寒蝉敗柳に鳴き大火西に向かいて流るる秋のはじめになりければ心細くも三蔵は二人の弟子にいざなわれ嶮難を凌ぎ道を急ぎたもうに、たちまち前面に一条の大河あり。大波湧返りて河の広さそのいくばくという限りを知らず。岸に上りて望み見るときかたわらに一つの石碑あり。上に流沙河の三字を篆字にて彫付け、表に四行の小楷字あり。
八百流沙界
三千弱水深
鵞毛飄不起
蘆花定底沈
――西遊記――
一
そのころ流沙河の河底に栖んでおった妖怪の総数およそ一万三千、なかで、渠ばかり心弱きはなかった。渠に言わせると、自分は今までに九人の僧侶を啖った罰で、それら九人の骸顱が自分の頸の周囲について離れないのだそうだが、他の妖怪らには誰にもそんな骸顱は見えなかった。「見えない。それは
の気の迷いだ」と言うと、渠は信じがたげな眼で、一同を見返し、さて、それから、なぜ自分はこうみんなと違うんだろうといったふうな悲しげな表情に沈むのである。他の妖怪らは互いに言合うた。「渠は、僧侶どころか、ろくに人間さえ咋ったことはないだろう。誰もそれを見た者がないのだから。鮒やざこを取って喰っているのなら見たこともあるが」と。また彼らは渠に綽名して、独言悟浄と呼んだ。渠が常に、自己に不安を感じ、身を切刻む後悔に苛まれ、心の中で反芻されるその哀しい自己苛責が、つい独り言となって洩れるがゆえである。遠方から見ると小さな泡が渠の口から出ているにすぎないようなときでも、実は彼が微かな声で呟いているのである。「俺はばかだ」とか、「どうして俺はこうなんだろう」とか、「もうだめだ。俺は」とか、ときとして「俺は堕天使だ」とか。
当時は、妖怪に限らず、あらゆる生きものはすべて何かの生まれかわりと信じられておった。悟浄がかつて天上界で霊霄殿の捲簾大将を勤めておったとは、この河底で誰言わぬ者もない。それゆえすこぶる懐疑的な悟浄自身も、ついにはそれを信じておるふりをせねばならなんだ。が、実をいえば、すべての妖怪の中で渠一人はひそかに、生まれかわりの説に疑いをもっておった。天上界で五百年前に捲簾大将をしておった者が今の俺になったのだとして、さて、その昔の捲簾大将と今のこの俺とが同じものだといっていいのだろうか? 第一、俺は昔の天上界のことを何一つ記憶してはおらぬ。その記憶以前の捲簾大将と俺と、どこが同じなのだ。身体が同じなのだろうか? それとも魂が、だろうか? ところで、いったい、魂とはなんだ? こうした疑問を渠が洩らすと、妖怪どもは「また、始まった」といって嗤うのである。あるものは嘲弄するように、あるものは憐愍の面持ちをもって「病気なんだよ。悪い病気のせいなんだよ」と言うた。
事実、渠は病気だった。
いつのころから、また、何が因でこんな病気になったか、悟浄はそのどちらをも知らぬ。ただ、気がついたらそのときはもう、このような厭わしいものが、周囲に重々しく立罩めておった。渠は何をするのもいやになり、見るもの聞くものがすべて渠の気を沈ませ、何事につけても自分が厭わしく、自分に信用がおけぬようになってしもうた。何日も何日も洞穴に籠って、食を摂らず、ギョロリと眼ばかり光らせて、渠は物思いに沈んだ。不意に立上がってその辺を歩き廻り、何かブツブツ独り言をいいまた突然すわる。その動作の一つ一つを自分では意識しておらぬのである。どんな点がはっきりすれば、自分の不安が去るのか。それさえ渠には解らなんだ。ただ、今まで当然として受取ってきたすべてが、不可解な疑わしいものに見えてきた。今まで纏まった一つのことと思われたものが、バラバラに分解された姿で受取られ、その一つの部分部分について考えているうちに、全体の意味が解らなくなってくるといったふうだった。
医者でもあり・占星師でもあり・祈祷者でもある・一人の老いたる魚怪が、あるとき悟浄を見てこう言うた。「やれ、いたわしや。因果な病にかかったものじゃ。この病にかかったが最後、百人のうち九十九人までは惨めな一生を送らねばなりませぬぞ。元来、我々の中にはなかった病気じゃが、我々が人間を咋うようになってから、我々の間にもごくまれに、これに侵される者が出てきたのじゃ。この病に侵された者はな、すべての物事を素直に受取ることができぬ。何を見ても、何に出会うても『なぜ?』とすぐに考える。究極の・正真正銘の・神様だけがご存じの『なぜ?』を考えようとするのじゃ。そんなことを思うては生き物は生きていけぬものじゃ。そんなことは考えぬというのが、この世の生き物の間の約束ではないか。ことに始末に困るのは、この病人が『自分』というものに疑いをもつことじゃ。なぜ俺は俺を俺と思うのか? 他の者を俺と思うてもさしつかえなかろうに。俺とはいったいなんだ? こう考えはじめるのが、この病のいちばん悪い徴候じゃ。どうじゃ。当たりましたろうがの。お気の毒じゃが、この病には、薬もなければ、医者もない。自分で治すよりほかはないのじゃ。よほどの機縁に恵まれぬかぎり、まず、あんたの顔色のはれる時はありますまいて。」
二
文字の発明は疾くに人間世界から伝わって、彼らの世界にも知られておったが、総じて彼らの間には文字を軽蔑する習慣があった。生きておる智慧が、そんな文字などという死物で書留められるわけがない。(絵になら、まだしも画けようが。)それは、煙をその形のままに手で執らえようとするにも似た愚かさであると、一般に信じられておった。したがって、文字を解することは、かえって生命力衰退の徴候として斥けられた。悟浄が日ごろ憂鬱なのも、畢竟、渠が文字を解するために違いないと、妖怪どもの間では思われておった。
文字は尚ばれなかったが、しかし、思想が軽んじられておったわけではない。一万三千の怪物の中には哲学者も少なくはなかった。ただ、彼らの語彙ははなはだ貧弱だったので、最もむずかしい大問題が、最も無邪気な言葉でもって考えられておった。彼らは流沙河の河底にそれぞれ考える店を張り、ために、この河底には一脈の哲学的憂鬱が漂うていたほどである。ある賢明な老魚は、美しい庭を買い、明るい窓の下で、永遠の悔いなき幸福について瞑想しておった。ある高貴な魚族は、美しい縞のある鮮緑の藻の蔭で、竪琴をかき鳴らしながら、宇宙の音楽的調和を讃えておった。醜く・鈍く・ばか正直な・それでいて、自分の愚かな苦悩を隠そうともしない悟浄は、こうした知的な妖怪どもの間で、いい嬲りものになった。一人の聡明そうな怪物が、悟浄に向かい、真面目くさって言うた。「真理とはなんぞや?」そして渠の返辞をも待たず、嘲笑を口辺に浮かべて大胯に歩み去った。また、一人の妖怪――これは※魚[#「魚+台」、135-7]の精だったが――は、悟浄の病を聞いて、わざわざ訪ねて来た。悟浄の病因が「死への恐怖」にあると察して、これを哂おうがためにやって来たのである。「生ある間は死なし。死到れば、すでに我なし。また、何をか懼れん。」というのがこの男の論法であった。悟浄はこの議論の正しさを素直に認めた。というのは、渠自身けっして死を怖れていたのではなかったし、渠の病因もそこにはなかったのだから。哂おうとしてやって来た※[#「魚+台」、135-12]魚の精は失望して帰って行った。
妖怪の世界にあっては、身体と心とが、人間の世界におけるほどはっきりと分かれてはいなかったので、心の病はただちに烈しい肉体の苦しみとなって悟浄を責めた。堪えがたくなった渠は、ついに意を決した。「このうえは、いかに骨が折れようと、また、いかに行く先々で愚弄され哂われようと、とにかく一応、この河の底に栖むあらゆる賢人、あらゆる医者、あらゆる占星師に親しく会って、自分に納得のいくまで、教えを乞おう」と。
渠は粗末な直綴を纏うて、出発した。
なぜ、妖怪は妖怪であって、人間でないか? 彼らは、自己の属性の一つだけを、極度に、他との均衡を絶して、醜いまでに、非人間的なまでに、発達させた不具者だからである。あるものは極度に貪食で、したがって口と腹がむやみに大きく、あるものは極度に淫蕩で、したがってそれに使用される器官が著しく発達し、あるものは極度に純潔で、したがって頭部を除くすべての部分がすっかり退化しきっていた。彼らはいずれも自己の性向、世界観に絶対に固執していて、他との討論の結果、より高い結論に達するなどということを知らなかった。他人の考えの筋道を辿るにはあまりに自己の特徴が著しく伸長しすぎていたからである。それゆえ、流沙河の水底では、何百かの世界観や形而上学が、けっして他と融和することなく、あるものは穏やかな絶望の歓喜をもって、あるものは底抜けの明るさをもって、あるものは願望はあれど希望なき溜息をもって、揺動く無数の藻草のようにゆらゆらとたゆとうておった。
三
最初に悟浄が訪ねたのは、黒卵道人とて、そのころ最も高名な幻術の大家であった。あまり深くない水底に累々と岩石を積重ねて洞窟を作り、入口には斜月三星洞の額が掛かっておった。庵主は、魚面人身、よく幻術を行のうて、存亡自在、冬、雷を起こし、夏、氷を造り、飛者を走らしめ、走者を飛ばしめるという噂である。悟浄はこの道人に三月仕えた。幻術などどうでもいいのだが、幻術を能くするくらいなら真人であろうし、真人なら宇宙の大道を会得していて、渠の病を癒すべき智慧をも知っていようと思われたからだ。しかし、悟浄は失望せぬわけにいかなかった。洞の奥で巨鼇の背に座った黒卵道人も、それを取囲む数十の弟子たちも、口にすることといえば、すべて神変不可思議の法術のことばかり。また、その術を用いて敵を欺こうの、どこそこの宝を手に入れようのという実用的な話ばかり。悟浄の求めるような無用の思索の相手をしてくれるものは誰一人としておらなんだ。結局、ばかにされ哂いものになった揚句、悟浄は三星洞を追出された。
次に悟浄が行ったのは、沙虹隠士のところだった。これは、年を経た蝦の精で、すでに腰が弓のように曲がり、半ば河底の砂に埋もれて生きておった。悟浄はまた、三月の間、この老隠士に侍して、身の廻りの世話を焼きながら、その深奥な哲学に触れることができた。老いたる蝦の精は曲がった腰を悟浄にさすらせ、深刻な顔つきで次のように言うた。
「世はなべて空しい。この世に何か一つでも善きことがあるか。もしありとせば、それは、この世の終わりがいずれは来るであろうことだけじゃ。別にむずかしい理窟を考えるまでもない。我々の身の廻りを見るがよい。絶えざる変転、不安、懊悩、恐怖、幻滅、闘争、倦怠。まさに昏々昧々紛々若々として帰するところを知らぬ。我々は現在という瞬間の上にだけ立って生きている。しかもその脚下の現在は、ただちに消えて過去となる。次の瞬間もまた次の瞬間もそのとおり。ちょうど崩れやすい砂の斜面に立つ旅人の足もとが一足ごとに崩れ去るようだ。我々はどこに安んじたらよいのだ。停まろうとすれば倒れぬわけにいかぬゆえ、やむを得ず走り下り続けているのが我々の生じゃ。幸福だと? そんなものは空想の概念だけで、けっして、ある現実的な状態をいうものではない。果敢ない希望が、名前を得ただけのものじゃ。」
悟浄の不安げな面持ちを見て、これを慰めるように隠士は付加えた。
「だが、若い者よ。そう懼れることはない。浪にさらわれる者は溺れるが、浪に乗る者はこれを越えることができる。この有為転変をのり超えて不壊不動の境地に到ることもできぬではない。古の真人は、能く是非を超え善悪を超え、我を忘れ物を忘れ、不死不生の域に達しておったのじゃ。が、昔から言われておるように、そういう境地が楽しいものだと思うたら、大間違い。苦しみもない代わりには、普通の生きものの有つ楽しみもない。無味、無色。誠に味気ないこと蝋のごとく砂のごとしじゃ。」
悟浄は控えめに口を挾んだ。自分の聞きたいと望むのは、個人の幸福とか、不動心の確立とかいうことではなくて、自己、および世界の究極の意味についてである、と。隠士は目脂の溜った眼をしょぼつかせながら答えた。
「自己だと? 世界だと? 自己を外にして客観世界など、在ると思うのか。世界とはな、自己が時間と空間との間に投射した幻じゃ。自己が死ねば世界は消滅しますわい。自己が死んでも世界が残るなどとは、俗も俗、はなはだしい謬見じゃ。世界が消えても、正体の判らぬ・この不思議な自己というやつこそ、依然として続くじゃろうよ。」
悟浄が仕えてからちょうど九十日めの朝、数日間続いた猛烈な腹痛と下痢ののちに、この老隠者は、ついに斃れた。かかる醜い下痢と苦しい腹痛とを自分に与えるような客観世界を、自分の死によって抹殺できることを喜びながら……。
悟浄は懇ろにあとをとぶらい、涙とともに、また、新しい旅に上った。
噂によれば、坐忘先生は常に坐禅を組んだまま眠り続け、五十日に一度目を覚まされるだけだという。そして、睡眠中の夢の世界を現実と信じ、たまに目覚めているときは、それを夢と思っておられるそうな。悟浄がこの先生をはるばる尋ね来たとき、やはり先生は睡っておられた。なにしろ流沙河で最も深い谷底で、上からの光もほとんど射して来ない有様ゆえ、悟浄も眼の慣れるまでは見定めにくかったが、やがて、薄暗い底の台の上に結跏趺坐したまま睡っている僧形がぼんやり目前に浮かび上がってきた。外からの音も聞こえず、魚類もまれにしか来ない所で、悟浄もしかたなしに、坐忘先生の前に坐って眼を瞑ってみたら、何かジーンと耳が遠くなりそうな感じだった。
悟浄が来てから四日めに先生は眼を開いた。すぐ目の前で悟浄があわてて立上がり、礼拝をするのを、見るでもなく見ぬでもなく、ただ二、三度瞬きをした。しばらく無言の対坐を続けたのち悟浄は恐る恐る口をきいた。「先生。さっそくでぶしつけでございますが、一つお伺いいたします。いったい『我』とはなんでございましょうか?」「咄! 秦時の※轢鑚[#「車+度」、139-16]!」という烈しい声とともに、悟浄の頭はたちまち一棒を喰った。渠はよろめいたが、また座に直り、しばらくして、今度は十分に警戒しながら、先刻の問いを繰返した。今度は棒が下りて来なかった。厚い唇を開き、顔も身体もどこも絶対に動かさずに、坐忘先生が、夢の中でのような言葉で答えた。「長く食を得ぬときに空腹を覚えるものが
じゃ。冬になって寒さを感ずるものが
じゃ。」さて、それで厚い唇を閉じ、しばらく悟浄のほうを見ていたが、やがて眼を閉じた。そうして、五十日間それを開かなかった。悟浄は辛抱強く待った。五十日めにふたたび眼を覚ました坐忘先生は前に坐っている悟浄を見て言った。「まだいたのか?」悟浄は謹しんで五十日待った旨を答えた。「五十日?」と先生は、例の夢を見るようなトロリとした眼を悟浄に注いだが、じっとそのままひと時ほど黙っていた。やがて重い唇が開かれた。
「時の長さを計る尺度が、それを感じる者の実際の感じ以外にないことを知らぬ者は愚かじゃ。人間の世界には、時の長さを計る器械ができたそうじゃが、のちのち大きな誤解の種を蒔くことじゃろう。大椿の寿も、朝菌の夭も、長さに変わりはないのじゃ。時とはな、我々の頭の中の一つの装置じゃわい」
そう言終わると、先生はまた眼を閉じた。五十日後でなければ、それがふたたび開かれることがないであろうことを知っていた悟浄は、睡れる先生に向かって恭々しく頭を下げてから、立去った。
「恐れよ。おののけ。しかして、神を信ぜよ。」
と、流沙河の最も繁華な四つ辻に立って、一人の若者が叫んでいた。
「我々の短い生涯が、その前とあととに続く無限の大永劫の中に没入していることを思え。我々の住む狭い空間が、我々の知らぬ・また我々を知らぬ・無限の大広袤の中に投込まれていることを思え。誰か、みずからの姿の微小さに、おののかずにいられるか。我々はみんな鉄鎖に繋がれた死刑囚だ。毎瞬間ごとにその中の幾人かずつが我々の面前で殺されていく。我々はなんの希望もなく、順番を待っているだけだ。時は迫っているぞ。その短い間を、自己欺瞞と酩酊とに過ごそうとするのか? 呪われた卑怯者め! その間を汝の惨めな理性を恃んで自惚れ返っているつもりか? 傲慢な身の程知らずめ! 噴嚏一つ、汝の貧しい理性と意志とをもってしては、左右できぬではないか。」
白皙の青年は頬を紅潮させ、声を嗄らして叱咤した。その女性的な高貴な風姿のどこに、あのような激しさが潜んでいるのか。悟浄は驚きながら、その燃えるような美しい瞳に見入った。渠は青年の言葉から火のような聖い矢が自分の魂に向かって放たれるのを感じた。
「我々の為しうるのは、ただ神を愛し己を憎むことだけだ。部分は、みずからを、独立した本体だと自惚れてはならぬ。あくまで、全体の意志をもって己の意志とし、全体のためにのみ、自己を生きよ。神に合するものは一つの霊となるのだ」
確かにこれは聖く優れた魂の声だ、と悟浄は思い、しかし、それにもかかわらず、自分の今饑えているものが、このような神の声でないことをも、また、感ぜずにはいられなかった。訓言は薬のようなもので、
瘧を病む者の前に
腫の薬をすすめられてもしかたがない、と、そのようなことも思うた。
その四つ辻から程遠からぬ路傍で、悟浄は醜い乞食を見た。恐ろしい佝僂で、高く盛上がった背骨に吊られて五臓はすべて上に昇ってしまい、頭の頂は肩よりずっと低く落込んで、頤は臍を隠すばかり。おまけに肩から背中にかけて一面に赤く爛れた腫物が崩れている有様に、悟浄は思わず足を停めて溜息を洩らした。すると、蹲っているその乞食は、頸が自由にならぬままに、赤く濁った眼玉をじろりと上向け、一本しかない長い前歯を見せてニヤリとした。それから、上に吊上がった腕をブラブラさせ、悟浄の足もとまでよろめいて来ると、渠を見上げて言った。
「僭越じゃな、わしを憐れみなさるとは。若いかたよ。わしを可哀想なやつと思うのかな。どうやら、お前さんのほうがよほど可哀想に思えてならぬが。このような形にしたからとて、造物主をわしが怨んどるとでも思っていなさるのじゃろう。どうしてどうして。逆に造物主を讃めとるくらいですわい、このような珍しい形にしてくれたと思うてな。これからも、どんなおもしろい恰好になるやら、思えば楽しみのようでもある。わしの左臂が鶏になったら、時を告げさせようし、右臂が弾き弓になったら、それで
でもとって炙り肉をこしらえようし、わしの尻が車輪になり、魂が馬にでもなれば、こりゃこのうえなしの乗物で、重宝じゃろう。どうじゃ。驚いたかな。わしの名はな、子輿というてな、子祀、子犁、子来という三人の莫逆の友がありますじゃ。みんな女※[#「人べん+禹」、142-16]氏の弟子での、ものの形を超えて不生不死の境に入ったれば、水にも濡れず火にも焼けず、寝て夢見ず、覚めて憂いなきものじゃ。この間も、四人で笑うて話したことがある。わしらは、無をもって首とし、生をもって背とし、死をもって尻としとるわけじゃとな。アハハハ……。」
気味の悪い笑い声にギョッとしながらも、悟浄は、この乞食こそあるいは真人というものかもしれんと思うた。この言葉が本物だとすればたいしたものだ。しかし、この男の言葉や態度の中にどこか誇示的なものが感じられ、それが苦痛を忍んでむりに壮語しているのではないかと疑わせたし、それに、この男の醜さと膿の臭さとが悟浄に生理的な反撥を与えた。渠はだいぶ心を惹かれながらも、ここで乞食に仕えることだけは思い止まった。ただ先刻の話の中にあった女※[#「人べん+禹」、144-7]氏とやらについて教えを乞いたく思うたので、そのことを洩らした。
「ああ、師父か。師父はな、これより北の方、二千八百里、この流沙河が赤水・墨水と落合うあたりに、庵を結んでおられる。お前さんの道心さえ堅固なら、ずいぶんと、教訓も垂れてくだされよう。せっかく修業なさるがよい。わしからもよろしくと申上げてくだされい。」と、みじめな佝僂は、尖った肩を精一杯いからせて横柄に言うた。
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