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写生紀行(しゃせいきこう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-3 8:47:33  点击:  切换到繁體中文


 十一月二日、水曜。渋谷しぶやから玉川電車たまがわでんしゃに乗った。東京の市街がどこまでもどこまでも続いているのにいつもながら驚かされた。
 世田せたという所がどこかしら東京付近にあるという事だけ知って、それがどの方面だかはきょうまでつい知らずにいたが、今ここを通って始めて知った。なるほど兵隊のいそうなという事が町に並んでいる店屋の種類からも想像されるのであった。
 駒沢村こまざわむらというのがやはりこの線路にある事も始めて知った。頭の中で離れ離れになってなんの連絡もなかったいろいろの場所がちょうど数珠じゅずの玉を糸に連ねるように、電車線路に貫ぬかれてつながり合って来るのがちょっとおもしろかった。
 学校で教わったり書物を読んだりして得た知識もやはり離れ離れになりがちなものである。ただ自分が何かの問題にまともにぶつかって、そのほうの必要からこれらの知識を通り抜ける時に、すべての空虚な知識が体験の糸に貫ぬかれて始めて生きて連結して来る。これと同じようなものだと思う。
 農科の実科の学生が二三人乗っていた。みんな大きな包みのようなものを携えている。休日でもないのにどこへ行くのだろうと思って気をつけていた。すると途中からもう一人同じ帽章をつけたのが乗り込んで、いきなり入り口に近く腰掛けていた一人の肩をたたき「オイ、どうした」と声をかけた。その言葉の響きのある機微な特徴で、私はこの学生が固有の日本人でない事を知った。気をつけてみると、つい私の隣にかけていた連れの一人の読んでいる新聞が漢字ばかりのものであった。容貌ようぼうから見るとどうもシナではなくて朝鮮から来た人たちらしく思われた。
 玉川たまがわの川原では工兵が架橋演習をやっていた。あまりきらきらする河原には私の捜すような画題はなかったので、川とこれに並行した丘との間の畑地を当てもなく東へ歩いて行った。広い広い桃畑があるが、木はもうみんな葉をふるってしまって、果実を包んだ紙の取り残されたのが雨にたたけてくっついている。少しはなれて見ると密生したこずえの色が紫色にぼうとけむったように見える。畑の間を縫う小道のそばのところどころに黄ばんだはんの木のこずえも美しい。
 丘の上へ登ってみようと思って道を捜していると池のようなもののそばに出た。さざ波一つ立たない池に映った丘の森の色もまたなく美しいものである。みぎわに茂るあしの断え間にりをしている人があった。私の近づく足音を聞くと振り返ってなんだかひどく落ち付かぬふうを見せた。もしこの池で釣魚つりをする事が禁ぜられてでもいるか、そうでないとすれば、この人はやはり自分のようなたちの、言わばすわりの悪い良心をもった人間だろうと思われた。そして悪い事をしていなくても、人から悪い事をしていると思われはしないかと思うと同時に、実際悪い事をしていると同じ心持ちになるというたちの男かもしれないと思った。そして同病相哀れむ心から私は急いでそこを通り過ぎねばならなかった。
 ようやく丘の下の往還に出ると、ちょうどそこから登る坂道があった。登りつめるときれいな芝を植えた斜面から玉川沿いの平野一面を見晴らす事ができた。しかしそれよりも私の目をひいたのは、丘の上の畑の向こう側にかきの大木が幾本となく並んでその葉が一面に紅葉しているのであった。その向こうは一段低くなっていると見えて柿のこずえの下にある家の藁葺屋根わらぶきやねだけが地面にのっかっているように見えていた。ここで画架を立てて二時間余りを無心に過ごした。
 がけをおりて停車場のほうへ行く道ばたには清らかな小流れが音を立てて流れていた。小川の岸に茂るいろいろの灌木かんぼくはみんなさまざまの秋の色彩に染められていた。小川と丘との間の一帯の地に、別荘らしい家がところどころに建っている。後ろには森を背負い、門前の小川には小橋がかかっている、なんとなしに閑寂な趣のあるいい土地だと思う。しかしこの小川の流れが衛生のほうから少し気になる点もあると思った。
 電車は小学校の遠足のかえりでいっぱいであった。よんどころなく車掌台に立って外を見ていると、ある切り通しのがけの上に建てた立派な家のひさしが無残に暴風にこわされてそのままになっているのが目についた。液体力学の教えるところではこういう崖のかどは風力が無限大になって圧力のうんと下がろうとする所である。液体力学を持ち出すまでもなく、こういう所へ家を建てるのは考えものである。しかしあるいは家のほうが先に建っていたので切り通しのほうがあとにできたかもしれない。そうだとすると電車の会社はこの家の持ち主に明白な損害を直接に与えたものだという事が科学的に立証されるわけである。これによく似た場合は物質的のみならず精神的の各方面にも至るところにあるが損害をかけた人も受けた人も全然その場合の因果関係に心づかない事が多いように思われる。そのおかげでわれわれはまくらを高くして眠っていられる。そして言論や行動の自由が許されている。春秋しゅんじゅうの筆法が今は行なわれないのであろう。そうでなければこんな事もうっかりは言われない。
 世田が谷近くで将校が二人乗った。大尉のほうが少佐に対して無雑作な言語使いでしきりに話しかけていた。少佐は多く黙っていた。その少佐の胸のボタンが一つはとれて一つはとれかかっているのが始終私の気にかかった。
 同乗の小学生を注意して見ると、もちろんみんな違った顔であるが、それでいて妙にみんなよく似た共通の表情がある。軍人を見てもやっぱりそうであるらしい。これがどうしてそうなるかを突きとめる事はある人々にきわめて重大な問題であると思われる。われわれの見たあり蜜蜂みつばちのように個体の甲と乙との見分けがつかなくならなければその「集団」はまだ本物になっていないと思う。

 十一月十日、木曜。池袋いけぶくろから乗り換えて東上線とうじょうせん成増なります駅まで行った。途中の景色が私には非常に気にいった。見渡す限り平坦へいたんなようであるが、全体が海抜幾メートルかの高台になっている事は、ところどころにくぼんだ谷があるので始めてわかる。そういう谷の所にはきまって松や雑木の林がある。この谷の遠く開けて行くさきには大河のある事を思わせる。畑の中に点々と碁布した民家は、きまったように森を背負って西北の風を防いでいる。なるほど吹きさらしでは冬がしのがれまい。
 私の郷里のように、また日本の大部分のように、どちらを見てもすぐ鼻の先に山がそびえていて、わずかの低地にはうっとうしい水田ばかりしかない土地に育ったものには、このような景色は珍しくて、そしていかにも明るく平和にのびのびした感じがする。これと言って特にさすもののないために一見単調なように見えるが、その中にかなり複雑な、しかし柔らかな変化は含まれている。あまりに強い日常の刺激に疲れたものの目にはこのようなながめがまたなくありがたい。
 米を食って育っていながらこういう事をいうのはすまないが、水田というものの景色はなぜか私には陰気な不健康な感じを与える。またいくら広くてもその面積はわれわれの下駄げたばきの足をれる事を許さないために、なんとなく行き詰まった窮屈な感じを与えるが、畑地ならば実際どこでも歩いて行けば行かれると思うだけでも自由なのびやかな気がする。
 ねぎや大根が至るところに青々として、麦はまだわずかに芽を出した所があるくらいであった。このあいだまで青かったはずの芋の葉は数日来の霜にててすっかりうだったようになったのが一つ一つ丁寧に結び束ねてあった。
 成増でおりて停車場の近くをあてもなく歩いた。とある谷を下った所で、曲がりくねった道路と、その道ばたにはんの木が三四本まっ黄に染まったのを主題にして、やや複雑な地形に起伏するいろいろの畑地を画布の中へ取り入れた。
 帰りに汽車の窓から見た景色は行きとは見違えるほどいっそう美しかった。すべてのものが夕日を浴びて輝いている中にも、分けて谷の西向きの斜面の土の色が名状のできない美しいものに見えた。線路に沿うたとある森影から青い洋服を着て、ミレーの種まく男の着ているような帽子をかぶった若者が、一匹の飴色あめいろの小牛を追うて出て来た。牛の毛色が燃えるように光って見えた。それはどうしてもこの世のものではなくてだれかの名画の中の世界が眼前に生きて動いているとしか思われなかった。
 ほとんど感傷的になって見とれている景色の中には、こんなに日が暮れかかってもまだ休まず働いている農夫の家族が幾組となくいた。赤子をおぶって、それをゆさぶるような足取りをして、麦の芽をふんでいる母親たちの姿が哀れに見えた。こうして日の暮れるまで働いておいて朝はもう二時ごろから起きて大根の車のあと押しをして市場へ出るのであろう。
 市に近づくに従って空気の濁って来るのが目にも鼻にも感じられた。風のない市の上空には鉛色の煙が物すごくたなびいていた。
 もしも事情が許すなら、私はこの広い平坦へいたんな高台の森影の一つに小さな小家を建てて、一週のうちのある一日をそこに過ごしたいと思ったりした。これまでいろいろのいわゆる勝地に建っている別荘などを見ても、自分の気持ちにしっくりはまるようなものはこれと言って頭にとどまっていない。海岸は心騒がしく、山の中は物恐ろしい。立派な大廈高楼たいかこうろうはどうも気楽そうに思われない。頼まれてもそういう所に住む気にはなれそうもない。しかしこの平板な野の森陰の小屋に日当たりのいい縁側なりヴェランダがあってそこに一年のうちの選ばれた数日を過ごすのはそんなに悪くはなさそうに思われた。
 ついそんな田園詩の幻影に襲われたほどにきょうの夕日は美しいものであった。

 長い間うちにばかりくすぶっていて、たまたまこのよい時節に外の風に吹かれると気持ちはいいようなものの、あまりに美しい自然とそこにも付きまとう世の中の刺激が病余の神経には少しききすぎるようでもある。もうそろそろ寒くはなるし、写生行もしばらく中止していよいよ静物でもやり始めなければなるまいと思っている。

(大正十一年一月、中央公論)





底本:「寺田寅彦随筆集 第一巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1947(昭和22)年2月5日第1刷発行
   1963(昭和38)年10月16日第28刷改版発行
   1997(平成9)年12月15日第81刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年6月25日作成
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