こんな無理を聞かせられる読者は定めて承知すまい。これは文士の嘘言だと笑う者さえあろう。しかし事実はうそでも事実である。文士だろうが不文士だろうが書いた事は書いた通り懸価のないところをかいたのである。もし文士がわるければ断って置く。余は文士ではない、西片町に住む学者だ。もし疑うならこの問題をとって学者的に説明してやろう。読者は沙翁の悲劇マクベスを知っているだろう。マクベス夫婦が共謀して主君のダンカンを寝室の中で殺す。殺してしまうや否や門の戸を続け様に敲くものがある。すると門番が敲くは敲くはと云いながら出て来て酔漢の管を捲くようなたわいもない事を呂律の廻らぬ調子で述べ立てる。これが対照だ。対照も対照も一通りの対照ではない。人殺しの傍で都々逸を歌うくらいの対照だ。ところが妙な事はこの滑稽を挿んだために今までの凄愴たる光景が多少和らげられて、ここに至って一段とくつろぎがついた感じもなければ、また滑稽が事件の排列の具合から平生より一倍のおかしみを与えると云う訳でもない。それでは何らの功果もないかと云うと大変ある。劇全体を通じての物凄さ、怖しさはこの一段の諧謔のために白熱度に引き上げらるるのである。なお拡大して云えばこの場合においては諧謔その物が畏怖である。恐懼である、悚然として粟を肌に吹く要素になる。その訳を云えば先ずこうだ。
吾人が事物に対する観察点が従来の経験で支配せらるるのは言を待たずして明瞭な事実である。経験の勢力は度数と、単独な場合に受けた感動の量に因って高下増減するのも争われぬ事実であろう。絹布団に生れ落ちて御意だ仰せだと持ち上げられる経験がたび重なると人間は余に頭を下げるために生れたのじゃなと御意遊ばすようになる。金で酒を買い、金で妾を買い、金で邸宅、朋友、従五位まで買った連中は金さえあれば何でも出来るさと金庫を横目に睨んで高を括った鼻先を虚空遥かに反り返えす。一度の経験でも御多分には洩れん。箔屋町の大火事に身代を潰した旦那は板橋の一つ半でも蒼くなるかも知れない。濃尾の震災に瓦の中から掘り出された生き仏はドンが鳴っても念仏を唱えるだろう。正直な者が生涯に一返万引を働いても疑を掛ける知人もないし、冗談を商売にする男が十年に半日真面目な事件を担ぎ込んでも誰も相手にするものはない。つまるところ吾々の観察点と云うものは従来の惰性で解決せられるのである。吾々の生活は千差万別であるから、吾々の惰性も商売により職業により、年齢により、気質により、両性によりて各異なるであろう。がその通り。劇を見るときにも小説を読むときにも全篇を通じた調子があって、この調子が読者、観客の心に反応するとやはり一種の惰性になる。もしこの惰性を構成する分子が猛烈であればあるほど、惰性その物も牢として動かすべからず抜くべからざる傾向を生ずるにきまっている。マクベスは妖婆、毒婦、兇漢の行為動作を刻意に描写した悲劇である。読んで冒頭より門番の滑稽に至って冥々の際読者の心に生ずる唯一の惰性は怖と云う一字に帰着してしまう。過去がすでに怖である、未来もまた怖なるべしとの予期は、自然と己れを放射して次に出現すべきいかなる出来事をもこの怖に関連して解釈しようと試みるのは当然の事と云わねばならぬ。船に酔ったものが陸に上った後までも大地を動くものと思い、臆病に生れついた雀が案山子を例の爺さんかと疑うごとく、マクベスを読む者もまた怖の一字をどこまでも引張って、怖を冠すべからざる辺にまで持って行こうと力むるは怪しむに足らぬ。何事をも怖化せんとあせる矢先に現わるる門番の狂言は、普通の狂言諧謔とは受け取れまい。
世間には諷語と云うがある。諷語は皆表裏二面の意義を有している。先生を馬鹿の別号に用い、大将を匹夫の渾名に使うのは誰も心得ていよう。この筆法で行くと人に謙遜するのはますます人を愚にした待遇法で、他を称揚するのは熾に他を罵倒した事になる。表面の意味が強ければ強いほど、裏側の含蓄もようやく深くなる。御辞儀一つで人を愚弄するよりは、履物を揃えて人を揶揄する方が深刻ではないか。この心理を一歩開拓して考えて見る。吾々が使用する大抵の命題は反対の意味に解釈が出来る事となろう。さあどっちの意味にしたものだろうと云うときに例の惰性が出て苦もなく判断してくれる。滑稽の解釈においてもその通りと思う。滑稽の裏には真面目がくっついている。大笑の奥には熱涙が潜んでいる。雑談の底には啾々たる鬼哭が聞える。とすれば怖と云う惰性を養成した眼をもって門番の諧謔を読む者は、その諧謔を正面から解釈したものであろうか、裏側から観察したものであろうか。裏面から観察するとすれば酔漢の妄語のうちに身の毛もよだつほどの畏懼の念はあるはずだ。元来諷語は正語よりも皮肉なるだけ正語よりも深刻で猛烈なものである。虫さえ厭う美人の根性を透見して、毒蛇の化身すなわちこれ天女なりと判断し得たる刹那に、その罪悪は同程度の他の罪悪よりも一層怖るべき感じを引き起す。全く人間の諷語であるからだ。白昼の化物の方が定石の幽霊よりも或る場合には恐ろしい。諷語であるからだ。廃寺に一夜をあかした時、庭前の一本杉の下でカッポレを躍るものがあったらこのカッポレは非常に物凄かろう。これも一種の諷語であるからだ。マクベスの門番は山寺のカッポレと全然同格である。マクベスの門番が解けたら寂光院の美人も解けるはずだ。
百花の王をもって許す牡丹さえ崩れるときは、富貴の色もただ好事家の憐れを買うに足らぬほど脆いものだ。美人薄命と云う諺もあるくらいだからこの女の寿命も容易に保険はつけられない。しかし妙齢の娘は概して活気に充ちている。前途の希望に照らされて、見るからに陽気な心持のするものだ。のみならず友染とか、繻珍とか、ぱっとした色気のものに包まっているから、横から見ても縦から見ても派出である立派である、春景色である。その一人が――最も美くしきその一人が寂光院の墓場の中に立った。浮かない、古臭い、沈静な四顧の景物の中に立った。するとその愛らしき眼、そのはなやかな袖が忽然と本来の面目を変じて蕭条たる周囲に流れ込んで、境内寂寞の感を一層深からしめた。天下に墓ほど落ついたものはない。しかしこの女が墓の前に延び上がった時は墓よりも落ちついていた。銀杏の黄葉は淋しい。まして化けるとあるからなお淋しい。しかしこの女が化銀杏の下に横顔を向けて佇んだときは、銀杏の精が幹から抜け出したと思われるくらい淋しかった。上野の音楽会でなければ釣り合わぬ服装をして、帝国ホテルの夜会にでも招待されそうなこの女が、なぜかくのごとく四辺の光景と映帯して索寞の観を添えるのか。これも諷語だからだ。マクベスの門番が怖しければ寂光院のこの女も淋しくなくてはならん。
御墓を見ると花筒に菊がさしてある。垣根に咲く豆菊の色は白いものばかりである。これも今の女のせいに相違ない。家から折って来たものか、途中で買って来たものか分らん。もしや名刺でも括りつけてはないかと葉裏まで覗いて見たが何もない。全体何物だろう。余は高等学校時代から浩さんとは親しい付き合いの一人であった。うちへはよく泊りに行って浩さんの親類は大抵知っている。しかし指を折ってあれこれと順々に勘定して見ても、こんな女は思い出せない。すると他人か知らん。浩さんは人好きのする性質で、交際もだいぶ広かったが、女に朋友がある事はついに聞いた事がない。もっとも交際をしたからと云って、必らず余に告げるとは限っておらん。が浩さんはそんな事を隠すような性質ではないし、よしほかの人に隠したからと云って余に隠す事はないはずだ。こう云うとおかしいが余は河上家の内情は相続人たる浩さんに劣らんくらい精しく知っている。そうしてそれは皆浩さんが余に話したのである。だから女との交際だって、もし実際あったとすればとくに余に告げるに相違ない。告げぬところをもって見ると知らぬ女だ。しかし知らぬ女が花まで提げて浩さんの墓参りにくる訳がない。これは怪しい。少し変だが追懸けて名前だけでも聞いて見ようか、それも妙だ。いっその事黙って後を付けて行く先を見届けようか、それではまるで探偵だ。そんな下等な事はしたくない。どうしたら善かろうと墓の前で考えた。浩さんは去年の十一月塹壕に飛び込んだぎり、今日まで上がって来ない。河上家代々の墓を杖で敲いても、手で揺り動かしても浩さんはやはり塹壕の底に寝ているだろう。こんな美人が、こんな美しい花を提げて御詣りに来るのも知らずに寝ているだろう。だから浩さんはあの女の素性も名前も聞く必要もあるまい。浩さんが聞く必要もないものを余が探究する必要はなおさらない。いやこれはいかぬ。こう云う論理ではあの女の身元を調べてはならんと云う事になる。しかしそれは間違っている。なぜ? なぜは追って考えてから説明するとして、ただ今の場合是非共聞き糺さなくてはならん。何でも蚊でも聞かないと気が済まん。いきなり石段を一股に飛び下りて化銀杏の落葉を蹴散らして寂光院の門を出て先ず左の方を見た。いない。右を向いた。右にも見えない。足早に四つ角まで来て目の届く限り東西南北を見渡した。やはり見えない。とうとう取り逃がした。仕方がない、御母さんに逢って話をして見よう、ことによったら容子が分るかも知れない。
三
六畳の座敷は南向で、拭き込んだ椽側の端に神代杉の手拭懸が置いてある。軒下から丸い手水桶を鉄の鎖で釣るしたのは洒落れているが、その下に一叢の木賊をあしらった所が一段の趣を添える。四つ目垣の向うは二三十坪の茶畠でその間に梅の木が三四本見える。垣に結うた竹の先に洗濯した白足袋が裏返しに乾してあってその隣りには如露が逆さまに被せてある。その根元に豆菊が塊まって咲いて累々と白玉を綴っているのを見て「奇麗ですな」と御母さんに話しかけた。
「今年は暖たかだもんですからよく持ちます。あれもあなた、浩一の大好きな菊で……」
「へえ、白いのが好きでしたかな」
「白い、小さい豆のようなのが一番面白いと申して自分で根を貰って来て、わざわざ植えたので御座います」
「なるほどそんな事がありましたな」と云ったが、内心は少々気味が悪かった。寂光院の花筒に挿んであるのは正にこの種のこの色の菊である。
「御叔母さん近頃は御寺参りをなさいますか」
「いえ、せんだって中から風邪の気味で五六日伏せっておりましたものですから、ついつい仏へ無沙汰を致しまして。――うちにおっても忘れる間はないのですけれども――年をとりますと、御湯に行くのも退儀になりましてね」
「時々は少し表をあるく方が薬ですよ。近頃はいい時候ですから……」
「御親切にありがとう存じます。親戚のものなども心配して色々云ってくれますが、どうもあなた何分元気がないものですから、それにこんな婆さんを態々連れてあるいてくれるものもありませず」
こうなると余はいつでも言句に窮する。どう云って切り抜けていいか見当がつかない。仕方がないから「はああ」と長く引っ張ったが、御母さんは少々不平の気味である。さあしまったと思ったが別に片附けようもないから、梅の木をあちらこちら飛び歩るいている四十雀を眺めていた。御母さんも話の腰を折られて無言である。
「御親類の若い御嬢さんでもあると、こんな時には御相手にいいですがね」と云いながら不調法なる余にしては天晴な出来だと自分で感心して見せた。
「生憎そんな娘もおりませず。それに人の子にはやはり遠慮勝ちで……せがれに嫁でも貰って置いたら、こんな時にはさぞ心丈夫だろうと思います。ほんに残念な事をしました」
そら娶が出た。くるたびによめが出ない事はない。年頃の息子に嫁を持たせたいと云うのは親の情としてさもあるべき事だが、死んだ子に娶を迎えて置かなかったのをも残念がるのは少々平仄が合わない。人情はこんなものか知らん。まだ年寄になって見ないから分らないがどうも一般の常識から云うと少し間違っているようだ。それは一人で侘しく暮らすより気に入った嫁の世話になる方が誰だって頼りが多かろう。しかし嫁の身になっても見るがいい。結婚して半年も立たないうちに夫は出征する。ようやく戦争が済んだと思うと、いつの間にか戦死している。二十を越すか越さないのに、姑と二人暮しで一生を終る。こんな残酷な事があるものか。御母さんの云うところは老人の立場から云えば無理もない訴だが、しかし随分我儘な願だ。年寄はこれだからいかぬと、内心はすこぶる不平であったが、滅多な抗議を申し込むとまた気色を悪るくさせる危険がある。せっかく慰めに来ていつも失策をやるのは余り器量のない話だ。まあまあだまっているに若くはなしと覚悟をきめて、反って反対の方角へと楫をとった。余は正直に生れた男である。しかし社会に存在して怨まれずに世の中を渡ろうとすると、どうも嘘がつきたくなる。正直と社会生活が両立するに至れば嘘は直ちにやめるつもりでいる。
「実際残念な事をしましたね。全体浩さんはなぜ嫁をもらわなかったんですか」
「いえ、あなた色々探しておりますうちに、旅順へ参るようになったもので御座んすから」
「それじゃ当人も貰うつもりでいたんでしょう」
「それは……」と云ったが、それぎり黙っている。少々様子が変だ。あるいは寂光院事件の手懸りが潜伏していそうだ。白状して云うと、余はその時浩さんの事も、御母さんの事も考えていなかった。ただあの不思議な女の素性と浩さんとの関係が知りたいので頭の中はいっぱいになっている。この日における余は平生のような同情的動物ではない。全く冷静な好奇獣とも称すべき代物に化していた。人間もその日その日で色々になる。悪人になった翌日は善男に変じ、小人の昼の後に君子の夜がくる。あの男の性格はなどと手にとったように吹聴する先生があるがあれは利口の馬鹿と云うものでその日その日の自己を研究する能力さえないから、こんな傍若無人の囈語を吐いて独りで恐悦がるのである。探偵ほど劣等な家業はまたとあるまいと自分にも思い、人にも宣言して憚からなかった自分が、純然たる探偵的態度をもって事物に対するに至ったのは、すこぶるあきれ返った現象である。ちょっと言い淀んだ御母さんは、思い切った口調で
「その事について浩一は何かあなたに御話をした事は御座いませんか」
「嫁の事ですか」
「ええ、誰か自分の好いたものがあるような事を」
「いいえ」と答えたが、実はこの問こそ、こっちから御母さんに向って聞いて見なければならん問題であった。
「御叔母さんには何か話しましたろう」
「いいえ」
望の綱はこれぎり切れた。仕方がないからまた眼を庭の方へ転ずると、四十雀はすでにどこかへ飛び去って、例の白菊の色が、水気を含んだ黒土に映じて見事に見える。その時ふと思い出したのは先日の日記の事である。御母さんも知らず、余も知らぬ、あの女の事があるいは書いてあるかも知れぬ。よしあからさまに記してなくても一応目を通したら何か手懸りがあろう。御母さんは女の事だから理解出来んかも知れんが、余が見ればこうだろうくらいの見当はつくわけだ。これは催促して日記を見るに若くはない。
「あの先日御話しの日記ですね。あの中に何かかいてはありませんか」
「ええ、あれを見ないうちは何とも思わなかったのですが、つい見たものですから……」と御母さんは急に涙声になる。また泣かした。これだから困る。困りはしたものの、何か書いてある事はたしかだ。こうなっては泣こうが泣くまいがそんな事は構っておられん。
「日記に何か書いてありますか? それは是非拝見しましょう」と勢よく云ったのは今から考えて赤面の次第である。御母さんは起って奥へ這入る。
やがて襖をあけてポッケット入れの手帳を持って出てくる。表紙は茶の革でちょっと見ると紙入のような体裁である。朝夕内がくしに入れたものと見えて茶色の所が黒ずんで、手垢でぴかぴか光っている。無言のまま日記を受取って中を見ようとすると表の戸がからからと開いて、頼みますと云う声がする。生憎来客だ。御母さんは手真似で早く隠せと云うから、余は手帳を内懐に入れて「宅へ帰ってもいいですか」と聞いた。御母さんは玄関の方を見ながら「どうぞ」と答える。やがて下女が何とかさまが入らっしゃいましたと注進にくる。何とかさまに用はない。日記さえあれば大丈夫早く帰って読まなくってはならない。それではと挨拶をして久堅町の往来へ出る。
伝通院の裏を抜けて表町の坂を下りながら路々考えた。どうしても小説だ。ただ小説に近いだけ何だか不自然である。しかしこれから事件の真相を究めて、全体の成行が明瞭になりさえすればこの不自然も自ずと消滅する訳だ。とにかく面白い。是非探索――探索と云うと何だか不愉快だ――探究として置こう。是非探究して見なければならん。それにしても昨日あの女のあとを付けなかったのは残念だ。もし向後あの女に逢う事が出来ないとするとこの事件は判然と分りそうにもない。入らぬ遠慮をして流星光底じゃないが逃がしたのは惜しい事だ。元来品位を重んじ過ぎたり、あまり高尚にすると、得てこんな事になるものだ。人間はどこかに泥棒的分子がないと成功はしない。紳士も結構には相違ないが、紳士の体面を傷けざる範囲内において泥棒根性を発揮せんとせっかくの紳士が紳士として通用しなくなる。泥棒気のない純粋の紳士は大抵行き倒れになるそうだ。よしこれからはもう少し下品になってやろう。とくだらぬ事を考えながら柳町の橋の上まで来ると、水道橋の方から一輌の人力車が勇ましく白山の方へ馳け抜ける。車が自分の前を通り過ぎる時間は何秒と云うわずかの間であるから、余が冥想の眼をふとあげて車の上を見た時は、乗っている客はすでに眼界から消えかかっていた。がその人の顔は? ああ寂光院だと気が着いた頃はもう五六間先へ行っている。ここだ下品になるのはここだ。何でも構わんから追い懸けろと、下駄の歯をそちらに向けたが、徒歩で車のあとを追い懸けるのは余り下品すぎる。気狂でなくってはそんな馬鹿な事をするものはない。車、車、車はおらんかなと四方を見廻したが生憎一輌もおらん。そのうちに寂光院は姿も見えないくらい遥かあなたに馳け抜ける。もう駄目だ。気狂と思われるまで下品にならなければ世の中は成功せんものかなと惘然として西片町へ帰って来た。
とりあえず、書斎に立て籠って懐中から例の手帳を出したが、何分夕景ではっきりせん。実は途上でもあちこちと拾い読みに読んで来たのだが、鉛筆でなぐりがきに書いたものだから明るい所でも容易に分らない。ランプを点ける。下女が御飯はと云って来たから、めしは後で食うと追い返す。さて一頁から順々に見て行くと皆陣中の出来事のみである。しかも倥偬の際に分陰を偸んで記しつけたものと見えて大概の事は一句二句で弁じている。「風、坑道内にて食事。握り飯二個。泥まぶれ」と云うのがある。「夜来風邪の気味、発熱。診察を受けず、例のごとく勤務」と云うのがある。「テント外の歩哨散弾に中る。テントに仆れかかる。血痕を印す」「五時大突撃。中隊全滅、不成功に終る。残念※[#感嘆符三つ、231-5]」残念の下に!が三本引いてある。無論記憶を助けるための手控であるから、毫も文章らしいところはない。字句を修飾したり、彫琢したりした痕跡は薬にしたくも見当らぬ。しかしそれが非常に面白い。ただありのままをありのままに写しているところが大に気に入った。ことに俗人の使用する壮士的口吻がないのが嬉しい。怒気天を衝くだの、暴慢なる露人だの、醜虜の胆を寒からしむだの、すべてえらそうで安っぽい辞句はどこにも使ってない。文体ははなはだ気に入った、さすがに浩さんだと感心したが、肝心の寂光院事件はまだ出て来ない。だんだん読んで行くうちに四行ばかり書いて上から棒を引いて消した所が出て来た。こんな所が怪しいものだ。これを読みこなさなければ気が済まん。手帳をランプのホヤに押しつけて透かして見る。二行目の棒の下からある字が三分の二ばかり食み出している。郵の字らしい。それから骨を折ってようよう郵便局の三字だけ片づけた。郵便局の上の字は大※[#「郷-即のへん」、232-1]だけ見えている。これは何だろうと三分ほどランプと相談をしてやっと分った。本郷郵便局である。ここまではようやく漕ぎつけたがそのほかは裏から見ても逆さまに見てもどうしても読めない。とうとう断念する。それから二三頁進むと突然一大発見に遭遇した。「二三日一睡もせんので勤務中坑内仮寝。郵便局で逢った女の夢を見る」
余は覚えずどきりとした。「ただ二三分の間、顔を見たばかりの女を、ほど経て夢に見るのは不思議である」この句から急に言文一致になっている。「よほど衰弱している証拠であろう、しかし衰弱せんでもあの女の夢なら見るかも知れん。旅順へ来てからこれで三度見た」
余は日記をぴしゃりと敲いてこれだ! と叫んだ。御母さんが嫁々と口癖のように云うのは無理はない。これを読んでいるからだ。それを知らずに我儘だの残酷だのと心中で評したのは、こっちが悪るいのだ。なるほどこんな女がいるなら、親の身として一日でも添わしてやりたいだろう。御母さんが嫁がいたらいたらと云うのを今まで誤解して全く自分の淋しいのをまぎらすためとばかり解釈していたのは余の眼識の足らなかったところだ。あれは自分の我儘で云う言葉ではない。可愛い息子を戦死する前に、半月でも思い通りにさせてやりたかったと云う謎なのだ。なるほど男は呑気なものだ。しかし知らん事なら仕方がない。それは先ずよしとして元来寂光院がこの女なのか、あるいはあれは全く別物で、浩さんの郵便局で逢ったと云うのはほかの女なのか、これが疑問である。この疑問はまだ断定出来ない。これだけの材料でそう早く結論に高飛びはやりかねる。やりかねるが少しは想像を容れる余地もなくては、すべての判断はやれるものではない。浩さんが郵便局であの女に逢ったとする。郵便局へ遊びに行く訳はないから、切手を買うか、為替を出すか取るかしたに相違ない。浩さんが切手を手紙へ貼る時に傍にいたあの女が、どう云う拍子かで差出人の宿所姓名を見ないとは限らない。あの女が浩さんの宿所姓名をその時に覚え込んだとして、これに小説的分子を五分ばかり加味すれば寂光院事件は全く起らんとも云えぬ。女の方はそれで解せたとして浩さんの方が不思議だ。どうしてちょっと逢ったものをそう何度も夢に見るかしらん。どうも今少したしかな土台が欲しいがとなお読んで行くと、こんな事が書いてある。「近世の軍略において、攻城は至難なるものの一として数えらる。我が攻囲軍の死傷多きは怪しむに足らず。この二三ヶ月間に余が知れる将校の城下に斃れたる者は枚挙に遑あらず。死は早晩余を襲い来らん。余は日夜に両軍の砲撃を聞きて、今か今かと順番の至るを待つ」なるほど死を決していたものと見える。十一月二十五日の条にはこうある。「余の運命もいよいよ明日に逼った」今度は言文一致である。「軍人が軍さで死ぬのは当然の事である。死ぬのは名誉である。ある点から云えば生きて本国に帰るのは死ぬべきところを死に損なったようなものだ」戦死の当日の所を見ると「今日限りの命だ。二竜山を崩す大砲の声がしきりに響く。死んだらあの音も聞えぬだろう。耳は聞えなくなっても、誰か来て墓参りをしてくれるだろう。そうして白い小さい菊でもあげてくれるだろう。寂光院は閑静な所だ」とある。その次に「強い風だ。いよいよこれから死にに行く。丸に中って仆れるまで旗を振って進むつもりだ。御母さんは、寒いだろう」日記はここで、ぶつりと切れている。切れているはずだ。
余はぞっとして日記を閉じたが、いよいよあの女の事が気に懸ってたまらない。あの車は白山の方へ向いて馳けて行ったから、何でも白山方面のものに相違ない。白山方面とすれば本郷の郵便局へ来んとも限らん。しかし白山だって広い。名前も分らんものを探ねて歩いたって、そう急に知れる訳がない。とにかく今夜の間に合うような簡略な問題ではない。仕方がないから晩食を済ましてその晩はそれぎり寝る事にした。実は書物を読んでも何が書いてあるか茫々として海に対するような感があるから、やむをえず床へ這入ったのだが、さて夜具の中でも思う通りにはならんもので、終夜安眠が出来なかった。
翌日学校へ出て平常の通り講義はしたが、例の事件が気になっていつものように授業に身が入らない。控所へ来ても他の職員と話しをする気にならん。学校の退けるのを待ちかねて、その足で寂光院へ来て見たが、女の姿は見えない。昨日の菊が鮮やかに竹藪の緑に映じて雪の団子のように見えるばかりだ。それから白山から原町、林町の辺をぐるぐる廻って歩いたがやはり何らの手懸りもない。その晩は疲労のため寝る事だけはよく寝た。しかし朝になって授業が面白く出来ないのは昨日と変る事はなかった。三日目に教員の一人を捕まえて君白山方面に美人がいるかなと尋ねて見たら、うむ沢山いる、あっちへ引越したまえと云った。帰りがけに学生の一人に追いついて君は白山の方にいるかと聞いたら、いいえ森川町ですと答えた。こんな馬鹿な騒ぎ方をしていたって始まる訳のものではない。やはり平生のごとく落ちついて、緩るりと探究するに若くなしと決心を定めた。それでその晩は煩悶焦慮もせず、例の通り静かに書斎に入って、せんだって中からの取調物を引き続いてやる事にした。
近頃余の調べている事項は遺伝と云う大問題である。元来余は医者でもない、生物学者でもない。だから遺伝と云う問題に関して専門上の智識は無論有しておらぬ。有しておらぬところが余の好奇心を挑撥する訳で、近頃ふとした事からこの問題に関してその起原発達の歴史やら最近の学説やらを一通り承知したいと云う希望を起して、それからこの研究を始めたのである。遺伝と一口に云うとすこぶる単純なようであるがだんだん調べて見ると複雑な問題で、これだけ研究していても充分生涯の仕事はある。メンデリズムだの、ワイスマンの理論だの、ヘッケルの議論だの、その弟子のヘルトウィッヒの研究だの、スペンサーの進化心理説だのと色々の人が色々の事を云うている。そこで今夜は例のごとく書斎の裡で近頃出版になった英吉利のリードと云う人の著述を読むつもりで、二三枚だけは何気なくはぐってしまった。するとどう云う拍子か、かの日記の中の事柄が、書物を読ませまいと頭の中へ割り込んでくる。そうはさせぬとまた一枚ほど開けると、今度は寂光院が襲って来る。ようやくそれを追払って五六枚無難に通過したかと思うと、御母さんの切り下げの被布姿がページの上にあらわれる。読むつもりで決心して懸った仕事だから読めん事はない。読めん事はないがページとページの間に狂言が這入る。それでも構わずどしどし進んで行くと、この狂言と本文の間が次第次第に接近して来る。しまいにはどこからが狂言でどこまでが本文か分らないようにぼうっとして来た。この夢のようなありさまで五六分続けたと思ううち、たちまち頭の中に電流を通じた感じがしてはっと我に帰った。「そうだ、この問題は遺伝で解ける問題だ。遺伝で解けばきっと解ける」とは同時に吾口を突いて飛び出した言語である。今まではただ不思議である小説的である。何となく落ちつかない、何か疑惑を晴らす工夫はあるまいか、それには当人を捕えて聞き糺すよりほかに方法はあるまいとのみ速断して、その結果は朋友に冷かされたり、屑屋流に駒込近傍を徘徊したのである。しかしこんな問題は当人の支配権以外に立つ問題だから、よし当人を尋ねあてて事実を明らかにしたところで不思議は解けるものでない。当人から聞き得る事実その物が不思議である以上は余の疑惑は落ちつきようがない。昔はこんな現象を因果と称えていた。因果は諦らめる者、泣く子と地頭には勝たれぬ者と相場がきまっていた。なるほど因果と言い放てば因果で済むかも知れない。しかし二十世紀の文明はこの因を極めなければ承知しない。しかもこんな芝居的夢幻的現象の因を極めるのは遺伝によるよりほかにしようはなかろうと思う。本来ならあの女を捕まえて日記中の女と同人か別物かを明にした上で遺伝の研究を初めるのが順当であるが、本人の居所さえたしかならぬただいまでは、この順序を逆にして、彼らの血統から吟味して、下から上へ溯る代りに、昔から今に繰りさげて来るよりほかに道はあるまい。いずれにしても同じ結果に帰着する訳だから構わない。
そんならどうして両人の血統を調べたものだろう。女の方は何者だか分らないから、先ず男の方から調べてかかる。浩さんは東京で生れたから東京っ子である。聞くところによれば浩さんの御父さんも江戸で生れて江戸で死んだそうだ。するとこれも江戸っ子である。御爺さんも御爺さんの御父さんも江戸っ子である。すると浩さんの一家は代々東京で暮らしたようであるがその実町人でもなければ幕臣でもない。聞くところによると浩さんの家は紀州の藩士であったが江戸詰で代々こちらで暮らしたのだそうだ。紀州の家来と云う事だけ分ればそれで充分手懸りはある。紀州の藩士は何百人あるか知らないが現今東京に出ている者はそんなに沢山あるはずがない。ことにあの女のように立派な服装をしている身分なら藩主の家へ出入りをするにきまっている。藩主の家に出入するとすればその姓名はすぐに分る。これが余の仮定である。もしあの女が浩さんと同藩でないとするとこの事件は当分埓があかない。抛って置いて自然天然寂光院に往来で邂逅するのを待つよりほかに仕方がない。しかし余の仮定が中るとすると、あとは大抵余の考え通りに発展して来るに相違ない。余の考によると何でも浩さんの先祖と、あの女の先祖の間に何事かあって、その因果でこんな現象を生じたに違いない。これが第二の仮定である。こうこしらえてくるとだんだん面白くなってくる。単に自分の好奇心を満足させるばかりではない。目下研究の学問に対してもっとも興味ある材料を給与する貢献的事業になる。こう態度が変化すると、精神が急に爽快になる。今までは犬だか、探偵だかよほど下等なものに零落したような感じで、それがため脳中不愉快の度をだいぶ高めていたが、この仮定から出立すれば正々堂々たる者だ。学問上の研究の領分に属すべき事柄である。少しも疚ましい事はないと思い返した。どんな事でも思い返すと相当のジャスチフィケーションはある者だ。悪るかったと気がついたら黙坐して思い返すに限る。
あくる日学校で和歌山県出の同僚某に向って、君の国に老人で藩の歴史に詳しい人はいないかと尋ねたら、この同僚首をひねってあるさと云う。因ってその人物を承わると、もとは家老だったが今では家令と改名して依然として生きていると何だか妙な事を答える。家令ならなお都合がいい、平常藩邸に出入する人物の姓名職業は無論承知しているに違ない。
「その老人は色々昔の事を記憶しているだろうな」
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