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とこう言うと、さしずめこのあとは、「マドリッドの旧家に泊って経験した恐怖の一夜」といったふうな西班牙種の怪談でも出て来なけりゃならないようだが、なに、そんなんじゃない。
私の寓居にペトラという若い娘がいる。
いやに話が飛ぶようだけれど、飛ぶ必要があるんだから仕方がない。
で、私の家のペトラは若い娘だった。
西班牙の若い娘はすべてその近隣の甘味である。だから、ペトラもこの公約により主馬頭街の Sweety だった。
すでに甘味だから、ペトラはあの、アンダルシアの荒野に実る黒苺みたいな緑の髪と、トレドの谷の草露のように閃めく眼と歯をもつ生粋のすぺいん児だったが、仮りに往時の主馬頭内室ほどのBEPPINじゃなかったにしても、何しろマドリイの少女――と言ってももう二十五、六だったが――なんだから、このモンテイラ街のペトラにも疾うに一人の男がついていたということは、そのまま、受け入れられていいだろう。
などと、何もそうむきになることはない。要するにうちのペトラに恋人あり、その名をモラガスと言って西班牙名題歌舞伎リカルド・カルヴォ一座の、まあ言わば馬の脚だった。じつは一度、私はこのドン・モラガスの舞台を見たことがあるんだが、幕があくと、グラナダあたりの旅人宿の土間で、土器の水甕の並んだ間に、派出な縫いのある財布を投げ出したお百姓たちが、何かがやがや議論しながら、獣皮の酒ぶくろから南方へレスの黄葡萄酒かなんかがぶ呑みしている。言うまでもなくその他多勢の組であんまりぱっとする役じゃないが、そのなかで、一きわ黄色い大声を発して存在を主張していたひとりの「村の若い衆」があった。それがわがペトラの愛人ドン・モラガスだった。モラガスは水を呑んじゃあ義務のように酔っぱらって、しきりに仲間の肩を叩いて笑っていたが、そうこうするうちにほんとの芝居がはじまったと思ったら、一同こそこそ追い出されちまった。あんな金切声を連発するやつが居ちゃあ肝腎の会話の邪魔になるからだろう。それからあとで、宮殿の番兵になってちょっとおじぎをしたきり、その夜のモラガスの出演はこの二つだけだった。
こういういすぱにあ俳優ドン・モラガスである。が、舞台外では、かれは主馬頭横町の甘味を相手に実演「夜の窓」の主役をつとめていた。
主馬頭の旧屋敷へ馬の脚が通ってくるなんて、私もこの恐ろしい偶一致にはひそかに戦いていたんだが、通うと言えば、一たい西班牙ほど結婚の絶対性を大事にしている近代国家はあるまい――どうも色んな方面へ話題がさまようようだけれど、これがみんな今に一頭の牛に対して必然的関係を生じてくるんだから、ま、もすこし聞いてもらうとして――西班牙では、結婚は、地に咲いた神意の花だとあって、早いはなしが、姦淫者を見つけて斬りつけても、殺さない限り必ず無罪だし、たとえすこしくらい殺したところで、むしろ「名誉の軽罰」でごく簡単に済む。それほど合法の結婚を保護するに厚い。言うまでもなくこれは、加徒力教の教義が極端にあらわれているんだが、それの結婚の尊重が度を過ごして、決して離婚ということを許さない掟になってるので、間違って咲いた神の花はどうにも萎みようなくて往生する。つまり一度結婚したが最後――ほんとにこれが最後――こんりんざい離婚は出来ない。どだい離婚という言語はすぺいんの辞書にはないというんだから、いざ結婚というまえに女は非常に要心する。これは何も女に限った理窟ではなく、「六十年の不作」籤を引き当てちゃあかなわないから、男だって相当に警戒するんだろうが、どうも古代から受身のせいか、物語のうえでは女ばかりが嫌に被害妄念をもって用心することになってる。では、どう要心するかというと、ここに一対の青年男女があって恋を知り、両方の親達が許し合うと、これがほかの国だと文句なしに早速結婚しちまうところなんだが、西班牙ではそうは往かない。ここにはじめて男のまえに、長い試煉の月日が展開し出すのである。AH!
親が承知の婚約の仲だから、男も、昼は公然と訪問する。これはまあいい。厄介なのは夜だ。可哀そうな男は、毎晩毎晩CAPAと称する黒い円套――裏に凝って、赤と緑のだんだんの天鵞絨なんかを付けて通がってる――そいつをすこし裏の見えるように引っかけ、ボイナというぽっちのついた大黒帽の従弟みたいな物をいただき、もっと気取ったやつはカパのなかにギタアを忍ばせたりして、深夜に女の住む窓の下へ出かける。そして、南へレス産の黄葡萄酒よ! と合言葉を投げると、内部から、おお! 北リオハの赤葡萄酒! とか何とか応えながら、女が窓を開ける。時刻は予て打ちあわせてあるから、女は厚化粧をして待っていて、古城の姫君にでもなった気ですっかり片づけている。ここにおいて数分間、窓を通じて内外に恋のやりとりがあるんだが、この場合、いくら公認の忍びでもギタアを引っ掻いたりしちゃあ近処の迷惑になるから、たいがい沈黙のうちに両人同じ月を眺めて溜息をつくくらいのものだ。これが毎夜毎夜毎夜――以下無数――に継続する。しかし、ただ窓をとおして顔を見あったり饒舌ったりするだけのことだから、まるで動物園にお百度を踏むのと同じで、通うと言ったところで、単に男のほうで、愛の恒久性、恋の保証をこういう手段で見本に示すに過ぎない。だから、これにへこたれて通勤を止しちまった男は直ぐ駄目になるわけだが、来る夜もくる夜も根気よく窓の下に立っていると、お前、こんどのは割りに長つづきするじゃないか、なんかとまず、女の両親、ことに母者人が呆れ半分に感心し、男の誠実相解った! と古風に手を打ったりして、あとはすらすらと事が運び、間もなく神の意思に花が咲くといった経路だ。どうも廻りくどいが未だにやってる。私もいつか、セルヴァンテスの家を探してあるきまわった晩なんか、くらい横町にあちこち窓を見上げて立っている青年をふたりも三人も見かけたものだった。通行人も巡警もこればかりは知らん顔してとおり過ぎることにしている。それはいいが、なかには、一晩に二、三個の窓を掛け持ちして、自転車を飛ばして走りまわっている、私立大学のPROFみたいに多忙なのもあったりして、自然この「西班牙国青春男女婚約期間」には悲喜こもごも幾多の秘話があるんだが、元来これは闘牛のはなしのはずだから、そこで、無理にも筋を牛のほうへ捻じ向けよう。
が、これで判った。つまりドン・モラガスはうちのペトラと許婚の間で、目下せっせと窓通いをやってる最中なんだが、ドン・ホルヘはそんなことは知らない。夜中に窓の下でごそごそ人声がするのは、てっきり主馬頭夫人の旧恋人たちの幽霊だろうと思いこみ――まあさ、一たい何だろうと窓を開けて見下ろしたところが、丘の街マドリッドを明方の熟睡と月光が占領し――下のペトラの窓にへばりついて、
『ねえペトラさん、まだ話が決まりそうもないでしょうか。僕あもう闇黒の中で眼をつぶって歩いても、ひとりでにこの窓の下へ来るようになりましたよ。』
『まあ! でも、まだらしいのよドン・モラガス。だって、お母さんたら、うちのお父さんはわたしんとこへもうこの三倍も通いました、なんて言ってるんですもの。』
などと、いすぱにあモダン・ガアル「窓のペトラ」と盛んにTETE・A・TETEしてたらしい役者ドン・モラガスが、はっとびっくりして上を見あげたから、私もばつが悪い。あわてて深呼吸をしながら遠くへ眼をそらすと、遊子ドン・ホルヘの顔いっばいに月が照らして――ま、そんなことはどうでもいい。
話題を闘牛へ戻す。
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