目がさめた。ウーンと、睡り足りた後の快い伸びをすると、手足の下、背中の下で、砂が――眞白な花珊瑚の屑がサラ/\と輕く崩れる。汀から二間と隔たらない所、大きなタマナ樹の茂みの下、濃い茄子色の影の中で私は晝寢をしてゐたのである。頭上の枝葉はぎつしりと密生んでゐて、葉洩日も殆ど落ちて來ない。 起上つて沖を見た時、青鯖色の水を切つて走る朱の三角帆の鮮やかさが、私の目をハツキリと醒めさせた。その帆掛獨木舟は、今丁度外海から堡礁の裂目にさしかかつた所だつた。陽射しの工合から見れば、時刻は午を少しつたところであらう。 煙草を一服つけ、又、珊瑚屑の上に腰を下す。靜かだ。頭上の葉のそよぎと、ピチヤリ/\と舐めるやうな渚の水音の外は、時たま堡礁の外の濤の音が微かに響くばかり。 期限付の約束に追立てられることもなく、又、季節の繼ぎ目といふものも無しに、たゞ長閑にダラ/\と時が流れて行く此の島では、浦島太郎は決して單なるお話ではない。唯此の昔語の主人公が其の女主人公に見出した魅力を、我々が此の島の肌黒く逞しい少女共に見出し難いだけのことだ。一體、時間といふ言葉が此の島の語彙の中にあるのだらうか? 一年前、北方の冷たい霧の中で一體自分は何を思ひ惱んでゐたやら、と、ふと私は考へた。何か、それは遠い前の世の出來事ででもあるやうに思はれる。肌に浸みる冬の感覺も最早生々しく記憶の上に再現することが不可能だ。と同樣に、曾て北方で己を責めさいなんだ數々の煩ひも、單なる事柄の記憶にとどまつて了ひ、快い忘却の膜の彼方に朧ろな影を殘してゐるに過ぎない。 では、自分が旅立つ前に期待してゐた南方の至福とは、これなのだらうか? 此の晝寢の目醒めの快さ、珊瑚屑の上での靜かな忘却と無爲と休息となのだらうか? 「いや」とハツキリそれを否定するものが私の中にある。「いや、さうではない。お前が南方に期待してゐたものは、斯んな無爲と倦怠とではなかつた筈だ。それは、新しい未知の環境の中に己を投出して、己の中にあつて未だ己の知らないでゐる力を存分に試みることだつたのではないのか。更に又、近く來るべき戰爭に當然戰場として選ばれるだらうことを豫想しての冒險への期待だつたのではないか。」 さうだ。たしかに。それだのに、其の新しい・きびしいものへの翹望は、何時か快い海軟風の中へと融け去つて、今は唯夢のやうな安逸と怠惰とだけが、懶く怡しく何の悔も無く、私を取り圍んでゐる。 「何の悔も無く? 果して、本當に、さうか?」と、又先刻の私の中の意地の惡い奴が聞く。「怠惰でも無爲でも構はない。本當にお前が何の悔も無くあるならば。人工の・歐羅巴の・近代の・亡靈から完全に解放されてゐるならばだ。所が、實際は、何時何處にゐたつてお前はお前なのだ。銀杏の葉の散る神宮外苑をうそ寒く歩いてゐた時も、島民共と石燒のパンの實にむしやぶりついてゐる時も、お前は何時もお前だ。少しも變りはせぬ。ただ、陽光と熱風とが一時的な厚い面被を一寸お前の意識の上にかぶせてゐるだけだ。お前は今、輝く海と空とを眺めてゐると思つてゐる。或ひは島民と同じ目で眺めてゐると自惚れてゐるのかも知れぬ。とんでもない。お前は實は、海も空も見てをりはせぬのだ。たゞ空間の彼方に目を向けながら心の中で Elle est retrouve! ―― Quoi? ―― L'Eternit. C'est la mer mle au soleil.(見付かつたぞ! 何が? 永遠が。陽と溶け合つた海原が)と呪文のやうに繰返してゐるだけなのだ。お前は島民をも見てをりはせぬ。ゴーガンの複製を見てをるだけだ。ミクロネシアを見てをるのでもない。ロティとメルヴィルの畫いたポリネシアの色褪せた再現を見てをるに過ぎぬのだ。そんな蒼ざめた殼をくつつけてゐる目で、何が永遠だ。哀れな奴め!」 「いや、氣を付けろよ」と、もう一つの別な聲がする。「未開は決して健康ではないぞ。怠惰が健康でないやうに。謬つた文明逃避ほど危險なものは無い。」 「さうだ」と先刻の聲が答へる。「確かに、未開は健康ではない。少くとも現代では。しかし、それでも、お前の文明よりはまだしも溌剌としてゐはしないか。いや、大體、健康不健康は文明未開といふことと係はり無きものだ。現實を恐れぬ者は、借り物でない・己の目でハツキリ視る者は、何時どのやうな環境にゐても健康なのだ。所が、お前の中にゐる『古代支那の衣冠を着けたいかさま君子』や『ヴォルテエル面をした狡さうな道化』と來たら、どうだ。先生達、今こそ南洋の暑氣に醉つぱらつてよろめいてゐるらしいが、醒めてゐる時の慘めさを思へば、まだしも、醉つてゐる時の方が、ましの樣だな。……」