一
今のように世の中が開けていないずっと昔のことです。ある片田舎の村に、ひょっこり一匹の猿がやって来ました。非常に大きな年とった猿で、背中に赤い布をつけ、首に鈴をつけて、手に小さな風呂敷包みを下げていました。
村の広場で遊んでいた子供達は、その不思議な猿を見付けて、大騒ぎを始めました。けれども猿は平気な顔付で、別に人を恐がるふうもなく、わいわい騒ぎ立てる子供達を後にしたがえて、蔵のある大きな家の前へやってゆきました。そして、そこの庭のまん中で、首の鈴をチリンチリン鳴らしながら、後足で立ち上がっておかしな踊りを始めました。
子供達はびっくりして、猿のまわりを円く取り囲んで、黙ってその踊を眺めました。踊が一つすむと、みんな夢中になって手を叩いてはやし立てました。すると、猿はまた別な踊を始めました。
蔵のある家の人達は、表の庭が騒々しいので、不思議に思って出て来ました。見ると、大勢の子供達のまん中で、赤い布と鈴とをつけた大きな猿が、変な踊をおどっています。
「おや、不思議な猿ですねえ。どこの猿ですか」と家の人はたずねました。けれど子供達も、どこから来たどういう猿だか、少しも知りませんでした。
そのうちに、猿は踊をすましました。そして、風呂敷包みからお米を一つかみ取り出して、片方の手でそれを指さしながら、しきりに頭を下げています。「お米を下さい」と言ってるようなようすです。
家の人はそれを悟って、米を少し持って来てやりました。猿は風呂敷を広げてそれをもらい取ると、何度も嬉しそうにお辞儀をしました。それから、また別な家の方へやって行きました。子供達はおもしろがってついて行きました。
次の家でも、猿は同じことをして、お米をもらいました。そういうふうにして、何軒か廻って風呂敷にいっぱい米がたまると、猿はそれを抱えて、一散に走り出しました。子供達も後を追っかけましたが、猿の足の早いの早くないのって、またたくうちにどこへ行ったか見えなくなってしまいました。
二
不思議な猿の噂は、たちまち村中の評判になりました。
「どこから来たんだろう。……どうしたんだろう。……何だろう。……不思議だな」
けれど誰一人としてその猿を知ってる者はありませんでした。
ところが、その翌日になると、またひょっこりとその猿がやって来ました。やはり赤い布と鈴とをつけ、小さな風呂敷包みを持っていました。そして村の家の前で踊ってみせました。がこんどは、風呂敷から野菜の切端を取り出して、それをくれと言うようなんです。村の人達は前日の噂でもうよく心得ていますので、大根だのごぼうだの芋だのいろんな野菜をやりました。猿はそういうものを風呂敷いっぱいもらいためると、また一散にどこへともなく逃げ失せてしまいました。
さあ村中の噂はますます高くなりました。けれどやはりどういう猿だか知ってる者はありませんでした。
すると、猿をちらと見たという村の老人の一人が、こんなことを言い出しました。
「あれは猿爺さんの猿じゃないかな」
それを聞いて、他の老人達も言いました。
「なるほど、猿爺さんの猿にちがいない」
そこで、あの猿は猿爺さんの猿だろうということになりましたが、村の若い人達は、その猿爺さんのことをあまりよくは知りませんでした。で老人達はくわしく話してきかせました。
猿爺さんというのは、五年に一度くらいずつ村に廻ってくる、田舎廻りの猿使いの爺さんでした。長い髪の毛も胸に垂れてる髭も、昔からまっ白であって、日に焼けた額には深い皺がよっていて、幾つになるのか年齢のほどもわかりませんでしたが、方々の国で様々なものを見てきて、人の知らない不思議なことを知っている、妙な人だそうでした。そして、この爺さんの連れてる猿がまた、非常に大きな年とった猿で、いつも背中に赤い布をつけ首に鈴をつけて、爺さんと友達のように並んで歩いていて、爺さんの言葉は何でもよく聞き分けるのだそうでした。
そしてこの二人は、爺さんがいろんな歌をうたいそれにつれて猿がおかしな踊をおどり、方々の家でお金やお米などを少しずつもらって、はてしもない旅を続けてるのでした。大きな町や都会をきらって、田舎の方ばかりを廻っているのでした。都会よりも田舎の方が、のんびりとして気持ちもよく、お金もかからないというのです。宿屋がないような辺鄙なところへ行くと、雨の降る間は幾日も神社の中に泊っていたり、天気の日には木影に野宿したりしました。下にござを敷き上に毛布をかけて、爺さんと猿とは一緒に寝ました。そのござと毛布との外に、小さな桶と鍋とを持っていて、自分で御飯をたいて食べるのでした。
三
さて、猿爺さんの猿が村へ物をもらいに来たとすれば、猿爺さんも村の近くに来てるに違いありません。そして、猿爺さんは[#「猿爺さんは」は底本では「猿爺さんんは」]きっと病気かなんかで動けなくて、猿が一人でやって来るのに違いありません。
「このままほったらかしてもおけまい」
そう言って村の人達は、猿爺さんの居どころを探し始めました。けれどもなかなか見付かりませんでした。それにまた猿の方でも、風呂敷にいっぱい米と野菜とをもらっていったためか、それきり姿を見せませんでした。
「困ったものだな」と村人達は言いました。
そして、中一日おいた次の日の夕方です。村の若者が一人、やはり猿爺さんの居どころを探しあぐんで、村から半里ばかりある丘のふもとを通っていますと、どこからか、キンショキショキ、キンショキショキ……という気持ちのいい音が聞こえてきました。
「おや」
若者はびっくりして立ち止まりました。するとやはり、キンショキショキ、キンショキショキ……と、今まで聞いたこともない不思議な音が響いてきます。若者はその音に聞きとれて、ぼんやりその方へ進んでゆきますと、まあどうでしょう。
丘のふもとの、こんもりと杉の木が五六本茂ってるところに、美しい水がふつふつと湧き出しています。そしてその側で、赤い布と鈴とをつけた大きな猿が、桶でせっせと米をといでいます。その音が、キンショキショキ、キンショキショキ……と、不思議な音楽のように響いています。なおよく見ると、杉の木の下には、髪の毛も髭もまっ白な爺さんが、毛布にくるまってござの上に寝ています。
若者はあっけにとられましたが、やがて我に返ってみると、それこそまさしく、老人達から聞いた猿爺さんとその猿とに違いありませんでした。
「そうだ、そうだ」
若者は嬉しくなって、爺さんのところへ走って行きました。
「猿爺さんじゃありませんか」
爺さんは、にっこり笑って若者を迎えました。
「とうとう見付かったかな。……猿めがあんたの村でいかいお世話になったそうで……」
そこで若者は、村中大騒ぎをして爺さんを探してることや、病気なら村に来て養生するがいいということなどを、熱心に言い立てました。
爺さんは頭を振って答えました。
「いや、この上あんたの村の人達に世話をかけてはすまん。それに、ここにこうして寝ている方が、結局わしには気楽だからのう。……まあちょっと、あの泉の水を飲んでみなされ」
そこで若者は、何の気もなく泉の水を一掬いして飲んでみますと、びっくりして眼を白黒させました。おいしいの何のって、蜜と氷砂糖と雪とをまぜたようなたまらない味でした。
「わしがここまで来かかるとな」と爺さんは話してきかせました。
「急に病気で動けなくなってしまったのさ。そこで杉の木の下に寝たがのう、喉が渇いて仕方ないから、猿めに水がほしいと言うとな、猿めがいきなりそこを掘り始めた。何するのかと思っていたら、その掘った穴から、あの通りうまい水が湧き出してきた。これはわしの知恵にも及ばんことで、ほとほと感心させられましたわい。……そこで、わしはその水を飲んでいくらか気持ちがよくなったがなあ、次にはお米がないという始末なんさ。で猿めを一人であんたの村にやって、お米や野菜をもらって来させたんだがなあ、お影で助かりました。もうわしの病気もあらかたよくなったで、心配して下さらんでもよい。そう村の衆へも言って下されよ」
若者は爺さんの心を動かすことが出来ないのを見て取って、村へ帰ってゆきました。帰る時にはもう猿は米をといでしまって、それを鍋に移してたき火で煮ていました。そして若者の方へ、真面目くさった顔付でお辞儀をしました。
四
若者が猿爺さんに逢った話をしますと、村の人達はなぜかしらひどく感心しました。そして翌朝になると、半ば親切から、半ば物珍しさから、いろんなものを持っていってやりました。米や野菜や布団などはもちろんのこと、病気に利くというほととぎすの黒焼やうなぎの肝など、めいめい何かしら見舞の品を持っていきました。そして泉の水を一杯ずつ飲ませてもらって、そのうまい味に驚きました。夕方行った者は、キンショキショキ、キンショキショキ……と猿が米をとぐ美しい音に驚きました。
そして猿爺さんの病気は、猿の介抱と村人達との世話とで、間もなくなおってしまいました。
病気がなおると、爺さんは猿を連れて村へ御礼に来ました。村の人達も大変喜びました。その晩は、村の広場で酒盛りをしました。村中の人達が寄り集まって、歌うやら踊るやら大騒ぎでした。猿爺さんも猿もまっ赤に酔っぱらって、爺さんは他国のへんてこな歌をうたい、それにつれて猿は首の鈴をチリンチリン鳴らしながら、おかしな踊をしてみせました。子供達ばかりでなく大人までも、そのおもしろさに浮かれ騒ぎました。
そのうちに、酒盛りももう終りになって、夜が更けてきましたから、村の人達は爺さんと猿とを、どこかの家へ泊めようと言い出しました。けれど爺さんは首を振って、その広場に野宿すると言ってききません。
「家の中よりは、広々とした野天に寝る方が気楽でよいからのう」
と爺さんは言いました。「それから、村の衆へ御礼のしるしに、あの丘のふもとのうまい泉はあのまま残しておいてあげるから、大事にして下されよ」
「ありがとう。……ではまた明日逢いましょう」
そういって村人達は一人ずつ、爺さんと猿とに別れを告げて、家の中へ引き取りました。
そして翌朝早く、村人達はまた広場へやって来ました。ところがもう爺さんと猿とは、影も形も見えませんでした。夜の明けないうちにどこかへ出かけてしまったのでした。名残惜しいけれど仕方がありませんので、村人達はせめてもの心やりに、丘のふもとへ行ってみました。するとやはり猿爺さんが約束した通りに、澄みきった冷たい水が湧き出していて、蜜と氷砂糖と雪とを交まぜたような、何とも言えないおいしい味でした。
それからというものは、村の人達はそれをわざわざ汲みにいったり、野良の行き帰りに廻り道をして飲みにいったりしました。泉のおいしい水は、いつもふつふつと湧き出していました。静かな日の夕方なんかには、キンショキショキ、キンショキショキ……と、美しい音がどこともなくその辺に聞こえたそうです。
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