見えるのはやむをえない。そのうちエリザベス(エドワード四世の妃)が幽閉中の二王子に逢いに来る場と、二王子を殺した刺客せっかく述懐じゅっかいの場は沙翁さおうの歴史劇リチャード三世のうちにもある。沙翁はクラレンス公爵の塔中で殺さるる場を写すには正筆せいひつを用い、王子を絞殺こうさつする模様をあらわすには仄筆そくひつを使って、刺客の語をり裏面からその様子を描出びょうしゅつしている。かつてこの劇を読んだとき、そこをおおいに面白く感じた事があるから、今その趣向をそのまま用いて見た。しかし対話の内容周囲の光景等は無論余の空想から捏出ねつしゅつしたもので沙翁とは何らの関係もない。それから断頭吏だんとうりの歌をうたっておのぐところについて一言いちげんしておくが、この趣向は全くエーンズウォースの「倫敦塔ロンドンとう」と云う小説から来たもので、余はこれに対して些少さしょうの創意をも要求する権利はない。エーンズウォースにはおのの刃のこぼれたのをソルスベリ伯爵夫人を斬る時の出来事のように叙してある。余がこの書を読んだとき断頭場に用うる斧の刃のこぼれたのを首斬り役がいでいる景色などはわずかに一二頁に足らぬところではあるが非常に面白いと感じた。のみならず磨ぎながら乱暴な歌を平気でうたっていると云う事が、同じく十五六分の所作ではあるが、全篇を活動せしむるにるほどの戯曲的出来事だと深く興味を覚えたので、今その趣向そのままを蹈襲とうしゅうしたのである。ただし歌の意味も文句も、二吏の対話も、暗窖あんこうの光景もいっさい趣向以外の事は余の空想から成ったものである。ついでだからエーンズウォースが獄門役に歌わせた歌を紹介して置く。
The axe was sharp, and heavy as lead,
As it touched the neck, off went the head!
          Whir―whir―whir―whir!
Queen Anne laid her white throat upon the block,
Quietly waiting the fatal shock;
The axe it severed it right in twain,
And so quick―so true―that she felt no pain.
          Whir―whir―whir―whir!
Salisbury's countess, she would not die
As a proud dame should―decorously.
Lifting my axe, I split her skull,
And the edge since then has been notched and dull.
          Whir―whir―whir―whir!
Queen Catherine Howard gave me a fee, ―
A chain of gold―to die easily:
And her costly present she did not rue,
For I touched her head, and away it flew!
          Whir―whir―whir―whir!
この全章を訳そうと思ったがとうてい思うように行かないし、かつ余り長過ぎる恐れがあるからやめにした。
二王子幽閉の場と、ジェーン所刑の場については有名なるドラロッシの絵画がすくなからず余の想像を助けている事を一言いちげんしていささか感謝の意を表する。
舟よりあがる囚人のうちワイアットとあるは有名なる詩人の子にてジェーンのため兵をげたる人、父子同名どうみょうなる故まぎやすいから記して置く。
塔中四辺の風致景物を今少し精細に写す方が読者に塔その物を紹介してその地を踏ましむる思いを自然に引き起させる上において必要な条件とは気がついているが、何分かかる文を草する目的で遊覧した訳ではないし、かつ年月が経過しているから判然たる景色がどうしても眼の前にあらわれにくい。したがってややともすると主観的の句が重複ちょうふくして、ある時は読者に不愉快な感じを与えはせぬかと思うところもあるが右の次第だから仕方がない。(三十七年十二月二十日)





底本:「夏目漱石全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年10月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:LUNA CAT
2000年8月31日公開
2004年2月28日修正
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