しょうべん小僧――ここでいうマネケンである。ルウ・ドュ・レテュルとルウ・ドュ・シエンの角。ちょいとした狭い裏通りの曲りかどに、凹んだ壁を背にして、この一尺ほどの不届きなブロンズはいつもそうそうと水の音を立てている。はだかの子供。一ばん古いブラッセル市民。伝説に曰く。むかしベルギイがどこかの国と戦って、旗色わるく既にあやうく見えたとき、時の王様だったこの小さな子供がちょこちょこと第一線へ走り出てそこで敵へむかって快然と放尿した。それから勢いを盛り返して難なく勝ったその記念だとある。なるほど言いそうなことだ。が、マネケンと称するわけは、この小僧はなかなか衣裳持ちで、市に何か儀式があるごとにその場合に応じた着物をきせられる。そこで衣裳人形の名。日本からも陣羽織が来ている。町の非常な人気者で、四、五年まえ或る老婦人は遺産一千法をそっくりしょうべん小僧の維持費に寄附して死んだ。両側とも土産ものの店。「英語を話します」「独逸語もわかります」と窓に広告してある。這入ってみる。マネケンの置物、マネケンの鈴、マネケンの灰皿、マネケンの匙、マネケンの Whatnot ――。
無名戦士の墓――コングレス柱の下。一九二二年十一月十一日以来、昼夜とろとろと燃えつづけている火。脱帽。
ヴェルツ美術館――ドュ・ヴォウティア街。アントニイ・ヴェルツ――一八〇六・一八六五――の個人美術館。もと彼の住宅兼工房だった建物に、大胆・異風・写実、そしてかなりの肉感・残忍・狂的・大作のコレクシオンが出来ている。いかに大作であるかは、そのうちのあるものを描くため彼は場所に困って寺院を借りようとしたところが、僧侶が彼を異端者あつかいして、貸す貸さないで一悶着あったというのでも知れよう。代表作。パトロクラスを争う。天国に対する地獄の叛逆。悪魔の鏡。死刑囚の幻想。地獄におけるナポレオン。秘密。薔薇。その他。隅の犬小屋と犬の絵も有名だ。つい先ごろまで幕のむこうに隠しておいてわずかに小穴から覗かせたという作も、いまは全部公開している。飢餓・発狂・犯罪と題する、狂女が赤んぼの足を切って鍋へ入れているところ、など・など・などがそれだ。「期待」は、裸女が寝室のとばりをあけて人を待っている図、「好奇心」では、これもやはり裸体の女が浴室らしい部屋の戸を細目にひらいている。孤児、生葬、カシモド、焼けどした子供――等すべて世紀末的なグロテスクネスの極致だと言える。ヴェルツはよく狂人だったと誤りつたえられているが、それほどの血みどろさ、ゆがんだ見方、変態さだ。しかし、成功か不成功か、とにかく彼は絵筆にものを言わせようとしている。ひとつの理想主義、革命的社会思想、階級意識、戦争と力への反撥――そういったものを取材とする絵が芸術であっていいかどうかは第二の問題として――かれの絵は最も端的にそれを摘出し、議論し、口角泡をとばして、画室へ這入るとけんけんがくがくの声が四方の壁に沸き立っているような気がする。使命をもつ絵――ひっきょうヴェルツは十九世紀の漫画だった。が、この狂天才もたしかに人類生活の一飛石たるを失わない。いかにそれが気味のわるい飛石にしろ!――こういうとヴェルツは、その「自画像」に記して時人に示した著名な文句を、そのまま繰り返すに相違ない。
「一たい絵画において批評ということは可能かね?」
In matter of painting, is criticism possible ?
白耳義博物館――化石、前世界のとかげの大群。一訪にあたいす。
大広場――夜あけから八時まで、朝露と大きな日傘と花のマアケットだ。ようろっぱで最も美しい中世紀広場のひとつ。大きな犬が馬のかわりに牛乳や野菜の車をひいて、でこぼこの石だたみのまわりを豊かな装飾の建物がとりまいている。その一つ「ギルド・ハウス」の二六・二七番に、一八五二年にヴィクタア・ユウゴウが住んでいたことがある。
サンカンテネイル公園の芝生と池、宮殿のうえの並木街――ブラッセルの美は街路樹と街路樹の影にある――私たちは一日に何度となくその下を往ったり来たりした。ぱらぱらと小雨がおちる。木かげのベンチに腰をおろす。霽れるとまた歩き出す。一ぽん路を下町へおりると南の停車場だった。
お祭りで、片側にずうっと見世物小屋が並んでいた。
靴をとられそうに砂のふかい歩道にそって、力持、怪動物、毛だらけの女、めりい・ごう・らうんど、人体内器のつくり物、覗き眼鏡、手相判断、拳闘仕合、尻ふりダンス「モンマルトルの一夜」、蛙男、早取写真、「女入るべからず」、みにあちゅあ自動車競争、ジプシイ占いブランシェ嬢の「水晶のお告げ」、生理医学男女人形、影絵の肖像画、ふたたび「巴里の夜」、大蛇、一寸法師、あふりか産食人種、飛入り歓迎「モンテ・カアロ」の勝負、当て物、キュウピイ倒し、だんすする馬、電気賭博に海底旅行――楽隊・雑沓・灯火・異臭・呼声・温気。肩、肩、肩。上気した人の眼、眼、眼。何しろ今夜は町の祭りだ。
一法から三法出して、私たちもその見世物の全部を軒なみに覗いてあるく。「顔じゅうに毛の生えている女」のまえで、私がセ・ビアン! トレ・ビアンと大声を発したら、見物の善男善女頬をかがやかしてトレ・ビアン! と和唱し私語きあった。正直で単純で熱情的な、羅典とフレミシュの混血族である。彼らはしんから感嘆しているのだ。ただ一つ「蛙男」にはへんに吐きたくさせられた。これはほん物の不具者で、身長一尺未満――年齢五十歳前後――のからだに分別くさい巨大な顔が載っかって、しかも極端にほそい小さな両手には、水掻きのようなものがついている。それが、何らの興味もなさそうにしずかに仏蘭西語の俗歌をうたっていた。それは私も彼女も、当分食慾に支障をきたしたほどの眺めだった。
アイスクリームを買いながらタキシを呼びとめ、そのタキシのなかでアイスクリームを食べつつ帰途につく。うしろからはまだ、祭りの雑音が夜風とともにタキシを追ってきていた。
星あかりだ。
あしたの天気は楽観していい。
嘆きの原
尼院の森、ソワアニの森――このソワアニはブラッセルの「ボア・ドュ・ブウロウニュ」だ――とにかく、みどりの反映で自動車内が、乗っている私も彼女も真っ青に見えるほど、いつまでもいつまでも森のなかばかり走ってる。森だからやたらに大木が生えて、その古い大木がまた出鱈目に枝を張って、枝の交錯から午後の陽が洩れて、土と朽葉のにおいがつめたく鼻をついて、湖があったり、薪をしょった女が小路に自動車をよけていたり――そのうちに森を出たと思ったら、いきなり宿場みたいな埃くさい町の真ん中へ停めて、運転手の赤ら顔が私たちを振りかえった。
『あれです! 一八一五年六月十七、十八の両日、ウェリントン将軍の参謀本部となった家は。いまは村の郵便局ですがね。』
私たちはウォタアルウ古戦場へ行く途中だった。いや、もうここがウォタアルウの町だという。見ると、いかさま「すっかり当時を心得て」いそうな建物が、ふるくて汚いくせに妙に威張って建っている。ここにおいてか私は、
『ははあ、そうかね。大したもんだね。』
と一つ、亜米利加人の観光客みたいに曖昧に感心しておいて、彼女を促し、ショファを引具してちょっとそのウェリントン大公の参謀本部を訪問する。
二階が本部兼居間兼寝室だ。「すっかり当時を心得て」いそうなお婆さん――この家の主婦兼ウォタアルウ郵便局長――が出て来て、
『これが将軍の使った椅子と机。』
『ははあ、大したもんですな。』
『これが将軍の寝台。』
『へえい! 大したもんですな。』
『これが将軍の――これが将軍の――これが将軍の――。』
弾丸だの槍だのぼろぼろの肩章だの――もちろんすべて将軍の――を一まわり見て戸外へ出る。
『これが将軍の踏んだ階段だね。』
私がこういって木の梯子段をこつこつ蹴ったら、運転手は眉を上げて保証した。
『もちろん、そうです。』
じぶんのものみたいだ。この運転手はブラッセルの町で拾ったのだが、若いにしてはじつによく「当時を心得」ていて、把輪を握りながら、散策中の鶏や犬や、時には村人をあわや轢きそうになるのもかまわず、はんぶんうしろを向いて盛んに饒舌り散らす。
『ええ、十七日の十一時ごろから明け方へかけて土砂ぶり、ナポレオンの兵隊は足拵えがよくなかった――おまけに大きな溝がありましてね。いまそこへ行きますが。』
そこへ行こうとして曲り角へ出る。オテル・ドュ・コロウヌと看板を上げた村の倶楽部みたいなささやかな居酒屋がある。
『一八六一年、ユーゴウはこの家に滞在して、あの「ああ無情」のなかのウォタアルウのところを書いたんです。やっぱり実感を得に来たんでしょうなあ。』
ここでも運転手は自分が書いたような顔をする。ぞろぞろ下りて這入りこむ。
『ユーゴウのいた部屋を見たい。』
『ビイルか葡萄酒かレモナアドか、何を飲む?』
バアのむこうに控えてる女は一こうに要領を得ない。その要領を得ないところを掴まえていろいろに詰問すると、まことユーゴウのいたことは事実に相違ないが、もう代が変ってすっかり判らなくなっているという。この問答を聞いて、むこうで村の坊さんがひとりでにやにや笑ってる。仕方がないから運転手君と三人でレモナアドの大杯を傾ける。今こいつに酒精分を許しては大へんだからだ。
それからまた田舎みち。モン聖ジャンの野原。ここがほんとの戦場だ。陽がかんかん照って「土のピラミッド」が立ってる。下に「当時のパノラマ」の見世物がある。這入ってうっかりしてるとのこのこ案内者がついてきて勝手にまくし立てる。
『この時ナポレオンは兵七万一千九百四十七を擁し、あれなる白い百姓家プランシノアに陣取りまして午前九時、あい変らずこう左手をうしろに廻して白馬に跨がり――それに対し聯合軍は、こちらのブラン・ラルウの街道を押さえ――。』
見たようなことを言ってる。
『ははあ、どうも大したもんだな。』
『大変でしたろうねえ、ほんとに。』
ほどよく感心してビラミッドへ登ると、頂上に獅子像が頑張っていて、いま見たパノラマの現場は指呼のうちだ。
天地悠久と雲が流れて、白耳義の野づらはうらうらと燃えている。ここにも「すっかり当時を心得」たのが網を張っていて、
『あれ! あすこに見えまする一本の木――奥さん、見えますか?――あれがナポレオン軍苦戦のあと。それから、むこうにぽっちり窓の光っております一軒家は――。』
『ははあ、どうも大したもんだな。』
『大へんでしたろうね、ほんとに。』
下りてみると、日向の自動車のなかで運転手がぐっすり居眠りしていた。とうとうこっそり呑ったとみえて、車内にぷうんと香いが漂っている。これで鶏も犬も人も轢かずに、ソワアニュの森では大木をよけて、無事にブラッセルまで帰れるかしら?
なあに、いくら酔ってても、じぶんの車だけは大事にするだろう。
ウォタアルウ古戦場で、私は計らずも一句うかんだ。ものになってるかどうか、お笑いにまで――。
夏草やつはものどもの夢のあと
オリンピック1928
日光・群集・筋肉・国旗。
開会式。曇天。寒風。
近代的古代
希臘之図。
放鳩。奏楽。
各国選手入場――ABC順。
亜弗利加。みどりの上着に白のずぼん。
独逸。上、濃紺。下、白。
ブルガリアは騎兵だ。
加奈陀。上、白。下、赤。
智利は白。
埃及。赤い帽子。青いコウト。灰色のぱんつ。
亜米利加。上、青。下、白。
旗手ワイズミュラア。
ハイチ。黒人、一人。
伊太利。こうと灰色。うすい青のずぼん。
日本。上、青。下、白。役員はフロックコウトに赤靴だ。
旗手
高石。
墨西哥。白に赤襟。
モナコ。白衣にあかい帽子。九人。
パナマ。ひとり。
参加国全四十五。
宣誓。演説。
演説。演説。演説。
日光・群集・筋肉・国旗。
百
米。二百メートル。
四百米。タイム五六秒五分の一、五分の三。
ピストルとストップ・ウォッチ。
続出する新記録。
世界レコウド。
また世界レコウド。
国家として切るテイプの清新さ。
オフィシェル・プログラマ? の叫び声。
高飛び。槍投げ。
予選。準決勝、そして決勝。
メインマストの国旗。全スタンド起立。
脱帽。国歌だ。
ナガタニ――イ!
オダア!
永谷は254。
織田は257。
沖田。258。
南部。255。
人見。265。
あれは誰だ?
667――
加奈陀のウィリアムス。
553はあめりかのパドック。
日光・群集・筋肉・国旗。
五色の輪の踊るオリンピックの旗。
あ! あそこへ行く――。
いま誰かと立ち話ししている超人ヌルミ。
おなじく人間機関車のリトラ。
ハアドル、それから走り巾とび。
ホップ・ステップ&ジャンプ。
257――わあっ! 日本の織田だ!
結果、一五二一。
セレモニ・オリンピイク!
オダ・ヤポンの声。
日章旗! 涙!
君が代が
和蘭の空へ。
ああ、スポウツに
藉りて白熱する帝国主義!
帝国主義礼讃。
勝つことの礼讃。
少年のような愛国心!
日光・群集・筋肉・国旗。
おらんだ国巡遊手引き
自序として、和蘭に関する必要な知識を、まず二、三左に列挙しよう。
ハランド――どうも独立国らしく思われる。地理については、地理の本の和蘭の条参照のこと。ここではただその地形を略説せんに、概して土地、海面より低く――他の多くの国は幾らか海よりも高きを原則とす――一望さえぎるものなき平原にして、たまたま丘、もしくは山と見ゆるものあるは、怠惰なる牛の座して動かざるなり。また時に遥かに連山の巍峨たるに接することあれど、すべて雲の峰なれば須臾にして散逸するをつねとす。
気候。驟雨多し。青天に葉書を出しに行くにも洋傘を忘るべからず。
歴史。歴史の本に詳し。
名所。国をあげて遊覧客のためにのみ存在す。
国民性。偉大なる饒舌家。老若男女を問わずよく外国語――日本語以外――をあやつり、即時職業的ガイドに変ず。自己ならびに過去を語るを好み、向上心に乏しく、安逸と独逸風のビールと乾酪をむさぼる。人を見ると名刺をつき出し、署名を求める癖あり。皮膚赤く、髪白く――小児も――顔飽くまでふくれ、温順なる家畜の相を呈し、世辞に長ず。
名物。風車、木靴、にせダイヤ、おらんだ人形、銀細工、ゆだや人、運河。
アムステルダム――ことしはオリムピックという柄にもない重荷をしょって、町じゅう汗たらたらだった。おかげで私たちも暑い思いをする。
宮殿――百貨店と間違えて靴下を買いに這入ったりしないよう注意を要す――猶太区域、レンブラントの家、コスタアのだいやもんど工場、国立美術館――レンブラントの Night Watch、エル・グレコ、ゴヤ、ルノアウル、ドラクロア、ミレイ、マネエ、モネエ、ドガ、ゴッホ、ゴウガン、ETC。
一度停車場まえの橋下からベルグマンの水タキシで市内の運河めぐりに出ること。
フォレンダムとマルケンの島――遊覧船で一日。風と浪とに送られて――それだけ。
ヘイグ――モウリツホイス美術館のレムブラント筆解剖の図、イエファンエンプウルトの牢獄、これはいま博物館になって、昔からの拷問刑罰の器具を細大洩れなく蒐めてある。ヘイグでのA・NO・1。
ちょっと電車でシュヘヴェニンゲンの海水浴場へ行くといい。人ごみのカシノで食事し、一ギルダ出して人混みの桟橋を歩いてしまうと、まずおらんだはこれでENDだ。
で、END。
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