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連句雑俎(れんくざっそ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-4 17:30:24  点击:  切换到繁體中文


 まだ充分数量的に調べたわけでないから確実なことは言われないのであるが、どうも芭蕉はやはり他の人に比して特別にこのアタヴィズムの痕跡を示した例が少ないように思われる。だれか時間の自由をもつ人が統計的にこの点を調べてみたらおもしろい結果を得られはしないかと想像するのである。
 それはとにかく、だいたいの進行の上からいうと、この種のアタヴィズムでも原則としては避けたほうがよいではないかと思われる。しかしこれはいかにすれば避け得られるか。これは理論上からは必ずしもそう困難なことではなく、前述のような分析を行なった上で、その疑いのあるものは淘汰とうたして他に転ずるかあるいはまた前に述べたこともあるとおり、かくして不合格になったものを仮想的第二次前句と見立ててこれに対する付け句を求め、それでもいけなければこれに対する第三次の付け句を求め、漸次かくのごとくして打ち越しの遺伝を脱却すればよいわけであろう。しかし自由にこのような進化を遂げうるためには作者の頭がかなり広大な領土を所有している上にその頭の働きが自由に可撓性フレキシブルであって自分自身の考えの死骸しがいの上を踏み越え踏み越え進行しうるだけの能力をもっているということが必要条件である。芭蕉のごときはそれがかなりよくできる人であったことは以上の乏しい例証からもうかがわれる。芭蕉の辞世と称せられる「夢は枯れ野をかけめぐる」という言葉が私にはなんとなくここに述べた理論の光のもとにまた特別な意味をもって響いて来るのである。彼はこのように夢を駆逐することに喜びと同時に大いなる悲しみをいだいて死んで行ったであろう。
 この頭の働きの領土の広さと自由な滑脱性とに関して芭蕉と対蹠的アンチポーダルの位置にいたのはおそらく凡兆のごとき人であったろう。試みにやはり『灰汁桶あくおけ』の巻について点検すると、なるほど前句「摩耶まや」の雲に薫風を持って来た上に「かますご」を導入したのは結構であるが、彼の頭にはおそらくこの「夕飯ゆうめしのかますご」が膠着こうちゃくしていてそれから六句目の自分の当番になって「宵々よいよい」の「あつ風呂ぶろ」が出現した感がある。また同じ「夕飯」がまだまだ根を引いて「木曾きそ酢茎すぐき」に再現しているかの疑いがある。また後に自分の「田の青やぎていさぎよき」の心像が膠着してそれが六句目の自句「しょろしょろ水にのそよぐらん」に頭をもたげている。しかしこれは決して凡兆という人の特異の天分を無視してこの人をこれだけの点から非難する意では毛頭ないのである。この人の句がうまく適度に混入しているために一巻に特殊な色彩の律動を示していることは疑いもないことであるが、ただもし凡兆型の人物ばかりが四人集まって連句を作ったとしたらその成績はどんなものであるかと想像してみれば、おのずから前述の所論を支持することになるであろうと思われるのである。
 以上は単に便宜上主として『灰汁桶』だけについて例証したのであるが、読者にしてもし同様の見地に立って他の巻々を点検するだけの労を惜しまれないならば、私のここに述べた未熟な所論の中に多少の真の片影のあることを認めてもらえるであろうと信ずる。
 連句制作における興味ある心理的現象は以上にとどまらない。次にはさらに別の方面について所見をのべて読者の叱正しっせいを待つこととする。
 いわゆる連想のうちには、その互いに連想さるべき二つの対象の間に本質的に必然な関係のあるものも多数にある。たとえば、すずりと墨とか坊主と袈裟けさとか坊主と章魚たことかいうように並用共存の習慣あるいは形状性能の類似等から来るものもあり、あるいは貧と富、紅と緑のような対照反立の関係から来るものもある。しかしこれらはかなりまですべての人間に共通普遍なもので、従ってすべての人に理解さるべき客観性をもっているのである。しかるにまた一方ではそういう普遍性を全くもたない個人的に特有な連想によって連結された観念の群あるいは複合コンプレッキスとでも称すべきものがある。これは多くはその一人一人の生涯しょうがい特に年少時代において体験した非常に強烈な印象に帰因するものであって、特に性的な関係のものが多いという話である。そういう原因は今ここでは別問題として、われわれが連句を制作するに当たって潜在的に重要な役目をつとめる観念群のうちには普遍的でなくて全く個人的なものが時々出現し、そうしてそれが一度現われだすと習慣性を帯びて来て、何度となく同じ一巻の中にさえも現われ、また特にその後に作る他の巻の中に再現したがるものである。
 この種の観念群の中には、普遍性はないまでも個人個人にはともかくも事件的の連関の記憶が現存していて、それを説明しさえすれば他人も納得するような種類のものも多いが、しかしまた中には自分自身に考えてもどうしても二つのものの間の連鎖が考えられないようなものがないでもない。たとえば、私がすしを食うときにそのはしにかび臭いにおいがあると、きっと屋形船に乗って高知こうち浦戸湾うらとわんに浮かんでいる自分を連想する。もちろんこれは昔そういう場所でそういうはしすしを食った事があるには相違ないが、何ゆえにそういう一見些細ささいなことがそれほど強い印象を何十年後の今日までもとどめているのであるか、これには現在の自分には到底意識されない理由があるに相違ないのである。その理由は別問題としてこういう私の頭の中だけにある観念群は連句制作の場合にはかなり重要な役目をつとめることができる。たとえば「屋形船」を題材とした前句に付け合わせようというような場合が起こったとする。その時私はすぐに「鮓」を思い出してそれを足場にした付け句を案じるであろう。そうしてその時同時に頭に浮かんだ「箸」の心像をそこで抑圧しておくと、それがその後の付け句の場合にひょっくり浮かび上がって来て何かの材料になることもありうるであろう。
 こういう事は古人の立派な連句にもありはしないかと思って、手近な、そうしてなるべく手数のかからないような範囲内で少しばかり当たってみた。しかしちょうど今言ったような場合の好適例はまだ見いださないのであるが、そのかわりに個々の作者についていろいろな観念群とでも名づくべきものの明白に見えるものを発見することはできた。
 たとえば岩波文庫の芭蕉連句集の(五一)と(五二)の中から濁子じょくしという人の句ばかり抜き書きしてみると、「鵜船うぶねあかをかゆる渋鮎しぶあゆ」というのがあってそこに「鳥」と「魚」の結合がある。ところが同じ巻の終わりに近く、同人が「このしろをる」という句を出してその次の自分の番に「水鶏くいなの起こす寝ざめ」を持ち出している。これだけならば不思議はないのであるが、次の巻のいちばん初めのその人の句が「卵産むとり」であって、その次が「干鰯俵ほしかだわらのなまぐさき」である。この二つの歌仙は同年にできてはいるようであるが、この二つのものの中間にいかなる連中と何回いかなる連句を作っているかそれは私には全くわからない。しかし私の書き抜いた長短わずかに二十三句の中にこういう「魚鳥」複合といったようなものが三度までも現われているのは決して偶然とは思われない。たとえば利牛りぎゅうの句十八の中に鳥類は二度現われるが魚類は一つも現われないのである。
 史邦ふみくにの句三十八ばかりを書き抜いてすぐ気のついたことは「雨月」複合の多いことである。「月細く小雨にぬるる石地蔵」「酒しぼるしずくながらに月暮れて」「塩浜にふりつづきたるよいの月」「月暮れて雨の降りやむ星明かり」以上いずれも雨の月であるが、もう一つおまけに「からかさをひろげもあえずにわか雨」というのがある。ここでは月の代わりに傘が出ている。それからこれは一見しただけではあまり明白ではないが、「寒そうに薬の下をふき立てて」「土たく家のくさききるもの」「よりもそわれぬ中は生かべ」「すりばちにうえて色つく唐がらし」少し逆もどりして別の巻「どぶむかざの隣いぶせき」の五句のごときも、事によると一種の土臭いにおいを中心として凝集した観念群を想像させる。
 岱水たいすいについて調べてみる。五十句拾った中で食物飲料関係のものが十一句、すなわち全体の二十二プロセントを占めている。こういうのを前記の観念群と同一視してよいか悪いかは少し疑わしいがともかくもおもしろい例である。史邦ふみくにの場合には「薬」も入れて飲食物と見るべきものが三十八分の三、即ち八プロセント弱である。これくらいならば普通であるかもしれないが、岱水の場合は少し多すぎるように思われる。それからまた岱水では「もろみのかびをかき分けて」というのと、巻はちがうが「月もわびしき醤油しょうゆうかす」というのがある。この二度目の月と醤油しょうゆとの会合ははなはだ解決困難であるが、前の巻の初めに、史邦の「帷子かたびら」の発句と芭蕉のわきもみ一升を稲のこぎ賃」との次に岱水が付けた「たでの穂にもろみのかびをかき分けて」を付けているところを見ると、岱水の頭には何かしら醤油のようなものと帷子との中間にまたがる観念群があるのではないかと疑わせる。もちろんこれも一つの臆測おくそくである。
 やはり岱水で「二階はしごのうすき裏板」の次に「手細工に雑箸ぞうばしふときかんなくず」があり、しばらく後に「引き割りし土佐とさ材木のかたおもい」がある、これらも一つの群と見られる。また「梅の枝おろしかねたる暮れの月」と「かれし柳を今におしみて」の二つもこの二つで一群をなし、なおまた前の三つの一群と合しそうな気もする。
 最後に涼葉りょうよう十七句を調べてみた。「牛」が二頭いる。「草鞋わらじ」と「むしろ」と「わら」、それから少しちがった意味としても「かご」と「かご」がある。それから「文」、「日記」の「紙」、それから「※(「糸+旨」、第4水準2-84-21)きぬ」と「しま」がある。これらのものは、少なくも私には一つの観念群を形成しうるものである。これが全体十七句の五割以上を占領しているのは、よもや全くの偶然とは言われまい。
 ここで以上にあげた作家のために一言弁じておかなければならないことは、これらの後世に伝わった僅少きんしょうな句だけを見て、これからこれらの作家の頭の幅員を論じてはならないことである。涼葉りょうようにしたところが何もいつまでもこの、私がかりに texture complex とでも名づけるものばかりの周囲をぐるぐる回ってばかりいたわけではないであろう。
 以上のような方法を芭蕉や蕪村ぶそんに及ぼして分析と統計とを試みてみたらあるいはおもしろい結果が得られはしないかと思うのであるが、自分で今それを遂行するだけの余裕のないことを遺憾とする。もし渋柿しぶかき同人中でこれを試みようという篤志家を見いだすことができれば大幸である。以上はただそういう方面の研究をする場合に役に立ちそうだと思われる方法の暗示に過ぎないのである。
 こういうふうに、連句というものの文学的芸術的価値ということを全然念頭から駆逐してしまって統計的心理的に分析を試みることによって連句の芸術的価値に寸毫すんごうも損失をきたすような恐れのないことは別に喋々ちょうちょうする必要はないであろうと思われる。繰り返して言ったように創作の心理と鑑賞の心理は別だからである。しかし全く別々で縁がないかと言うとそう簡単でもない。それは意識の限界以上で別々になっているだけで、その下ではやはり連絡していると思われるからである。この点についてはさらに深く考究してみたいと思っている。ともかくも一度こういうふうに創作心理を分析した上で連句の鑑賞に心を転じてみると、おのずからそうする以前とはいくらかちがった心持ちをもって同じ作品を見直すことができはしないか。そうして付け合わせの玩味がんみに際してしいて普遍的論理的につじつまを合わせようとするような徒労を避け、そのかわりに正真な連句進行の旋律を認識し享楽することができはしないかと思うのである。
 専門の心理学者ことに精神分析学者の目で連句の世界を見渡せばまだまだおもしろい問題や材料は数限りもなく得られるであろうと想像される。そういう方面の学者でこの日本独特の芸術の分析的研究に手を着ける人が一人でもできれば喜ばしいことである。

(昭和六年八―十月、渋柿)

     六 月花の定座の意義

 連句の進行の途上ところどころに月や花のいわゆる定座じょうざが設定されていて、これらが一里塚いちりづかのごとく、あるいは澪標みおつくしのごとく、あるいは関所のごとく、また緑門のごとく樹立している。これは連句というものの形式的要素の中でもかなり重要なものであって、全体の構造上の締めくくりをつける留釘リベットのような役目をつとめているようである。いつごろからだれらが規定したものか、そういう由緒ゆいしょ来歴については自分はまだなんらの知識をも持たないのであるが、ただ自分で連句の制作に当面している場合にこれらの定座に逢着ほうちゃくするごとに経験するいろいろな体験の内省からこれら定座の意義に関するいくらかの分析を試みることはできるので、その考察の一端を述べてみたいと思うのである。
 前に連句の付け合わせの心理的機巧を述べたときに詳説しておいたように、前句と付け句とは二つの個性の部分的重合によって連結されたものであって、連句の全体はそういうものの連鎖の一系列を形成している。従ってその連鎖のつながり方を規定するものは作者各自の個性のアンサンブルである。ところがそういう集団の組織は時と場合により多種多様であるから、もしそこになんらか外側から人工的に加えられた制限がないとしたら、その結果はどこへどうそれて行くか見きわめがつかないものになってしまうであろう。そういうものもまた一つの自由な詩形として成立しうるかもしれないが、しかしそれでは、それ自身としての存在を有するきまった足場の上に立つところの、従って一つのきまった名によって呼ばるべき詩形は成立し得ない。気ままにピアノの鍵盤けんばんをたたきまわっても一つの音楽であるかもしれないがソナタにはならないと同様である。そういう意味における統制的要素としての定座が勤めるいろいろの役割のうちで特に注目すべき点は、やはり前述のごとき個性の放恣ほうしなる狂奔を制御するために個性を超越した外界から投げかける縛繩ばくじょうのようなものであるかと思われる。個性だけでは知らず知らずの間に落ち込みやすい苟安自適こうあんじてき泥沼どろぬまから引きずり出して、再び目をこすって新しい目で世界を見直し、そうして新しい甦生そせいの道へこまの頭を向け直させるような指導者としての役目をつとめるのがまさにこの定座であるように思われるのである。
 もっとも連句におけるいっさいの他の規約、たとえば季題やきらいの定めなどもある程度まではやはり前述のごとき統制的の役目をつとめることはもちろんであるが、しかしこれらの制限と月花の定座の制限とでは言わば次元的ディメンショナルに大きな差別がある。前者の拘束範囲が一つの面であるとすれば、後者はその面内にただ一つの線を画するような感じがある。もしこういう拘束がなかったとすると各自の個性はその最も安易な出入り口にのみ目を向けるであろうが、定座のおきてによってそれらのわがままの戸口をふさがれてしまうので、そこでどうにかそこから抜け出しうべく許されたただ一筋の困難な活路をたどるほかはないことになる。しかしそこをくぐることによって、もしそうでなかったら決して生涯しょうがい見ることのなかったはずの珍しく新しい国を遍歴する第一歩を踏み出すことができるのである。もっともこのようなことは何も連句に限らず他の百般の事がらに通有ないわゆる「転機」の妙用に過ぎないので、われわれ人間の生涯の行路についても似よったことが言われるであろうが、そういう範疇はんちゅうの適切なる一例として見らるるという点に興味があるであろう。またそう見ることによって定座の意義が明瞭めいりょうとなり、また制作に当たっての一つの指針を得ることができるであろうかと思われる。
 そういう役目を月と花との二つに負わせた事にも興味がある。これは一つには古来の伝統による雪月花の組み合わせにもよる事であろうが、しかし月花の定座に雪を加えてはたしかに多すぎてかえって統率が乱れる。しかしいずれか一つではまたあまりに単調になる。だいたいにおいて春の花のほがらかさと、秋の月の清らかさとを正と負、陽と陰の両極として対立させたものであるに相違ない。音楽で言わば長音階と短音階との対立を連想させるものもある。もちろん定座には必ず同季の句が別に二句以上結合して三協和音のごとき一群をなすのであって、結局は春秋季題の插入そうにゅう位置いちを規定する、その代表者として花と月とが選ばれているとも言われる。そうしてこの二つのものが他の季題に比べて最も広い連想範囲をもちうるために代表者に選ばれたことも事実であろう。しかし自分のおもしろいと思うのは、この定座の月と花とが往々具体的な自然現象としてではなくむしろ非常に抽象的な正と負の概念としてこの定座の位置に君臨している観があるということである。もちろんそうでない場合もまたはなはだ多いようであるがだいたいにおいては自然にそうなるべきはずのものではないかと思われ、そういう意識をもって作句してもしかるべきではないかと思うのである。しかしこれについては、古来の作例について具体的に系統的な調べをした上でなければ確定的な議論はできないので、ここにはただ一つの研究題目として提出するにとどめておく。
 定座の配置のしかたもまたはなはだ興味あるものである。表六句の中に月が置かれているのはこの一ページのうわずるのを押える鎮静剤のようなきき目をもっている。裏十二の中に月と花が一つずつあってこの一楽章に複雑な美しさを与える一方ではまたあまりに放恣ほうしな運動をしないような規律を制定している。月が七句目のへんに来ているのは、表の月に照応してもう一度同じテーマを繰り返すことによって表の気分を継承した形である。そうして名残なごりの表に移らんとする二句前に花が現われて、それがまさにきたらんとするほがらかな活躍を予想させるようにも思われる。さて、いよいよ名残なごり十二句のスケルツォの一楽章においては奔放自在なる跳躍を可能ならしむるため、最後から一つ前の十一句目までは定座のような邪魔な目付け役は一つも置かないことにしてある。しかしこの十一句目に至ってそこで始めて次にきたるべき沈静への導音ライトトーンででもあるかのように月の座が出現する。そうしてその後につづく秋季結びが裏へその余韻を送るのである。かくしていよいよ最後の花の座が、あたかも静寂な暮れ方の空をいろどる夕ばえのごとき明るくはなやかなさびしさをもって全巻のカデンツァをかなでることになっているのである。
 以上のごとく考えて来るとこの一見任意的であるかのごとき定座の定数やその位置がなかなか任意ではなくて容易には変更を許さないような必然性をもっているように思われて来るのである。それでこの規定はもちろん絶対ユニークなものではないまでも種々な可能なものの中から選ばるべき最良なるものの一つであることだけは確実であろうと思われる。
 以上ははなはだ未熟な分析の試みであったが、このような見方を一つの作業仮説として実際の古人の連句中の代表的なものに応用してみることは、連句の研究上に一つの新断面を劈開へきかいするだけの効果はありはしないかと思われる。ここで実例について詳説することのできないのを遺憾とするが、読者のうちでもし上記の暗示を採用されていっそう具体的に詳細な研究を試みらるるかたがあれば大幸である。
 なお、ここでは定座の標準位置のみについて論じたのであるが、実例についてこの定位からの偏差が実際いかなる範囲にいかなる様式で行なわれているかを研究してみるのもまた興味あり有益なる仕事であろうと思われる。また一方ではこの定座の発生進化に関する歴史的研究もはなはだ必要であるが、これについてはその方面の学者たちの示教を仰ぐほかはないのである。そうして単なる文献考証だけではなくして、そういう進化径路の有機的な系統に関する分析的な研究が遂げられる日の来るのを期待したく思うのである。
(昭和六年十一月渋柿)

 

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