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近藤勇と科学(こんどういさみとかがく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-16 11:11:55  点击:  切换到繁體中文

   上篇ノ一

 すぐ前に居た一人がつんのめされたように、たたっと、よろめいて、双手で頭を抱えると、倒れてしまった。
せっ、伏せっ、伏せっ」
 土方ひじかたは、つづけざまに、こう怒鳴どなって、大地だいちへ伏してしまった。
「畜生、やられた」
 土方の頭の上で、人間の声というよりも、死神の叫びのような絶叫をしたので、振向くと、口から血の泡を流しながら渋沢が、やりを捨てて、よろいひもを引きちぎろうとしていた。
うした?」
 渋沢は、眼球を剥出むきだして、顔中を痙攣けいれんさせながら、ひざを突いて、土方へ倒れかかった。土方が避けたので、打伏しにころがると、動かなくなった。
「撃たれたらしいが、何処どこを――」
 と、思ったが見当がつかなかった。
「顔で無いと――よろいを射抜くはずは無いと――」
 土方は、洋式鉄砲の威力がの位のものか、この戦争が最初の経験であった。味方のフランス式伝習隊の兵を見ると、旗本のへっぴり侍ばかりで薩摩さつまのイギリス仕込みだって、これと同じだろう。
(いよいよ斬込きりこみとなったなら鉄砲なんか何の役に――)
 と、思っていたが、半町の距離で、この程度の威力を発揮するとしたなら、研究しておく必要があると思った。
 そして、右手で、肩をつかんで真向まむけに転がすと、半分眼を開いて血にまみれた口を、大きく開けて死んでいたが、顔には、何処も傷が無かった。
(鎧の胴を通すかしら)
 土方が、胴をみると、小さい穴があいていた。丁度、肺の所だった。
 顔を上げると、御香ごこうみやの白い塀の上に、硝煙が、噴出しては、風に散り、散っては、噴き出し、それと同時に、すさまじい音が、森に空に、家々に反響していた。
 いつの間に進んだのか、五六人の兵が、往来に倒れていた。両側の民家の軒下の何処にも、四五人ずつ、槍を提げて、突立っていた。そして、土方が、何か指図をしたら、動こうと、じっとこっちを眺めていた。
 頭の上を、近く、遠く、びゅーん、と音立てて、弾丸たまがひっきり無しに飛んでいた。周囲の兵は、皆地に伏して、頭を持上げて、坂上の敵をにらんでいたが、誰も立つものは無かった。
 一人が、槍をもって、かぶとをつけた頭を持上げながら、腹いに進んでいた。その後方から、竹胴に、白袴しろばかまをつけ、鉢巻をしたのが、同じように、少しずつ、前進していた。
「危いぞ」
 銃声は聞えていたが、外から、耳へ入るので無く、耳の底のどっかで、うなっているように感じた。前方の地に、小さい土煙が、いくつも上った。
「あっ」
 と、叫んだ声がしたので、振向くと、一人が、額から、血を噴き出させて、がくりと前へ倒れてしまった。
 御香ノ宮の塀に、硝煙の中から、ちらちら敵兵の姿が見えてきた。土方は、その姿が眼に入ると共に
「おのれ」
 と、叫んで、憤怒ふんぬが、血管の中を、熱く逆流した。その瞬間、七八人の兵が
「出たっ、芋侍いもざむらいっ」
 と、いう叫びと共に、かれたけだもののように、走り出した。真中の一人が、よろめいた。先頭のが、槍を片手でさし上げて、何か叫びながら、少し走ると、倒れてしまった。
 二人が、元のように地に伏した。
「馬鹿っ、出るなと云うに」
 土方が叫んだ時、残りの者が、皆倒れてしまった。
「退却っ、このまま、這って退却っ」
 土方は、このまま日が暮れたら、全滅すると思った。
「退却っ」
 鋭い声がしたので、その方を見ると、近藤いさみせがれ、周平が、白い鉢巻をして、土方を睨んでいた。
「犬死してはならぬ」
 土方が、睨み返して怒鳴った。
「射すくめられて戦えぬなら、いっそ戦へ出ん方がよろしい」
 周平は、こう叫ぶと
「進め」
 片手を突いて立上ると、右手の槍を高くさし上げて
「かかれ」
 と、叫んだ。軒下の兵が、走り出した。両側から、二三十人ずつも、往来へ、雪崩なだれ出した。銃声が激しくなって森を白煙で隠す位になると、倒れる者、よろめく者、逃げて入る者、伏せる者、みるみる内に、七八人しかいなくなった。
「周平っ」
 土方は、近藤勇が、大阪できず養生をしていていないからその間に、周平を殺しては、困ると思った。そして、立上りかけると、周平がよろめいて、膝をついた。
「だからっ」
 土方は、大声に叫んで立つと同時に、びゅ-んと、耳をかすめた。その音と一緒に、折敷になって
「誰か、周平っ」
 と、叫んだ。一人が、周平の手をとって肩へかけようとしていたが、二人共、倒れてしまった。
「誰かっ」
 一人も、周平の所へ行く者が無かった。

      二

「もっと伏して」
 敵の前で、尻を敵に見せて、這いながら退却する事は、新撰組の面目として出来る事でなかった。人々は、後方へ後方へと、すさり始めた。
(危かった)
 一人は、今、自分が伏していた所へ、弾丸がきて、土煙の上ったのを見ると、周章あわてて四つ這いに、引下った。
「周章てるなっ、見苦しいっ」
 一人が、後方から、尻を突いて叫んだ。
「見苦しい。お互様だ」
 一人は、隣の人に
「俺のかぶとは、明珍みょうちんの制作で、先祖伝来物だが、これでも、弾丸は通るかのう」
 首を伏せて、鎧の袖を合せながら、こう聞いたので
「さあ」
 と、答えた刹那せつな、明珍の甲をつけた男は、甲の上から、両手で、頭をかかえて、唇をゆがめた。
「やられたかっ」
 男の顔を見ると、苦痛で、顔中をしかめていた。
 最後の列の兵は、素早く、軒下へ飛込んで、軒下づたいに逃出した。一人が、敵へ尻を向けて、大急ぎに、四つん這いに這い乍ら、逃出すと、二人、三人、と、周章てて、這い出した。
「見苦しいぞ、磯子、鈴木っ」
 軒下の兵が、軒下を伝って逃げ乍ら、敵に尻を向けて這っている兵へ、怒鳴どなった。兵は、黙って、もっと急いで、手足を動かした。
 御香ノ宮の敵は、新撰組の退却するのを見ると、塀から、次々に乗越えて、槍をもって進んできた。
「止まれっ」
 土方が叫んだ。
「出たっ」
「出たっ」
 口々に叫んで立上った。塀の上に、又白煙が、いくつも、横に並んで、森の中へ消えていった。十四五人が、ときを上げて、走り上ると、敵は、周章てて、塀の中へ、隠くれてしまった。そして、銃声が、硝煙が、激しくなった。
「伏せっ。長追いすなっ」
 走って行った七八人の半分は、軒下へ逃込み、半分は倒れて、よろめきつつ、這って逃げてきた。
卑怯ひきょうなっ」
 と、一人が、赤くなった眼で、敵を睨んだ。
「味方の鉄砲隊は?」
「ここは、新撰組一手で戦うと云ったから、墨染の方へ廻ったらしい」
「使を出して――」
「馬鹿っ、鉄砲隊に、あれだけ威張っておいて、今更頼みに行けるか」
 人々は、怒りと、無念さと、屈辱とに、逆上しながら、じりじり這って退いた。
 正月元日だった。吹き下してくる風が、凍っていて、時々、顔へ砂をぶっかけた。硝煙の臭が、流れてきた。
 鎧が、考えていたよりも重いし、這うのに、草摺くさずりが邪魔になった。袴をつけている人は、平絹の、仙台平せんだいひらのいい袴を土まみれにしていたし、黒縮緬の羽織に、ひもをかけ、竹胴をつけている人は、水たまりに袖を汚していた。
 組の者の外に、誰も見てはいなかったが、敵の前で、這っているのを、自分で、苦笑し、侮蔑ぶべつし――だが
(次の戦いで)
 と、思って、慰めていた。土方が
「上村、貴公、鉄砲が打てるか」
 と聞いた。
「打てませぬ」
「竜公、貴様は?」
「あんな物位、すぐに――」
 土方は大声で
「組に、鉄砲の打てる者はいるか」
 と、這い乍ら叫んだ。
「三匁玉もんめだまなら」
 遠くで答えた。
「スナイドルか、ジーベルじゃ」
「毛唐の鉄砲は、打てん」
「誰もないか」
 誰も答えなかった。

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