「大丈夫ですか」
「大丈夫でねえかも知れねえが、シキへ這入った以上、仕方がねえ。ダイナマイトが恐ろしくっちゃ一日だって、シキへは這入れねえんだから」
自分は黙っていた。初さんは煙の中を押し分けるようにずんずん潜って行く。満更苦しくない事もないんだろうが、一つは新参の自分に対して、景気を見せるためじゃないかと思った。それとも煙は坑から坑へ抜け切って、陸の上なら、大抵晴れ渡った時分なのに、路が暗いんでいつまでも煙が這ってるように感じたり噎せっぽく思ったのかも知れない。そうすると自分の方が悪くなる。
いずれにしても苦いところを我慢して尾いて行った。また胎内潜りのような穴を抜けて、三四間ずつの段々を、右へ左へ折れ尽すと、路が二股になっている。その条路の突き当りで、カラカラランと云う音がした。深い井戸へ石片を抛げ込んだ時と調子は似ているが、普通の井戸よりも、遥に深いように思われた。と云うものは、落ちて行く間に、側へ当って鳴る音が、冴えている。ばかりか、よほど長くつづく。最後のカラランは底の底から出て、出るにはよほど手間がかかる。けれども一本道を、真直に上へ抜けるだけで、ほかに逃道がないから、どんなに暇取っても、きっと出てくる。途中で消えそうになると、壁の反響が手伝って、底で出ただけの響は、いかに微な遠くであっても、洩らすところなく上まで送り出す。――ざっとこんな音である。カラララン。カカラアン。……
初さんが留った。
「聞えるか」
「聞えます」
「スノコへ鉱を落してる」
「はああ……」
「ついでだからスノコを見せてやろう」
と、急に思いついたような調子で、勢いよく初さんが、一足後へ引いて草鞋の踵を向け直した。自分が耳の方へ気を取られて、返事もしないうちに、初さんは右へ切れた。自分も続いて暗いなかへ這入る。
折れた路はわずか四尺ほどで行き当る。ところをまた右へ廻り込むと、一間ばかり先が急に薄明るく、縦にも横にも広がっている。その中に黒い影が二つあった。自分達がその傍まで近づいた時、黒い影の一つが、左の足と共に、精一杯前へ出した力を後へ抜く拍子に、大きな箕を、斜に抛げ返した。箕は足掛りの板の上に落ちた。カカン、カラカランと云う音が遠くへ落ちて行く。一尺前は大きな穴である。広さは畳二畳敷ぐらいはあるだろう。箕に入れたばらの鉱を、掘子が抛げ込んだばかりである。突き当りの壁は突立っている。微なカンテラに照らされて、色さえしっかり分らない上が、一面に濡れて、濡れた所だけがきらきら光っている。
「覗いて見ろ」
初さんが云った。穴の手前が三尺ばかり板で張り詰めてある。自分は板の三分の一ほどまで踏み出した。
「もっと、出ろ」
と初さんが後から催促する。自分は躊躇した。これでさえ踏板が外れれば、どこまで落ちて行くか分らない。ましてもう一尺前へ出れば、いざと云う時、土の上へ飛び退く手間が一尺だけ遅くなる。一尺は何でもないようだが、ここでは平地の十間にも当る。自分は何分にも躊躇した。
「出ろやい。吝な野郎だな。そんな事で掘子が勤まるかい」
と云われた。これは初さんの声ではなかった。黒い影の一人が云ったんだろう。自分は振り返って見なかった。しかし依然として足は前へ出なかった。ただ眼だけが、露で光った薄暗い向うの壁を伝わって、下の方へ、しだいに落ちて行くと、約一間ばかりは、どうにか見えるが、それから先は真暗だ。真暗だからどこまで視線に這入るんだか分らない。ただ深いと思えば際限もなく深い。落ちちゃ大変だと神経を起すと、後から背中を突かれるような気がする。足は依然としてもとの位地を持ち応えていた。すると、
「おい邪魔だ。ちょっと退きな」
と声を掛けられたんで、振り向くと、一人の掘子が重そうに俵を抱えて立っている。俵の大きさは米俵の半分ぐらいしかない。しかし両手で底を受けて、幾分か腰で支えながら、うんと気合を入れているところは、全く重そうだ。自分はこの体を見て、すぐ傍へ避けた。そうして比較的安全な、板が折れても差支なく地面へ飛び退けるほどの距離まで退いた。掘子は、俵で眼先がつかえてるから定めし剣呑がるだろうと思いのほか、容赦なく重い足を運ばして前へ出る。縁から二尺ばかり手前まで出て、足を揃えたから、もう留まるだろうと見ていると、また出した。余る所は一尺しきゃあない。その一尺へまた五寸ほど切り込んだ。そうして行儀よく右左を揃えた。そうして、うんと云った。胸と腰が同時に前へ出た。危ない。のめったと思う途端に、重い俵は、とんぼ返りを打って、掘子の手を離れた。掘子はもとの所へ突っ立っている。落ちた俵はしばらく音沙汰もない。と思うと遠くでどさっと云った。俵は底まで落切ったと見える。
「どうだ、あの芸が出来るか」
と初さんが聞いた。自分は、
「そうですねえ」
と首を曲げて、恐れ入ってた。すると初さんも掘子もみんな笑い出した。自分は笑われても全く致し方がないと思って、依然として恐れ入ってた。その時初さんがこんな事を云って聞かした。
「何になっても修業は要るもんだ。やって見ねえうちは、馬鹿にゃ出来ねえ。お前が掘子になるにしたって、おっかながって、手先ばかりで抛げ込んで見ねえ。みんな板の上へ落ちちまって、肝心の穴へは這入りゃしねえ。そうして、鉱の重みで引っ張り込まれるから、かえって剣呑だ。ああ思い切って胸から突き出してかからにゃ……」
と云い掛けると、ほかの男が、
「二三度スノコへ落ちて見なくっちゃ駄目だ。ハハハハ」
と笑った。
後戻をして元の路へ出て、半町ほど行くと、掘子は右へ折れた。初さんと自分は真直に坂を下りる。下り切ると、四五間平らな路を縫うように突き当った所で、初さんが留まった。
「おい。まだ下りられるか」
と聞く。実はよほど前から下りられない。しかし中途で降参したら、落第するにきまってるから、我慢に我慢を重ねて、ここまで来たようなものの、内心ではその内もうどん底へ行き着くだろうくらいの目算はあった。そこへ持って来て、相手がぴたりと留まって、一段落つけた上、さて改めて、まだ下りる気かと正式に尋ねられると、まだ下りるべき道程はけっして一丁や二丁でないと云う意味になる。――自分は暗いながら初さんの顔を見て考えた。御免蒙ろうかしらと考えた。こう云う時の出処進退は、全く相手の思わく一つできまる。いかな馬鹿でも、いかな利口でも同じ事である。だから自分の胸に相談するよりも、初さんの顔色で判断する方が早く片がつく。つまり自分の性格よりも周囲の事情が運命を決する場合である。性格が水準以下に下落する場合である。平生築き上げたと自信している性格が、めちゃくちゃに崩れる場合のうちでもっとも顕著なる例である。――自分の無性格論はここからも出ている。
前申す通り自分は初さんの顔を見た。すると、下りようじゃないかと云う親密な情合も見えない。下りなくっちゃ御前のためにならないと云う忠告の意も見えない。是非下ろして見せると云う威嚇もあらわれていない。下りたかろうと焦らす気色は無論ない。ただ下りられまいと云う侮辱の色で持ち切っている。それは何ともなかった。しかしその色の裏面には落第と云う切実な問題が潜んでいる。この場合における落第は、名誉より、品性より、何よりも大事件である。自分は窒息しても下りなければならない。
「下りましょう」
と思い切って、云った。初さんは案に相違の様子であったが、
「じゃ、下りよう。その代り少し危ないよ」
と穏かに同意の意を表した。なるほど危ないはずだ。九十度の角度で切っ立った、屏風のような穴を真直に下りるんだから、猿の仕事である。梯子が懸ってる。勾配も何にもない。こちらの壁にぴったり食っついて、棒を空にぶら下げたように、覗くと端が見えかねる。どこまで続いてるんだか、どこで縛りつけてあるんだか、まるで分らない。
「じゃ、己が先へ下りるからね。気をつけて来たまえ」
と初さんが云った。初さんがこれほど叮嚀な言葉を使おうとは思いも寄らなかった。おおかた神妙に下りましょうと出たんで、幾分か憐愍の念を起したんだろう。やがて初さんは、ぐるりと引っ繰り返って、正式に穴の方へ尻を向けた。そうして屈んだ。と思うと、足からだんだん這入って行く。しまいには顔だけが残った。やがてその顔も消えた。顔が出ている間は、多少の安心もあったが、黒い頭の先までが、ずぼりと穴へはまった時は、さすがに心配なのと心細いのとで、じっとしていられなくって、足をつま立てるようにして、上から見下した。初さんは下りて行く。黒い頭とカンテラの灯だけが見える。その時自分は気味の悪いうちにも、こう考えた。初さんの姿が見えるうちに下りてしまわないと、下り損なうかも知れない。面目ない事が出来する。早くするに越した分別はないと決心して、いきなり後ろ向になって初さんのように、膝を地につけて、手で摺り下りながら、草鞋の底で段々を探った。
両手で第一段目を握って、足を好加減な所へ掛けると、背中が海老のように曲った。それから、そろそろ足を伸ばし出した。真直に立つと、カンテラの灯が胸の所へ来る。じっとしていると燻されてしまう。仕方がないから、片足下げる。手もこれに応じて握り更えなくっちゃならない。おろそうとすると、指で提げてるカンテラが、とんだところで、始末の悪いように動く。滅多に振ると、着物が焼けそうになる。大事を取ると壁へぶつかって灯が揉み潰されそうになる。親指へカップを差し込んで、振子のように動かした時は、はなはだ軽便な器械だと思ったが、こうなると非常に邪魔になる。その上梯子の幅は狭い。段と段の間がすこぶる長い。一段さがるに、普通の倍は骨が折れる。そこへもって来て恐怖が手伝う。そうして握り直すたんびに、段木がぬらぬらする。鼻を押しつけるようにして、乏しい灯で透かして見ると、へな土が一面に粘いている。上り下りの草鞋で踏つけたものと思われる。自分は梯子の途中で、首を横へ出して、下を覗いた。よせば善かったが、つい覗いた。すると急にぐらぐらと頭が廻って、かたく握った手がゆるんで来た。これは死ぬかも知れない。死んじゃ大変だと、噛りついたなり、いきなり眼を閉った。石鹸球の大きなのが、ぐるぐる散らついてるうちに、初さんが降りて行く。本当を云うと、下を覗いた時にこそ、初さんの姿が見えれば見えるんで、ねぶった眼の前に湧いて出る石鹸球の中に、初さんがいる訳がない。しかし現にいる。そうして降りて行く。いかにも不思議であった。今考えると、目舞のする前に、ちらりと初さんを見たに違ないんだが、ぐらぐらと咄癡て、死ぬ方が怖くなったもんだから、初さんの影は網膜に映じたなり忘れちまったのが、段木に噛りついて眼を閉るや否や生き返ったんだろう。ただしそう云う事が学理上あり得るものか、どうか知らない。その当時は夢中である。坑は暗い、命は惜しい、頭は乱れている。生きてるか死んでるか判然しない。そこへ初さんが降りて行く。眼の中で降りて行くんだか、足の下で降りて行くんだかめちゃくちゃであった。が不思議な事に、眼を開けるや否やまた下を見た。するとやはり初さんが降りている。しかも切っ立った壁の向う側を降りているようだ。今度は二度目のせいか、落ちるほど眩暈もしなかったんで、よくよく眸を据えて見ると、まさに向う側を降りて行く。はてなと思った。ところへカンテラがまたじいと鳴った。保証つきの灯火だが、こうなるとまた心細い。初さんはずんずん行くようだ。自分もここに至れば、全速力で降りるのが得策だと考えついた。そこでぬるぬるする段木を握り更え、握り更えてようやく三間ばかり下がると、足が土の上へ落ちた。踏んで見たがやッぱり土だ。念のため、手を離さずに足元の様子を見ると、梯子は全く尽きている。踏んでいる土も幅一尺で切れている。あとは筒抜の穴だ。その代り今度は向側に別の梯子がついている。手を延ばすと届くように懸けてある。仕方がないから、自分はまたこの梯子へ移った。そうして出来るだけ早く降りた。長さは前のと同様である。するとまた逆の方向に、依然として梯子が懸けてある。どうも是非に及ばない。また移った。やっとの思いでこれも片づけると、新しい梯子はもとのごとく向側に懸っている。ほとんど際限がない。自分が六つめの梯子まで来た時は、手が怠くなって、足が悸え出して、妙な息が出て来た。下を見ると初さんの姿はとくの昔に消えている。見れば見るほど真闇だ。自分のカンテラへはじいじいと点滴が垂れる。草鞋の中へは清水がしみ込んで来る。
しばらく休んでいたら、手が抜けそうになった。下り出すと足を踏み外しかねぬ。けれども下りるだけ下りなければ、のめって逆さに頭を割るばかりだと思うと、どうか、こうか、段々を下り切る力が、どっかから出て来る。あの力の出所はとうてい分らない。しかしこの時は一度に出ないで、少しずつ、腕と腹と足へ煮染み出すように来たから、自分でも、ちゃんと自覚していた。ちょうど試験の前の晩徹夜をして、疲労の結果、うっとりして急に眼が覚めると、また五六頁は読めると同じ具合だと思う。こう云う勉強に限って、何を読んだか分らない癖に、とにかく読む事は読み通すものだが、それと同じく自分もたしかに降りたとは断言しにくいが、何しろ降りた事はたしかである。下読をする書物の内容は忘れても、頁の数は覚えているごとく、梯子段の数だけは明かに記憶していた。ちょうど十五あった。十五下り尽しても、まだ初さんが見えないには驚いた。しかし幸い一本道だったから、どぎまぎしながらも、細い穴を這い出すと、ようやく初さんがいた。しかも、例のように無敵な文句は並べずに、
「どうだ苦しかったか」
と聞いてくれた。自分は全く苦しいんだから、
「苦しいです」
と答えた。次に初さんが、
「もう少しだ我慢しちゃ、どうだ」
と奨励した。次に自分は、
「また梯子があるんですか」
と聞いた。すると初さんが、
「ハハハハもう梯子はないよ。大丈夫だ」
と好意的の笑を洩らした。そこで自分も我慢のしついでだと観念して、また初さんの尻について行くと、また下りる。そうして下りるに従って路へ水が溜って来た。ぴちゃぴちゃと云う音がする。カンテラの灯で照らして見ると、下谷辺の溝渠が溢れたように、薄鼠になってだぶだぶしている。その泥水がまた馬鹿に冷たい。指の股が切られるようである。けれども一面の水だから、せっかく水を抜いた足を、また無惨にも水の中へ落さなくっちゃならない。片足を揚げると、五位鷺のようにそのままで立っていたくなる。それでも仕方なしに草鞋の裏を着けるとぴちゃりと云うが早いか、水際から、魚の鰭のような波が立つ。その片側がカンテラの灯できらきらと光るかと思うと、すぐ落ちついてもとに帰る。せっかく平になった上をまたぴちゃりと踏み荒らす。魚の鰭がまた光る。こう云う風にして、奥へ奥へと這入って行くと、水はだんだん深くなる。ここを潜り抜けたら、乾いた所へ出られる事かと、受け合われない行先をあてにして、ぐるりと廻ると、足の甲でとまってた水が急に脛まで来た。この次にはと、辛抱して、右に折れると、がっくり落ちがして膝まで漬かっちまう。こうなると、動くたんびにざぶざぶ云う。膝で切る波が渦を捲いて流れる。その渦がだんだん股の方へ押し寄せてくる。全く危険だと思った。ことによれば、何かの原因で水が出たんだから、今に坑のなかが、いっぱいになりゃしないかと思うと急に腰から腹の中までが冷たくなって来た。しかるに初さんは辟易した体もなく、さっさと泥水を分けて行く。
「大丈夫なんですか」
と後から聞いて見たが、初さんは別に返事もしずに、依然として、ざぶりざぶりと水を押し分けて行く。自分の考えるところによると、いくら銅山でも水に漬かっていては、仕事ができるはずがない。こうどぶつく以上は、何か変事でもあるか、または廃坑へでも連れ込まれたに違いない。いずれにしても災難だと、不安の念に冒されながら、もう一遍初さんに聞こうかしらと思ってるうち、水はとうとう腰まで来てしまった。
「まだ這入るんですか」
と、自分はたまらなくなったから、後から初さんを呼び留めた。この声は普通の質問の声ではない。吾身を思うの余り、命が口から飛び出したようなものである。だから、いざと云う間際には単音の叫声となってあらわれるところを、まだ初さんの手前を憚るだけの余裕があるから、しばらく恐怖の質問と姿を変じたまでである。この声を聞きつけた時は、さすがの初さんも水の中で留まったなり、振り返った。カンテラを高く差し上げる。眸を据えると初さんの眉の間に八の字が寄って来た。しかも口元は笑っている。
「どうした。降参したか」
「いえ、この水が……」
と自分は、腰の辺を、物凄そうに眺めた。初さんは毫も感心しない。やっぱりにこにこしている。出水の往来を、通行人が尻をまくって面白そうに渉る時のように見えた。自分もこれで疑いは晴れたが、根が臆病だから、念のため、もう一度、
「大丈夫でしょうか」
を繰返した。この時初さんはますます愉快そうな顔つきだったが、やがて真面目になって、
「八番坑だ。これがどん底だ。水ぐらいあるなあ当前だ。そんなに、おっかながるにゃ当らねえ。まあ好いからこっちへ来ねえ」
となかなか承知しないから、仕方なしに、股まで濡らしてついて行った。たださえ暗い坑の中だから、思い切った喩を云えば、頭から暗闇に濡れてると形容しても差支ない。その上本当の水、しかも坑と同じ色の水に濡れるんだから、心持の悪い所が、倍悪くなる。その上水は踝からだんだん競り上がって来る。今では腰まで漬かっている。しかも動くたんびに、波が立つから、実際の水際以上までが濡れてくる。そうして、濡れた所は乾かないのに、波はことによると、濡れた所よりも高く上がるから、つまりは一寸二寸と身体が腹まで冷えてくる。坑で頭から冷えて、水で腹まで冷えて、二重に冷え切って、不知案内の所を海鼠のようについて行った。すると、右の方に穴があって、洞のように深く開いてる中から、水が流れて来る。そうしてその中でかあんかあんと云う音がする。作事場に違いない。初さんは、穴の前に立ったまま、
「そうら。こんな底でも働いてるものがあるぜ。真似ができるか」
と聞いた。自分は、胸が水に浸るまで、屈んで洞の中を覗き込んだ。すると奥の方が一面に薄明るく――明るくと云うが、締りのない、取り留めのつかない、微な灯を無理に広い間へ使って、引っ張り足りないから、せっかくの光が暗闇に圧倒されて、茫然と濁っている体であった。その中に一段と黒いものが、斜めに岩へ吸いついている辺から、かあんかあんと云う音が出た。洞の四面へ響いて、行き所のない苦しまぎれに、水に跳ね返ったものが、纏まって穴の口から出て来る。水も出てくる。天井の暗い割には水の方に光がある。
「這入って見るか」
と云う。自分はぞっと寒気がした。
「這入らないでも好いです」
と答えた。すると初さんが、
「じゃ止めにして置こう。しかし止めるなあ今日だけだよ」
と但し書をつけて、一応自分の顔をとくと見た。自分は案の定釣り出された。
「明日っから、ここで働くんでしょうか。働くとすれば、何時間水に漬かってる――漬かってれば義務が済むんですか」
「そうさなあ」
と考えていた初さんは、
「一昼夜に三回の交替だからな」
と説明してくれた。一昼夜に三回の交替ならひとくぎり八時間になる。自分は黒い水の上へ眼を落した。
「大丈夫だ。心配しなくってもいい」
初さんは突然慰めてくれた。気の毒になったんだろう。
「だって八時間は働かなくっちゃならないんでしょう」
「そりゃきまりの時間だけは働かせられるのは知れ切ってらあ。だが心配しなくってもいい」
「どうしてですか」
「好いてえ事よ」
と初さんは歩き出した。自分も黙って歩き出した。二三歩水をざぶざぶ云わせた時、初さんは急に振り返った。
「新前は大抵二番坑か三番坑で働くんだ。よっぽど様子が分らなくっちゃ、ここまで下りちゃ来られねえ」
と云いながら、にやにやと笑った。自分もにやにやと笑った。
「安心したか」
と初さんがまた聞いた。仕方がないから、
「ええ」
と返事をして置いた。初さんは大得意であった。時にどぶどぶ動く水が、急に膝まで減った。爪先で探ると段々がある。一つ、二つと勘定すると三つ目で、水は踝まで落ちた。それで平らに続いている。意外に早く高い所へ出たんで、非常に嬉しかった。それから先は、とんとん拍子に嬉しくなって、曲れば曲るほど地面が乾いて来る。しまいにはぴちゃりとも音のしない所へ出た。時に初さんが器械を見る気があるかと尋ねたが、これは諸方のスノコから落ちて来た鉱を聚めて、第一坑へ揚げて、それから電車でシキの外へ運び出す仕掛を云うんだと聞いて、頭から御免蒙った。いくら面白く運転する器械でも、明日の自分に用のない所は見る気にならなかった。器械を見ないとするとこれで、まあ坑内の模様を一応見物した訳になる。そこで案内の初さんが帰るんだと云う通知を与えてくれた。腰きり水に漬かるのは、いかな初さんも一度でたくさんだと見えて、帰りには比較的濡れないで済む路を通ってくれた。それでも十間ほどは腫ら脛まで水が押し寄せた。この十間を通るときに、様子を知らない自分はまた例の所へ来たなと感づいて、往きに臍の近所が氷りつきそうであった事を思い出しつつ、今か今かと冷たい足を運んで行ったが、
の嘴と善い方へばかり、食い違って、行けば行くほど、水が浅くなる。足が軽くなる。ついにはまた乾いた路へ出てしまった。初さんに、
「もう済んだでしょうか」
と聞いて見ると、初さんはただ笑っていた。その時は自分も愉快だったが、しばらくすると、例の梯子の下へ出た。水は胸までくらい我慢するがこの梯子には、――せめて帰り路だけでも好いから、遁れたかったが、やっぱりちょうどその下へ出て来た。自分は蜀の桟道と云う事を人から聞いて覚えていた。この梯子は、桟道を逆に釣るして、未練なく傾斜の角度を抜きにしたものである。自分はそこへ来ると急に足が出なくなった。突然脚気に罹ったような心持になると、思わず、腰を後へ引っ張られた。引っ張られたのは初さんに引っ張られたのかと思う読者もあるかもしれないが、そうじゃない。そう云う気分が起ったんで、強いて形容すれば、疝気に引っ張られたとでも叙したら善かろう。何しろ腰が伸せない。もっともこれは逆桟道の祟りだと一概に断言する気でもない、さっきから案内の初さんの方で、だいぶ御機嫌が好いので、相手の寛大な御情につけ上って、奮発の箍がしだいしだいに緩んだのもたしかな事実である。何しろ歩けなくなった。この腰附を見ていた初さんは、
「どうだ歩けそうもねえな。まるで屁っぴり腰だ。ちっと休むが好い。おれは遊びに行って来るから」
と云ったぎり、暗い所を潜って、どこへか出て行った。
あとは云うまでもなく一人になる。自分はべっとりと、尻を地びたへ着けた。アテシコはこう云うときに非常に便利になる。御蔭で、岩で骨が痛んだり、泥で着物が汚れたりする憂いがないだけ、惨憺なうちにも、まだ嬉しいところがあった。そうして、硬く曲った背中を壁へ倚たせた。これより以上は横のものを竪にする気もなかった。ただそのままの姿勢で向うの壁を見詰めていた。身体が動かないから、心も働かないのか、心が居坐りだから、身体が怠けるのか、とにかく、双方相び合って、生死の間に彷徨していたと見えて、しばらくは万事が不明瞭であった。始めは、どうか一尺立方でもいいから、明かるい空気が吸って見たいような気がしたが、だんだん心が昏くなる。と坑のなかの暗いのも忘れてしまう。どっちがどっちだか分らなくなって朦朧のうちに合体稠和して来た。しかしけっして寝たんじゃない。しんとして、意識が稀薄になったまでである。しかしその稀薄な意識は、十倍の水に溶いた娑婆気であるから、いくら不透明でも正気は失わない。ちょうど差し向いの代りに、電話で話しをするくらいの程度――もしくはこれよりも少しく不明瞭な程度である。かように水平以下に意識が沈んでくるのは、浮世の日が烈し過ぎて困る自分には――東京にも田舎にもおり終せない自分には――煩悶の解熱剤を頓服しなければならない自分には――神経繊維の端の端まで寄って来た過度の刺激を散らさなければならない自分には――必要であり、願望であり、理想である。長蔵さんに引張られながら、道々空想に描いた坑夫生活よりも、たしかに上等の天国である。もし駆落が自滅の第一着なら、この境界は自滅の――第何着か知らないが、とにかく終局地を去る事遠からざる停車場である。自分は初さんに置いて行かれた少時の休憩時間内に、図らずもこの自滅の手前まで、突然釣り込まれて、――まあ、どんな心持がしたと思う。正直に云えば嬉しかった。しかし嬉しいと云う自覚は十倍の水に溶き交ぜられた正気の中に遊離しているんだから、ほかの娑婆気と同じく、劇烈には来ない。やっぱり稀薄である。けれど自覚はたしかにあった。正気を失わないものが、嬉しいと云う自覚だけを取り落す訳がない。自分の精神状態は活動の区域を狭められた片輪の心的現象とは違う。一般の活動を恣にする自由の天地はもとのごとくに存在して、活動その物の強度が滅却して来たのみだから、平常の我とこの時の我との差はただ濃淡の差である。その最も淡い生涯の中に、淡い喜びがあった。
もしこの状態が一時間続いたら、自分は一時間の間満足していたろう。一日続いたら一日の間満足したに違ない。もし百年続いたにしても、やっぱり嬉しかったろう。ところが――ここでまた新しい心の活作用に現参した。
というのはあいにく、この状態が自分の希望通同じ所に留っていてくれなかった。動いて来た。油の尽きかかったランプの灯のように動いて来た。意識を数字であらわすと、平生十のものが、今は五になって留まっていた。それがしばらくすると四になる。三になる。推して行けばいつか一度は零にならなければならない。自分はこの経過に連れて淡くなりつつ変化する嬉しさを自覚していた。この経過に連れて淡く変化する自覚の度において自覚していた。嬉しさはどこまで行っても嬉しいに違ない。だから理窟から云うと、意識がどこまで降って行こうとも、自分は嬉しいとのみ思って、満足するよりほかに道はないはずである。ところがだんだんと競りおろして来て、いよいよ零に近くなった時、突然として暗中から躍り出した。こいつは死ぬぞと云う考えが躍り出した。すぐに続いて、死んじゃ大変だと云う考えが躍り出した。自分は同時に、かっと眼を開いた。
足の先が切れそうである。膝から腰までが血が通って氷りついている。腹は水でも詰めたようである。胸から上は人間らしい。眼を開けた時に、眼を開けない前の事を思うと、「死ぬぞ、死んじゃ大変だ」までが順々につながって来て、そこで、ぷつりと切れている。切れた次ぎは、すぐ眼を開いた所作になる。つまり「死ぬぞ」で命の方向転換をやって、やってからの第一所作が眼を開いた訳になるから、二つのものは全く離れている。それで全く続いている。続いている証拠には、眼を開いて、身の周囲を見た時に、「死ぬぞ……」と云う声が、まだ耳に残っていた。たしかに残っていた。自分は声だの耳だのと云う字を使うが、ほかには形容しようがないからである。形容どころではない、実際に「死ぬぞ……」と注意してくれた人間があったとしきゃ受け取れなかった。けれども、人間は無論いるはずはなし。と云って、神――神は大嫌だ。やっぱり自分が自分の心に、あわてて思い浮べたまでであろうが、それほど人間が死ぬのを苦に病んでいようとは夢にも思い浮べなかった。これだから自殺などはできないはずである。こう云う時は、魂の段取が平生と違うから、自分で自分の本能に支配されながら、まるで自覚しないものだ。気をつけべき事と思う。この例なども、解釈のしようでは、神が助けてくれたともなる。自分の影身につき添っている――まあ恋人が多いようだが――そう云う人々の魂が救ったんだともなる。年の若い割に、自分がこの声を艶子さんとも澄江さんとも解釈しなかったのは、己惚の強い割には感心である。自分は生れつきそれほど詩的でなかったんだろう。
そこへ初さんがひょっくり帰って来た。初さんを見るが早いか、自分の意識はいよいよ明瞭になった。これから例の逆桟道を登らなくっちゃならない事も、明日から、鑿と槌でかあんかあんやらなくっちゃならない事も、南京米も、南京虫も、ジャンボーも達磨も一時に残らず分ってしまい、そうして最後に自分の堕落がもっとも明かに分った。
「ちったあ気分は好いか」
「ええ少しは好いようです」
「じゃ、そろそろ登ってやろう」
と云うから、礼を云って立っていると、初さんは景気よく段木を捕えて片足踏ん掛けながら、
「登りは少し骨が折れるよ。そのつもりで尾いて来ねえ」
と振り返って、注意しながら登り出した。自分は何となく寒々しい心持になって、下から見上げると、初さんは登って行く。猿のように登って行く。そろそろ登ってくれる様子も何もありゃしない。早くしないとまた置いてきぼりを食う恐れがある。自分も思い切って登り出した。すると二三段足を運ぶか運ばないうちになるほどと感心した。初さんの云う通り非常に骨が折れる。全く疲れているばかりじゃない。下りる時には、胸から上が比較的前へ出るんで、幾分か背の重みを梯子に託する事ができる。しかし上りになると、全く反対で、ややともすると、身体が後へ反れる。反れた重みは、両手で持ち応えなければならないから、二の腕から肩へかけて一段ごとに余分の税がかかる。のみならず、手の平と五本の指で、この〆高を握らなければならない。それが前に云った通りぬるぬるする。梯子を一つ片づけるのは容易の事ではない。しかもそれが十五ある。初さんは、とっくの昔に消えてなくなった。手を離しさえすれば真暗闇に逆落しになる。離すまいとすれば肩が抜けるばかりだ。自分は七番目の梯子の途中で火焔のような息を吹きながら、つくづく労働の困難を感じた。そうして熱い涙で眼がいっぱいになった。
二三度上瞼と下瞼を打ち合して見たが、依然として、視覚はぼうっとしている。五寸と離れない壁さえたしかには分らない。手の甲で擦ろうと思うが、あやにく両方とも塞がっている。自分は口惜くなった。なぜこんな猿の真似をするように零落れたのかと思った。倒れそうになる身体を、できるだけ前の方にのめらして、梯子に倚れるだけ倚れて考えた。休んだと註釈する方が適当かも知れない。ただ中途で留まったと云い切ってもよろしい。何しろ動かなくなった。また動けなくなった。じっとして立っていた。カンテラのじいと鳴るのも、足の底へ清水が沁み込むのも、全く気がつかなかった。したがって何分過ったのかとんと感じに乗らない。するとまた熱い涙が出て来た。心が存外たしかであるのに、眼だけが霞んでくる。いくら瞬をしても駄目だ。湯の中に眸を漬けてるようだ。くしゃくしゃする。焦心たくなる。癇が起る。奮興の度が烈しくなる。そうして、身体は思うように利かない。自分は歯を食い締って、両手で握った段木を二三度揺り動かした。無論動きゃしない。いっその事、手を離しちまおうかしらん。逆さに落ちて頭から先へ砕ける方が、早く片がついていい。とむらむらと死ぬ気が起った。――梯子の下では、死んじゃ大変だと飛び起きたものが、梯子の途中へ来ると、急に太い短い無分別を起して、全く死ぬ気になったのは、自分の生涯における心理推移の現象のうちで、もっとも記憶すべき事実である。自分は心理学者でないから、こう云う変化を、どう説明したら適切であるか知らないけれども、心理学者はかえって、実際の経験に乏しいようにも思うから、杜撰ながら、一応自分の愚見だけを述べて、参考にしたい。
アテシコを尻に敷いて、休息した時は、始めから休息する覚悟であった。から心に落ちつきが有る。刺激が少い。そう云う状態で壁へ倚りかかっていると、その状態がなだらかに進行するから、自然の勢いとしてだんだん気が遠くなる。魂が沈んで行く。こう云う場合における精神運動の方向は、いつもきまったもので、必ず積極から出立してしだいに消極に近づく径路を取るのが普通である。ところがその普通の径路を行き尽くして、もうこれがどん詰だと云う間際になると、魂が割れて二様の所作をする。第一は順風に帆を上げる勢いで、このどん底まで流れ込んでしまう。するとそれぎり死ぬ。でなければ、大切の手前まで行って、急に反対の方角に飛び出してくる。消極へ向いて進んだものが、突如として、逆さまに、積極の頭へ戻る。すると、命がたちまち確実になる。自分が梯子の下で経験したのはこの第二に当る。だから死に近づきながら好い心持に、三途のこちら側まで行ったものが、順路をてくてく引き返す手数を省いて、急に、娑婆の真中に出現したんである。自分はこれを死を転じて活に帰す経験と名づけている。
ところが梯子の中途では、全くこれと反対の現象に逢った。自分は初さんの後を追っ懸けて登らなければならない。その初さんは、とっくに見えなくなってしまった。心は焦る、気は揉める、手は離せない。自分は猿よりも下等である。情ない。苦しい。――万事が痛切である。自覚の強度がしだいしだいに劇しくなるばかりである。だからこの場合における精神運動の方向は、消極より積極に向って登り詰める状態である。さてその状態がいつまでも進行して、奮興の極度に達すると、やはり二様の作用が出る訳だが、とくに面白いと思うのはその一つ、――すなわち積極の頂点からとんぼ返りを打って、魂が消極の末端にひょっくり現われる奇特である。平たく云うと、生きてる事実が明瞭になり切った途端に、命を棄てようと決心する現象を云うんである。自分はこれを活上より死に入る作用と名けている。この作用は矛盾のごとく思われるが実際から云うと、矛盾でも何でも、魂の持前だから存外自然に行われるものである。論より証拠発奮して死ぬものは奇麗に死ぬが、いじけて殺されるものは、どうも旨く死に切れないようだ。人の身の上はとにかく、こう云う自分が好い証拠である。梯子の途中で、ええ忌々しい、死んじまえと思った時は、手を離すのが怖くも何ともなかった。無論例のごとくどきんなどとはけっしてしなかった。ところがいざ死のうとして、手を離しかけた時に、また妙な精神作用を承当した。
自分は元来が小説的の人間じゃないんだが、まだ年が若かったから、今まで浮気に自殺を計画した時は、いつでも花々しくやって見せたいと云う念があった。短銃でも九寸五分でも立派に――つまり人が賞めてくれるように死んでみたいと考えていた。できるならば、華厳の瀑まででも出向きたいなどと思った事もある。しかしどうしても便所や物置で首を縊るのは下等だと断念していた。その虚栄心が、この際突然首を出した。どこから出したか分らないが、出した。つまり出すだけの余地があったから出したに相違あるまいから、自分の決心はいかに真面目であったにしても、さほど差し逼ってはいなかったんだろう。しかしこのくらい断乎として、現に梯子段から手を離しかけた、最中に首を出すくらいだから、相手もなかなか深い勢力を張っていたに違ない。もっともこれは死んで銅像になりたがる精神と大した懸隔もあるまいから、普通の人間としては別に怪しむべき願望とも思わないが、何しろこの際の自分には、ちと贅沢過ぎたようだ。しかしこの贅沢心のために、自分は発作性の急往生を思いとまって、不束ながら今日まで生きている。全く今はの際にも弱点を引張っていた御蔭である。
話すとこうなる。――いよいよ死んじまえと思って、体を心持後へ引いて、手の握をゆるめかけた時に、どうせ死ぬなら、ここで死んだって冴えない。待て待て、出てから華厳の瀑へ行けと云う号令――号令は変だが、全く号令のようなものが頭の中に響き渡った。ゆるめかけた手が自然と緊った。曇った眼が、急に明かるくなった。カンテラが燃えている。仰向くと、泥で濡れた梯子段が、暗い中まで続いている。是非共登らなければならない。もし途中で挫折すれば犬死になる。暗い坑で、誰も人のいない所で、日の目も見ないで、鉱と同じようにころげ落ちて、それっきり忘れられるのは――案内の初さんにさえ忘れられるのは――よし見つかっても半獣半人の坑夫共に軽蔑されるのは無念である。是非共登り切っちまわなければならない。カンテラは燃えている。梯子は続いている。梯子の先には坑が続いている。坑の先には太陽が照り渡っている。広い野がある、高い山がある。野と山を越して行けば華厳の瀑がある。――どうあっても登らなければならない。
左の手を頭の上まで伸ばした。ぬらつく段木を指の痕のつくほど強く握った。濡れた腰をうんと立てた。同時に右の足を一尺上げた。カンテラの灯は暗い中を竪に動いて行く。坑は層一層と明かるくなる。踏み棄てて去る段々はしだいしだいに暗い中に落ちて行く。吐く息が黒い壁へ当る。熱い息である。そうして時々は白く見えた。次には口を結んだ。すると鼻の奥が鳴った。梯子はまだ尽きない。懸崖からは水が垂れる。ひらりとカンテラを翻えすと、崖の面を掠めて弓形にじいと、消えかかって、手の運動の止まる所へ落ちついた時に、また真直に油煙を立てる。また翻えす。灯は斜めに動く。梯子の通る一尺幅を外れて、がんがらがんの壁が眼に映る。ぞっとする。眼が眩む。眼を閉って、登る。灯も見えない、壁も見えない。ただ暗い。手と足が動いている。動く手も動く足も見えない。手障足障だけで生きて行く。生きて登って行く。生きると云うのは登る事で、登ると云うのは生きる事であった。それでも――梯子はまだある。
それから先はほとんど夢中だ。自分で登ったのか、天佑で登ったのかほとんど判然しない。ただ登り切って、もう一段も握る梯子がないと云う事を覚った時に、坑の中へぴたりと坐った。
「どうした。上がって来たか。途中で死にゃしねえかと思って、――あんまり長えから。見に行こうかと思ったが、一人じゃ気味がわるいからな。だけども、好く上がって来たな。えらいや」
と待ちかねて、もじもじしていた初さんが大いに喜んでくれた。何でも梯子の上でよっぽど心配していたらしい。自分はただ、
「少し気分が悪るかったから途中で休んでいました」
と答えた。
「気分が悪い? そいつあ困ったろう。途中って、梯子の途中か」
「ええ、まあそうです」
「ふうん。じゃ明日は作業もできめえ」
この一言を聞いた時、自分は糞でも食えと思った。誰が土竜の真似なんかするものかと思った。これでも美しい女に惚れられたんだと思った。坑を出れば、すぐ華厳の瀑まで行くんだと思った。そうして立派に死ぬんだと思った。最後に半時もこんな獣を相手にしていられるものかと思った。そこで、自分は初さんに向って、簡単に、
「よければ上がりましょう」
と云った。初さんは怪訝な顔をした。
「上がる? 元気だなあ」
自分は「馬鹿にするねえ、この明盲目め。人を見損なやがって」と云いたかった。しかし口だけは叮嚀に、一言、
「ええ」
と返事をして置いた。初さんはまだぐずぐずしている。驚いたと云うよりも、やっぱり馬鹿にしたぐずつき方である。
「おい大丈夫かい。冗談じゃねえ。顔色が悪いぜ」
「じゃ僕が先へ行きましょう」
と自分はむっとして歩き出した。
「いけねえ、いけねえ。先へ行っちゃいけねえ、後から尾いて来ねえ」
「そうですか」
「当前だあな。人つけ。誰が案内を置き去にして、先へ行く奴があるかい、何でい」
と初さんは、自分を払い退けないばかりにして、先へ出た。出たと思うと急に速力を増した。腰を折ったり、四つに這ったり、背中を横っ丁にしたり、頭だけ曲げたり、坑の恰好しだいでいろいろに変化する。そうして非常に急ぐ。まるで土の中で生れて、銅脈の奥で教育を受けた人間のようである。畜生中っ腹で急ぎやがるなと、こっちも負けない気で歩き出したが、そこへ行くと、いくら気ばかり張っていても駄目だ。五つ六つ角を曲って、下りたり上ったり、がたつかせているうちに、初さんは見えなくなった。と思うと、何とかして、何とか、てててててと云う歌を唄う。初さんの姿が見えないのに、初さんの声だけは、坑の四方へ反響して、籠ったように打ち返してくる。意地の悪い野郎だと思った。始めのうちこそ、追っついてやるから今に見ていろと云う勢で、根限り這ったり屈んだりしたが、残念な事には初さんの歌がだんだん遠くへ行ってしまう。そこで自分は追いつく事はひとまず断念して、初さんのてててててを道案内にして進む事にした。当分はそれで大概の見当がついたが、しまいにはそのててててても怪しくなって、とうとうまるで聞えなくなった時には、さすがに茫然とした。一本道なら初さんなんどを頼りにしなくっても、自力で日の当る所まで歩いて出て見せるが、何しろ、長年掘荒した坑だから、まるで土蜘蛛の根拠地みたようにいろいろな穴が、とんでもない所に開いている。滅多な穴へ這入るとまた腰きり水に漬る所か、でなければ、例の逆さの桟道へ出そうで容易に踏み込めない。
そこで自分は暗い中に立ち留って、カンテラの灯を見詰めながら考えた。往きには八番坑まで下りて行ったんだから帰りには是非共電車の通る所まで登らなければならない。どんな穴でも上りならば好いとする。その代り下りなら引返して、また出直す事にする。そうして迂路ついていたら、どこかの作事場へ出るだろう。出たら坑夫に聞くとしよう。こう決心をして、東西南北の判然しない所を好い加減に迷ついていた。非常に気が急いて息が切れたが、めちゃめちゃに歩いたために足の冷たいのだけは癒った。しかしなかなか出られない。何だか同じ路を往ったり来たりするような案排で、あんまり、もどかしものだから、壁へ頭をぶつけて割っちまいたくなった。どっちを割るんだと云えば無論頭を割るんだが、幾分か壁の方も割れるだろうくらいの疳癪が起った。どうも歩けば歩くほど天井が邪魔になる、左右の壁が邪魔になる。草鞋の底で踏む段々が邪魔になる。坑総体が自分を閉じ込めて、いつまで立っても出してくれないのがもっとも邪魔になる。この邪魔ものの一局部へ頭を擲きつけて、せめて罅でも入らしてやろうと――やらないまでも時々思うのは、早く華厳の瀑へ行きたいからであった。そうこうしているうちに、向うから一人の掘子が来た。ばらの銅をスノコへ運ぶ途中と見えて例の箕を抱いてよちよちカンテラを揺りながら近づいた。この灯を見つけた時は、嬉しくって胸がどきりと飛び上がった。もう大丈夫と勇んで近寄って行くと、近寄るがものはない、向うでもこっちへ歩いて来る。二つのカンテラが一間ばかりの距離に近寄った時、待ち受けたように、自分は掘子の顔を見た。するとその顔が非常な蒼ん蔵であった。この坑のなかですら、只事とは受取れない蒼ん蔵である。あかるみへ出して、青い空の下で見たら、大変な蒼ん蔵に違ない。それで口を利くのが厭になった。こんな奴の癖に人に調戯ったり、嬲ったり、辱しめたりするのかと思ったら、なおなお道を聞くのが厭になった。死んだって一人で出て見せると云う気になった。手前共に口を聞くような安っぽい男じゃないと、腹の中でたしかに申し渡して擦れ違った。向うは何にも知らないから、これは無論だまって擦れ違った。行く先は暗くなった。カンテラは一つになった。気はますます焦慮って来た。けれどもなかなか出ない。ただ道はどこまでもある。右にも左にもある。自分は右にも這入った、また左にも這入った、また真直にも歩いて見た。しかし出られない。いよいよ出られないのかと、少しく途方に暮れている鼻の先で、かあんかあんと鳴り出した。五六歩で突き当って、折れ込むと、小さな作事場があって、一人の坑夫がしきりに槌を振り上げて鑿を敲いている。敲くたんびに鉱が壁から落ちて来る。その傍に俵がある。これはさっきスノコへ投げ込んだ俵と同じ大きさで、もういっぱい詰っている。掘子が来て担いで行くばかりだ。自分は今度こそこいつに聞いてやろうと思った。が肝心の本人が一生懸命にかあんかあん鳴らしている。おまけに顔もよく見えない。ちょうどいいから少し休んで行こうと云う気が起った。幸い俵がある。この上へ尻をおろせば、持って来いの腰掛になる。自分はどさっとアテシコを俵の上に落した。すると突然かあんかあんがやんだ。坑夫の影が急に長く高くなった。鑿を持ったままである。
「何をしやがるんでい」
鋭い声が穴いっぱいに響いた。自分の耳には敲き込まれるように響いた。高い影は大股に歩いて来る。
見ると、足の長い、胸の張った、体格の逞しい男であった。顔は背の割に小さい。その輪廓がやや判然する所まで来て、男は留まった。そうして自分を見下した。口を結んでいる。二重瞼の大きな眼を見張っている。鼻筋が真直に通っている。色が赭黒い。ただの坑夫ではない。突然として云った。
「貴様は新前だな」
「そうです」
自分の腰はこの時すでに俵を離れていた。何となく、向うから近づいてくる坑夫が恐ろしかった。今まで一万余人の坑夫を畜生のように軽蔑していたのに、――誓って死んでしまおうと覚悟をしていたのに、――大股に歩いて来た坑夫がたちまち恐ろしくなった。しかし、
「何でこんな所を迷子ついてるんだ」
と聞き返された時には、やや安心した。自分の様子を見て、故意に俵の上へ腰をおろしたんでないと見極めた語調である。
「実は昨夕飯場へ着いて、様子を見に坑へ這入ったばかりです」
「一人でか」
「いいえ、飯場頭から人をつけてくれたんですが……」
「そうだろう、一人で這入れる所じゃねえ。どうしたその案内は」
「先へ出ちまいました」
「先へ出た? 手前を置き去りにしてか」
「まあ、そうです」
「太え野郎だ。よしよし今に己が送り出してやるから待ってろ」
と云ったなり、また鑿と槌をかあんかあん鳴らし始めた。自分は命令の通り待っていた。この男に逢ったら、もう一人で出る気がなくなった。死んでも一人で出て見せると威張った決心が、急にどこへか行ってしまった。自分はこの変化に気がついていた。それでも別に恥かしいとも思わなかった。人に公言した事でないから構わないと思った。その後人に公言したために、やらないでも済む事、やってはならない事を毎度やった。人に公言すると、しないのとは大変な違があるもんだ。その内かあんかあんがやんだ。坑夫はまた自分の前まで来て、胡坐をかきながら、
「ちょっと待ちねえ。一服やるから」
と、煙草入を取り出した。茶色の、皮か紙か判然しないもので、股引に差し込んである上から筒袖が被さっていた。坑夫は旨そうに腹の底まで吸った煙を、鼻から吹き出している間に、短い羅宇の中途を、煙草入の筒でぽんと払いた。小さい火球が雁首から勢いよく飛び出したと思ったら、坑夫の草鞋の爪先へ落ちてじゅうと消えた。坑夫は殻になった煙管をぷっと吹く。羅宇の中に籠った煙が、一度に雁首から出た。坑夫はその時始めて口を利いた。
「御前はどこだ。こんな所へ全体何しに来た。身体つきは、すらりとしているようだが。今まで働いた事はねえんだろう。どうして来た」
「実は働いた事はないんです。が少し事情があって、来たんです。……」
とまでは云ったが、坑夫には愛想が尽きたから、もう、帰るんだとは云わなかった。死ぬんだとはなおさら云わなかった。しかし今までのように、腹の内で畜生あつかいにして、口先ばかり叮嚀にしていたのとはだいぶん趣が違う。自分はただ洗い攫い自分の思わくを話してしまわないだけで、話しただけは真面目に話したんである。すこしも裏表はない。腹から叮嚀に答えた。坑夫はしばらくの間黙って雁首を眺めていた。それからまた煙草を詰めた。煙が鼻から出だした真最中に口を開いた。
自分がその時この坑夫の言葉を聞いて、第一に驚いたのは、彼の教育である。教育から生ずる、上品な感情である。見識である。熱誠である。最後に彼の使った漢語である。――彼れは坑夫などの夢にも知りようはずがない漢語を安々と、あたかも家庭の間で昨日まで常住坐臥使っていたかのごとく、使った。自分はその時の有様をいまだに眼の前に浮べる事がある。彼れは大きな眼を見張ったなり、自分の顔を熟視したまま、心持頸を前の方に出して、胡坐の膝へ片手を逆に突いて、左の肩を少し聳して、右の指で煙管を握って、薄い唇の間から奇麗な歯を時々あらわして、――こんな事を云った。句の順序や、単語の使い方は、たしかな記憶をそのまま写したものである。ただ語声だけはどうしようもない。――
「亀の甲より年の功と云うことがあるだろう。こんな賤しい商売はしているが、まあ年長者の云う事だから、参考に聞くがいい。青年は情の時代だ。おれも覚がある。情の時代には失敗するもんだ。君もそうだろう。己もそうだ。誰でもそうにきまってる。だから、察している。君の事情と己の事情とは、どのくらい違うか知らないが、何しろ察している。咎めやしない。同情する。深い事故もあるだろう。聞いて相談になれる身体なら聞きもするが、シキから出られない人間じゃ聞いたって、仕方なし、君も話してくれない方がいい。おれも……」
と云い掛けた時、自分はこの男の眼つきが多少異様にかがやいていたと云う事に気がついた。何だか大変感じている。これが当人の云うごとくシキを出られないためか、または今云い掛けたおれもの後へ出て来る話のためか、ちょっと分りにくいが、何しろ妙な眼だった。しかもこの眼が鋭く自分をも見詰めている。そうしてその鋭いうちに、懐旧と云うのか、沈吟と云うのか、何だか、人を引きつけるなつかしみがあった。この黒い坑の中で、人気はこの坑夫だけで、この坑夫は今や眼だけである。自分の精神の全部はたちまちこの眼球に吸いつけられた。そうして彼の云う事を、とっくり聞いた。彼はおれもを二遍繰り返した。
「おれも、元は学校へ行った。中等以上の教育を受けた事もある。ところが二十三の時に、ある女と親しくなって――詳しい話はしないが、それが基で容易ならん罪を犯した。罪を犯して気がついて見ると、もう社会に容れられない身体になっていた。もとより酔興でした事じゃない、やむを得ない事情から、やむを得ない罪を犯したんだが、社会は冷刻なものだ。内部の罪はいくらでも許すが、表面の罪はけっして見逃さない。おれは正しい人間だ、曲った事が嫌だから、つまりは罪を犯すようにもなったんだが、さて犯した以上は、どうする事もできない。学問も棄てなければならない。功名も抛たなければならない。万事が駄目だ。口惜しいけれども仕方がない。その上制裁の手に捕えられなければならない。(故意か偶然か、彼はとくに制裁の手と云う言語を使用した。)しかし自分が悪い覚がないのに、むやみに罪を着るなあ、どうしても己の性質としてできない。そこで突っ走った。逃げられるだけ逃げて、ここまで来て、とうとうシキの中へ潜り込んだ。それから六年というもの、ついに日光を見た事がない。毎日毎日坑の中でかんかん敲いているばかりだ。丸六年敲いた。来年になればもうシキを出たって構わない、七年目だからな。しかし出ない、また出られない。制裁の手には捕まらないが、出ない。こうなりゃ出たって仕方がない。娑婆へ帰れたって、娑婆でした所業は消えやしない。昔は今でも腹ん中にある。なあ君昔は今でも腹ん中にあるだろう。君はどうだ……」
と途中で、いきなり自分に質問を掛けた。
自分は藪から棒の質問に、用意の返事を持ち合せなかったから、はっと思った。自分の腹ん中にあるのは、昔どころではない。一二年前から一昨日まで持ち越した現在に等しい過去である。自分はいっその事自分の心事をこの男の前に打ち明けてしまおうかと思った。すると相手は、さも打ち明けさせまいと自分を遮るごとくに、話の続きを始めた。
「六年ここに住んでいるうちに人間の汚ないところは大抵見悉した。でも出る気にならない。いくら腹が立っても、いくら嘔吐を催しそうでも、出る気にならない。しかし社会には、――日の当る社会には――ここよりまだ苦しい所がある。それを思うと、辛抱も出来る。ただ暗くって狭い所だと思えばそれで済む。身体も今じゃ銅臭くなって、一日もカンテラの油を嗅がなくっちゃいられなくなった。しかし――しかしそりゃおれの事だ。君の事じゃない。君がそうなっちゃ大変だ。生きてる人間が銅臭くなっちゃ大変だ。いや、どんな決心でどんな目的を持って来ても駄目だ。決心も目的もたった二三日で突ッつき殺されてしまう。それが気の毒だ。いかにも可哀想だ。理想も何にもない鑿と槌よりほかに使う術を知らない野郎なら、それで結構だが。しかし君のような――君は学校へ行ったろう。――どこへ行った。――ええ? まあどこでもいい。それに若いよ。シキへ抛り込まれるには若過ぎるよ。ここは人間の屑が抛り込まれる所だ。全く人間の墓所だ。生きて葬られる所だ。一度踏ん込んだが最後、どんな立派な人間でも、出られっこのない陥穽だ。そんな事とは知らずに、大方ポン引の言いなりしだいになって、引張られて来たんだろう。それを君のために悲しむんだ。人一人を堕落させるのは大事件だ。殺しちまう方がまだ罪が浅い。堕落した奴はそれだけ害をする。他人に迷惑を掛ける。――実はおれもその一人だ。が、こうなっちゃ堕落しているよりほかに道はない。いくら泣いたって、悔んだって堕落しているよりほかに道はない。だから君は今のうち早く帰るがいい。君が堕落すれば、君のためにならないばかりじゃない。――君は親があるか……」
自分はただ一言あると答えた。
「あればなおさらだ。それから君は日本人だろう……」
自分は黙っていた。
「日本人なら、日本のためになるような職業についたらよかろう。学問のあるものが坑夫になるのは日本の損だ。だから早く帰るがよかろう。東京なら東京へ帰るさ。そうして正当な――君に適当な――日本の損にならないような事をやるさ。何と云ってもここはいけない。旅費がなければ、おれが出してやる。だから帰れ。分ったろう。おれは山中組にいる。山中組へ来て安さんと聞きゃあすぐ分る。尋ねて来るが好い。旅費はどうでも都合してやる」
安さんの言葉はこれで終った。坑夫の数は一万人と聞いていた。その一万人はことごとく理非人情を解しない畜類の発達した化物とのみ思い詰めたこの時、この人に逢ったのは全くの小説である。夏の土用に雪が降ったよりも、坑の中で安さんに説諭された方が、よほどの奇蹟のように思われた。大晦日を越すとお正月が来るくらいは承知していたが、地獄で仏と云う諺も記憶していたが、窮まれば通ずという熟語も習った事があるが、困った時は誰か来て助けてくれそうなものだくらいに思って、芝居気を起しては困っていた事もたびたびあるが、――この時はまるで違う。真から一万人を畜生と思い込んで、その畜生がまたことごとく自分の敵だと考え詰めた最強度の断案を、忘るべからざる痛忿の焔で、胸に焼きつけた折柄だから、なおさらこの安さんに驚かされた。同時に安さんの訓戒が、自分の初志を一度に翻えし得るほどの力をもって、自分の耳に応えた。
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