一
むかし、ある所に大きな村がありました。北に高い山がそびえ、南に肥沃な平野がひかえ、一年中暖かく日が当って、五穀がよく実り、どの家も富み栄えて、人々は平和に楽しく暮らしていました。
ところがこの村に、不思議なことが起こってきました。夕方たんぼから帰ってきて、いろんなごちそうをこしらえて、一家揃って楽しい食事をしようとしますと、どこからかふいにひどい風が吹いて来て、ランプやろうそくの火を消してしまいます。急に家の中がまっ暗になったのに、皆びっくりして、大騒ぎをしてからあかりをつけますと、まあどうでしょう、今までお膳の上に並んでいたごちそうが、一つ残らずなくなってるではありませんか。――そういうことが、毎晩どの家かに必ず起こってくるのです。
村の人達は大変困りました。その頃はまだ、電気灯やガス灯はなくて、ランプやろうそくをつけていましたから、どんなにしても、ふいに吹いてくる風のために消されてしまいました。雨戸をすっかり閉めきっても、どこからかその風が吹いてくるので、どうにも仕方がありませんでした。しまいには、あかりが消えたらすぐにまたつける用意をしておきましたが、そのちょっと暗くなった間に、大事なごちそうはすっかりなくなってしまいました。それかと言って、大変勤勉な村人達でしたから、まだ明るいうちに仕事をやめて夕飯をたべる気にもなれませんでした。
そしてなお不思議なことには、村で一番立派なごちそうをこしらえてる家に、そういうことが起こるのでした。うっかりごちそうもこしらえられませんでした。
一体何者がごちそうをさらってゆくんだろう? と村の人達は考えてみました。けれど、いくら考えてもわかりませんでした。何しろ姿も見えなければ音もしないんですもの、ただ不思議な怪物というより外、とうていわかりっこはありません。それでも村の人達は一生懸命になって、その正体を見届けようとしました。
するうちに、少しずついろんなことがわかってきました。大きな羽うちわを見たという者が出てきました。赤い高い鼻を見たという者が出てきました。緋の衣を見たという者が出てきました。何か人間の形をした大きなものが暗い空をふわりふわり飛んでいた、という者が出てきました。
「天狗だ!」と誰かが言い出しました。
なるほど、いろんなことを考え合わせると天狗に違いありません。きっと貪欲な天狗がやって来て、羽うちわであかりをあおぎ消して、人のこしらえたごちそうをさらって行ってるに違いありません。村の人達は天狗だときめてしまいました。
ところで、いくら天狗だからといって、そのまま放っておくわけにはゆきません。村の人達はいろいろ相談して、その天狗を捕まえようとしました。
が、なかなかそうはまいりませんでした。戸の隙間からでもはいり込んできて、音も立てずにごちそうをさらってゆくほどの天狗ですもの、自由自在の術を知っていて、人間の手に捕まるものではありません。村の人達は、網を張ったり、罠をこしらえたり、棒を持って待ち構えたり、いろんなことをしましたが、何の役にも立たないで、毎晩どの家かでごちそうをさらわれてばかりいました。
二
ところがこの村に、たった一人のなまけ者がいました。ひとり者の爺さんで、お金があれば酒ばかり飲んでいて、貧乏なくせにいつものらくらして遊んでいました。大変酒好きなので、猩々というあだ名をつけられて、あまり人から相手にされませんでした。
この猩々爺さんが、天狗のことを聞いて、どうか自分が引っ捕えて皆をあっと言わしてやりたいものだと、酔っぱらいながら頭を振り振り考えていますと、酒が手伝ったせいか、素敵なことを考えつきました。そしてはたと額を叩きました。
「しめたぞ! もう天狗は俺のものだ」
爺さんは懇意な家へ行って、お金をたくさんもらってきました。肉や鳥や酒を、うんと買い込んできました。酒はことに強いのを選びました。そしてひる頃から夕方まで骨折って、それは実に見事なお料理をこしらえました。夕方薄暗くなると、大きなお膳の上へごちそうを飾り立て、強い酒の徳利をいくつも並べ、ろうそくを何本もともして、天狗が来るのを待ち受けました。
しばらくたちますと、例の不思議なことが起こりました。雨戸もすっかり閉め切ってあるのに、家の中に強い風が起こって、ろうそくの火が皆一度に消えて、まっ暗となりました。爺さんはそれを待ち構えていたのです。すぐに大きな声で言いました。
「天狗さん、いよいよ来ましたね。私はあなたが好きで、この通りごちそうして待っていましたよ。どうかさらって行かないで、ここで食べていってくれませんか。私はあなたが大好きだから、一緒に一杯やりたいと思って、酒まで買っておきましたよ」
「本当か?」とだしぬけに、どら声が闇の中から響きました。
「本当ですとも、本当ですとも」と爺さんは大喜びをして答え返しました。「私は決してあなたに悪いことをしようなどと、そんな考えを持ってやしませんよ。私はあなたみたいな人が好きですよ。大変なごちそうをこしらえてお待ちしてたんです。一緒に飲んだり食ったり歌ったりしましょうよ。まあお待ちなさい。私はまっ暗な中では眼が見えませんから今ろうそくをつけます」
爺さんは急いでろうそくに火をつけました。そしてひょいと見ると、まごうかたなき大天狗が眼の前に立ってるではありませんか。頭に兜巾をかぶり、緋の衣をつけ、手に羽うちわを持って、白い髯の生えかぶさった赤い顔に、高い鼻をうごめかし、金色の眼を光らして、にこにこ笑っているのです。爺さんはその威光に打たれて、平伏してしまいました。
「お前は感心な奴だ」と大天狗は言いました。「酒までたくさんそろええて[#「そろええて」はママ]くれた志に免じて、今晩はお前の家で酒盛りをするとしよう」
その言葉を聞いて、爺さんは元気づいてきました。そしてこの猩々爺さんと大天狗とは、夜通し酒盛りをすることになりました。
爺さんは猩々とあだ名されてるくらいの酒のみですし、天狗はまた名高い酒好きなものですから、ちょうどいい相手でした。けれどそのうちに、二人とも酔っぱらってきました。天狗を酔いつぶさせるために爺さんが苦心してこしらえた料理ですから、豚肉の串焼の中にも、雉の肝の揚物の中にも、鯉の丸煮の中にも、その他いろんな見事な料理の中には、みな強い酒がまぜてありましたし、それを食べながら、さらに大きな杯でがぶがぶ飲んだものですから、二人が酔っぱらうのも無理はありません。爺さんは、自分から浮かれだしてきて、歌をうたい始めました。
酒をとうべて、たべ酔うて、とうとこりんぞや、もうでくる、なよろぼいそ、もうでくる、タンナ、タンヤ、タリヤランナ、タリチリラ。
すると大天狗は、
緋の
衣の
裾をからげ、羽うちわで
拍子を取り、おもしろい足取りで、踊り出しました。
そういうふうにして夜遅くまで
酒盛りをしてるうちに、とうとう二人は酔いつぶれて、そこにぐっすり眠ってしまいました……。
夜明け近くになった頃、爺さんは
喉が渇いてきて、眼を覚ましました。見ると、大きな天狗が、赤い顔をなおまっ赤にし、高い鼻の穴をふくらましていびきをかきながら、自分の側にぐったりと眠ってるではありませんか。爺さんはびっくりして飛び起きました。そしてしばらく首をひねって考えているうちに、昨晩からのことを思い出しました。
天狗を酔いつぶさして引っ
捕えるつもりだったのが、自分の方も酔っぱらって、天狗と一緒に眠ってしまったのでした。それでも、天狗より先に眼を覚ましたのは幸いでした。
爺さんはそっと立ち上がって、太い縄を持って来て、まだ眠っている天狗を、いきなり縛り上げてしまいました。大天狗は眼を覚まして、自分の縛られてるのに気づきましたが、もうどうにも出来ませんでした。ただ眼を白黒さしてるばかりでした。爺さんはそれを見て
嘲笑いました。
「天狗の馬鹿やい、とうとう
捕まったろう! 今まで村の者のごちそうをたくさんさらっていったから、その罰だと思うがいい。これから村の人達の前に引き出してやるから、おとなしくしておれ。もうこうなったら、どうにも
仕方あるまい!」
それを聞くと、天狗はびっくりして身をもがきましたが、手足を太い縄で縛られてる上に、大事な羽うちわを向こうに取落としてるのですから、何ともいたし方はありませんでした。そしてしまいには、豆のような涙をぼろぼろこぼしました。泣きながら頼みました。
「許して下さい。わしが悪かったのです。許して下さい。もう決してごちそうをさらったりなんかしませんから。わしはもとからの悪い天狗ではありません。この姿の通り大天狗で、
大勢のからす天狗を
家来に持って、立派な行いをしていました。ところがわしは、生まれつき鼻がよく
利いて、二里四方くらいは何でもかぎわけられるのです。ある時、山の奥から村近くへ出て来ると、人間のこしらえてるごちそうの
匂いがして、それを食いたくてたまらなくなったのです。そして一度盗み食いをしてみると、うまいのうまいくないのって
[#「うまいのうまいくないのって」はママ]、もう木の実を食ったり
霞を吸ったりしているのが馬鹿らしくて、ごちそう
泥坊になってしまったのです。ところが今あなたに縛られてみると、初めて夢からさめたような
心地になって、自分の悪いことがしみじみわかりました。これからはつまらない欲なんか起こさないで、山の奥に戻っていって、
大天狗に恥じない立派な行いをします。どうぞお
慈悲に許して下さい。許してさえ下されば、何でもお望み通りにします。一生行いをつつしみます。ほんとに許して下さい。私を村人達の前につき出してもあなたには何のもうけにもならないでしょう。そのかわり私を許して下されば、何でも望み通りのものを差し上げます」
天狗が泣きながらそう言うのを聞いて、
爺さんはなるほどと考え込みました。天狗を村人達の前につき出したところで、自分の利益には少しもなりません。それよりも、何か素晴らしいものをもらって、許してやった方がましです。その上、天狗はもう一生悪いことをしないと言ってるのです。
「それでは許してやってもよい」と爺さんは言いました。「だが、許すかわりに、この羽うちわをくれるか」
それには天狗も弱りました。羽うちわがなければ天狗の役目がつとまりません。いろいろ
懇願したあげく、二里四方も
利くという鼻を
譲ってやることに相談がきまりました。
「ただこんな上等の鼻をもらったからといって、欲を出してはいけません」と天狗は言いました。「欲張ったことをすると、鼻を取り上げますから、そのつもりでおいでなさい」
「よいとも」と爺さんは承知しました。
そこで、大天狗は縄を
解いてもらって、羽うちわを拾い上げて、それで爺さんの低い鼻を三度あおぎながら、何か口の中で唱えますと、爺さんの鼻はみるみるうちに高くなって、二里四方のものが何でもかぎ分けられるようになりました。
爺さんがびっくりしてるうちに、
天狗は羽うちわをはたはたとやりながら、宙に飛び上がって、どこともなく立ち去りました。
爺さんは天狗の鼻をもらって、うれしくてたまりませんでした。夜が明けると、すぐに表へ飛び出しました。村の人達は、大天狗と同じような爺さんの鼻を見て、驚いたの何のじゃありません。そして、
猩々爺さんを今度は天狗爺さんと呼ぶようになりました。
三
さて天狗爺さんは、大天狗からもらったまっ赤な高い鼻をうごめかして、自分の貧乏な家にじっと坐っていますと、まあどうでしょう。二里四方のものが何でも、眼に見るようにかぎわけられるではありませんか。どこにどんな花が咲いているかもわかれば、どこにどんなごちそうが出来てるかもわかれば、どこにどんな酒があるかもわかります。爺さんは家にじっと
我慢してることが出来ませんでした。晩になるとのこのこ出かけていって、村で一番ごちそうのある家へやって行きました。村人達はもう天狗が来ないことを知って、いつもより見事なごちそうをこしらえていたのです。
「今晩は」と言って爺さんは入って行きました。
「やあ天狗爺さんですか。あんたのおかげでこんなごちそうを食べることが出来るようになりました。まあお祝いに食べていって下さい」
そう言って、どの家でも爺さんをもてなしました。
爺さんは大得意でした。それからというものは、昼間はいい香りのする花を取りに出かけ、それを売って大変お金をもうけ、晩になると、立派なごちそうやうまい酒のある家をかぎつけて、そこでたらふく飲み食いしました。いくら飲み食いしたって、たかが老人一人ですから、そうたくさんではありませんので、村人達はいつも
快くもてなしてくれました。それにまた爺さんは、村から
天狗を追い払った大恩人ですもの。
そのうちに爺さんは、花を売ったお金はどしどしたまってくるし、ごちそうや酒にはあきてくるし、何だか
退屈でつまらなくなってきました。この上は何か素晴らしいものが、まだ見たことも聞いたこともないようなものが、どこかにありはすまいかと、高い天狗鼻をうごめかしながら、じっと考えていました。
すると、どこからともなく、さらさらと涼しい風が吹いて来て、その風上の遠くの遠くに、何とも言えないよい香りのするものがありました。
麝香でも
肉桂でも
伽羅でも
蘭奢待でもない。いやそんなものよりもっとよい、えも言われぬ香りでした。
「これはきっと天下第一の宝物に違いない!」と爺さんは思いました。
爺さんはもう
有頂天になって、その宝物を取りに出かけました。
よい香りは、村の後ろの高い山の方から
匂ってきました。爺さんは天狗鼻をうそうそさせながら、山の奥へ奥へと登って行きました。ところが不思議なことには、いくら行ってもそこへ行きつきませんでした。行けば行くほど、香りは遠い所から匂って来ます。
「これはきっと大変な宝に違いない!」と爺さんは考えました。
そのうちに、山はだんだん奥深くなって、草木がいっぱい茂っていて、もう
路もなくなってしまいました。その上、
爺さんは長い
山路を歩いて来ましたので、腹はへってくるし、足は疲れてくるし、弱ってしまいました。けれど、ただ宝物を取るという欲でいっぱいでした。何もかもうち忘れて進んで行きました。
にわかに、ひときわ強くぷーんといい香りがしてきました。いよいよ来たなと思って、爺さんは一生懸命に足を早めました。そして山奥の
崖のふちまで来ますと、あっと言って立ち止まりました。
まあどうでしょう、崖の下の谷間一面に、
素敵な花が咲き乱れてるではありませんか。
十畳敷もあろうかと思われるほど大きな
百合の形をした花で、そのビロードのような花びらは、赤や青や黄や
紫やさまざまの色をして、その上に金色の
花粉が
露のように散りこぼれていて、それをすみきった日の光が、きらきら照らしているのです。そして涼しい風が軽やかに流れるたびに、息もつけないほどのよい香りが、むらむらと立ち昇ってくるのです。あまりのことに、爺さんはぼんやりしてしまいました。
やがて我に返ると、爺さんは早くその花を折り取ってやりたくなりました。ところが、崖の上からその谷間に下りるのが容易でありません。ごつごつした岩の崖で、
何十丈というほど高いのです。爺さんはあちらこちら見廻してみて、ようやく一本の
葛を見つけ出し、それにすがっており始めました。
ちょうど崖の中ほどまでおりますと、どうしたはずみか、葛がぶつりと切れて、あっと言うまに、爺さんはまっさかさまに転げ落ちました。転げ落ちるとたんに、高い鼻が岩角にぶつかって、ぽきりと大きな音を立てて折れてしまいました。
爺さんは谷底で夢中に飛び起きて、一番先に鼻へ手をあててみますと、さあ大変です、天狗からもらった大事な大事な鼻どころか、自分の元の低い鼻までも根っこからなくなって、顔がのっぺらぼうになってるではありませんか。あたりを見廻してみますと、今まで咲き乱れていた花は影も形もなくて、自分の足下に、何か赤いものが一つ転がっています。よく見るとそれはまっ赤な高い
天狗鼻でした。
「まあこれさえあればいい!」
そう思って
爺さんは、急いで拾おうとしました。すると驚いたことには、その赤い鼻がふわりと宙に飛び上がって、舞い上がりながら
次第に大きくなって、やがては空いっぱいの大きさになりました。そして爺さんがあっ気にとられていると、その空いっぱいの大きな鼻の向こうから、「あははははは」と
雷のような笑い声が聞こえました。
それはたぶん、天狗が笑ったのだろうということです。
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- [#…]は、入力者による注を表す記号です。