三
その頃――というのは小学校の終り頃から中学校の初めにかけてのことだが、彼が一人の少女を慕っていたのを私は知っている。小学校の私達の組は男女混合組で、その少女は副級長をしていた。(級長は男の方から選ぶのだ。)背の高い、色はあまり白くはないが、髪の豊かな、眼のきれの長く美しい娘だった。組の誰彼が、少女倶楽部か何かの口絵の、華宵とかいう挿絵画家の絵を、よく此の少女と比較しているのを聞いたことがあった。趙は小学校の頃から其の少女が好きだったらしいのだが、やがてその少女もやはり龍山から電車で京城の女学校に通うこととなり、往き帰りの電車の中でちょいちょい顔を合せるようになってから、更に気持が昂じてきたのだった。ある時、趙はまじめになって私にその事を洩らしたことがあった。はじめは自分もそれ程ではなかったのだが、年上の友人の一人がその少女の美しさを讃めるのを聞いてから、急に堪らなく其の少女が貴く美しいものに思えてきたと、その時彼はそんなことを云った。口には出さなかったけれども、神経質な彼が此の事についても又、事新しく、半島人とか内地人とかいう問題にくよくよ心を悩ましたろうことは推察に難くない。私はまだはっきりと覚えている。ある冬の朝、南大門駅の乗換の所で、偶然その少女に(全く先方もどうかしていて、ひょいとそうする気になったらしいのだが)正面から挨拶され、面喰ってそれに応じた彼の、寒さで鼻の先を赤くした顔つきを。それから又同じ頃やはり電車の中で、私達二人とその少女とが乗合せた時のことを。その時、私達が少女の腰掛けている前に立っている中に、脇の一人が席を立ったので、彼女が横へ寄って趙の為に(しかし、それは又同時に私のためとも取れないことはないのだが)席をあけてくれたのだが、その時の趙が、何という困ったような、又、嬉しそうな顔付をしたことか。…………私が何故こんなくだらない事をはっきり憶えているかといえば――いや、全く、こんなことはどうでもいいことだが――それは勿論、私自身も亦、心ひそかに其の少女に切ない気持を抱いていたからだった。が、やがて、その彼の、いや私達の哀しい恋情は、月日が経って、私達の顔に次第に面皰が殖えてくるに従って、何処かへ消えて行って了った。私達の前に次から次へと飛出してくる生の不思議の前に、その姿を見失って了った、という方が、より本当であろう。この頃から私達は次第に、この奇怪にして魅力に富める人生の多くの事実について鋭い好奇の眼を光らせはじめた。二人が――勿論、大人に連れられてのことではあるが、――虎狩に出掛けたのは丁度其の頃のことだ。併しついでだから、順序は逆になるが、虎狩は後廻しにして、その後の彼について、もう少し話して置こうと思う。それから後の彼について思い出すことといえば、もう、ほんの二つ三つしか無いのだから。
四
元来、彼は奇妙な事に興味を持つ男で、学校でやらせられる事には殆ど少しも熱心を示さなかった。剣道の時間なども大抵は病気と称して見学し、真面目に面をつけて竹刀を振廻している私達の方を、例の細い眼で嘲笑を浮べながら見ているのだったが、ある日の四時間目、剣道の時間が終って、まだ面も脱らない私のそばへ来て、自分が昨日三越のギャラリイで熱帯の魚を見て来た話をした。大変昂奮した口調でその美しさを説き、是非私にも見に行くように、自分も一緒に、もう一度行くから、というのだ。その日の放課後私達は本町通りの三越に寄った。それは恐らく、日本で最も早い熱帯魚の紹介だったろう。三階の陳列場の囲いの中にはいると、周囲の窓際に、ずっと水槽を並べてあるので、場内は水族館の中のような仄青い薄明りであった。趙は私を先ず、窓際の中央にあった一つの水槽の前に連れて行った。外の空を映して青く透った水の中には、五六本の水草の間を、薄い絹張りの小団扇のような美しい、非常にうすい平べったい魚が二匹静かに泳いでいた。ちょっと鰈を――縦におこして泳がせたような恰好だ。それに、その胴体と殆ど同じ位の大きさの三角帆のような鰭が如何にも見事だ。動く度に色を変える玉虫めいた灰白色の胴には、派手なネクタイの柄のように、赤紫色の太い縞が幾本か鮮かに引かれている。
「どうだ!」と、熱心に見詰めている私の傍で、趙が得意気に言った。
硝子の厚みのために緑色に見える気泡の上昇する行列。底に敷かれた細かい白い砂。そこから生えている巾の狭い水藻。その間に装飾風の尾鰭を大切そうに静かに動かして泳いでいる菱形の魚。こういうものをじっと眺めている中に、私は何時の間にか覗き眼鏡で南洋の海底でも覗いているような気になってしまっていた。が、併し又、其の時、私には趙の感激の仕方が、あまり仰々しすぎると考えられた。彼の「異国的な美」に対する愛好は前からよく知ってはいたけれども、此の場合の彼の感動には多くの誇張が含まれていることを私は見出し、そして、その誇張を挫いてやろうと考えた。で、一通り見終ってから三越を出、二人して本町通を下って行った時、私は彼にわざとこう云ってやった。
――そりゃ綺麗でないことはないけれど、だけど、日本の金魚だってあの位は美しいんだぜ。――
反応は直ぐに現れた。口を噤んだまま正面から私を見返した彼の顔付は――その面皰のあとだらけな、例によって眼のほそい、鼻翼の張った、脣の厚い彼の顔は、私の、繊細な美を解しないことに対する憫笑や、又、それよりも、今の私の意地の悪いシニカルな態度に対する抗議や、そんなものの交りあった複雑な表情で忽ち充たされて了ったのである。その後一週間程、彼は私に口をきかなかったように憶えている。…………
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