月清らかな初夏の夜、私はA老人と連れだって、弥生町の方から帝大の裏門をはいり、右へ折れて、正門の方へぬけようとした。二人とも可成り酔っていた。不忍池の蓮の花に、月の光が煙っているのを眺めながら、一杯傾けての帰りなのである。
八角講堂の裏の、薄暗い[#「薄暗い」は底本では「薄晴い」]だらだら坂を上りきって、ぱっと蒼白い月光の中に出た時、A老人は突然立止って、私の肩を叩いた。
「どうだい、こうして眺めると、大学というものも悪くないね。」
A老人が振向いた方を眺めると、辰野工学博士の傑作の一つとされてる工科大学の建物が、中世紀風のシャトーの姿を、星屑の淡い夜空に、くっきり聳やかしている。全体が優雅に模糊として、頂のクレノーが厳めしい。
ほほう、これはまた不思議だ……と私は思ったのである。頭髪半白な剽軽なA老人が、ゴシック式のシャトーを讃めようとは。
だが、老人の眼は、よく見ると、工科大学の建物の方へではなく、すぐ前の、こんもりと茂った木の下影の、何だか怪しい物に注がれていた。
「何を見ているんですか。」と私は尋ねた。
「何をだと……。」そして彼は私の顔をじっと見返した。「君は大学で何を学んだ。」
「何をって……。」
「いや、大学に幾日通った。」
私はその変梃な問に、咄嗟には答えられなかった。
「はははは、変な顔をしているね。間抜けじゃないか。俗悪な銅像や石像が並んでる中に、万緑叢中紅一点という碑があるのを知らないのか。」
「へえー、紅一点……。」
「あれさ、よく見てごらん。」
指差されたのは、紅一点どころか、怪しげな恰好の物だった。人の身長ほどの高さの、上に饅頭笠を被って、低い台の上に立っている。円い筒、川獺が化けるという坊主姿のような石の碑だった。それが、地面から七八本の幹になってこんもりと茂ってる冬青樹の下影の、八手や躑躅の茂みの間に、ぼんやりつっ立っている。
「あの碑ですか。」
「そうさ。大学中で一番面白い風流なものだ。知らなかったのか。迂濶だね。……碑の表と裏とがまた素敵だ。」
私達は芝原の中に歩み入って、碑を眺めた。円柱の南面には、長方形に削り取られた中に、もう磨滅しきった朧な仏の立像が、かすかにそれと見分けられる。北に廻ってみると、円柱の面にいきなり梵字で「キャ・カ・ラ・バ・ア」と五字刻んである、アの字の下半分が磨滅して、古色蒼然としている。キャカラバアと云えば、地水火風空の意味である。
「この碑の由来を知っているか。」
「知りません。」
「なに知らない。君は大学に三年も通って、何を学んだ。」
私は反問した。
「じゃあ、この碑の由来を、あなたは御存じなんですか。」
「はははは、わしも知らない。」
私は唖然とした。
月の光が一面に降り注いでいた。その光の下のこんもりとした木影の中に、ぬっと立っている仏像と梵字の碑が、怪しく私の頭に刻み込まれた。
それは、私が大学を卒業して四五年後の話である。
それからやがて、大正十二年の大地震が起った。大学の中はめちゃくちゃになった。碑のことなんかを、恐らく誰一人顧慮する者はなかったろう。
翌年の春の半、私は或る爽かな夜の九時頃、酔心地のものうい足を引きずって、不忍池の方から戻って来て、大学の裏門から正面へぬけようとした。そして、八角講堂の裏を通る時、ふと、季節こそ違え同じような気分で、A老人と一緒にそこを通ったことを思い出した。
「あの碑はどうなったかしら。」
震災のため廃墟のようになった構内を見廻しながら、心覚えのあたりまでやって来ると朦ろな月の光に、破損が却って風致をましてる工科大学の古めかしいシャトーを背景にして、これはまた湍々しい冬青樹の若葉の下影に、例の碑がぬっとつっ立っていた。
「ほほう。」
私はその側に歩み寄って、露に冷い饅頭笠の石の上を、やさしく撫でてやったのである。
愉快だった。
正面前から電車に乗るのを止して、すぐに老人の家を訪れた。
「あの大学の石の碑は、地震にいたみもしないで、元の通り立っていますよ。」
A老人はきょとんとした顔をした。がやがて、それが何のことだか判ると、エヘンと一つ咳払いをしたのである。
「それはそうなくちゃならん。」
それ以来、私は碑の前を通る時にはいつも、意識的にまた無意識的にも、その方へ一瞥を投げるのである。そして、遠目には殆どそれとも判らぬ仏の立像を見ながら、裏面の文句を口の中で繰返す。
「キャカラバア……地水火風空……。」
おのずから神韻縹緲として、胸廓の広きを覚ゆるのである。
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