私は或る秋の初め、日光の奥の湯元温泉に約二週間ばかり滞在していた。十二月には雪を避けて人は皆麓の方へ下りてゆくという山中なので、日当りのいい傾斜面にはまだ種々な花が咲いているのに、野の草葉はもう霜枯れていた。霜枯れの頃になると、山国の人の心は何かしらしめやかになって、祈願するがような眼を空に向けるものである。そして私も、じっと自分一人の心で、空を流るる雲を見ながら、日々の大部分の時間を過した。
私は時々散歩に出た。
然しその散歩は、戸外の空気を吸いたくなって表に飛び出す都会人の散歩ではなかった。室に寝転んで外を見ていると、向うの高山の頂きから雲が現われて静かに大空を流れてゆく、その方向へ大気が動いて、凡てのものが流されてゆくのだ。私もその間に自然に流されるようにして野の間を歩いたのである。
湯元から二十町ばかり山道を下ると、男体山の穏かな姿が東方に聳えている、戦場ヶ原の高原に出る。広い平らな高原のうちには、恐ろしく澄み切った空気が静かに澱んでいた。そして私の足も、其処まで行けば自然に止るのであった。
落葉松の大木が七八本すっくと立ち竝んでいる広い高原の片隅には、牛の群れが丈高い雑草を食って居た。小さな番人小屋の入口には、一人の女が日向に坐って小児に乳をやっていた。その側を通っている一筋の道が、平原の真中を真直に横ぎっていた。その道に沿って一軒の茶店の藁屋根が、遠く野の中に見られた。
私はそれらの景色をただぼんやり眺めた。かの牧牛者等の生活が如何なるものであろうと、また、かの茶店の老女の生活が如何なるものであろうと、それは彼等が自然の一要素としての役目をこの高原で演じていることを少しも妨げなかった。「都会からの遊客は、田舎の人々を単に自然の一要素として見るに馴れている、そしてなぜにそうなったのか?」そういう問いは凡て無益なことであった。私自身も亦自然のうちの一個のものにすぎないではないか。
道がその野中に歩み入ると、高い雑草が私の足を呑み込んでしまう。草を藉いて仰向に寝転ぶと、直接に私の上に空がある、高原で見らるるすぐ手に取らるるような低い空が、秋の澄み切った冷やかな空が。そして私の下にはすぐ大地がある、草木を枯らしまた芽ぐます黒い土地が。顧ると、小さな甲虫が私の顔のすぐ側に這い出している。じっとしていると、それは私の着物に這いつき、肌に這いよってくる。ただ私の方が、彼等よりいくらか温い肌をしているのみである。
戦場ヶ原の水は多く中禅寺湖の方へ吸い取らるるので、多くの盆地に見るような湿気が少い。そして草は高く伸びて、牛の群れが戯れるによく、羽の美しい甲虫が這い廻るによく、人の寝転ぶによく、鳥が巣くうによい。じっと寝転んでいると、すぐ顔の上を小鳥が空に舞い上って囀っている。
そうして私は秋の澄み切った大気のうちに、草の上に横わって長い間じっとしていた。そして私の血管のうちには古い田野の神の血が流れ、私はもはや人間の兄弟ではなく、凡ての生けるもの、凡ての事物の、兄弟であった。けれど、ふと立ち上って、広い高原の上を見渡したとき、私の眼は何を探し求めたか?
私は牛の群を見た、牛飼の姿を見た、また遠く一軒の茶店の藁屋根を眺めた。そして顧ると、自分の心が震えていた。秋の透徹した大気の中に露わに曝されて転っている自分の心が、震えて居た。何処からともなく冷かな空気が流れて来て、足下の草葉が戦いでいる。
雄大な姿をくっきりと空に峙たしている男体山の峯影から、それとも見えぬ靄が平原の上に流れ寄って来るのであった。それはやがて、西に傾く日脚の後を追って、平原の上に濃く立ち罩めて来るであろう。そして禿岩の上に霜を置き、草葉の末に露を置くであろう。遠くその高原をかこむ山の頂を越えては、平地の上に夜の雲を被せるであろう。
私は逐わるるようにして自分の巣の方へ帰って行った。そうだ、巣というより外に、自分の宿を指して名づくる言葉をその時私は知らなかったのである。
静かな湖水の縁に沿って、白樺やや落葉松の立ち並んだ間を分けて、曲りくねった一筋の道を辿ると、枯枝の束を背負った女に私は幾度か出逢った。そして道の傍で、風に倒れた大木の幹を切っている男を見た。雪が来ない前に彼等は、それらの薪を自分の小屋に運ばねばならないのである。彼等の節くれ立った頑丈な指先を見て、私は何かに感謝したくなった。何故か? 私はそれを知らない。彼等は私と何の交渉もないのだ。それでも私は涙ぐんだ心地で彼等を見なければならなかったのである。
何か大いなるものの意志が、力が、凡ての上に働いて居たのである。無慈悲でそして涙ぐまるるようなものの力が。私は自分の巣に帰るのを止めて、町の裏に在る湯の湧き出る沼の方へ歩いて行った。山腹からつき出た大きな岩石の上に立つと、すぐ足下に小さな沼があって、その灰色の流砂の底から、むくむくと熱い湯が湧き出ていた。熱い鉱泉と共に、時々大きな水泡がぶく……ぶく……と水面に上っては消えた。夕暮の仄暗い靄が沼の上に立ち罩めると、水面からは白く立上る湯気が見られた。
私は岩の上に立ちながら、長い間じっとして、沼の水面を、地下から湧いて来るその熱の湯を、眺めていた。鉱物性の臭いが私の顔にふりかかってくる。私は眩暈に似た一種の夢想のうちに、何か奥深いものを、神秘なものを、見つめていた。そして、ふと我に返ると、冷たい震えが全身に伝わった。山合の谷間から夜の眼が覗いていた。そして東の空に懸った月の光りが鋭く磨ぎ澄されようとしていた。
それでも、その晩私は、長々と身体を湯壺の中に伸し、それからまた洋灯の光りをまじまじと見守った。そして鳴きしきる虫の音をきいた。その時私の心は、それらの湯壺や灯火や虫の声などで纒めらるる世界の外に逸した何かを、じっと、そして漠然と、思い耽っていた。その後で安らかな眠りが私にやって来る……。
斯くて私は秋の二週間許りを湯元で過した。その間に私は何を得、また何を失ったか。それは茲には言えない。ただしいてこの小品の結末をつけんがためには、「太古人間は穴居なりき。」という一句を添えれば足りるであろう。
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