您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 夏目 漱石 >> 正文

草枕(くさまくら)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 8:32:21  点击:  切换到繁體中文


        三

 昨夕ゆうべは妙な気持ちがした。
 宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の具合ぐあい庭の作り方は無論、東西の区別さえわからなかった。何だか廻廊のような所をしきりに引き廻されて、しまいに六畳ほどの小さな座敷へ入れられた。むかし来た時とはまるで見当が違う。晩餐ばんさんを済まして、湯にって、へやへ帰って茶を飲んでいると、小女こおんなが来てとこべよかとう。
 不思議に思ったのは、宿へ着いた時の取次も、晩食ばんめしの給仕も、湯壺ゆつぼへの案内も、床を敷く面倒も、ことごとくこの小女一人で弁じている。それで口は滅多めったにきかぬ。と云うて、田舎染いなかじみてもおらぬ。赤い帯を色気いろけなく結んで、古風な紙燭しそくをつけて、廊下のような、梯子段はしごだんのような所をぐるぐる廻わらされた時、同じ帯の同じ紙燭で、同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度もりて、湯壺へ連れて行かれた時は、すでに自分ながら、カンヴァスの中を往来しているような気がした。
 給仕の時には、近頃は客がないので、ほかの座敷は掃除がしてないから、普段ふだん使っている部屋で我慢してくれと云った。床を延べる時にはゆるりと御休みと人間らしい、言葉を述べて、出て行ったが、その足音が、例の曲りくねった廊下を、次第に下の方へとおざかった時に、あとがひっそりとして、人のがしないのが気になった。
 生れてから、こんな経験はただ一度しかない。昔し房州ぼうしゅう館山たてやまから向うへ突き抜けて、上総かずさから銚子ちょうしまで浜伝いに歩行あるいた事がある。その時ある晩、ある所へ宿とまった。ある所と云うよりほかに言いようがない。今では土地の名も宿の名も、まるで忘れてしまった。第一宿屋へとまったのかが問題である。むねの高い大きな家に女がたった二人いた。余がとめるかと聞いたとき、年を取った方がはいと云って、若い方がこちらへと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた、広いをいくつも通り越して一番奥の、中二階ちゅうにかいへ案内をした。三段登って廊下から部屋へ這入はいろうとすると、板庇いたびさしの下にかたむきかけていた一叢ひとむら修竹しゅうちくが、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭をでたので、すでにひやりとした。椽板えんいたはすでにちかかっている。来年はたけのこが椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうと云ったら、若い女が何にも云わずににやにやと笑って、出て行った。
 その晩は例の竹が、枕元で婆娑ばさついて、寝られない。障子しょうじをあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月明つきあきらかなるに、眼をしらせると、垣もへいもあらばこそ、まともに大きな草山に続いている。草山の向うはすぐ大海原おおうなばらでどどんどどんと大きななみが人の世を威嚇おどかしに来る。余はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに、怪し気な蚊帳かやのうちに辛防しんぼうしながら、まるで草双紙くさぞうしにでもありそうな事だと考えた。
 その旅もいろいろしたが、こんな気持になった事は、今夜この那古井へ宿るまではかつて無かった。
 仰向あおむけに寝ながら、偶然目をけて見ると欄間らんまに、朱塗しゅぬりのふちをとったがくがかかっている。文字もじは寝ながらも竹影ちくえい払階かいをはらって塵不動ちりうごかずと明らかに読まれる。大徹だいてつという落款らっかんもたしかに見える。余は書においては皆無鑒識かいむかんしきのない男だが、平生から、黄檗おうばく高泉和尚こうせんおしょう筆致ひっちを愛している。隠元いんげん即非そくひ木庵もくあんもそれぞれに面白味はあるが、高泉こうせんの字が一番蒼勁そうけいでしかも雅馴がじゅんである。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。しかしげんに大徹とあるからには別人だろう。ことによると黄檗に大徹という坊主がいたかも知れぬ。それにしては紙の色が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れない。
 横を向く。とこにかかっている若冲じゃくちゅうの鶴の図が目につく。これは商売柄しょうばいがらだけに、部屋に這入はいった時、すでに逸品いっぴんと認めた。若冲の図は大抵精緻せいちな彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼きがねなしの一筆ひとふでがきで、一本足ですらりと立った上に、卵形たまごなりの胴がふわっとのっかっている様子は、はなはだ吾意わがいを得て、飄逸ひょういつおもむきは、長いはしのさきまでこもっている。床の隣りは違い棚を略して、普通の戸棚につづく。戸棚の中には何があるか分らない。
 すやすやと寝入る。夢に。
 長良ながら乙女おとめが振袖を着て、青馬あおに乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へのぼって、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿さおを持って、向島むこうじま追懸おっかけて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末ゆくえも知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。
 そこで眼がめた。わきの下から汗が出ている。妙に雅俗混淆がぞくこんこうな夢を見たものだと思った。昔しそう大慧禅師だいえぜんじと云う人は、悟道ののち、何事も意のごとくに出来ん事はないが、ただ夢の中では俗念が出て困ると、長い間これを苦にされたそうだが、なるほどもっともだ。文芸を性命せいめいにするものは今少しうつくしい夢を見なければはばかない。こんな夢では大部分画にも詩にもならんと思いながら、寝返りを打つと、いつの間にか障子しょうじに月がさして、木の枝が二三本ななめに影をひたしている。えるほどの春のだ。
 気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらにまぎれ込んだのかと耳をそばだてる。たしかに誰かうたっている。細くかつ低い声には相違ないが、眠らんとする春の一縷いちるの脈をかすかにたせつつある。不思議な事に、その調子はとにかく、文句をきくと――枕元でやってるのでないから、文句のわかりようはない。――その聞えぬはずのものが、よく聞える。あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと長良ながら乙女おとめの歌を、繰り返し繰り返すように思われる。
 初めのうちはえんに近く聞えた声が、しだいしだいに細く遠退とおのいて行く。突然とやむものには、突然の感はあるが、あわれはうすい。ふっつりと思い切ったる声をきく人の心には、やはりふっつりと思い切ったる感じが起る。これと云う句切りもなく自然じねんほそりて、いつの間にか消えるべき現象には、われもまたびょうを縮め、ふんいて、心細さの細さが細る。死なんとしては、死なんとする病夫びょうふのごとく、消えんとしては、消えんとする灯火とうかのごとく、今やむか、やむかとのみ心を乱すこの歌の奥には、天下の春のうらみをことごとくあつめたる調べがある。
 今まではとこの中に我慢して聞いていたが、聞く声の遠ざかるに連れて、わが耳は、釣り出さるると知りつつも、その声を追いかけたくなる。細くなればなるほど、耳だけになっても、あとをしたって飛んで行きたい気がする。もうどう焦慮あせっても鼓膜こまくこたえはあるまいと思う一刹那いっせつなの前、余はたまらなくなって、われ知らず布団ふとんをすり抜けると共にさらりと障子しょうじけた。途端とたんに自分のひざから下がななめに月の光りを浴びる。寝巻ねまきの上にも木の影が揺れながら落ちた。
 障子をあけた時にはそんな事には気がつかなかった。あの声はと、耳の走る見当を見破ると――向うにいた。花ならば海棠かいどうかと思わるる幹をに、よそよそしくも月の光りを忍んで朦朧もうろうたる影法師かげぼうしがいた。あれかと思う意識さえ、しかとは心にうつらぬ間に、黒いものは花の影を踏みくだいて右へ切れた。わがいる部屋つづきのむねかどが、すらりと動く、せいの高い女姿を、すぐにさえぎってしまう。
 借着かりぎ浴衣ゆかた一枚で、障子へつらまったまま、しばらく茫然ぼうぜんとしていたが、やがて我に帰ると、山里の春はなかなか寒いものと悟った。ともかくもと抜け出でた布団の穴に、再び帰参きさんして考え出した。くくまくらのしたから、袂時計たもとどけいを出して見ると、一時十分過ぎである。再び枕の下へ押し込んで考え出した。よもや化物ばけものではあるまい。化物でなければ人間で、人間とすれば女だ。あるいは此家ここの御嬢さんかも知れない。しかし出帰でがえりの御嬢さんとしては夜なかに山つづきの庭へ出るのがちと不穏当ふおんとうだ。何にしてもなかなか寝られない。枕の下にある時計までがちくちく口をきく。今まで懐中時計の音の気になった事はないが、今夜に限って、さあ考えろ、さあ考えろと催促するごとく、寝るな寝るなと忠告するごとく口をきく。しからん。
 こわいものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。すごい事も、おのれを離れて、ただ単独に凄いのだと思えばになる。失恋が芸術の題目となるのも全くその通りである。失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところやら、同情の宿やどるところやら、うれいのこもるところやら、一歩進めて云えば失恋の苦しみそのもののあふるるところやらを、単に客観的に眼前がんぜんに思い浮べるから文学美術の材料になる。世には有りもせぬ失恋を製造して、みずからいて煩悶はんもんして、愉快をむさぼるものがある。常人じょうにんはこれを評してだと云う、気違だと云う。しかし自から不幸の輪廓をえがいてこのんでそのうち起臥きがするのは、自から烏有うゆうの山水を刻画こくがして壺中こちゅう天地てんちに歓喜すると、その芸術的の立脚地りっきゃくちを得たる点において全く等しいと云わねばならぬ。この点において世上幾多の芸術家は(日常の人としてはいざ知らず)芸術家として常人よりも愚である、気違である。われわれは草鞋旅行わらじたびをするあいだ、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけているが、人に向って曾遊そうゆうを説く時分には、不平らしい様子は少しも見せぬ。面白かった事、愉快であった事は無論、昔の不平をさえ得意に喋々ちょうちょうして、したり顔である。これはあえてみずかあざむくの、人をいつわるのと云う了見りょうけんではない。旅行をする間は常人の心持ちで、曾遊を語るときはすでに詩人の態度にあるから、こんな矛盾が起る。して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角いっかく磨滅まめつして、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。
 このゆえ天然てんねんにあれ、人事にあれ、衆俗しゅうぞく辟易へきえきして近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅りんろうを見、無上むじょう※(「王へん+路」、第3水準1-88-29)ほうろを知る。俗にこれをなづけて美化びかと云う。その実は美化でも何でもない。燦爛さんらんたる彩光さいこうは、炳乎へいことして昔から現象世界に実在している。ただ一翳いちえい眼にって空花乱墜くうげらんついするが故に、俗累ぞくるい覊絏牢きせつろうとしてちがたきが故に、栄辱得喪えいじょくとくそうのわれにせまる事、念々切せつなるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙おうきょが幽霊をえがくまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。
 余が今見た影法師も、ただそれきりの現象とすれば、れが見ても、だれに聞かしてもゆたかに詩趣を帯びている。――孤村こそんの温泉、――春宵しゅんしょう花影かえい、――月前げつぜん低誦ていしょう、――朧夜おぼろよの姿――どれもこれも芸術家の好題目こうだいもくである。この好題目が眼前がんぜんにありながら、余はらざる詮義立せんぎだてをして、余計なぐりを投げ込んでいる。せっかくの雅境に理窟りくつの筋が立って、願ってもない風流を、気味のるさが踏みつけにしてしまった。こんな事なら、非人情も標榜ひょうぼうする価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向って吹聴ふいちょうする資格はつかぬ。昔し以太利亜イタリアの画家サルヴァトル・ロザは泥棒が研究して見たい一心から、おのれの危険をかけにして、山賊のむれ這入はいり込んだと聞いた事がある。飄然ひょうぜんと画帖をふところにして家をでたからには、余にもそのくらいの覚悟がなくては恥ずかしい事だ。
 こんな時にどうすれば詩的な立脚地りっきゃくちに帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前にえつけて、その感じから一歩退しりぞいて有体ありていに落ちついて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の屍骸しがいを、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番手近てぢかなのはなんでもでも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、かわやのぼった時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十七字が容易に出来ると云う意味は安直あんちょくに詩人になれると云う意味であって、詩人になると云うのは一種のさとりであるから軽便だと云って侮蔑ぶべつする必要はない。軽便であればあるほど功徳くどくになるからかえって尊重すべきものと思う。まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人ひとりが同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するやいなやうれしくなる。涙を十七字にまとめた時には、苦しみの涙は自分から遊離ゆうりして、おれは泣く事の出来る男だと云ううれしさだけの自分になる。
 これが平生へいぜいから余の主張である。今夜も一つこの主張を実行して見ようと、夜具の中で例の事件を色々と句に仕立てる。出来たら書きつけないと散漫さんまんになっていかぬと、念入りの修業だから、例の写生帖をあけて枕元へ置く。
海棠かいだうの露をふるふや物狂ものぐるひ」と真先まっさきに書き付けて読んで見ると、別に面白くもないが、さりとて気味のわるい事もない。次に「花の影、女の影のおぼろかな」とやったが、これは季がかさなっている。しかし何でも構わない、気が落ちついて呑気のんきになればいい。それから「正一位しやういちゐ、女にけて朧月おぼろづき」と作ったが、狂句めいて、自分ながらおかしくなった。
 この調子なら大丈夫と乗気のりきになって出るだけの句をみなかき付ける。

春の星を落して夜半よはのかざしかな
春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪
春や今宵こよひ歌つかまつる御姿
海棠かいだうの精が出てくる月夜かな
うた折々月下の春ををちこちす
思ひ切つて更け行く春の独りかな
などと、試みているうち、いつしか、うとうと眠くなる。
 恍惚こうこつと云うのが、こんな場合に用いるべき形容詞かと思う。熟睡のうちには何人なんびとも我を認め得ぬ。明覚めいかくの際にはたれあって外界がいかいを忘るるものはなかろう。ただ両域の間にのごとき幻境がよこたわる。めたりと云うには余りおぼろにて、眠ると評せんには少しく生気せいきあます。起臥きがの二界を同瓶裏どうへいりに盛りて、詩歌しいか彩管さいかんをもって、ひたすらにぜたるがごとき状態を云うのである。自然の色を夢の手前てまえまでぼかして、ありのままの宇宙を一段、かすみの国へ押し流す。睡魔の妖腕ようわんをかりて、ありとある実相の角度をなめらかにすると共に、かくやわらげられたる乾坤けんこんに、われからとかすかににぶき脈を通わせる。地をう煙の飛ばんとして飛び得ざるごとく、わがたましいの、わがからを離れんとして離るるに忍びざるていである。抜けでんとして逡巡ためらい、逡巡いては抜け出でんとし、ては魂と云う個体を、もぎどうにたもちかねて、※(「气<慍のつくり」、第3水準1-86-48)いんうんたる瞑氛めいふんが散るともなしに四肢五体に纏綿てんめんして、依々いいたり恋々れんれんたる心持ちである。
 余が寤寐ごびさかいにかく逍遥しょうようしていると、入口の唐紙からかみがすうといた。あいた所へまぼろしのごとく女の影がふうと現われた。余は驚きもせぬ。恐れもせぬ。ただ心地ここちよくながめている。眺めると云うてはちと言葉が強過ぎる。余がじているまぶたうち幻影まぼろしの女がことわりもなくすべり込んで来たのである。まぼろしはそろりそろりと部屋のなかに這入はいる。仙女せんにょの波をわたるがごとく、畳の上には人らしい音も立たぬ。閉ずるまなこのなかから見る世の中だからしかとは解らぬが、色の白い、髪の濃い、襟足えりあしの長い女である。近頃はやる、ぼかした写真を灯影ほかげにすかすような気がする。
 まぼろしは戸棚とだなの前でとまる。戸棚があく。白い腕がそでをすべって暗闇くらやみのなかにほのめいた。戸棚がまたしまる。畳の波がおのずから幻影を渡し返す。入口の唐紙がひとりでにたる。余が眠りはしだいにこまやかになる。人に死して、まだ牛にも馬にも生れ変らない途中はこんなであろう。
 いつまで人と馬の相中あいなかに寝ていたかわれは知らぬ。耳元にききっと女の笑い声がしたと思ったら眼がさめた。見れば夜の幕はとくに切り落されて、天下はすみから隅まで明るい。うららかな春日はるびが丸窓の竹格子たけごうしを黒く染め抜いた様子を見ると、世の中に不思議と云うもののひそむ余地はなさそうだ。神秘は十万億土じゅうまんおくどへ帰って、三途さんずかわ向側むこうがわへ渡ったのだろう。
 浴衣ゆかたのまま、風呂場ふろばへ下りて、五分ばかり偶然と湯壺ゆつぼのなかで顔を浮かしていた。洗う気にも、出る気にもならない。第一昨夕ゆうべはどうしてあんな心持ちになったのだろう。昼と夜をさかいにこう天地が、でんぐり返るのは妙だ。
 身体からだくさえ退儀たいぎだから、いい加減にして、れたままあがって、風呂場の戸を内からけると、また驚かされた。
「御早う。昨夕ゆうべはよく寝られましたか」
 戸を開けるのと、この言葉とはほとんど同時にきた。人のいるさえ予期しておらぬ出合頭であいがしら挨拶あいさつだから、さそくの返事も出るいとまさえないうちに、
「さ、御召おめしなさい」
うしろへ廻って、ふわりと余の背中せなかへ柔かい着物をかけた。ようやくの事「これはありがとう……」だけ出して、向き直る、途端とたんに女は二三歩退しりぞいた。
 昔から小説家は必ず主人公の容貌ようぼうを極力描写することに相場がきまってる。古今東西の言語で、佳人かじん品評ひんぴょうに使用せられたるものを列挙したならば、大蔵経だいぞうきょうとその量を争うかも知れぬ。この辟易へきえきすべき多量の形容詞中から、余と三歩のへだたりに立つ、たいななめにねじって、後目しりめに余が驚愕きょうがく狼狽ろうばい心地ここちよげにながめている女を、もっとも適当にじょすべき用語を拾い来ったなら、どれほどの数になるか知れない。しかし生れて三十余年の今日こんにちに至るまでいまだかつて、かかる表情を見た事がない。美術家の評によると、希臘ギリシャの彫刻の理想は、端粛たんしゅくの二字にするそうである。端粛とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思う。動けばどう変化するか、風雲ふううん雷霆らいていか、見わけのつかぬところに余韻よいん縹緲ひょうびょうと存するから含蓄がんちくおもむき百世ひゃくせいのちに伝うるのであろう。世上幾多の尊厳と威儀とはこの湛然たんぜんたる可能力の裏面に伏在している。動けばあらわれる。あらわるれば一か二か三か必ず始末がつく。一も二も三も必ず特殊の能力には相違なかろうが、すでに一となり、二となり、三となったあかつきには、※(「てへん+施のつくり」、第3水準1-84-74)泥帯水たでいたいすいろう遺憾いかんなく示して、本来円満ほんらいえんまんそうに戻る訳には行かぬ。このゆえどうと名のつくものは必ず卑しい。運慶うんけい仁王におうも、北斎ほくさい漫画まんがも全くこの動の一字で失敗している。動か静か。これがわれら画工がこうの運命を支配する大問題である。古来美人の形容も大抵この二大範疇はんちゅうのいずれにか打ち込む事が出来べきはずだ。
 ところがこの女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んでしずかである。眼は五分ごぶのすきさえ見出すべく動いている。顔は下膨しもぶくれ瓜実形うりざねがたで、豊かに落ちつきを見せているに引きえて、ひたい狭苦せまくるしくも、こせついて、いわゆる富士額ふじびたい俗臭ぞくしゅうを帯びている。のみならずまゆは両方からせまって、中間に数滴の薄荷はっかを点じたるごとく、ぴくぴく焦慮じれている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。にしたら美しかろう。かように別れ別れの道具が皆一癖ひとくせあって、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はない。
 元来はせいであるべき大地だいちの一角に陥欠かんけつが起って、全体が思わず動いたが、動くは本来の性にそむくと悟って、つとめて往昔むかしの姿にもどろうとしたのを、平衡へいこうを失った機勢に制せられて、心ならずも動きつづけた今日こんにちは、やけだから無理でも動いて見せると云わぬばかりの有様が――そんな有様がもしあるとすればちょうどこの女を形容する事が出来る。
 それだから軽侮けいぶうらに、何となく人にすがりたい景色が見える。人を馬鹿にした様子の底につつしみ深い分別ふんべつがほのめいている。才に任せ、気をえば百人の男子を物の数とも思わぬいきおいの下から温和おとなしいなさけが吾知らずいて出る。どうしても表情に一致がない。さとりとまよいが一軒のうち喧嘩けんかをしながらも同居しているていだ。この女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない証拠で、心に統一がないのは、この女の世界に統一がなかったのだろう。不幸にしつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。不仕合ふしあわせな女に違ない。
「ありがとう」と繰り返しながら、ちょっと会釈えしゃくした。
「ほほほほ御部屋は掃除そうじがしてあります。って御覧なさい。いずれのちほど」
と云うやいなや、ひらりと、腰をひねって、廊下を軽気かろげけて行った。頭は銀杏返いちょうがえしっている。白いえりがたぼの下から見える。帯の黒繻子くろじゅす片側かたかわだけだろう。

        四

 ぽかんと部屋へ帰ると、なるほど奇麗きれいに掃除がしてある。ちょっと気がかりだから、念のため戸棚をあけて見る。下には小さな用箪笥ようだんすが見える。上から友禅ゆうぜん扱帯しごきが半分れかかって、いるのは、誰か衣類でも取り出して急いで、出て行ったものと解釈が出来る。扱帯の上部はなまめかしい衣裳いしょうの間にかくれて先は見えない。片側には書物が少々詰めてある。一番上に白隠和尚はくいんおしょう遠良天釜おらてがまと、伊勢物語いせものがたりの一巻が並んでる。昨夕ゆうべのうつつは事実かも知れないと思った。
 何気なにげなく座布団ざぶとんの上へ坐ると、唐木からきの机の上に例の写生帖が、鉛筆をはさんだまま、大事そうにあけてある。夢中に書き流した句を、朝見たらどんな具合だろうと手に取る。
海棠かいだうの露をふるふや物狂ものぐるひ」の下にだれだか「海棠の露をふるふや朝烏あさがらす」とかいたものがある。鉛筆だから、書体はしかとわからんが、女にしては硬過かたすぎる、男にしてはやわらか過ぎる。おやとまた吃驚びっくりする。次を見ると「花の影、女の影のおぼろかな」の下に「花の影女の影をかさねけり」とつけてある。「正一位しやういちゐ女に化けて朧月おぼろづき」の下には「御曹子おんざうし女に化けて朧月」とある。真似まねをしたつもりか、添削てんさくした気か、風流のまじわりか、馬鹿か、馬鹿にしたのか、余は思わず首をかたむけた。
 のちほどと云ったから、今にめしの時にでも出て来るかも知れない。出て来たら様子が少しは解るだろう。ときに何時だなと時計を見ると、もう十一時過ぎである。よく寝たものだ。これでは午飯ひるめしだけで間に合せる方が胃のためによかろう。
 右側の障子しょうじをあけて、昨夜ゆうべ名残なごりはどのへんかなと眺める。海棠かいどうと鑑定したのははたして、海棠であるが、思ったよりも庭は狭い。五六枚の飛石とびいしを一面の青苔あおごけが埋めて、素足すあしで踏みつけたら、さも心持ちがよさそうだ。左は山つづきのがけに赤松がななめに岩の間から庭の上へさし出している。海棠のうしろにはちょっとした茂みがあって、奥は大竹藪おおたけやぶが十丈のみどりを春の日にさらしている。右手はむねさえぎられて、見えぬけれども、地勢から察すると、だらだらりに風呂場の方へ落ちているに相違ない。
 山が尽きて、岡となり、岡が尽きて、幅三丁ほどの平地へいちとなり、その平地が尽きて、海の底へもぐり込んで、十七里向うへ行ってまた隆然りゅうぜんと起き上って、周囲六里の摩耶島まやじまとなる。これが那古井なこいの地勢である。温泉場は岡のふもとを出来るだけがけへさしかけて、そばの景色を半分庭へ囲い込んだ一構ひとかまえであるから、前面は二階でも、後ろは平屋ひらやになる。えんから足をぶらさげれば、すぐとかかとこけに着く。道理こそ昨夕は楷子段はしごだんをむやみにのぼったり、くだったり、仕掛しかけうちと思ったはずだ。
 今度は左り側の窓をあける。自然とくぼむ二畳ばかりの岩のなかに春の水がいつともなく、たまって静かに山桜の影を※(「くさかんむり/(酉+隹)/れんが」、第3水準1-91-44)ひたしている。二株三株ふたかぶみかぶ熊笹くまざさが岩の角をいろどる、向うに枸杞くことも見える生垣いけがきがあって、外は浜から、岡へ上る岨道そばみちか時々人声が聞える。往来の向うはだらだらと南下みなみさがりに蜜柑みかんを植えて、谷のきわまる所にまた大きな竹藪が、白く光る。竹の葉が遠くから見ると、白く光るとはこの時初めて知った。藪から上は、松の多い山で、赤い幹の間から石磴せきとうが五六段手にとるように見える。大方おおかた御寺だろう。
 入口のふすまをあけてえんへ出ると、欄干らんかんが四角に曲って、方角から云えば海の見ゆべきはずの所に、中庭をへだてて、表二階の一間ひとまがある。わが住む部屋も、欄干にればやはり同じ高さの二階なのには興が催おされる。湯壺ゆつぼの下にあるのだから、入湯にゅうとうと云う点から云えば、余は三層楼上に起臥きがする訳になる。
 家は随分広いが、向う二階の一間と、余が欄干に添うて、右へ折れた一間のほかは、居室いま台所は知らず、客間と名がつきそうなのは大抵たいてい立て切ってある。客は、余をのぞくのほかほとんど皆無かいむなのだろう。〆《しめ》た部屋は昼も雨戸あまどをあけず、あけた以上は夜もてぬらしい。これでは表の戸締りさえ、するかしないか解らん。非人情の旅にはもって来いと云う屈強くっきょうな場所だ。
 時計は十二時近くなったがめしを食わせる景色はさらにない。ようやく空腹を覚えて来たが、空山くうざん不見人ひとをみずと云う詩中にあると思うと、一とかたげぐらい倹約しても遺憾いかんはない。をかくのも面倒だ、俳句は作らんでもすでに俳三昧はいざんまいに入っているから、作るだけ野暮やぼだ。読もうと思って三脚几さんきゃくきくくりつけて来た二三冊の書籍もほどく気にならん。こうやって、煦々くくたる春日しゅんじつ背中せなかをあぶって、椽側えんがわに花の影と共に寝ころんでいるのが、天下の至楽しらくである。考えれば外道げどうちる。動くと危ない。出来るならば鼻から呼吸いきもしたくない。畳から根の生えた植物のようにじっとして二週間ばかり暮して見たい。
 やがて、廊下に足音がして、段々下から誰かあがってくる。近づくのを聞いていると、二人らしい。それが部屋の前でとまったなと思ったら、一人はなんにも云わず、元の方へ引き返す。ふすまがあいたから、今朝の人と思ったら、やはり昨夜ゆうべ小女郎こじょろうである。何だか物足らぬ。
「遅くなりました」とぜんえる。朝食あさめしの言訳も何にも言わぬ。焼肴やきざかなに青いものをあしらって、わんふたをとれば早蕨さわらびの中に、紅白に染め抜かれた、海老えびを沈ませてある。ああ好い色だと思って、椀の中をながめていた。
御嫌おきらいか」と下女が聞く。
「いいや、今に食う」と云ったが実際食うのは惜しい気がした。ターナーがある晩餐ばんさんの席で、皿にるサラドを見詰めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だとかたわらの人に話したと云う逸事をある書物で読んだ事があるが、この海老と蕨の色をちょっとターナーに見せてやりたい。いったい西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラドと赤大根ぐらいなものだ。滋養の点から云ったらどうか知らんが、画家から見るとすこぶる発達せん料理である。そこへ行くと日本の献立こんだては、吸物すいものでも、口取でも、刺身さしみでも物奇麗ものぎれいに出来る。会席膳かいせきぜんを前へ置いて、一箸ひとはしも着けずに、眺めたまま帰っても、目の保養から云えば、御茶屋へ上がった甲斐かいは充分ある。
「うちに若い女の人がいるだろう」と椀を置きながら、質問をかけた。
「へえ」
「ありゃ何だい」
「若い奥様でござんす」
「あのほかにまだ年寄の奥様がいるのかい」
「去年御亡おなくなりました」
「旦那さんは」
「おります。旦那さんの娘さんでござんす」
「あの若い人がかい」
「へえ」
「御客はいるかい」
「おりません」
「わたし一人かい」
「へえ」
「若い奥さんは毎日何をしているかい」
「針仕事を……」
「それから」
三味しゃみきます」
 これは意外であった。面白いからまた
「それから」と聞いて見た。
「御寺へ行きます」と小女郎こじょろうが云う。
 これはまた意外である。御寺と三味線は妙だ。
「御寺まいりをするのかい」
「いいえ、和尚様おしょうさまの所へ行きます」
「和尚さんが三味線でも習うのかい」
「いいえ」
「じゃ何をしに行くのだい」
大徹様だいてつさまの所へ行きます」
 なあるほど、大徹と云うのはこの額を書いた男に相違ない。この句から察すると何でも禅坊主ぜんぼうずらしい。戸棚に遠良天釜おらてがまがあったのは、全くあの女の所持品だろう。
「この部屋は普段誰か這入はいっている所かね」
「普段は奥様がおります」
「それじゃ、昨夕ゆうべ、わたしが来る時までここにいたのだね」
「へえ」
「それは御気の毒な事をした。それで大徹さんの所へ何をしに行くのだい」
「知りません」
「それから」
「何でござんす」
「それから、まだほかに何かするのだろう」
「それから、いろいろ……」
「いろいろって、どんな事を」
「知りません」
 会話はこれで切れる。飯はようやくおわる。膳を引くとき、小女郎が入口のふすまあけたら、中庭の栽込うえこみをへだてて、向う二階の欄干らんかん銀杏返いちょうがえしが頬杖ほおづえを突いて、開化した楊柳観音ようりゅうかんのんのように下を見詰めていた。今朝に引きえて、はなはだ静かな姿である。俯向うつむいて、瞳の働きが、こちらへ通わないから、相好そうごうにかほどな変化を来たしたものであろうか。昔の人は人に存するもの眸子ぼうしより良きはなしと云ったそうだが、なるほど人いずくんぞ※(「广+叟」、第3水準1-84-15)かくさんや、人間のうちで眼ほど活きている道具はない。寂然じゃくねん亜字欄あじらんの下から、蝶々ちょうちょうが二羽寄りつ離れつ舞い上がる。途端とたんにわが部屋のふすまはあいたのである。襖の音に、女は卒然と蝶から眼を余のかたに転じた。視線は毒矢のごとくくうつらぬいて、会釈えしゃくもなく余が眉間みけんに落ちる。はっと思う間に、小女郎が、またはたと襖を立て切った。あとは至極しごく呑気のんきな春となる。
 余はまたごろりと寝ころんだ。たちまち心に浮んだのは、
Sadder than is the moon's lost light,
   Lost ere the kindling of dawn,
   To travellers journeying on,
The shutting of thy fair face from my sight.
と云う句であった。もし余があの銀杏返いちょうがえしに懸想けそうして、身をくだいても逢わんと思う矢先に、今のような一瞥いちべつの別れを、魂消たまぎるまでに、嬉しとも、口惜くちおしとも感じたら、余は必ずこんな意味をこんな詩に作るだろう。その上に
Might I look on thee in death,
With bliss I would yield my breath.

と云う二句さえ、付け加えたかも知れぬ。幸い、普通ありふれた、恋とか愛とか云う境界きょうがいはすでに通り越して、そんな苦しみは感じたくても感じられない。しかし今の刹那せつなに起った出来事の詩趣はゆたかにこの五六行にあらわれている。余と銀杏返しの間柄あいだがらにこんなせつないおもいはないとしても、二人の今の関係を、この詩のうち適用あてはめて見るのは面白い。あるいはこの詩の意味をわれらの身の上に引きつけて解釈しても愉快だ。二人の間には、ある因果いんがの細い糸で、この詩にあらわれた境遇の一部分が、事実となって、くくりつけられている。因果もこのくらい糸が細いとにはならぬ。その上、ただの糸ではない。空を横切るにじの糸、野辺のべ棚引たなびかすみの糸、つゆにかがやく蜘蛛くもの糸。切ろうとすれば、すぐ切れて、見ているうちはすぐれてうつくしい。万一この糸が見る間に太くなって井戸縄いどなわのようにかたくなったら? そんな危険はない。余は画工である。先はただの女とは違う。
 突然襖があいた。寝返ねがえりを打って入口を見ると、因果の相手のその銀杏返しが敷居の上に立って青磁せいじはちを盆に乗せたままたたずんでいる。
「また寝ていらっしゃるか、昨夕ゆうべは御迷惑で御座んしたろう。何返なんべんも御邪魔をして、ほほほほ」と笑う。おくした景色けしきも、隠す景色も――恥ずる景色は無論ない。ただこちらがせんを越されたのみである。
「今朝はありがとう」とまた礼を云った。考えると、丹前たんぜんの礼をこれで三べん云った。しかも、三返ながら、ただ難有うと云う三字である。
 女は余が起き返ろうとする枕元へ、早くも坐って
「まあ寝ていらっしゃい。寝ていても話は出来ましょう」と、さも気作きさくに云う。余は全くだと考えたから、ひとまず腹這はらばいになって、両手であごささえ、しばし畳の上へ肘壺ひじつぼの柱を立てる。
「御退屈だろうと思って、御茶を入れに来ました」
「ありがとう」またありがとうが出た。菓子皿のなかを見ると、立派な羊羹ようかんが並んでいる。余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹がすきだ。別段食いたくはないが、あの肌合はだあいなめらかに、緻密ちみつに、しかも半透明はんとうめいに光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上ねりあげ方は、ぎょく蝋石ろうせきの雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出してでて見たくなる。西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。クリームの色はちょっとやわらかだが、少し重苦しい。ジェリは、一目いちもく宝石のように見えるが、ぶるぶるふるえて、羊羹ほどの重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、言語道断ごんごどうだんの沙汰である。
「うん、なかなか美事みごとだ」
「今しがた、源兵衛が買って帰りました。これならあなたに召し上がられるでしょう」
 源兵衛は昨夕城下じょうかとまったと見える。余は別段の返事もせず羊羹を見ていた。どこで誰れが買って来ても構う事はない。ただ美くしければ、美くしいと思うだけで充分満足である。
「この青磁の形は大変いい。色も美事だ。ほとんど羊羹に対して遜色そんしょくがない」
 女はふふんと笑った。口元くちもとあなどりの波がかすかにれた。余の言葉を洒落しゃれと解したのだろう。なるほど洒落とすれば、軽蔑けいべつされるあたいはたしかにある。智慧ちえの足りない男が無理に洒落れた時には、よくこんな事を云うものだ。
「これは支那ですか」
「何ですか」と相手はまるで青磁を眼中に置いていない。
「どうも支那らしい」と皿を上げて底をながめて見た。
「そんなものが、御好きなら、見せましょうか」
「ええ、見せて下さい」
「父が骨董こっとうが大好きですから、だいぶいろいろなものがあります。父にそう云って、いつか御茶でも上げましょう」
 茶と聞いて少し辟易へきえきした。世間に茶人ちゃじんほどもったいぶった風流人はない。広い詩界をわざとらしく窮屈に縄張なわばりをして、きわめて自尊的に、極めてことさらに、極めてせせこましく、必要もないのに鞠躬如きくきゅうじょとして、あぶくを飲んで結構がるものはいわゆる茶人である。あんな煩瑣はんさな規則のうちに雅味があるなら、麻布あざぶ聯隊れんたいのなかは雅味で鼻がつかえるだろう。廻れ右、前への連中はことごとく大茶人でなくてはならぬ。あれは商人とか町人とか、まるで趣味の教育のない連中が、どうするのが風流か見当がつかぬところから、器械的に利休りきゅう以後の規則を鵜呑うのみにして、これでおおかた風流なんだろう、とかえって真の風流人を馬鹿にするための芸である。
「御茶って、あの流儀のある茶ですかな」
「いいえ、流儀も何もありゃしません。御厭おいやなら飲まなくってもいい御茶です」
「そんなら、ついでに飲んでもいいですよ」
「ほほほほ。父は道具を人に見ていただくのが大好きなんですから……」
めなくっちゃあ、いけませんか」
「年寄りだから、褒めてやれば、嬉しがりますよ」
「へえ、少しなら褒めて置きましょう」
「負けて、たくさん御褒めなさい」
「はははは、時にあなたの言葉は田舎いなかじゃない」
「人間は田舎なんですか」
「人間は田舎の方がいいのです」
「それじゃはばきます」
「しかし東京にいた事がありましょう」
「ええ、いました、京都にもいました。渡りものですから、方々にいました」
「ここと都と、どっちがいいですか」
「同じ事ですわ」
「こう云う静かな所が、かえって気楽でしょう」
「気楽も、気楽でないも、世の中は気の持ちよう一つでどうでもなります。のみの国がいやになったって、の国へ引越ひっこしちゃ、なんにもなりません」
「蚤も蚊もいない国へ行ったら、いいでしょう」
「そんな国があるなら、ここへ出して御覧なさい。さあ出してちょうだい」と女はめ寄せる。
「御望みなら、出して上げましょう」と例の写生帖をとって、女が馬へ乗って、山桜を見ている心持ち――無論とっさの筆使いだから、にはならない。ただ心持ちだけをさらさらと書いて、
「さあ、この中へ御這入おはいりなさい。蚤も蚊もいません」と鼻のさきへ突きつけた。驚くか、恥ずかしがるか、この様子では、よもや、苦しがる事はなかろうと思って、ちょっと景色けしきうかがうと、
「まあ、窮屈きゅうくつな世界だこと、横幅よこはばばかりじゃありませんか。そんな所が御好きなの、まるでかにね」と云って退けた。余は
「わはははは」と笑う。軒端のきばに近く、きかけたうぐいすが、中途で声をくずして、遠きかたへ枝移りをやる。両人ふたりはわざと対話をやめて、しばらく耳をそばだてたが、いったん鳴きそこねた咽喉のどは容易にけぬ。
昨日きのうは山で源兵衛に御逢おあいでしたろう」
「ええ」
長良ながら乙女おとめ五輪塔ごりんのとうを見ていらしったか」
「ええ」
「あきづけば、をばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも」と説明もなく、女はすらりと節もつけずに歌だけ述べた。何のためか知らぬ。
「その歌はね、茶店で聞きましたよ」
「婆さんが教えましたか。あれはもと私のうちへ奉公したもので、私がまだ嫁に……」と云いかけて、これはとの顔を見たから、余は知らぬふうをしていた。
「私がまだ若い時分でしたが、あれが来るたびに長良の話をして聞かせてやりました。うただけはなかなか覚えなかったのですが、何遍もくうちに、とうとう何もかも諳誦あんしょうしてしまいました」
「どうれで、むずかしい事を知ってると思った。――しかしあの歌はあわれな歌ですね」
「憐れでしょうか。私ならあんな歌はみませんね。第一、淵川ふちかわへ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか」
「なるほどつまらないですね。あなたならどうしますか」
「どうするって、訳ないじゃありませんか。ささだ男もささべ男も、男妾おとこめかけにするばかりですわ」
「両方ともですか」
「ええ」
「えらいな」
「えらかあない、当り前ですわ」
「なるほどそれじゃ蚊の国へも、蚤の国へも、飛び込まずに済む訳だ」
「蟹のような思いをしなくっても、生きていられるでしょう」
 ほーう、ほけきょうと忘れかけたうぐいすが、いついきおいを盛り返してか、時ならぬ高音たかねを不意に張った。一度立て直すと、あとは自然に出ると見える。身をさかしまにして、ふくらむ咽喉のどの底をふるわして、小さき口の張り裂くるばかりに、
 ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっーきょうーと、つづけさまさえずる。
「あれが本当の歌です」と女が余に教えた。

上一页  [1] [2] [3] [4] [5] [6] 下一页  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告