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Liber Studiorum(ライバー ステューディオラム)
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一
震災後復興の第一歩として行なわれた浅草凌雲閣の爆破を見物に行った。工兵が数人かかって塔のねもとにコツコツ穴をうがっていた。その穴に爆薬を仕掛けて一度に倒壊させるのであったが、倒れる方向を定めるために、その倒そうとする方向の側面に穴の数を多くしていた。準備が整って予定の時刻が迫ると、見物人らは一定の距離に画した非常線の外まで退去を命ぜられたので、自分らも花屋敷の鉄檻の裏手の焼け跡へ行って、合図のラッパの鳴るのを待っていた。その時、一匹の小さなのら犬がトボトボと、人間には許されぬ警戒線を越えて、今にも倒壊する塔のほうへ、そんなことも知らずにうそうそひもじそうに焼け跡の土をかぎながら近寄って行くのが見えた。 ぱっと塔のねもとからまっかな雲が八方にほとばしりわき上がったと思うと、塔の十二階は三四片に折れ曲がった折れ線になり、次の瞬間には粉々にもみ砕かれたようになって、そうして目に見えぬ漏斗から紅殻色の灰でも落とすようにずるずると直下に堆積した。 ステッキを倒すように倒れるものと皆そう考えていたのであった。 塔の一方の壁がサーベルを立てたような形になってくずれ残ったのを、もう一度の弱い爆発できれいにもみ砕いてしまった。 爆破という言葉はどうしてもあのこわれ方にはふさわしくない。今まで堅い岩でできていたものが、突然土か灰か落雁のようなものに変わってそのままでするするとたれ落ちたとしか思われない。それでもねもとのダイナマイトの付近だけはたしかに爆裂するので、二三百メートルの距離までも豌豆大の煉瓦の破片が一つ二つ飛んで来て石垣にぶつかったのを見た。 爆破の瞬間に四方にはい出したあのまっかな雲は実に珍しいながめであった。紅毛の唐獅子が百匹も一度におどり出すようであった。 くずれ終わると見物人は一度に押し寄せたが、酔狂な二三の人たちは先を争って砕けた煉瓦の山の頂上へ駆け上がった。中にはバンザーイと叫んだのもいたように記憶する。明治煉瓦時代の最後の守りのように踏みとどまっていた巨人が立ち腹を切って倒れた、その後に来るものは鉄筋コンクリートの時代であり、ジャズ、トーキー、プロ文学の時代である。 あの時に塔のほうへ近づいて行ったあの小犬はどうしたか。当時を思い出すたびに考えてみるのだが、これはだれに聞いても到底わかりそうもない。 こんな哀れな存在もあるのである。
二
ある日乗り合わせた丸の内の電車で、向かい側に腰をかけた中年の男女二人連れがあった。男は洋服を着た魚屋さんとでもいった風体であり、女はその近所の八百屋のおかみさんとでも思われる人がらであった。しかるに二人の話し合っている姿態から顔の表情に至っては全く日本人離れがしている。周囲のおおぜいの乗客はたった今墓場から出て来たような表情であるのに、この二人だけは実に生き生きとしてさも愉快そうに応答している。それが夫婦でもなくもちろん情人でもなく、きわめて平凡なるビジネスだけの関係らしく見えていて、そうしてそれがアメリカの魚屋さんとアメリカの八百屋さんのように見えるのが不思議である。 二人ともにあるいは昔からの活動写真、近ごろの発声映画のファンででもあるかとも考えてみた。そうとでも仮定しなければ他に説明のしかたのないほどに、あく抜けのしたヤンキータイプを見せていた。 喫茶店などで見受ける若い男女に活動仕込みの表情姿態を見るのは怪しむまでもないが、これが四十前後の堅気な男女にまで波及して来たのだとすると、これはかなり容易ならぬ事かもしれない。 天平時代の日本の都の男女はやはりこういうふうにして唐や新羅のタイプに化して行ったのかもしれない。
三
書店の二階の食堂で昼飯を食いながら、窓ガラス越しに秋晴れの空をながめていた。遠くの大きな銀行ビルディングの屋上に若い男が二人、昼休みと見えてブラブラしている。その一人はワイシャツ一つになって体操をしてみたり、駆け足のまねをしてみたり、ピッチャーの様子をしたりしている。もう一人は悠然としてズボンのかくしに手を入れ空を仰いで長嘯漫歩しているふぜいである。空はまっさおに、ビルディングの壁面はあたたかい黄土色に輝いている。 こういう光景は十年前にはおそらく見られないものであったろう。この二人はやはり時代を代表している。 ジャズのはやるゆえんである。
四
一週に一度永代橋を渡って往復する。橋の中ほどから西寄りの所で電車の座席から西北を見ると、河岸に迫って無骨な巌丈な倉庫がそびえて、その上からこの重い橋をつるした鉄の帯がゆるやかな曲線を描いてたれ下がっている。この景色がまたなく美しい。線の細かい広重の隅田川はもう消えてしまった代わりに、鉄とコンクリートの新しい隅田川が出現した。そうしてそれが昔とはちがった新しい美しさを見せているのである。少し霧のかかった日はいっそう美しい。 邦楽座わきの橋の上から数寄屋橋のほうを、晴れた日暮れ少し前の光線で見た景色もかなりに美しいものの一つである。川の両岸に錯雑した建物のコンクリートの面に夕日の当たった部分は実にあたたかいよい色をしているし、日陰の部分はコバルトから紫まであらゆる段階の色彩の変化を見せている。それにちりばめた宝石のように白熱燈や紅青紫のネオン燈がともり始める。 白木屋で七階食堂の西向きの窓から大手町のほうをながめた朝の景色も珍しい。水平に一線を画した高架線路の上を省線電車が走り、時に機関車がまっ白な蒸気を吐いて通る。それと直交し弓なりに立って見える呉服橋通りの道路を、緑色の電車のほかに、白、赤、青、緑のバスが奇妙な甲虫のようにはい上りはいおり行きちがっている。遠くにはお城の角櫓が見え、その向こうには大内山の木立ちが地平線を柔らかにぼかしている。左のほうには小豆色の東京駅が横たわり、そのはずれに黄金色の富士が見える。その二つの中間には新議会の塔がそびえている。昔はなかったながめである。百年前に眠ったままで眠り通し、そうして今この窓で目ざめたとしたら……。いつもこんなことを考えながら一杯のコーヒーをすするのである。 震災前の東京は、高い所から見おろすと、ただ一面に鈍い鉛のような灰色の屋根の海であった。それが、震災後はいったいにあたたかい明るい愉快な色の調子が勝って来た。それと同時にそういう所で仰ぎ見る空の色が以前よりも深く青く見えだしたような気がする。これはコントラストのせいであろう。これほど著しい色彩の変化が都人の心に何かの影響を及ぼさないはずはないという気がする。 実際は東京の空気は年々に濁るはずである。自動車のガソリンの煙だけでも霧の凝縮核を供給することはたいしたものであろう。寒い曇天無風の夜九段坂上から下町を見るといわゆるロンドンフォッグを思わせるものがある。これも市民のモーラルを支配しないわけにはゆかないであろう。
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