バラックに住む人々よ、諸君は、バラックの生活によって、云い換えれば、僅かに雨露を凌ぐに足るだけの住居と、飢渇を満すに足るだけの食物と、荒凉たる周囲の灰燼と、殆んど着のみ着のままの自分自身と、其他あらゆる悲惨とによって、初めて人間の生活というものを、本当に知ったに――感じたに違いない。
普通の生活に於ては、諸君の大部分は、生活というものをしみじみと味うことが、可なり少なかったことであろう。金銭や名誉は勿論、其他のいろんな事柄が、諸君の面前に、余りにまざまざと掲げられていたために、自分の生活を本当に感じ味うだけの余裕が、諸君には可なり欠けていたことであろう。所が此度の災禍によって、諸君の眼を惹きつけていたそれら外的な旗幟が、一度に消し飛ばされて、もはや眼を遮るものは何もなくなり、そして諸君の眼はじかに、己の生活の上に据えられたことであろう。
そして諸君は、其処に何を見て取ったか。
その一つは、家庭というものだったに違いない。
家庭――この言葉を吾々は平素余り無責任に取扱いすぎていた。然しながら、今や諸君の眼には、新らしい光に輝らし出された家庭というものが、本当に映ってきたことであろう。同じ家に幾人かの人間が一緒に暮している、というただそれだけのものではない。良人と妻と親と子、心と肉体との通い合った者共が、一つの生活――一つの生活ということが大切なのだ――の中に結び合わされている、そういう家庭なのである。それは全体で一つのものをなしている。その中から誰か一人を取去ることは、一人の人間の身体からどの部分かを取去ることと、殆んど同じであらねばならぬ。家庭全体として、その部分に傷と痛みとを感じ、その部分から血を流すのである。
そういう家庭が、バラックの生活に於て、諸君の眼に本当に映ったことであろう。平常の生活に於ては、良人は家庭外の仕事のために、妻は家政の煩わしさのために、子は自由勝手な嬉戯のために、別々の方へ心を向けがちだったであろうが、バラックの狭苦しい板囲いの中で、ランプの薄暗い光の下で、乏しい食膳のまわりに集って、皆で顔を見合す時、云い知れぬ家庭的感激が諸君の眼を湿ませなかったであろうか。
古の各家庭には、また現代でも素朴な各家庭には、大抵一の神棚があって、そこに家庭の神が祀られてるのを常とする。神というものは、人間の理想の具体化であると共に、人間の気高い感情の象徴である。家庭の神――それが本当の家庭の心である。バラックに住む諸君は、家庭の神に跪拝するの心地を、味い得たことであろう。
家庭を愛するの心は、他の博い愛の基をなすものである。神に奉仕せんがために己の家庭を捨てる、そういう生活様式も世にあることを、私は否定するものではない。然しながら、吾々及び諸君の生活様式では、家庭を捨てることは、他のあらゆる愛を捨てることになる。自分の家族よりもより多く隣人を愛するという者を、私は信ずることが出来ない。より多く自分の家庭を愛する者こそ、より多く隣人を愛するものである。愛という言葉の誤解を防がんがために、これを云い換えれば、自分の家族のことを本当によく考える者こそ、隣人のことを本当によく考える者である。
バラックの諸君よ、家庭というものを本当によく感じ味い考え給え。
それから、諸君の眼に映じた第二のものは、仕事というものだったに違いない。
住宅や家財や業務の便宜などを失って、バラック内に茫然としている諸君の心に、先ず猛然と起ってきたものは、何かを為したいという心、何かを為さずにはいられないという心、即ち働く意志だったであろう。この働くということは、必ずしも食を得るという功利的のものではなくて、もっと深い直接の要求だったに違いない。
人は命を繋ぐためには、食を摂らなければならないことは勿論である。然しながら、食を摂って命を繋ぐということは、何の問題にもならない。地震当時に食物を手に入れることが、罷災者の第一の要求だったには相違なかろうけれど、それはああいう場合の一時の現象で、生きてゆく上の生活の――主要な問題ではない。吾々が空気と食物とで命を繋いでるということは、吾々が地球上に住んでるということと同様に、単なる事実である。大地が吾々に必要だということが、吾々の生活に於て問題でない如く、空気と食物とが吾々に必要だということは、吾々の生活に於て問題ではない。それは根本の原則ではあるけれど、それを考えたとて何にもならない。ただ知ってさえおればよいのである。
生命を繋ぐということと、生きてゆくということとは、理論的に押しつめれば同じでも、実際の相は異っている。生きるということのうちには、必然に或る働きが含まれてい、或る動きが籠っている。この働き――動きこそ、吾々が意を止めて眺めなければならない事柄である。そしてこの動きは、吾々の生活に於ては、何かを為すということになって現われる。
バラックの諸君は、もし永久に衣食の配給を受くるとしたならば、稼ぐ必要がないからよいと云ってそれに甘んじ得られるであろうか。諸君は必ず否と答えるに違いない。そしてその答えは、他人の――国民の――国家の――世話になるのを潔しとしない、高邁な念からばかりでなしに、もっと深い而も直接の本能から出て来るに違いない。生きることは、何かを為すことだ、何等かの仕事をすることだ、という生活本能から、それは出て来るに違いない。
刑務所に幽閉されてる囚人の告白を、私は間接に聞いたことがある。囚人等にとっては、日々与えられる仕事が、如何に有難いものとなってるかは、常人の想像も及ばないほどである。瞑想や夢想――それも人間の一の仕事である――の能力を持っていない囚人は、もし毎日何等の仕事も与えられずに、一人放置せられる時には、殊に独房に入れられてる場合には、到底生きてゆくに堪えられないそうである。それは吾々にもほぼ想像はつく。
バラックの諸君よ、たとえ預金があり而も食物の配給を受くるにしても、諸君は何かの仕事をせずにはいられないだろう。焼跡の灰掻きでも何でもよい、また儲けは皆無でも構わない、ただ何かを為さずにはいられないだろう。終日手を拱いてぼんやりしていることは、諸君にとって最も苦しいに違いない。吾々は生きたいのだ、生活したいのだ。
そして生きること――生活することは、何かを為す働きに外ならないのだ。
このことを、諸君は平素の生活に於て、本当によく感じたであろうか。平素の生活に於ては、生活そのものを吾々の眼から遮るものが、余りに多くありすぎる。いろんな欲望の対象となるものが多々あって、吾々の眼はその方へばかり惹かれがちで、生活そのものを顧みる余裕が余りに少い。然るに今バラックの中に住んで、自分の生活をつくづく見つめる機会を得た諸君は、何かを為すということが如何なるものであるかを、本当によく知ったであろう。
食物を得なければ命が保てない、というのは根本の原則である。そしてこの原則によりよく合った仕事は、人に力強さと輝きとをよりよく与える。この意味で、自覚的な農業は比較的よい仕事かも知れない。然しながら、人は必ずしも、食を得んがためにのみ働くものではない。生きること生活すること、それ自身が一の働きの上に立つものである。そこに人間の生活の力と光とがある。
バラックの諸君よ、仕事というものを本当によく感じ味い考え給え。
さて改めて、バラックに住む人々よ、諸君がバラックの困難な生活に於て、自分の家庭と仕事という二つを、しみじみと眼に止めたならば、諸君の生活は必ずや新らしい光に輝らされるに違いない。そして諸君の生は、強固な基礎の上に力強く築かれるに違いない。それは尊い経験である。日常生活では容易に得難い体験である。この経験を諸君がいつまでも忘れないようにと、私は切に祈りたい。諸君がそれをしかと胸に抱いてる間は、諸君の生活は常に――たとえ困苦の中にあっても――輝かしいものであるだろう。
とは云え、バラックの生活が如何に悲惨であるかは、私にもほぼ想像はつく。殊には向寒の砌り、薄っぺらな屋根と四壁と低い床との中の寒気、昼の日当りと夜の点灯との不完全、仮りの住居という意識から来る不安、調度の不備と衛生法の困難、慰安や休息の欠乏、其他万事局限せられた不如意、それらのことから、諸君の生活に如何に陰欝な影がさしてくるかは、想像にも余りあるほどであろう。とりわけ自分一個のバラックでなしに、市設の長屋式バラックの或るものに於ては、隣家との仕切の板壁もなく、張られた縄一筋を境界とするそうである。そういう中に暮すことは、非常な困難に相違ない。貧しさに堪え得る者も、惨めさにはなかなか堪え難い。
けれど、それも一時のことである。胎を据えて生活の根を下してる者にとっては、一時の悲惨は却って、未来に対する希望をより強く燃え立たしむるものであり、未来の光景をより輝かしくなすものである。未来が塞がれていない限りは、どんなことにも圧倒されないのが人間の本性である。そして諸君の未来は、決して塞がれてはいない。家庭と仕事という二つを本当に噛みしめた諸君の未来は、常にも増して広々としてる筈である。そして諸君が健かに生きてゆく以上は、未来の復興は案外早く来るであろう。
ただ私が恐るるのは、諸君の肉体的健康である。前述の私の言に大過がないとするならば、私は諸君の精神的健康を信ずることが出来る。けれども、肉体は精神の力ばかりでは自由にならない場合がある。如何に朗かな精神の者も、不自由な生活のために、肉体の衰微を来すことがよくある。それを私は諸君に就て最も恐れる。バラックの生活は、肉体的に極めて不健康な生活である。
バラックに住む人々よ、私は諸君の自重と自愛とを切に切に願いたい。そして諸君の肉体的健康を心から祈りたい。
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