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条件反射(じょうけんはんしゃ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-13 7:10:49  点击:  切换到繁體中文

    煙草

 煙草の好きな某大学教授が、軽い肺尖カタルにかかった。煙草は何よりも病気にさわるというので、医者は禁煙か然らずんば節煙を命じ、家人たちもそれを懇望し、本人もその決心をした。ところが彼は、多年の習慣で、煙草の煙が濛々と立罩めた中でなければ勉強が出来ない。節煙の決心で書斎に坐っていると、うまいまずいの問題ではなく、殆ど無意識的に、いつしかやたらに煙草をふかしては、苦しい咳をしている。――然るに彼は、学校で、二時間の講義の間、煙草を吸いたいなどという気は毫も起ったことがない。教室では全然煙草を忘れてしまうのである。
 彼は嘆じて云う。「煙草を節するには、朝から晩まで立続けに講義をするか、或は書斎を教室に改造するかより、他に方法はない。」
 彼にとっては、教室で煙草を吸わないことと、書斎で煙草を吸うこととは、全く同一の条件らしい。

      接客

 父祖数代江戸生れで、本当の江戸児――東京児――だということを誇りにしてる、老婦人がある。意地っぱりで気はしっかりしているが、数年来病弱で、始終医薬に親しみ、家の中でぶらぶら暮している。そして一度来客に接すると、態度から表情から言葉付まで、全く健康者と変りがなく、数時間の応対にも疲労の色さえ見せない。然し客が帰るや否や、気の張りが一時に弛んで、ぐったりと半病人の状態になってしまう。如何なる時如何なる来客に対しても、そうなのである。それが彼女の心身にどんな無理を来してるか、彼女自身でもよく分っていながら、どうにもならないのである。まして、家人の忠告など何の役にも立たない。
 野人の不愛想もさることながら、都会人のそうした性癖も困りものである。馬は死ぬまで立っている、と云ったら、彼女は快心の笑みを浮べるかも知れない。然し、芸妓は如何に心に屈託があろうともお座敷に出ては朗かに笑うものだ、と云ったら、彼女はどういう顔をするであろうか。

      議会

 柔道三段の腕前を持っていて、赭顔肥大、而も平素は温厚な好々爺である、某代議士が云う。「議会というものは、そんなものではない。堂々たる政見を発表し、高遠なる経綸抱負を披瀝するのは、そしてそれに対して神聖公平な討議を行うのは、平素のことだ。一度議場に臨めば、党争が凡てを支配する。ただ戦術あるのみだ。戦術は直接法現在を基調とする。直接法現在は腕力に帰着する。だから、平穏な議場の空気は、ただ眠気を催させるだけで、ばかばかしくなる。静粛な議会などは、議場心理を知らない痴人の夢想だ。誰でもあの議席についたら、腕がむずむずして、脾肉の歎を感ずるのが当然だ。」
 議会にそういう条件がいつ構成されたかは不明だが、それが真であるとするならば、また何をか言わんやである。境に転ぜられざる底の人士を現代に求むるのは、或は無理かも知れない。

      原稿紙

 或る文学少女が或る文士に宛てた手紙の一節。――「原稿用紙なんか使って、御免下さい。先生はいつぞや、私の手紙が冗漫でくどくて要領を得ないと、叱るように仰言ったことがございましたわ。あれから、私随分苦心しました。でも駄目ですの。じきにいつもの女学生風の癖がでてしまって……。いろいろ考えた上、原稿用紙を使ってみることに致しましたの。先生が御創作なさる時のように、机の上には不用なものを一切置かないで、そして創作するような緊張した気持で、ペンを執っております。先生のお気に入る手紙が書けるようにと念じながら……。」
 実際、その手紙は、これ迄のとは見違えるように、簡明で要領を得ていて、殊に句読点が整然としていたそうである。然し、妙に作為が多くて真情の流露が乏しかった。彼は唖然として、嘆じて云う。「彼女は真の創作家にはなれそうもない。」

      襯衣の釦

 某君が他の同志たちと共に、懸命に帯封書きをやっていた時のことである。一種の非合法性を持った印刷物の帯封で、その晩のうちに片付けなければならない状勢にあった。その時彼は和服を着ていて、袖口が仕事の邪魔になるような気がするので、片肌ぬぎになったところ、襯衣の釦が一つ取れていて、そこから痩せた胸が覗き出す。それが次第に自分で気になって、片手で胸元を押え押え帯封書きをしていたが、またすぐに痩せた胸が覗き出す。彼は右手で懸命にペンを走らせながら、そして左手で夢中に襯衣の胸元をつくろいながら、額から汗を流している……。その様子が、とてもおかしかったと、後で誰かが笑った。
「ばか!」と彼は一喝した。「僕は大衆の面前で素裸になっても平気だが、襯衣を着てる以上は、その釦の取れたところから痩せた胸を見せるのは気が引ける。それはイデオロギーの問題じゃない。情操の問題だ。釦の取れた襯衣を着るくらいなら、一層襯衣をぬいじまった方がいい。」

      昆布茶

 二人の飲み友達が、或る家の二階で、一杯やることになった。一人は酒を飲んだ。一人は、胃病のため一時禁酒の余儀ない状態にあったので、銚子にいれた昆布茶を盃で飲んだ。そのごまかしに、いつしか酒が反映していった。二人とも調子づいて、いい気持になり、盛んに談笑し且つ飲んだ。数時間後、座を立ちかける持には、昆布茶の方までが、手付や足取が妙にあやしく、二階から階段を降りかけると、途中で足を踏外して、転げ落ち、膝頭をすりむいた。
 それが、昆布茶に酔っ払った奴として友人間の話柄となった。彼は弁明した。「昆布茶なんぞに酔うものか。酔わない証拠には、梯子段から落っこったのだ。僕が酔っ払って一度だって転げ落ちたことがあるか。」それから彼は声を低めて云う。「然し、飲み物があんなに腹にたまったことは、嘗てない。」

      病床

 某夫人が感冒で寝ていた。八疊の室で、湯気、湿布、吸入。そして彼女は神経質に蒼ざめて、陰欝にしおれ返っていた。それが気になるので、再び見舞に行ってみると、病室が代って、日当りの悪い六疊になっている。而も彼女は、床の上に坐ってけろりとしている。そして云うのである。「この室に代って、大変気持がいいんですのよ。あちらに寝てると、今にも死にそうな気がして……。だって、屹度あの通りの寝方で死んでいった人があるに違いありません。」
 考えてみると、そういう五六室の家では、病人は屹度あの室にああいう位置に寝るに違いない。そしてその古い貸家では、幾人か病人も出来たことだろうし、そのうちには、あの位置で死んでいった人もあるに違いない。それをふと、神経質な彼女は自分の身に感じだして、堪まらなくなったのであろう。
 想像上の条件反射ということがあり得るならば、自我主義の潔癖な彼女は、或は、生きながら死を経験したかも知れない。





底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月22日作成
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