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紅海の或る日。
蒸し殺されるように暑い。これでも今日は幾分涼しいほうである。
速力。十三哩半。
南三八度E。
北風。軽風2。
温度。大気八四度。
海水度。八一度。
晴。
この「軽風2」というのは、1が light air, 2が light breeze の2である。
馬耳塞とナポリから大分の日本人が乗り込んで来て、船はいよいよ日本村の観を呈する。
独逸から帰国の途にある作曲家のH・R氏――日本風に姓が上である――の一家や、K大学精神病学教室のK博士、A大学法医学部のK教授。それに、倫敦から一しょに来たT博士と、だいぶお医者が多い。そのほか鉄工所のK工学博士、建築家のY博士、倫敦正金支店のK氏一家、N氏夫妻、砲兵大尉だの学生だの、外務書記生だの在外商店の人々だの、なかなかの賑やかさだ。
甲板ゴルフ、麻雀、ブリッジ、碁、輪投げ、散歩、デッキに設えたプウルの水泳。夜は映画、音楽会。舞踏。
がたん・がたん、と細かく機関が唸る。
ぺいんとの香。海の色。甲板椅子。雲の峰。
私は毎日、私達の食卓のテエブル・マスタア副船長Ⅰ氏の部屋へ出掛けて、モウルス信号の残らかを覚えようと努力した。
船から船へ、発火、無線、旗などによって意思を通ずる浪漫的な海上国際語である。
U――君は危険に遭遇している。
V――助力を求む。近くにいてくれ。
R――貴船の位置は本船の航路外にあり。静かに通り過ぎよ。
L――停船! 重要あり。通信したし。
F――自航力なし。通信を求む。
DS――危険! 注意せよ。
BFY――不可能。
HOK――しかし。
MRZ――いつ君はのし上げたのか。
MST――遠方。
AG――船を捨てるほか途なし。
AN――前進し得る状態にありや。
BJ――機関不能。
BK――何事が起ったのか。
DF――幾らかの応援あらば復旧することを得べし。
ETC・ETC・ETC。
諳記しては、片っぱしから綺麗に忘れる。
ある日の船内無線新聞。
伯林。昨月曜日夜、ポッツァレル・プラッツに三百人を一団とせる共産党員の暴動起り、警察を襲う。大部隊警官の出動を見て、間もなく平穏に帰す。
フリイドリヒスハアフェン。天候可良ならば、ツェッペリン伯号は五月二日に維納を訪問すべし。
テュニス。伊太利新聞組合の戸外にて機関銃爆発。原因損害等一切不明。
スエズから古倫母に至る十日十六時四十分の紅海横断。この間、三三九六浬。
甲板洋灯の無礼な光線が、私を熟睡から引き
った。水夫たちが朝早くデッキを洗っている。で、また眠りかけようとしていると、ただならない跫音が廊下を走って階段に上下した。声がする。
『コロンボ!』
水をかぶったように、私は寝台を撥ね降りた。そして、パジャマに上履きを突っかけたまま、どうしてこう陸地の片影さえもが恋しいのだろうと自分で不思議に思いながら、船室を飛び出して上甲板に立った。
まだ、空気はひやりとして薄暗い。
近くの海面を緑と白の灯を長く引いて、大きな帆前船が滑って行く。海岸の突起物は灯台だ。セイロン島である。
とても、じっとしてはいられない奇妙な感激だ。やたらに甲板を歩き廻る。東の水平線は薔薇色に明けかかって、猛烈な速力で陽が昇るものだから、うしろに、まだ闇黒の固形が山のように聳えているうちに、全海面が火山口のように燃えて、雲は紫に色どられ、椰子に囲まれたコロンボの町が私の眼前に伸び上って来た。
水先案内の小艇を抱くようにして、船は徐々に湾内へ進む。停泊中の軍艦、貨物船などの舷側に宝石のように灯がきらめいている。朝の微風こそは、この港で一ばん享楽すべきものだ。水蜘蛛のように大帆を張った漁船の群が、お互いに影を重ねて揺れて過ぎる。そのあいだを、竹や丸太を船べりから水面へ組み出して、顛覆を防いでいるセイロン島の土人舟が、何か大声に叫びかわしながら漕ぎ廻っているのだ。よく身体が据らないほど狭い独木舟なので、土人はみな片膝ついただけで水掻きのような櫓をあやつっている。遠くから見ると、まるで曲馬団の綱上踊子だ。
朝の闇黒から滲み出て来る港の活気は、魔術的である。ちょうどバレイの幕あきのような照明効果をもって、コロンボはいま私達のまえに出現しようとしている。
市街は、人家と高層建築物の点綴。そして、島は起伏する山頂の連結。
甲板には人が増してくる。あらゆるバス・ロウブとガウンの陳列会だ。すると、丸窓は一つ一つ眠い顔をはめて、肖像の額縁になる。
もう陽は高い。霧は海に落ちた。椰子の木の町は、そのホテルの高楼と、印度塔の急傾斜屋根と、未完成のような前庇をもって、くっきりと天空を限り出す。
港は、H丸の欄干の下に、一日の生活を開始した。検疫を迎える小梯子の周囲は、黄色い旗をかざした水上警察艇と、一刻も早く上船しようとする土人の両替舟とで、水の見えないほど詰っている。白い袴をはいて頭髪を髱に結んだ長身の男たち。青い海を背に、眼の大きな鳶いろの彼らの顔と、その独木舟と、微かに漂う香料と、原色縞の首巾と、隠見する黄金の腕輪と――私は、印度のすべてを、この一望のうちに看取した気がした。
ポケットに印度貨を鳴らす両替人。ロリアンテルやル・ギャレ・ファスなどのホテルの客引き。みんな真率で、気高い美男の印度の人たちで船は急に重くなり出した。
男の結髪に挿した貝の櫛、サアロンと呼ぶその腰布、ヴェテという着物、なかにはベルトつきの悪くモダンな洋式上衣や、理髪師の仕事服を一着に及んでいるはいからなのもある。
小蒸汽で上陸する。
桟橋を出ると直ぐハイシムの宝石店だ。微笑しているシンガリイス人の一団と、眼を射るような彼らの陣羽織だ。特産と好奇の店頭と、ライス・カレイの料理店だ。そして、カルジルの洋物百貨店と、マカン・マアカアの装身具屋だ。白孔雀は路傍の大籠に飼われ、手長猿は人の肩に止まり、蛇使いの女は鼻孔から蛇の頭を覗かせて、喇叭と腕輪のじゃらじゃらで人をあつめる。
見るべきものがあまりに多く、それが一時に四囲に殺到してくる。船中の倦怠に慣れた耳と眼の感覚には、これはどうかすると強すぎる色彩であり、刺激である。何にしても、この太陽美の甘酔! 直視すべく眼が痛い。
近くはこの欧羅巴区域。
広い散歩街の両側に、屋内通路と、赤、緑、白に塗り立てたおもて口、漆喰細工の稚い装飾、不可解に垂れ下った屋根、多角形に張り出ている軒、宝石・象牙・骨董を商う店、絹地屋――など、これらの商店はどこも象の模様で食傷している。象の刺繍、象の置物、色琺瑯製の象の吊垂灯――そして、ちょん髷の人力車夫と、ヘルメット帽の赭顔いぎりす紳士と。
靴をはいてるのが欧羅巴人で、跣足で歩いてるのが印度人。天鷲絨の骸骨頭巾は馬来人だ。
が、ほんとのコロンボは土人街にある。
まず市場。
果物市場。
パイナップルと青香樒の雄大な山脈。檸檬・檳榔樹の実・汁を含んだ蕃爪樹・膚の白い巨大なココナッツ・椰子玉菜・多液性のマンゴステン・土人はこれで身代を潰すと言われてる麝香猫の実・田舎の少女のようなパパヤ・竜眼・茘枝・麺麭の実・らんぶたん――。
住民は、男か女かちょっと判断のつかない服装をしている。鬚のない顔に長い睫毛、頭髪をうしろに垂らすか、結い上げるかしているから、なるほど紛らわしいわけだ。そして、その家である。セイロン島の住宅は、すべて往来へ向って開けっ放しになっていて、形ばかりの椰子の葉の衝立なんかを仕切りに立ててあるに過ぎないので、店でも居間でも、おもてからすっかり見える。床屋がある。易者の店がある。高利貸、質屋、陶器師の土間、RAJAHのような魚屋の主人、糊つきの網絹で面覆をした婦人たち、彼女らの不可解な胴緊衣、ずぼんの上から欧風襯衣の裾を垂らして、ゆらりゆらりと荘重に歩く金融業者、眉間に白く階級模様と家紋を画いている老貴族、額部に宝石を飾った若い女の一行、そのあいだに砂塵を上げて、満員の電車と、レヴィニア丘行きの乗合自動車が驀進してくる。
私達も、自動車を駆って郊外へ出た。
市街をあとにするが早いか、場末に当る区域はなくて、すぐに田舎である。砂ほこりが私たちを追っかけて来る。緑樹に挟まれた赭土の道が、長く一ぽん私達の前に伸びて、いたるところに新式の農園が拓かれつつあるのを見る。古い土に若い力が感じられる。ココナッツの森を越すと、陽にたぎっている水田の展望だ。玉突台のような緑野の緩斜面だ。そこここに藁葺きの小屋がある。花壇のなかに微笑して建っている。マグノリアのにおいがする。村の入口では子供が出迎える。車が通る。馬のかわりに水牛が牽いている。瘤牛が畑を耕している。その角はすべて美々しく彩色され、頸には貝殻の襟飾りだ。田園のあちこちに働く赤銅色の男たち、その腰に巻いた白布のそよぎ、肩や背に重い竹籠を載せて市場へ通う人々――女が道ばたで石を割っている。道路工事だ。
セイロンはまだ巨大な処女地の感がある。
私の足もとの池にはこうして水蓮の花が浮かんで、野には、雲の影が落ちている。
子供を背負った母親が水瓶を提げて黄色い道を行く。
何てくらくらする日光だろう!
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