そこで元気のいい今の気焔をやめて、再びもとの神妙な態度に復して、山の中の話をする。長蔵さんが敷居の上に立って、往来を向きながら、ここへ泊って行こうと云い出した時、こんな破屋でも泊る事が出来るんだったと、始めて意識したよりも、すべての家と云うものが元来泊るために建ててあるんだなと、ようやく気がついたくらい、泊る事は予期していなかった。それでいて身体は蒟蒻のように疲れ切ってる。平生なら泊りたい、泊りたいですべての内臓が張切れそうになるはずだのに、没自我の坑夫行、すなわち自滅の前座としての堕落と諦めをつけた上の疲労だから、いくら身体に泊る必要があっても、身体の方から魂へ宛てて宿泊の件を請求していなかった。ところへ泊ると命令が天から逆に魂が下ったんで、魂はちょっとまごついたかたちで、とりあえず手足に報告すると、手足の方では非常に嬉しがったから、魂もなるほどありがたいと、始めて長蔵さんの好意を感謝した。と云う訳になる。何となく落語じみてふざけているが、実際この時の心の状態は、こう譬を借りて来ないと説明ができない。
自分は長蔵さんの言葉を聞くや否や、急に神経が弛んで、立ち切れない足を引き摺って、第一番に戸口の方に近寄った。赤毛布はのそのそ這入ってくる。小僧は飛んで来た。飛んだんじゃあるまいが、草履の尻が勢よく踵へあたるんで、ぴしゃぴしゃ云う音が飛ぶように思われた。
這入って見るとぷんと臭った。何の臭だかさらに分らない。小僧が鼻をぴくつかせたので、小僧もこの臭に感じたなと気がついた。長蔵さんと赤毛布はまるで無頓着であった。土間から上へあがる段になって、雑巾でもと思ったが、小僧は委細構わず、草履を脱いで上がっちまった。小僧の草履は尻が無いんだから、半分裸足である。ひどい奴だと眺めていると、長蔵さんが、
「御前さんも下駄だから、御上り」
と注意した。それで気味がわるいが、ほこりも払わず上がった。畳の上へ一足掛けて見るとぶくっとした。小僧はその上へころりと転がっている。自分は尻だけおろして、障子――障子は二枚あった――その障子の影へ胡坐をかいた。この障子は入口に立ててあるから、振り向くと、長蔵さんと赤毛布が草鞋を脱いでいる。二人共腰から手拭を出して、ばたばた足をはたいている。そうして、すぐ上がって来た。足を洗うのが面倒だと見える。ところへ主人が次の間から茶と煙草盆を持って来た。
主人だの、次の間だの、茶だの、煙草盆だの、と云うとすこぶる尋常に聞えるが、その実名ばかりで、一々説明すると、大変な誤解をしていたんだねと呆れ返るものばかりである。がとにかく主人が次の間から、茶と煙草盆を持って来たには違いない。そうして長蔵さんと談話をし始めた。談話の筋は忘れたが、その様子から察すると、二人はもとからの知合で、御互の間には貸や借があるらしい。何でも馬の事をしきりに云ってた。自分だの、赤毛布だの、小僧などの事はまるで聞きもしない。まるで眼中にない訳でもあるまいが、さっき長蔵さんが一人で談判に這入った時に、残らず聞いてしまったんだろう。それとも長蔵さんはたびたびこんな呑気屋を銅山へ連れて行くんで、自然その往き還りにはこの主人の厄介になりつけてるから、別段気にも留めないのかも知れない。
自分は、長蔵さんと主人との話を聞きながら、居眠を始めた。いつから始めたか知らない。馬を売損って、どうとかしたと云うところから、だんだん判然しなくなって、自然と長蔵さんが消える。赤毛布が消える。小僧が消える。主人と茶と煙草盆が消えて、破屋までも消えた時、こくりと眠が覚めた。気がつくと頭が胸の上へ落ちている。はっと思って、擡げるとはなはだ重い。主人はやっぱり馬の話をしている。まだ馬かと思ってるうちに、また気が遠くなった。気が遠くなったのを、遠いままにして打遣って置くと、忽然ぱっと眼があいた。薄暗い部屋の中に、影のような長蔵さんと亭主が膝を突き合せている。ちょうど、借がどうとかしてハハハハと亭主が笑ったところだった。この亭主は額が長くって、斜に頭の天辺まで引込んでるから、横から見ると切通しの坂くらいな勾配がある。そうして上になればなるほど毛が生えている。その毛は五分くらいなのと一寸くらいなのとが交って、不規則にしかも疎にもじゃもじゃしている。自分が居眠りからはっと驚いて、急に眼を開けると、第一にこの頭が眸の底に映った。ランプが煤だらけで暗いものだから、この頭も煤だらけになって映って来た。その癖距離は近い。だから映った影は明瞭である。自分はこの明瞭でかつ朦朧なる亭主の頭を居眠りの不知覚から我に返る咄嗟にふと見たんである。この時はあまり好い心持ではなかった。それがため、居眠りもしばらく見合せるような気になって、部屋中を見廻すと、向うの隅に小僧が倒れている。こちらの横に茨城県が長く伸びている。毛布の下から大きな足が見える。突当りが壁で、壁の隅に穴が開いて、穴の奥が真黒である。上は一面の屋根裏で、寒いほど黒くなってる所へ、油煙とともにランプの灯があたるから、よく見ていると、藁葺の裏側が震えるように思われた。
それからまた眠くなった。また頭が落ちる。重いから上げるとまた落ちる。始めのうちは、上げた頭が落ちながらだんだんうっとりして、うっとりの極、胸の上へがくりと落ちるや否や、一足飛に正気へ立ち戻ったが、三回四回と重なるにつけて、眼だけ開けても気は判然しない。ぼんやりと世界に帰って、またぞろすぐと不覚に陥っちまう。それから例のごとく首が落ちる。微に生きてるような気になる。かと思うとまた一切空に這入る。しまいには、とうとう、いくら首がのめって来ても、動じなくなった。あるいはのめったなり、頭の重みで横にぶっ倒れちまったのかも知れない。とにかく安々と夜明まで寝て、眼が覚めた時は、もう居眠りはしていなかった。通例のごとく身体全体を畳の上につけて長くなっていた。そうして涎を垂れている。――自分は馬の話を聞いて居眠りを始めて、眼をあけて借金の話を聞いて、また居眠りの続を復習しているうちに、とうとう居眠りを本式に崩して長くなったぎり、魂の音沙汰を聞かなかったんだから、眼が覚めて、夜が明けて、世の中が土台から陰と陽に引ッ繰り返ってるのを見るや否や、眼をあいて涎を垂れて、横になったまま、じっとしていた。自覚があって死んでたらこんなだろう。生きてるけれども動く気にならなかった。昨夜の事は一から十までよく覚えている。しかし昨夜の一から十までが自然と延びて今日まで持ち越したとは受け取れない。自分の経験はすべてが新しくって、かつ痛切であるが、その新しい痛切の事々物々が何だか遠方にある。遠方にあると云うよりも、昨夜と今日の間に厚い仕切りが出来て、截然と区別がついたようだ。太陽が出ると引き込むだけの差で、こう心に連続がなくなっては不思議なくらい自分で自分が当にならなくなる。要するに人世は夢のようなもんだ。とちょっと考えたもんだから、涎も拭かずに沈んでいると、長蔵さんが、ううんと伸をして、寝たまま握り拳を耳の上まで持ち上げた。握り拳がぬっと真直に畳の上を擦って、腕のありたけ出たところで、勢がゆるんで、ぐにゃりとした。また寝るかと思ったら、今度は右の手を下へさげて、凹んだ頬っぺたをぼりぼり掻き出した。起きてるのかも知れない。そのうち、むにゃむにゃ何か云うんで、やっぱり眼が覚めていないなと気がついた時、小僧がむくりと飛び起きた。これは真正の意味において飛起きたんだから、どしんと音がして、根太が抜けそうに響いた。すると、さすが長蔵さんだけあって、むにゃむにゃをやめて、すぐ畳についた方の肩を、肘の高さまで上げた。眼をぱちつかせている。
こうなると、自分もいつまで沈んでいたって際限がないから、起き上った。長蔵さんも全く起きた。小僧は立ち上がった。寝ているものは赤毛布ばかりである。これはまた呑気なもんで、依然として毛布から大きな足を出してぐうぐう鼾声をかいて寝ている。それを長蔵さんが起す。――
「御前さん。おい御前さん。もう起きないと御午までに銅山へ行きつけないよ」
御前さんが三四返繰返されたが、毛布はよく寝ている。仕方がないから長蔵さんは毛布の肩へ手を懸けて、
「おい、おい」
と揺り始めたんで、やむを得ず、毛布の方でも「おい」と同じような返事をして、中途半端に立ち上った。これでみんな起きたようなものの、自分は顔も洗わず、飯も食わず、どうして好いか迷ってると、長蔵さんが、
「じゃ、そろそろ出掛けよう」
と云って、真先に土間へ降りかけたには驚いた。小僧がつづいて降りる。毛布も不得要領に土間へ大きな足をぶら下げた。こうなると自分も何とか片をつけなくっちゃならないから、一番あとから下駄を突掛けて、長蔵さんと赤毛布が草鞋の紐を結ぶのを、不景気な懐手をして待っていた。
土間へ下りた以上は、顔を洗わないのかの、朝飯を食わないのかのと、当然の事を聞くのが、さも贅沢の沙汰のように思われて、とんと質問して見る気にならない。習慣の結果、必要とまで見做されているものが、急に余計な事になっちまうのはおかしいようだが、その後この顛倒事件を布衍して考えて見たら、こんな、例はたくさんある。つまり世の中では大勢のやってる事が当然になって、一人だけでやる事が余計のように思われるんだから、当然になろうと思ったら味方を大勢拵えて、さも当然であるかの容子で不当な事をやるに限る。やっては見ないがきっと成功するだろう。相手が長蔵さんと赤毛布でさえ自分にはこれほどの変化を来たしたんでも分る。
すると長蔵さんは草鞋の紐を結んで、足元に用がなくなったもんだから、ふいと顔を上げた。そうして自分を見た。そうして、こんな事を云う。
「御前さん、飯は食わなくっても好いだろうね」
飯を食わなくって好い法はないが、わるいと云ったって、始まりようがないから、自分はただ、
「好いです」
と答えて置いた。すると長蔵さんは、
「食いたいかね」
と云って、にやにやと笑った。これは自分の顔に飯が食いたいような根性が幾分かあらわれたためか、または十九年来の予期に反した起きたなり飯抜きの出立に、自然不平の色が出ていたためだろう。それでなければ草鞋の紐を結んでしまってから、こんな事を聞く訳がない。現に長蔵さんは、赤毛布にも小僧にもこの質問を呈出しなかったんでも分る。今考えると、ちょっと両人にも同じ事を聞いて見れば善かったような気もする。朝飯を食わないで五里十里と歩き出すものは宿無しか、または準宿無しでなくっちゃならない。目が醒めて、夜が明けてるのに、汁の煙も、漬物の香も、いっこう連想に乗って来ないからは、行きなり放題に、今日は今日の命を取り留めて、その日その日の魂の供養をする呑気屋で、世の中にあしたと云うものがないのを当り前と考えるほどに不幸なまた幸な人間である。自分は十九年来始めて、こう云う人間と一つ所に泊って、これからまたいっしょに歩き出すんだなと思った。赤毛布と小僧の顔色を伺って見ると少しも朝飯を予期している様子がないんで、双方共朝飯を食い慣けていない一種の人類だと勘づいて見ると、自分の運命は坑夫にならない先から、もう、坑夫以下に摺り落ちていたと云う事が分った。しかし分ったと云うばかりで別に悲しくもなかった。涙は無論出なかった。ただ長蔵さんが、この朝飯の経験に乏しい人間に向って、「御前さん達も飯が食いたいかね」と尋ねてくれなかったのを、今では残念に思ってる。食った事が少いから、今までの習慣性で、「食わないでも好い」と答えるか、それとも、たまさかに有りつけるかも知れないと云う意外の望に奨励されて「食いたい」と答えるか。――つまらん事だがどっちか聞いて見たい。
長蔵さんは土間へ立って、ちょっと後ろを振り返ったが、
「熊さん、じゃ行ってくる。いろいろ御世話様」
と軽く力足を二三度踏んだ。熊さんは無論亭主の名であるが、まだ奥で寝ている。覗いて見ると、昨夕うつつに気味をわるくした、もじゃもじゃの頭が布団の下から出ている。この亭主は敷蒲団を上へ掛けて寝る流儀と見える。長蔵さんが、このもじゃもじゃの頭に話しかけると、頭は、むくりと畳を離れた。そうして熊さんの顔が出た。この顔は昨夜見たほど妙でもなかった。しかし額がさかに瘠けて、脳天まで長くなってる事は、今朝でも争われない。熊さんは床の中から、
「いや、何にも御構申さなかった」
と云った。なるほど何にも構わない。自分だけ布団をかけている。
「寒かなかったかね」
とも云った。気楽なもんだ。長蔵さんは
「いいえ。なあに」
と受けて、土間から片足踏み出した時、後から、熊さんが欠伸交りに、
「じゃ、また帰りに御寄り」
と云った。
それから長蔵さんが往来へ出る。自分も一足後れて、小僧と赤毛布の尻を追っ懸けて出た。みんな大急ぎに急ぐ。こう云う道中には慣れ切ったものばかりと見える。何でも長蔵さんの云うところによると、これから山越をするんだが、午までには銅山へ着かなくっちゃならないから急ぐんだそうだ。なぜ午までに着かなくっちゃならないんだか、訳が分らないが、聞いて見る勇気がなかったから、黙って食っついて行った。するとなるほど登になって来た。昨夕あれほど登ったつもりだのに、まだ登るんだから嘘のようでもあるが実際見渡して見ると四方は山ばかりだ。山の中に山があって、その山の中にまた山があるんだから馬鹿馬鹿しいほど奥へ這入る訳になる。この模様では銅山のある所は、定めし淋しいだろう。呼息を急いて登りながらも心細かった。ここまで来る以上は、都へ帰るのは大変だと思うと、何の酔興で来たんだか浅間しくなる。と云って都におりたくないから出奔したんだから、おいそれと帰りにくい所へ這入って、親親類の目に懸からないように、朽果ててしまうのはむしろ本望である。自分は高い坂へ来ると、呼息を継ぎながら、ちょっと留っては四方の山を見廻した。するとその山がどれもこれも、黒ずんで、凄いほど木を被っている上に、雲がかかって見る間に、遠くなってしまう。遠くなると云うより、薄くなると云う方が適当かも知れない。薄くなった揚句は、しだいしだいに、深い奥へ引き込んで、今までは影のように映ってたものが、影さえ見せなくなる。そうかと思うと、雲の方で山の鼻面を通り越して動いて行く。しきりに白いものが、捲き返しているうちに、薄く山の影が出てくる。その影の端がだんだん濃くなって、木の色が明かになる頃は先刻の雲がもう隣りの峰へ流れている。するとまた後からすぐに別の雲が来て、せっかく見え出した山の色をぼうとさせる。しまいには、どこにどんな山があるかいっこう見当がつかなくなる。立ちながら眺めると、木も山も谷もめちゃめちゃになって浮き出して来る。頭の上の空さえ、際限もない高い所から手の届く辺まで落ちかかった。長蔵さんは、
「こりゃ、雨だね」
と、歩きながら独言を云った。誰も答えたものはない。四人とも雲の中を、雲に吹かれるような、取り捲かれるような、また埋められるような有様で登って行った。自分にはこの雲が非常に嬉しかった。この雲のお蔭で自分は世の中から隠したい身体を十分に隠すことが出来た。そうして、さのみ苦しい思いもしずにその中を歩いて行ける。手足は自由に働いて、閉じ籠められたような窮屈も覚えない上に、人目にかからん徳は十分ある。生きながら葬られると云うのは全くこの事である。それが、その時の自分には唯一の理想であった。だからこの雲は全くありがたい。ありがたいという感謝の念よりも、雲に埋められ出してから、まあ安心だと、ほっと一息した。今考えると何が安心だか分りゃしない。全くの気違だと云われても仕方がない。仕方がないが、こう云う自分が、時と場合によれば、翌が日にも、また雲が恋しくならんとも限らない。それを思うと何だか変だ。吾が身で吾が身が保証出来ないような、また吾が身が吾が身でないような気持がする。
しかしこの時の雲は全く嬉しかった。四人が離れたり、かたまったり、隔てられたり、包まれたりして雲の中を歩いて行った時の景色はいまだに忘れられない。小僧が雲から出たり這入ったりする。茨城の毛布が赤くなったり白くなったりする。長蔵さんの、どてらが、わずか五六間の距離で濃くなったり薄くなったりする。そうして誰も口を利かない。そうして、むやみに急ぐ。世界から切り離された四つの影が、後になり先になり、殖もせず減もせず、四つのまま、引かれて合うように、弾かれて離れるように、またどうしても四つでなくてはならないように、雲の中をひたすら歩いた時の景色はいまだに忘れられない。
自分は雲に埋まっている。残る三人も埋まっている。天下が雲になったんだから、世の中は自分共にたった四人である。そうしてその三人が三人ながら、宿無である。顔も洗わず朝飯も食わずに、雲の中を迷って歩く連中である。この連中と道伴になって登り一里、降り二里を足の続く限り雲に吹かれて来たら、雨になった。時計がないんで何時だか分らない。空模様で判断すると、朝とも云われるし、午過とも云われるし、また夕方と云っても差支ない。自分の精神と同じように世界もぼんやりしているが、ただちょっと眼についたのは、雨の間から微かに見える山の色であった。その色が今までのとは打って変っている。いつの間にか木が抜けて、空坊主になったり、ところ斑の禿頭と化けちまったんで、丹砂のように赤く見える。今までの雲で自分と世間を一筆に抹殺して、ここまでふらつきながら、手足だけを急がして来たばかりだから、この赤い山がふと眼に入るや否や、自分ははっと雲から醒めた気分になった。色彩の刺激が、自分にこう強く応えようとは思いがけなかった。――実を云うと自分は色盲じゃないかと思うくらい、色には無頓着な性質である。――そこでこの赤い山が、比較的烈しく自分の視神経を冒すと同時に、自分はいよいよ銅山に近づいたなと思った。虫が知らせたと云えば、虫が知らせたとも云えるが、実はこの山の色を見て、すぐ銅を連想したんだろう。とにかく、自分がいよいよ到着したなと直覚的に――世の中で直覚的と云うのは大概このくらいなものだと思うが――いわゆる直覚的に事実を感得した時に、長蔵さんが、
「やっと、着いた」
と自分が言いたいような事を云った。それから十五分ほどしたら町へ出た。山の中の山を越えて、雲の中の雲を通り抜けて、突然新しい町へ出たんだから、眼を擦って視覚をたしかめたいくらい驚いた。それも昔の宿とか里とか云う旧幕時代に縁のあるような町なら、まだしもだが、新しい銀行があったり、新しい郵便局があったり、新しい料理屋があったり、すべてが苔の生えない、新しずくめの上に、白粉をつけた新しい女までいるんだから、全く夢のような気持で、不審が顔に出る暇もないうちに通り越しちまった。すると橋へ出た。長蔵さんは橋の上へ立って、ちょっと水の色を見たが、
「これが入口だよ。いよいよ着いたんだから、そのつもりでいなくっちゃ、いけない」
と注意を与えた。しかし自分には、どんなつもりでいなくっちゃいけないんだか、ちっとも分らなかったから、黙って橋の上へ立って、入口から奥の方を見ていた。左が山である。右も山である。そうして、所々に家が見える。やっぱり木造の色が新しい。中には白壁だか、ペンキ塗だか分らないのがある。これも新しい。古ぼけて禿げてるのは山ばかりだった。何だかまた現実世界に引き摺り込まれるような気がして、少しく失望した。長蔵さんは自分が黙って橋の向を覗き込んでるのを見て、
「好いかね、御前さん、大丈夫かい」
とまた聞き直したから、自分は、
「好いです」
と明瞭に答えたが、内心あまり好くはなかった。なぜだかしらないが、長蔵さんはただ自分にだけ懸念がある様子であった。赤毛布と小僧には「好いかね」とも「大丈夫かい」とも聞かなかった。頭からこの両人は過去の因果で、坑夫になって、銅山のうちに天命を終るべきものと認定しているような気色がありありと見えた。して見ると不信用なのは自分だけで、だいぶ長蔵さんからこいつは危ないなと睨まれていたのかも知れない。好い面の皮だ。
それから四人揃って、橋を渡って行くと、右手に見える家にはなかなか立派なのがある。その中で一番いかめしい奴を指して、あれが所長の家だと長蔵さんが教えてくれた。ついでに左の方を見ながら
「こっちがシキだよ、御前さん、好いかね」
と云う。自分はシキと云う言葉をこの時始めて聞いた。
よっぽど聞き返そうかと思ったが、大方これがシキなんだろうと思って黙っていた。あとから自分もこのシキと云う言葉を明瞭に理解しなければならない身分になったが、やっぱり始めにぼんやり考えついた定義とさした違もなかった。そのうち左へ折れていよいよシキの方へ這入る事になった。鉄軌についてだんだん上って行くと、そこここに粗末な小さい家がたくさんある。これは坑夫の住んでる所だと聞いて、自分も今日から、こんな所で暮すのかと思ったが、それは間違であった。この小屋はどれも六畳と三畳二間で、みんな坑夫の住んでる所には違ないが、家族のあるものに限って貸してくれる規定であるから、自分のような一人ものは這入りたくたって這入れないんだった。こう云う小屋の間を縫って、飽きずに上って行くと、今度は石崖の下に細長い横幅ばかりの長屋が見える。そうして、その長屋がたくさんある。始めはわずか二三軒かと思ったら、登るに従って続々あらわれて来た。大きさも長さも似たもんで、みんな崖下にあるんだから位地にも変りはないが、向だけは各々違ってる。山坂を利用して、なけなしの地面へ建てることだから、東だとか西だとか贅沢は言っていられない。やっとの思いで、ならした地面へ否応なしに、方角のお構なく建ててしまったんだから不規則なものだ。それに、第一、登って行く道がくねってる。あの長屋の右を歩いてるなと思うと、いつの間にかその長屋の前へ出て来る。あれは、すぐ頭の上だがと心待ちに待っていると、急に路が外れて遠くへ持ってかれてしまう。まるで見当がつかない。その上この細長い家から顔が出ている。家から顔が出ているのが珍らしい事もないんだが、その顔がただの顔じゃない。どれも、これも、出来ていない上に、色が悪い。その悪さ加減がまた、尋常でない。青くって、黒くって、しかも茶色で、とうてい都会にいては想像のつかない色だから困る。病院の患者などとはまるで比較にならない。自分が山路を登りながら、始めてこの顔を見た時は、シキと云う意味をよく了解しない癖に、なるほどシキだなと感じた。しかしいくらシキでも、こう云う顔はたくさんあるまいと思って、登って行くと、長屋を通るたんびに顔が出ていて、その顔がみんな同じである。しまいにはシキとは恐ろしい所だと思うまで、いやな顔をたくさん見せられて、また自分の顔をたくさん見られて――長屋から出ている顔はきっと自分らを見ていた。一種獰悪な眼つきで見ていた。――とうとう午後の一時に飯場へ着いた。
なぜ飯場と云うんだか分らない。焚き出しをするから、そう云う名をつけたものかも知れない。自分はその後飯場の意味をある坑夫に尋ねて、箆棒め、飯場たあ飯場でえ、何を云ってるんでえ、とひどく剣突を食った事がある。すべてこの社会に通用する術語は、シキでも飯場でもジャンボーでも、みんな偶然に成立して、偶然に通用しているんだから、滅多に意味なんか聞くと、すぐ怒られる。意味なんか聞く閑もなし、答える閑もなし、調べるのは大馬鹿となってるんだから至極簡単でかつ全く実際的なものである。
そう云う訳で飯場の意味は今もって分らないが、とにかく崖の下に散在している長屋を指すものと思えばいい。その長屋へようやく到着した。多くある長屋のうちで、なぜこの飯場を選んだかは、長蔵さんの一人ぎめだから、自分には説明しにくい。が、この飯場は長蔵さんの専門御得意の取引先と云う訳でもなかったらしい。長蔵さんは自分をこの飯場へ押しつけるや否や、いつの間にか、赤毛布と小僧を連れてほかの飯場へ出て行ってしまった。それで二人はほかの飯場の飯を食うようになったんだなと後から気がついた。二人の消息はその後いっこう聞かなかった。銅山のなかでもついぞ顔を合せた事がない。考えると、妙なものだ。一膳めし屋から突然飛び出した赤い毛布と、夕方の山から降って来た小僧と落ち合って、夏の夜を後になり先になって、崩れそうな藁屋根の下でいっしょに寝た明日は、雲の中を半日かかって、目指す飯場へようやく着いたと思うと、赤毛布も小僧もふいと消えてなくなっちまう。これでは小説にならない。しかし世の中には纏まりそうで、纏らない、云わばでき損いの小説めいた事がだいぶある。長い年月を隔てて振り返って見ると、かえってこのだらしなく尾を蒼穹の奥に隠してしまった経歴の方が興味の多いように思われる。振り返って思い出すほどの過去は、みんな夢で、その夢らしいところに追懐の趣があるんだから、過去の事実それ自身にどこかぼんやりした、曖昧な点がないとこの夢幻の趣を助ける事が出来ない。したがって十分に発展して来て因果の予期を満足させる事柄よりも、この赤毛布流に、頭も尻も秘密の中に流れ込んでただ途中だけが眼の前に浮んでくる一夜半日の画の方が面白い。小説になりそうで、まるで小説にならないところが、世間臭くなくって好い心持だ。ただに赤毛布ばかりじゃない。小僧もそうである。長蔵さんもそうである。松原の茶店の神さんもそうである。もっと大きく云えばこの一篇の「坑夫」そのものがやはりそうである。纏まりのつかない事実を事実のままに記すだけである。小説のように拵えたものじゃないから、小説のように面白くはない。その代り小説よりも神秘的である。すべて運命が脚色した自然の事実は、人間の構想で作り上げた小説よりも無法則である。だから神秘である。と自分は常に思っている。
赤毛布と小僧が連れて行かれたのは後の事だが、自分らが飯場に到着した時は無論二人ともいっしょであった。ここで長蔵さんがいよいよ坑夫志願の談判を始めた。談判と云うと面倒なようだが、その実極めて簡単なものであった。ただ、この男は坑夫になりたいと云うから、どうか使ってくれと云ったばかりである。自分の姓名も出生地も身元も閲歴も何にも話さなかった。もちろん話したくったって、知らないんだから、話せようもないんだが、こうまで手っ取り早く片づける了簡とは思わなかった。自分は中学校へ入学した時の経験から、いくら坑夫だって、それ相応の手続がなくっちゃ採用されないもんだとばかり思っていた。大方身元引受人とか保証人とか云うものが証文へ判でも捺すんだろう、その時は長蔵さんにでも頼んで見ようくらいにまで、先廻りをして考えていた。ところが案に相違して、談判を持ち込まれた飯場頭は――飯場頭だか何だかその時は無論知らなかった。眉毛の太くって蒼髯の痕の濃い逞しい四十恰好の男だった。――その男が長蔵さんの話を一通り聞くや否や、
「そうかい、それじゃ置いておいで」
とさも無雑作に云っちまった。ちょうど炭屋が土釜を台所へ担ぎ込んだ時のように思われた。人間が遥々山越をして坑夫になりに来たんだとは認めていない。そこで自分は少々腹の中でこの飯場頭を恨んだが、これは自分の間違であった。その訳は今直に分る。
飯場頭と云うのは一の飯場を預かる坑夫の隊長で、この長屋の組合に這入る坑夫は、万事この人の了簡しだいでどうでもなる。だからはなはだ勢力がある。この飯場頭と一分時間に談判を結了した長蔵さんは、
「じゃ、よろしくお頼みもうします」
と云ったなり、赤毛布と小僧を連れて出て行った。また帰ってくる事と思ったが、その後いっこう影も形も見せないんで、全く、置去にされたと云う事が分った。考えるとひどい男だ。ここまで引っ張って来るときには、何のかのと、世話らしい言葉を掛けたのに、いざとなると通り一片の挨拶もしない。それにしてもぽん引の手数料はいつ何時どこで取ったものか、これは今もって分らない。
こう云うしだいで飯場頭からは、土釜の炭俵のごとく認定される、長蔵さんからは小包のように抛げ込まれる。少しも人間らしい心持がしないんで、大いに悄然としていると、出て行く三人の後姿を見送った飯場頭は突然自分の方を向いた。その顔つきが変っている。人を炭俵のように取扱う男とは、どうしても受取れない。全く東京辺で朝晩出逢う、万事を心得た苦労人の顔である。
「あなたは生れ落ちてからの労働者とも見えないようだが……」
飯場掛の言葉をここまで聞いた時、自分は急に泣きたくなった。さんざっぱらお前さんで、厭になるほどやられた揚句の果、もうとうてい御前さん以上には浮ばれないものと覚悟をしていた矢先に、突然あなたの昔に帰ったから、思いがけない所で自己を認められた嬉しさと、なつかしさと、それから過去の記憶――自分はつい一昨日までは立派にあなたで通って来た――それやこれやが寄って、たかって胸の中へ込み上げて来た上に、相手の調子がいかにも鄭寧で親切だから――つい泣きたくなった。自分はその後いろいろな目に逢って、幾度となく泣きたくなった事はあるが、擦れ枯しの今日から見れば、大抵は泣くに当らない事が多い。しかしこの時頭の中にたまった涙は、今が今でも、同じ羽目になれば、出かねまいと思う。苦しい、つらい、口惜しい、心細い涙は経験で消す事が出来る。ありがた涙もこぼさずに済む。ただ堕落した自己が、依然として昔の自己であると他から認識された時の嬉し涙は死ぬまでついて廻るものに違ない。人間はかように手前勘の強いものである。この涙を感謝の涙と誤解して、得意がるのは、自分のために書生を置いて、書生のために置いてやったような心持になってると同じ事じゃないかしら。
こう云う訳で、飯場掛りの言葉を一行ばかり聞くと、急に泣きたくなったが、実は泣かなかった。悄然とはしていたが、気は張っている。どこからか知らないが、抵抗心が出て来た。ただ思うように口が利けないから、黙って向うの云う事を聞いていた。すると飯場掛りは嬉しいほど親切な口調で、こう云った。――
「……まあどうして、こんな所へ御出なすったんだか、今の男が連れて来るくらいだから大概私にも様子は知れてはいるが――どうです、もう一遍考えて見ちゃあ。きっと取ッ附坑夫になれて、金がうんと儲かるてえような旨い話でもしたんでしょう。それがさ、実際やって見るととうてい話の十が一にも行かないんだからつまらないです。第一坑夫と一口に云いますがね。なかなかただの人に出来る仕事じゃない、ことにあなたのように学校へ行って教育なんか受けたものは、どうしたって勤まりっこありませんよ。……」
飯場頭はここまで来て、じっと自分の顔を見た。何とか云わなくっちゃならない。幸いこの時はもう泣きたいところを通り越して、口が利けるようになっていた。そこで自分はこう云った。――
「僕は――僕は――そんなに金なんか欲しかないです。何も儲けるためにやって来た訳じゃないんですから、――そりゃ知ってるです、僕だって知ってるです……」
と、この時知ってるですを二遍繰り返した事を今だに記憶している。はなはだ穏かならぬ生意気な、ものの云いようだった。若いうちは、たった今まで悄気ていても、相手しだいですぐつけ上っちまう。まことに赤面の至りである。しかもその知ってるですが、何を知ってるのかと思うと、今自分を連れて来た男、すなわち長蔵さんは、一種の周旋屋であって、すべての周旋屋に共通な法螺吹きであると云う真相をよく自覚していると云う意味なんだから、いくら知ってたって自慢にならないのは無論である。それを念入に、瞞着れて来たんじゃない、万事承知の上の坑夫志願だなどと説明して見たって今更どうなるものじゃない。ところが年が若いと虚栄心の強いもので――今でも弱いとは云わないが――しきりに弁解に取り掛ったのは実に冷汗の出るほどの愚であった。幸い相手が、こう云う家業に似合わぬ篤実な男で、かつ自分の不経験を気の毒に思うのあまり、この生意気を生意気と知りながら大目に見てくれたもんだから、どやされずに済んだ。まことにありがたい。この飯場に住み込んだあとで、頭の勢力の広大なるに驚くにつれて、僕は知ってるですを思い出しては独り赧い顔をしていた。ついでに云うがこの頭の名は原駒吉である。今もって自分は好い名だと思ってる。
原さんは別に厭な顔つきもせずに、黙って自分の言訳を聞いていたが、やがて頭を振り出した。その頭は大きな五分刈で額の所が面摺のように抜き上がっている。
「そりゃ物数奇と云うもんでさあ。せっかく来たから是非やるったって、何も家を出る時から坑夫になると思いつめた訳でもないんでしょう。云わば一時の出来心なんだからね。やって見りゃ、すぐ厭になっちまうな眼に見えてるんだから、廃すが好うがしょう。現に書生さんでここへ来て十日と辛抱したものあ、有りゃしませんぜ。え? そりゃ来る。幾人も来る。来る事は来るが、みんな驚いて逃げ出しちまいまさあ。全く普通のものの出来る業じゃありませんよ。悪い事は云わないから御帰んなさい。なに坑夫をしなくったって、口過だけなら骨は折れませんやあ」
原さんはここに至って、胡坐を崩して尻を宙に上げかけた。自分はどうしても落第しそうな按排である。大いに困った。困った結果、坑夫と云う事から気を離して、自分だけを検査して見ると、――何だか急に寒くなった。袷はさっきの雨で濡れている。洋袴下は穿いていない。東京の五月もこの山の奥へ来るとまるで二月か三月の気候である。坂を登っている間こそ体温でさほどにも思わなかった。原さんに拒絶されるまでは気が張っていたから、好かった。しかし飯場へ来て休息した上に、坑夫になる見込がほとんど切れたとなると、情ないのが寒いのと合併して急に顫え出した。その時の自分の顔色は定めし見るに堪えんほど醜いもんだったろう。この時自分はまた何となく、今しがた自分を置去にして、挨拶もしずに出て行った長蔵さんが恋しくなった。長蔵さんがいたら、何とか尽力して坑夫にしてくれるだろう。よし坑夫にしてくれないまでも、どうにか片をつけてくれるだろう。汽車賃を出してくれたくらいだから、方角のわかる所までくらいは送り出してくれそうなものだ。蟇口を長蔵さんに取られてから、懐中には一文もない。帰るにしても、帰る途中で腹が減って山の中で行倒になるまでだ。いっその事今から長蔵さんを追掛けて見ようか。飯場飯場を探して歩いたら逢えない事もないだろう。逢ってこれこれだと泣きついたら、今までの交際もある事だから、好い智慧を貸してくれまいものでもない。しかし別れ際に挨拶さえしない男だから、ひょっとすると……自分は原さんの前で実はこんな閑な事を、非常に忙しく、ぐるぐる考えていた。好な原さんが前にいるのに、あんまり下さらない、しかも消えてなくなった長蔵さんばかりを相談相手のように思い込んだのは、どう云う理由だろう。こんな事はよくあるもんだから、いざと云う場合に、敵は敵、味方は味方と板行で押したように考えないで、敵のうちで味方を探したり、味方のうちで敵を見露わしたり、片方づかないように心を自由に活動させなくってはいけない。
弱輩な自分にはこの機合がまだ呑み込めなかったもんだから、原さんの前に立って顫えながら、へどもどしていると、原さんも気の毒になったと見えて、
「あなたさえ帰る気なら、及ばずながら相談になろうじゃありませんか」
と向うから口を掛けてくれた。こう切って出られた時に、自分ははっとありがたく感じた。ばかりなら当り前だがはっと気がついた。――自分の相談相手は自分の志望を拒絶するこの原さんを除いて、ほかにないんだと気がついた。気がつくと同時にまた口が利けなくなった。是非坑夫にしてくれとも、帰るから旅費を貸してくれとも言いかねて、やっぱり立ちすくんでいた。気がついても何にもならない、ただ右の手で拳骨を拵えて寒い鼻の下を擦ったように記憶している。自分はその前寄席へ行って、よく噺家がこんな手真似をするのを見た事があるが、自分でその通りを実行したのは、これが始めてである。この手真似を見ていた原さんが、今度はこう云った。
「失礼ながら旅費のことなら、心配しなくっても好ござんす。どうかして上げますから」
旅費は無論ない。一厘たりとも金気は肌に着いていない。のたれ死を覚悟の前でも、金は持ってる方が心丈夫だ。まして慢性の自滅で満足する今の自分には、たとい白銅一箇の草鞋銭でも大切である。帰ると事がきまりさえすれば、頭を地に摺りつけても、原さんから旅費を恵んで貰ったろう。実際こうなると廉恥も品格もあったもんじゃない。どんな不体裁な貰い方でもする。――大抵の人がそうなるだろう。またそうなってしかるべきである。――しかしけっして褒められた始末じゃない。自分がこんな事を露骨にかくのは、ただ人間の正体を、事実なりに書くんで、書いて得意がるのとは訳が違う。人間の生地はこれだから、これで差支ないなどと主張するのは、練羊羹の生地は小豆だから、羊羹の代りに生小豆を噛んでれば差支ないと結論するのと同じ事だ。自分はこの時の有様を思い出すたびに、なんで、あんな、さもしい料簡になったものかと、吾ながら愛想が尽きる。こう云う下卑た料簡を起さずに、一生を暮す事のできる人は、経験の足りない人かも知れないが、幸な人である。また自分らよりも遥に高尚な人である。生小豆のまずさ加減を知らないで、生涯練羊羹ばかり味わってる結構な人である。
自分は、も少しの事で、手を合せて、見ず知らずの飯場頭からわずかの合力を仰ぐところであった。それをやっとの事で喰い止めたのは、せっかくの好意で調えてくれる金も、二三日木賃宿で夜露を凌げば、すぐ無くなって、無くなった暁には、また当途もなく流れ出さなければならないと、冥々のうちに自覚したからである。自分は屑よく涙金を断った。断った表向は律義にも見える。自分もそう考えるが、よくよく詮索すると、慾の天秤に懸けた、利害の判断から出ている事はたしかである。その証拠には補助を断ると同時に、自分は、こんな事を言い出した。
「その代り坑夫に使って下さい。せっかく来たんだから、僕はどうしてもやって見る気なんですから」
「随分酔興ですね」
と原さんは首を傾げて、自分を見つめていたが、やがて溜息のような声を出して、
「じゃ、どうしても帰る気はないんですね」
と云った。
「帰るったって、帰る所がないんです」
「だって……」
「家なんかないんです。坑夫になれなければ乞食でもするより仕方がないです」
こんな押問答を二三度重ねている中に、口を利くのが大変楽になって来た。これは思い切って、無理な言葉を、出にくいと知りながら、我慢して使った結果、おのずと拍子に乗って来た勢いに違ないんだから、まあ器械的の変化と見傚しても差支なかろうが、妙なもので、その器械的の変化が、逆戻りに自分の精神に影響を及ぼして来た。自分の言いたい事が何の苦もなく口を出るに連れて――ある人はある場合に、自分の言いたくない事までも調子づいてべらべら饒舌る。舌はかほどに器械的なものである。――この器械が使用の結果加速度の効力を得るに連れて、自分はだんだん大胆になって来た。
いや、大胆になったから饒舌れたんだろう、君の云う事は顛倒じゃないかとやり込める気なら、そうして置いてもいい。いいが、それはあまり陳腐でかつ時々嘘になる。嘘と陳腐で満足しないものは自分の言分をもっともと首肯くだろう。
自分は大胆になった。大胆になるに連れて、どうしても坑夫に住み込んでやろうと決心した。また饒舌っておれば必ず坑夫になれるに違ないと自覚して来た。一昨日家を飛び出す間際までは、夢にも坑夫になろうと云う分別は出なかった。ばかりではない、坑夫になるための駆落と事がきまっていたならば、何となく恥ずかしくなって、まあ一週間よく考えた上にと、出奔の時期を曖昧に延ばしたかもしれない。逃亡はする。逃亡はするが、紳士の逃亡で、人だか土塊だか分らない坑掘になり下る目的の逃亡とは、何不足なく生育った自分の頭には影さえ射さなかったろう。ところが原さんの前で寒い奥歯を噛みしめながら、しょう事なしの押問答をしているうちに、自分はどうあっても坑夫になるべき運命、否天職を帯びてるような気がし出した。この山とこの雲とこの雨を凌いで来たからには、是非共坑夫にならなければ済まない。万一採用されない暁には自分に対して面目がない。――読者は笑うだろう。しかし自分は当時の心情を真面目に書いてるんだから、人が見ておかしければおかしいほど、その時の自分に対して気の毒になる。
妙な意地だか、負惜みだか、それとも行倒れになるのが怖くって、帰り切れなかったためだか、――その辺は自分にも曖昧だが、とにかく自分は、もっとも熱心な語調で原さんを口説いた。
「……そう云わずに使って下さい。実際僕が不適当なら仕方がないが、まだやって見ない事なんだから――せっかく山を越して遠方をわざわざ来た甲斐に、一日でも二日でも、いいですから、まあ試しだと思って使って下さい。その上で、とうてい役に立たないと事がきまれば帰ります。きっと帰ります。僕だって、それだけの仕事が出来ないのに、押を強く御厄介になってる気はないんですから。僕は十九です。まだ若いです。働き盛りです……」
と昨日茶店の神さんが云った通りをそのまま図に乗って述べ立てた。後から考えると、これはむしろ人が自分を評する言葉で、自分が自分を吹聴する文句ではなかった。そこで原さんは少し笑い出した。
「それほどお望みなら仕方がない。何も御縁だ。まあやって御覧なさるが好い。その代り苦しいですよ」
と原さんは何気なく裏の赤い山を覗くように見上げた。おおかた天気模様でも見たんだろう。自分も原さんといっしょに山の方へ眼を移した。雨は上がったが、暗く曇っている。薄気味の悪いほど怪しい山の中の空合だ。この一瞬時に、自分の願が叶って、自分はまず山の中の人となった。この時「その代り苦しいですよ」と云った原さんの言葉が、妙に気に掛り出した。人は、ようやくの思いで刻下の志を遂げると、すぐ反動が来て、かえって志を遂げた事が急に恨めしくなる場合がある。自分が望み通りここへ落ちつける口頭の辞令を受け取った時の感じはいささかこれに類している。
「じゃね」――原さんは語調を改めて話し出した。――「じゃね。何しろ明日の朝シキへ這入って御覧なさい。案内を一人つけて上げるから。――それからと――そうだ、その前に話して置かなくっちゃなりませんがね。一口に坑夫と云うと、訳もない仕事のように思われましょうが、なかなか外で聞いてるような生容易い業じゃないんで。まあ取っつけから坑夫になるなあ」と云って自分の顔を眺めていたが、やがて、
「その体格じゃ、ちっとむずかしいかも知れませんね。坑夫でなくっても、好うがすかい」
と気の毒そうに聞いた。坑夫になるまでには相当の階級と練習を積まなくっちゃならないと云う事がここで始めて分った。なるほど長蔵さんが坑夫坑夫と、さも名誉らしく坑夫を振り廻したはずだ。
「坑夫のほかに何かあるんですか。ここにいるものは、みんな坑夫じゃないんですか」
と念のために聞いて見た。すると原さんは、自分を馬鹿にした様子もなく、すぐそのわけを説明してくれた。
「銅山にはね、一万人も這入っててね。それが掘子に、シチュウに、山市に、坑夫と、こう四つに分れてるんでさあ。掘子ってえな、一人前の坑夫に使えねえ奴がなるんで、まあ坑夫の下働ですね。シチュウは早く云うとシキの内の大工見たようなものかね。それから山市だが、こいつは、ただ石塊をこつこつ欠いてるだけで、おもに子供――さっきも一人来たでしょう。ああ云うのが当分坑夫の見習にやる仕事さね。まあざっと、こんなものですよ。それで坑夫となると請負仕事だから、間が好いと日に一円にも二円にも当る事もあるが、掘子は日当で年が年中三十五銭で辛抱しなければならない。しかもそのうち五分は親方が取っちまって、病気でもしようもんなら手当が半分だから十七銭五厘ですね。それで蒲団の損料が一枚三銭――寒いときは是非二枚要るから、都合で六銭と、それに飯代が一日十四銭五厘、御菜は別ですよ。――どうです。もし坑夫にいけなかったら、掘子にでもなる気はありますかね」
実のところはなりますと勢いよく出る元気はなかったが、ここまで来れば、今更どうしたって否だと断られた義理のもんじゃない。そこで、出来るだけ景気よく、
「なります」
と答えてしまった。原さんにはこの答が断然たる決心のように受けとれたか、それとも、瘠我慢のつけ景気のごとく響いたか、その辺は確と分らないが、何しろこの一言を聞いた原さんは、機嫌よく、
「じゃまあ、御上がんなさい。そうして、あした人をつけて上げるから、まあシキへ這入って御覧なさるがいい。何しろ一万人もいて、こんなに組々に分れているんだから、飯場を一つでも預かってると、毎日毎日何だかだって、うるさい事ばかりでね。せっかく頼むから置いてやる、すぐ逃げる。――一日に二三人はきっと逃げますよ。そうかと云って、おとなしくしているかと思うと、病気になって、死んじまう奴が出て来て――どうも始末に行かねえもんでさあ。葬いばかりでも日に五六組無い事あ、滅多にないからね。まあやる気なら本気にやって御覧なさい。腰を掛けてちゃ、足が草臥れるだろう。こっちへ御上り」
この逐一を聞いていた自分はたとい、掘子だろうが、山市だろうが一生懸命に働かなくっちゃあ、原さんに対して済まない仕儀になって来た。そこで心のうちに、原さんの迷惑になるような不都合はけっしてしまいときめた。何しろ年が十九だから正直なものだった。
そこで原さんの云う通り、足を拭いて尻をおろしているうちに、奥の方から婆さんが出て来て、――この婆さんの出ようがはなはだ突然で、ちょっと驚いたが、
「こっちへ御出なさい」
と云うから、好加減に御辞儀をして、後から尾いて行った。小作な婆さんで、後姿の華奢な割合には、ぴんぴん跳ねるように活溌な歩き方をする。幅の狭い茶色の帯をちょっきり結にむすんで、なけなしの髪を頸窩へ片づけてその心棒に鉛色の簪を刺している。そうして襷掛であった。何でも台所か――台所がなければ、――奥の方で、用事の真っ最中に、案内のため呼び出されたから、こう急がしそうに尻を振るんだろう。それとも山育だからかしら。いや、飯場だから優長にしちゃいられないせいだろう。して見ると、今日から飯場の飯を食い出す以上は自分だって安閑としちゃいられない。万事この婆さんの型で行かなくっちゃなるまい。――なるまい。――と力を入れて、うんと思ったら、さすがに草臥れた手足が急になるまいで充満して、頭と胸の組織がちょっと変ったような気分になった。その勢いで広い階子段を、案内に応じて、すとんすとんと景気よく登って行った。が自分の頭が階子段から、ぬっと一尺ばかり出るや否や、この決心が、ぐうと退避いだ。
胸から上を階子段の上へ出して、二階を見渡すと驚いた。畳数は何十枚だか知らないが遥の突き当りまで敷き詰めてあって、その間には一重の仕切りさえ見えない。ちょうど柔道の道場か、浪花節の席亭のような恰好で、しかも広さは倍も三倍もある。だから、ただ駄々ッ広い感じばかりで、畳の上でもまるで野原へ出たとしきゃあ思えない。それだけでも驚く価値は十分あるが、その広い原の中に大きな囲炉裏が二つ切ってある、そこへ人間が約十四五人ずつかたまっている。自分の決心が退避いだと云うのは、卑怯な話だが、全くこの人間にあったらしい。平生から強がっていたにはいたが、若輩の事だから、見ず知らずの多勢の席へ滅多に首を出した事はない。晴の場所となると、ただでさえもじもじする。ところへもって来て、突然坑夫の団体に生擒られたんだから、この黒い塊を見るが早いか、いささか辟易じまった。それも、ただの人間ならいい。と云っちゃ意味がよく通じない。――ただの人間が、坑夫になってるなら差支ない。ところが自分の胸から上が、階子段を出ると、等しく、この塊の各部分が、申し合せたように、こっちを向いた。その顔が――実はその顔で全く畏縮してしまった。と云うのはその顔がただの顔じゃない。ただの人間の顔じゃない。純然たる坑夫の顔であった。そう云うより別に形容しようがない。坑夫の顔はどんなだろうと云う好奇心のあるものは、行って見るより外に致し方がない。それでも是非説明して見ろと云うなら、ざっと話すが、――頬骨がだんだん高く聳えてくる。顎が競り出す。同時に左右に突っ張る。眼が壺のように引ッ込んで、眼球を遠慮なく、奥の方へ吸いつけちまう。小鼻が落ちる。――要するに肉と云う肉がみんな退却して、骨と云う骨がことごとく吶喊展開するとでも評したら好かろう。顔の骨だか、骨の顔だか分らないくらいに、稜々たるものである。劇しい労役の結果早く年を取るんだとも解釈は出来るが、ただ天然自然に年を取ったって、ああなるもんじゃない。丸味とか、温味とか、優味とか云うものは薬にしたくっても、探し出せない。まあ一口に云うと獰猛だ。不思議にもこの獰猛な相が一列一体の共有性になっていると見えて、囲炉裏の傍の黒いものが等しく自分の方を向くと、またたく間に獰猛な顔が十四五揃った。向うの囲炉裏を取捲いてる連中も同じ顔に違いない。さっき坂を上がってくるとき、長屋の窓から自分を見下していた顔も全くこれである。して見ると組々の長屋に住んでいる総勢一万人の顔はことごとく獰猛なんだろう。自分は全く退避んだ。
この時婆さんが後を振り返って、
「こっちへおいでなさい」
と、もどかしそうに云うから、度胸を据えて、獰猛の方へ近づいて行った。ようやく囲炉裏の傍まで来ると、婆さんが、今度は、
「まあここへ御坐んなさい」
と差しずをしたが、ただ好加減な所へ坐れと云うだけで、別に設けの席も何もないんだから、自分は黒い塊りを避けて、たった一人畳の上へ坐った。この間獰猛な眼は、始終自分に喰っついている。遠慮も何もありゃしない。そうして誰も口を利くものがない。取附端を見出すまでは、団体の中へ交り込む訳にも行かず、ぽつねんと独りぼッちで離れているのは、獰猛の目標となるばかりだし、大いに困った。婆さんは、自分を紹介する段じゃない、器械的に「ここへ坐れ」と云ったなり、ちょっ切り結びの尻を振り立てて階子段を降りて行ってしまった。広い寄席の真中にたった一人取り残されて、楽屋の出方一同から、冷かされてるようなものだ、手持無沙汰は無論である。ことさら今の自分に取っては心細い。のみならず袷一枚ではなはだ寒い。寒いのは、この五月の空に、かんかん炭を焼いて獰猛共が囲炉裏へあたってるんでも分る。自分は仕方がないからてれ隠しに襯衣の釦をはずして腋の下へ手を入れたり、膝を立てて、足の親指を抓って見たり、あるいは腿の所を両手で揉んで見たり、いろいろやっていた。こう云う時に、落ついた顔をして――顔ばかりじゃいけない、心から落ちついて、平気で坐ってる修業をして置かないと、大きな損だ。しかし、十九や、そこいらではとうてい覚束ない芸だから、自分はやむを得ず。前記の通りいろいろ馬鹿な真似をしていると、突然、
「おい」
と呼んだものがある。自分はこの時ちょうど下を向いて鳴海絞の兵児帯を締め直していたが、この声を聞くや否や、電気仕掛の顔のように、首筋が急に釣った。見るとさっきの顔揃で、眼がみんなこっちを向いて、光ってる。「おい」と云う声は、どの顔から出たものか分らないが、どの顔から出たにしても大した変りはない。どの顔も獰猛で、よく見るとその獰猛のうちに、軽侮と、嘲弄と、好奇の念が判然と彫りつけてあったのは、首を上げる途端に発明した事実で、発明するや否や、非常に不愉快に感じた事実である。自分は仕方がないから、首を上げたまま、「おい」の声がもう一遍出るのを待っていた。この間が約何秒かかったか知らないが、とにかく予期の状態で一定の姿勢におったものらしい。すると、いきなり、
「やに澄ますねえ」
と云ったものがある。この声はさっきの「おい」よりも少し皺枯れていたから、大方別人だろうと鑑定した。しかし返答をするべき性質の言葉でないから――字で書くと普通のねえのように見えるが、実はなよの命令を倶利加羅流に崩したんだから、はなはだ下等である。――それでやっぱり黙ってた。ただ内心では大いに驚いた。自分がここへ来て言葉を交したものは原さんと婆さんだけであるが、婆さんは女だから別として、原さんは思ったよりも叮嚀であった。ところが原さんは飯場頭である。頭ですらこれだから、平の坑夫は無論そう野卑じゃあるまいと思い込んでいた。だから、この悪口が藪から棒に飛んで来た時には、こいつはと退避む前に、まずおやっと毒気を抜かれた。ここでいっその事毒突返したなら、袋叩きに逢うか、または平等の交際が出来るか、どっちか早く片がついたかも知れないが、自分は何にも口答えをしなかった。もともと東京生れだから、この際何とか受けるくらいは心得ていたんだろう。それにもかかわらず、兄に類似した言語は無論、尋常の竹箆返しさえ控えたのは、――相手にならないと先方を軽蔑したためだろうか――あるいは怖くって何とも云う度胸がなかったんだろうか。自分は前の方だと云いたい。しかし事実はどうも後の方らしい。とにかくも両方交ってたと云うのが一番穏のように思われる。世の中には軽蔑しながらも怖いものが沢山もある。矛盾にゃならない。
それはどっちにしたって構わないが、自分がこの悪口を聞いたなり、おとなしく聞き流す料簡と見て取った坑夫共は、面白そうにどっと笑った。こっちがおとなしければおとなしいほど、この笑は高く響いたに違ない。銅山を出れば、世間が相手にしてくれない返報に、たまたま普通の人間が銅山の中へ迷い込んで来たのを、これ幸いと嘲弄するのである。自分から云えば、この坑夫共が社会に対する恨みを、吾身一人で引き受けた訳になる。銅山へ這入るまでは、自分こそ社会に立てない身体だと思い詰めていた。そこで飯場へ上って見ると、自分のような人間は仲間にしてやらないと云わんばかりの取扱いである。自分は普通の社会と坑夫の社会の間に立って、立派に板挟みとなった。だからこの十四五人の笑い声が、ほてるほど自分の顔の正面に起った時は、悲しいと云うよりは、恥ずかしいと云うよりは、手持無沙汰と云うよりは、情ないほど不人情な奴が揃ってると思った。無教育は始めから知れている。教育がなければ予期出来ないほどの無理な注文はしないつもりだが、なんぼ坑夫だって、親の胎内から持って生れたままの、人間らしいところはあるだろうくらいに心得ていたんだから、この寸法に合わない笑声を聞くや否や、畜生奴と思った。俗語に云う怒った時の畜生奴じゃない。人間と受取れない意味の畜生奴である。今では経験の結果、人間と畜生の距離がだいぶん詰ってるから、このくらいの事をと、鈍い神経の方で相手にしないかも知れないが、何しろ十九年しか、使っていない新しい柔かい頭へこのわる笑がじんと来たんだから、切なかった。自分ながら思い出すたびに、まことに痛わしいような、いじらしいような、その時の神経系統をそのまま真綿に包んで大事にしまって置いてやりたいような気がする。
この悪意に充ちた笑がようやく下火になると、
「御前はどこだ」
と云う質問が出た。この質問を掛けたものは、自分から一番近い所に坐っていたから、声の出所は判然分った。浅黄色の手拭染みた三尺帯を腰骨の上へ引き廻して、後向きの胡坐のまま、斜に顔だけこっちへ見せている。その片眼は生れつきの赤んべんで、おまけに結膜が一面に充血している。
「僕は東京です」
と答えたら、赤んべんが、肉のない頬を凹まして、愚弄の笑いを洩らしながら、三軒置いて隣りの坑夫をちょいと顎でしゃくった。するとこの相図を受けた、願人坊主が、入れ替ってこんな事を云った、
「僕だなんて――書生ッ坊だな。大方女郎買でもしてしくじったんだろう。太え奴だ。全体この頃の書生ッ坊の風儀が悪くっていけねえ。そんな奴に辛抱が出来るもんか、早く帰れ。そんな瘠っこけた腕でできる稼業じゃねえ」
自分はだまっていた。あんまり黙っていたので張合が抜けたせいか、わいわい冷かすのが少し静まった。その時一人の坑夫――これは尋常な顔である。世間へ出しても普通に通用するくらいに眼鼻立が調っていた。自分は、冷かされながら、眼を上げて、黒い塊を見るたびに、人数やら、着物やら、獰猛の度合やらをだんだん腹に畳み込んでいたが、最初は総体の顔が総体に骨と眼でできた上に獣慾の脂が浮いているところばかり眼に着いて、どれも、これも差別がないように思われた。それが三度四度と重なるにつけて、四人五人と人相の区別ができるに連れて、この坑夫だけが一際目立って見えるようになった。年はまだ三十にはなるまい。体格は倔強である。眉毛と鼻の根と落ち合う所が、一段奥へ引っ込んで、始終鼻眼鏡で圧しつけてるように見える。そこに疳癪が拘泥していそうだが、これがために獰猛の度はかえって減ずると云っても好いような特徴であった。――この坑夫が始めてこの時口を利いた。――
「なぜこんな所へ来た。来たって仕方がないぜ。儲かる所じゃない。ここにいる奴あ、みんな食詰ものばかりだ。早く帰るが好かろう。帰って新聞配達でもするがいい。おれも元はこれで学校へも通ったもんだが、放蕩の結果とうとう、シキの飯を食うようになっちまった。おれのようになったが最後もう駄目だ。帰ろうたって、帰れなくなる。だから今のうちに東京へ帰って新聞配達をしろ。書生はとても一月と辛抱は出来ないよ。悪い事は云わねえから帰れ。分ったろう」
これは比較的真面目な忠告であった。この忠告の最中は、さすがの獰悪派もおとなしく交っ返しもせずに聞いていた。その惰性で忠告が済んだあとも、一時は静であった。もっともこれはこの坑夫に多少の勢力があるんで、その勢力に対しての遠慮かも知れないと勘づいた。その時自分は何となく心の底で愉快だった。この坑夫だって、ほかの坑夫だって、人相にこそ少しの変化はあれ、やっぱり一つ穴でこつこつ鉱塊を欠いている分の事だろう。そう芸に巧拙のあるはずはない。して見ると、この男の勢力は全く字が読めて、物が解って、分別があって――一口に云うと教育を受けたせいに違ない。自分は今こんなに馬鹿にされている。ほとんど最下等の労働者にさえ歯されない人非人として、多勢の侮辱を受けている。しかし一度この社会に首を突込んで、獰猛組の一人となりすましたら、一月二月と暮して行くうちには、この男くらいの勢力を得る事はできるかも知れない。できるだろう。できるにきまってるとまで感じた。だから、いくら誰が何と云っても帰るまい、きっとこの社会で一人前以上になって成功して見せる。――随分思い切ってつまらない考えを起したもんだが、今から見ても、多少論理には叶っているようだ。そこでこの坑夫の忠告には謹んで耳を傾けていたが、別段先方の注文通りに、では帰りましょうと云う返事もしなかった。そのうちいったん静まりかけた愚弄の舌がまた動き出した。
「いる気なら置いてやるが、ここにゃ、それぞれ掟があるから呑み込んで置かなくっちゃ迷惑だぜ」
と一人が云うから、
「どんな掟ですか」
と聞くと、
「馬鹿だなあ。親分もあり兄弟分もあるじゃねえか」
と、大変な大きな声を出した。
「親分たどんなもんですか」
と質問して見た。実はあまりがみがみ云うから、黙っていようかしらんとも思ったけれども、万一掟を破って、あとで苛い目に逢うのが怖いから、まあ聞いて見た。すると他の坑夫が、すぐ、返事をした。
「しようのねえ奴だな。親分を知らねえのか。親分も兄弟分も知らねえで、坑夫になろうなんて料簡違えだ。早く帰れ」
「親分も兄弟分もいるから、だから、儲けようたって、そう旨かあ行かねえ。帰れ」
「儲かるもんか帰るが好い」
「帰れ」
「帰れ」
しきりに帰れと云う。しかも実際自分のためを思って帰れと云うんじゃない。仲間入をさせてやらないから出て行けと云うんである。さぞ儲けたいだろうが、そうは問屋で卸さない、こちとらだけで儲ける仕事なんだから、諦めて早く帰れと云うんである。したがってどこへ帰れとも云わない。川の底でも、穴の中でも構わない勝手な所へ帰れと云うんである。自分は黙っていた。
この形勢がこのままで続いたら、どんな事にたち至ったか思いやられる。敵はこの囲炉裏の周囲ばかりにゃいない。さっきちょっと話した通り、向うの方にも大きな輪になって、黒く塊っている。こっちの団体だけですら持ち扱っているところへ、あっちの群勢が加勢したら大事である。自分は愚弄されながらも、時々横目を使って、未来の敵――こうなると、どれもこれも人間でさえあれば、敵と認定してしまう。――遠方にはおるが、そろそろ押し寄せて来そうな未来の敵を、見ていた。かように自分の心が、左右前後と離れ離れになって、しかも独立ができないものだから、物の後を追掛け、追ん廻わしているほど辛い事はない。なんでも敵に逢ったら敵を呑むに限る。呑む事ができなければ呑まれてしまうが好い。もし両方共困難ならぷつりと縁を截って、独立自尊の態度で敵を見ているがいい。敵と融合する事もできず、敵の勢力範囲外に心を持ってく事も出来ず、しかも敵の尻を嗅がなければならないとなると、はなはだしき損となる。したがってもっとも下等である。自分はこう云う場合にたびたび遭遇して、いろいろな活路を研究して見たが、研究したほどに、心が云う事を聞かない。だからここに申す三策は、みんな釈迦の空説法である。もし講釈をしないでも知れ切ってる陳説なら、なおさら言うだけが野暮になる。どうも正式の学問をしないと、こう云う所へ来て、取捨の区別がつかなくって困る。
自分が四方八方に気を配って、自分の存在を最高度に縮小して恐れ入っていると、
「御膳を御上がんなさい」
と云う婆さんの声が聞えた。いつの間に婆さんが上がって来たんだか、自分の魂が鳩の卵のように小さくなって、萎縮した真最中だったから、御膳の声が耳に入るまではまるで気がつかなかった。見ると剥げた御膳の上に縁の欠けた茶碗が伏せてある。小さい飯櫃も乗っている。箸は赤と黄に塗り分けてあるが、黄色い方の漆が半分ほど落ちて木地が全く出ている。御菜には糸蒟蒻が一皿ついていた。自分は伏目になってこの御膳の光景を見渡した時、大いに食いたくなった。実は今朝から水一滴も口へ入れていない。胃は全く空である。もし空でなければ、昨日食った揚饅頭と薩摩芋があるばかりである。飯の気を離れる事約二昼夜になるんだから、いかに魂が萎縮しているこの際でも、御櫃の影を見るや否や食慾は猛然として咽喉元まで詰め寄せて来た。そこで、冷かしも、交ぜっ返しも気に掛ける暇なく、見栄も糸瓜も棒に振って、いきなり、お櫃からしゃくって茶碗へ一杯盛り上げた。その手数さえ面倒なくらい待ち遠しいほどであったが、例の剥箸を取り上げて、茶碗から飯をすくい出そうとする段になって――おやと驚いた。ちっともすくえない。指の股に力を入れて箸をうんと底まで突っ込んで、今度こそはと、持上げて見たが、やっぱり駄目だ。飯はつるつると箸の先から落ちて、けっして茶碗の縁を離れようとしない。十九年来いまだかつてない経験だから、あまりの不思議に、この仕損を二三度繰り返して見た上で、はてなと箸を休めて考えた。おそらく狐に撮まれたような風であったんだろう。見ていた坑夫共はまたぞろ、どっと笑い出した。自分はこの声を聞くや否や、いきなり茶碗を口へつけた。そうして光沢のない飯を一口掻き込んだ。すると笑い声よりも、坑夫よりも、空腹よりも、舌三寸の上だけへ魂が宿ったと思うくらいに変な味がした。飯とは無論受取れない。全く壁土である。この壁土が唾液に和けて、口いっぱいに広がった時の心持は云うに云われなかった。
「面あ見ろ。いい様だ」
と一人が云うと、
「御祭日でもねえのに、銀米の気でいやがらあ。だから帰れって教えてやるのに」
と他のものが云う。
「南京米の味も知らねえで、坑夫になろうなんて、頭っから料簡違だ」
とまた一人が云った。
自分は嘲弄のうちに、術なくこの南京米を呑み下した。一口でやめようと思ったが、せっかく盛り込んだものを、食ってしまわないと、また冷かされるから、熊の胆を呑む気になって、茶碗に盛っただけは奇麗に腹の中へ入れた。全く食慾のためではない。昨日食った揚饅頭や、ふかし芋の方が、どのくらい御馳走であったか知れない。自分が南京米の味を知ったのは、生れてこれが始てである。
茶碗に盛っただけは、こう云う訳で、どうにか、こうにか片づけたが、二杯目は我慢にも盛う気にならなかったから、糸蒟蒻だけを食って箸を置く事にした。このくらい辛抱して無理に厭なものを口に入れてさえ、箸を置くや否や散々に嘲弄された。その時は随分つらい事と思ったが、その後日に三度ずつは、必ずこの南京米に対わなくっちゃならない身分となったんで、さすがの壁土も慣れるに連れて、いわゆる銀米と同じく、人類の食い得べきもの、否食ってしかるべき滋味と心得るようになってからは、剥膳に向って逡巡した当時がかえって恥ずかしい気持になった。坑夫共の冷かしたのも万更無理ではない。今となると、こんな無経験な貴族的の坑夫が一杯の南京米を苦に病むところに廻り合わせて、現状を目撃したら、ことに因ると、自分でさえ、笑うかも知れない。冷かさないまでも、善意に笑うだけの価値は十分あると思う。人はいろいろに変化するもんだ。
南京米の事ばかり書いて済まないから、もうやめにするが、この時自分の失敗に対する冷評は、自然のままにして抛って置いたなら、どこまで続いたか分らない。ところへ急に金盥を叩き合せるような音がした。一度ではない。二度三度と聞いているうちに、じゃじゃん、じゃららんと時を句切って、拍子を取りながら叩き立てて来る。すると今度は木唄の声が聞え出した。純粋の木唄では無論ないが、自分の知ってる限りでは、まあ木唄と云うのが一番近いように思われる。この時冷評は一時にやんだ。ひっそりと静まり返る山の空気に、じゃじゃん、じゃららんが鳴り渡る間を、一種異様に唄い囃して何物か近づいて来た。
「ジャンボーだ」
と一人が膝頭を打たないばかりに、大きな声を出すと、
「ジャンボーだ。ジャンボーだ」
と大勢口々に云いながら、黒い塊がばらばらになって、窓の方へ立って行った。自分は何がジャンボーなんだか分らないが、みんなの注意が、自分を離れると同時に、気分が急に暢達したせいか、自分もジャンボーを見たいと云う余裕ができて、余裕につれて元気も出来た。つくづく考えるに、人間の心は水のようなもので、押されると引き、引くと押して行く。始終手を出さない相撲をとって暮らしていると云っても差支なかろう。それで、みんなが立ち尽したあとから、自分も立った。そうしてやっぱり窓の方へ歩いて行った。黒い頭で下は塞がっている上から背伸をして見下すと、斜に曲ってる向の石垣の角から、紺の筒袖を着た男が二人出た。あとからまた二人出た。これはいずれも金盥を圧しつぶして薄っ片にしたようなものを両手に一枚ずつ持っている。ははあ、あれを叩くんだと思う拍子に、二人は両手をじゃじゃんと打ち合わした。その不調和な音が切っ立った石垣に突き当って、後の禿山に響いて、まだやまないうちに、じゃららんとまた一組が後から鳴らし立てて現れた。たと思うとまた現れる。今度は金盥を持っていない。その代り木唄――さっきは木唄と云った。しかしこの時、彼らの揚げた声は、木唄と云わんよりはむしろ浪花節で咄喊するような稀代な調子であった。
「おい金公はいねえか」
と、黒い頭の一つが怒鳴った。後向だから顔は見えない。すると、
「うん金公に見せてやれ」
とすぐ応じた者がある。この言葉が終るか、終らない間に、五つ六つの黒い頭がずらりとこっちを向いた。自分はまた何か云われる事と覚悟して仕方なしに、今までの態度で立っていると、不思議にも振り返った眼は自分の方に着いていない。広い部屋の片隅に遠く走った様子だから、何物がいる事かと、自分も後を追っ懸けて、首を捻じ向けると、――寝ている。薄い布団をかけて一人寝ている。
「おい金州」
と一人が大きな声を出したが、寝ているものは返事をしない。
「おい金しゅう起きろやい」
と怒鳴つけるように呼んだが、まだ何とも返事がないので、三人ばかり窓を離れてとうとう迎に出掛けた。被ってる布団を手荒にめくると、細帯をした人間が見えた。同時に、
「起きろってば、起きろやい。好いものを見せてやるから」
と云う声も聞えた。やがて横になってた男が、二人の肩に支えられて立ち上った。そうしてこっちを向いた。その時、その刹那、その顔を一目見たばかりで自分は思わず慄とした。これはただ保養に寝ていた人ではない。全くの病人である。しかも自分だけで起居のできないような重体の病人である。年は五十に近い。髯は幾日も剃らないと見えてぼうぼうと延びたままである。いかな獰猛も、こう憔悴ると憐れになる。憐れになり過ぎて、逆にまた怖くなる。自分がこの顔を一目見た時の感じは憐れの極全く怖かった。
病人は二人に支えられながら、釣られるように、利かない足を運ばして、窓の方へ近寄ってくる。この有様を見ていた、窓際の多人数は、さも面白そうに囃し立てる。
「よう、金しゅう早く来いよ。今ジャンボーが通るところだ。早く来て見ろよ」
「己あジャンボーなんか見たかねえよ」
と病人は、無体に引き摺られながら、気のない声で返事をするうちに、見たいも、見たくないもありゃしない。たちまち窓の障子の角まで圧しつけられてしまった。
じゃじゃん、じゃららんとジャンボーは知らん顔で石垣の所へ現れてくる。行列はまだ尽きないのかと、また背延びをして見下した時、自分は再び慄とした。金盥と金盥の間に、四角な早桶が挟まって、山道を宙に釣られて行く。上は白金巾で包んで、細い杉丸太を通した両端を、水でも一荷頼まれたように、容赦なく担いでいる。その担いでいるものまでも、こっちから見ると、例の唄を陽気にうたってるように思われる。――自分はこの時始めてジャンボーの意味を理解した。生涯いかなる事があっても、けっして忘れられないほど痛切に理解した。ジャンボーは葬式である。坑夫、シチュウ、掘子、山市に限って執行される、また執行されなければならない一種の葬式である。御経の文句を浪花節に唄って、金盥の潰れるほどに音楽を入れて、一荷の水と同じように棺桶をぶらつかせて――最後に、半死半生の病人を、無理矢理に引き摺り起して、否と云うのを抑えつけるばかりにしてまで見せてやる葬式である。まことに無邪気の極で、また冷刻の極である。
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