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連句雑俎(れんくざっそ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-4 17:30:24  点击:  切换到繁體中文

   一 連句の独自性

 日本アジア協会学報第二集第三巻にエー・ネヴィル・ホワイマント氏の「日本語および国民の南洋起原説」という論文が出ている。これはこの表題の示すごとく、日本国語の根源が南洋にある事を論証し、従って国民祖先の大部分もまた南洋から渡来したものだと論断しようとするものである。この学説の当否についてはもちろん種々の議論があるであろうが、ここではもちろんそれは問題にしない。この論文の始めの序説中、日本人の独創能力に乏しい事を述べた一節に、チャンバレーン博士の言ったという言葉を引いて、「この邦土で純粋に日本固有というべきものはただ二つ、それは風呂桶ふろおけとそうしてポエトリーである」と述べている。また「もっと意地の悪いある批評家は『だれもたぶんこの二つのどれもを召し上げたいとは思わないだろう』と言った」とある。この所説の当否もここでは問題にしない。ただこのいわゆるポエトリーがここで何をさすかが問題である。不幸にして私はこのチャンバレーンの言葉がどこに発表されているかを知らないから今たしかにこの点を追究する道がない。しかしたぶんこれはまず和歌をさし、そうして事によると俳句も含まれているのではないかと思うのである。
 このように、これ以上惨酷にはあり得ないと思うほど惨酷な目で日本の文化をながめたときでさえ、ともかくも目立って見える日本固有の詩形の中でも特に俳諧連句はいかいれんくという独自なものの存在する事をこれらの毛唐人けとうじんどもが知っていたかどうか、たとえそういう詩形の存在を概念的に知っていたとしてもほんとうにその内容を理解し正当に估価こかし得たであろうという事はほとんど不可能であると思われる。
 西洋人が俳諧を理解し得ないというのは、われわれ日本人が厳密に正当にゲーテやシェークスピアを理解しないというのとはちがって、そこにもう一つ輪をかけた困難があると思われる。後者には世界人類に共通な人間性そのものが基調をなしているのに、前者には東洋人特に日本人に独自なある物がその存在の主要な基礎になっていると思われるからである。その基礎的要素とは何か、と問われればわれわれはまず単に「それが俳諧である」と答えるよりほかに道はない。
 何が俳諧であるかを一口や二口で説明するのは非常にむつかしいが、何が俳諧でないかを例示するほうが比較的やさしいようである。私の知る限りにおいてドイツ人は俳諧の持ち合わせの最も乏しい国民である。彼らはたとえば、呼び鈴の押しボタンの上に「呼び鈴」とはり札をし、便所のほうきには「便所の箒」と書かなければどうも安心のできない国民なのである。そのおかげでドイツの精密工業は発達し、分析的にひどく込み入っためんどうな哲学が栄える。本来快楽を目的とする音楽でさえもドイツ人の手にかかるとそれが高等数学の数式の行列のようなものになり、目を喜ばすべき映画でさえもこの国でできたものは見ていておのずから頭痛のして来るようなのがはなはだ多い。これに比べてフランスにはいくらかの俳諧があるように思われる。セーヌ河畔のり人や、古本店、リュクサンブールの人形芝居、美術学生のネクタイ、かえるの料理にもどこかに俳諧のひとしずくはある。この俳諧がこの国の基礎科学にドイツ人の及ばない独自な光彩を与え、この国の芸術に特有な新鮮味を添えているのではないかとも思われる。たとえば近代物理学の領域を風靡ふうびした「波動力学」のごときもその最初の骨組みはフランスの一貴族学者ド・ブローリーがすっかり組み立ててしまった。その「俳諧」の中に含まれた「さび」や「しおり」を白日の明るみに引きずり出してすみからすみまで注釈し敷衍ふえんすることは曲斎的なるドイツ人の仕事であったのである。芸術のほうでもマチスの絵やマイヨールの彫刻にはどこかにわれわれの俳諧がある。これがドイツへはいると、たちまちに器械化数学化した鉄筋式リアリズムになるのが妙である。
 ヒアガルの絵のように一幅の画面に一見ほとんど雑然といろいろなものを気違いの夢の中の群像とでもいったように並べたのがある。日本人でもこのまねをするあほうがあるが、あれも本来のねらいどころはおそらく一種の「俳諧」であったに相違ない。ただこれは「時」の俳諧の代わりに「空間」の俳諧を試みて、そうしてあまり成効しなかった一つの習作とも見らるるものである。
 しかしなんと言っても俳諧は日本の特産物である。それはわれわれの国土自身われわれの生活自身が俳諧だからである。ひとたび世界を旅行して日本へ帰って来てそうして汽車で東海道をずうっと一ぺん通過してみれば、いかにわが国の自然と人間生活がすでに始めから歌仙式かせんしきにできあがっているかを感得することができるであろうと思う。アメリカでは二昼夜汽車で走っても左右には麦畑のほか何もない所があるという話である。ドイツでは行っても行っても洪積期こうせききの砂地のゆるやかな波の上にばらまいた赤瓦あかがわらの小集落と、キーファー松や白樺しらかばの森といったような景色が多い。日本の景観の多様性はたとえば本邦地質図の一幅を広げて見ただけでも想像される。それは一片のつづれのにしきをでも見るように多様な地質の小断片の綴合てつごうである。これに応じて山川草木の風貌ふうぼうはわずかに数キロメートルの距離の間に極端な変化を示す。また気象図を広げて見る。地形の複雑さに支配される気温降水分布の複雑さは峠一つを隔ててそこに呉越ごえつの差を生じるのである。この環境の変化に応ずる風俗人情の差異の多様性もまたおそらく世界に類を見ないであろう。一つは過去の封建制度によってこれが強調されたということは許容しても、人力のいかんともし難い天然環境の影響は将来においてもおそらく永久に継続するであろう。試みに中央線の汽車で甲州こうしゅうから信州しんしゅうへ分け入る際、沿道の民家の建築様式あるいは単にその屋根の形だけに注意してみても、私の言うことが何を意味するかがおぼろげにわかるであろうと思う。
 このような天然の空間的多様性のほかにもう一つ、また時間的の多様性においても日本はかなりに豊富に恵まれているのである。南洋中の島では一年じゅうがほとんど同じ季節であり、春夏秋冬はただの言葉である。ここでは俳諧は有り得ない。またたとえばドイツやイギリスにはほんとうの「夏」が欠如している。そうしてモンスーンのないかの地にはほんとうの「春風」「秋風」がなく、またかの地には「野分のわき」がなく「五月雨さみだれ」がなく「しぐれ」がなく、「柿紅葉かきもみじ」がなく「霜柱」もない。しかし大陸と大洋との気象活動中心の境界線にまたがる日本では、どうかすると一日の中に夏と冬とがひっくり返るようなことさえある。その上に大地震があり大火事がある。無常迅速は実にわが国の風土の特徴であるように私には思われる。
 日本人の宗教や哲学の奥底には必ずこの自然的制約が深い根を張っている。そうして俳諧の華実もまた実にここから生まれて来るような気がする。無常迅速、流転してやまざる環境に支配された人生の不定感は一方では外来の仏教思想に豊かな沃土よくどを供給し、また一方では俳諧のさびしおりを発育させたのであろう。
 私のこのはなはだ不完全に概括的な、不透明に命題的な世迷い言を追跡する代わりに、読者はむしろ直接に、たとえば猿蓑さるみのの中の任意の一歌仙を取り上げ、その中に流動するわが国特有の自然環境とこれに支配される人間生活の苦楽の無常迅速なる表象を追跡するほうが、はるかに明晰めいせきに私の言わんと欲するところを示揚するであろう。試みに「とびの羽」の巻をひもといてみる。鳶はひとしきり時雨しぐれに悩むがやがて風収まって羽づくろいする。その姿を哀れと見るのは、すなわち日本人の日常生活のあわれを一羽の鳥に投影してしばらくそれを客観する、そこに始めて俳諧が生まれるのである。旅には渡渉する川が横たわり、住には小獣の迫害がある。そうしてなしを作り、墨絵をかきなぐり、めりやすを着用し、ひるの貝をぶうぶうと鳴らし、茣蓙ござね、芙蓉ふようの散るを賞し、そうして水前寺すいぜんじの吸い物をすするのである。
 このようにして一連句は日本人の過去、現在、未来の生きた生活の忠実なる活動写真であり、また最も優秀なるモンタージュ映画となるのである。これについてはさらに章を改めて詳しく論じてみたいと思う。
 ともかくも、俳諧連句が過去においてのみならず将来においても、必然的に日本国民に独自なものであるということは、以上の不備な所説でもいくらかは了解されるであろうと思う。そうして、かのチャンバレーン氏やホワイマント氏がもう少しよく勉強してかからないうちは、いくら爪立つまだちしても手のとどかぬところに固有の妙味のあることも明らかになるであろうと思う。

(昭和六年三月、渋柿)


     二 連句と音楽

 連句というものと、一般に音楽と称するものとの間にある程度の形式的の類似がある事について私は従来もすでにたびたびいろいろな機会に述べたことがあるが、ここでもう一度改めてこの点について詳しく考え直してみたいと思う。
 もっとも、なんと言っても音楽は音楽、連句は連句であるから、あまり無理な比較をしようとすれば結局はなはだしい付会に陥るにきまっている。これについては最初から用心してかかる必要がある。しかしこの用心を頭の中に置いた上で、試みにいかなる程度まで、いかなる方向にこの比較が可能であるかを一応当たってみるのは無意義ではないであろう。少なくもそうしてみることによってわれわれは連句というものの本質をなんらかの新しい光のもとに見直す事ができるかもしれない。そうして連句のこれからの進むべき道程に関するなんらかの暗示を得る機縁に探り当てるかもしれないと思うのである。
 連句に限らずすべての詩歌、ただし近ごろの先端的とか称する奇妙な不規則な詩形の化け物はひとまず除外するとして、普通の古典的の意味においてのすべての詩歌は、皆共通な音楽的要素をもっている。それはまず第一に時間的なリズムである。しかしこれがあるというだけならば連句も他の詩歌も別に変わったことはないようである。しかるに普通の詩歌ではこの律動の要素はかなり必要ではあるが、しかしいくらか従属的なものと見なすこともできる。なぜかと言えば、詩歌にはその言葉の連続によって生ずる一貫した企図の表現、平たく言えば筋書きがあって、その筋書きによって代表された一つのまとまった全体があり、そういう点では律動的でない戯曲や小説や紀行文や随筆やとも共通な要素をもっている。それに付帯してもう一つ音楽的な律動的要素が融合してそうしていわゆる詩歌となっているのである。しかるに連句では一つ一つの短句長句はそれぞれにはまとまった表象をもっているが、ある句とその付け句との間の関係はもはや普通の詩歌の相次ぐ二句の間の関係とはよほどちがったものになっている。実際は一見そういう差別の見えにくい実例もあるかもしれないが、少なくも原理的にはそこに根本的な相違が存在する。この点についてはまた別に詳論する必要があるが、簡単に言えば次のようにも言われる。すなわち普通の詩歌の相次ぐ二句の接続は論理的単義的であり、甲句の「面」と乙句の「面」とは普通幾何学的に連続し、甲の描く曲線は乙の曲線と必然的単義的に連結している。これに反して連句中の一句とその付け句との「面」の関係は、複雑に連絡した一種のリーマン的表面の各葉の間の関係のようなものである。句の外観上の表面に現われた甲の曲線から乙の曲線に移る間に通過するその径路は、実は幾段にも重畳した多様な層の間にほとんど無限に多義的な曲線を描く可能性をもっているのである。そうして連句というものの独自なおもしろみはまさにこの複雑な自由さにかかっているのである。要するに普通の詩歌の相次ぐ二句は結局一つの有機的なものの部分であり、個体としての存在価値をもたないものであるが、連句の二句は、明白に二つの立派な独立な個体であって、しかもその二つの個体自身の別々の価値のみならず、むしろ個体と個体との接触によって生ずる「界面現象」といったようなものが最も重要な価値をもつものになるのである。そうしてこの点がすでに連句と音楽との比較の上に一つの著しい目標を与えるのである。これを私は今かりに旋律的要素と名づけてみようと思う。
 音楽の最も簡単なものを取ってみると、それは日蓮宗にちれんしゅうの太鼓や野蛮人の手拍子足拍子のようなもので、これは同一な音の律動的な進行に過ぎない。これよりもう少し進歩したものになると互いに音程のちがった若干種類の音が使われるようになって、そこにいわゆるメロディーが生まれる。二種の高さの音をそれぞれに取り離して全く別々に聞くだけならば、振動数がかなりちがってもたいしてちがった感じの違いは起こらないのが、二つの音を相次いで聞くときに始めて甲乙二音の音程差に対して特別な限定が生じ、そこからいわゆる音階が生まれて来る。これが旋律の成立の第一条件である。たとえばある基音に対して長三度の音と短三度の音とを二つ別々に相当な時間を隔てて聞いたのではどちらでも全く同じ心持ちしか起こらない。しかし基音からすぐに長三度へあがるのと短三度へ上がるのとではそれこそ全く春と秋とちがうほどの差違を感ずるであろう。次いで五度に移ってみればこの差違はいっそう明瞭めいりょうに感じられる。
 連句における一句とその付け句との接続にはこれとよく似たある物があるのである。いったい甲音と乙音とが接続して響く際われわれ人間の内耳の微妙な機官に何事が起こってその結果われわれの脳髄に何事が起こるかということについては今日でも実はまだよくわかっていないのであるが、ただ甲が残して行った余響ナハクラングあるいは残像ナハビルドのようなものと、次に来る乙との間のある数量的な関係で音の協和不協和が規定されることだけは確実である。連句の場合にはもちろん事がらが比較にならぬほどあまりに複雑であって、到底音の場合などとの直接の比較は許されないが、ただ甲句を読み通した後に脳裏に残る余響や残像のようなものと、次に来る乙句の内容たる表象や情緒との重なりぐあいによって、そこに甲乙二句一つ一つとはまた別なある物が生まれ、これが協和不協和の感を与えることだけは確実である。この二つのものの接触によって生まれる第三の新しいもの、すなわち「音程」というものに相当するものがちょうど連句の場合の「付け味」になると考えることもできる。
 今ただ二つの音の連続だけでは旋律はできあがらないと同様に、ただ一対の長句と短句だけでは連句はできない。いろいろな音程が相次いで「進行」して始めて一つの旋律一つの節回しができ、そうすることによってそこにほとんど無際限な変化の自由が生ずるのである。普通のわれわれの音楽で使われる音程の数は有限な少数であるのに、実際これからあらゆる旋律、たとえば追分節おいわけぶしも生まれればチゴイネルワイゼンも生まれる。ましてや連句の場合にこの音程に相当する付け味の数は言わば高次元の無限大である。これから見ても連句の世界の広大無辺なことをいくらでも想像することができるであろう。
 普通西洋音楽で一つのまとまった曲と称するものにいろいろの形式がある。たとえば三部形式と称するものでは、その名の示すように三つの相次ぐ部分から成立している。たとえば第一の部分がある旋律によって表わされた一つの主題テーマであるとすれば、第二の部分はこれと照応しまた対比さるべきものであり、これに次いで来る第三すなわち終局部では再び前の主題が繰り返される。またソナタ形式ならば、第一主題、第二主題の次にいわゆる発展部が来てこれら主題に対する解答を試みる。これが活躍した後に、再び始めの第一、第二主題が繰り返されて終局するのである。今連句歌仙の三十六句をたとえば(表六句)(裏と二の表裏合わせて二十四句)(名残なごりの裏六句)と分けて、これを三部形式あるいはソナタ形式にたとえてみることもできないことはないが、この対比はそれほど適切とは思われない。
 上記のような形式から成る「楽章」をさらに三つ四つと続けていわゆるソナタやシンフォニーを構成する。この組み立てのほうが連句の組み立てと比較するのにより適当であるように思われる。もっとも正当なソナタやシンフォニーのように四楽章から成る場合だと、第一章が通例早いテンポのソナタ形式のもの、第二章がいわゆるスロームーヴメントで表情豊かな唱歌形式のもの、第三章が軽快な舞踏曲のようなもので、往々諧謔的かいぎゃくてきなスケルツォが使われる。第四章がたいてい急テンポのロンドやソナタ形式のものになっている。そこで今試みに歌仙の一つを取って考えてみると、少なくも私だけの感じでは、形式的にも最初の表六句は一つの楽章を作り、次に裏の十二句が又一つの楽章、次に二の表の十二句が第三楽章、そうして最後の六句が第四の終局楽章を形成していると言ってもたいした無理な比較ではないような気がするのである。この比較の当否は二段としても、試みにこういう考えを仮設してもう少し比較を進めてみたらどうなるか。
 まず第一楽章六句はおのずから温雅で重厚な気分に統一されている場合が多いようである。ここでは神祇じんぎ釈教恋無常の活躍は許されない。テンポで言えばまずアンダンテのような心持ちである。第二楽章十二句になるとよほど活発にあるいはパッショネートになって来て、恋をしたり子をかわいがったり大病をしたり坊主になったりする。しかし全体のテンポは私にはむしろ緩徐に感ぜられ、アダジオのような気持ちがする。ところが第三楽章の十二句になると、どうもだいぶ気が軽くなり行儀がくずれてはれた足を縁へ投げ出したり物ごとにだだくさになったり隣家とけんかをしたり雪舟せっしゅうの自慢をしたりあばたの小僧をいやがらせたり、どうもとかくスケルツォの気分が漂って来る場合が多いようである。そうしてテンポも早くアレグロになり、時にはプレストにもなるようである。ところが最終の第四楽章に入ると、再びもとの静かさに帰る、そうして「花の座」が現われ、最後に、ゆるやかなあげ句で、ちょうど春の夕暮れのような心持ちで全編が終結するのである。これはもちろんラルゴかレントの拍子である。このように連句の場合では1と4が緩徐であるのに、音楽のほうでは1と4が急テンポである事自身がまたわれわれにおもしろい問題を提供するのであるが、これについてはあまりに岐路に入ることになるのでここには述べない。ただこの比較から得らるる一つの暗示は、歌仙の形式で芭蕉ばしょう以来の伝統的な形式とちがった、西洋音楽のそれのようなものをも作りうるのではないかということ、またこれと逆に俳諧の構造を音楽のほうに移して連句的な楽章配置をもったソナタやコンツェルトを作ることはできないかということである。これはただの暗示であるが、ともかくも一つの可能性を示唆するものであろうと思われる。
 元来この四楽章構成は決して偶然なものではなくて、ちょうど漢詩の起承転結などにも現われまた戯曲にも小説にも用いられる必然的な構成法であって特に連句のみに限られたことではないのであるが、しかしその構成要素の音楽的な点から見て連句の場合ほど適切なる比較を許すものは他にはないのである。
 さて上記の考え方では、連句の長句一つ、短句一つを、それぞれの一つの音に比較するという前提のもとに考えを進めたのであるが、これは多くの中の一つの考え方であって、唯一無二の考え方ではない。これよりももっと適切で有効な比較はいくらもあるであろう。たとえばわれわれは次のような比較を試みることもできる。
 前述のように連句中の一句一句をそれぞれの一つの音と見立てる代わりにこれよりはもう少し複雑な見方をすることもできる。元来一つの長句ならば長句の中には、実際いろいろな表象や観念が含まれていて、それらの結合によって一つの複雑な光景なり情緒なりが代表され描写されている。こういう見方からすれば、それらの一句中のいくつかの表象はそれぞれ一つずつの音のようなものであって、これが寄り集まって一つの「和弦かげん」のようなものを構成していると見られないことはない。もっとも、ただの一句でもそれを読む時の感官的活動は時間的に進行するので、決して同時にいろいろの要素表象が心に響くのではないが、しかし一句としてのまとまった感じは一句を通覧した時に始めて成立するのであるから、物理的には同時でなくても心理的には「同時」にこれらの各表象が頭に響くので、結局三つか四つの弦を同時に鳴らせた一つの和弦を聞くか、あるいは和弦を分解して交互に響かせるアルペジオを聞く場合と類似の過程である。つまり一つの句をたとえばピアノの譜で縦に重畳した若干の重音の串刺くしざしに相当させることができる。これが大きな管弦楽ならばまたいっそう多数の音が重畳して来るわけであるが、連句の一句に同時に響いて来る表象情緒の重なり方の複雑さは、管弦楽などよりもいっそうウルトラの複雑さで到底数字や記号で表わさるべき程度のものではないのである。それでもわれわれはともかくもこの二つのものの和弦的かげんてき要素の比較にある意味を認めることだけはできるように思う。
 複音が相次いで進行する場合にそこにいろんな込み入ったいわゆる和声学ハルモニー上の規則が生まれて来る。これらを一々引き合いに出して連句の場合に付会しようとしても、それはおそらく始めから無理であるにきまっているが、しかし連句の相次ぐ二句の接触によって甲句に含むいろいろの組成要素と乙句に含むそれらとの関係から、いわゆる付き過ぎたり離れ過ぎたりする現象が起こって来る。これが和声学ハルモニー上のいろいろな規則とどこかに共通な原理を思わせるものがあるのである。たとえば和声かせいのほうで八度や五度の並行を忌むというのは、つまりあまりに付き過ぎて進行変化がなくなるのをきらうからである。また一方であまりに突飛な音の飛躍も喜ばれないのはつまり離れ過ぎを忌むのである。次から次と不即不離な関係で無理なく自由に流動進行することによってそこにベートーヴェンやブラームスが現われて活躍するのである。またあまりに美しい完全な和弦が連行すると単調になり退屈になるので適当な不協和音を適当に插入そうにゅうすることによって、曲の変化と活気が生じる。それと同様に、歌仙でもあまり美しい上品なそして句調の平滑な句が続くと、すぐだれて来て活気がなくなる。われわれ初心の者の連句はとかくこうなりたがるのである。しかし古人のすぐれた連句と思うのをよく解剖してみると、どうもこの不協和音のようなものが巧みに插入されているように思われる。一句として見ても、また前句との付きぐあいから見ても、どうにもあまりぞっとしないと思われる句が七部集の中でもたくさんにある。それで一句一句しらみつぶしに解釈し批評して行く場合にはこれらの句はややもすれば罰点を付けられるのであるが、しかし上述のような考え方に従ってその句の近辺一帯の進行を通観した後にその一句の役目を考え直してみると、多くの場合にわれわれはこのやや劣勢なる不協和音的存在の価値を前とはちがった光のもとに見直すことがあるような気がする。芭蕉のごときこの道の大先達はおそらくこの点をかなりまで判然と意識していて、そうしてこれらの悪句を巧みに拾い上げて插入し活用したのかもしれない。試みにこれらのへんな句やいやな句を抹殺まっさつしてそれを美しいやさしいさびしおりにみちた句ばかりに作り変えることができたとする。そうしてみた後にわれわれは、事によると、せっかくのその修正の成果が意外にも単調一律なよそ行きの美句の退屈なる連鎖になりおおせたことを発見して茫然ぼうぜん自失するようなことになりはしないか。

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