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銀座アルプス(ぎんざアルプス)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-2 10:05:27  点击:  切换到繁體中文


 アルプスと言えば銀座ぎんざにもアルプスができた。デパートの階段を頂上まで登るのはなかなかの労働である。そうして夏の暑い日にその屋上へあがれば地上百尺、温度の一度や二度ぐらいは低い。上には青空か白雲、時には飛行機が通る。駿河するがの富士や房総ぼうそうの山も見える日があろう。ついでに屋上さらに三四百尺の鉄塔を建てて頂上に展望台を作るといいと思う。その側面を広告塔にすれば気球広告よりも有効で、その料金で建設費はまもなく消却されるであろう。高い所に上がりたがるのは人間というものに本能的な欲望である。この欲望は赤ん坊の時からすでに現われる。自分が四歳の時に名古屋なごやにいたころのかすかな思い出の中には、どこか勝手口のような所にあった高い板縁へよじ上ろうよじ上ろうとしてあせったことが一つの重大な事項になっているのである。これに似た記憶は多くの人に共通なものであろう。この本能を守り立てればアルピニストになれる。エヴェレストの頂上をきわめようとして、それがために貴重な生命をおとしても悔やまないようになる。それで、事によるとデパートのはやる理由のことごとくが必ずしも便利重宝一点張りのものでもないかもしれない。そうでないとすると小売り商の作戦計画にはこの点を考慮に入れなければなるまい。
 デパートアルプスには、階段を登るごとに美しい物と人との「お花畑」がある。勝手に取って持って来ることは許されないが、見るだけでも目の保養にはなる。千円の晴れ着を横目ににらんで二十銭のくけひもを買えば、それでその高価な帯を買ったような不思議な幻覚を生ずる事も可能である。陳列されてある商品全部が自分のもので、うちへ置ききれないからここへ倉敷料なしのただで預けてあると思えば、金持ち気分になりすますことも容易である。入用なときはいつでも「預かり証」と引き換えに持って帰ることができるのである。ただ問題は、肝心の時にその「預かり証」がなくなっていることである。
 アルプスにも山火事があるように、デパートにも火事がある。山火事は谷から峰へと燃え上がるが、また上から下へも燃えて行く。しかし、デパートの火事は下へは燃えないで、上へばかり燃え抜けるから、逃げ道さえあいていれば下へ逃げればよい。下へ逃げそこなったら頂上の岩山の燃え草のない所へ行けば安全である。白木屋しろきやの火事の時に、屋上が焼け落ちるかもしれないと言っておどかす途方もない与太郎があったそうであるが、鉄筋コンクリートの岩山は火には決して焼けくずれない。しかも熱伝導がきわめて悪いから下で半日焼けても屋上でははき物をはいた足の裏を焼けどする心配もない。窓からのぼる煙が渦巻いて来たら床の面へ顔をつければよいかと思われる。しかし、それも何千人と折り重なっては困るであろうし、また満員のデパートに急な火が起これば階段が人間ですし詰めになって閉塞へいそくしてしまう恐れがある。映画館の火事でそういう実例がたびたびあった。そういう時にいちばんだいじなのは遭難者の訓練であるが、いちばんむつかしいのもまたその訓練である。
 火事は物質の燃焼する現象であるからやはり一種の物理化学的現象である。この現象は日本には特別多い。それだのに日本の科学者で火事の研究をする人の少ないのは不思議である。西洋の大学のどこにもまだ火災学という名前の講義をしている所がないからであるかもしれない。それはとにかく、よほど用心しないと、デパートというものは世にも巧妙な大量殺人機械になる恐れが充分にある。燃料を満載してある上に、しかも発火すると同時に出口が人間で閉塞へいそくし、その生きたせんが焼かれる仕掛けになっているからである。山火事の場合は居合わす人数の少ないだけに、損害は大概莫大ばくだいではあるが、金だけですむ。
 デパートアルプスの頂上から見おろした銀座ぎんざ界隅かいわい[#「界隅」はママ]の光景は、飛行機から見たニューヨーク、マンハッタンへんのようにはなはだしい凹凸おうとつがある。ただ違うのはこっちのいちばん高い家の高さがかの地のいちばん低い家の高さに相当する点であろう。このちぐはぐな凹凸は「近代的感覚」があってパリの大通りのような単調な眠さがない。うっかりすると目を突きそうである。また雑草の林立した廃園を思わせる。ありのような人間、昆虫こんちゅうのような自動車が生命の営みにせわしそうである。
 高い建物ビルディングの出現するのははなはだ突然である。打ち出の小槌こづちかアラディンのランプの魔法の力で思いもよらぬ所にひょいひょいと大きなビルディングが突然現われる。建物は実は長い間にきわめて緩徐に造り上げらるるのであるが、その薄ぎたない見すぼらしい目隠しがある日に突然取り去られるからである。長い間人目につかない所でこつこつ勉強して力を養っていた人間がある日の運命のあけぼのに突然世間に顔を出すようなものである。
 ネオンサインもあっちこっちとむやみにふえるが、このほうは建築とちがって一夜にでもわずかな費用で取り付けられる。そのかわりにまたわずかに数分間でもはげしい降雹こうひょうがあれば半分通りはみごとにたたきこわされるであろう。考えてみるとネオン燈がはやり始めて以来、まだ一度も著しい降雹がなかったようであるが、今に四五月ごろの雷雨性の不連続線に伴のうて鳩卵きゅうらんだいの降雹がほんのひとしきり襲って来れば、銀座付近が一時はだいぶ暗くなる事であろう。その時が今から的確に予報できればどこかでネオンガスの買い占めが起こるかもしれない。しかし、降雹がなくとも、狂風にあおられた街頭の雑品が飛んで来てぶつかれば結果は同様である。その時のために今から用心したいと思う人は、簡単に金網で囲んでおけばいいと思うが、なんでもあすの用心をするということはおよそ近代的でないらしい。
 暴風の跡の銀座ぎんざもきたないが、正月元旦がんたんの銀座もまた実に驚くべききたない見物みものである。昭和六年の元旦のちょうど昼ごろに、麻布あざぶの親類から浅草あさくさの親類へ回る道順で銀座を通って見たときの事である。荒涼、陰惨、ディスマル、トロストロース、あらゆる有り合わせの形容詞の総ざらえをしても間に合わない光景である。いつもは美しく飾り立てた小売り店の表には、実に見すぼらしい明治時代の雨戸がしめてある。大商店のショウウィンドウにははげさびた鎧戸よろいどか、よごれた日除幕ブラインドがおりている。死に物狂いの大晦日おおみそかの露店の引き上げた跡の街路には、紙くずやらわらくずやら、あらゆるくずという限りのくず物がやけくそに一面に散らばって、それがおりからのからび切った木枯らしにほこり臭いうずを巻いては、ところどころの風陰に寄りかたまって、ふるえおののきあえいでいるのである。言わば白粉おしろいははげ付けまげはとれた世にもあさましい老女の化粧を白昼烈日のもとにさらしたようなものであったのである。
 これに反してまた、世にも美しいながめは雪の降るよいの銀座のの町である。あらゆる種類の電気照明は積雪飛雪の街頭にその最大能率を発揮する。ネオンサインの最も美しく見えるのもまた雪の夜である。雪の夜の銀座はいつもの人間臭いほこりっぽい現実性を失って、なんとなくおとぎ話を思わせるような幻想的な雰囲気ふんいきに包まれる。町の雑音までが常とは全くちがった音色を帯びて来る。ショウウィンドウの中の品々が信じ難いような色彩に輝いて見えるのである。そういうときに、清らかに明るい喫茶店きっさてんにはいって、暖かいストーブのそばのマーブルのテーブルを前に腰かけてすする熱いコーヒーは、そういう夢幻的の空想を発酵させるに適したものである。
 中学校で教わったナショナルリーダーの「マッチ売りの娘」の幻覚のように、大きなクリスマストリーが、神秘的に光り輝く霧の中に高く浮かみ上がる。あらゆる過去へのあこがれと、未来への希望とがそのもみの小枝の節々につるされた色さまざまの飾り物の中からのぞいているのである。寺々の鐘が鳴り渡ると爆竹がとどろいてプロージット、プロージットノイヤールという声々が空からも地からも沸き上がる。シャン/\/\と雪ぞりの鈴が聞こえ、村の楽隊のセレネードに二階の窓からグレーチヘンが顔を出す。たわいもない幻影を追う目がガラスだなのチョコレートに移ると、そこに昔の夢のビスケット箱の中のメールコーチが出現し、五十年前の父母の面影がちらつき、左団次の知盛とももりが髪を乱して舞台に踊るのである。コーヒーの味のいちばんうまいのもまたそういうときである。
 雪や寒い雨の日にコーヒーのうまいのはどういうわけであるか気象学者にも生理学者にもこれはわからない。空気が湿っていて純粋な「かわき」を感じないために、余裕のできた舌の感覚が特別繊細になっているためかもしれないと思われる。
 銀座ぎんざでコーヒーを飲ませる家は数え切れないほどたくさんあるが、家ごとにみんなコーヒーの味がちがう。そうして自分でほんとうにうまいと思うコーヒーを飲ましてくれる家がきわめて少ない。日本の東京の銀座も案外不便なところだと思うことがある。日本でのんだいちばんうまいコーヒーはずっと以前にF画伯がそのきたない画室のすみの流しで、みずから湯を沸かしてこしらえてくれた一杯のそれであった。
 コーヒーに限らず、デパートの商品でも、あのようにたくさんにあるものの中で自分の趣好に適合するものの少ないのに困ることがしばしばある。コーヒー茶わんとか灰皿はいざらとかのこわれた代わりを買いに行っても、近ごろのものには、大概たまらなくいやだと思うような全く無益な装飾がしてあってどうにも買う気になれないのである。ネクタイがあまり古ぼけたので一つ奮発しようと思って物色しても、あのたくさんな商品の中にこれをと思って手の出るのはまれである。これは自分の趣味嗜好しこうが時代に遅れたという事実を証明する以外になんらの意味もない些事さじではあろうが、この一些事はやはりちょっと自分にものを考えさせる。こういう時にわれわれがもしも、自分のいちばんいやなようないちばん新しい傾向の品を買って来て我慢して使ってみていると、おしまいには案外それが好きになるかもしれない。殺風景だと思っていたコンクリートの倉庫も見慣れるとしず伏屋ふせやとはまたちがった詩趣や俳味も見いだされる。昭和模様のコーヒー茶わんでも慣れればおもしろくなるかもしれない。それがおもしろくなるまでの我慢がしきれないで、近ごろの若い者はを口癖にいうのは、畢竟ひっきょうもう先が短くなった証拠かもしれない。もしも、これで百歳まで生きる覚悟があったら、自分はやっぱり奮発していやな品に慣れる努力をするであろう。時代のアルプスを登るにはやはり骨が折れる。自分もせいぜい長生きする覚悟で若い者に負けないように銀座ぎんざアルプスの渓谷けいこくをよじ上ることにしたほうがよいかもしれない。そうして七十歳にでもなったらアルプスの奥の武陵ぶりょうの山奥に何々会館、サロン何とかいったような陽気な仙境せんきょう桃源とうげんの春を探って不老の霊泉をくむことにしよう。
 八歳の時に始まった自分の「銀座の幻影」のフィルムははたしていつまで続くかこればかりはだれにもわからない。人は老ゆるが自然はよみがえる。一度影を隠した銀座の柳は、去年の夏ごろからまた街頭にたおやかな緑の糸をたれたが、昔の夢の鉄道馬車の代わりにことしは地下鉄道が開通して、銀座はますます立体的に生長することであろう。百歳まで生きなくとも銀座アルプスの頂上に飛行機の着発所のできるのは、そう遠いことでもないかもしれない。しかしもし自然の歴史が繰り返すとすれば二十世紀の終わりか二十一世紀の初めごろまでにはもう一度関東大地震が襲来するはずである。その時に銀座ぎんざの運命はどうなるか。その時の用心は今から心がけなければ間に合わない。困った事にはそのころの東京市民はもう大地震の事などはきれいに忘れてしまっていて、大地震が来た時の災害を助長するようなあらゆる危険な施設を累積していることであろう。それを監督して非常に備えるのが地震国日本の為政者の重大な義務の一つでなければならない。それにもかかわらず今日の政治をあずかっている人たちで地震の事などを国の安危と結びつけて問題にする人はないようである。それで市民自身で今から充分の覚悟をきめなければせっかく築き上げた銀座アルプスもいつかは再び焦土と鉄筋の骸骨がいこつ砂漠さばくになるかもしれない。それを予防する人柱の代わりに、今のうちに京橋と新橋との橋のたもとに一つずつ碑石を建てて、その表面に掘り埋めた銅版に「ちょっと待て、大地震の用意はいいか」という意味のエピグラムを刻しておくといいかと思うが、その前を通る人が皆円タクに乗っているのではこれもやはりなんの役にも立ちそうもない。むしろ銀座アルプス連峰の頂上ごとにそういう碑銘を最も目につきやすいような形で備えたほうが有効であるかもしれない。人間と動物とのちがいはあすの事を考えるか考えないかというだけである。こういう世話をやくのもやはり大正十二年の震火災を体験して来た現在の市民の義務ではないかと思うのである。

(昭和八年二月、中央公論)





底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年4月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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