您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 長塚 節 >> 正文

壱岐国勝本にて(いきのくにかつもとにて)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 7:10:46  点击:  切换到繁體中文

地圖を見ても直ぐ分る。對州つしまは大きな※(「虫+松」、第4水準2-87-53)むかでが穴から出かけたやうでもあるし又やどかりが體を突出したやうでもあつて、山許りだから丁度毛だらけのやうに見える。それが壹州いきになると靜かな水の上に溶けた蝋がぽつちりと落ちたやうな形である。さうしてさう高い山がないから地圖で見ても滑か相である。それが一昨日おとゝいと昨日と空氣が冴えたので、それでなくても景色のいゝ海岸が如何にも爽快であつた。壹州に只一つ温泉場があるが入江になつて居てあたりを鯨伏村いさふしむらといふ。鯨伏はイサフシである。殊に昨日は一番南の郷の浦へ行つて少し高い處へ登つたら肥前の平戸から五島の一部まで見えた。そこには土地の商人らしい人々が六七人で居たが五島あたりの見えるといふことは容易に無いんだ相で其内の何人かは始めて見たと言つて居た。そこらには松があつて土は短い青芝で掩はれて居る。青芝は延びれば皆牛が※(「手へん+劣」、第3水準1-84-77)つて了ふから何時でも綺麗なのである。牛は到る處に居る。小徑を行くと時としては牛が横に立つて道を塞いで居る。彼等は人が行つたつてちつとも動かうとしない。しい/\と少し位言つたつて駄目である。其筈だらう。島では今漸く田植の終る處で、そつちでもこつちでも馬鹿に百姓が呶鳴つて居る處があるが、それは屹度牛に田を掻かせて居るのだ。此島の樹木は可成多くてさうして翠が深い。其間にそれは山の上の方までさうなんだが淡い緑が交つて居るのは皆大豆畑である。
 大豆は大分よく出來るとかで畑といへば九分まで大豆ばかりである。涼しい風が大豆の葉を渡つて吹く夕方に牛は依然のつそりとして草をむしつて居ることがある。畑と畑との間に茨に交た芒をむしつて居るから牛は大豆の葉はたべないのかと思つたら、牛によつて好きなのと嫌ひなのとがあるんだと言つた。牛の立つてる處には地を堰つて茨が白い花を開いて居る。赤い苺がびつしりつて居る。苺は大分たべた。夫に到る處山桃がある。時々腕白も木になつてる事がある。何處であつたか熊野あたりの神社のうたであつたが

山を通れば山桃欲しや、身をも投げかけてゆすらば落ちよ、さてもつれなの山桃や
 といふのがあつた。記憶の誤りはあると思ふが何でもこんなのであつた。山桃は幾年か前からどんなのかと思つて心にかけて居たが博多で始めてたべて、此處でなつてる處を見た。こゝでは一合が一錢だ相だ。
 今日元寇の難に殉じた少貳資時の墳墓のある瀬戸といふ處へ行つて見た。料理店は無いから木賃宿で飯を食つた。有合の飯は麥八分に米二分であつた。子鯖が三疋、それと朝干した許りだといふ烏賊を燒いてくれた。これは甘かつた。それから五つも燒いて貰つた。それで幾らだと言つたら六錢くれと言つた。生來始めてこんなやすい勘定を拂つて見た。島の人間は言葉の丁寧なには驚く。
 壹州と言つて一國だが北の勝本から南の郷の浦まで僅に四里、馬車は八臺あるが人力車は郷の浦に四臺きりださうだ。これで全島に人力車が四臺しか無い譯だ。それでついぞ人力車の走るのを見ない。(六月二十九日)
(明治四十五年七月四日~五日、國民新聞 所載)





底本:「長塚節全集 第二巻」春陽堂書店
   1977(昭和52)年1月31日発行
入力:林 幸雄
校正:伊藤時也
2000年5月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • 「くの字点」は「/\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告