4
てらら・らん・らん!
てらら・らん・らん!
闘牛開始だ。
軍楽隊は一度に
闘牛楽の調子を高め、旗はいっせいに
ひらひらし、人は歓呼の声を上げて――この闘牛士入場式の光景!
はじめは徒歩、それから騎馬の十七、八人の闘牛士だ。見てるうちに私は何となく
可笑しくなった。
横に長い黒の帽子。
中世紀の小姓みたいな総金
もうるの
短衣。
赤・青・黄に同じくモウル付き半ずぼん。
揃いの赤ネクタイ・白靴下。
肩や腰に
紅布をかけてるのもある。
それが威儀を整えて練り込んで来るのだ。
絢爛。堂々。
颯々。
が、何という
莫迦々々しい大仰さ。
ナヴァロのような青年。
彫刻的な浅黒い相貌。
金ぴかの全身にダンスする光線。
贔屓の闘牛士の名を呼ぶ観客の声。
てらら・らん・らん!
てらら・らん・らん!
――ここにちょっと妙なのは、この闘牛士連がみんなちょん髷を結ってることだ。
しかも、その蜻蛉のようなまげの撥先を帽子のうしろから覗かせている。
Coleta という。
ちょん髷の西洋人なんて初めて見たが、何となく不気味な感じだ。ちょうど日本のお相撲さんみたいなもので、この、闘牛士に特有の豚尾式結髪――COLETA――は、西班牙では甚だ粋な伊達風ということになっている。闘牛士を追っかける踊り子なんか、あの人の髷っぷりが耐らなく憎らしいとか何とか――まあ、その間いろいろとろまんすがあるわけだが、じっさい、西班牙における闘牛士の地位は日本の力士に似ていて、みんなそれぞれにパトロンがあり、なかには、名士富豪にくっ付いて廻って酒席に侍したりする幇間的なのもすくなくない。派出な稼業だけに交際が大変だ。おまけに大立物になると、見習弟子だの男衆だのと、いわゆる「大きな部屋」を養っている。そのかわり名誉と収入も莫大なもので、近いためしが、今日の人気闘牛士ベルモント――この人はセヴィラに宏壮な邸宅を構えている。これはあとから私がセヴィラに行って居た時だが、或る日、ホテルの下の往来が急に騒々しいので覗いてみるとちょうどこのベルモントが、散歩か何かの途中街上で、市民に包囲されたところで、男も女も子供もわいわい後をついて歩いて、手を振る、握手を求める、上の窓から花を抛る、まるで紐育人が空のリンディを迎えるような熱狂ぶりだった。西班牙国民の大闘牛士に対する崇拝ぶりはこれでもわかる。英雄ベルモントは探険家のような風俗の、もう半白に近い軍人的な好紳士だ。一日の出場に七千から一万ペセタ――わが約三千円あまり――を取る、だから今では、大した地所持ち株もちだが、最近本人が勇退の意をほのめかしたところ、たちまち国論が沸騰した。牛で儲けた金だから死ぬまで牛と闘えというのだ。これにはさすがのベルモントも往生してるようだが、このファンの声も、言いかえれば、ベルモントなきのちの闘牛を如何せんという引止運動に過ぎないんだから、老闘牛士も内心莞爾としたことだろう。その他、有名な闘牛士にはガリト、マチャキト、リカルド・トレスなんかの猛者がいて、すこし古いところではアントニオ・フュエンテがある。この人はアルメリヤの近くに、「領土」とも謂うべき広大な土地と、古城のような屋敷を持っている。それからこれも今は故人のはずだが、ラファエル・グエラはほんの一季節の闘牛に二百二十五頭の牛を斃して七万六千ジュロス――十五万円余――を獲たことがあるし、現今でも、何のたれそれと名のある闘牛士なら、年収約二万から二万五千円を下らないのが普通だ――税務所の調べみたいになっちまったが、こんなふうに、名が出ると金になる。女には持てる。学問も教養も要らない。要らないどころか、そんなものは無いほうがいい。第一、人中で牛が殺せる! と言うんで、貧乏人の子供でちょいと腕っぷしの強いやつは、争って闘牛士を志願する。なかには医学生のぐれたのや、電気技師の勤め口を棒に振って闘牛庭の砂にまみれてるといった酔狂なのがあったりして、この闘牛士の仲間は、色彩的な西班牙の社会により強烈な色彩を塗っている絵具だ。マドリッドの太陽広場から左手へ這入った古い狭い横町に、役者――ドン・モラガスをはじめ――だの、この下っぱ闘牛士なんかのぼへみあん連中が勝手な生活をしている一廓があって、夜おそくそこらをうろつくと、方々のキャフェで西班牙酒をあおってる彼らの影絵がもうろうと揺れ動いている。で、まあ、それほど志望者が多いもんだから、ちゃんと闘牛学校まで出来ていて、未来のベルモントを夢みる青少年の群――なかにはアルゼンチンあたりから留学してるのもある――に、初等闘牛史、怒牛心理学概論、闘牛道徳、闘牛作法、扱牛法大綱なんてのを講義したり実修したりしている。
さあ、ここでいつまでも闘牛士にかまっちゃいられない。入場式が済むと、直ぐに牛が出て来るから――。
粛々と前進してきた今日の出場闘牛士は、いま正面ボックスの下に整列している。
ESPADAのベルモントが、一同を代表して司会者――これはたいがい皇后さまか宰相夫人か、とにかく女性にきまってて、この日は赤十字マドリッド支部長としての市長夫人だった――へ、大芝居に騎士的な一礼をしている。
何と graceful なその史的洗煉!
扇をとめて、市長夫人がボックスに立った。何か抛った。黒い小さな物が赤い尾を引いて、円庭の砂を打つ。ベルモント門下の高弟槍馬士のひとりが拾う。鍵だ。赤いりぼんが結んである。牛小屋の鍵だ。
歓声・灼熱・乱舞する日光。
やあ! 鍵を押し戴いた闘牛士が、観覧席の一方へ手を上げて、胸を叩いて絶叫し出した。
『OH! わが心臓の主よ! 悦びとそうして望みの君よ! わたしはこれからあなたの光栄のためにこの牛を殺して私の勇気と武芸を立証します――!』
AH! 何というDONキホウテ式科白! 呆れた大見得! 中世的な子供らしさ!
すると、その方角に当って、人のなかから女が起立した。この闘牛士の妻、もしくは情婦、とにかくこれが彼のいわゆる「心臓の主」なのだ。
夥しい視線の焦点に、ぼうと上気して倒れそうな彼女が、胸のカアネエションに接吻して、下の闘牛士へぽんと投げる。
ふたたび、喝采・動揺・乱舞する日光――羅典的場面の大燃焼だ。
これを合図に、ベルモントをはじめ重立った闘牛士は、一時溜りへ引っ込んで行く。
あとには、最初出来るだけ牛を怒らせる役―― Veronica ――の若手が五人、素手に、おのおの肩や腰の紅布を外して拡げながら、あちこちに陣取って、身構えた。
広い砂のうえに、ほかに人影はない。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] 下一页 尾页