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弟子(でし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-17 11:32:34  点击:  切换到繁體中文

    一

 べん游侠ゆうきょうの徒、仲由ちゅうゆうあざなは子路という者が、近頃ちかごろ賢者けんじゃうわさも高い学匠がくしょう陬人すうひと孔丘こうきゅうはずかしめてくれようものと思い立った。似而非えせ賢者何程なにほどのことやあらんと、蓬頭突鬢ほうとうとつびん垂冠すいかん短後たんこうの衣という服装いでたちで、左手に※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)おんどり、右手に牡豚おすぶたを引提げ、いきおいもうに、孔丘が家を指して出掛でかける。※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)り豚をふるい、かまびすしい脣吻しんぷんの音をもって、儒家じゅか絃歌講誦げんかこうしょうの声をみだそうというのである。
 けたたましい動物のさけびと共にいからしてんで来た青年と、圜冠句履えんかんこうりゆる※(「王+夬」、第3水準1-87-87)けつを帯びてった温顔の孔子との間に、問答が始まる。
なんじ、何をか好む?」と孔子が聞く。
「我、長剣ちょうけんを好む。」と青年は昂然こうぜんとして言い放つ。
 孔子は思わずニコリとした。青年の声や態度の中に、余りに稚気ちき満々たる誇負こふを見たからである。血色のいい・まゆの太い・眼のはっきりした・見るからに精悍せいかんそうな青年の顔には、しかし、どこか、愛すべき素直さがおのずと現れているように思われる。再び孔子が聞く。
「学はすなわちいかん?」
「学、あに、益あらんや。」もともとこれを言うのが目的なのだから、子路は勢込んで怒鳴どなるように答える。
 学の権威けんいについて云々うんぬんされては微笑わらってばかりもいられない。孔子は諄々じゅんじゅんとして学の必要を説き始める。人君じんくんにして諫臣かんしんが無ければせいを失い、士にして教友が無ければちょうを失う。なわを受けて始めて直くなるのではないか。馬にむちが、弓にけいが必要なように、人にも、その放恣ほうしな性情をめる教学が、どうして必要でなかろうぞ。ただおさみがいて、始めてものは有用の材となるのだ。
 後世に残された語録の字面じづらなどからは到底とうてい想像も出来ぬ・極めて説得的な弁舌を孔子はっていた。言葉の内容ばかりでなく、そのおだやかな音声・抑揚よくようの中にも、それを語る時の極めて確信にちた態度の中にも、どうしても聴者を説得せずにはおかないものがある。青年の態度からは次第に反抗はんこうの色が消えて、ようやく謹聴きんちょうの様子に変って来る。
「しかし」と、それでも子路はなお逆襲ぎゃくしゅうする気力を失わない。南山の竹はめずして自ら直く、ってこれを用うれば犀革さいかくの厚きをも通すと聞いている。して見れば、天性優れたる者にとって、何の学ぶ必要があろうか?
 孔子にとって、こんな幼稚な譬喩ひゆを打破るほどたやすい事はない。汝のうその南山の竹に矢の羽をつけやじりを付けてこれをみがいたならば、ただに犀革を通すのみではあるまいに、と孔子に言われた時、愛すべき単純な若者は返す言葉にきゅうした[#「きゅうした」は底本では「きゅうしした」]。顔をあからめ、しばらく孔子の前に突立つったったまま何か考えている様子だったが、急に※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)と豚とをほうり出し、頭をれて、「つつしんで教を受けん。」と降参した。単に言葉に窮したためではない。実は、室に入って孔子のすがたを見、その最初の一言を聞いた時、直ちに※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)けいとん場違ばちがいであることを感じ、おのれと余りにも懸絶けんぜつした相手の大きさに圧倒あっとうされていたのである。
 即日そくじつ、子路は師弟の礼をって孔子の門に入った。

     二

 このような人間を、子路は見たことがない。力千鈞せんきんかなえを挙げる勇者をかれは見たことがある。めい千里の外を察する智者ちしゃの話も聞いたことがある。しかし、孔子に在るものは、決してそんな怪物かいぶつめいた異常さではない。ただ最も常識的な完成に過ぎないのである。知情意のおのおのから肉体的の諸能力に至るまで、実に平凡へいぼんに、しかし実にび伸びと発達した見事さである。一つ一つの能力の優秀ゆうしゅうさが全然目立たないほど、過不及かふきゅう無く均衡きんこうのとれた豊かさは、子路にとってまさしく初めて見る所のものであった。闊達かったつ自在、いささかの道学者しゅうも無いのに子路はおどろく。この人は苦労人だなとすぐに子路は感じた。可笑おかしいことに、子路のほこる武芸や膂力りょりょくにおいてさえ孔子の方が上なのである。ただそれを平生へいぜい用いないだけのことだ。侠者子路はまずこの点で度胆どぎもかれた。放蕩無頼ほうとうぶらいの生活にも経験があるのではないかと思われる位、あらゆる人間へのするどい心理的洞察どうさつがある。そういう一面から、また一方、極めて高くけがれないその理想主義に至るまでのはばの広さを考えると、子路はウーンと心の底からうならずにはいられない。とにかく、この人はどこへ持って行っても大丈夫な人だ。潔癖けっぺき倫理的りんりてきな見方からしても大丈夫だいじょうぶだし、最も世俗的な意味からっても大丈夫だ。子路が今までに会った人間のえらさは、どれもみなその利用価値の中に在った。これこれの役に立つから偉いというに過ぎない。孔子の場合は全然違う。ただそこに孔子という人間が存在するというだけで充分じゅうぶんなのだ。少くとも子路には、そう思えた。彼はすっかり心酔しんすいしてしまった。門に入っていまだ一月ならずして、もはや、この精神的支柱からはなれ得ない自分を感じていた。
 後年の孔子の長い放浪ほうろう艱苦かんくを通じて、子路ほど欣然きんぜんとして従った者は無い。それは、孔子の弟子たることによって仕官のみちを求めようとするのでもなく、また、滑稽こっけいなことに、師の傍に在って己の才徳を磨こうとするのでさえもなかった。死に至るまでかわらなかった・極端きょくたんに求むる所の無い・純粋じゅんすいな敬愛の情だけが、この男を師の傍に引留めたのである。かつて長剣を手離せなかったように、子路は今は何としてもこの人から離れられなくなっていた。
 その時、四十而不惑しじゅうにしてまどわずといった・その四十さいに孔子はまだ達していなかった。子路よりわずか九歳の年長に過ぎないのだが、子路はその年齢ねんれいの差をほとんど無限の距離きょりに感じていた。

 孔子は孔子で、この弟子の際立ったらし難さに驚いている。単に勇を好むとかじゅうきらうとかいうならばいくらでも類はあるが、この弟子ほどものの形を軽蔑けいべつする男もめずらしい。究極は精神に帰すると云いじょう、礼なるものはすべて形から入らねばならぬのに、子路という男は、その形からはいって行くという筋道を容易に受けつけないのである。「礼と云い礼と云う。玉帛ぎょくはくを云わんや。がくと云い楽と云う。鐘鼓しょうこを云わんや。」などというと大いによろこんで聞いているが、曲礼きょくれいの細則を説く段になるとにわかにまらなさそうな顔をする。形式主義への・この本能的忌避きひたたかってこの男に礼楽を教えるのは、孔子にとってもなかなかの難事であった。が、それ以上に、これを習うことが子路にとっての難事業であった。子路がたよるのは孔子という人間の厚みだけである。その厚みが、日常の区々たる細行の集積であるとは、子路には考えられない。もとがあって始めて末が生ずるのだと彼は言う。しかしそのもとをいかにして養うかについての実際的な考慮こうりょが足りないとて、いつも孔子にしかられるのである。彼が孔子に心服するのは一つのこと。彼が孔子の感化を直ちに受けつけたかどうかは、また別の事に属する。
 上智と下愚かぐは移り難いと言った時、孔子は子路のことを考えに入れていなかった。欠点だらけではあっても、子路を下愚とは孔子も考えない。孔子はこの剽悍ひょうかんな弟子の無類の美点をだれよりも高く買っている。それはこの男の純粋な没利害性のことだ。この種の美しさは、この国の人々の間に在っては余りにもまれなので、子路のこの傾向けいこうは、孔子以外の誰からも徳としては認められない。むしろ一種の不可解なおろかさとして映るに過ぎないのである。しかし、子路の勇も政治的才幹も、この珍しい愚かさに比べれば、ものの数でないことを、孔子だけは良く知っていた。

 師の言に従っておのれおさえ、とにもかくにもに就こうとしたのは、親に対する態度においてであった。孔子の門に入って以来、乱暴者の子路が急に親孝行になったという親戚しんせき中の評判である。められて子路は変な気がした。親孝行どころか、うそばかりついているような気がして仕方が無いからである。我儘わがままを云って親を手古摺てこずらせていたころの方が、どう考えても正直だったのだ。今の自分のいつわりに喜ばされている親達が少々情無くも思われる。こまかい心理分析家ぶんせきかではないけれども、極めて正直な人間だったので、こんな事にも気が付くのである。ずっと後年になって、ある時突然とつぜん、親の老いたことに気が付き、己の幼かった頃の両親の元気な姿を思出したら、急になみだが出て来た。その時以来、子路の親孝行は無類の献身的けんしんてきなものとなるのだが、とにかく、それまでの彼のにわか孝行はこんな工合ぐあいであった。

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