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窒息しそうな濃いけむりのなかに、海の陽やけで茶褐に着色された無数の顔が、呶鳴って笑って呪語していた。鋼鉄の指金具とあき壜は星形の傷痕をのこす。頬へ受けた刃は、古くなると苦笑に見えるものだ。マラガ生れの水夫長、パナマ運河コロン市から来た半黒の三等火夫、濠州ワラルウの石炭夫、ジブロウタの倉番、聖ジャゴの料理人、ロッテルダムの給仕、各国人種から成る海の無産者と、大きな喧嘩師と敏捷なちびと、留索栓の打撲傷と舵手甲板の長年月と、そしてそれに、荒天の名残の遠い港のにおい、強い顎と蕈のような耳、桐油外套に赤縞のはんけち――海岸通りサン・ジュアン街の酒場は、深夜の上陸船員で一ぱいだった。
そこへ、リンピイと僕が半扉を押したのだ。
すると一度にこの異国語の tenor crescendo だ。どこの貨物船の乗組員にも特有な、ストックホルム産炭油の香だ。それが S57 の感情的な水平線と、snappy な岬ホウンの雲行きを思わせて、この狭い酒場内部の色のついた空気を滅茶苦茶に掻き乱していた。
呵々大笑するふとった酒神、習慣的に一刻も早く給料袋をからにしなければ安心出来ない船員たちのむれ!
正面にずらりと瓦斯タンクのような大樽が並んでる。その金具の輪が暗い電灯に光って、工場地帯行きの朝電車みたいな混み方だ。数人の酒場男と酒場女が、この、戦時そのままの騒ぎを引き受けて、酒をつぐ・グラスを抛る・金をひったくる・お釣りを投げる・冗談を言い返す・悪口もかえす・喧嘩の相手もする・自分も呑む。酒はきまってる。燃える水。言わば、ほるつがる焼酎。一ばい金2仙――どいす・とすとんえす――也。
壁は、十九世紀末葉の雑誌の口絵で張り詰めてある。何といううら悲しい明け方の夢の展覧会! 蜂のような腰の馬上貴婦人と頬ひげの馬上紳士。乳を出して笑ってるボンネット。大帆前船難航の図。花の代りに美人の顔が咲いてる絵――これは仏蘭西しゃぼんの広告――寝台の脚とそばに脱いである男女二足の靴だけを大きく出した写真――靴屋の広告――「OH!」と題したのは、女が向い風に裾を押さえて困却してるところ。豚とダンスしてる坊さん。錨をあしらった老船長の像。万国国旗一覧表。隣りはあめりか煙草 111 の広告画。
郵便棚も置いてある。この酒場へ頼んで、ここを郵便の宛所にしてる各国の船乗りが大分あるとみえる。寄港のたびに立ちよって受け取る仕組なんだろう。手紙や葉書がたくさん挟んである。混雑に紛れて、僕は郵便棚へ近づいて二、三枚手に取ってみた。古いのばかりだ。手垢とごみで薄黒くよごれてる。が、これは一たいどうしたというのだ?――酒場の常連はきまってるはずだ。酒番の主人に顔の知れた船員ばかりで、あす出港という晩なんか、「おい、これからちょっと地中海まわりだ。今度はひと月ぐらいだろう。手紙が来たら頼むぜ。」「承知しました。気をつけて行って来なさい。よそであんまり変な酒を呑らねえようにね。」なんかと別れて、そして帰港するや否や、不恰好な既制服に、新しい安靴で久しぶりの固い土に足を痛めた彼らが、若いのも年寄りも、みんなどんなに期待に燃えてこの酒場の郵便棚のまえに犇くことであろう! すると、来てる来てる! 恋人から妻から娘から老母から! 眼白押しに立って、一枚々々熱心に自分への宛名を探す海獣たち――僕もこうしていまその一人を装ってるんだが――この時は、彼らも完全に良人であり、父であり、息子であるだろう! それだのに、みんなに捜し残されて、ここにこれだけ溜ってるのはどういうわけだ? これらの宛名の主は、船出したきり帰って来ないのか? 何と、船乗りへ届かない手紙の不気味さ! 暗い海底へは転送のしようもあるまい。
が、港の酒場はすべての不可能を信じてる。じっさい、七年前に笑って地中海へ出て行ったきりのあの男、一八九三年のXマスの晩に最後に見た彼――それらがひょっこりいつあらわれないとは who could tell? だからこうして、そっくり保管して待ってるんだろうが、封筒も葉書も、それから毎日、一応出入りの客の調べを受けて真っくろだ。
何といろいろな人生を黙示する、この、受取人のない酒場の郵便! 陸の声が、ここ「大地の果て」でぷっつり切れてるのだ。素早く僕は宛名に眼を通し出したが、急いでるのと、何しろどれもこれも非道い悪筆のうえに、おまけに得態の知れない外国語がおもなので、名前だけでも容易に読めない。ジョセフ何とかいう男へ、白耳義アントワアプのKCN――これだけでは差出人の性別はわからないが、「御存じより」と言ったところだからまず女とみてよかろう――から三通来ている。三つとも1926年で、これはわりに新しい。ほかに「サルデニア島トルトリ」と投函地名だけ判読出来たのが一本、他は書体がくしゃくしゃしててどうにも手に負えない。そのうちに、英吉利 Hull 港の絵葉書がひとつ出て来た。Mr.Arthur W.Cole へ宛てたもので、差出人の名は書いてないが、なくても解る間柄なんだろう。文言も、男の字で大きく Souvenir と走り書きしてあるだけだった。
入口の横に、黒板が一枚立てかけてある。下級船員専門の桂庵の募集広告だ。が、ちっとも希望者がないとみえて、貼り出してあるのは、求人の部ばかりである。水夫・水夫・石炭夫。なになに号・なになに号・なになに号・高給・高給・高給・別待・特遇・履歴不要。なかに一つ「大工をもとむ」と特別大書してある。この黒板面はいつも変らないとみえる。何年にもこのとおりで、消すこともないらしい。あきを埋めて、一めんに船乗りの楽書きだ――。
リンピイの声が、僕を酒台へ呼び戻す。
けれ・うま・ぴんぎにあ!
「
一ぱい飲まねえか」――一杯てのは「ぴんが」なんだが、そのピンガに愛称をあたえて
ぴんぎにあ――みんな仲よくこの
燃える水のピンギニアをあおりつけてる。
お! いっぺえやりねえな。
けれ・うま・ぴんぎにあ!
けれ・うま・ぴんぎにあ!
ありがてえ!
おぶりがど!
おぶりがど!
おぶりがど!
節くれ立った指に、幾つも並べて
嵌めた十八金の大指輪――これは
伊達ばかりじゃない。
めり拳を
喰わす時の実用のため――が、あちこちに毒々しく
ちらついて、
ぺっと唾をして靴でこすりながら――。
えっ! 腹の虫を殺してやれ!
誰もかれも、この呪文を合図に、威勢よく「燃える水」を流しこむのだ。そうだ! この強いやつで腹の虫を殺せ!
えっ! ぱら・またある・う・びっしょ!
えっ! ぱら・またある・う・びっしょ!
とん、とんと酒台に鳴る
からこっぷの音。
――こう明るいところへ出てみると、リンピイ・リンプは若いくせに
老人だった。全く、ちょっと年齢のはっきりしないリンピイだった。ひどく
老けても見えたし、そうかと思うとかなり若いようでもあったが、たぶん四十五、六らしかった。
よれよれの茶の背広を着て、
洋襟のかわりに首のまわりに青い絹を結んで端を
だらりと垂らしてるのが、恐らく前世紀的でもあったし、また観察によっては、領地巡視中の
英吉利貴族といった場外れの効果がないでもなかった。じっさい、いささか「ゴルフ・乗馬・午後の茶」の
筆触をつけて古風に気取ってみたいのが、この潮臭い無頼漢
びっこ・リンプの趣味らしかった。しかし、その不幸な歩行機関の支障と、あまぞん特産のポケット猿みたいな小さな顔と、鼻からロへかけて間歇的に
ひくひくする筋肉
痙攣と、悪疾のため舌の絡む語調とが、可哀そうな彼の努力のすべてを裏切って、親愛なリンピイ・リンプを、やっぱりただの「りすぼん埠頭の幽霊」
びっこ・リンプ以上の何ものにも買わせていなかった。つまり事実は、彼リンピイは「港の Old Man」に過ぎなかったのだ。
船で
おやじと言うと船長のことだ。そして、船から上って
陸で
おやじさんといえば、それは直ちにわがリンピイのような港の売春宿の
御亭主を意味する。だから、リンピイは若いくせに
老人だった。
PIMPという一つの職業がある。
リンピイはそれに従事していた。
何かと言うと、これは、不思議に女性の肉だけを食べる人喰い人種のことで、妻だの娘だの情婦だのの肉を切売りして衣食している。もっとも、こんな身辺の女肉だけじゃあ需要に応じ切れないから、そこで、あらゆる方法で女を駆りあつめるんだが、この、専門の売春婦を養成して一定の契約のもとに各地へ配給する問屋制度に、昔から有名ないわゆる
白奴交易路なる秘密工業がある。と言うと、
莫迦に十九世紀的にひびくが、この事実は、いまも国際的「
底の社会」の暗黒を貰いて立派に存在している。現に、国際聯盟の「世界悪」退治運動の重要項目の一つに上げられてるくらいで、パンフレットを発行したりして妨止に努めてるけれど、いくら国際聯盟あたりが躍起になって騒いだって、それは単にその暗流の実在を公表するにとどまり、何ら直接
刷掃の資にはなるまい。と思われるほど、
欧羅巴中の都会、ことに港町における売春婦の
跳梁はおびただしいものだ。が、これも古今東西を通じて、人間の集まってるところには厳然たる一つの必要らしいからまず仕方があるまいとして、個人的動機から落ちるところへ落ちてく女はそれでいいだろうが、そもそも白奴交易なるものは、PIMPの
元締が映画的に活躍して、夜のピキャデリなんかを
迂路ついてる
ぽっと出の女や、ボア・ドュ・ブウロウニュを散策中の若奥さまや、学校帰りにそこらを歩いてる女学生などを甘言をもって誘拐し、気のついた頃は、すでに輸出向き商品として南あめりかあたりへ運送の途にあったりするんだから、これはどうも社会的におだやかでない。だいぶ赤本めいた話だけれど、知ってる人は知ってる事実である。だからこの白奴交易網に引っかかった女の多くは、新大陸の植民地でその売春婦としての教育を卒業する。それがまた
市場へ出て
欧羅巴へ逆輸入される頃には、いかに彼女らが海一〇〇〇山一〇〇〇の物凄い
莫連になってるかは想像に難くあるまい。僕はこの
間の大音潮に多少 look into する機会を捉えたことがあるから――リスボンでの
びっこリンプとの交渉もその一つだが――この歴史的潜在白奴交易路に関する多くの
えぴそうどを所有している、が、それらは本篇「しっぷ・あほうい!」とは些少の接続しかないから略すとして――日本でだって君、不良の相場といえば「飲む・打つ・買う」の三拍子とちゃんと
ちょん髷時代から決定してる。この酒・ばくち・女は、欧羅巴でも同じく社会悪の三頭目だが、この頃ではもう一つDOPEというのが
殖えて来て、四つの脅威をなして文明と道徳を襲撃している。そこで坊さん・社会教育家・職業的慨世家――これはどこにでもある――がしじゅう何だかんだと
喧しく言うんだけれど、これらの
邪悪のかげには「史的に約束された一つの大きな手」が動いてるので、目下急にはどうすることも出来ない形だ。事実、すべての社会的破壊作業は国際的に共同戦線を張ってる。近くはこの
白奴交易路にしても、これは世界的に組織された well known 売春団で、リンピイ・リンプのごとき、彼じしんの自覚と無意識を問わず、その有機網の末梢神経を構成する
ほんの一細胞に過ぎなかった。
それにしても、女肉を常食とする点で、リンピイもPIMPは
ぴんぷだった。
で、彼がどんな猛悪な――あるいは罪のない――「ピンプ」だったかは、その女のしっぷ・ちゃんの手腕を見ただけでもおよそ判断のつくことだが、そのうえ彼は、妻のマルガリイダ婆さんから振り当てられてる手引人としての仕事も、決して忘れてるわけではなかった。
が、どうしてリンピイが「客を引」いたのか、僕は知らない。とにかく、僕と彼のあいだに
支那公ロン・ウウの
しっぷ・
ちゃん契約が
目出度く成立して、二人が
酒場を出たとき、おどろいたのは、六、七人の船員たちが自進的に
燃焼水に別れを告げて僕らといっしょに歩き出したことだ。
だから、リンピイを先に妙に黙りこくった一行が
どんどん山の手――高い区域――の坂を登って行った。マルガリイダの家へ。
あとが大変なんだ。Eh,What?
6
「マルガリイダ」の家の red hot stuff がテレサという
仏蘭西女であることは前にも言った。テレサは、北極熊みたいな白い大きな
身体と、いつもいま水から上ったばかりのような、濡れた感じの顔とをもっていた。その、安ホテルの
二人用寝台のように大々的に広漠としたところが荒っぽい船員達の好みに投じたとみえて、ばいろ・あるとのマルガリイダの家は、いつ行っても、まるであの
聖ジュアン街の酒場のように、そこには、7seas からの男たちと、その
留索栓の打撲傷と、舵手甲板の長年月と、難航の名残りと遠い国々のにおいと、怒声と罵声と笑声とがたのしく満潮していた。バイロ・アルトは、りすぼんの街が
羅馬の真似をして七つの丘――いまは八つにふえてるが――の上に建ってるその一つで、ちょうどテイジョ河口の三角浪が大西洋の水と争う港のうずまきを眼下に見下ろしていた。夜など、しつぷ・ちゃんの僕がすこし沖へ漕ぎ出ると、この
山の手――「山の手」と当て字してみたところで、いわゆる山の手のもつ閑寂な住宅地気分とは極端に縁が遠いが――に
ちかちかする devil-may-care の紅灯と、河港をへだてて、むこう側の山腹、
慈悲の村に明滅する静かな、家庭的な漁村の灯とが、高台同士で中空に一直線にむすびついて、へんに
泪ぐましい人生的対照をつくり出していた。こんなふうに、桟橋広場の一ぽうが胸を突く急坂になって、そこを昇り詰めた一帯がバイロ・アルトの私娼区域――と言っても、定期的に非公式の健康診断があるんだから、政府の黙許を得てる半公娼と称すべきかも知れないけれど、それがひどく不徹底なものだったし、その半公娼に伍して倍数以上の私娼が混入して
ごっちゃになっていたので、やはり大きな意味では、そこら全体を私娼窟と呼んでよかった。じっさい一くちに
ばいろあるとといえば、それは直ちに「坂の上の娼家横町」を語意していた――そして、そこの白っ茶けた建物の窓から、朝夕の出船入船の景色が、まるで大型活字の書物の一頁を読むように詳細に一眼だった。つまり、リスボンの出入港は、海事局・水上警察・税関よりも先に、逐一この
女魔が丘の窓に知れてしまった。
地獄の釜に火がはいると煙突のけむりが太くなって、出帆旗は女たちも心得てる。すると、あのNAJIMIの男がまた
闇黒の海へ出てくるところだというんで、ばいろ・あるとの一つの窓で、ひとりの
女が、
ひょっと浮んだ彼の体臭の追憶のなかで思い出し笑いにふけっていようというものだ。船乗りはみんな恋巧者である。一度会った女に決して忘れさせはしない。だから、黒地に白の出港旗を見つめる女たちの眼には、めいめいの恋人を送るこころもちがあった。が、出帆の時は、これでまだいい。新入港の船がテイジョ河口の三角浪を
蹴立てて滑りこんで、
山の手の家々の窓掛けを爽やかな異国の風がなぶると、週期的活気・海と陸との呼応・みなとの
ざわめきが坂の上の町一帯に充満して、彼女らはゆうべの顔へまた紅をなすり、七面鳥マルガリイダ婆さんは一そう
がんがん喚いて家じゅうを駈けめぐり――さあ! お部屋の用意は出来てるかい? 何でもいいから花を取り変えてお置きって言うのに! お船の人は家庭らしい空気が好きなものだから。それから掃除! リンピイ! おや! リンプ! どうしたんだろうまああの人は――しかし、テレサにだけは急に眼立って御機嫌を取り出して――テレサや、今夜も強い好い人がわざわざ海を越えてお前んとこへ来るんだよ。テレサや、お前は一たい、
帆桁のような水夫さんか、手の白いボウイさんか、それとも黒輝石みたいな
印度の
釜たきさん? どんなのが一番好きでしたっけ? わたしの可愛いお猫さんのように、さ、お湯をつかって支度をしましょう――といった調子なので、テレサはテレサで
すっかりふくれ返って、その巨大な北極熊みたいな全身へ万遍なくおしろいを叩きはじめる。この裸体のお化粧は、何もテレサひとりの個人的趣味ばかりではなく、「マルガリイダの家の」一 attraction として大いに事務的必要があったのだ。
テレサは、僕の知る限りにおいてすこし「
二階がお留守」――頭が
からっぽ――だった。さもなくて、ああのべつ幕なしに甘いもの――名物こんぺいとう・乾し
無花果・
水瓜の皮の砂糖煮・等等等――を頬ばっていられるわけがなかったし、そのため、今にも
ぱちんと音がして破けそうに肥っていたが、そのうえ、恐ろしいまでにあらゆる無恥と醜行に慣れ切っていて、いかに同情をもって見ても、この女にはいささか病的に欠如しているものがあった。それでも、港々の
売春婦なみに彼ら社会の常識だけは心得ていて、自分では
ちゃあんと
仏蘭西生れと名乗っていた。そして、何と素晴しいふらんす語をこのふらんす女の白熊テレサが話したことよ! 「めあすい」とジョンティ・ミニョンと
こむさと「ねすぱ?」と! これでも判るとおり、彼女は生え抜きの――流行雑誌の
もでると、一九二七年度の
巴里の俗歌以外には仏蘭西なんかその smell も知らない――ほるつがる人で、現に、「
太陽の岸」サン・ペドロの村はずれで馬の爪へ鉄靴をはかせる稼業をいとなんでる父親が、二週間に一度のわりで小遣いをせびりに出市していた。が、なぜこう、売春婦という売春婦が、売春婦になると同時にふらんす女――ことに
巴里から流れてきた――をもって自任し出すんだろう? 眼の黒い女・
碧い女・茶いろの女・髪の毛の黒い女・それほど黒くない女・むしろ赤ちゃけた女――要するにすべての女が、すこしでも外国めいた
点地があると人工的にそこを強調し、どう探しても無い
やつは無理にも作って――自由な自国語を商売のときだけ御丁寧に不自由らしく片ことで話したりなど――どれもこれも、先天的器用さをもって
仏蘭西うまれに化けすましてしまう。だから、ふらんす以外の土地で、売春婦というと、片っぱしから自称ふらんす女・巴里おんなにきまってる。近いためしが、この
りすぼあのバイロ・アルトだけでも、テレサを筆頭に、何と多くの
葡萄牙の女が、チェッコ・スロヴァキアの女が、
波蘭土の女が、ぶるがりあの女が、揃いもそろって仏蘭西生れ、巴里うまれであったことよ! この売春婦の非公式ふらんす帰化の心理には、いくぶんそこに、じぶんの行為によって自国の名誉を傷つけたくないという少しの愛国的作用も働いてることだろうし、それに、外国の女となると、べつの
現象に対するように男の好奇心が沸き立つところをも、彼女らは経験によって捉えているのであろう。第一、遠い国から来てると言えば、自然そこに「告白物語・涙の半生」――これでもじぶんも元は「銀の
匙を口」に巴里の名家に長女と生れた身の上だったが、二十歳の春に、十も年上のゆだや人が黄金と将来と結婚指輪とをもってわたしの人生へ侵入して来た。そうしてあの退屈な「
炉ばたの生活」が何年かつづいたのち、ちょうど例の結婚倦怠期に当って the War broke out。毎日々々隣近処の若者が戦線へ消えて、重い靴の音が、長いながい列を作って窓の下につづいていた。戦争とそのあとの、あの誰でもが
嘗めた
恐怖。
良人の商業は犬へ行った。紙幣を焼いて暖をとった。その最中に夫アイザックの病気と死! 残されたわたしはどうして食べたらよかったろう? そのうえ、黒はいつもわたしによく似合う。洒落た喪服姿が完全にわたしをそのころ
巴里をうずめつくした「大戦未亡人」のひとりにして、戦後のゆるんだ気もちのなかで、男たちの同情と誘惑の手が一時にわたしに集まりはしなかったか? もちろん当時わたしは、この地球上にあなたのような親切な方が自分のために存在しようとはDREAMにも知らなかった。And the result ? Here I am. Just look at me now ! なんかと言ったような、大同小異千遍一律の身の上ばなしも出来るわけで、事実、毎夜々々の寝台で、そも何人の
ぷうたが、そも何人の異国の水夫に、めいめいこの「あわただしい戦時の巴里」を背景に最後は必ず「親切な
あなたにもっと早く会わなかった」ことを残念がる打明け話をうちあけたろう! この浪漫さ! ここは何とあっても
仏蘭西女でなければ出ない色あいだし、おまけに、ふらんすの女とさえ言えば、妙に扱いの上手な経験家のように一般に信じられているので、そこで、みんな争って勝手に仏蘭西の国籍を主張するんだけれど、おかげで、婦人用手袋と香水と葡萄酒と売春婦だけを一手専売に輸出してるように思われてる肝心のふらんすこそ、好い
面の皮だ。もっとも、ほんとに仏蘭西製のこの種の豪の
女が世界じゅうに散らばってることも
満更うそじゃあないんだが、その多くは、女中つきで
倶楽部なんかに出没するグラン・オペラ的な連中で、このぽるとがる国リスボン市ばいろ・あるとあたりで船乗りの相手をしてる「ふらんす女・
巴里っ
児」は、テレサをはじめ、このとおり十中の十までFAKEである。へんな話だが、こんなことで国際聯盟あたりが仏蘭西に嫌味を言ったりするんだから、ふらんすにとっては飛んだ迷惑だろう。だいたい仏蘭西の女、ことに
巴里女なんて、そんな原始的に荒っぽい冒険家じゃあないんで、たとえば巴里市内の娼婦だって、大部分はチェッコ・スロヴァキアの女・
波蘭土の女・ぶるがりあの女・
葡萄牙の女なんかなんだが、それらのすべてが、この「自称ふらんす女」と同一の心理と理由から、本場の巴里では、言い合わしたようにことごとく「
西班牙女」と自己広告することにきめてるから、面白い。つまり巴里の売春婦で眼の黒い女・碧い女・茶色の女・髪の毛の黒い女・それほど黒くもない女・むしろ赤ちゃけた女、要するにすべての女が、すこしでも外国めいた
点地があると人工的にそこを強調し、どう捜しても無い
やつは仕方がないから無理にも作って――自由な
仏蘭西語を商用としてだけ御丁寧に不自由らしく片ことで話したりなど――どれもこれも、先天的俳優能力をもって器用にすぺいん生れに化けすましてしまう。だから仏蘭西の名誉としちゃあ、ここでまあ幾らか帳消しになる勘定かも知れない。BAH!
ところで、問題は「ふらんす女」テレサだが――。
そのテレサが、
身体ぜんたいに
白粉を塗りこむ。
何のためにそんな
莫迦なことをするかというと、「マルガリイダの家」では、船員を招いて
博奕をさせ――これはいつも船乗りらしい簡単な
歌留多の勝負にきまってたが――そして単に賞品として、勝った男に一晩のテレサをあたえるという組織だったから、言わばテレサは、この場合一個の物品に過ぎない。したがって、それを目的に金を賭けるくらいだから、客のほうも前もって詳しく現物を見ておきたい。なんかと権利を主張するかも知れないし、マルガリイダ婆さんはまた、はじめに調べてもらわないと気が済まないなどと
体のいいことを口実に、じつは、ただテレサの皮膚で一そう男たちの賭博心を焚きつけるための手段にすぎないんだが、その夜の客が詰めかけてるところ、からだ中に化粧をしたテレサを真っぱだかにして、「はい、これで御座います、HO・HO・HO!」なんかと挨拶に出すのだ。恐ろしいまでにあらゆる無恥と醜行に慣れ切ってるテレサが、その白熊みたいな莫大な
裸形と濡れた微笑とを運び入れて、そこで明光のもとに多勢の船員たちからどんな個人的な下検査を、平気で、AYE! むしろ大得意で受けることか。そして
唯々諾としていかなる
姿態をこの半痴呆性の女がとって見せるか? つぎにまた、それによって刺激された船乗りたちが、何と、この女を所有するためなら「
血だらけな」給料の二、三個月分ぐらい前借しても構わない旺盛さをもって、
ばくちに熱中し出すか――それは電灯と、偉大な舞台監督マルガリイダと and GOD・KNOWS!
「マルガリイダの家」は、ばいろ・あるとの一ばん奥まったはずれだった。白っぽい石壁に
赤瓦を置いた、そこらに多い建物のひとつで、這入ると、正面の廊下を挟んで左右に幾つも小さな部屋が並んでた。それがみんないわゆる
歌留多場だった。どんなにお客が来ても、夜中の二時まではお酒を売って――これがまたマルガリイダの儲けだったが――釣っておいて、二時
かっきりに、例のテレサのお目見得を挙行する。それが済むと直ぐ、マルガリイダが「
賭け札」を売り出す。これは赤・白・黒の三種に塗られた円い木片で、赤のが五十エスクウド――約五円――白は三十エスクウド――ざっと三円――一円どこの十エスクウドのは黒の
札だった。つまり、どこの博奕場とも同じに直接現金でやり取りするんではなく、一応はじめに金をこの「
賭け札」に
更えて、これで勝負を争うのだ。そしてあとで清算してそれぞれまた現金に直すわけだが、ここでは、いくら馬鹿勝ちしたって一文にもならない。そのかわりテレサを取る。言わば、金を
札に換えてやった額だけ、そっくりそのまま
家の所得なんだから、誰が勝とうが負けようが、あとは
卓子の上を色付きの木片が動くだけで、マルガリイダ婆さんは最初から取るものはすっかり取って大安心なのだ。ある者は五十の赤を二枚、または三十の白札で百五十エスクウド分、或いは黒だけ五枚で五十なんかと、どんなに細かく
千切っても大きく
纏めても、札は買える。が、一度
札にかえた金はすぐ婆さんのふところへ這入って、それを資本に勝ってテレサを
獲ない以上、この家のそとへ持って出たって勿論どこへ行っても金にはかわらないし、お婆さんも
札の買い戻しだけは
金輪際しなかった。すると、それにしては、五円・三円・一円なんて安過ぎて大した儲けにもならないような気がするかも知れないが、何しろこれは下級船員間のはなしだし、また、毎晩なかなか
人数が多い――これにはリンピイの客引きもあずかって力がある――のだから、はじめ二時に
どかんと「
賭け札」を売った金だけでも、往々にして、この社会ではそう莫迦にならない
高に上ることも珍しくない。それに、負け出してくると、博奕本来の興味と性質からいつの間にか熱くなって追っかけはじめる。だから中途で二度も三度も立って、
ぽけっとの底を集めたので新しい
札を買いに来たり、なかには、飛び出してって波止場附近の酒場に友達の顔をさがしたり、船へ帰って金を工面して来たりするから、何度でもそれらに、金と交換に賭け札を渡していると、一夜の入金にしたところで、時としてなかなか大きくなる。テレサのことなんか忘れて、
ばくちそのものへ
せっせと
注ぎ込む人間が、マルガリイダには何よりも有難いのだ。こうして船員の金はお婆さんへ移り、よそへ持って行っては価値のない
木札だけが、男から男へ取引きされてるうちに、単純な
かるたげいむだから興亡は転々として、やがて決勝時に近づく。五時だ。この五時になると、景気のいいものも落ち目のやつも一せいに手を
停めて、各自持ち札の
総計をとらなければならない。赤一枚を五十エスクウドにかぞえ、白が三十、黒が十のこと
札面のとおりだ。で、全部の部屋の全部のテエブルを通じて、Aが七百八十二エスクウドで最高位、四百十七のBが次点――なんてことになるんだが、どうせお金で返ってくるんではなし、女もテレサ一人なんだから、そこでその夜の勝ちっ放しAが、テレサの待ってる二階の一室へ上ってくだけで、次点以下はいつも一さい切り捨てだった。この、負けてても勝ってても、正五時A・Mをもって打ちきり、そのときの
札数ひとつで最後のTALKをすることには、さすが博奕に苦労してる連中だけに案外さっぱりしてて、出そうな
もの言いもあんまり出なかった。それどころか、なかには、一番勝ちの札をぱらりと床へ撒いて、次点者にテレサを譲って
さっさと出て行ったりする見上げたSPORTYも現れたりして、この「マルガリイダの家」は大いに
色彩的な人生の蛮地だった。もっとも、ときどき五時の決勝になって
捻ったことを言い出す
解らねえ胡桃も飛びだしたけれど、そんなのは大概自治的に客のあいだで押さえつけたし、すこし騒ぎが大きくなると、マルガリイダの眼くばせ一つで、
跛足リンプが大見得を切って例外なく綺麗に取っちめていた。
そして、明け方の五時から
正午まで――十二時になるとお婆さんが二階の戸を
叩打して男を追い出す――こうして、この
空博奕に勝ったやつが、白熊テレサと彼女の over voluptuousness を専有し満喫するのだ。甘い物の
げっぷと一しょに、いつもの「ふらんす女・涙の半生」を機械的に繰り返しながら、はなし半ばに怒濤のような
鼾をかき出す可哀そうなテレサ! 何という呪われた大健康と、悲しいまでの肉体への
無関心であろう!
垂れた
かあてんから光る海風が流れこんで、リスボンは今日も輝かしいお天気だ。
この坂の上の
魔窟町へ最初に訪れる「ほるつがる
きぬぎぬ情緒」は、早朝から真下の裏街を流して歩く
跣足の女魚売りの呼び声である。
あう! かしゅうれ!
というのは小鯛。
サア――ルデエイニアス!
と聞えるのが
鰯。
えいる・えいる!
むしりおううん!
は蛤の大きなの。
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