三 かき
家のまえに大きな柿の木がありました。いっぱいなってるその柿が、秋になると、赤く色づきました。
私と正夫はそれをたくさんたべました。あそびにくる村の子供たちにもわけてやりました。朝露にひえたつめたいのをかじるのが、いちばんおいしくありました。
そして柿は、まもなくなくなってしまい、ただ一つだけ、たかい梢にのこりました。すっと空たかくつきでた枝の先に、たった一つなっているので、登ることもできず、竿もとどきませんでしたが、それよりも、そのいちばんたかい一つだけは、ただなんとなく残しておいてやりたかったのです。
その一つの柿は、まるで柿の木の旗みたいでした。まんまるな大きなもので、朝日や夕日に赤くかがやきました。
山奥の秋は、早く寒くなります。やがて、柿の葉は黄色くなり、下枝の小さな柿や、半分われた柿なども、すっかり熟して、小鳥にたべられてしまい、黄色い葉はだんだんちっていきました。けれど、たかい梢の一つの柿は、もうやわらかく熟しながらも、やはりついていました。
私はそれが気がかりになってきました。もうあんなに熟してしまってるのに、いつまでああしてるつもりなんだろう。下におちるかしら。それとも小鳥にくわれるかしら。くわれるとしたら、何の鳥にだろうかしら。
正夫も同じようにそのことを考えていました。
そして私たちは、できるだけその柿を見ていることにしました。下におちるか、どんな鳥にくわれるか、それとも……。
家の庭から、その柿がま正面に見えました。風のあたらない、日のよくさす、暖かい片隅に、腰掛をもちだして、私は正夫に本をよんできかせながら、二人とも時々目をあげて、梢の柿をながめました。青くすみかえった空たかく、柿は赤々とかがやいています……。
その柿と同じような赤い着物を、巡礼の赤ん坊がきていたのです。巡礼というのは、まだ三十歳ばかりの女で、菅笠、手甲、脚絆、笈摺、みなさっぱりしたみなりでしたが、胸に赤ん坊をだいていました。おずおずと庭にはいってきて、静かなひくい声でいいました。
「今晩、どこでもよろしゅうございますから、お宿を、お願い申したいんでございますけれど……」
赤ん坊なんかだいているへんな巡礼でしたけれど、その赤ん坊の着物が柿の色と同じようなので、私はなんだか泊めてやりたい気がしました。
正夫も同じ気持ちだったのでしょう。小父さんをさがしに家のなかにかけていって、まもなく戻ってきました。
「泊ってもいいんだって……」
巡礼の女は、うれしそうにおじぎをしました。
「それでは、夕方まいりますから……」
そして出ていきました。
私と正夫は目を見合わせました。どうもへんな巡礼なんです。
「僕が見てきましょう。へんだなあ……」
正夫が巡礼のあとをつけていったので、私は一人でぼんやり夢想にふけりました。
ながい時間がたったようでした……正夫が戻ってきました。巡礼の赤ん坊をだいてるんです。にこにこ笑っていました。
「おかしな女ですよ。赤ん坊をわらのうえにねかしといて、自分はたんぼのなかにはいりこんで、落穂をひろいはじめたんです。だんだん向こうへ遠くへいっちゃうんですよ。僕この赤ん坊がかわいそうになったから、だいてきてやりました」
「どれ、かしてごらん」
私はその赤ん坊をだきとりました。赤ん坊はまだすやすや眠っていました。ふうわりと軽くて、まるで綿のようで、頬をつついてみると、つるつるしてやわらかで、かすかに乳の匂いがしていました。
けれど、あんまり軽くて手ごたえがないので、やがて心配になりました。正夫といっしょに、巡礼の女をさがしに行きました。
秋の日がいちめんにてっていました。見わたすかぎり、野山は黄色く、とりいれのあとのたんぼはくろずみ、空は雲一つなく晴れわたっていました。
ピーヒョロヒョロ、ピーヒョロヒョロ……。
とんびの声がします。一羽のとんびが、空たかくゆったりと舞っているのです。
向こうのたんぼのなかに、五六人の村人たちが、巡礼の女をとりまいて、何やら大声をたてていました。そしてみんな、空をあおいで、とんびを見てさわいでいました。私も見あげました。よく見ると、たくましいとんびで、足に何か赤いものをつかんで大きく円をえがいてとんでいます。ピーヒョロヒョロと、さもうれしそうにゆったりと舞っているのです。私は村人たちの方へやっていきました。
近くまで行くと、私の方を見て、巡礼の女が、いきなりかけだしてきて、私にすがりつき、赤ん坊にすがりつきました。
「まあ、よかった。ここにいたのね……無事でいたのね……よかったわねえ……お母さんは、あなたがとんびにさらわれたと思って……さらわれたんだったら、どうしよう……まあ、よかったわね……」
むちゅうになって、赤ん坊をだきしめて、さめざめと泣いてるんです。
私はこまって、ぼんやり立っていました。
村人たちがあつまってきました。
「赤ん坊がさらわれたのではなくて、よかったよ。だが、あれは何だろう」
とんびはなにか赤いものを両足にひきつかんで、その両足をちぢめて腹にくっつけ、大きく羽をひろげて、羽ばたきひとつせず、ふうわりと宙にうかび、さもうれしそうになきながら、舞いとんでいます。日の光をいっぱいふくんだ青い空のまんなかに、その姿がつややかに光っています。
村人たちは赤ん坊のいる家の名をあげたりして、心配そうにながめていました。
「あ、そうだ」
柿のことがはっと頭にうかんで、私はかけだそうとしました。その私の肩を、誰かがとらえてゆすぶりました……。
正夫が私をゆすぶってるのでした。
「本をよんで下さらないから、僕うとうとしちゃったんです。すると、柿がなくなってるんです」
私もはっきり目をひらいて、見ると、梢の柿がいつのまにかなくなっていました。
私たちは、柿の木の下にかけていきました。けれど、いくら探しても、あのまっかな柿はその辺におちてはいませんでした。わずかな間に、小鳥がたべてしまったはずもありません。
とんびは……やはり一羽、空高く舞っていましたが、足には何にもつかんではいませんでした。ただいかにもうれしそうに、ピーヒョロヒョロと、ゆったり舞っていました。
四 山の小僧
山のなかは、冬になると、天気がわるいことが多く、そして雪がふりだすと、なかなかやまず、十四五センチもすぐにつもってしまいます。
そういう時、私は西洋室の方にうつって、だんろに薪をどしどしたきます。正夫も私のところで、夜おそくまで話しこんでゆくことがありました。
正夫は星の話をきくのがすきでした。私は知ってるだけのことを話してやりました。太陽系のこと、ことに金星のこと、それから水星や火星や木星や土星のこと、大熊星座のなかの北斗七星のこと、小熊星座のなかの北極星のこと、次には、アンドロメーダ星座、ペルセウス星座、牽牛星と織女星、銀河のこと、彗星のこと、そのほかいろいろのことを話しました。そして私がびっくりしたのは、正夫が空の星の図を、名前はわからないでもよく知ってることでした。
「さびしい時には星をみるがよいと、何かで読んだことがありました。それで僕はよく星をみてるんです」
正夫はそういって、でもさびしそうにほほえみました。父も母も小さい時になくなって、正夫は一人者なので、小父さん夫婦のところにひきとられてるのです。
「星をみてると、ほんとにいいんです。だれか親しいやさしい人が、こちらをじっと見ていてくれるような気がしますよ」
それから正夫は、またさびしくほほえみました。
「冬になると、星の見えることが少ないからつまらないんです。それに、こんなに雪のふる晩は、急にさびしくなることがあります。だれか今にも来そうなんです。僕がよく知ってる人だが、どんな人だかはわからない、そういうへんな人が、やって来るような気がしますよ」
私はだんろに薪をくべて、さかんにもやしました。あまりあつくなると、らんまの小窓を少しあけました。外には雪がふりしきっていました。
「でも、そんなへんな人でなく、おもしろいものが、ほんとにやって来ることもありますよ」
「どんなものが……」と私はたずねました。
「いろんなものです。鳥や獣や、それから……。あんな小窓をあけておくと、火にあたりにくるんでしょうね、狐や狸がとびこんでくることもありますよ」
私はらんまの小窓を見あげました。正夫は話しつづけました。
「それよりも、面白いのは鳥ですよ。いつだったか、部屋いっぱい鳥だらけになったことがあります。雀がとびこんできました。頬白がとびこんできました。つぐみがとびこんできました。山鳩がとびこんできました。烏がとびこんできました。そのほかいろいろな鳥が、次から次にとびこんできて、部屋いっぱいにならびました。ふしぎなことには、どれもみなだまってるんです。目ばかりぱちぱちうごかして、なき声は少しもたてないんです。そしておかしいのは、鷺ですよ みんなと[#「鷺ですよ みんなと」はママ]いっしょに、小窓からとびこもうとしますが、足をまげることをしないものだから、その長い足がつかえて、はいれないんです。なんども、小窓にとびついてはおちるんです」
私はまた、らんまの小窓を見あげました。
「それから、いちばんずるいのは、山の小僧ですね。なんでしょう、あれは……。一寸法師みたいで、そして全身はまっ白で……。帽子をかぶってるのか、髪の毛がのびてるのか、わかりません。マントをきてるのか、身体じゅう毛がはえてるのか、わかりません。靴をはいてるのか、はだしなのか、わかりません。ただ、全身まっ白なんですね。……ああ、来たんじゃありませんか」
私は小窓を見あげました。
「あんなずうずうしい奴はありませんね。おおさむこさむ……歌でもうたうような調子で、けれど声には少しもださずに、ただそういう顔つきで、小窓からとびこんでくるんですよ」
私は小窓を見あげました。外は雪がふりしきっていました。
「とびこんできて、挨拶もしなければおじぎもしないで、ひょいとそのへんの椅子の上にのっかるんです。そしてだまったまま、笑顔ひとつしないで、じっとしてるんです。あいつがはいってくると、部屋のなかがぞっと寒くなりますよ」
私はなんだか寒くなって、部屋のなかを見まわしました。
「こっちでじっと見ていてやると、そのままのこのこと部屋の隅っこにかくれたり、布団のなかにもぐりこんだりします。そしてあたりがしいんとしてきて、耳をすますと、まだ外には、仲間がいくたりも、十も百も千も、たくさんいるらしんです。はいってくるのは一人ですが、外にはおおぜい待ってるんです」
私は耳をすましました。雪のふる音がきこえていました。
「ゆだんしていると、はいりこんできた奴が、だんだん近よってきて、背中にぴったりくっついたり、どうかすると、襟の間から懐の中にとびこんできます。ひやりとしますよ……」
私はぞっとして、いきなり立ち上がりました。そしてらんまの小窓をしめました。
もうだんろの火はほそくなっていました。私はあらたに薪をくべました。そして、わきを見ると、正夫は肱掛椅子の上に、うとうとと眠っていました。
しいんとした静けさで、雪のふる音だけがかすかにきこえています……。はて、今まで私に話しかけていたのは、いったい誰だったのでしょう。眠っているところを見ると、正夫ではないし、私自身のはずはないし、ほかにだれもいませんでした。
しんしんと雪のふってる夜ふけです。
私は立ち上がって、そっと正夫をだきよせました。正夫はうっとり目をひらいて、私を見てとると、きつくだきついてきました。それを私はやさしくだきしめてやりました。
だんろの火がぱっともえたっていました。
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