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はじめ噴火みたいな底唸りが聞えて来た――と思うと、いきなりリングの一隅から驀出した「真黒な小山」!
何て大きな牛だ!
闘牛場全体に溢れそうじゃないか。
あ! こっちへ来る。びっくりしてらあ! この日光に、色彩に、音響に。
まるで疾駆する「黒い丘」だ。
鈍重の代名詞が、こんなに早く走れようとは私は今まで思いも寄らなかった。
すでに彼は、早速手ぢかの紅布へ向って渾身的攻撃を開始した。
きらりと角が陽に光った。闘牛士が身を躱した。黄砂が立ち昇った。紅片がひらめいた。
牛はいま、さかんにその紅いきれへ挑みかかっている。
そうだ。そう言えば、まだこの「牛」のことを説明しなかったが、ちょっとここで一つ大急ぎで書いておこう。
闘牛用の牛はTOROSと言って、牛でさえあれば何でもいいというわけには往かない。だから、昨日まで車をひいてた牛だの、そこらで田んぼを耕してた牛なんかを闘牛場へ追いこんで無理に喧嘩を吹っかけるというんではなく、闘牛士に闘牛学校があると同じに、闘牛にもそれ専門の牧場があって、そこでこの特別の牛類を蕃種させ、野放しのまま、ひたすらその闘争精神を育成する。野ばなしと教育とは、こうして闘牛の場合にのみ、不思議に、そして必然的に一致するのだ。そのため、父祖伝来猛牛の血を享けている若牛は、山野の寒暑に曝されて全く原始牛のような生活をしているうちに、すこしも牛という家畜の概念に適合しない、完全な野獣に還元してしまう。今この闘牛牧人の苦心を叩くと、単に野放しに育てると言ったところで、そこにはやはり色んなこつがあるようだ。早い話しが、いくら放任主義だからって風邪――例のすぺいん風邪なんてのもあるし――を引かしたり、ほんとの野牛然と痩せっこけたりしちゃあ闘牛として何にもならない。一方滋味佳養をうんと与えて力と肉をつけながら、同時に、人に狎れないように深甚な用意を払い、極度に怒りっぽく、何ものへ向っても直ちに角を逆立ててて突進し、これを粉砕せずんば止まざる底の充分な野牛だましいを植えつけ、育むのだ。つまり、しじゅう突いたり張ったりしてからかって、怒ることを奨励し、そして怒ったが最後、全身を躍らせて大あばれに暴れる、というように仕込むのが闘牛牧畜の要諦である。事実この目的のためにはあらゆる専門的手段が講じられている。それから、闘牛の資格として最も大事なのは角だ。何しろ、怒牛角を閃かして馬でも人でも突き刺し、撥ね上げて、その落ちて来るのを待って角に懸けて振り廻す――こう言った、馬血人血淋漓たるところが、また闘牛中の大呼物――じっさいどんな平凡な闘牛ででも馬の二、三頭やられることは普通だし、悪くすると、リングの砂が闘牛士の生命を吸い込む場合もさして珍しくない――のだから、この闘牛の角っぷり、その角度尖鋭に対する関心は大変なものだ。色んな方法で牧者は絶えず牛に、武器としての角の使用法を教え込み、自得させる。かくのごとくすること幾春秋――なんて大仰だが、闘牛は牛齢五歳未満をもって一条件とする。とにかく、すべての方面から観察してこれで宜しということになって、はじめてマドリッドなりセヴィラなりバルセロナなりの晴れの闘牛場へ引き出されるのだが、その時の牛は、きょうの「牛の略歴」に徴しても解るとおり、また現にいま、私の眼下に黄塵を上げて荒れ狂ってる「黒い小山」を見ても頷首けるように、牛骨飽くまで太高く、牛肉肥大、牛皮鉄板のごとく闘志満々、牛眼らんらんとして全くの一大野獣である。この闘牛の値段は、なみ牛のところで一頭三千ペセタ――千円――が通り相場だが、今日のような年一回の赤十字慈善興行なんかに出場する「幸運牛」になると、あらゆる牛格を完全以上に具備していて闘牛中の王者というわけだから、値段も張ってまず七千から一万ペセタ――三千二、三百円――に上る。したがって闘牛養牧場―― Ganaderias ――は、西班牙では栄誉と金銭が相伴う最高企業の一つだ。が、立派な闘牛の産地は歴史によって昔からきまっていて、今のところ二個処ある。きょうの闘牛ドン・カルヴァリヨ氏――現在ここであばれてる牛の名――を出したヴェラガ公爵の闘牛場と、もう一つセニョオラ・MIURAのガナデリアと、このふたつとも南のアンダルシア地方にある。一たい闘牛士も闘牛も、多くこのアンダルシアから産出して、そうでないと本格でないほどに思われてるんだが、これは、ドン・ホルヘの察するところ、該方面には、人にも牛にも比較的多分にあらびや人の好戦的血統が残留してるためだろう。
この闘牛をいよいよ最後の運命地、市内の闘牛場へ運び入れるのがまた大変なさわぎだ。どこまでも猛獣という観念を尊重し、巌畳な檻へ入れて特別仕立ての貨車で輸送する。停車場から闘牛場まではなおさら、法律によって、檻のまんまでなければ決して運んでならないことに規定されてる。だから、単に積んだ鉄檻の猛牛に送牛人と称する専門家が附いてえんさえんさと都大路を練ってくところは大した見物だ。さあ、これが今度の闘牛の牛だとあって、はじめから切符を諦めてる貧民連中なんか、せめては勇壮なる牛姿の一瞥だけでも持たばやと檻を眼がけて犇めくのが常例だが、じっさい町中の人が護送中の牛を途上に擁して、あの牛っ振りなら馬の二、三頭わけなく引き裂くだろう、ことの、これあひょっとすると闘牛士も殺られるかも知れない、なんかと評判とりどり、これを見落しちゃならないというんで、たちまち切符仲買所へ人が押しかける。要するにこの、御大層な警備で牛を送りこむのも、一に、これほどの猛牛だというところを公示して、一種の誇張的錯覚――なるほど猛牛には相違ないが――を流布させ、それによって人気をあおろうの、ま、謂わば広告手段とも言えよう。いつかマドリッドの大通りで、この闘牛場へ運送中の牛が、とうまるを破って大暴れに角をふるい、死傷者十数名を出したあげく、ようやく職業的闘牛士が宙を飛んで来て、街上でそれこそ真剣に渡り合い、やっと仕止めたなんかという椿事もあった――これは余談だが、さて闘牛場では、こうして運んで来た牛を、当日まで野庭と呼ぶ別柵内に囲っておいて市民の自由観覧に任せ、いよいよ開演という四、五時間まえ、つまりその日の正午前後に、リングに隣接した Toriles という暗室へ牛を追いこむ。そして約半日闇黒に慣らしたのち、やにわに戸をあけて「運命の戦場」へ駆り立てるのだ。このとき、扉を排すると同時に、上から釘でひょいと背中を突いてやる。そうすると牛は、びっくり猛り立って闇黒を飛び出し、その飛び出したところに明光と喚声が待ちかまえているので、この俄かの光線・色彩・群集・音響に一そう驚愕し、首に養牧者の勲章を飾ったまま、「黒い小山」のように狂いまわる。
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