七
おすがは女の子を産んだ。他には介抱の仕手もないので、お袋が公然朝から晩までつめ切つて世話をする。嫂も行つて粥でも煮てやるといふわけで、有繋に兄貴も見て居られぬといふことになつた。四つ又の策略はすつかり其圖に當つた。おすがのもとへは兼次もいつか入りこんだ。さうして松山から買つた畑を讓つてもらつて自分の喰ふだけの働きをすることにまでなつた。赤子は笑ふやうになつた。只さへ少し愚圖なお袋は、もう可愛くて迚ても手放すことが出來なくなつて、二人が仕事に畑へ出れば自分は子守をして居る。赤子が泣けば畑へ抱いて行つて乳を飮せる。おすがの兄貴も忙しい仕事の時には兼次を連れて來て働かせるといふやうに成つた。雙方の間は理窟なしに睦ましいのである。斯くして時日は經過した。然し時としては村で口の惡いものは
「兄貴も餘まり構はねえから仕やうがねえ。どうも兼次をあすこへ入れて置くといふのは卵屋の顏を踏みつぶすやうなものだ。あれぢや仲人が幾ら立つても噺の屆かねえな無理もねえ筈だ」
と噂さをすることはある。旦那のお内儀さんも或時四つ又に向つて
「あの兼次が一件だがね。お前方の指圖で松山のうちへ入れたんだ相だがどうもあれが卵屋では心外に思つてるらしいんだがね。此はお前方にも不似合な計らひだと思ふやうだがまあ一體どうした譯なんだね」
「どうもさういはれるとわし等は誠に惡い者に成る譯なんですが、あの時は全く今夜にもあぶねえといふ腹なんですから始末に困つて一先づまあさうしたんです。卵屋は兼次がことは全くの處呑んででもしまひてえ程可愛いんですがわし等がいふことを聽くとおすが等が方に負けたことになるといふ意地づくなんですから仕やうがねえんです。意地づくでは死んでも負けられねえといふんですからね。それ程可愛い息子のことなら諦めがつき相なものですが息子は可愛いし先は憎いしで理窟をいはれゝばごろつと寢てしまあんですからわしも手古摺つたんですよ。初めは兵隊が濟めば嫁を世話しても苦情はねえことに念はついたんでしたが今ぢや餘ンまりこゞらけたんで云ひ出すことも出來ねえんです」
四つ又は頭を掻きながらかういふのである。此も無理のない理窟だ。おすがのお袋の料簡を聞いて見ると此は單純なものだ。
「四つ又へ頼んでおくんですから何とかして呉れんでせうが本當に困つたもんでさどうも」
こんなことに過ぎない。
「赤んぼはそれでも丈夫かい」
といふと
「へえ兼によく似てまさ」
平氣でいつて居る。おすがの親爺に此ことを話すと
「世間は角を立てゝはうまく行きませんよどうも。お互に丸く行くことでなくちや困りますよ」
こんなことで濟んでるなら人が共々心配をする必要はないのである。それから兄貴へ
「あの一件も困つたものだな」
といふと
「困つたものですよ」
といふから
「お前もあゝして二人を引きつけて置くのでは迚ても埓明きやうはないからお前もおすがを捨てることにしてそれで他から拾ふといふことにしたらどうにか示談が出來相なものだと思ふがどう考へて居る」
斯ういふと
「わしは決してうちへは寄せねえといつたんでがす。實は松山のうちへわしが夜は泊りに行き/\したんですが、毎晩も行つてらんねえから時々お袋等が泊りに行くこともあつたんでがす。さうするとお袋なもんですからおすがも孤鼠々々はひり込むやうに成つたんでさ。それでもはじめはわしこと見ると遁げたんですから。兼次もわしに捉まつた時二度と決して足踏はしませんて證文張つたんでがす。わし今でもちやんと持つてまさあ。そんだからわしはうつちやつた譯なんでがす」
「いやうつちやつた譯でも二人のことをお前の家へ仕事に使つたりして居るのでは駄目ぢやないか」といふと
「忙しい時はほかゝら手もねえもんでがすからね」
どれを叩いてもちつとも要領を得ない。
おすがは自分の思つた男とお袋の膝もとに居るのだからちつとも心に苦勞がない。兼次も好いた女と世帶を持つて女の家の貢ぎをうけて居るのだからこれも苦勞はない筈だが只親爺が出逢がしらに短氣を起しはせないかといふ懸念があるばかりであつた。それも今では安心が出來た。或日のことである。田甫でばつたり親爺にでつかはした。親爺は手織木綿の小ざつぱりした絆纏を着て首へ風呂敷包を括つて居た。兼次はぎよつとした。それでもこちらから
「ツア、何處へ行く」
と言葉を掛けたら親爺は微笑しながら
「うん、絲染めによ」
といつてすた/\行つてしまつた。かういふ間に始終ひとりで氣を揉んで居るのは兼次のお袋である。親爺が短氣を出すから少しも喙を容れずに我慢して居る。相手になるのは癲癇持の不具者ばかりである。一目見たい孫も表向き抱いて見ることも出來ない。人に頼んで兼次へ衣物をやつたり汁の身の葱や大根をやる位に過ぎぬ。
「おら一日でも思ひ晴々としたことはねえんだよ」
と十九夜講で女房達の落合つた時には遂ひ洩れることがあるのである。
「おらまあほんにあれがこつちや「ツアヽ」に隱してなんぼ足袋刺してやつたか知んねえんだよ。氷つた所をぢよりゝ/\押し歩いちやあ足袋も草履も一晩しか持たねえんだよ」
聽き手があればしみ/″\とこぼした。村の同情は此のお袋の一身に集つた。事件の推移はこんな風で卵屋が業を煮やすことのある外表面甚だ平靜のうちに時日が經過して行く。
世間は復た春が蘇生つた。鬼怒川の土手の篠の上には白帆を一杯に孕んで高瀬船が頻りにのぼる。船頭は胡座をかいた儘時々舵へ手を掛けただけで船は舳がぢやぶ/\と水に逆つてのぼつて行く。冬の辛さがこゝで一度に取り返されるので此の南風の味を占めては迚ても職業がやめられぬといふ時節である。篠の中には鳥馬がそつちへこつちへ移りながら下手な鳴きやうをして菜の花から麥畑へ遊びに出る。兼次は此時輸卒として召集された。本來ならば自分の家からほろ醉になつた人々に送られて鬼怒川の渡しへかゝる筈であるのだが彼は變則にも其假住居から立つて行かなければならぬことに成つた。其朝彼は自分の家の近所へだけは暇乞に出た。其態度は狼狽して居た。隣の家では土間へ置いた汁鍋がひつくりかへつて居たので不審に思つて居たが、あとで兼次が隣のうちの「バケツ」を引つくりかへして來たといつたのを聞いたのでそれが兼次の仕業であつたといふことが知れた。有繋に勘當を受けて居る身であるだけに落つかれぬのだらうと人々は噂をした。此の外には一つも話頭に上ることはない。麥が刈られてさうして椋鳥が群をなして空を渡る頃兼次は歸つて來た。村のうちには毎日麥搗く杵の響が大地をゆすつてどこかに聞える。兼次は其麥搗の一人に成つた。麥は夜中から搗きはじめて朝になれば各八斗の量を搗きあげる。椋鳥はしら/\明に西から疾風の響をなして空を覆うて渡る。さうして夕陽の沒する頃西へかへる。空を遙かに飛ぶ時に麥搗は杵持つ手の右と左を持ち換へながら今日も日和だと叫ぶ。椋鳥が少くなつて稻刈になつた。刈田の跡の水のやうな冷たい秋が暮れて又冬が來た。鶸がよわ/\した羽をひろげて切ない鳴きやうをして林から刈田を飛びめぐる。さうして寒さは又小春にかへつて人々は岡の畑に芋を掘つて居るのである。
短い日は村の林の梢に棚引いた土手のやうな夕雲に眞倒に落ちつゝある。横にさす光は麥の葉をかすつて赭い櫟の林が一しきり輝いた。畑のへりの茶の木の花は白々と光を帶びて居る。筑波山は見る/\濃い紫に染まつて來た。秋の末の晩稻を刈る頃から夕日のさし加減で筑波山は形容し難い美しい紫を染め出す。百姓に聞いて見れば嘗てそんな筑波山は知らぬといふ。知らぬといふのは尤ものことである。日が落ちて殘がなほ明かな數十分間は彼等の仕事が尤も捗どる時である。晩餐の仕度をするために女等は今どこの畑からも一人づゝ立つて行く。女等が去つてから百姓の手もとが漸く薄闇きを感じた。頬白が寂し相に桑の枝を飛びめぐる。百姓は自己以外には頓着なしにせつせと芋を俵へつめて居る。兼次はおすがゞ歸つてから車へ俵を積んで引き出した。田甫を越えて坂へ掛つた時には少し積み過ぎた芋俵は彼の力には餘つた。ほつと腰を延して居ると突然後から
「それ/\うんと力んで見ろ」
といふ聲がして車が急に輕くなつた。坂の上で振り返つて見たら芋俵を馬に積んで來た兼次の親爺が持つて居た手綱を放して後押してくれたのである。
「誰だと思つたら「ツアヽ」か」
と兼次は心の底から嬉し相にいつた。馬は獨りで勢よく右の方へぱか/\と走つて行く。親爺は馬のあとから駈けて行く。兼次は腰をくの字に屈めながら足に力を入れて左へ曳いて行く。村の竹藪から昇つた青い煙は畑の百姓を迎ひにでも出たやうに幾筋も棚引いて田甫から岡まで屆かうとして居る。其時黄昏の中を百姓は田甫から相前後して歸つて來る。何處ともなく鴫がきゝと鳴いて去つた。百姓の後姿を村の中へ押し込んでやがて夜の手は田甫から畑からさうして天地の間を掩うた。
(明治四十一年三月一日發行、ホトトギス 第十一卷第六號所載)
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
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