九 ゲノアからミラノ
五月三日
朝モントクリストの島を見て通った。鯨が潮を吹いていた。地中海に鯨がいてはいけない埋由はないだろうがなんだか意外な感じがした。昼過ぎから前方に陸が見えだし五時ごろにいよいよゲノアに着いた。
三十五日間世話になった船員にそれぞれトリンクゲルトを渡さなければならないのに、ちょうど食事時でボーイらは皆食堂へ出ているのでぐあいが悪くて少し気をもんだ。狭い廊下で待ち伏せして一人一人渡すのに骨が折れた。彼らはそれをかくしにねじ込みながら、カイゼルひげの立派な顔をしゃくって Gl
ckliche Reise ! などと言った。
ハース氏は、イタリアの人足はずるくて、うっかりしていると荷物なんかさらわれるからと言って、先に桟橋へおりた自分らに見張り番をさせておいて船からたくさんのカバンや行李をおろさせた。税関の検査は簡単に済んだ。自分がペンク氏から借りて持って来た海図の巻物を、なんだと聞かれたから、いいかげんのイタリア語でカルタマリーナと答えたら、わかったらしかった。
ホテル・ロアイヤールというのの馬車でハース氏の親子三人といっしょに宿へ着いた。ハース氏が安い部屋をとかけ合ってくれて、No.65 という三階の部屋へはいる。あまり愉快な部屋ではない。窓から見おろすとそこは中庭で、井戸をのぞくような気がする。下水のそばにきたない木戸があって、それに葡萄らしいものがからんでいる。犬が一匹うろうろしている。片すみには繩を張って、つぎはぎのせんたく物が干してある。表の町のほうでギターにあわせて歌っている声もこの井戸の底から聞こえて来た。遠くの空のほうからは寺院の鐘の旋律も聞こえていた。夕食には自分らのほかにはたいして客もなかった。デセールの干し葡萄や干し無花果やみかんなどを、本場だからたくさん食えと言ってハース氏がすすめた。「エンリョはいりません」など取っておきの日本語を出したりした。
夜久しぶりで動かない陸上の寝室で寝ようとすると、窓の外の例の中庭の底のほうから男女のののしり合う声が聞こえて来て、それが妙に気になって寝つかれなかった。ことに女の甲高なヒステリックな声が中庭の四方の壁に響けて鳴っていた。夫婦げんかでもしているのか、それとも狂人だかわからなかった。
五月四日
朝八時四十分に立つハース氏を見送って停車場まで行った。「きょうからわれら二人は Waisen(みなし子)になる」と言ったら、「早くベルリンへついて、Weise Kinder(賢い子)におなりなさい」と言って笑った。
電車でカンポサントへ行った。もっとさびしみのある所かと思ったら意外であった。堅い感じのする回廊の床も壁も一面に棺で張りつめてあって、あくどい大理石像がうるさいほど並んでいた。しかし中庭の芝地の中に簡単な十字架の並んでいるのは気持ちがよかった。そこには日本で見るような雑草の花などが咲いていた。
十一時の汽車でミラノへ向かう。しばらくは山がかった地方のトンネルをいくつも抜ける。至るところの新緑と赤瓦の家がいかにも美しい。高い崖の上の家に藤棚らしいものが咲き乱れているのもあった。やがてロンバルディの平原へ出る。桑畑かと思うものがあり、また麦畑もあった。牧場のような所にはただ一面の緑草の中にところどころ群がって黄色い草花が咲いている。小川の岸には楊やポプラーが並んで続いていた。草原に派手な色の着物を着た女が五六人車座にすわっていて、汽車のほうへハンカチをふったりした。やがて遠くにアルプス続きの連山の雪をいただいているのも見えだした。とある踏切の所では煉瓦を積んだ荷馬車が木戸のあくのを待っていた。車の上の男は赤ら顔の肩幅の広い若者でのんきらしく煙管をくわえているのも絵になっていた。魚網を肩へかけ、布袋を下げた素人漁夫らしいのも見かけた。河畔の緑草の上で、紅白のあらい竪縞を着た女のせんたくしているのも美しい色彩であった。パヴィアから先には水田のようなものがあった。どんな寒村でも、寺の塔だけは高くそびえているのであった。
二時ごろミラノ着。ホテル・デュ・パルクに泊まる。子供の給仕人が日本の切手をくれとねだった。伽藍を見物に行く。案内のじいさんを三リラで雇ったが、早口のドイツ語はよく聞き取れなかった。夏至の日に天井の穴から日が差し込むという事だけはよくわかった。ステインドグラスの説明には年号や使徒の名などがのべつに出て来たが、別に興味を動かされなかった。塔の屋根へ登って見おろすと、寺の前の広場の花壇がきれいな模様になっている事がよくわかった。しかし寺院はやっぱり下から見るものだと思う。
ダヴィンチの像の近くのある店先に日本の水中花を並べてあった。それには Fiori magica という札を立ててあった。宿近くの公園を散歩する。新緑の美しさは西洋へ来て以来いちばん目についたものでまた予想以上のものである。何かしら薄紅の花が満開している。そこで子供がディアボロを回して遊んでいた。
夕飯はまずく、米粒入りのスープは塩からかった。夜またドームの広場まで行く。ちょうど満月であった。青ずんだ空にはまっ白な漣雲が流れて、大理石の大伽藍はしんとしていた。そこらにある電燈などのないほうがよさそうにも思われた。ドーム前の露店で絵はがきやアルバムを買った。売り子は美しい若い女で軽快な仏語をさえずっていた。
(大正十年三月、渋柿)
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