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踊る地平線(おどるちへいせん)07血と砂の接吻

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-27 6:53:24  点击:  切换到繁體中文



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 とこう言うと、さしずめこのあとは、「マドリッドの旧家に泊って経験した恐怖の一夜」といったふうな西班牙スペイン種の怪談でも出て来なけりゃならないようだが、なに、そんなんじゃない。
 私の寓居にペトラという若い娘がいる。
 いやに話が飛ぶようだけれど、飛ぶ必要があるんだから仕方がない。
 で、私の家のペトラは若い娘だった。
 西班牙スペインの若い娘はすべてその近隣ネイバフッド甘味スウイティである。だから、ペトラもこの公約により主馬頭街カイ・デ・モンテイロの Sweety だった。
 すでに甘味スウイティだから、ペトラはあの、アンダルシアの荒野に実る黒苺くろいちごみたいな緑の髪と、トレドの谷の草露くさつゆのようにひらめく眼と歯をもつ生粋のすぺいんだったが、仮りに往時の主馬頭内室セニョラ・モンティラほどのBEPPINじゃなかったにしても、何しろマドリイの少女――と言ってももう二十五、六だったが――なんだから、このモンテイラ街のペトラにもうに一人の男がついていたということは、そのまま、受け入れられていいだろう。
 などと、何もそうむきになることはない。要するにうちのペトラに恋人あり、その名をモラガスと言って西班牙スペイン名題歌舞伎リカルド・カルヴォ一座の、まあ言わば馬の脚だった。じつは一度、私はこのドン・モラガスの舞台を見たことがあるんだが、幕があくと、グラナダあたりの旅人宿ポクダの土間で、土器の水甕みずがめの並んだ間に、派出はでな縫いのある財布アルフォリヨを投げ出したお百姓たちが、何かがやがや議論しながら、獣皮の酒ぶくろから南方へレスの黄葡萄酒かなんかがぶ呑みしている。言うまでもなくその他多勢エキストラの組であんまりぱっとする役じゃないが、そのなかで、一きわ黄色い大声を発して存在を主張していたひとりの「村の若い衆」があった。それがわがペトラの愛人ドン・モラガスだった。モラガスは水を呑んじゃあ義務のように酔っぱらって、しきりに仲間の肩を叩いて笑っていたが、そうこうするうちにほんとの芝居がはじまったと思ったら、一同こそこそ追い出されちまった。あんな金切声かなきりごえを連発するやつが居ちゃあ肝腎の会話の邪魔になるからだろう。それからあとで、宮殿の番兵になってちょっとおじぎをしたきり、その夜のモラガスの出演はこの二つだけだった。
 こういういすぱにあ俳優ドン・モラガスである。が、舞台外では、かれは主馬頭モンテイロ横町の甘味スウイティを相手に実演「夜の窓ベンタアナ・デ・ノッチニ」の主役をつとめていた。
 主馬頭モンテイロの旧屋敷へ馬の脚が通ってくるなんて、私もこの恐ろしい偶一致コインシデンスにはひそかにおののいていたんだが、通うと言えば、一たい西班牙スペインほど結婚の絶対性を大事にしている近代国家はあるまい――どうも色んな方面へ話題がさまようようだけれど、これがみんな今に一頭の牛に対して必然的関係を生じてくるんだから、ま、もすこし聞いてもらうとして――西班牙スペインでは、結婚は、地に咲いた神意の花だとあって、早いはなしが、姦淫者を見つけて斬りつけても、殺さない限り必ず無罪だし、たとえすこしくらい殺したところで、むしろ「名誉の軽罰」でごく簡単に済む。それほど合法の結婚を保護するに厚い。言うまでもなくこれは、加徒力カトリック教の教義が極端にあらわれているんだが、それの結婚の尊重が度を過ごして、決して離婚ということを許さないおきてになってるので、間違って咲いた神の花はどうにもしぼみようなくて往生する。つまり一度結婚したが最後――ほんとにこれが最後――こんりんざい離婚は出来ない。どだい離婚という言語はすぺいんの辞書にはないというんだから、いざ結婚というまえに女は非常に要心する。これは何も女に限った理窟ではなく、「六十年の不作」くじを引き当てちゃあかなわないから、男だって相当に警戒するんだろうが、どうも古代から受身のせいか、物語のうえでは女ばかりがいやに被害妄念をもって用心することになってる。では、どう要心するかというと、ここに一対の青年男女があって恋を知り、両方の親達が許し合うと、これがほかの国だと文句なしに早速結婚しちまうところなんだが、西班牙スペインではそうは往かない。ここにはじめて男のまえに、長い試煉の月日が展開し出すのである。AH!
 親が承知の婚約の仲だから、男も、昼は公然と訪問する。これはまあいい。厄介なのは夜だ。可哀そうなセニョルは、毎晩毎晩CAPAと称する黒い円套マント――裏にって、赤と緑のだんだん天鵞絨びろうどなんかを付けてつうがってる――そいつをすこし裏の見えるように引っかけ、ボイナというぽっちのついた大黒帽だいこくぼう従弟いとこみたいな物をいただき、もっと気取ったやつはカパのなかにギタアを忍ばせたりして、深夜にセニョリタの住む窓の下へ出かける。そして、南へレス産の黄葡萄酒よ! と合言葉を投げると、内部から、おお! 北リオハの赤葡萄酒! とか何とか応えながら、女が窓を開ける。時刻はかねて打ちあわせてあるから、セニョリタは厚化粧をして待っていて、古城の姫君にでもなった気ですっかり片づけている。ここにおいて数分間、窓を通じて内外に恋のやりとりがあるんだが、この場合、いくら公認の忍びでもギタアを引っ掻いたりしちゃあ近処の迷惑になるから、たいがい沈黙のうちに両人同じ月を眺めて溜息をつくくらいのものだ。これが毎夜毎夜毎夜――以下無数――に継続する。しかし、ただ窓をとおして顔を見あったり饒舌しゃべったりするだけのことだから、まるで動物園にお百度を踏むのと同じで、通うと言ったところで、単にセニョルのほうで、愛の恒久性、恋の保証をこういう手段で見本サンプルに示すに過ぎない。だから、これにへこたれて通勤をしちまったセニョルは直ぐ駄目になるわけだが、来る夜もくる夜も根気よく窓の下に立っていると、お前、こんどのは割りに長つづきするじゃないか、なんかとまず、女の両親、ことに母者人ははじゃびとあきれ半分に感心し、セニョルの誠実相解あいわかった! と古風に手を打ったりして、あとはすらすらと事が運び、間もなく神の意思に花が咲くといった経路だ。どうも廻りくどいがいまだにやってる。私もいつか、セルヴァンテスの家を探してあるきまわった晩なんか、くらい横町にあちこち窓を見上げて立っている青年をふたりも三人も見かけたものだった。通行人も巡警もこればかりは知らん顔してとおり過ぎることにしている。それはいいが、なかには、一晩に二、三個の窓を掛け持ちして、自転車を飛ばして走りまわっている、私立大学のPROFみたいに多忙なのもあったりして、自然この「西班牙スペイン国青春男女婚約期間」には悲喜こもごも幾多の秘話があるんだが、元来これは闘牛のはなしのはずだから、そこで、無理にも筋を牛のほうへじ向けよう。
 が、これで判った。つまりドン・モラガスはうちのペトラと許婚いいなずけの間で、目下せっせと窓通いをやってる最中なんだが、ドン・ホルヘはそんなことは知らない。夜中に窓の下でごそごそ人声がするのは、てっきり主馬頭夫人セニョラ・モンテイラの旧恋人たちの幽霊だろうと思いこみ――まあさ、一たい何だろうと窓を開けて見下ろしたところが、丘の街マドリッドを明方の熟睡と月光が占領し――下のペトラの窓にへばりついて、
『ねえペトラさん、まだ話が決まりそうもないでしょうか。僕あもう闇黒くらやみの中で眼をつぶって歩いても、ひとりでにこの窓の下へ来るようになりましたよ。』
『まあ! でも、まだらしいのよドン・モラガス。だって、お母さんたら、うちのお父さんはわたしんとこへもうこの三倍も通いました、なんて言ってるんですもの。』
 などと、いすぱにあモダン・ガアル「窓のペトラ」と盛んにTETE・A・TETEしてたらしい役者ドン・モラガスが、はっとびっくりして上を見あげたから、私もばつが悪い。あわてて深呼吸をしながら遠くへ眼をそらすと、遊子ドン・ホルヘの顔いっばいに月が照らして――ま、そんなことはどうでもいい。
 話題を闘牛へ戻す。

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