宮崎湖処子の「帰省」が現われたとき当時の中学生は驚いた。尋常一様な現実の生活の描写が立派な文学でありうるのみか、あらゆる在来の文学中に求め得られない新鮮な美しさを包蔵しうるという事実を発見して驚いたのであった。アーヴィングの「スケッチブック」が英学生の間に流行していたのもそのころであったと思う。
松村介石の「リンカーン伝」は深い印銘を受けたものの一つである。リンカーンはたった三冊の書物によってかれの全性格を造り上げたという記事が強く自分を感動させたのであったが、この事実は書物の洪水の中に浮沈する現在の青少年への気付け薬になるかもしれない。
「リンカーン伝」でよびさまされた自分の中のあるものがユーゴーの「ミゼラブル」でいっそう強くあおり立てられたようである。当時まだ翻訳は無かったように思うが、自分の見たのは英訳の抄訳本でただ物語の筋だけのものであった。そうして当時の自分の英語の力では筋だけを了解するのもなかなかの骨折りであったが、そのおかげで英語が急に進歩したのも事実であった。学校で教わっていた「クライブ伝」や「ヘスチング」になんの興味も感じることのできなくてかわき切っていた頭にあたたかい人間味の雨をそそいだのであった。この雨が深くしみ込んで、よかれあしかれその後の生活に影響したような気がする。
当時は「明治文庫」「新小説」「文芸倶楽部」などが並立して露伴、紅葉、美妙斎、水蔭、小波といったような人々がそれぞれの特色をもってプレアデスのごとく輝いていたものである。氏らが当時の少青年の情緒的教育に甚大な影響を及ぼしたことはおそらくわれわれのみならずまたいわゆる教育家たちの自覚を超越するものであったに相違ない。
たしか「少年文学」と称する叢書があって「黄金丸」「今弁慶」「宝の山」「宝の庫」などというのが魅惑的な装幀に飾られて続々出版された。富岡永洗、武内桂舟などの木版色刷りの口絵だけでも当時の少年の夢の王国がいかなるものであったかを示すに充分なものであろう。
これらの読み物を手に入れることは当時のわれわれにはそれほど容易ではなかった。二十銭三十銭を父母にもらい受ける手数のほかに書店にたのんで取り寄せてもらう手続きがあった。しかし何度も本屋へ通ってまだかまだかと催促してやっと手に入れたときの喜びはおそらくそのころのわれわれ仲間の特権であったかもしれない。
当時の田舎の本屋はいばったものであったような気がする。われわれは頭を下げて売ってもらっていたような感じがある。これは当然であったかもしれない。少なくもわれわれにとって書物は決して「商品」ではなかった。それは尊い師匠であり、なつかしい恋人であって、本屋はそれをわれわれに紹介してくれるだいじな仲介者であったわけである。
読書の選択やまた読書のしかたについて学生たちから質問を受けたことがたびたびある。これに対する自分の答えはいつも不得要領に終わるほかはなかった。いかなる人にいかなる恋をしたらいいかと聞かれるのとたいした相違はないような気がする。時にはこんな返答をすることもある。「自分でいちばん読みたいと思う本をその興味のつづく限り読む。そしていやになったら途中でもかまわず投げ出して、また次に読みたくなったものを読んだらいいでしょう」大根が食いたくなる時はきっと自分のからだが大根の中のあるヴィタミン・エッキスを要求しているのであろう。その時われわれは何も大根を食うことの必然性を証明した後でなければそれを食っていけないわけのものではない。また友人のIが大根を食ってよろずの病を癒やし百年の寿を保つとしても、自分がそのまねをして成効するという保証はついていない。ある本を読んで興味を刺激されるのは何かしらそうなるべき必然な理由が自分の意識の水平面以下に潜在している証拠だと思われる。それをわれわれの意識の表層だけに組み立てた浅はかな理論や、人からの入れ知恵にこだわって無理に押えつけねじ向ける必要はないように思われる。人々の頭脳の現在はその人々の過去の履歴の函数である。それである人がある時にAという本に興味を感じて次にBに引きつけられるということが一見いかに不合理で偶然的に見えても、それにはやはりそうなるべきはずの理由が内在しているであろう。ただそれを正当に認識するには、ちょうど精神分析の大家がわれわれの夢の分析判断を試みるよりもいっそう深刻な分析と総合の能力を要求するであろう。
それだから、ある時にちっとも興味のなかった書物をちがった時に読んでみると非常な興味を覚えることも珍しくない。子供の時にきらいであった塩辛が年取ってから好きになったといって、別に子供の時代の自分に義理を立てて塩辛を割愛するにも及ばないであろう。
なんべん読んでもおもしろく、読めば読むほどおもしろみの深入りする書物もある。それは作ったもの、こしらえたものにはまれで、生きたドキューメントというような種類のものに多いのはむしろ当然のことであろう。
二、三ページ読んだきりで投げ出したり、またページを繰ってさし絵を見ただけの本でも、ずっと後になって意外に役に立つ場合もある。若い時分には、読みだした本をおしまいまで読まないのが悪事であるような気がしたのであるが、今では読みたくない本を無理に読むことは第一できないしまた読むほうが悪いような気がする。時には小説などを終わりのほうから逆にはじめのほうへ読むのもおもしろい、そうしていけない理由もない。活動のフィルムの逆転をしてはいけない事はないと同じである。
いろいろな書物を遠慮なくかじるほうがいいかもしれない。宅の花壇へいろいろの草花の種をまいてみるようなものである。そのうちで地味に適応したものが栄えて花実を結ぶであろう。人にすすめられた種だけをまいて、育たないはずのものを育てる努力にひと春を浪費しなくてもよさそうに思われる。それかといって一度育たなかった種は永久に育たぬときめることもない。前年に植えたもののいかんによって次の年に適当なものの種類はおのずから変わることもありうるのである。
健康である限りわれわれの食物はわれわれが選べばよいが、病気のときは医者の薬も必要かもしれない。しかし薬などのまずになおる人もあり薬をのんでも死ぬ人もある。書物についても同じことがいわれはしないか。
クリスマスの用意に鵞鳥をつかまえてひざの間にはさんで首っ玉をつかまえて無理に開かせた嘴の中へ五穀をぎゅうぎゅう詰め込む。これは飼養者の立場である。鵞鳥の立場を問題にする人があらばそれは天下の嘲笑を買うに過ぎないであろう。鵞鳥は商品であるからである。人間もまた商品でありうる。その場合にはいやがる書物をぎゅうぎゅう詰め込むのもまたやむを得ないことであろう。そういう場合にこの飼料となる書籍がいっそう完全なる商品として大量的に生産されるのもまた自然の成りゆきと見るべきであろうか。
日本では外国の書物を手に入れるのがなかなか不便である。書店に注文すると二か月以上もかかる。そうして注文部と小売部と連絡がないためか、店の陳列棚にそれが現存していても注文した分が着荷しなければ送ってくれなかったりする。頼んだつもりのが頼んだことになっていなかったりすることもある。雑誌のバックナンバーなど注文すると大概絶版だと断わって来るがライプチヒの本屋に頼むとたいていはじきに捜し出してくれるのである。天下の愚書でも売れる本はいつでも在庫品があり、売れない本はめったにない。これも書物が何々株式会社の「商品」であるとすればもとより当然のことである。それで自然に起こる要求は、そういう商品としてでない書籍の供給所を国家政府で経営して大概の本がいつでもすぐに手に入れられるようにしてもらうことはできないかということである。もっともこうなると自然に書物の種類にある限定を生じるに相違ないが、それでもかまわないと思うのである。少なくも科学や技術方面の書物だけでもさし当たってそうしてほしいと思う。国立図書館といったようなものと少なくも同等な機関として必要なものでありはしないか、こういう虫のいい空想も起こるくらいに不便を感じる場合が多いのである。
若いおそらく新参らしい店員にある書物があるかと聞くと、ないと答える。見るとちゃんと眼前の棚にその本が収まっている事がある。そういうときにわれわれははなはださびしい気持ちを味わう。商人が自分の商品に興味と熱を失う時代は、やがて官吏が職務を忘却し、学者が学問に倦怠し、職人が仕事をごまかす時代でありはしないかという気がすることもある。しかし考巧忠実な店員に接し掌をさすように求める品物に関する光明を授けられると悲観が楽観に早変わりをする。現代の日本がやはりたのもしく見えて来ると同時に眼前の書籍を知らぬ小店員を気の毒に思うのである。
ドイツのある書店に或る書物を注文したらまもなく手紙をよこして、その本はアメリカの某博物館で出版した非売品であるが、御希望ゆえさし上げるように同博物館へ掛け合ってやったからまもなく届くであろうと通知して来た。そうしてまもなくそれが手もとに届いたのであった。ありがたくもあればまたドイツ人は恐ろしいとも思った。これが日本の書店だと三月も待った後に御注文の書籍は非売品の由につきさよう御承知くだされたしという一枚のはがきを受け取るのではなかったかと想像する。間違ったらゆるしてもらいたい。そう想像させるだけの因縁はあるのである。
書店にはなるべく借金をたくさんにこしらえるほうがいいという話を聞いて感心したことがある。正直に月々ちゃんと払いをすませるような顧客は、考えてみると本屋でもてなくてもよいわけであった。それでバックナンバーでも注文する時はその前に少なくも五六百円の借金をこしらえておくほうが有効であるかもしれない。これは近ごろの発見であるような気がした。
将来書物がいっさい不用になる時代が来るであろうか。英国の空想小説家は何百年間眠り続けた後に目をさました男の体験を描いているうちにその時代のライブラリーの事を述べている。すなわち、書物の代わりに活動のフィルムの巻物のようなものができていて文字を読まなくても万事がことごとくわかることになっている。しかしこれは少し書物というものの本質を誤解した見当ちがいの空想であると思われる。
それにしても映画フィルムがだんだんに書物の領分を侵略して来る事はたしかである。おそらく近い将来においていろいろのフィルムが書店の商品の一部となって出現するときが来るのではないか。もしも安直なトーキーの器械やフィルムが書店に出るようになれば教育器械としてのプロフェッサーなどはだいぶ暇になることであろう。
今からでも大書店で十六ミリフィルムを売り出してもよくはないか。そうして小さな試写室を設けて客足をひくのも一案ではないかと思われるのである。近ごろ写真ばかりの本のはやるのはもうこの方向への第一歩とも見られる。
読みたい本、読まなければならない本があまり多い。みんな読むには一生がいくつあっても足りない。また、もしかみんな読んだら頭はからっぽになるであろう。頭をからっぽにする最良法は読書だからである。それで日下部氏のいわゆる少なく読む、その少数の書物にどうしたらめぐり会えるか。これも親のかたきのようなもので、私の尋ねる敵と他の人の敵とは別人であるように私の書物は私が尋ねるよりほかに道はない。
ある天才生物学者があった。山を歩いていてすべってころんで尻もちをついた拍子に、一握りの草をつかんだと思ったら、その草はいまだかつて知られざる新種であった。そういう事がたびたびあったというのである。読書の上手な人にもどうもこれに類した不思議なことがありそうに思われる。のんきに書店の棚を見てあるくうちに時々気まぐれに手を延ばして引っぱりだす書物が偶然にもその人にとって最も必要な本であるというようなことになるのではないか。そういうぐあいに行けるものならさぞ都合がいいであろう。
一冊の書物を読むにしても、ページをパラパラと繰るうちに、自分の緊要なことだけがページから飛び出して目の中へ飛び込んでくれたら、いっそう都合がいいであろう。これはあまりに虫のよすぎる注文であるが、ある度までは練習によってそれに似たことはできるもののようである。実際何十巻ものエンチクロペディーやハンドブックを通読できるわけのものではないのである。
間違いだらけで恐ろしく有益な本もあれば、どこも間違いがなくてそうしてただ間違っていないというだけの事以外になんの取り柄もないと思われる本もある。これほど立派な材料をこれほど豊富に寄せ集めて、そうしてよくもこれほどまでにおもしろくなくつまらなく書いたものだと思う本もある。
翻訳書を見ていると時におもしろいことがある。訳文の意味がどうしてもわからない場合に、それを一ぺん原語に直訳して考えてみるとなるほどと合点が行って思わず笑い出すことがある。たとえば「礼服を着ないでサラダを出した」といったような種類のものである。
先端的なものの流行る世の中で古いものを読むのも気が変わってかえって新鮮味を感じるから不思議である。近ごろ「ダフニスとクロエ」の恋物語を読んでそういう気がするのであった。今のモボ、モガよりもはるかに先端的な恋をしているのである。アリストファーネスの「雲」を読んで学者たちが蚤の一躍は蚤の何歩に当たるかを論ずるところなどが、今の学者とちっとも変わらない生き写しであることをおもしろいと思うのであった。「六国史」を読んでいると現代に起こっていると全く同じことがただ少しばかりちがった名前の着物を着て古い昔に起こっていたことを知ってあるいは悲観しあるいは楽観するのである。だんだん読んでいると、古い事ほど新しく、いちばん古いことが結局いちばん新しいような気がして来るのも、不思議である。古典が続々新版になる一方では新思想ものが露店からくずかごに移されて行くのも不思議である。
それにしても日々に増して行く書籍の将来はどうなるであろうか。毎日の新聞広告だけから推算しても一年間に現われる書物の数は数千あるいは万をもって数えるであろう。そうしてその増加率は年とともに増すとすれば遠からず地殻は書物の荷重に堪えかねて破壊し、大地震を起こして復讐を企てるかもしれない。そういう際にはセリュローズばかりでできた書籍は哀れな末路を遂げて、かえって石に刻した楔形文字が生き残るかもしれない。そうでなくとも、また暴虐な征服者の一炬によって灰にならなくとも、自然の誤りなき化学作用はいつかは確実に現在の書物のセリュローズをぼろぼろに分解してしまうであろう。
十年来むし込んでおいた和本を取り出してみたら全部が虫のコロニーとなって無数のトンネルが三次元的に貫通していた。はたき集めた虫を庭へほうり出すとすずめが来て食ってしまった。書物を読んで利口になるものなら、このすずめもさだめて利口なすずめになったことであろう。
(昭和七年一月、東京日日新聞)
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