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かめれおん日記(かめれおんにっき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-17 11:25:01  点击:  切换到繁體中文


          五

 カメレオンは愈※(二の字点、1-2-22)弱つて來たやうで、後肢のつけ根の所の傷も、氣のせゐか昨日より擴がつたやうに思はれる。胴が鮒などよりも薄い位で、細い肋骨の列が外から見え、時々咽喉の邊をふくらませるのも何か寒さうで痛々しい。矢張動物園へ持つて行かうと決心する。動物園は好きな場所だが、寄附する、とか、預ける、とか、いふ話になると、いづれ東京のお役人が出て來て、屆を書かせたりするのではないか。役人と、役所の手續き程、やり切れないものはない。實際は簡單だと人の言ふものでも、役所への屆とか手續きとかとなると、私は頭から煩瑣なものに感じて、まるで考へて見る氣もしなくなるのである。仕方がないから、東京からかよつてゐる地理の教師のY君に頼んで上野へ持つて行つて貰はうと思ふ。學校の方ではもうこんな蟲のことなんか忘れてゐるだらうから、ことわるにも及ぶまい。元のやうに、綿を敷いた箱に入れ、箱の蓋に息拔きの穴をあけて、學校へ持つて行く。金曜だから、勤めのある日だ。
 Y君に會つて、譯を話して頼む。承知して呉れる。今日歸りに眞直に上野迄行かうと言ふ。

 晝休に、食事を濟ませてから暫く職員室にゐると、廊下で何か生徒等が騷ぎ始めたと思つたら、やがて扉があいて、去年の春結婚のためにめた音樂の教師が、赤ん坊を抱いてはひつて來た。「アラツ」と、それを見た女の教師達は一齊に聲を擧げた。關西に嫁いで行つてゐるのだが、主人が上京するのについて來たついでに寄つたのだといふ。さて、それからの此の遠來の客に對する彼女達の――殊に未婚の老孃達の擧動、表情、つまり外觀に迄現れる彼女等の心理的動搖は、まことに興味深きものであつた。「赤と黒」の作者の筆を以てしても、恐らくは猶その描寫に困難を覺えようと思はれた。羨望、嫉視、自己の前途への不安、酸つぱい葡萄式の哀しい矜恃、要するに之等の凡てを一緒にした漠然たる胸騷ぎ。彼女等は口々に赤ん坊(全く、色が白く、可愛くふとつてゐた)の可愛らしさを讚めながら、男性をとこには想像も出來ない貪婪な眼付を以て、幸福さうな若い母を、一年前とはすつかり變つて了つた髮かたちを、見違へる程派手になつた其の服裝を、(學校に勤めてゐた時は洋服だつたのに、今日は和服である)――さうして、其等凡てから讀み取らるべき生活の祕密をむさぼるやうに探らうとする。赤ん坊を抱き取つて、あやしながら其の顏に見入る眼差まなざしに至つては、子供一般に對して婦人のつ愛情とは全く別な激しさを以て爛々と燃え、複製を通じて原畫を想像しようとする畫家の眼と雖も、到底この熱烈さには及ぶまい。
 三十分ばかり話してから歸つて行つた此の若い母親と色白の男の赤ん坊とは、老孃達の上に通り魔のやうな不思議な作用はたらきを殘して行つた。午後を通じて、ずつと、獨身の女教師達の落着きの無さは、兎角かうした事の氣のつかない私のやうな者にも明らかに看取された。人間の心理的動搖が氣壓に何かの影響を及ぼすものだとしたら、午後の職員室の此のモヤ/\したものは、確かに晴雨計の上に大きな變化を與へてゐるに違ひないと思はれた。老孃達は數年前から同じ職員室の同じ机の前に腰掛け、同じ教室で同じ事柄を生徒に説き聞かせてゐる。來年も更來年も、恐らくは又その次の年も、神々の屬性の一つである「絶對の不變性」を以て之を繰返すであらう。そのうちに彼女達の中に在つた、ほんの僅かの貴いものも次第に石化して行き、つひには、男とも女とも付かない――男の惡い所と女の惡い所とを兼ね備へた怪物、しかも自分では、男の良い所と女の良い所とを兩つながらつてゐると自惚れてゐる怪物に成上つて了ふ。
 今日職員室を訪れた若い母親――先の音樂の教師は、去年私がこの學校へ來てから一月ひとつき程して職を辭したのである。其の頃の先生としての彼女と、今日の母親としての彼女とを比べて見る時、――音樂の先生といふものは、他の學課と違つて遙かに自由な派手な、教師臭くないものではあるが、――それでも、今日の方が一年前より如何に樂しげに明るく、若々しく見えたことだらう。
 教師といふ職業が不知不識の間に身につけさせる固さ。ボロを出さないことを最高善と信じる習慣から生れる卑屈な倫理觀。進歩的なものに對する不感症。さういふものが水垢のやうに何時の間にか溜つて來るのだ。「學校の先生が、生徒でない一人前の大人おとなと話をする時には、リリパットから歸つて來たガリ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)アのやうに、理解力の標準を換算するのに骨が折れる」と、ラムは言ふ。理解力だけだつたら、こんな幸ひな事はない。

          六

 カメレオンの籠には、もうカメレオンはゐない。綿が元の儘に敷かれ、止り木も元の儘にかゝつてゐる。
 去年の春から、一年半ばかりの間に、この籠に三種の動物が住んだ。最初は、黒い眼の周圍を白く縁取つた・見るからにいたづらつ兒らしい黄牡丹インコのつがひである。これは一年近くゐたが、一羽が病氣(?)で死んだので、殘つた方も人にやつて了つた。次は、翼が藍で胸の眞紅な大きな鸚鵡。之はかなり立派で、止り木にとまつたまゝうつら/\とうたた寢するところなど、仲々に澁いものがあり、娼婦の衣裳を纏うた哲學者だ、などと喜んでゐたのだが、到頭餌のやり忘れで死なせて了つた。最後がカメレオンで、これは五日間しかゐないで、動物園へ行つて了つた。寂しいといふ程ではないが、餘り愉しい氣持ではない。

 授業の無い日だが、Y君に昨日の樣子を聞くために學校へ行く。Y君の話によると、動物園でも大變喜んで受けて呉れた由。「大變大きいカメレオンですね。うちに今ゐる奴は殆どこの半分位しかありませんよ」と言つてゐたさうだ。なほ、死んだ場合には剥製用として學校の方へ送つて貰ふ約束にして來たといふ。Y君に禮を云つて、歸らうとすると、「夕方から南京町でK君のために祝ひの會をすることになつてゐるから、出て呉れませんか」と言はれた。出席する旨返事して學校を出る。
 K君は二週間程前、英語の高等教員檢定試驗に合格したのである。この間カメレオンを貰つた日に、K君の受持の生徒が二三人、おせつかいにも次の樣な話を私に告げて呉れた。何でも其の前々日かの晝休の時K君が受持の級へ行つて、「昨日の○○新聞の神奈川版に少し見たい所があるんだが、君達の中で誰かうちにそれがあつたら持つて來て呉れませんか」と言つたのださうだ。それでクラスの者が何人かうちからその日附の神奈川版を持つて來て見たところ、其處には、小さくではあつたが、「Y女學校のK教諭見事高檢にパス」と出てゐたのだといふ。「それをわざ/\私達に知らせる爲に持つて來させたのよ。いやんなつちやふわ。ほんとに。」と生徒の一人は、生意氣な口をきいた。いくら若くても、まさか、とは思ふが、さういへば、そんな莫迦げた眞似もやりかねない程のK君の有頂天ぶり(得意氣に試驗の模樣を皆にふれ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つたり、急に、女學校の教師なんか詰まらないと言出して見たり)であつた。
 人間は何時迄たつても仲々成人おとなにならないものだと思ふ。といふより、髭が生えても皺が寄つても、結局、幼稚さといふ點では何時迄も子供なのであつて、唯、しかつめらしい顏をしたり、勿體もつたいをつけたり、幼稚な動機に大層な理由附を施してみたり、さういふ事を覺えたに過ぎないのではないか。誰も褒めて呉れないといつてべそをかいたり、友達に無意味な意地惡をして見たり、狡猾ずるをしようとしてつかまつたり、みんな子供の言葉に飜譯できる事ばかりだ。だからK君の愛すべき自己宣傳なども、却つて正直でいいのだと思ふ。
 歸途、山手の丘を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて見る。
 まだ十時頃。極く薄い霧がずうつと立罩めて、太陽は空に懸つてゐるのだが、見詰めても左程眩しくない。すり硝子めく明るい霧の底に、四方の風景が白つぽく淀んでゐる。昨夕から引續いて、風は少しも無い。四邊の白さの底に何か暖いほんのりしたものさへ感じられる。
 ポケットが重いので手をやつて見ると本がはひつてゐる。出して見るとルクレティウスである。今朝着て來た上着うはぎは久しく使はなかつた奴だから、この本も何時ポケットに入れて持ち歩いたものやら記憶がない。
 基督教會クライスト・チャアチの蔦が葉を大方落し、蔓だけが靜脈のやうに壁の面に浮いて見える。コスモスが二輪、柵に沿つてちゞれながら咲殘つてゐる。海は靄ではつきりしないが、巨きな汽船ふね達の影だけは直ぐに判る。時々ボー/\と汽笛が響いて來る。
 代官坂の下から、黒衣をかづいた天主教の尼さんが、ゆつくり上つて來る。近附いた時に見ると、眼鏡をかけた・鼻の無闇に大きな・醜い女だつた。
 外人墓地にかゝる。白い十字架や墓碑の群がつた傾斜の向ふに、増徳院の二本銀杏が見える。冬になると、裸の梢々が澁い紫褐色にそゝけ立つて、ユウゴウか誰か古い佛蘭西人の頬髯をさかさまにした樣に見えるのだが、今はまだ葉もほんの少しは殘つてゐるので、其の趣は見られない。
 入口の印度人の門番に一寸會釋して、墓地の中にはひる。勝手を知つた小徑々々を暫くぶらつき、ヂョーヂ・スィドモア氏の碑の手前に腰を下す。ポケットからルクレティウスを取出す。別に讀まうといふ譯でもなく、膝に置いた儘、下に擴がる薄霧の中の街や港に目をやる。
 去年の丁度今頃、矢張霧のかゝつた朝、この同じ場所に坐つて街や港を見下したことがあつた。私は今それを思ひ出した。それが何だか二三日前のことのやうな氣がした。といふより、今も其の時から續いて同じ風景を眺めてゐるやうな變な氣がした。私の心に時々浮かんでくる想像――一生の終りに臨んで必ず感じるであらう・自分の一生の時の短かさ果敢なさの感じ(本當に肉體的な、その感覺)を直接ぢかに想像して見る癖が、私にはある――が、又ふつと心を掠めた。一年前が現在とまるで區別できないやうに思はれる今の感じが、死ぬ時のそれに似たものではないかと思はれたからである。坂道を駈降る人のやうに、停れば倒れるので止むを得ず走り續けて行く、さういふのが人間の生涯だ、と云つたのは誰の言葉だつたらう。
 少し隔たつた處に極く小さい十字架が立つてゐて、前に鉢植のヂェラニウムが鉢ごとけられてゐる。十字架の下の、書物を開いた恰好の白い石に、TAKE THY REST と刻まれ、生後五ヶ月といふ幼兒の名が記されてゐる。南傾斜の暖かさでヂェラニウムはまだ鮮かな紅い花を着けてゐる。
 斯ういふ綺麗な墓場へ來ると却つて死といふものの暗さは考へにくい。墓碑、碑銘、花束、祈祷、哀歌など、死の形式的な半面だけが、美しく哀しい舞臺の上のことのやうに、浮かび上つてくるのである。
 エウリピデスの作品の中の一節。ヒポリュトスの繼母のファイドラが不倫の愛情に苦しんで臥せつてゐる傍で、彼女の乳母が、まだ其の理由を知らないながらに、彼女を慰めてゐる。

「人間の生活といふものは、苦しみで一杯でございます。その不幸には休みといふものがございません。しかし、若し人間のこの生活よりもつと快いものが假りにあるとしても、闇がそれを取圍み、我々の眼から隱して了つてゐます。それに此の地上の存在といふものは燦かしいやうに見えますので、私共は狂人のやうにそれに執着するのでございます。何故と申しまして、私共は他の生活を存じませんし、地下で行はれてゐることに就いては何も知る所がございませんから。」
 こんな言葉を思出しながら、周圍の墓々を見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)すと、死者達の哀しい執着が――「願望ねがひはあれど希望のぞみなき」彼等の吐息が、幾百とも知れぬ墓處の隅々から、白い靄となつて立昇り、さうして立罩めてゐるやうに思はれる。

 ルクレティウスをつひに開かないまゝに、私は腰を上げる。海の上の烟つた灰色の中から、汽笛がしきりに聞えてくる。傾斜した小徑を私はそろ/\下り始める。





底本:「中島敦全集第一卷」筑摩書房
   1976(昭和51)年3月15日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※校正には、1993(平成5)年6月20日初版第18刷を用いました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2004年4月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
  • 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。

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