您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 中島 敦 >> 正文

弟子(でし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-17 11:32:34  点击:  切换到繁體中文


     十三

 衛に出入すること四度、陳に留まること三年、そう・宋・蔡・葉・楚と、子路は孔子に従って歩いた。
 孔子の道を実行に移してくれる諸侯が出て来ようとは、今更望めなかったが、しかし、もはや不思議に子路はいらだたない。世の溷濁こんだくと諸侯の無能と孔子の不遇とに対する憤懣ふんまん焦躁しょうそうを幾年か繰返くりかえした後、ようやくこの頃になって、漠然とながら、孔子及びそれに従う自分等の運命の意味が判りかけて来たようである。それは、消極的に命なりと諦める気持とは大分遠い。同じく命なりと云うにしても、「一小国に限定されない・一時代に限られない・天下万代の木鐸ぼくたく」としての使命に目覚めかけて来た・かなり積極的な命なりである。きょうの地で暴民に囲まれた時昂然こうぜんとして孔子の言った「天のいまだ斯文しぶんほろぼさざるや匡人きょうひとそれわれをいかんせんや」が、今は子路にも実に良くわかって来た。いかなる場合にも絶望せず、決して現実を軽蔑せず、与えられた範囲で常に最善を尽くすという師の智慧ちえの大きさも判るし、常に後世の人に見られていることを意識しているような孔子の挙措きょその意味も今にして始めて頷けるのである。あり余る俗才に妨げられてか、明敏子貢には、孔子のこの超時代的な使命についての自覚が少い。朴直ぼくちょく子路の方が、その単純極まる師への愛情の故であろうか、かえって孔子というものの大きな意味をつかみ得たようである。
 放浪の年を重ねている中に、子路ももはや五十歳であった。圭角けいかくがとれたとは称し難いながら、さすがに人間の重みも加わった。後世のいわゆる「万鍾ばんしょう我において何をか加えん」の気骨も、炯々たるその眼光も、痩浪人やせろうにんいたずらなる誇負こふから離れて、既に堂々たる一家の風格を備えて来た。

     十四

 孔子が四度目に衛を訪れた時、若い衛侯や正卿孔叔圉こうしゅくぎょ等からわれるままに、子路を推してこの国に仕えさせた。孔子が十余年ぶりで故国にむかえられた時も、子路は別れて衛に留まったのである。
 十年来、衛は南子夫人の乱行を中心に、絶えず紛争ふんそうを重ねていた。まず公叔戍こうしゅくじゅという者が南子排斥をくわだてかえってそのざんに遭って魯に亡命する。続いて霊公の子・太子※(「萠+りっとう」、第3水準1-91-14)※(「耳+貴」、第4水準2-85-14)かいがいも義母南子をそうとして失敗し晋にはしる。太子欠位の中に霊公がしゅっする。やむをえず亡命太子の子の幼いちょうを立てて後をがせる。出公しゅつこうがこれである。出奔しゅっぽんした前太子※(「萠+りっとう」、第3水準1-91-14)※(「耳+貴」、第4水準2-85-14)は晋の力を借りて衛の西部に潜入せんにゅう虎視眈々こしたんたんと衛侯の位を窺う。これをこばもうとする現衛侯出公は子。位をうばおうとねらう者は父。子路が仕えることになった衛の国はこのような状態であった。
 子路の仕事は孔家こうけのために宰としての地を治めることである。衛の孔家は、魯ならば季孫氏に当る名家で、当主孔叔圉はつとに名大夫のほまれが高い。蒲は、先頃南子の讒に遭って亡命した公叔戍の旧領地で、従って、主人をうた現在の政府に対してことごとに反抗的な態度を執っている。元々人気じんきあらい土地で、かつて子路自身も孔子に従ってこの地で暴民に襲われたことがある。
 任地に立つ前、子路は孔子の所に行き、「邑に壮士多くして治め難し」といわれる蒲の事情を述べて教をうた。孔子が言う。「きょうにして敬あらばもって勇をおそれしむべく、かんにして正しからばもって強を懐くべく、温にして断ならばもって姦をおさうべし」と。子路再拝して謝し、欣然きんぜんとして任におもむいた。
 蒲に着くと子路はまず土地の有力者、反抗分子等を呼び、これと腹蔵なく語り合った。手なずけようとの手段ではない。孔子の常に言う「教えずしてけいすることの不可」を知るが故に、まず彼等に己の意の在る所を明かしたのである。気取の無い率直さが荒っぽい土地の人気に投じたらしい。壮士連はことごとく子路の明快闊達に推服した。それにこの頃になると、既に子路の名は孔門随一ずいいちの快男児として天下にひびいていた。「片言もってごくさだむべきものは、それゆうか」などという孔子の推奨すいしょうの辞までが、大袈裟おおげさ尾鰭おひれをつけてあまねく知れわたっていたのである。蒲の壮士連を推服せしめたものは、一つには確かにこうした評判でもあった。

 三年後、孔子がたまたま蒲を通った。まず領内に入った時、「善い哉、由や、恭敬にして信なり」と言った。進んで邑に入った時、「善い哉、由や、忠信にして寛なり」と言った。いよいよ子路の邸に入るに及んで、「善い哉、由や、明察にして断なり」と言った。くつわを執っていた子貢が、いまだ子路を見ずしてこれを褒める理由を聞くと、孔子が答えた。すでにその領域に入れば田疇でんちゅうことごとく治まり草莱そうらい甚だひら溝洫こうきょくは深く整っている。治者恭敬にして信なるが故に、民その力を尽くしたからである。その邑に入れば民家の牆屋しょうおくは完備し樹木は繁茂はんもしている。治者忠信にして寛なるが故に、民その営をゆるがせにしないからである。さていよいよその庭に至れば甚だ清閑せいかんで従者僕僮ぼくどう一人としてめいたがう者が無い。治者の言、明察にして断なるが故に、その政がみだれないからである。いまだ由を見ずしてことごとくその政を知った訳ではないかと。

     十五

 魯の哀公あいこうが西のかた大野たいやかりして麒麟きりんた頃、子路は一時衛から魯に帰っていた。その時※(「朱+おおざと」、第3水準1-92-65)しょうちゅの大夫・えきという者が国にそむき魯に来奔した。子路と一面識のあったこの男は、「季路をして我に要せしめば、吾ちかうことなけん。」と言った。当時のならいとして、他国に亡命した者は、その生命の保証をその国に盟ってもらってから始めて安んじて居つくことが出来るのだが、この小※(「朱+おおざと」、第3水準1-92-65)の大夫は「子路さえその保証に立ってくれれば魯国のちかいなどらぬ」というのである。だくを宿するなし、という子路の信と直とは、それほど世に知られていたのだ。ところが、子路はこの頼をにべも無くことわった。ある人が言う。千乗の国の盟をも信ぜずして、ただ一人の言を信じようという。男児の本懐ほんかいこれに過ぎたるはあるまいに、なにゆえこれを恥とするのかと。子路が答えた。魯国が小※(「朱+おおざと」、第3水準1-92-65)と事ある場合、その城下に死ねとあらば、事のいかんを問わず欣んで応じよう。しかし射という男は国を売った不臣だ。もしその保証に立つとなれば、自ら売国奴ばいこくどを是認することになる。おれに出来ることか、出来ないことか、考えるまでもないではないか!
 子路を良く知るほどの者は、この話を伝え聞いた時、思わず微笑した。余りにも彼のしそうな事、言いそうな事だったからである。

 同じ年、斉の陳恒ちんこうがその君をしいした。孔子は斎戒さいかいすること三日の後、哀公の前に出て、義のために斉をたんことを請うた。請うこと三度。斉の強さを恐れた哀公は聴こうとしない。季孫きそんに告げて事を計れと言う。季康子きこうしがこれに賛成する訳が無いのだ。孔子は君の前を退いて、さて人に告げて言った。「吾、大夫のしりえに従うをもってなり。故にあえて言わずんばあらず。」無駄とは知りつつも一応は言わねばならぬおのれの地位だというのである。(当時孔子は国老の待遇たいぐうを受けていた。)
 子路はちょっと顔をくもらせた。夫子のした事は、ただ形をまっとうするために過ぎなかったのか。形さえめば、それが実行に移されないでも平気で済ませる程度の義憤なのか?
 教を受けること四十年に近くして、なお、このみぞはどうしようもないのである。

     十六

 子路が魯に来ている間に、衛では政界の大黒柱孔叔圉こうしゅくぎょが死んだ。その未亡人で、亡命太子※(「萠+りっとう」、第3水準1-91-14)※(「耳+貴」、第4水準2-85-14)かいがいの姉に当る伯姫はくきという女策士が政治の表面に出て来る。一子※(「りっしんべん+里」、第3水準1-84-49)かいが父ぎょあといだことにはなっているが、名目だけに過ぎぬ。伯姫から云えば、現衛侯ちょうおい、位を窺う前太子は弟で、親しさに変りはないはずだが、愛憎あいぞうと利慾との複雑な経緯けいいがあって、妙に弟のためばかりを計ろうとする。夫の死後しきりに寵愛ちょうあいしている小姓こしょう上りの渾良夫こんりょうふなる美青年を使として、弟※(「萠+りっとう」、第3水準1-91-14)※(「耳+貴」、第4水準2-85-14)との間を往復させ、秘かに現衛侯逐出おいだしを企んでいる。

 子路が再び衛にもどってみると、衛侯父子の争は更に激化げきかし、政変の機運のただよっているのがどことなく感じられた。

 周の昭王の四十年うるう十二月某日ぼうじつ。夕方近くになって子路の家にあわただしく跳び込んで来た使があった。孔家の老・欒寧らんねいの所からである。「本日、前太子※(「萠+りっとう」、第3水準1-91-14)※(「耳+貴」、第4水準2-85-14)都に潜入。ただ今孔氏の宅に入り、伯姫・渾良夫と共に当主※(「りっしんべん+里」、第3水準1-84-49)こうかいおどして己を衛侯に戴かしめた。大勢は既に動かし難い。自分(欒寧)は今から現衛侯をほうじて魯に奔るところだ。あとはよろしく頼む。」という口上である。
 いよいよ来たな、と子路は思った。とにかく、自分の直接の主人に当る孔※(「りっしんべん+里」、第3水準1-84-49)とらえられ脅されたと聞いては、黙っている訳に行かない。おっ取り刀で、彼は公宮へ駈け付ける。
 外門を入ろうとすると、ちょうど中から出て来るちんちくりんな男にぶっつかった。子羔しこうだ。孔門の後輩で、子路の推薦すいせんによってこの国の大夫となった・正直な・気の小さい男である。子羔が言う。内門はもうしまってしまいましたよ。子路。いや、とにかく行くだけは行ってみよう。子羔。しかし、もう無駄ですよ。かえって難に遭うこともないとは限らぬし。子路が声をらげて言う。孔家のろくむ身ではないか。何のために難を避ける?
 子羔を振切って内門の所まで来ると、果して中から閉っている。ドンドンとはげしくたたく。はいってはいけない! と、中から叫ぶ。その声を聞きとがめて子路が怒鳴どなった。公孫敢こうそんかんだな、その声は。難をのがれんがために節を変ずるような、俺は、そんな人間じゃない。その禄を利した以上、そのかんを救わねばならぬのだ。けろ! 開けろ!
 ちょうど中から使の者が出て来たので、それと入違いに子路は跳び込んだ。
 見ると、広庭一面の群集だ。孔※(「りっしんべん+里」、第3水準1-84-49)の名において新衛侯擁立ようりつの宣言があるからとて急に呼び集められた群臣である。皆それぞれに驚愕きょうがく困惑こんわくとの表情をかべ、向背こうはいに迷うもののごとく見える。庭に面した露台ろだいの上には、若い孔※(「りっしんべん+里」、第3水準1-84-49)が母の伯姫と叔父おじ※(「萠+りっとう」、第3水準1-91-14)※(「耳+貴」、第4水準2-85-14)とに抑えられ、一同に向って政変の宣言とその説明とをするよう、いられているかたちだ。
 子路は群衆の背後うしろから露台に向って大声に叫んだ。孔※(「りっしんべん+里」、第3水準1-84-49)を捕えて何になるか! 孔※(「りっしんべん+里」、第3水準1-84-49)を離せ。孔※(「りっしんべん+里」、第3水準1-84-49)一人を殺したとて正義派はほろびはせぬぞ!
 子路としてはまず己の主人を救い出したかったのだ。さて、広庭のざわめきが一瞬静まって一同が己の方を振向いたと知ると、今度は群集に向って煽動せんどうを始めた。太子は音に聞えた臆病者おくびょうものだぞ。下から火を放って台を焼けば、恐れて孔叔(※(「りっしんべん+里」、第3水準1-84-49))をゆるすに決っている。火をけようではないか。火を!
 既に薄暮はくぼのこととて庭の隅々すみずみ篝火かがりびが燃されている。それを指さしながら子路が、「火を! 火を!」と叫ぶ。「先代孔叔文子(圉)の恩義に感ずる者共は火を取って台を焼け。そうして孔叔を救え!」
 台の上の簒奪者さんだつしゃは大いに懼れ、石乞せききつ盂黶うえんの二剣士に命じて、子路を討たしめた。
 子路は二人を相手にはげしく斬り結ぶ。往年の勇者子路も、しかし、年には勝てぬ。次第に疲労ひろうが加わり、呼吸が乱れる。子路の旗色の悪いのを見た群集は、この時ようやく旗幟きしを明らかにした。罵声ばせいが子路に向って飛び、無数の石や棒が子路の身体からだに当った。敵のほこ尖端さきほおかすめた。えい(冠のひも)がれて、冠が落ちかかる。左手でそれを支えようとした途端に、もう一人の敵の剣が肩先に喰い込む。血がほとばしり、子路はたおれ、冠が落ちる。倒れながら、子路は手をばして冠を拾い、正しく頭に着けて素速く纓を結んだ。敵のやいばの下で、真赤まっかに血を浴びた子路が、最期さいごの力をしぼって絶叫ぜっきょうする。
「見よ! 君子は、冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!」

 全身なますのごとくに切り刻まれて、子路は死んだ。

 魯に在って遥かに衛の政変を聞いた孔子は即座に、「さい(子羔)や、それ帰らん。ゆうや死なん。」と言った。果してその言のごとくなったことを知った時、老聖人は佇立瞑目ちょりつめいもくすることしばし、やがて潸然さんぜんとして涙下った。子路のしかばねししびしおにされたと聞くや、家中の塩漬類しおづけるいをことごとく捨てさせ、爾後じご、醢は一切食膳しょくぜんに上さなかったということである。

(昭和十八年二月)





底本:「ちくま日本文学全集 中島敦」筑摩書房
   1992(平成4)年7月20日第1刷発行
底本の親本:「中島敦全集 第一巻」筑摩書房
   1987(昭和62)年9月
入力:大内章
校正:川向直樹
2004年9月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。

上一页  [1] [2] [3] [4] [5]  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告