七 寒い。手拭(てぬぐい)を下げて、湯壺(ゆつぼ)へ下(くだ)る。 三畳へ着物を脱いで、段々を、四つ下りると、八畳ほどな風呂場へ出る。石に不自由せぬ国と見えて、下は御影(みかげ)で敷き詰めた、真中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、豆腐屋(とうふや)ほどな湯槽(ゆぶね)を据(す)える。槽(ふね)とは云うもののやはり石で畳んである。鉱泉と名のつく以上は、色々な成分を含んでいるのだろうが、色が純透明だから、入(はい)り心地(ごこち)がよい。折々は口にさえふくんで見るが別段の味も臭(におい)もない。病気にも利(き)くそうだが、聞いて見ぬから、どんな病に利くのか知らぬ。もとより別段の持病もないから、実用上の価値はかつて頭のなかに浮んだ事がない。ただ這入(はい)る度に考え出すのは、白楽天(はくらくてん)の温泉(おんせん)水滑(みずなめらかにして)洗凝脂(ぎょうしをあらう)と云う句だけである。温泉と云う名を聞けば必ずこの句にあらわれたような愉快な気持になる。またこの気持を出し得ぬ温泉は、温泉として全く価値がないと思ってる。この理想以外に温泉についての注文はまるでない。 すぽりと浸(つ)かると、乳のあたりまで這入(はい)る。湯はどこから湧(わ)いて出るか知らぬが、常でも槽(ふね)の縁(ふち)を奇麗に越している。春の石は乾(かわ)くひまなく濡(ぬ)れて、あたたかに、踏む足の、心は穏(おだ)やかに嬉しい。降る雨は、夜の目を掠(かす)めて、ひそかに春を潤(うる)おすほどのしめやかさであるが、軒のしずくは、ようやく繁(しげ)く、ぽたり、ぽたりと耳に聞える。立て籠(こ)められた湯気は、床(ゆか)から天井を隈(くま)なく埋(うず)めて、隙間(すきま)さえあれば、節穴(ふしあな)の細きを厭(いと)わず洩(も)れ出(い)でんとする景色(けしき)である。 秋の霧は冷やかに、たなびく靄(もや)は長閑(のどか)に、夕餉炊(ゆうげた)く、人の煙は青く立って、大いなる空に、わがはかなき姿を托す。様々の憐(あわ)れはあるが、春の夜(よ)の温泉(でゆ)の曇りばかりは、浴(ゆあみ)するものの肌を、柔(やわ)らかにつつんで、古き世の男かと、われを疑わしむる。眼に写るものの見えぬほど、濃くまつわりはせぬが、薄絹を一重(ひとえ)破れば、何の苦もなく、下界の人と、己(おの)れを見出すように、浅きものではない。一重破り、二重破り、幾重を破り尽すともこの煙りから出す事はならぬ顔に、四方よりわれ一人を、温(あたた)かき虹(にじ)の中(うち)に埋(うず)め去る。酒に酔うと云う言葉はあるが、煙りに酔うと云う語句を耳にした事がない。あるとすれば、霧には無論使えぬ、霞には少し強過ぎる。ただこの靄に、春宵(しゅんしょう)の二字を冠したるとき、始めて妥当なるを覚える。 余は湯槽(ゆぶね)のふちに仰向(あおむけ)の頭を支(ささ)えて、透(す)き徹(とお)る湯のなかの軽(かろ)き身体(からだ)を、出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂(ただよ)わして見た。ふわり、ふわりと魂(たましい)がくらげのように浮いている。世の中もこんな気になれば楽(らく)なものだ。分別(ふんべつ)の錠前(じょうまえ)を開(あ)けて、執着(しゅうじゃく)の栓張(しんばり)をはずす。どうともせよと、湯泉(ゆ)のなかで、湯泉(ゆ)と同化してしまう。流れるものほど生きるに苦は入らぬ。流れるもののなかに、魂まで流していれば、基督(キリスト)の御弟子となったよりありがたい。なるほどこの調子で考えると、土左衛門(どざえもん)は風流(ふうりゅう)である。スウィンバーンの何とか云う詩に、女が水の底で往生して嬉しがっている感じを書いてあったと思う。余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快な所を択(えら)んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画(え)になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が、まるで平和ではほとんど神話か比喩(ひゆ)になってしまう。痙攣的(けいれんてき)な苦悶(くもん)はもとより、全幅の精神をうち壊(こ)わすが、全然色気(いろけ)のない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以(もっ)て、一つ風流な土左衛門(どざえもん)をかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない。 湯のなかに浮いたまま、今度は土左衛門(どざえもん)の賛(さん)を作って見る。
と口のうちで小声に誦(じゅ)しつつ漫然(まんぜん)と浮いていると、どこかで弾(ひ)く三味線の音(ね)が聞える。美術家だのにと云われると恐縮するが、実のところ、余がこの楽器における智識はすこぶる怪しいもので二が上がろうが、三が下がろうが、耳には余り影響を受けた試(ため)しがない。しかし、静かな春の夜に、雨さえ興を添える、山里の湯壺(ゆつぼ)の中で、魂(たましい)まで春の温泉(でゆ)に浮かしながら、遠くの三味を無責任に聞くのははなはだ嬉しい。遠いから何を唄(うた)って、何を弾いているか無論わからない。そこに何だか趣(おもむき)がある。音色(ねいろ)の落ちついているところから察すると、上方(かみがた)の検校(けんぎょう)さんの地唄(じうた)にでも聴かれそうな太棹(ふとざお)かとも思う。 小供の時分、門前に万屋(よろずや)と云う酒屋があって、そこに御倉(おくら)さんと云う娘がいた。この御倉さんが、静かな春の昼過ぎになると、必ず長唄の御浚(おさら)いをする。御浚が始まると、余は庭へ出る。茶畠の十坪余りを前に控(ひか)えて、三本の松が、客間の東側に並んでいる。この松は周(まわ)り一尺もある大きな樹で、面白い事に、三本寄って、始めて趣のある恰好(かっこう)を形つくっていた。小供心にこの松を見ると好い心持になる。松の下に黒くさびた鉄灯籠(かなどうろう)が名の知れぬ赤石の上に、いつ見ても、わからず屋の頑固爺(かたくなじじい)のようにかたく坐っている。余はこの灯籠を見詰めるのが大好きであった。灯籠の前後には、苔(こけ)深き地を抽(ぬ)いて、名も知らぬ春の草が、浮世の風を知らぬ顔に、独(ひと)り匂うて独り楽しんでいる。余はこの草のなかに、わずかに膝(ひざ)を容(い)るるの席を見出して、じっと、しゃがむのがこの時分の癖であった。この三本の松の下に、この灯籠を睨(にら)めて、この草の香(か)を臭(か)いで、そうして御倉さんの長唄を遠くから聞くのが、当時の日課であった。 御倉さんはもう赤い手絡(てがら)の時代さえ通り越して、だいぶんと世帯(しょたい)じみた顔を、帳場へ曝(さら)してるだろう。聟(むこ)とは折合(おりあい)がいいか知らん。燕(つばくろ)は年々帰って来て、泥(どろ)を啣(ふく)んだ嘴(くちばし)を、いそがしげに働かしているか知らん。燕と酒の香(か)とはどうしても想像から切り離せない。 三本の松はいまだに好(い)い恰好(かっこう)で残っているかしらん。鉄灯籠はもう壊れたに相違ない。春の草は、昔(むか)し、しゃがんだ人を覚えているだろうか。その時ですら、口もきかずに過ぎたものを、今に見知ろうはずがない。御倉(おくら)さんの旅の衣は鈴懸のと云う、日(ひ)ごとの声もよも聞き覚えがあるとは云うまい。 三味(しゃみ)の音(ね)が思わぬパノラマを余の眼前(がんぜん)に展開するにつけ、余は床(ゆか)しい過去の面(ま)のあたりに立って、二十年の昔に住む、頑是(がんぜ)なき小僧と、成り済ましたとき、突然風呂場の戸がさらりと開(あ)いた。 誰か来たなと、身を浮かしたまま、視線だけを入口に注(そそ)ぐ。湯槽(ゆぶね)の縁(ふち)の最も入口から、隔(へだ)たりたるに頭を乗せているから、槽(ふね)に下(くだ)る段々は、間(あいだ)二丈を隔てて斜(なな)めに余が眼に入る。しかし見上げたる余の瞳にはまだ何物も映らぬ。しばらくは軒を遶(めぐ)る雨垂(あまだれ)の音のみが聞える。三味線はいつの間(ま)にかやんでいた。 やがて階段の上に何物かあらわれた。広い風呂場を照(てら)すものは、ただ一つの小さき釣(つ)り洋灯(ランプ)のみであるから、この隔りでは澄切った空気を控(ひか)えてさえ、確(しか)と物色(ぶっしょく)はむずかしい。まして立ち上がる湯気の、濃(こまや)かなる雨に抑(おさ)えられて、逃場(にげば)を失いたる今宵(こよい)の風呂に、立つを誰とはもとより定めにくい。一段を下り、二段を踏んで、まともに、照らす灯影(ほかげ)を浴びたる時でなくては、男とも女とも声は掛けられぬ。 黒いものが一歩を下へ移した。踏む石は天鵞(びろうど)のごとく柔(やわら)かと見えて、足音を証(しょう)にこれを律(りっ)すれば、動かぬと評しても差支(さしつかえ)ない。が輪廓は少しく浮き上がる。余は画工だけあって人体の骨格については、存外(ぞんがい)視覚が鋭敏である。何とも知れぬものの一段動いた時、余は女と二人、この風呂場の中に在(あ)る事を覚(さと)った。 注意をしたものか、せぬものかと、浮きながら考える間に、女の影は遺憾(いかん)なく、余が前に、早くもあらわれた。漲(みな)ぎり渡る湯煙りの、やわらかな光線を一分子(ぶんし)ごとに含んで、薄紅(うすくれない)の暖かに見える奥に、漾(ただよ)わす黒髪を雲とながして、あらん限りの背丈(せたけ)を、すらりと伸(の)した女の姿を見た時は、礼儀の、作法(さほう)の、風紀(ふうき)のと云う感じはことごとく、わが脳裏(のうり)を去って、ただひたすらに、うつくしい画題を見出し得たとのみ思った。 古代希臘(ギリシャ)の彫刻はいざ知らず、今世仏国(きんせいふっこく)の画家が命と頼む裸体画を見るたびに、あまりに露骨(あからさま)な肉の美を、極端まで描がき尽そうとする痕迹(こんせき)が、ありありと見えるので、どことなく気韻(きいん)に乏(とぼ)しい心持が、今までわれを苦しめてならなかった。しかしその折々はただどことなく下品だと評するまでで、なぜ下品であるかが、解らぬ故(ゆえ)、吾知らず、答えを得るに煩悶(はんもん)して今日(こんにち)に至ったのだろう。肉を蔽(おお)えば、うつくしきものが隠れる。かくさねば卑(いや)しくなる。今の世の裸体画と云うはただかくさぬと云う卑しさに、技巧を留(とど)めておらぬ。衣(ころも)を奪いたる姿を、そのままに写すだけにては、物足らぬと見えて、飽(あ)くまでも裸体(はだか)を、衣冠の世に押し出そうとする。服をつけたるが、人間の常態なるを忘れて、赤裸にすべての権能を附与せんと試みる。十分(じゅうぶん)で事足るべきを、十二分(じゅうにぶん)にも、十五分(じゅうごぶん)にも、どこまでも進んで、ひたすらに、裸体であるぞと云う感じを強く描出(びょうしゅつ)しようとする。技巧がこの極端に達したる時、人はその観者(かんじゃ)を強(し)うるを陋(ろう)とする。うつくしきものを、いやが上に、うつくしくせんと焦(あ)せるとき、うつくしきものはかえってその度(ど)を減ずるが例である。人事についても満は損を招くとの諺(ことわざ)はこれがためである。 放心(ほうしん)と無邪気とは余裕を示す。余裕は画(え)において、詩において、もしくは文章において、必須(ひっすう)の条件である。今代芸術(きんだいげいじゅつ)の一大弊竇(へいとう)は、いわゆる文明の潮流が、いたずらに芸術の士を駆って、拘々(くく)として随処に齷齪(あくそく)たらしむるにある。裸体画はその好例であろう。都会に芸妓(げいぎ)と云うものがある。色を売りて、人に媚(こ)びるを商売にしている。彼らは嫖客(ひょうかく)に対する時、わが容姿のいかに相手の瞳子(ひとみ)に映ずるかを顧慮(こりょ)するのほか、何らの表情をも発揮(はっき)し得ぬ。年々に見るサロンの目録はこの芸妓に似たる裸体美人を以て充満している。彼らは一秒時も、わが裸体なるを忘るる能(あた)わざるのみならず、全身の筋肉をむずつかして、わが裸体なるを観者に示さんと力(つと)めている。 今余が面前に娉(ひょうてい)と現われたる姿には、一塵もこの俗埃(ぞくあい)の眼に遮(さえ)ぎるものを帯びておらぬ。常の人の纏(まと)える衣装(いしょう)を脱ぎ捨てたる様(さま)と云えばすでに人界(にんがい)に堕在(だざい)する。始めより着るべき服も、振るべき袖も、あるものと知らざる神代(かみよ)の姿を雲のなかに呼び起したるがごとく自然である。 室を埋(うず)むる湯煙は、埋めつくしたる後(あと)から、絶えず湧(わ)き上がる。春の夜(よ)の灯(ひ)を半透明に崩(くず)し拡げて、部屋一面の虹霓(にじ)の世界が濃(こまや)かに揺れるなかに、朦朧(もうろう)と、黒きかとも思わるるほどの髪を暈(ぼか)して、真白な姿が雲の底から次第に浮き上がって来る。その輪廓(りんかく)を見よ。 頸筋(くびすじ)を軽(かろ)く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本の指と分(わか)れるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、また滑(なめ)らかに盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。張る勢(いきおい)を後(うし)ろへ抜いて、勢の尽くるあたりから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に傾(かたむ)く。逆(ぎゃく)に受くる膝頭(ひざがしら)のこのたびは、立て直して、長きうねりの踵(かかと)につく頃、平(ひら)たき足が、すべての葛藤(かっとう)を、二枚の蹠(あしのうら)に安々と始末する。世の中にこれほど錯雑(さくざつ)した配合はない、これほど統一のある配合もない。これほど自然で、これほど柔(やわ)らかで、これほど抵抗の少い、これほど苦にならぬ輪廓は決して見出せぬ。 しかもこの姿は普通の裸体のごとく露骨に、余が眼の前に突きつけられてはおらぬ。すべてのものを幽玄に化する一種の霊氛(れいふん)のなかに髣髴(ほうふつ)として、十分(じゅうぶん)の美を奥床(おくゆか)しくもほのめかしているに過ぎぬ。片鱗(へんりん)を溌墨淋漓(はつぼくりんり)の間(あいだ)に点じて、竜(きゅうりょう)の怪(かい)を、楮毫(ちょごう)のほかに想像せしむるがごとく、芸術的に観じて申し分のない、空気と、あたたかみと、冥(めいばく)なる調子とを具(そな)えている。六々三十六鱗(りん)を丁寧に描きたる竜(りゅう)の、滑稽(こっけい)に落つるが事実ならば、赤裸々(せきらら)の肉を浄洒々(じょうしゃしゃ)に眺めぬうちに神往の余韻(よいん)はある。余はこの輪廓の眼に落ちた時、桂(かつら)の都(みやこ)を逃れた月界(げっかい)の嫦娥(じょうが)が、彩虹(にじ)の追手(おって)に取り囲まれて、しばらく躊躇(ちゅうちょ)する姿と眺(なが)めた。 輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出せば、せっかくの嫦娥(じょうが)が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那(せつな)に、緑の髪は、波を切る霊亀(れいき)の尾のごとくに風を起して、莽(ぼう)と靡(なび)いた。渦捲(うずま)く煙りを劈(つんざ)いて、白い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を次第に向(むこう)へ遠退(とおの)く。余はがぶりと湯を呑(の)んだまま槽(ふね)の中に突立(つった)つ。驚いた波が、胸へあたる。縁(ふち)を越す湯泉(ゆ)の音がさあさあと鳴る。 八 御茶の御馳走(ごちそう)になる。相客(あいきゃく)は僧一人、観海寺(かんかいじ)の和尚(おしょう)で名は大徹(だいてつ)と云うそうだ。俗(ぞく)一人、二十四五の若い男である。 老人の部屋は、余が室(しつ)の廊下を右へ突き当って、左へ折れた行(い)き留(どま)りにある。大(おおき)さは六畳もあろう。大きな紫檀(したん)の机を真中に据(す)えてあるから、思ったより狭苦しい。それへと云う席を見ると、布団(ふとん)の代りに花毯(かたん)が敷いてある。無論支那製だろう。真中を六角に仕切(しき)って、妙な家と、妙な柳が織り出してある。周囲(まわり)は鉄色に近い藍(あい)で、四隅(よすみ)に唐草(からくさ)の模様を飾った茶の輪(わ)を染め抜いてある。支那ではこれを座敷に用いたものか疑わしいが、こうやって布団に代用して見るとすこぶる面白い。印度(インド)の更紗(さらさ)とか、ペルシャの壁掛(かべかけ)とか号するものが、ちょっと間(ま)が抜けているところに価値があるごとく、この花毯もこせつかないところに趣(おもむき)がある。花毯ばかりではない、すべて支那の器具は皆抜けている。どうしても馬鹿で気の長い人種の発明したものとほか取れない。見ているうちに、ぼおっとするところが尊(とう)とい。日本は巾着切(きんちゃくき)りの態度で美術品を作る。西洋は大きくて細(こま)かくて、そうしてどこまでも娑婆気(しゃばっけ)がとれない。まずこう考えながら席に着く。若い男は余とならんで、花毯の半(なかば)を占領した。 和尚は虎の皮の上へ坐った。虎の皮の尻尾が余の膝(ひざ)の傍を通り越して、頭は老人の臀(しり)の下に敷かれている。老人は頭の毛をことごとく抜いて、頬と顎(あご)へ移植したように、白い髯(ひげ)をむしゃむしゃと生(は)やして、茶托(ちゃたく)へ載(の)せた茶碗を丁寧に机の上へならべる。「今日(きょう)は久し振りで、うちへ御客が見えたから、御茶を上げようと思って、……」と坊さんの方を向くと、「いや、御使(おつかい)をありがとう。わしも、だいぶ御無沙汰(ごぶさた)をしたから、今日ぐらい来て見ようかと思っとったところじゃ」と云う。この僧は六十近い、丸顔の、達磨(だるま)を草書(そうしょ)に崩(くず)したような容貌(ようぼう)を有している。老人とは平常(ふだん)からの昵懇(じっこん)と見える。「この方(かた)が御客さんかな」 老人は首肯(うなずき)ながら、朱泥(しゅでい)の急須(きゅうす)から、緑を含む琥珀色(こはくいろ)の玉液(ぎょくえき)を、二三滴ずつ、茶碗の底へしたたらす。清い香(かお)りがかすかに鼻を襲(おそ)う気分がした。「こんな田舎(いなか)に一人(ひとり)では御淋(おさみ)しかろ」と和尚(おしょう)はすぐ余に話しかけた。「はああ」となんともかとも要領を得ぬ返事をする。淋(さび)しいと云えば、偽(いつわ)りである。淋しからずと云えば、長い説明が入る。「なんの、和尚さん。このかたは画(え)を書かれるために来られたのじゃから、御忙(おいそ)がしいくらいじゃ」「おお左様(さよう)か、それは結構だ。やはり南宗派(なんそうは)かな」「いいえ」と今度は答えた。西洋画だなどと云っても、この和尚にはわかるまい。「いや、例の西洋画じゃ」と老人は、主人役に、また半分引き受けてくれる。「ははあ、洋画か。すると、あの久一(きゅういち)さんのやられるようなものかな。あれは、わしこの間始めて見たが、随分奇麗にかけたのう」「いえ、詰らんものです」と若い男がこの時ようやく口を開いた。「御前何ぞ和尚さんに見ていただいたか」と老人が若い男に聞く。言葉から云うても、様子から云うても、どうも親類らしい。「なあに、見ていただいたんじゃないですが、鏡(かがみ)が池(いけ)で写生しているところを和尚さんに見つかったのです」「ふん、そうか――さあ御茶が注(つ)げたから、一杯」と老人は茶碗を各自(めいめい)の前に置く。茶の量は三四滴に過ぎぬが、茶碗はすこぶる大きい。生壁色(なまかべいろ)の地へ、焦(こ)げた丹(たん)と、薄い黄(き)で、絵だか、模様だか、鬼の面の模様になりかかったところか、ちょっと見当のつかないものが、べたに描(か)いてある。「杢兵衛(もくべえ)です」と老人が簡単に説明した。「これは面白い」と余も簡単に賞(ほ)めた。「杢兵衛はどうも偽物(にせもの)が多くて、――その糸底(いとぞこ)を見て御覧なさい。銘(めい)があるから」と云う。 取り上げて、障子(しょうじ)の方へ向けて見る。障子には植木鉢の葉蘭(はらん)の影が暖かそうに写っている。首を曲(ま)げて、覗(のぞ)き込むと、杢(もく)の字が小さく見える。銘は観賞の上において、さのみ大切のものとは思わないが、好事者(こうずしゃ)はよほどこれが気にかかるそうだ。茶碗を下へ置かないで、そのまま口へつけた。濃く甘(あま)く、湯加減(ゆかげん)に出た、重い露を、舌の先へ一しずくずつ落して味(あじわ)って見るのは閑人適意(かんじんてきい)の韻事(いんじ)である。普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。舌頭(ぜっとう)へぽたりと載(の)せて、清いものが四方へ散れば咽喉(のど)へ下(くだ)るべき液はほとんどない。ただ馥郁(ふくいく)たる匂(におい)が食道から胃のなかへ沁(し)み渡るのみである。歯を用いるは卑(いや)しい。水はあまりに軽い。玉露(ぎょくろ)に至っては濃(こまや)かなる事、淡水(たんすい)の境(きょう)を脱して、顎(あご)を疲らすほどの硬(かた)さを知らず。結構な飲料である。眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。 老人はいつの間にやら、青玉(せいぎょく)の菓子皿を出した。大きな塊(かたまり)を、かくまで薄く、かくまで規則正しく、刳(く)りぬいた匠人(しょうじん)の手際(てぎわ)は驚ろくべきものと思う。すかして見ると春の日影は一面に射(さ)し込んで、射し込んだまま、逃(の)がれ出(い)ずる路(みち)を失ったような感じである。中には何も盛らぬがいい。「御客さんが、青磁(せいじ)を賞(ほ)められたから、今日はちとばかり見せようと思うて、出して置きました」「どの青磁を――うん、あの菓子鉢かな。あれは、わしも好(すき)じゃ。時にあなた、西洋画では襖(ふすま)などはかけんものかな。かけるなら一つ頼みたいがな」 かいてくれなら、かかぬ事もないが、この和尚(おしょう)の気に入(い)るか入らぬかわからない。せっかく骨を折って、西洋画は駄目だなどと云われては、骨の折栄(おりばえ)がない。「襖には向かないでしょう」「向かんかな。そうさな、この間(あいだ)の久一さんの画(え)のようじゃ、少し派手(はで)過ぎるかも知れん」「私のは駄目です。あれはまるでいたずらです」と若い男はしきりに、恥(はず)かしがって謙遜(けんそん)する。「その何とか云う池はどこにあるんですか」と余は若い男に念のため尋ねて置く。「ちょっと観海寺の裏の谷の所で、幽邃(ゆうすい)な所です。――なあに学校にいる時分、習ったから、退屈まぎれに、やって見ただけです」「観海寺と云うと……」「観海寺と云うと、わしのいる所じゃ。いい所じゃ、海を一目(ひとめ)に見下(みおろ)しての――まあ逗留(とうりゅう)中にちょっと来て御覧。なに、ここからはつい五六丁よ。あの廊下から、そら、寺の石段が見えるじゃろうが」「いつか御邪魔に上(あが)ってもいいですか」「ああいいとも、いつでもいる。ここの御嬢さんも、よう、来られる。――御嬢さんと云えば今日は御那美(おなみ)さんが見えんようだが――どうかされたかな、隠居さん」「どこぞへ出ましたかな、久一(きゅういち)、御前の方へ行きはせんかな」「いいや、見えません」「また独(ひと)り散歩かな、ハハハハ。御那美さんはなかなか足が強い。この間(あいだ)法用で礪並(となみ)まで行ったら、姿見橋(すがたみばし)の所で――どうも、善く似とると思ったら、御那美さんよ。尻を端折(はしょ)って、草履(ぞうり)を穿(は)いて、和尚(おしょう)さん、何をぐずぐず、どこへ行きなさると、いきなり、驚ろかされたて、ハハハハ。御前はそんな形姿(なり)で地体(じたい)どこへ、行ったのぞいと聴くと、今芹摘(せりつ)みに行った戻りじゃ、和尚さん少しやろうかと云うて、いきなりわしの袂(たもと)へ泥(どろ)だらけの芹を押し込んで、ハハハハハ」「どうも、……」と老人は苦笑(にがわら)いをしたが、急に立って「実はこれを御覧に入れるつもりで」と話をまた道具の方へそらした。 老人が紫檀(したん)の書架から、恭(うやうや)しく取り下(おろ)した紋緞子(もんどんす)の古い袋は、何だか重そうなものである。「和尚さん、あなたには、御目に懸(か)けた事があったかな」「なんじゃ、一体」「硯(すずり)よ」「へえ、どんな硯かい」「山陽(さんよう)の愛蔵したと云う……」「いいえ、そりゃまだ見ん」「春水(しゅんすい)の替え蓋(ぶた)がついて……」「そりゃ、まだのようだ。どれどれ」 老人は大事そうに緞子の袋の口を解くと、小豆色(あずきいろ)の四角な石が、ちらりと角(かど)を見せる。「いい色合(いろあい)じゃのう。端渓(たんけい)かい」「端渓で眼(くよくがん)が九(ここの)つある」「九つ?」と和尚大(おおい)に感じた様子である。「これが春水の替え蓋」と老人は綸子(りんず)で張った薄い蓋を見せる。上に春水の字で七言絶句(しちごんぜっく)が書いてある。「なるほど。春水はようかく。ようかくが、書(しょ)は杏坪(きょうへい)の方が上手(じょうず)じゃて」「やはり杏坪の方がいいかな」「山陽(さんよう)が一番まずいようだ。どうも才子肌(さいしはだ)で俗気(ぞくき)があって、いっこう面白うない」「ハハハハ。和尚(おしょう)さんは、山陽が嫌(きら)いだから、今日は山陽の幅(ふく)を懸け替(か)えて置いた」「ほんに」と和尚さんは後(うし)ろを振り向く。床(とこ)は平床(ひらどこ)を鏡のようにふき込んで、気(さびけ)を吹いた古銅瓶(こどうへい)には、木蘭(もくらん)を二尺の高さに、活(い)けてある。軸(じく)は底光りのある古錦襴(こきんらん)に、装幀(そうてい)の工夫(くふう)を籠(こ)めた物徂徠(ぶっそらい)の大幅(たいふく)である。絹地ではないが、多少の時代がついているから、字の巧拙に論なく、紙の色が周囲のきれ地とよく調和して見える。あの錦襴も織りたては、あれほどのゆかしさも無かったろうに、彩色(さいしき)が褪(あ)せて、金糸(きんし)が沈んで、華麗(はで)なところが滅(め)り込んで、渋いところがせり出して、あんないい調子になったのだと思う。焦茶(こげちゃ)の砂壁(すなかべ)に、白い象牙(ぞうげ)の軸(じく)が際立(きわだ)って、両方に突張っている、手前に例の木蘭がふわりと浮き出されているほかは、床(とこ)全体の趣(おもむき)は落ちつき過ぎてむしろ陰気である。「徂徠(そらい)かな」と和尚(おしょう)が、首を向けたまま云う。「徂徠もあまり、御好きでないかも知れんが、山陽よりは善かろうと思うて」「それは徂徠の方が遥(はる)かにいい。享保(きょうほ)頃の学者の字はまずくても、どこぞに品(ひん)がある」「広沢(こうたく)をして日本の能書(のうしょ)ならしめば、われはすなわち漢人の拙(せつ)なるものと云うたのは、徂徠だったかな、和尚さん」「わしは知らん。そう威張(いば)るほどの字でもないて、ワハハハハ」「時に和尚さんは、誰を習われたのかな」「わしか。禅坊主(ぜんぼうず)は本も読まず、手習(てならい)もせんから、のう」「しかし、誰ぞ習われたろう」「若い時に高泉(こうせん)の字を、少し稽古(けいこ)した事がある。それぎりじゃ。それでも人に頼まれればいつでも、書きます。ワハハハハ。時にその端渓(たんけい)を一つ御見せ」と和尚が催促する。 とうとう緞子(どんす)の袋を取り除(の)ける。一座の視線はことごとく硯(すずり)の上に落ちる。厚さはほとんど二寸に近いから、通例のものの倍はあろう。四寸に六寸の幅も長さもまず並(なみ)と云ってよろしい。蓋(ふた)には、鱗(うろこ)のかたに研(みが)きをかけた松の皮をそのまま用いて、上には朱漆(しゅうるし)で、わからぬ書体が二字ばかり書いてある。「この蓋が」と老人が云う。「この蓋が、ただの蓋ではないので、御覧の通り、松の皮には相違ないが……」 老人の眼は余の方を見ている。しかし松の皮の蓋にいかなる因縁(いんねん)があろうと、画工として余はあまり感服は出来んから、「松の蓋は少し俗ですな」と云った。老人はまあと云わぬばかりに手を挙(あ)げて、「ただ松の蓋と云うばかりでは、俗でもあるが、これはその何ですよ。山陽(さんよう)が広島におった時に庭に生えていた松の皮を剥(は)いで山陽が手ずから製したのですよ」 なるほど山陽(さんよう)は俗な男だと思ったから、「どうせ、自分で作るなら、もっと不器用に作れそうなものですな。わざとこの鱗(うろこ)のかたなどをぴかぴか研(と)ぎ出さなくっても、よさそうに思われますが」と遠慮のないところを云って退(の)けた。「ワハハハハ。そうよ、この蓋(ふた)はあまり安っぽいようだな」と和尚(おしょう)はたちまち余に賛成した。 若い男は気の毒そうに、老人の顔を見る。老人は少々不機嫌の体(てい)に蓋を払いのけた。下からいよいよ硯(すずり)が正体(しょうたい)をあらわす。 もしこの硯について人の眼を峙(そばだ)つべき特異の点があるとすれば、その表面にあらわれたる匠人(しょうじん)の刻(こく)である。真中(まんなか)に袂時計(たもとどけい)ほどな丸い肉が、縁(ふち)とすれすれの高さに彫(ほ)り残されて、これを蜘蛛(くも)の背(せ)に象(かた)どる。中央から四方に向って、八本の足が彎曲(わんきょく)して走ると見れば、先には各(おのおの)眼(くよくがん)を抱(かか)えている。残る一個は背の真中に、黄(き)な汁(しる)をしたたらしたごとく煮染(にじ)んで見える。背と足と縁を残して余る部分はほとんど一寸余の深さに掘り下げてある。墨を湛(たた)える所は、よもやこの塹壕(ざんごう)の底ではあるまい。たとい一合の水を注ぐともこの深さを充(み)たすには足らぬ。思うに水盂(すいう)の中(うち)から、一滴の水を銀杓(ぎんしゃく)にて、蜘蛛(くも)の背に落したるを、貴(とうと)き墨に磨(す)り去るのだろう。それでなければ、名は硯でも、その実は純然たる文房用(ぶんぼうよう)の装飾品に過ぎぬ。 老人は涎(よだれ)の出そうな口をして云う。「この肌合(はだあい)と、この眼(がん)を見て下さい」 なるほど見れば見るほどいい色だ。寒く潤沢(じゅんたく)を帯びたる肌の上に、はっと、一息懸(ひといきか)けたなら、直(ただ)ちに凝(こ)って、一朶(いちだ)の雲を起すだろうと思われる。ことに驚くべきは眼の色である。眼の色と云わんより、眼と地の相交(あいまじ)わる所が、次第に色を取り替えて、いつ取り替えたか、ほとんど吾眼(わがめ)の欺(あざむ)かれたるを見出し得ぬ事である。形容して見ると紫色の蒸羊羹(むしようかん)の奥に、隠元豆(いんげんまめ)を、透(す)いて見えるほどの深さに嵌(は)め込んだようなものである。眼と云えば一個二個でも大変に珍重される。九個と云ったら、ほとんど類(るい)はあるまい。しかもその九個が整然と同距離に按排(あんばい)されて、あたかも人造のねりものと見違えらるるに至ってはもとより天下の逸品(いっぴん)をもって許さざるを得ない。「なるほど結構です。観(み)て心持がいいばかりじゃありません。こうして触(さわ)っても愉快です」と云いながら、余は隣りの若い男に硯を渡した。「久一(きゅういち)に、そんなものが解るかい」と老人が笑いながら聞いて見る。久一君は、少々自棄(やけ)の気味で、「分りゃしません」と打ち遣(や)ったように云い放ったが、わからん硯を、自分の前へ置いて、眺(なが)めていては、もったいないと気がついたものか、また取り上げて、余に返した。余はもう一遍(ぺん)丁寧に撫(な)で廻わした後(のち)、とうとうこれを恭(うやうや)しく禅師(ぜんじ)に返却した。禅師はとくと掌(て)の上で見済ました末、それでは飽(あ)き足らぬと考えたと見えて、鼠木綿(ねずみもめん)の着物の袖(そで)を容赦なく蜘蛛(くも)の背へこすりつけて、光沢(つや)の出た所をしきりに賞翫(しょうがん)している。「隠居さん、どうもこの色が実に善(よ)いな。使うた事があるかの」「いいや、滅多(めった)には使いとう、ないから、まだ買うたなりじゃ」「そうじゃろ。こないなのは支那(しな)でも珍らしかろうな、隠居さん」「左様(さよう)」「わしも一つ欲しいものじゃ。何なら久一さんに頼もうか。どうかな、買うて来ておくれかな」「へへへへ。硯(すずり)を見つけないうちに、死んでしまいそうです」「本当に硯どころではないな。時にいつ御立ちか」「二三日(にさんち)うちに立ちます」「隠居さん。吉田まで送って御やり」「普段なら、年は取っとるし、まあ見合(みあわ)すところじゃが、ことによると、もう逢(あ)えんかも、知れんから、送ってやろうと思うております」「御伯父(おじ)さんは送ってくれんでもいいです」 若い男はこの老人の甥(おい)と見える。なるほどどこか似ている。「なあに、送って貰うがいい。川船(かわふね)で行けば訳はない。なあ隠居さん」「はい、山越(やまごし)では難義だが、廻り路でも船なら……」 若い男は今度は別に辞退もしない。ただ黙っている。「支那の方へおいでですか」と余はちょっと聞いて見た。「ええ」 ええの二字では少し物足らなかったが、その上掘って聞く必要もないから控(ひか)えた。障子(しょうじ)を見ると、蘭(らん)の影が少し位置を変えている。「なあに、あなた。やはり今度の戦争で――これがもと志願兵をやったものだから、それで召集されたので」 老人は当人に代って、満洲の野(や)に日ならず出征すべきこの青年の運命を余に語(つ)げた。この夢のような詩のような春の里に、啼(な)くは鳥、落つるは花、湧(わ)くは温泉(いでゆ)のみと思い詰(つ)めていたのは間違である。現実世界は山を越え、海を越えて、平家(へいけ)の後裔(こうえい)のみ住み古るしたる孤村にまで逼(せま)る。朔北(さくほく)の曠野(こうや)を染むる血潮の何万分の一かは、この青年の動脈から迸(ほとばし)る時が来るかも知れない。この青年の腰に吊(つ)る長き剣(つるぎ)の先から煙りとなって吹くかも知れない。しかしてその青年は、夢みる事よりほかに、何らの価値を、人生に認め得ざる一画工の隣りに坐っている。耳をそばだつれば彼が胸に打つ心臓の鼓動さえ聞き得るほど近くに坐っている。その鼓動のうちには、百里の平野を捲(ま)く高き潮(うしお)が今すでに響いているかも知れぬ。運命は卒然(そつぜん)としてこの二人を一堂のうちに会したるのみにて、その他には何事をも語らぬ。 九「御勉強ですか」と女が云う。部屋に帰った余は、三脚几(さんきゃくき)に縛(しば)りつけた、書物の一冊を抽(ぬ)いて読んでいた。「御這入(おはい)りなさい。ちっとも構いません」 女は遠慮する景色(けしき)もなく、つかつかと這入る。くすんだ半襟(はんえり)の中から、恰好(かっこう)のいい頸(くび)の色が、あざやかに、抽(ぬ)き出ている。女が余の前に坐った時、この頸とこの半襟の対照が第一番に眼についた。「西洋の本ですか、むずかしい事が書いてあるでしょうね」「なあに」「じゃ何が書いてあるんです」「そうですね。実はわたしにも、よく分らないんです」「ホホホホ。それで御勉強なの」「勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう開(あ)けて、開いた所をいい加減に読んでるんです」「それで面白いんですか」「それが面白いんです」「なぜ?」「なぜって、小説なんか、そうして読む方が面白いです」「よっぽど変っていらっしゃるのね」「ええ、ちっと変ってます」「初から読んじゃ、どうして悪るいでしょう」「初から読まなけりゃならないとすると、しまいまで読まなけりゃならない訳になりましょう」「妙な理窟(りくつ)だ事。しまいまで読んだっていいじゃありませんか」「無論わるくは、ありませんよ。筋を読む気なら、わたしだって、そうします」「筋を読まなけりゃ何を読むんです。筋のほかに何か読むものがありますか」 余は、やはり女だなと思った。多少試験してやる気になる。「あなたは小説が好きですか」「私が?」と句を切った女は、あとから「そうですねえ」と判然(はっきり)しない返事をした。あまり好きでもなさそうだ。「好きだか、嫌(きらい)だか自分にも解らないんじゃないですか」「小説なんか読んだって、読まなくったって……」と眼中にはまるで小説の存在を認めていない。「それじゃ、初から読んだって、しまいから読んだって、いい加減な所をいい加減に読んだって、いい訳じゃありませんか。あなたのようにそう不思議がらないでもいいでしょう」「だって、あなたと私とは違いますもの」「どこが?」と余は女の眼の中(うち)を見詰めた。試験をするのはここだと思ったが、女の眸(ひとみ)は少しも動かない。「ホホホホ解りませんか」「しかし若いうちは随分御読みなすったろう」余は一本道で押し合うのをやめにして、ちょっと裏へ廻った。「今でも若いつもりですよ。可哀想(かわいそう)に」放した鷹(たか)はまたそれかかる。すこしも油断がならん。「そんな事が男の前で云えれば、もう年寄のうちですよ」と、やっと引き戻した。「そう云うあなたも随分の御年じゃあ、ありませんか。そんなに年をとっても、やっぱり、惚(ほ)れたの、腫(は)れたの、にきびが出来たのってえ事が面白いんですか」「ええ、面白いんです、死ぬまで面白いんです」「おやそう。それだから画工(えかき)なんぞになれるんですね」「全くです。画工だから、小説なんか初からしまいまで読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。ここへ逗留(とうりゅう)しているうちは毎日話をしたいくらいです。何ならあなたに惚れ込んでもいい。そうなるとなお面白い。しかしいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初からしまいまで読む必要があるんです」「すると不人情(ふにんじょう)な惚れ方をするのが画工なんですね」「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤(おみくじ)を引くように、ぱっと開(あ)けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」「なるほど面白そうね。じゃ、今あなたが読んでいらっしゃる所を、少し話してちょうだい。どんな面白い事が出てくるか伺いたいから」「話しちゃ駄目です。画(え)だって話にしちゃ一文の価値(ねうち)もなくなるじゃありませんか」「ホホホそれじゃ読んで下さい」「英語でですか」「いいえ日本語で」「英語を日本語で読むのはつらいな」「いいじゃありませんか、非人情で」 これも一興(いっきょう)だろうと思ったから、余は女の乞(こい)に応じて、例の書物をぽつりぽつりと日本語で読み出した。もし世界に非人情な読み方があるとすればまさにこれである。聴(き)く女ももとより非人情で聴いている。「情(なさ)けの風が女から吹く。声から、眼から、肌(はだえ)から吹く。男に扶(たす)けられて舳(とも)に行く女は、夕暮のヴェニスを眺(なが)むるためか、扶くる男はわが脈(みゃく)に稲妻(いなずま)の血を走らすためか。――非人情だから、いい加減ですよ。ところどころ脱けるかも知れません」「よござんすとも。御都合次第で、御足(おた)しなすっても構いません」「女は男とならんで舷(ふなばた)に倚(よ)る。二人の隔(へだた)りは、風に吹かるるリボンの幅よりも狭い。女は男と共にヴェニスに去らばと云う。ヴェニスなるドウジの殿楼(でんろう)は今第二の日没のごとく、薄赤く消えて行く。……」「ドージとは何です」「何だって構やしません。昔(むか)しヴェニスを支配した人間の名ですよ。何代つづいたものですかね。その御殿が今でもヴェニスに残ってるんです」「それでその男と女と云うのは誰の事なんでしょう」「誰だか、わたしにも分らないんだ。それだから面白いのですよ。今までの関係なんかどうでもいいでさあ。ただあなたとわたしのように、こういっしょにいるところなんで、その場限りで面白味があるでしょう」「そんなものですかね。何だか船の中のようですね」「船でも岡でも、かいてある通りでいいんです。なぜと聞き出すと探偵(たんてい)になってしまうです」「ホホホホじゃ聴きますまい」「普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情なところがないから、ちっとも趣(おもむき)がない」「じゃ非人情の続きを伺いましょう。それから?」「ヴェニスは沈みつつ、沈みつつ、ただ空に引く一抹(いちまつ)の淡き線となる。線は切れる。切れて点となる。蛋白石(とんぼだま)の空のなかに円(まる)き柱が、ここ、かしこと立つ。ついには最も高く聳(そび)えたる鐘楼(しゅろう)が沈む。沈んだと女が云う。ヴェニスを去る女の心は空行く風のごとく自由である。されど隠れたるヴェニスは、再び帰らねばならぬ女の心に覊絏(きせつ)の苦しみを与う。男と女は暗き湾の方(かた)に眼を注ぐ。星は次第に増す。柔らかに揺(ゆら)ぐ海は泡(あわ)を濺(そそ)がず。男は女の手を把(と)る。鳴りやまぬ弦(ゆづる)を握った心地(ここち)である。……」「あんまり非人情でもないようですね」「なにこれが非人情的に聞けるのですよ。しかし厭(いや)なら少々略しましょうか」「なに私は大丈夫ですよ」「わたしは、あなたよりなお大丈夫です。――それからと、ええと、少しく六(む)ずかしくなって来たな。どうも訳し――いや読みにくい」「読みにくければ、御略(おりゃく)しなさい」「ええ、いい加減にやりましょう。――この一夜(ひとよ)と女が云う。一夜? と男がきく。一と限るはつれなし、幾夜(いくよ)を重ねてこそと云う」「女が云うんですか、男が云うんですか」「男が云うんですよ。何でも女がヴェニスへ帰りたくないのでしょう。それで男が慰める語(ことば)なんです。――真夜中の甲板(かんぱん)に帆綱を枕にして横(よこた)わりたる、男の記憶には、かの瞬時、熱き一滴の血に似たる瞬時、女の手を確(しか)と把(と)りたる瞬時が大濤(おおなみ)のごとくに揺れる。男は黒き夜を見上げながら、強(し)いられたる結婚の淵(ふち)より、是非に女を救い出さんと思い定めた。かく思い定めて男は眼を閉(と)ずる。――」「女は?」「女は路に迷いながら、いずこに迷えるかを知らぬ様(さま)である。攫(さら)われて空行く人のごとく、ただ不可思議の千万無量――あとがちょっと読みにくいですよ。どうも句にならない。――ただ不可思議の千万無量――何か動詞はないでしょうか」「動詞なんぞいるものですか、それで沢山です」「え?」 轟(ごう)と音がして山の樹(き)がことごとく鳴る。思わず顔を見合わす途端(とたん)に、机の上の一輪挿(いちりんざし)に活(い)けた、椿(つばき)がふらふらと揺れる。「地震!」と小声で叫んだ女は、膝(ひざ)を崩(くず)して余の机に靠(よ)りかかる。御互(おたがい)の身躯(からだ)がすれすれに動く。キキーと鋭(する)どい羽摶(はばたき)をして一羽の雉子(きじ)が藪(やぶ)の中から飛び出す。「雉子が」と余は窓の外を見て云う。「どこに」と女は崩した、からだを擦寄(すりよ)せる。余の顔と女の顔が触れぬばかりに近づく。細い鼻の穴から出る女の呼吸(いき)が余の髭(ひげ)にさわった。「非人情ですよ」と女はたちまち坐住居(いずまい)を正しながら屹(きっ)と云う。「無論」と言下(ごんか)に余は答えた。 岩の凹(くぼ)みに湛(たた)えた春の水が、驚ろいて、のたりのたりと鈍(ぬる)く揺(うご)いている。地盤の響きに、満泓(まんおう)の波が底から動くのだから、表面が不規則に曲線を描くのみで、砕(くだ)けた部分はどこにもない。円満に動くと云う語があるとすれば、こんな場合に用いられるのだろう。落ちついて影を(ひた)していた山桜が、水と共に、延びたり縮んだり、曲がったり、くねったりする。しかしどう変化してもやはり明らかに桜の姿を保(たも)っているところが非常に面白い。「こいつは愉快だ。奇麗(きれい)で、変化があって。こう云う風に動かなくっちゃ面白くない」「人間もそう云う風にさえ動いていれば、いくら動いても大丈夫ですね」「非人情でなくっちゃ、こうは動けませんよ」「ホホホホ大変非人情が御好きだこと」「あなた、だって嫌(きらい)な方じゃありますまい。昨日(きのう)の振袖(ふりそで)なんか……」と言いかけると、「何か御褒美(ごほうび)をちょうだい」と女は急に甘(あま)えるように云った。「なぜです」「見たいとおっしゃったから、わざわざ、見せて上げたんじゃありませんか」「わたしがですか」「山越(やまごえ)をなさった画(え)の先生が、茶店の婆さんにわざわざ御頼みになったそうで御座います」 余は何と答えてよいやらちょっと挨拶(あいさつ)が出なかった。女はすかさず、「そんな忘れっぽい人に、いくら実(じつ)をつくしても駄目ですわねえ」と嘲(あざ)けるごとく、恨(うら)むがごとく、また真向(まっこう)から切りつけるがごとく二の矢をついだ。だんだん旗色(はたいろ)がわるくなるが、どこで盛り返したものか、いったん機先を制せられると、なかなか隙(すき)を見出しにくい。「じゃ昨夕(ゆうべ)の風呂場も、全く御親切からなんですね」と際(きわ)どいところでようやく立て直す。 女は黙っている。「どうも済みません。御礼に何を上げましょう」と出来るだけ先へ出て置く。いくら出ても何の利目(ききめ)もなかった。女は何喰わぬ顔で大徹和尚(だいてつおしょう)の額を眺(なが)めている。やがて、「竹影(ちくえい)払階(かいをはらって)塵不動(ちりうごかず)」と口のうちで静かに読み了(おわ)って、また余の方へ向き直ったが、急に思い出したように、「何ですって」と、わざと大きな声で聞いた。その手は喰わない。「その坊主にさっき逢(あ)いましたよ」と地震に揺(ゆ)れた池の水のように円満な動き方をして見せる。「観海寺(かんかいじ)の和尚ですか。肥(ふと)ってるでしょう」「西洋画で唐紙(からかみ)をかいてくれって、云いましたよ。禅坊さんなんてものは随分訳(わけ)のわからない事を云いますね」「それだから、あんなに肥れるんでしょう」「それから、もう一人若い人に逢いましたよ。……」「久一(きゅういち)でしょう」「ええ久一君です」「よく御存じです事」「なに久一君だけ知ってるんです。そのほかには何にも知りゃしません。口を聞くのが嫌(きらい)な人ですね」「なに、遠慮しているんです。まだ小供ですから……」「小供って、あなたと同じくらいじゃありませんか」「ホホホホそうですか。あれは私(わたく)しの従弟(いとこ)ですが、今度戦地へ行くので、暇乞(いとまごい)に来たのです」「ここに留(とま)って、いるんですか」「いいえ、兄の家(うち)におります」「じゃ、わざわざ御茶を飲みに来た訳ですね」「御茶より御白湯(おゆ)の方が好(すき)なんですよ。父がよせばいいのに、呼ぶものですから。麻痺(しびれ)が切れて困ったでしょう。私がおれば中途から帰してやったんですが……」「あなたはどこへいらしったんです。和尚(おしょう)が聞いていましたぜ、また一人(ひとり)散歩かって」「ええ鏡の池の方を廻って来ました」「その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが……」「行って御覧なさい」「画(え)にかくに好い所ですか」「身を投げるに好い所です」「身はまだなかなか投げないつもりです」「私は近々(きんきん)投げるかも知れません」 余りに女としては思い切った冗談(じょうだん)だから、余はふと顔を上げた。女は存外たしかである。「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいて下さい」「え?」「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう」 女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を出るとき、顧(かえり)みてにこりと笑った。茫然(ぼうぜん)たる事多時(たじ)。
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私の個人主義(わたしのこじんしゅぎ)私の経過した学生時代(わたしのけいかしたがくせいじだい)『我輩は猫である』中篇自序(『わがはいはねこである』ちゅうへんじじょ)『我輩は猫である』下篇自序(『わがはいはねこである』げへんじじょ)吾輩は猫である(わがはいはねこである)倫敦塔(ロンドンとう)倫敦消息(ロンドンしょうそく)落第(らくだい)