そこには銅羅の打撃の様に急な沈黙があった。その沈黙において夫人の内に非常に正確に活動した心の奥底の当推量がほとんど叫び声を上げんばかりに彼女を動かした。 「それはたしかにあんたが見られたものじゃ」と坊さんは話し続けた。「あんたは彼の死骸を見られたはずじゃ。あんたはほんとに生きてる、彼を見なかったのじゃ。しかしあんたは彼の死骸は見られたはずじゃ。君は四本の大きな蝋燭の光りでそれをよく見たのですぞ、そしてそれは海中に自殺的に投げられていなかったじゃ。が十字軍の前に建った寺院にある教会の王子のような風に横たわっておったのじゃ」 「簡単に言いますと」ターラントが言った、「あなたはあのミイラにした死骸はほんとに殺された人の死骸であったと吾々に信ぜよと言われるのですね」 師父ブラウンは一瞬間黙っていた。それから彼は無頓着な態度で言った。 「それについてわしが気づいた最初の事は十字架、むしろ十字架を支えてる紐でありましたのじゃ、当然、あんた方にとっても、それはただ小珠の紐であった。[#「。」は底本では欠落]特別にどういうものではなかったのじゃ、が、しかしまた当然、それはあんた方のよりはわしの職掌にあったのじゃからな。あんた方はそれが毛皮製の頸巻が全く短くあったかの如くに、ほんの二三の小珠が見えたばかりで、顎にズット近くおかれた事を御記憶じゃろう。その外に見えてた小珠は変った風にならべられておった。最初の一つそれから三つ、そして続いてな、事実において、わしは一目見てそれは珠数、すなわちそれの一端に十字架のついてる普通の珠数であった事がわかってしまったじゃ。しかし球数は少くとも五十珠とそれに附加する小珠を持ってますのじゃ、それでわしは当然それの残りのものはどこにあるかを不思議に思いよったのじゃ。それは老人の頸を一まわり以上まわるに違いありませんわい。わしはそのときにはそれを判断する事が出来なんだ。がその残りの長さがどこに這入ってるかを想像したのはすぐその後じゃったよ、それは蓋を支えてた、棺桶の角にくっつけられておった木の棒の足にぐるぐるとまかれてあったのじゃ、いいかな、それは気の毒なスメールがほんのちょっと十字架に触った時、それがそこからその支え棒をはずしたのだ、そして蓋が石の棍棒のように彼の頭に落ちたのじゃ」 「ヤレヤレ!」ターラントが言った、「僕はあなたのいわれる事に何物かがあると考え出してますよ。もしそれが事実としたらこりあ奇妙な話しですね」 「わしはそれが解った時に」と師父ブラウンが続けた。「わしは多少他の事も推察する事が出来ましたのじゃ。まず最初に、調査以上に何事に対しても信用すべき考古学上の権威がなかったという事と、記憶なされ、気の毒な老ウォルター氏は正直な好古家であったのじゃ、彼はミイラにされた死骸についての伝説に何か真実があったかどうかを見出そうと墳墓を開ける事に従事しておられたのじゃ、その他の事は皆、かかる発見をしばしば予想しまたは誇張して言う、風説でありますのじゃ。事実、彼はミイラにされていたのでなく、長い間埃の中に埋まっていたのだという事を発見されたのじゃ。彼が埋まった会堂の中でさびしい蝋燭の光りをたよりにそこで仕事をしていた時に、蝋燭の光りは彼自身のではない他の影を投げた」 「ああ!」とダイアナ夫人は息がつまるように叫んだ、「まあ私は今あなたのおっしゃる事がわかりますわ、あなたは私達が殺人者に逢った事を私達に話すおつもりなんです、殺人者と話した戯談を言って、彼にロマンテックな話をさせ、そしてそのままに彼を離そうとなさるおつもりなんです」 「岩の上に彼の僧侶の仮装を残してな」とブラウンは補ぎなった。「それは皆至極簡単じゃ。この男は教会と会堂へ行く競争で教授より先きであった。たぶん教授があの新聞記者と話していた間にな。彼は空の棺桶の側に老牧師と共に進んで来た、[#「、」は底本では欠落]そして彼を殺ろしたのじゃ。それから彼は死骸から取った黒い着物を着け、調査間に発見した所の古るい法衣でそれを包んだのじゃ、それからわしが述べたように珠数やそして木の支え棒を手配して、それを棺の中に入れたわけじゃな。それからじゃ、彼の第二の敵に係蹄をかけて、彼は太陽の光りの所に出て来て田舎の牧師の最も叮嚀さを以て吾々一同に挨拶をしたのじゃ」 「彼はおそろしい冒険をしたですな」とターラントは異議を申し立てた。「誰れかが見てウォルタース氏である事がわかるかもしれないのにな」 「わしは彼は半気違いになったと思いますわい」と師父ブラウンは同意した。「してわしはあんたもその冒険はやる価値があったという事を認めなさるじゃろう、なぜなら彼は逃げてしまったのじゃからな、結局」 「私は彼は非常に好運だった事は認めますな」とターラントはうなり声で言った。「してそやつは一体誰れですか?」 「あんたが言われる通り、彼は非常に幸運じゃったよ」ブラウンは答えた、「してその点に関しては少なからずな、なぜならそれは吾々が決してわからないかもしれん一事であるからな」 彼は一瞬間恐ろしい顔をして卓子をにらんだ。それから言葉を続けた。「この人間は長年の間徘徊したりおどしたりしておったのじゃ、しかし彼が用心深かった一事は彼は誰れであったかを秘密にしてる事であったのじゃ。そして彼は今なおそれを保っているのですぞ。わしが考えた様に、気の毒なスメール教授が正気にかえられれば、あんたはそれについてもう聞かないじゃろうというのはかなり確かですわい」 「まあどうして、スメール教授はどうなさるのでしょうか、どうお考えになりますか?」とダイアナ夫人が訊ねた。 「彼がするであろう最初の事は」とターアラントは言った。「この殺人鬼に探偵をつけるに違いないと考えますな、私は自分で彼について行きたいですよ」 「さて」と師父ブラウンは、長い当惑の発作の後で不意に微笑して言った。「わしは彼がなすべきその最初の事を知ってますじゃ」 「そしてそれは一体何んで御座いますか?」と熱心にダイアナ夫人が訊ねた。 「彼は吾々皆んなに弁解すべきじゃな」と師父ブラウンが言った。 けれども師父ブラウンがその著名な考古学者の遅々たる恢復の間その側にあってスメール教授に話したというのは、この趣意のためではなかった。重に話しをしかけたのも師父ブラウンではなかった。なぜなら教授は興奮するような会話は非常に制限されておったけれども、彼は彼の友人とのそれ等の面会に全力を注いていた。師父ブラウンは沈黙の間に相手に力をつける事に才能を持っていた。そしてスメールはそれに依って勇気づけられて常には容易に話せないような色々な奇妙な事について話した。また恢復の病的な状態なそして時折うわ言を伴う怪異な夢等について話した。ひどく頭を打たれたのから除々に回復するのはしばしばかなり平均を失う仕事である。彼の夢は、彼が研究した所の強いがしかしかた苦しい古代の美術にありそうな、絵画にある大胆なそして大きな図案のようであった。それ等は菱形や三角の後先のついた奇妙な聖者、ずっと前につき出てる黄色の冠そして丸い暗い平たい顔をして鷲の模様や、女のように髪を結んだ顎髯のある男の高い頭飾り等で一っぱいであった。幾度となくそれ等のビザンテン模様は火の上に置かれて色のあせる金のようにあわくなって行った。そして暗いあらわな岩壁の外には何にも残らなかった。その上にはピカピカ光る形ちが指で魚の燐光の中に掏い上げたように描かれてあった。なぜならそれは彼が最初に彼の敵の声を暗い道の角で聞いた瞬間に、彼が一度見上げそして見た標徴であったから。 「そしてとうとう」と彼が言った。「私はその絵と声の中にある意味を見たと思います。それは前にどうしてもわからなかったものでしたが、なぜ私は多くの正気な人々の中のただ一人の狂人が私を死まで迫害したりまたはつけねらったりするのを自慢にするために苦しむのでしょうか? 暗い塋穴[#「塋穴」は底本では「埜穴」]の中にキリストの神秘な表徴を画いた人は非常にちがった状態において迫害されました。彼はさびしい狂人でした。共に同盟されていた正気な全社会は彼を救いもしなければまた殺しもしませんでした。私は時々私の迫害者はこの人かあの人間であったかどうかを騒ぎ立てたり不安になったり不審がったりしました。それはターラントであったかどうか、それはレオナルド・スミスであったかどうか、それは彼等のうちの一人であったかどうか、彼等が全部それであったと考えてごらんなさい! それはボートの上の凡ての人または汽車あるいは村における凡ての人であったと考えてご覧なさい。私が関係した範囲では、彼等は皆殺人者であったと、見なします。私は暗黒の内部をはいまわってきました。そしてそこには私を破滅さすに相違ない人間が居りましたからおどろかされるのは当然であると思いました。もしその破壊者がこの世に出て全世界を所有し、そしてあらゆる軍隊を指揮したら、それはどんなものでしたろうか? もし彼が全世界を塞ぎあるいは私の穴から私を煙り出しまた明るみに私の鼻が出た瞬間に私を殺すことが出来たらどんなものでしょうかね? 全世界に殺害が行われたらどんな風でしたかな? 世界はこれ等のことを忘れています、ちょっと前まで戦争を忘れていたようにですな」 「そうじゃ」師父ブラウンが言った、「しかし戦争が起りましたじゃ、魚は再び地下におしこめられるかもしれん、だがもう一度この明るい太陽の光りのもとに出て来るじゃろう。セント・アントニーが諧謔的に注意したように、ノアの大洪水に生き残るのははただ魚だけじゃ」
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