「ほんのわずかです。とても足りそうもないです」
と正直なところを云うと、
「足りないところは、私が足して上げるから、構わない。何しろ有るだけ御出し」
と、思ったよりは平気である。自分はこの際一銭銅や二銭銅を勘定するのは、いかにも体裁がわるいと考えた上に、有るものを無いと隠すように取られては厭だから、懐から例の蟇口を取り出して、蟇口ごと長蔵さんに渡した。この蟇口は鰐の皮で拵えたすこぶる上等なもので、親父から貰う時も、これは高価な品であると云う講釈をとくと聴かされた贅沢物である。長蔵さんは蟇口を受け取って、ちょっと眺めていたが、
「ふふん、安くないね」
と云ったなり中味も改めずに腹掛の隠しへ入れちまった。中味を改めないところはよかったが、
「じゃ、私が切符を買って来て上げるから、ちゃんとここに待っていなくっちゃ、いけない。はぐれると、坑夫になれないんだからね」
と念を押して、ベンチを離れて切符口の方へすたすた行ってしまった。見ていると人込の中へ這入ったなり振り返りもしないで切符を買う番のくるのを待っている。さっき松原の掛茶屋を出てから、今先方までの長蔵さんは始終自分の傍に食っついていて、たまに離れると便所からでも顔を出して呼ぶくらいであったのに、蟇口を受け取って、切符を買う時はまるで自分を忘れているように見受けられた。あんまり人が多くって、こっちへ眼をつける暇がなかったんだろう。これに反して自分は一生懸命に長蔵さんの後姿を見守って、札を買う順番が一人一人に廻って来るたんびに長蔵さんがだんだん切符口へ近づいて行くのを、遠くから妙な神経を起して眺めていた。蟇口は立派だが中を開けられたら銅貨が出るばかりだ。開けて見て、何だこれっぱかりしか持っていないのかと長蔵さんが驚くに違ない。どうも気の毒である。いくら足し前をするんだろうなどと入らざる事を苦に病んでいると、やがて長蔵さんは平生の顔つきで帰って来た。
「さあ、これが御前さんの分だ」
と云いながら赤い切符を一枚くれたぎりいくら不足だとも何とも云わない。きまりが悪かったから、自分もただ
「ありがとう」
と受取ったぎり賃銭の事は口へ出さなかった。蟇口の事もそれなりにして置いた。長蔵さんの方でも蟇口の事はそれっきり云わなかった。したがって蟇口はついに長蔵さんにやった事になる。
それから、とうとう二人して汽車へ乗った。汽車の中では別にこれと云う出来事もなかった。ただ自分の隣りに腫物だらけの、腐爛目の、痘痕のある男が乗ったので、急に心持が悪くなって向う側へ席を移した。どうも当時の状態を今からよく考えて見るとよっぽどおかしい。生家を逃亡ちて、坑夫にまで、なり下る決心なんだから、大抵の事に辟易しそうもないもんだがやっぱり醜ないものの傍へは寄りつきたくなかった。あの按排では自殺の一日前でも、腐爛目の隣を逃げ出したに違ない。それなら万事こう几帳面に段落をつけるかと思うと、そうでないから困る。第一長蔵さんや茶店のかみさんに逢った時なんぞは平生の自分にも似ず、
の音も出さずに心からおとなしくしていた。議論も主張も気慨も何もあったもんじゃありゃしない。もっともこれはだいぶ餓じい時であったから、少しは差引いて勘定を立るのが至当だが、けっして空腹のためばかりとは思えない。どうも矛盾――また矛盾が出たから廃そう。
自分は自分の生活中もっとも色彩の多い当時の冒険を暇さえあれば考え出して見る癖がある。考え出すたびに、昔の自分の事だから遠慮なく厳密なる解剖の刀を揮って、縦横十文字に自分の心緒を切りさいなんで見るが、その結果はいつも千遍一律で、要するに分らないとなる。昔しだから忘れちまったんだなどと云ってはいけない。このくらい切実な経験は自分の生涯中に二度とありゃしない。二十以下の無分別から出た無茶だから、その筋道が入り乱れて要領を得んのだと評してはなおいけない。経験の当時こそ入り乱れて滅多やたらに盲動するが、その盲動に立ち至るまでの経過は、落ち着いた今日の頭脳の批判を待たなければとても分らないものだ。この鉱山行だって、昔の夢の今日だから、このくらい人に解るように書く事が出来る。色気がなくなったから、あらいざらい書き立てる勇気があると云うばかりじゃない。その時の自分を今の眼の前に引擦り出して、根掘り葉掘り研究する余裕がなければ、たといこれほどにだってとうてい書けるものじゃない。俗人はその時その場合に書いた経験が一番正しいと思うが、大間違である。刻下の事情と云うものは、転瞬の客気に駆られて、とんでもない誤謬を伝え勝ちのものである。自分の鉱山行などもその時そのままの心持を、日記にでも書いて置いたら、定めし乳臭い、気取った、偽りの多いものが出来上ったろう。とうてい、こうやって人の前へ御覧下さいと出された義理じゃない。
自分が腐爛目の難を避けて、向う側に席を移すと、長蔵さんは一目ちょっと自分と腐爛目を見たなりで、やはり元の所へ腰を掛けたまま動かなかった。長蔵さんの神経が自分よりよほど剛健なのには少からず驚嘆した。のみならず、平気な顔で腐爛目と話し出したに至って、少しく愛想が尽きた。
「また山行きかね」
「ああまた一人連れて行くんだ」
「あれかい」
と腐爛目は自分の方を見た。長蔵さんはこの時何か返事をしかけたんだろうがふと自分と顔を見合せたものだから、そのまま厚い唇を閉じて横を向いてしまった。その顔について廻って、腐爛目は、
「まただいぶん儲かるね」
と云った。自分はこの言葉を聞くや否やたちまち窓の外へ顔を出した。そうして窓から唾液をした。するとその唾液が汽車の風で自分の顔へ飛んで来た。何だか不愉快だった。前の腰掛で知らない男が二人弁じている。
「泥棒が這入るとするぜ」
「こそこそがかい」
「なに強盗がよ。それでもって、抜身か何かで威嚇した時によ」
「うん、それで」
「それで、主人が、泥棒だからってんで贋銭をやって帰したとするんだ」
「うんそれから」
「後で泥棒が贋銭と気がついて、あすこの亭主は贋銭使だ贋銭使だって方々振れて歩くんだ。常公の前だが、どっちが罪が重いと思う」
「どっちたあ」
「その亭主と泥棒がよ」
「そうさなあ」
と相手は解決に苦しんでいる。自分は眠くなったから、窓の所へ頭を持たしてうとうとした。
寝ると急に時間が無くなっちまう。だから時間の経過が苦痛になるものは寝るに限る。死んでもおそらく同じ事だろう。しかし死ぬのは、やさしいようでなかなか容易でない。まず凡人は死ぬ代りに睡眠で間に合せて置く方が軽便である。柔道をやる人が、時々朋友に咽喉を締めて貰う事がある。夏の日永のだるい時などは、絶息したまま五分も道場に死んでいて、それから活を入れさせると、生れ代るような好い気分になる――ただし人の話だが。――自分は、もしや死にっきりに死んじまやしないかと云う神経のために、ついぞこの荒療治を頼んだ事がない。睡眠はこれほどの効験もあるまいが、その代り生き戻り損う危険も伴っていないから、心配のあるもの、煩悶の多いもの、苦痛に堪えぬもの、ことに自滅の一着として、生きながら坑夫になるものに取っては、至大なる自然の賚である。その自然の賚が偶然にも今自分の頭の上に落ちて来た。ありがたいと礼を云う閑もないうちに、うっとりとしちまって、生きている以上は是非共その経過を自覚しなければならない時間を、丸潰しに潰していた。ところが眼が覚めた。後から考えて見たら、汽車の動いてる最中に寝込んだもんだから、汽車の留ったために、眠りが調子を失ってどこかへ飛んで行ったのである。自分は眠っていると、時間の経過だけは忘れているが、空間の運動には依然として反応を呈する能力があるようだ。だから本当に煩悶を忘れるためにはやはり本当に死ななくっては駄目だ。ただし煩悶がなくなった時分には、また生き返りたくなるにきまってるから、正直に理想を云うと、死んだり生きたり互違にするのが一番よろしい。――こんな事をかくと、何だか剽軽な冗談を云ってるようだがけっしてそんな浮いた了見じゃない。本気に真面目を話してるつもりである。その証拠にはこの理想はただ今過去を回想して、面白半分興に乗じて、好い加減につけ加えたんじゃない。実際汽車が留って、不意に眼が覚めた時、この通りに出て来たのである。馬鹿気た感じだから滑稽のように思われるけれどもその時は正直にこんな馬鹿気た感じが起ったんだから仕方がない。この感じが滑稽に近ければ近いほど、自分は当時の自分を可愛想に思うのである。こんな常識をはずれた希望を、真面目に抱かねばならぬほど、その時の自分は情ない境遇におったんだと云う事が判然するからである。
自分がふと眼を開けると、汽車はもう留っていた。汽車が留まったなと云う考えよりも、自分は汽車に乗っていたんだなと云う考えが第一に起った。起ったと思うが早いか、長蔵さんがいるんだ、坑夫になるんだ、汽車賃がなかったんだ、生家を出奔したんだ、どうしたんだ、こうしたんだとまるで十二三のたんだがむらむらと塊まって、頭の底から一度に湧いて来た。その速い事と云ったら、言語に絶すると云おうか、電光石火と評しようか、実に恐ろしいくらいだった。ある人が、溺れかかったその刹那に、自分の過去の一生を、細大漏らさずありありと、眼の前に見た事があると云う話をその後聞いたが、自分のこの時の経験に因って考えると、これはけっして嘘じゃなかろうと思う。要するにそのくらい早く、自分は自分の実世界における立場と境遇とを自覚したのである。自覚すると同時に、急に厭な心持になった。ただ厭では、とても形容が出来ないんだが、さればと云って、別に叙述しようもない心持ちだからただの厭でとめて置く。自分と同じような心持ちを経験した人ならば、ただこれだけで、なるほどあれだなと、直勘づくだろう。また経験した事がないならば、それこそ幸福だ、けっして知るに及ばない。
その内同じ車室に乗っていたものが二三人立ち上がる。外からも二三人這入って来る。どこへ陣取ろうかと云う眼つきできょろきょろするのと、忘れものはないかと云う顔つきでうろうろするのと、それから何の用もないのに姿勢を更えて窓へ首を出したり、欠伸をしたりするのと、が一度に合併して、すべて動揺の状態に世の中を崩し始めて来た、自分は自分の周囲のものが、ことごとく活動しかけるのを自覚していた。自覚すると共に、自分は普通の人間と違って、みんなが活動する時分でさえ、他に釣り込まれて気分が動いて来ないような仲間外れだと考えた。袖が触れ違って、膝を突き合せていながらも、魂だけはまるで縁も由緒もない、他界から迷い込んだ幽霊のような気持であった。今までは、どうか、こうか、人並に調子を取って来たのが汽車が留まるや否や、世間は急に陽気になって上へ騰る。自分は急に陰気になって下へ降る、とうてい交際はできないんだと思うと、背中と胸の厚さがしゅうと減って、臓腑が薄っ片な一枚の紙のように圧しつけられる。途端に魂だけが地面の下へ抜け出しちまった。まことに申訳のない、御恥ずかしい心持ちをふらつかせて、凹んでいた。
ところへ長蔵さんが、立って来て、
「御前さん、まだ眼が覚めないかね。ここから降りるんだよ」
と注意してくれた。それでようやくなるほどと気がついて立ち上った。魂が地の底へ抜け出して行く途中でも、手足に血が通ってるうちは、呼ぶと返って来るからおかしなものだ。しかしこれがもう少し烈しくなると、なかなか思うように魂が身体に寄りついてくれない。その後台湾沖で難船した時などは、ほとんど魂に愛想を尽かされて、非常な難義をした事がある。何にでも上には上があるもんだ。これが行き留りだの、突き当りだのと思って、安心してかかると、とんだ目に逢う。しかしこの時はこの心持が自分に取ってもっとも新しくて、しかもはなはだ苦い経験であった。
長蔵さんのどてらの尻を嗅ぎながら改札場から表へ出ると、大きな宿の通りへ出た。一本筋の通りだが存外広い、ばかりではない、心持の判然するほど真直である。自分はこの広い往還の真中に立って遥か向うの宿外を見下した。その時一種妙な心持になった。この心持ちも自分の生涯中にあって新らしいものであるから、ついでにここに書いて置く。自分は肺の底が抜けて魂が逃げ出しそうなところを、ようやく呼びとめて、多少人間らしい了簡になって、宿の中へ顔を出したばかりであるから、魂が吸く息につれて、やっと胎内に舞い戻っただけで、まだふわふわしている。少しも落ちついていない。だからこの世にいても、この汽車から降りても、この停車場から出ても、またこの宿の真中に立っても、云わば魂がいやいやながら、義理に働いてくれたようなもので、けっして本気の沙汰で、自分の仕事として引き受けた専門の職責とは心得られなかったくらい、鈍い意識の所有者であった。そこで、ふらついている、気の遠くなっている、すべてに興味を失った、かなつぼ眼を開いて見ると、今までは汽車の箱に詰め込まれて、上下四方とも四角に仕切られていた限界が、はっと云う間に、一本筋の往還を沿うて、十丁ばかり飛んで行った。しかもその突当りに滴るほどの山が、自分の眼を遮りながらも、邪魔にならぬ距離を有って、どろんとしたわが眸を翠の裡に吸寄せている。――そこで何んとなく今云ったような心持になっちまったのである。
第一には大道砥のごとしと、成語にもなってるくらいで、平たい真直な道は蟠まりのない爽なものである。もっと分り安く云うと、眼を迷つかせない。心配せずにこっちへ御出と誘うようにでき上ってるから、少しも遠慮や気兼をする必要がない。ばかりじゃない。御出と云うから一本筋の後を喰ッついて行くと、どこまでも行ける。奇体な事に眼が横町へ曲りたくない。道が真直に続いていればいるほど、眼も真直に行かなくっては、窮屈でかつ不愉快である。一本の大道は眼の自由行動と平行して成り上ったものと自分は堅く信じている。それから左右の家並を見ると、――これは瓦葺も藁葺もあるんだが――瓦葺だろうが、藁葺だろうが、そんな差別はない。遠くへ行けば行くほどしだいしだいに屋根が低くなって、何百軒とある家が、一本の針金で勾配を纏められるために向うのはずれからこっちまで突き通されてるように、行儀よく、斜に一筋を引っ張って、どこまでも進んでいる。そうして進めば進むほど、地面に近寄ってくる。自分の立っている左右の二階屋などは――宿屋のように覚えているが――見上げるほどの高さであるのに、宿外れの軒を透して見ると、指の股に這入ると思われるくらい低い。その途中に暖簾が風に動いていたり、腰障子に大きな蛤がかいてあったりして、多少の変化は無論あるけれども、軒並だけを遠くまで追っ掛けて行くと、一里が半秒で眼の中に飛び込んで来る。それほど明瞭である。
前に云った通り自分の魂は二日酔の体たらくで、どこまでもとろんとしていた。ところへ停車場を出るや否や断りなしにこの明瞭な――盲目にさえ明瞭なこの景色にばったりぶつかったのである。魂の方では驚かなくっちゃならない。また実際驚いた。驚いたには違いないが、今まであやふやに不精不精に徘徊していた惰性を一変して屹となるには、多少の時間がかかる。自分の前に云った一種妙な心持ちと云うのは、魂が寝返りを打たないさき、景色がいかにも明瞭であるなと心づいたあと、――その際どい中間に起った心持ちである。この景色はかように暢達して、かように明白で、今までの自分の情緒とは、まるで似つかない、景気のいいものであったが、自身の魂がおやと思って、本気にこの外界に対い出したが最後、いくら明かでも、いくら暢びりしていても、全く実世界の事実となってしまう。実世界の事実となるといかな御光でもありがた味が薄くなる。仕合せな事に、自分は自分の魂が、ある特殊の状態にいたため――明かな外界を明かなりと感受するほどの能力は持ちながら、これは実感であると自覚するほど作用が鋭くなかったため――この真直な道、この真直な軒を、事実に等しい明かな夢と見たのである。この世でなければ見る事の出来ない明瞭な程度と、これに伴う爽涼した快感をもって、他界の幻影に接したと同様の心持になったのである。自分は大きな往来の真中に立っている。その往来はあくまでも長くって、あくまでも一本筋に通っている。歩いて行けばその外まで行かれる。たしかにこの宿を通り抜ける事はできる。左右の家は触れば触る事が出来る。二階へ上れば上る事が出来る。できると云う事はちゃんと心得ていながらも、できると云う観念を全く遺失して、単に切実なる感能の印象だけを眸のなかに受けながら立っていた。
自分は学者でないから、こう云う心持ちは何と云うんだか分らない。残念な事に名前を知らないのでついこう長くかいてしまった。学問のある人から見たら、そんな事をと笑われるかも知れないが仕方がない。その後これに似た心持は時々経験した事がある。しかしこの時ほど強く起った事はかつてない。だから、ひょっとすると何かの参考になりはすまいかと思って、わざわざここに書いたのである。ただしこの心持ちは起るとたちまち消えてしまった。
見ると日はもう傾きかけている。初夏の日永の頃だから、日差から判断して見ると、まだ四時過ぎ、おそらく五時にはなるまい。山に近いせいか、天気は思ったほどよくないが、現に日が出ているくらいだから悪いとは云われない。自分は斜かけに、長い一筋の町を照らす太陽を眺めた時、あれが西の方だと思った。東京を出て北へ北へと走ったつもりだが、汽車から降りて見ると、まるで方角がわからなくなっていた。この町を真直に町の通ってるなりに、下ると、突き当りが山で、その山は方角から推すと、やはり北であるから、自分と長蔵さんは相変らず、北の方へ行くんだと思った。
その山は距離から云うとだいぶんあるように思われた。高さもけっして低くはない。色は真蒼で、横から日の差す所だけが光るせいか、陰の方は蒼い底が黒ずんで見えた。もっともこれは日の加減と云うよりも杉檜の多いためかも知れない。ともかくも蓊欝として、奥深い様子であった。自分は傾きかけた太陽から、眼を移してこの蒼い山を眺めた時、あの山は一本立だろうか、または続きが奥の方にあるんだろうかと考えた。長蔵さんと並んで、だんだん山の方へ歩いて行くと、どうあっても、向うに見える山の奥のまたその奥が果しもなく続いていて、そうしてその山々はことごとく北へ北へと連なっているとしか思われなかった。これは自分達が山の方へ歩いて行くけれど、ただ行くだけでなかなか麓へ足が届かないから、山の方で奥へ奥へと引き込んでいくような気がする結果とも云われるし。日がだんだん傾いて陰の方は蒼い山の上皮と、蒼い空の下層とが、双方で本分を忘れて、好い加減に他の領分を犯し合ってるんで、眺める自分の眼にも、山と空の区劃が判然しないものだから、山から空へ眼が移る時、つい山を離れたと云う意識を忘却して、やはり山の続きとして空を見るからだとも云われる。そうしてその空は大変広い。そうして際限なく北へ延びている。そうして自分と長蔵さんは北へ行くんである。
自分は昨夕東京を出て、千住の大橋まで来て、袷の尻を端折ったなり、松原へかかっても、茶店へ腰を掛けても、汽車へ乗っても、空脛のままで押し通して来た。それでも暑いくらいであった。ところがこの町へ這入ってから何だか空脛では寒い気持がする。寒いと云うよりも淋しいんだろう。長蔵さんと黙って足だけを動かしていると、まるで秋の中を通り抜けてるようである。そこで自分はまた空腹になった。たびたび空腹になった事ばかりを書くのはいかがわしい事で、かつこの際空腹になっては、どうも詩的でないが、致し方がない。実際自分は空腹になった。家を出てから、ただ歩くだけで、人間の食うものを食わないから、たちまち空腹になっちまう。どんなに気分がわるくっても、煩悶があっても、魂が逃げ出しそうでも、腹だけは十分減るものである。いや、そう云うよりも、魂を落つけるためには飯を供えなくっちゃいけないと云い換えるのが適当かも知れない。品の悪い話だが、自分は長蔵さんと並んで往来の真中を歩きながら、左右に眼をくばって、両側の飲食店を覗き込むようにして長い町を下って行った。ところがこの町には飲食店がだいぶんある。旅屋とか料理屋とか云う上等なものは駄目としても、自分と長蔵さんが這入ってしかるべきやたいち流のがあすこにもここにも見える。しかし長蔵さんは毫も支度をしそうにない。最前の我多馬車の時のように「御前さん夕食を食うかね」とも聞いてくれない。その癖自分と同じように、きょろきょろ両側に眼を配って何だか発見したいような気色がありありと見える。自分は今に長蔵さんが恰好な所を見つけて、晩食をしたために自分を連れ込む事と自信して、気を永く辛抱しながら、長い町を北へ北へと下って行った。
自分は空腹を自白したが、倒れるほどひもじくは無かった。胃の中にはまだ先刻の饅頭が多少残ってるようにも感ぜられた。だから歩けば歩かれる。ただ汽車を下りるや否や滅り込みそうな精神が、真直な往来の真中に抛り出されて、おやと眼を覚したら、山里の空気がひやりと、夕日の間から皮膚を冒して来たんで、心機一転の結果としてここに何か食って見たくなったんである。したがって食わなければ食わないでも済む。長蔵さん何か食わしてくれませんかと云うほど苦しくもなかった。しかし何だか口が淋しいと見えて、しきりに縄暖簾や、お煮〆や、御中食所が気にかかる。相手の長蔵さんがまた申し合せたように右左と覗き込むので、こっちはますます食意地が張ってくる。自分はこの長い町を通りながら、自分らに適当と思う程度の一膳めし屋をついに九軒まで勘定した。数えて九軒目に至ったら、さしもに長い宿はとうとうおしまいになり掛けて、もう一町も行けば宿外れへ出抜けそうである。はなはだ心細かった。時にふと右側を見ると、また酒めしと云う看板に逢着した。すると自分の心のうちにこれが最後だなと云う感じが起った。それがためか煤けた軒の腰障子に、肉太に認めた酒めし、御肴と云う文字がもっとも劇烈な印象をもって自分の頭に映じて来た。その映じた文字がいまだに消えない。酒の字でも、めしの字でも、御肴の字でもありあり見える。この様子では、いくら耄碌してもこの五字だけは、そっくりそのまま、紙の上に書く事が出来るだろう。
自分が最後の酒、めし、御肴をしみじみ見ていると、不思議な事に長蔵さんも一生懸命に腰障子の方に眼をつけている。自分はさすが頑強の長蔵さんも今度こそ食いに這入るに違なかろうと思った。ところが這入らない。その代りぴたりと留った。見ると腰障子の奥の方では何だか赤いものが動いている。長蔵さんの顔色を窺うと、何でもこの赤いものを見詰めているらしい。この赤いものは無論人間である。が長蔵さんがなぜ立ち留ってこの赤い人間を覗き込むのか、とんと自分には分らなかった。人間には違ないが、ただ薄暗く赤いばかりで、顔つきなどは無論判然しやしない。がと思って、自分も不審かたがた立ち留っていると、やがて障子の奥から赤毛布が飛び出した。いくら山里でも五月の空に毛布は無用だろうと云う人があるかも知れないが、実際この男は赤毛布で身を堅めていた。その代り下には手織の単衣一枚だけしきゃ着ていないんだから、つまり〆て見ると自分と大した相違はない事になる。もっとも単衣一枚で凌いでると云う事は、あとからの発見で、障子の影から飛び出した時にはただ赤いばかりであった。
すると長蔵さんは、いきなり、この赤い男の側へつかつかやって行って、
「お前さん、働く気はないかね」
と云った。自分が長蔵さんに捕まった時に聞かされた、第一の質問はやはり「働く気はないかね」であったから、自分はおやまた働かせる気かなと思って、少からぬ興味の念に駆られながら二人を見物していた。その時この長蔵さんは、誰を見ても手頃な若い衆とさえ鑑定すれば、働く気はないかねと持ち掛ける男だと云う事を判然と覚った。つまり長蔵さんは働かせる事を商売にするんで、けっして自分一人を非常な適任者と認めて、それで坑夫に推挙した訳ではなかった。おおかたどこで、どんな人に、幾人逢おうとも、版行で押したような口調で御前さん働く気はないかねを根気よく繰返し得る男なんだろう。考えると、よくこんな商売を厭きもせず、長の歳月やられたものだ。長蔵さんだって、天性御前さん働く気はないかねに適した訳でもあるまい。やっぱり何かの事情やむを得ず御前さんを復習しているんだろう。こう思えば、まことに罪のない男である。要するに芸がないからほかの事は出来ないんだが、ほかの事が出来ないんだと意識して煩悶する気色もなく、自分でなくっちゃ御前さんをやり得る人間は天下広しといえども二人と有るまいと云うほどの平気な顔で、やっている。
その当時自分にこれだけの長蔵観があったらだいぶ面白かったろうが、何しろ魂に逃げだされ損なっている最中だったから、なかなかそんな余裕は出て来なかった。この長蔵観は当時の自分を他人と見做して、若い時の回想を紙の上に写すただ今、始めて序の節に浮かんだのである。だからやッぱり紙の上だけで消えてなくなるんだろう。しかしその時その砌りの長蔵観と比較して見るとだいぶ違ってるようだ。――
自分は長蔵さんと赤毛布の立談を聞きながら、自分は長蔵さんから毫も人格を認められていなかったと云う事を見出した。――もっとも人格はこの際少しおかしい。いやしくも東京を出奔して坑夫にまでなり下がるものが人格を云々するのは変挺な矛盾である。それは自分も承知している。現に今筆を執って人格と書き出したら、何となく馬鹿気ていて、思わず噴き出しそうになったくらいである。自分の過去を顧みて噴き出しそうになる今の身分を、昔と比べて見ると実に結構の至りであるが、その時はなかなか噴き出すどころの騒ぎではなかった。――長蔵さんは明かに自分の人格を認めていなかった。
と云うのは、彼れはこの酒、めし、御肴の裏から飛び出した若い男を捕まえて、第二世の自分であるごとく、全く同じ調子と、同じ態度と、同じ言語と、もっと立ち入って云えば、同じ熱心の程度をもって、同じく坑夫になれと勧誘している。それを自分はなぜだか少々怪しからんように考えた。その意味を今から説明して見ると、ざっとこんな訳なんだろう。――
坑夫は長蔵さんの云うごとくすこぶる結構な家業だとは、常識を質に入れた当時の自分にももっともと思いようがなかった。まず牛から馬、馬から坑夫という位の順だから、坑夫になるのは不名誉だと心得ていた。自慢にゃならないと覚っていた。だから坑夫の候補者が自分ばかりと思のほか突然居酒屋の入口から赤毛布になって、あらわれようとも別段神経を悩ますほどの大事件じゃないくらいは分りきってる。しかしこの赤毛布の取扱方が全然自分と同様であると、同様であると云う点に不平があるよりも、自分は全然赤毛布と一般な人間であると云う気になっちまう。取扱方の同様なのを延き伸ばして行くと、つまり取り扱われるものが同様だからと云う妙な結論に到着してくる。自分はふらふらとそこへ到着していたと見える。長蔵さんが働かないかと談判しているのは赤毛布で、赤毛布はすなわち自分である。何だか他人が赤毛布を着て立ってるようには思われない。自分の魂が、自分を置き去りにして、赤毛布の中に飛び込んで、そうして長蔵さんから坑夫になれと談じつけられている。そこで、どうも情なくなっちまった。自分が直接に長蔵さんと応対している間は、人格も何も忘れているんだが、自分が赤毛布になって、君儲かるんだぜと説得されている体裁を、自分が傍へ立って見た日には方なしである。自分ははたしてこんなものかと、少しく興を醒まして赤毛布を、つらつら観察していた。
ところが不思議にもこの赤毛布がまた自分と同じような返事をする。被ってる赤毛布ばかりじゃない、心底から、この若い男は自分と同じ人間だった。そこで自分はつくづくつまらないなと感じた。その上もう一つつまらない事が重なったのは、長蔵さんが、にくにくしいほど公平で、自分の方が赤毛布よりも坑夫に適していると云うところを少しも見せない。全く器械的にやっている。先口だから、もう少しこっちを贔屓にしたら好かろうと思うくらいであった。――これで見ると人間の虚栄心はどこまでも抜けないものだ。窮して坑夫になるとか、ならないとか云う切歯詰った時でさえ自分はこれほどの虚栄心を有っていた。泥棒に義理があったり、乞食に礼式があるのも全くこの格なんだろう。――しかしこの虚栄心の方は、自分すなわち赤毛布であると云うことを自覚して、大につまらなくなったよりも、よほどつまらなさ加減が少かった。
自分が大につまらなくなって、ぼんやり立っていると、二人の談判は見る間に片づいてしまった。これは必ずしも長蔵さんがことほどさように上手だからと云う訳ではない。赤毛布の方がことほどさように馬鹿だったからである。自分はこの男を一概に馬鹿と云うが、あながち、自分に比較して軽蔑する気じゃけっしてない。自分の当時は、長蔵さんの話をはいはい聞く点において、すぐ坑夫になろうと承知する点において、その他いろいろの点において、全くこの若い男と同等すなわち馬鹿であったのである。もし強いて違うところを詮議したら赤毛布を被ってるのと絣を着ているとの差違くらいなものだろう。だから馬鹿と云うのは、自分と同じく気の毒な人と云う意味で、馬鹿のうちに少しぐらいは同情の意を寓したつもりである。
で、馬鹿が二人長蔵さんに尾いていっしょに銅山まで引っ張られる事になった。しかるに自分が赤毛布と肩を並べて歩き出した時、ふと気がついて見ると、さっきのつまらない心持ちがもう消えていた。どうも人間の了見ほど出たり引っ込んだりするものはない。有るんだなと安心していると、すでにない。ないから大丈夫と思ってると、いや有る。有るようで、ないようでその正体はどこまで行っても捕まらない。その後さる温泉場で退屈だから、宿の本を借りて読んで見たらいろいろ下らない御経の文句が並べてあったなかに、心は三世にわたって不可得なりとあった。三世にわたるなんてえのは、大袈裟な法螺だろうが、不可得と云うのは、こんな事を云うんじゃなかろうかと思う。もっともある人が自分の話を聞いて、いやそれは念と云うもので心じゃないと反対した事がある。自分はいずれでも御随意だから黙っていた。こんな議論は全く余計な事だが、なぜ云いたくなるかというと、世間には大変利口な人物でありながら、全く人間の心を解していないものがだいぶんある。心は固形体だから、去年も今年も虫さえ食わなければ大抵同じもんだろうくらいに考えているには弱らせられる。そうして、そう云う呑気な料簡で、人を自由に取り扱うの、教育するの、思うようにして見せるのと騒いでいるから驚いちまう。水だって流れりゃ返って来やしない。ぐずぐずしていりゃ蒸発しちまう。
とにかくこの際は、赤毛布と並んで歩き出した時、もう先刻のつまらない考えが蒸発していたと云う事だけを記憶して置いて貰えばいい。――そうして吾ながら驚いたのは、どうも赤毛布と並んで歩くのが愉快になって来た。もっともこの男は茨城か何かの田舎もので、鼻から逃げる妙な発音をする。芋の事を芋と訓じたのはこれからさきの逸話に属するが、歩き出したてから、あんまりありがたい音声ではなかった。その上顔が人並にできていなかった。この男に比べると角張った顎の、厚唇の長蔵さんなどは威風堂々たるものである。のみならず茨城の田舎を突っ走ったのみで、いまだかつて東京の地を踏んだことがない。そうして、赤い毛布が妙に臭い。それにもかかわらず自分はこの山里で、銅山行きの味方を得たような心持ちがして嬉しかった。自分はどうせ捨てる身だけれども、一人で捨てるより道伴があって欲い。一人で零落れるのは二人で零落れるのよりも淋しいもんだ。そう明らさまに申しては失礼に当るが、自分はこの男について何一つ好いてるところはなかったけれども、ただいっしょに零落れてくれると云う点だけがありがたいのでそれがため大いに愉快を感じた。それで歩き出すや否や、少し話もし掛けて見たくらいに、近しい仲となってしまった。これから推して考えると、川で死ぬ時は、きっと船頭の一人や二人を引き擦り込みたくなるに相違ない。もし死んでから地獄へでも行くような事があったなら、人のいない地獄よりも、必ず鬼のいる地獄を択ぶだろう。
そう云う訳で、たちまち赤毛布が好きになって、約一二町も歩いて来たら、また空腹を覚え出した。よく空腹を覚えるようだが、これは前段の続きでけっして新しい空腹ではない。順序を云うと、第一に精神が稀薄になって、もっとも刻下感に乏しい時に汽車を下りたんで、次に真直な往来を真直に突き当りの山まで見下したもんだからようやく正気づいたのは前申した通りである。それが機縁になって、今度は食気がついて、それから人格を認められていない事を認識して、はなはだつまらなくなって、つまらなくなったと思ったら坑夫の同類が出来て、少しく頽勢を挽回したと云うしだいになる。だに因ってまた空腹に立ち戻ったと説明したら善く呑み込めるだろう。さて空腹にはなったが、最後の一膳飯屋はもう通り越している。宿はすでに尽きかかった。行く手は暗い山道である。とうてい願は叶いそうもない。それに赤毛布は今食ったばかりの腹だから、勇ましくどんどん歩く。どうも、降参しちまった。そこで思い切って、最後の手段として長蔵さんに話しかけて見た。
「長蔵さん、これからあの山を越すんですか」
「あの取附の山かい。あれを越しちゃ大変だ。これから左へ切れるんさ」
と云ったなりまたすたすた歩いて行く。どうも是非に及ばない。
「まだよっぽどあるんですか、僕は少し腹が減ったんだが」
と、とうとう空腹の由を自白した。すると長蔵さんは
「そうかい。芋でも食うべい」
と、云いながら、すぐさま、左側の芋屋へ飛び込んだ。よく約束したように、そこん所に芋屋があったもんだ。これを大袈裟に云えば天佑である。今でもこの時の上出来に行った有様を回顧すると、おかしいばかりじゃない、嬉しい。もっとも東京の芋屋のように奇麗じゃなかった。ほとんど名状しがたいくらいに真黒になった芋屋で、芋屋と云えば芋屋だが、芋専門じゃない。と云って芋のほかに何を売ってるんだったか、今は忘れちまった。食う方に気を取られ過ぎたせいかとも思う。
やがて長蔵さんは両手に芋を載せて、真黒な家から、のそりと出て来た。入れ物がないもんだから、両手を前へ出して、
「さあ、食った」
と云う。自分は眼前に芋を突きつけられながら、ただ
「ありがとう」
と礼を述べて、芋を眺めていた。どの芋にしようかと考えた訳ではない。そんな選択を許すような芋ではなかった。赤くって、黒くって、瘠せていて、湿っぽそうで、それで所々皮が剥げて、剥げた中から緑青を吹いたような味が出ている。どれにぶつかったって大同小異である。そんなら一目惨澹たるこの芋の光景に辟易して、手を出さなかったかと云うと、そうでもない。自分の胃の状況から察すると、芋中のヽヽとも云わるべきこの御薩を快よく賞翫する食欲は十分有ったように思う。しかし「さあ、食った」と突きつけられた時は、何だかおびえたような気分で、おいきたと手を出し損なった。これはおおかた「さあ、食った」の云い方が悪かったんだろう。
自分が芋を取らないのを見て、長蔵さんは、少々もどかしいと云う眼つきで、再び
「さあ」
と、例の顎で芋を指しながら、前へ出した手頸を、食えと云う相図にちょっと動かした。よく考えて見ると、両手が芋で塞ってるんで、自分がどうかしてやらないと、長蔵さんは、いくら芋が食いたくても、口へ持って行く事ができないんであった。じれたのももっともである。そこで自分はようやく気がついて、二の腕で、変な曲線を描いて、右の手を芋まで持って行こうとすると、持って行く途中で、芋の方が一本ころころと往来の中へ落ちた。これはすぐさま赤毛布が拾った。拾ったと思ったら、
「この芋は好芋だ。おれが貰おう」
と云った。それでこの男は芋を芋と発音すると云う事が分った。
自分はこの時長蔵さんから、最初に三本、あとから一本締て五本、前後二回に受取ったと記憶している。そうしてそれを懐かしげに食いながら、いよいよ宿外れまで来るとまた一事件起った。
宿の外れには橋がある。橋の下は谷川で、青い水が流れている。自分はもう町が尽きるんだなとは思いながら、つい芋に心を奪われて、橋の上へ乗っかかるまでは川があるとも気がつかなかった。ところが急に水の音がするんで、おやと思うと橋へ出ている。川がある。水が流れている。――何だか馬鹿気た話だが、事実にもっとも近い叙述をやろうとすると、まあ、こう書くのが一番適切だろう、こう書いて置く。けっして小説家の弄ぶような法螺七分の形容ではない。これが形容でないとするとその時の自分がいかに芋を旨がったのかがおのずから分明になる。さて水音に驚いて、欄干から下を見ると、音のするのはもっともで、川の中に大きな石がだいぶんある。そうしてその形状がいかにも不作法にでき上って、あたかも水の通り道の邪魔になるように寝たり、突っ立ったりしている。それへ水がやけにぶつかる。しかもその水には勾配がついている。山から落ちた勢いをなし崩しに持ち越して、追っ懸けられるように跳って来る。だから川と云うようなものの、実は幅の広い瀑を月賦に引き延ばしたくらいなものである。したがって水の少ない割には大変烈しい。鼻っ端の強い江戸ッ子のようにむやみやたらに突っかかって来る。そうして白い泡を噴いたり、青い飴のようになったり、曲ったり、くねったりして下へ流れて行く。どうも非常にやかましい。時に日はだんだん暮れてくる。仰向いて見たが、日向はどこにも見えない。ただ日の落ちた方角がぽうっと明るくなって、その明かるい空を背負ってる山だけが目立って蒼黒くなって来た。時は五月だけれども寒いもんだ。この水音だけでも夏とは思われない。まして入日を背中から浴びて、正面は陰になった山の色と来たら、――ありゃ全体何と云う色だろう。ただ形容するだけなら紫でも黒でも蒼でも構わないんだが、あの色の気持を書こうとすると駄目だ。何でもあの山が、今に動き出して、自分の頭の上へ来て、どっと圧っ被さるんじゃあるまいかと感じた。それで寒いんだろう。実際今から一時間か二時間のうちには、自分の左右前後四方八方ことごとく、あの山のような気味のわるい色になって、自分も長蔵さんも茨城県も、全く世界一色の内に裹まれてしまうに違ないと云う事を、それとはなく意識して、一二時間後に起る全体の色を、一二時間前に、入日の方の局部の色として認めたから、局部から全体を唆かされて、今にあの山の色が広がるんだなと、どっかで虫が知らせたために、山の方が動き出して頭の上へ圧っ被さるんじゃあるまいかと云う気を起したんだなと――自分は今机の前で解剖して見た。閑があるととかく余計な事がしたくなって困る。その時はただ寒いばかりであった。傍にいる茨城県の毛布が羨ましくなって来たくらいであった。
すると橋の向うから――向たって突き当りが山で、左右が林だから、人家なんぞは一軒もありゃしない。――実際自分はこう突然人家が尽きてしまおうとは、自分が自分の足で橋板を踏むまでも思いも寄らなかったのである。――その淋しい山の方から、小僧が一人やって来た。年は十三四くらいで、冷飯草履を穿いている。顔は始めのうちはよく分らなかったが、何しろ薄暗い林の中を、少し明るく通り抜けてる石ころ路を、たった一人してこっちへひょこひょこ歩いて来る。どこから、どうして現れたんだか分らない。木下闇の一本路が一二丁先で、ぐるりと廻り込んで、先が見えないから、不意に姿を出したり、隠したりするような仕掛にできてるのかも知れないが、何しろ時が時、場所が場所だから、ちょっと驚いた。自分は四本目の芋を口へ宛がったなり、顎を動かす事を忘れて、この小僧をしばらくの間眺めていた。もっともしばらくと云ったって、わずか二十秒くらいなものである。芋はそれからすぐに食い始めたに違いない。
小僧の方では、自分らを見て、驚いたか驚かないか、その辺はしかと確められないが、何しろ遠慮なく近づいて来た。五六間のこっちから見ると頭の丸い、顔の丸い、鼻の丸い、いずれも丸く出来上った小僧である。品質から云うと赤毛布よりもずっと上製である。自分らが三人並んで橋向うの小路を塞いでいるのを、とんと苦にならない様子で通り抜けようとする。すこぶる平気な態度であった。すると長蔵さんが、また、
「おい、小僧さん」
と呼び留めた。小僧は臆した気色もなく
「なんだ」
と答えた。ぴたりと踏み留った。その度胸には自分も少々驚いた。さすがこの日暮に山から一人で降りて来るがものはある。自分などがこの小僧の年輩の頃は夜青山の墓地を抜けるのがいささか苦になったものだ。なかなかえらいと感心していると、長蔵さんは、
「芋を食わないかね」
と云いながら、食い残しを、気前よく、二本、小僧の鼻の前に出した。すると小僧はたちまち二本とも引ったくるように受け取って、ありがとうとも何とも云わず、すぐその一本を食い始めた。この手っ取り早い行動を熟視した自分は、なるほど山から一人で下りてくるだけあって自分とは少々訳が違うなと、また感心しちまった。それとも知らぬ小僧は無我無心に芋を食っている。しかも頬張った奴を、唾液も交ぜずに、むやみに呑み下すので、咽喉が、ぐいぐいと鳴るように思われた。もう少し落ちついて食う方が楽だろうと心配するにもかかわらず、当人は、傍で見るほど苦しくはないと云わんばかりにぐいぐい食う。芋だから無論堅いもんじゃない。いくら鵜呑にしたって咽喉に傷のできっこはあるまいが、その代り咽喉がいっぱいに塞がって、芋が食道を通り越すまでは呼息の詰る恐れがある。それを小僧はいっこう苦にしない。今咽喉がぐいと動いたかと思うと、またぐいと動く。後の芋が、前の芋を追っ懸けてぐいぐい胃の腑に落ち込んで行くようだ。二本の芋は、随分大きな奴だったが、これがためたちまち見る間に無くなってしまった。そうして、小僧はついに何らの異状もなかった。自分ら三人は何にも云わずに、三方から、この小僧の芋を食うところを見ていたが、三人共、食ってしまうまで、一句も言葉を交わさなかった。自分は腹の中で少しはおかしいと思った。しかし何となく憐れだった。これは単に同情の念ばかりではない。自分が空腹になって、長蔵さんに芋をねだったのは、つい、今しがたで、餓じい記憶は気の毒なほど近くにあるのに、この小僧の食い方は、自分より二三層倍餓じそうに見えたからである。そこへ持って来て、長蔵さんが、
「旨まかったか」
と聞いた。自分は芋へ手を出さない先からありがとうと礼を述べたくらいだから、食ったあとの小僧は無論何とか云うだろうと思っていたら、小僧はあやにく何とも云わない。黙って立っている。そうして暮れかかる山の方を見た。後から分ったがこの小僧は全く野生で、まるで礼を云う事を知らないんだった。それが分ってからはさほどにも思わなかったが、この時は何だ顔に似合わない無愛嬌な奴だなと思った。しかしその丸い顔を半分傾けて、高い山の黒ずんで行く天辺を妙に眺めた時は、また可愛想になった。それからまた少し物騒になった。なぜ物騒になったんだかはちょっと疑問である。小さい小僧と、高い山と、夕暮と山の宿とが、何か深い因縁で互に持ち合ってるのかも知れない。詩だの文章だのと云うものは、あんまり読んだ事がないが、おそらくこんな因縁に勿体をつけて書くもんじゃないかしら。そうすると妙な所で詩を拾ったり、文章にぶつかったりするもんだ。自分はこの永年方々を流浪してあるいて、折々こんな因縁に出っ食わして我ながら変に感じた事が時々ある。――しかしそれも落ちついて考えると、大概解けるに違ない。この小僧なんかやっぱり子供の時に聞いた、山から小僧が飛んで来たが化け損なったところくらいだろう。それ以上は余計な事だから考えずに置く。何しろ小僧は妙な顔をして、黒い山の天辺を眺めていた。
すると長蔵さんがまた聞き出した。
「御前、どこへ行くかね」
小僧はたちまち黒い山から眼を離して、
「どこへも行きゃあしねえ」
と答えた。顔に似合わずすこぶる無愛想である。長蔵さんは平気なもんで、
「じゃどこへ帰るかね」
と、聞き直した。小僧も平気なもんで、
「どこへも帰りゃしねえ」
と云ってる。自分はこの問答を聞きながら、ますます物騒な感じがした。この小僧は宿無に違ないんだが、こんなに小さい、こんなに淋しい、そうして、こんなに度胸の据った宿無を、今までかつて想像した事がないものだから、宿無とは知りながら、ただの宿無に附属する憐れとか気の毒とかの念慮よりも、物騒の方が自然勢力を得たしだいである。もっとも長蔵さんにはそんな感じは少しも起らなかったらしい。長蔵さんは、この小僧が宿無か宿無でないかを突き留めさえすれば、それでたくさんだったんだろう。どこへも行かない、またどこへも帰らない小僧に向って、
「じゃ、おいらといっしょにおいで。御金を儲けさしてやるから」
と云うと、小僧は考えもせず、すぐ、
「うん」
と承知した。赤毛布と云い、小僧と云い、実に面白いように早く話が纏まってしまうには驚いた。人間もこのくらい簡単にできていたら、御互に世話はなかろう。しかしそう云う自分がこの赤毛布にもこの小僧にも遜らないもっとも世話のかからない一人であったんだから妙なもんだ。自分はこの小僧の安受合を見て、少からず驚くと共に、天下には自分のように右へでも左へでも誘われしだい、好い加減に、ふわつきながら、流れて行くものがだいぶんあるんだと云う事に気がついた。東京にいるときは、目眩いほど人が動いていても、動きながら、みんな根が生えてるんで、たまたま根が抜けて動き出したのは、天下広しといえども、自分だけであろうくらいで、千住から尻を端折って歩き出した。だから心細さも人一倍であったが、この宿で、はからずも赤毛布を手に入れた。赤毛布を手に入れてから、二十分と立たないうちにまたこの小僧を手に入れた。そうして二人とも自分よりは遥に根が抜けている。こう続々同志が出来てくると、行く先は山だろうが、河だろうが、あまり苦にはならない。自分は幸か不幸か、中以上の家庭に生れて、昨日の午後九時までは申し分のない坊ちゃんとして生活していた。煩悶も坊ちゃんとしての煩悶であったのは勿論だが、煩悶の極試みたこの駆落も、やっぱり坊ちゃんとしての駆落であった。さればこそ、この駆落に対して、不相当にもったいぶった意味をつけて、ありがたがらないまでも、一生の大事件のように考えていた。生死の分れ路のように考えていた。と云うものは坊ちゃんの眼で見渡した世の中には、駆落をしたものは一人もない。――たまにあれば新聞にあるばかりである。ところが新聞では駆落が平面になって、一枚の紙に浮いて出るだけで、云わばあぶり出しの駆落だから、食べたって身にはならない。あたかも別世界から、電話がかかったようなもので、はあ、はあ、と聞いてる分の事である。だから本当の意味で切実な駆落をするのは自分だけだと云うありがたみがつけ加わってくる。もっとも自分はただ煩悶して、ただ駆落をしたまでで、詩とか美文とか云うものを、あんまり読んだ事がないから、自分の境遇の苦しさ悲しさを一部の小説と見立てて、それから自分でこの小説の中を縦横に飛び廻って、大いに苦しがったりまた大いに悲しがったりして、そうして同時に自分の惨状を局外から自分と観察して、どうも詩的だなどと感心するほどなませた考えは少しもなかった。自分が自分の駆落に不相当なありがたみをつけたと云うのは、自分の不経験からして、さほど大袈裟に考えないでも済む事を、さも仰山に買い被って、独りでどぎまぎしていた事実を指すのである。しかるにこのどぎまぎが赤毛布に逢い、小僧に逢って、両人の平然たる態度を見ると共に、いつの間にやら薄らいだのは、やっぱり経験の賜である。白状すると当時の赤毛布でも当時の小僧でも、当時の自分よりよっぽど偉かったようだ。
こう手もなく赤毛布がかかる。小僧がかかる。そう云う自分も、たわいもなく攻め落された事実を綜合して考えて見ると、なるほど長蔵さんの商売も、満更待ち草臥の骨折損になる訳でもなかった。坑夫になれますよ、はあ、なれますか、じゃなりましょうと二つ返事で承知する馬鹿は、天下広しといえども、尻端折で夜逃をした自分くらいと思っていた。したがって長蔵さんのような気楽な商売は日本にたった一人あればたくさんで、しかもその一人が、まぐれ当りに自分に廻り合せると云う運勢をもって生れて来なくっちゃ、とても商売にならないはずだ。だから大川端で眼の下三尺の鯉を釣るよりもよっぽどの根気仕事だと、始めから腰を据えてかかるのが当然なんだが、長蔵さんはとんとそんな自覚は無用だと云わぬばかりの顔をして、これが世間もっとも普通の商売であると社会から公認されたような態度で、わるびれずに往来の男を捉まえる。するとその捉まえられた男が、不思議な事に、一も二もなく、すぐにうんと云う。何となくこれが世間もっとも普通の商売じゃあるまいかと疑念を起すように成功する。これほど成功する商売なら、日本に一人じゃとても間に合わない、幾人あっても差支ないと云う気になる。――当人は無論そう思ってるんだろう。自分もそう思った。
この呑気な長蔵さんと、さらに呑気な小僧に赤毛布と、それから見様見真似で、大いに呑気になりかけた自分と、都合四人で橋向うの小路を左へ切れた。これから川に沿って登りになるんだから、気をつけるが好いと云う注意を受けた。自分は今芋を食ったばかりだから、もう空腹じゃない。足は昨夕から歩き続けで草臥れてはいるが、あるけばまだ歩ける。そこで注意の通り、なるべく気をつけて、長蔵さんと赤毛布の後を跟けて行った。路があまり広くないので四人は一行に並べない。だから後を跟ける事にした。小僧は小さいからこれも一足後れて、自分と摺々くらいになって食っついてくる。
自分は腹が重いのと、足が重いのとの両方で、口を利くのが厭になった。長蔵さんも橋を渡ってから以後とんと御前さんを使わなくなった。赤毛布はさっき一膳飯屋の前で談判をした時から、余り多弁ではなかったが、どう云うものかここに至ってますます無口となっちまった。小僧の無口はさらにはなはだしかった。穿いている冷飯草履がぴちゃぴちゃ鳴るばかりである。
こう、みんな黙ってしまうと、山路は静かなものである。ことに夜だからなお淋しい。夜と云ったって、まだ日が落ちたばかりだから、歩いてる道だけはどうか、こうか分る。左手を落ちて行く水が、気のせいか、少しずつ光って見える。もっともきらきら光るんじゃない。なんだか、どす黒く動く所が光るように見えるだけだ。岩にあたって砕ける所は比較的判然と白くなっている。そうしてその声がさあさあと絶え間なくする。なかなかやかましい。それでなかなか淋しい。
その中細い道が少しずつ、上りになるような気持がしだした。上りだけならこのくらいな事はそう骨は折れないんだが、路が何だか凸凹する。岩の根が川の底から続いて来て、急に地面の上へ出たり、引っ込んだりするんだろう。この凸凹に下駄を突っ掛ける。烈しいときは内臓が飛び上がるようになる。だいぶ難義になって来た。長蔵さんと赤毛布は山路に馴れていると見えて、よくも見えない木下闇を、すたすた調子よくあるいて行く。これは仕方がないが、小僧が――この小僧は実際物騒である。冷飯草履をぴしゃぴしゃ云わして、暗い凸凹を平気に飛び越して行く。しかも全く無言である。昼間ならさほどにも思わないんだが、この際だから、薄暗い中でぴしゃりぴしゃりと草履の尻の鳴るのが気になる。何だか蝙蝠といっしょに歩いてるようだ。
そのうち路がだんだん登りになる。川はいつしか遠くなる。呼息が切れる。凸凹はますます烈しくなる。耳ががあんと鳴って来た。これが駆落でなくって、遠足なら、よほど前から、何とか文句をならべるんだが、根が自殺の仕損いから起った自滅の第一着なんだから、苦しくっても、辛くっても、誰に難題を持ち掛ける訳にも行かない。相手は誰だと云えば、自分よりほかに誰もいやしない。よしいたって、こだわるだけの勇気はない。その上先方は相手になってくれないほど平気である。すたすた歩いて行く。口さえ利かない。まるで取附端がない。やむを得ず呼吸を切らして、耳をがあんと鳴らして、黙って後から神妙に尾いて行く。神妙と云う字は子供の時から覚えていたんだが、神妙の意味を悟ったのはこの時が始めてである。もっともこれが悟り始めの悟りじまいだと笑い話にもなるが、一度悟り出したら、その悟りがだいぶ長い事続いて、ついに鉱山の中で絶高頂に達してしまった。神妙の極に達すると、出るべき涙さえ遠慮して出ないようになる。涙がこぼれるほどだと譬に云うが、涙が出るくらいなら安心なものだ。涙が出るうちは笑う事も出来るにきまってる。
不思議な事にこれほど神妙にあてられたものが、今はけろりとして、一切神妙気を出さないのみか、人からは横着者のように思われている。その時御世話になった長蔵さんから見たら、定めし増長した野郎だと思う事だろう。がまた今の朋友から評すると、昔は気の毒だったと云ってくれるかも知れない。増長したにしても気の毒だったにしても構わない。昔は神妙で今は横着なのが天然自然の状態である。人間はこうできてるんだから致し方がない。夏になっても冬の心を忘れずに、ぶるぶる悸えていろったって出来ない相談である。病気で熱の出た時、牛肉を食わなかったから、もう生涯ロースの鍋へ箸を着けちゃならんぞと云う命令はどんな御大名だって無理だ。咽喉元過ぐれば熱さを忘れると云って、よく、忘れては怪しからんように持ち掛けてくるが、あれは忘れる方が当り前で、忘れない方が嘘である。こう云うと詭弁のように聞えるが、詭弁でもなんでもない。正直正銘のところを云うんである。いったい人間は、自分を四角張った不変体のように思い込み過ぎて困るように思う。周囲の状況なんて事を眼中に置かないで、平押に他人を圧しつけたがる事がだいぶんある。他人なら理窟も立つが、自分で自分をきゅきゅ云う目に逢わせて嬉しがってるのは聞えないようだ。そう一本調子にしようとすると、立体世界を逃げて、平面国へでも行かなければならない始末が出来てくる。むやみに他人の不信とか不義とか変心とかを咎めて、万事万端向うがわるいように噪ぎ立てるのは、みんな平面国に籍を置いて、活版に印刷した心を睨んで、旗を揚げる人達である。御嬢さん、坊っちゃん、学者、世間見ず、御大名、にはこんなのが多くて、話が分り悪くって、困るもんだ。自分もあの時駆落をしずに、可愛らしい坊ちゃんとしておとなしく成人したなら、――自分の心の始終動いているのも知らずに、動かないもんだ、変らないもんだ、変っちゃ大変だ、罪悪だなどとくよくよ思って、年を取ったら――ただ学問をして、月給をもらって、平和な家庭と、尋常な友達に満足して、内省の工夫を必要と感ずるに至らなかったら、また内省ができるほどの心機転換の活作用に見参しなかったならば――あらゆる苦痛と、あらゆる窮迫と、あらゆる流転と、あらゆる漂泊と、困憊と、懊悩と、得喪と、利害とより得たこの経験と、最後にこの経験をもっとも公明に解剖して、解剖したる一々を、一々に批判し去る能力がなかったなら――ありがたい事に自分はこの至大なる賚を有っている、――すべてこれらがなかったならば、自分はこんな思い切った事を云やしない。いくら思い切った事を云ったって自慢にゃならない。ただこの通りだからこの通りだと云うまでである。その代り昔し神妙なものが、今横着になるくらいだから、今の横着がいつ何時また神妙にならんとは限らない。――抜けそうな足を棒のように立てて聞くと、がんと鳴ってる耳の中へ、遠くからさあさあ水音が這入ってくる。自分はますます神妙になった。
この状態でだいぶ来た。何里だか見当のつかないほど来た。夜道だから平生よりは、ただでさえ長く思われる上へ持ってきて、凸凹の登りを膨っ脛が腫れて、膝頭の骨と骨が擦れ合って、股が地面へ落ちそうに歩くんだから、長いの、長くないのって――それでも、生きてる証拠には、どうか、こうか、長蔵さんの尻を五六間と離れずに、やって来た。これはただ神妙に自己を没却した諦の体たらくから生じた結果ではない。五六間以上後れると、長蔵さんが、振り返って五六歩ずつは待合してくれるから、仕方なしに追いつくと、追いつかない先に向うはまた歩き出すんで、やむを得ずだらだら、ちびちびに自己を奮興させた成行に過ぎない。それにしても長蔵さんは、よく後が見えたもんだ。ことに夜中である。右も左も黒い木が空を見事に突っ切って、頭の上は細く上まで開いているなと、仰向いた時、始めて勘づくくらいな暗い路である。星明りと云うけれど、あまり便にゃならない。提灯なんか無論持ち合せようはずがない。自分の方から云うと、先へ行く赤毛布が目標である。夜だから赤くは見えないが、何だか赤毛布らしく思われる。明るいうちから、あの毛布、あの毛布と御題目のように見詰めて覘をつけて来たせいで、日が暮れて、突然の眼には毛布だか何だか分らないところを、自分だけにはちゃんと赤毛布に見えるんだろう。信心の功徳なんてえのは大方こんなところから出るに違ない。自分はこう云う訳で、どうにか目標だけはつけて置いたようなものの、長蔵さんに至っては、どのくらいあとから自分が跟いてくるか分りようがない。ところをちゃんと五六間以上になると留まってくれる。留まってくれるんだか、留まる方が向うの勝手なんだか、判然しないが、とにかく留まることはたしかだった。とうてい素人にゃできない芸である。自分は苦しいうちにも、これが長蔵さんの商売に必要な芸で、長蔵さんはこの芸を長い間練習して、これまでに仕上げたんだなと、少からず感心した。赤毛布は長蔵さんと並んでいるんだから、長蔵さんさえ留まればきっととまる。長蔵さんが歩き出せば必ず歩き出す。まるで人形のように活動する男であった。ややともすると後れ勝ちの自分よりはこの赤毛布の方が遥に取り扱いやすかったに違ない。小僧は――例の小僧は消えて無くなっちまった。始めのうちこそ小僧だから後になるんだろうと思って、草臥れたら励ましてやろうくらいの了簡があったんだが、かの冷飯草履をぴしゃりぴしゃりと鳴らしながら凸凹路を飛び跳ねて進行する有様を目撃してから、こりゃ敵わないと覚悟をしたのは、よっぽど前の事である。それでもしばらくの間はぴしゃりぴしゃりが自分の袖と擦れ擦れくらいになって、登って来たが、今じゃもう自分の近所には影さえなくなった。並んで歩くうちは、あまり小僧の癖に活溌にあるくんで――活溌だけならいいが、活溌の上に非常に沈黙なんで――、随分物騒な心持ちだった。もし笑うなら、極めて小さくって、非常に活溌で、そうして口を利かない動物を想像して見ると分る。滅多にありゃしない。こんな動物といっしょに夜山越をしたとすると、誰だって物騒な気持になる。自分はこの時この小僧の事を今考えても、妙な感じが出て来る。さっき蝙蝠のようだと云ったが、全く蝙蝠だ。長蔵さんと赤毛布がいたから、好いようなものの、蝙蝠とたった二人限だったら――正直なところ降参する。
すると長蔵さんが、暗闇の中で急に、
「おおい」
と声を揚げた。淋しい夜道で、急に人声を聞いた人があるかないか知らないが、聞いて見るとちょっと異な感じのするものだ。それも普通の話し声なら、まだ好いが、おおいと人を呼ぶ奴は気味がよくない。山路で、黒闇で、人っ子一人通らなくって、御負に蝙蝠なんぞと道伴になって、いとど物騒な虚に乗じて、長蔵さんが事ありげに声を揚げたんである。事のあるべきはずでない時で、しかも事がありかねまじき場所でおおいと来たんだから、突然と予期が合体して、自分の頭に妙な響を与えた。この声が自分を呼んだんなら、何か起ったなとびくんとするだけで済むんだが、五六間後から行く自分の注意を惹くためとは受取れないほど大きかった。かつ声の伝わって行く方角が違う。こっちを向いた声じゃない。おおいと右左りに当ったが、立ち木に遮られて、細い道を向うの方へ遠く逃げのびて、遥の先でおおいと云う反響があった。反響はたしかにあったが、返事はないようだ。すると長蔵さんは、前より一層大きな声を出して、
「小僧やあ」
と呼んだ。今考えると、名前も知らないで、小僧やあと呼ぶなんて少しとぼけているがその時はなかなかとぼけちゃいなかった。自分はこの声を聞くと同時に蝙蝠が隠れたんだなと気がついた。先へ行ったと思うのが当り前で、まかり間違っても逃げたと鑑定をつけべきはずだのに、隠れたんだとすぐ胸先へ浮んで来たのは、よっぽど蝙蝠に祟られていたに違ない。この祟は翌朝になって太陽が出たらすっかり消えてしまって、自分で自分を何て馬鹿だろうと思ったくらいだが、実際小僧やあの呼び声を聞いた時は、ちょっと烈しく来た。
ところがまた反響が例のごとく向うへ延びて、突き当りがないもんだから、人魂の尻尾のように、幽かに消えて、その反動か、有らん限りの木も山も谷もしんと静まった時、――何とも返事がない。この反響が心細く継続りながら消えて行く間、消えてから、すべての世界がしんと静まり返るまで、長蔵さんと赤毛布と自分と三人が、暗闇に鼻を突き合せて黙って立っていた。あんまり好い心持じゃなかった。やがて、長蔵さんが、
「少し急いだら、追っつくべえ。御前さん好いかね」
と云った。無論好くはないが、仕方がないから承知をして、急ぎ出した。元来この場に臨んで急ぐなんて生意気な事ができるはずがないんだが、そこが妙なもので、急ぐ気も、急ぐ力もない癖に受合っちまった。定めし変な顔をして受合ったんだろうが、受合ったら急げても、急げないでもむちゃくちゃに急いでしまった。この間はどこをどんな具合に通ったか、まあ断然知らないと云った方が穏当だろう。やがて長蔵さんがぴたりと留ったんで、ふと気がついた。すると一つ家の前へ出ている。ランプが点いている。ランプの灯が往来へ映っている。はっと嬉しかった。赤毛布がありあり見える。そうして小僧もいる。小僧の影が往来を横に切って向うの谷へ折れ込んでいる。小僧にしては長い影だ。
自分はこんな所に人の住む家があろうとはまるで思いがけなかったし、その上眼がくらんで、耳が鳴って、夢中に急いで、どこまで急ぐんだかあても希望もなくやって来て、ぴたりと留まるや否や、ランプの灯がまぶしいように眼に這入って来たんだから、驚いた。驚くと共にランプの灯は人間らしいものだとつくづく感心した。ランプがこんなにありがたかった事は今日までまだかつてない。後から聞いたら小僧はこのランプの灯まで抜け掛をして、そこで自分達を待ってたんだそうだ。おおいと云う声も小僧やあと云う声も聞えたんだが返事をしなかったと云う話しだ。偉い奴だ。
同勢はこれでようやく揃ったが、この先どうなる事だろうと思いながら、相変らず神妙にしていると、長蔵さんは自分達を路傍に置きっ放しにして、一人で家の中へ這入って行った。仕方がないから家と云うが、実のところは、家じゃもったいない。牛さえいれば牛小屋で馬さえ嘶けば馬小屋だ。何でも草鞋を売る所らしい。壁と草鞋とランプのほかに何にもないから、自分はそう鑑定した。間口は一間ばかりで、入口の雨戸が半分ほど閉ててある。残る半分は夜っぴて明けて置くんじゃないかしら。ことによると、敷居の溝に食い込んだなり動かないのかも知れない。屋根は無論藁葺で、その藁が古くなって、雨に腐やけたせいか、崩れかかって漠然としている。夜と屋根の継目が分らないほど、ぶくついて見える。その中へ長蔵さんは這入って行った。なんだか穴の中へでも潜り込んで行ったような心持だった。そうして話している。三人は表に待っている。自分の顔は見えないが、赤毛布と小僧の顔は、小屋の中から斜に差してくるランプの灯でよく見える。赤毛布は依然として、散漫なものである。この男はたとい地震がゆって、梁が落ちて来ても、親の死目に逢うか、逢わないかと云う大事な場合でも、いつでも、こんな顔をしているに違ない。小僧は空を見ている。まだ物騒だ。
ところへ長蔵さんがあらわれた。しかし往来へは出て来ない。敷居の上へ足を乗せて、こっちを向いて立った股倉から、ランプの灯だけが細長く出て来る。ランプの位置がいつの間にか低くなったと見える。長蔵さんの顔は無論よく分らない。
「御前さん、これから山越をするのは大変だから、今夜はここへ泊って行こう。みんな這入るがいい」
自分はこの言葉を聞くと等しく、今までの神妙が急に破裂して、身体がぐたりとなった。この牛小屋で一夜を明す事が、それほどの慰藉を自分に与えようとは、牛小屋を見た今が今まで、とんと気がつかなかった。やはり神妙の結果泊る所が見つかっても、泊る気が起らなかったんだろう。こうなると人間ほど御しやすいものはない。無理でも何でもはいはい畏まって聞いて、そうして少しも不平を起さないのみか大に嬉しがる。当時を思い出すたびに、自分はもっとも順良なまたもっとも励精な人間であったなと云う自信が伴ってくる。兵隊はああでなくっちゃいけないなどと考える事さえある。同時に、もし人間が物の用を無視し得るならば、かねて物の用をも忘れ得るものだと云う事も悟った。――こう書いて見たが、読み直すと何だかむずかしくって解らない。実を云うと、もっとずっとやさしいんだが、短く詰めるものだからこんなにむずかしくなっちまった。例えば酒を飲む権利はないと自信して、酒の徳を、あれどもなきがごとくに見做す事さえできれば、徳利が前に並んでも、酒は飲むものだとさえ気がつかずにいるくらいなところである。御互が泥棒にならずに済むのも、つまりを云えば幼少の時から、人工的にこの種の境界に馴らされているからの事だろう。が一方から云うと、こんな境界は人性の一部分を麻痺さした結果としてでき上るもんだから、図に乗ってきゅきゅ押して行くと、人間がみんな馬鹿になっちまう。まあ泥棒さえしなければ好いとして、その他の精神器械は残らず相応に働く事ができるようにしてやるのが何よりの功徳だと愚考する。自分が当時の自分のままで、のべつに今日まで生きていたならば、いかに順良だって、いかに励精だって、馬鹿に違ない。だれの眼から見たって馬鹿以上の不具だろう。人間であるからは、たまには怒るがいい。反抗するがいい。怒るように、反抗するようにできてるものを、無理に怒らなかったり、反抗しなかったりするのは、自分で自分を馬鹿に教育して嬉しがるんだ。第一身体の毒である。それを迷惑だと云うなら、怒らせないように、反抗させないように、御膳立をするが至当じゃないか。
自分は当時種々の状況で、万事長蔵さんの云う通りはいはい云っていたし、またそのはいはいを自然と思いもするが、その代り、今のような身分にいるからは、たとい百の長蔵さんが、七日七晩引っ張りつづけに引っ張ったってちょっとも動きゃしない。今の自分にはこの方が自然だからである。そうしてこう変るのが人間たるところだと思ってる。分りやすいように長蔵さんを引合に出したが、よく調べて見ると、人間の性格は一時間ごとに変っている。変るのが当然で、変るうちには矛盾が出て来るはずだから、つまり人間の性格には矛盾が多いと云う意味になる。矛盾だらけのしまいは、性格があってもなくっても同じ事に帰着する。嘘だと思うなら、試験して見るがいい。他人を試験するなんて罪な事をしないで、まず吾身で吾身を試験して見るがいい。坑夫にまで零落れないでも分る事だ。神さまなんかに聞いて見たって、以上分ッこない。この理窟がわかる神さまは自分の腹のなかにいるばかりだ。などと、学問もない癖に、学者めいた事を云っては済まない。こんな景気のいいタンカを切る所存は毛頭なかったんだが、実を云うとこう云う仔細である。自分はよく人から、君は矛盾の多い男で困る困ると苦情を持ち込まれた事がある。苦情を持ち込まれるたんびに苦い顔をして謝罪っていた。自分ながら、どうも困ったもんだ、これじゃ普通の人間として通用しかねる、何とかして改良しなくっちゃ信用を落して路頭に迷うような仕儀になると、ひそかに心配していたが、いろいろの境遇に身を置いて、前に述べた通りの試験をして見ると、改良も何も入ったものじゃない。これが自分の本色なんで、人間らしいところはほかにありゃしない。それから人も試験して見た。ところがやっぱり自分と同じようにできている。苦情を持ち込んでくるものが、みんな苦情を持ち込まれてしかるべき人間なんだからおかしくなる。要するに御腹が減って飯が食いたくなって、御腹が張ると眠くなって、窮して濫して、達して道を行って、惚れていっしょになって、愛想が尽きて夫婦別れをするまでの事だから、ことごとく臨機応変の沙汰である。人間の特色はこれよりほかにありゃしない。と、こう感服しているんだから、ちょっと言って見たまでである。しかし世の中には学者だの坊主だの教育家だのと云うむずかしい仲間がだいぶいて、それぞれ専門に研究している事だから、自分だけ、訳の分ったように弁じ立てては善くない。
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