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作男・ゴーの名誉(さくおとこ・ゴーのめいよ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-16 11:12:48  点击:  切换到繁體中文

作男・ゴーの名誉

THE HONOUR OF ISRAEL GOW

チェスタートン Chesterton

直木三十五訳




        一

 嵐吹く銀緑色の夕方、灰色のスコッチ縞の着衣につつまれた師父しふブラウンは、灰色のスコットランドのある谷間のはてに来た、そして奇妙なグレンジル城を仰ぎ見た。城はその窪地の一方の端を袋町のように塞いでいた、それがまた世界の涯のように見えた。けわしい屋根や海緑色の石盤瓦茸小塔せきばんかわらぶきことうそびえ具合が仏蘭西フランス蘇格蘭スコットランド折衷式せっちゅうしきシャトーの様式なので、城は師父ブラウンのような英蘭イングランド人にはお伽話とぎばなしに出て来る魔女のかぶる陰険な尖り帽を思い出させるのであった。そして周囲にゆらいでいる松林は小塔の緑色りょくしょくと対比して無数の渡鳥わたりどりの群のように黒く見えた。こうした人を夢幻の世界か、またはねむたげな魔界のような雰囲気の中に惹込むのは、ただこの景物ばかりがさせる技ではなかった、なぜならば、スコットランドの貴族の家柄に、人間並をはるかに越して濃厚に纏綿てんめんしているところの高慢と狂気と不思議な悲哀との雲がここにも絡みついているからであった。スコットランドは遺伝という毒薬を二服持っている、貴族という血の意識とカルヴィン教徒の因襲の意識とがそれだ。
 坊さんはグラスゴーまで用事があって来たので、今一日を割いて、友人なる素人探偵フランボーに会いにやって来たのであった。フランボーは最近伝えられたグレンジル伯の死説の真偽を確めるために今一人警察の本職探偵と倫敦ロンドンからやって来てこのグレンジル城に滞在していた。疑問の人物グレンジル伯は十六世紀の昔、国内の心根こころねの曲った貴族の間においても、剛勇と乱心とたけだけしい奸智とで彼等を縮みあがらせた種族の最後の代表者ともいうべき男であった。
 幾世紀にわたってグレンジル城の城主は莫迦ばかの限りをつくした、今ではもう莫迦も種ぎれになったろうと思われても決して無理はないのであった。ところが事実は今の最後の伯爵は、まだ誰も手をつけたことのない珍趣向で、伝家のしきたりを完成させた、すなわち彼は姿をくらましたのだ。といっても彼が外国へでも行ったという意味ではない。どう考えても彼はまだ城内に生きているはずである。もし彼がどこかにるものとすれば、事実彼の名は教会名簿にも大冊の赤い華族名鑑にもまだ載っているのだ、だが誰にも彼れを太陽の下に見たと云うものがないのだ。もしも何人なんぴとか彼を見た者があるとすれば、それは馬丁ばていとも次男ともつかない孤独の召使の男である。彼はひどいつんぼなので、早合点はやがてんの人は彼を唖者おしだと思い込み、それより落付いた人も彼を薄鈍物うすのろだといった。痩せてガラガラした、赤毛の働き男で、くびはいかにも頑固だが魚のような眼をもった彼はイズレールゴーという名で通っている。そしてこの物佗しいやかたにつかえる一個の無言の召使である。けれども彼が馬鈴薯ばれいしょを掘る絶倫な精力と判で押したように規則正しく台所へ消えて行くことは、見る人に、彼が誰か高位の人のために食事の用意でもしているんじゃないか、そうとすれば不思議な伯爵はやはり城内にかくれているのではないかという印象を起させるのであった。そこで世人せじんが突込んで実際は伯爵が生きているんじゃないかと訊くとゴーは頑固に首をふってそんなはずはないという。ある朝市長と牧師が城に呼ばれた。そこで両人の者はその作男さくおとこ兼馬丁兼厨夫ちゅうふがたくさんの兼職の中へ今一つ葬儀屋の職を加えて、やんごとない主人をひつぎの中に釘づけにしておいたという事実を発見した。この奇妙な事実がそのどの程度まで取調べられたものか、またはまるで取調べられなかったものか今以てよくは解っていないようだ。何しろフランボーが二、三日前に倫敦ロンドンから北行ほくこうして来るまでというもの正式の取調べはまだ行われてなかったくらいだから、行われぬままにしかし、グレンジル伯の遺骸は(それが遺骸だとすれば)小岳しょうきゅうの小さな墓地に今日まで葬られてあるわけだ。師父ブラウンが仄暗ほのくら樹苑じゅえんを通って城影じょうえいの下に来た時、空には厚雲あつぐもがかぶさり、大気は湿っぽく雷鳴が催していた。緑ばんだ金色の夕映ゆうばえの名残を背景にして黒い人間の姿が影絵のように立っているのを彼は見た。妙な絹帽シルクハットをかぶった男で肩に大きなすきを担いでいる。その取合せが妙にかの寺男てらおとこを思わせた。師父ブラウンはその聾の下男が馬鈴薯を掘るという事をふと思い出して、さてはその訳がと合点したのであった。彼はこの蘇格蘭スコットランドの百姓がどうやら解けたと思った。官憲の臨検に対する故意から黒帽こくぼうをかぶらなければならんと考えたのであろう心持こころもちも読める、――
 そうかと言ってそのため馬鈴薯掘りは一時間たりとも休もうとはしない倹約心けんやくしんも解った。坊さんが通りかかると吃驚びっくりして迂散臭うさんくさそうな眼付をしたのもこうした型の人間に通有な油断のない周当さを裏書するものである。正面の大戸がフランボー自身によって開かれた。側には鉄灰色てっかいしょくの頭髪をした痩せぎすな男が、紙片かみきれを手にして立っていた。倫敦ロンドン警視庁のクレーヴン警部だ。玄関のは装飾の大部分が剥がれてガランとしていた。がこのうちの陰険な先祖の仮髪かつらをかぶった蒼白いフフンというような顔が一つ二つ古色蒼然たる画布の中から見下みおろしていた。二人について奥の間へはいって行くと、ブラウンは二人が長い柏材かしわざい卓子テーブルに席をしめていた事をしった。テーブルの一方の端には走書はしりがきのしてある紙片かみきれがひろがっており、そして側にはウイスキー瓶と葉巻とが載っている。そのの部屋には所々バラバラに物品が列べられてある。正体の何といって説明のつかない品ばかりである。あるものはキラキラ光るこわれ硝子の寄集めのようである。あるものは褐色の塵芥じんあいの山のように見える。あるものはつまらぬ棒切れのように見えた。
「ホウまるで地質学展覧会を開業している様じゃなあ」とブラウンは腰をおろしながら、褐色の塵芥や硝子の破片の方へ頭をちょっと突出していった。
「いや地質学展覧会ではない」とフランボーが答えた。「心理学展覧会と言っていただきたい」
「ああ、後生ですから来られる早々無駄言ばかりは御免下さい」と警察探偵は笑いながら云った。
「まあ聞きたまえ、吾々われわれは今グレンジル卿についてある事件を発見するところです。卿は狂人であったのです」
 高い帽子をいただき鋤を担いだゴーの黒い影法師が暮れ行く空に朧げな外線をかくしながら窓硝子を過ぎて行った。師父ブラウンは熱心にそれを見送っていたがやがてフランボーに答えて云った。
「なるほど伯爵については妙な点があるに相違ないとわしは思っている。でなくば自分を生埋めにさせるわけはなくまた事実死んだとしたらあんなに慌てて葬らせようとしなくともよいはずじゃ。しかし君、狂人とはいかなる点を以て云うのじゃな」
「さあそこですが」とフランボーが云った。「[#「「」は底本では欠落]このクレーヴン君がうちの中で蒐集した物件の品名目録を今読上げてもらうから聞いて下さい」
「しかし蝋燭ろうそくがなくてはどうもならんなア」とクレーヴンが不意に言った、「どうやら暴模様あれもようになって来たようだし、これでは暗くて読めん」
「時にあなたがたの蒐集中に蝋燭らしいものがあったかな?」ブラウンが笑いながら云った。
 フランボーは鹿爪しかつめらしい顔をもたげた。そして黒い眼をこの友人の上にジッとえた。
「それがまた妙なんでしてね、蝋燭は二十五本もありながら燭台は影も形も見えんです」
 急に室内は暗くなって来た、風は急に吹荒ふきすさんで来た。ブラウンは卓子テーブルに添うて蝋燭の束が他のゴミゴミした蒐集品の中に転がっているところへ来た。がふとその時彼は赤茶色のあくたの山のようなものを見出みいだして、その上にのしかかってみた。と思うまに激しいくさめの音が沈黙をやぶった。
「ヤッ! これはこれは嗅煙草かぎたばこじャ!」とブラウンが云った。
 彼は一本の蝋燭を取上げて叮嚀ていねいに火を点け、元の席に帰って、それをウイスキー瓶の口にさした。気の狂ったようにバタバタとはためく窓を犯して吹込む騒々しい夜気よきが長い炎をユラユラと流れ旗のように揺めかした。そしてこの城の四方に、何マイルとなくひろがる黒い松林が孤巌こがんを取巻く黒い海のようにごうごうと吠えているのを彼等はきいた。
「では目録を読上げてみましょう」とクレーヴン探偵は鹿爪らしい顔をして一枚の紙を取上げた。「もっとも目録とは云いながら、実物はすべて城中のあちこちに変な風にチラバッておったものを一所ひとところへ集めたものではあるですが。師父さんも城内の装飾が大部分引はがされたり、もぎ取られたりした歴々たる形跡のあるのを既に御覧の事とは思いますが、ここにただ一部屋か二部屋、何者かが住んでおったものと見えて、――それがあの下男のゴーでないことは確かです――粗末ではあるがしかし小綺麗に整頓したへやがあるのです。では読上げましょう――
 第一項 おびたゞしい宝石はうせきの山。九分九厘まではダイヤモンド。しかも皆貴金属より抜取られあるものにして金属は見えず。もちろんこのオージルビー家とて家族者かぞくしやの身に帯びし宝石は無数にありたるならんも、今ここに記す宝石類は皆極めて一般の場合特別なる装飾品に象眼ざうがんさるゝ種類の品ならざるはなし、オージルビーの家族はそれ等の宝石類を抜取りて、あたかも銅貨の如く常にポケット内に弄びしものにはあらざるか。
 第二項 剥出しなる嗅煙草のおびたゞしき山。煙草入たばこいれにも入れてなく、ふくろにも入れてなくして、暖炉ストーブ枠の上、食器棚の上、ピアノの上とう至る所に一塊ひとかたまりづゝにして載せてある。その様あたかも老伯がポケット内にこれをさぐり、あるひは容器の蓋を開くのものうきに絶えずとしてしかせしならんが如く見ゆ。
 第三項 屋内のここかしこに不思議なる金属の細片の小さき山。あるものはぜんまいの如く、あるものは精微なる歯車の形せり。これ等皆あたかも機械仕掛の玩具中より取外せしものゝ如し。
 第四項 蝋燭二十五本。しかも燭台らしきもの一もなきを以てこれ等は空瓶の口にでも差して使用せざるべからず。
「さて、師父さん、あなたにお願いしておきたいのは奇々妙々なる事実が我々の予想以上じゃという点に御注目下さらんことです。[#「。」は底本では欠落]もっとも謎の中心問題に関しては我々にも意見はあります、すなわち我々は一見して故伯爵には何か故障のようなものがあったんだなということをすぐにさとりました。吾々は、彼がここに生きているかどうか、またここに死んでいるかどうか、彼を埋葬したというあの赤毛の異形いぎょうな男が彼の死去と何等かの関係があるかどうかを知ろうとしてここへ参った訳です。そこで仮にこれ等の仮定のうち、事実は最も悲しむべき事態にあったものとして、いわば非常に物凄い、芝居がかりの筋でも想像するとしたならどうでしょうか。すなわちあの下男が主人を実際に殺害したものと仮定するなり、主人が実際に死んでおらんと仮定するなり、主人が下男に化けているんだと仮定するなり、もしくは下男が主人の身代りに生埋めにされたものと仮定するなり、とにかくよろしく想像をめぐらしてみるとします。しかも結果はどうでしょう、蝋燭あって燭台のない理由や、相当の家柄に生れた分別ある紳士が常習[#「習」は底本では「皆」]的に嗅煙草をピアノの上などに散らしておくなどという理由の説明はどうあってもつかんのです。吾々は話の中心だけは想像が出来ました、疑問はむしろ外縁にあるのです。いかに想像力をたくましゅうしても、人間の心には嗅煙草とダイヤモンドと蝋燭とバラバラの歯車やぜんまいとの関係を推測する事は不可能とはいわなくてはならんです」
「わしらはその関係はようせると思うがなあ」と坊さんが云った。「このグレンジル伯なる者は仏蘭西フランス革命に対して熱狂的に反対な王党であった。彼はやはり昔風の王制の讃美者であった。そこでルイ王朝の家庭生活を文字通りに今の社会に再現させようと試みた。彼が嗅煙草を持っとったのは嗅煙草なるものが彼の御気に入りである拾八世紀の奢侈品しゃしひんであったからじゃ。蝋燭は拾八世紀の燈明であったからじゃ、銅鉄製の豆機械というのは、ルイ十六世の錠前道楽をかたどったものじゃ。ダイヤモンドは有名なマリー・アントワネット(ルイ拾六世紀の皇后)のダイヤモンド頸飾じゃ」
 相手の二人は眼を丸くしてブラウンの顔を見入った。
「オー何と云う奇想天外的な推理であろう」とフランボーが叫んだ。「しかし師父あなたは本当にそうと信じておられるのですか」
「いやそうでない事をわしはきつく信じるよ」と師父ブラウンが答えた。「だがあなたがたは何人なんぴとといえども嗅煙草とダイヤモンドとぜんまいと蝋燭との関係をよう見破らんとのみ云われるがわしはその関係を一つ出放題に鮮明がしてみたいんでな。事実の真相は、わしはきっと信じるが、もそっと深い所に横たわっているんじゃ」彼はふと言葉をきらして小塔にむせび泣く風音に耳を澄まして、それから更に続けた。
「故グレンジール伯は盗賊であった。命知らずの強盗として裏面りめんに暗い生活を送っておった。彼は蝋燭を短く切って、小さな角灯カンテラの中に入れて歩いた故に燭台の必要がなかった。嗅煙草は、最も強暴な仏蘭西フランスの犯罪者が胡椒を使用した様にこれを使用した。というのは、これを引つかんで捕吏ほりもしくは追跡者のつらにいきおいよくパッと投げつけるためにじゃ。最後に、ダイヤモンドと鋼鉄の歯車であるが、これは不思議にも一体をなすものと見える。これで何もかもあなた達はがてんするであろうが、ダイヤモンドと小さな鋼鉄の歯車は盗賊には限らない。どんな人でも硝子を切る時にこれがなくては出来ないという二つの道具であるのじゃ」
 松の樹の折枝が嵐にもまれて、二人の背後[#「後」は底本では「御」]窓框まどかまちをバサバサバサとたたいた。強盗の向うを張ったわけでもあるまいに、しかし二人は振向もせず熱心に師父ブラウンの顔を見つめていた。
「ダイヤモンドと小さな歯車、フン」
 とクレーヴン探偵が思案にふけるような面持でしきりに繰返した。「しかしそれだけで本当に真の説明になるでしょうか」
「いやわしもそれが真の説明だとは思わんのじゃ」
 坊さんはけろりとした顔で「じゃがあなたがたはこの四者の関係を見破る者は誰もないとばかり云われる。もちろん、本当の筋はもっと平凡に相違ない。そうかな、グレンジールは屋敷内で宝石を発見した。もしくは発見したと考えた。というはこうじゃ。何者かがこれ等のバラの宝石を主人に出した。これは城内の洞窟内で発見したものだというて、主人をだまそうとした。小さな歯車はダイヤモンドを彫る道具である。主人はこの山中にすむ羊飼やら野人やらの助けを借りて手任せに掘り出そうとした。嗅煙草は蘇格蘭スコットランドの羊飼どもにはとても贅沢品じゃ。なあ、これを鼻先へついと突つければ誰だって何ぼうでも彼等を買収する事は出来る、最後に燭台のない理由は、燭台なんかはいらないからじゃ、洞窟内なんぞを照すには裸蝋燭で結構用が足りるもんじゃが」
「はあ、それだけですか」ややしばらくしてフランボーがこう訊ねた。「やれやれこれでとうとう不景気な真理に到達した訳ですかね」
「いや、そうではない」とブラウンが答えた。
 風が松林の遥かなるはての方へ、セセラ笑うが如くホーホーホーと長く後を引かせながら消え去った時師父ブラウンがポカンとした顔で言葉を続けた。
「なに、わしはあなたがたが、誰だって嗅煙草と歯車もしくは蝋燭と宝石との関係をもっともらしく説明することはようせんと余り云わるるのでちょっともっともらしい事を云ってみたまでの事じゃ。十把一搦げの似非哲学が宇宙には似つかわしいように、グレンジル城には、十把一搦げの似非推量が似つかわしいといったような訳でな。しかし実はこの城にも実際の説明が無ければならん。時に蒐集品はもうほかには無いでしょうか」
 ク[#「ク」は底本では「グ」]レーヴンは吹き出した。フランボーもニヤリと笑いながら立上って、長い卓子テーブルの端の方へのそのそと歩いて行った。
「第五項、第六項、第七項と控えてはいるが、掘出すとかえって蜂の巣をつついた様になります」とフランボーが答えた。「第一に鉛筆しんが山のようにあります。これは心だけで鞘がない。それからブッキラ棒な竹の杖が一本、これは頭の金具が剥取ってあります。兇行用の道具としては役立ち得る代物だが別段犯罪らしいものもない。ほかにはまあ古ぼけた弥撤みさの祈祷書が二、三冊と小さな旧教のが何枚かあります。察するにこれ等はこのオージルビー家に中世時代から伝わっているものと私は思う。が、妙にところどころ切り抜いてあったり、顔なぞもえらい事になっているので、これは博物館へでも廻したい代物です」
 外では猛烈な嵐が城をかすめて物凄い千切雲ちぎれぐもを吹飛ばした。そしてこの細長い空の中に闇を投げ込んだ。その時師父ブラウンは、その小さな本を手にとって燦爛さんらんと光るそのページをしらべ始めた。やがて彼は口を開いた。闇の影はまだ立迷っている。しかし彼の声はまるで生れ変って来た様な声であった。
「クレーヴンさん」と云った声は十歳も若く聞えた。「あなたはあの山上の墓を発掘すべき正式の、令状をたしかに御持ちでしょうね。善は急げだ。急げばそれだけこの恐るべき事件の底も早くたたいて見られると云うものです。もしわしがあなたであったらすぐさま出立しゅったつ致しますがね」
「これからすぐ、えエどうしてすぐでなければいけないんです」探偵は驚いて訊ねた。
「さあなぜというと、これはなかなか重大問題ですからじゃ、嗅煙草の散らばっている事や宝石の抜き取ってある事に対しては百の理由も想像もなりうるが、この書物をこんな具合に瑕物きずものにしておった理由はただ一つしかない。これ等の宗教画がこの通り汚され、引裂かれ、落書らくがきさえされてあるのは、子供の悪戯や新教徒の頑迷からした仕事ではない。これはすこぶる念入りにやった仕事です。またすこぶる不可能なやり方です。神の御名みなを金文字で大きく書いてある部分は残らず叮嚀に切取ってある。そのほかにこの手をくっている箇所は嬰児基督キリスト御頭みあたまを飾る御光ごこうである。じゃによってわし等はこれから直ちに令状と鋤と手斧をたずさえて山へ登った上、かんを発掘しようかとこう云うんです」
「ハア、とおっしゃると、どういう意味ですか」倫敦ロンドンの探偵がたたみかけるように訊いた。
「と云う意味は」と小さい坊さんの答える声は嵐のえ狂う中にもちょっと大きくなったかと思われた。「と云う意味は宇宙の巨大なる悪魔が、今この瞬間、この城の大塔の頂上に、百の衆を集めた様にふくれ、黙示録のそれのように咆哮しつつ[#底本では「つ」が重複]あろうやもしれないというんです。この切抜事件の底にはどこやらに悪魔の魔法が潜みいると見える。とにかく秘密の鍵を開くべき一番の近道は山へ登って墓をあばくのが一番だと想いますじゃ」


 

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